澤藤統一郎の憲法日記

改憲阻止の立場で10年間毎日書き続け、その後は時折に掲載しています。

靖国神社がキナくさい。これまでは、安倍晋三だの高市早苗なんぞの右翼政治家と靖国との関係が警戒の対象だった。ところがこのところ、自衛隊と靖国の直接の関係がクローズアップされている。これは危うい。権力中枢が、本気になって戦時を想定しているということなのだから。

(2024年3月31日)
明日、靖国神社の宮司が交代する。新任の宮司は、自衛隊元海将の大塚海夫。元自衛隊幹部が靖国のトップに就任することの意味は小さくない。なお、10人いる崇敬者総代のうち、2人が自衛隊幕僚長級の元幹部だという。このところ、自衛隊の集団参拝も報じられている。靖国と自衛隊。相寄る魂のごとくであるが、元来が禁じられた仲なのだ。

今年2月発行の靖国神社「社報」に大塚新宮司の寄稿が掲載されているという。この人は現職の自衛官時代に靖国神社奉賛会に入会しており、「国防という点で英霊の御心を最も理解できるはずの我々こそが」「その思いを受け継ぎ、日本の平和のために尽力すべき」と述べているそうだ。この新宮司の発言、これは危ない。

靖国は、天皇のために命を捨てた皇軍の将兵を、天皇への忠誠故に顕彰する目的で、天皇の発意によって創建された宗教的軍事施設である。当初は内戦における天皇軍の戦死者を祀り、内戦が終わってからは対外的侵略戦争の戦死者を護国の神として祀る神社と性格を変えた。皇軍の戦死者は天皇の勅によって祭神となって合祀される。合祀の儀式である臨時大祭には、大元帥としての軍服をまとった天皇が必ず親拝した。靖国の宮司は陸海軍の最高幹部が務め、その境内は陸海軍が警固した。

ことほどさように、靖国とは徹頭徹尾天皇の神社であり、軍国神社である。神社であるからには宗教施設であるが、その宗教を何と呼称するかは微妙な問題。「国家神道」という表現は分かりにい。天皇を神とも祭司ともする、「天皇教」というネーミングが分かりやすい。天皇教は、明治政府が拵えあげた新興宗教にほかならない。もちろん、鍛え抜かれたマインドコントロール手法を誇ったカルトである。

理性をもっている人間を戦争に引き込むのは難事である。その理性を捨てさせる手段の一つとしてこのカルトがつくられ、国民を洗脳して戦争に総動員した。天皇教の教団は、全国の学校に訓導(教師)という布教師を配して、こう教えた。

「おまえの命など取るに足りない。天皇に絶対随順して命を捨てることこそ臣民の道であり、永遠の大義に生きることなのだ」「つまらないおまえでも、戦地で死ねば、天皇陛下によって靖国に祀っていただく名誉に浴することができる」「靖国に祀っていただけるのだから、笑って死ね」

信者に対して、財産だけでなく命をも捨てよと求める、これこそ究極のカルトである。恐るべきは、20世紀の中葉まで、このマインドコントロールが成功したことである。こうして、240万もの将兵が戦死して靖国の英霊となった。

新宮司による前記の「靖国」への寄稿は、「国防という点で英霊の御心を最も理解できるわれわれ自衛隊員こそが、天皇のために命を捧げて英霊となった旧軍人の尊い思いを受け継ぎ、日本の平和を守るための強力な軍隊を作り国防精神を昂揚すべく力を尽くさねばならない」との誓いと読める。

軍隊でも戦力でもないはずの自衛隊が、天皇の軍隊である旧軍にかくも親近感をもち、かくも精神的な一体感をもっていたのかと、驚愕せざるを得ない。

79年前の夏、敗戦によって大日本帝国は消滅した。神権天皇も、陸海軍を統帥する大元帥としての天皇もなくなり、陸海軍も解散した。しかし、天皇制は清算されることなく残った。陸海軍の付属施設だった靖国神社も宗教法人として生き延びた。そして、さほどの時を経ることなく自衛隊が創設された。戦前の残滓の跳梁に警戒を要する事態となって、現在に至っている。

戦争の惨禍を経て、その反省の内に日本国憲法の原理に貫かれた、平和な民主主義国家が誕生した。しかし、面倒なことに、象徴天皇という異物が生き残り、宗教法人靖国神社制も残り、旧軍に似た自衛隊が誕生して、靖国と天皇、靖国と自衛隊の癒着に警戒しなければならない事態が生じているのだ。

戦前のままの精神構造をもった守旧派連中は、靖国の国家護持を求める運動を起こしたが挫折し、次に靖国神社への天皇・内閣総理大臣・国賓等の公式参拝要請運動を展開した。憲法改正運動と並ぶ、右翼・保守派の悲願となって今日に至っている。

靖国をめぐっては、永く保守とリベラルが反目を続けてきた。そして、ずいぶんの昔から、リベラルの運動体内部では、「靖国問題の本質は反戦にある。将来、戦争が近づけば靖国問題が喫緊の重要課題となる。戦死者をどう葬るべきかが浮上するからだ」と言ってきた。つまりは、ながらく「将来」の問題だった。

それが今、リアリティをもって語らなければならない事態となったということではないのか。自衛隊が戦争参加を覚悟すれば、戦死者をどのように葬り、追悼し、顕彰すべきか、その問題に直面せざるを得ないのだ。このところ急ピッチで報じられる、自衛隊と靖国との接触は、その新たな危険な事態の兆しと見なければなるまい。

「機能性表示食品」という、疫病神・安倍晋三の負のレガシー。

(2024年3月30日)
最近まで、日本に安倍晋三という疫病神が徘徊していた。ずるくてウソつきで、極端な身贔屓で、官僚人事を壟断して「忖度政治」を横行させ、モリ・カケ・サクラ等々の諸事件を引き起こして世論の指弾を受けた…。だけではなく、日本国憲法が大嫌いで、歴史修正主義者で、統一教会との関係が深く、メディアを操縦し、日本の教育・平和・外交・防衛・人権・経済を重篤な疫病症状とし、日本の国力を徹底して殺いだ。いま、自民党内では安倍派に属していたことだけでこの上なく肩身が狭い。党内だけではない、その負のレガシーは全国のあらゆる分野におよんでいる。

たとえば、小林製薬製のサプリメント「紅麹コレステヘルプ」による深刻な被害の問題である。以前から予想された「機能性表示食品」制度の危険が現実のものとなった。これも、安倍晋三という疫病神のなせる業。

誰の目にも破綻が明らかとなったアベノミクスは、3本の矢からできていた。「大胆な金融政策」「機動的な財政政策」そして、「民間投資を喚起する成長戦略」である。この第3の矢の「成長戦略」とは、なんということはない「規制緩和」の別名である。企業に課している社会的規制を取っ払って、自由に任せれば経済は成長することになるだろうという、安直きわまる発想。

「機能性表示食品」という制度も、このような発想から生み出された。国民の健康を犠牲にして、企業に利潤追求の自由を与えたものなのだ。まことに疫病神にふさわしいやりくち。

 安倍晋三(当時首相)は、2013年6月の「成長戦略第3弾スピーチ」で、概要こんなことを述べている。

「私の経済政策の本丸は、三本目の矢である成長戦略です。我が国には、時代に合わない規制がまだまだ存在します。世界と比較すれば、歴然となります。企業活動の障害を、徹底的に取り除きます。

本日、規制改革会議から答申をいただきました。その主な成果を紹介しましょう。
健康食品の機能性表示を、解禁いたします。現在は、国から「トクホ」の認定を受けなければ、「強い骨をつくる」といった効果を商品に記載できません。お金も、時間も、かかります。とりわけ中小企業・小規模事業者には、チャンスが事実上閉ざされていると言ってもよいでしょう。アメリカでは、国の認定を受けていないことをしっかりと明記すれば、商品に機能性表示を行うことができます。国へは事後に届出をするだけでよいのです。」

機能性表示食品問題は、私(澤藤)にとって他人事ではない。ちょうど10年前、私は、このことをブログ「澤藤統一郎の憲法日記」に記事にして、DHCの吉田嘉明から当初2000万円の、さらには訴訟進行中に増額されて6000万円請求のスラップを仕掛けられた。その記念のブログの一部を再録しておきたい。

「DHC8億円事件」大旦那と幇間 その蜜月と破綻
https://article9.jp/wordpress/?p=2386 (2014年4月2日)

《『ヨッシー日記』と標題した渡辺喜美のブログがある。そこに、3月31日付で「DHC会長からの借入金について」とする、興味の尽きない記事が掲載されている。興味を惹く第1点は、事件についての法的な弁明の構成。これは渡辺の人間性や政治姿勢をよく表している。(略)

興味を惹くもう1点は、政治家と大口スポンサーとの関係の醜さの露呈である。金をもらうときのスポンサーへの矜持のなさは、さながら大旦那と幇間との関係である。渡辺は、「幇間にもプライドがある」と、大旦那然としたDHC吉田嘉明のやり口の強引さ、あくどさを語って尽きない。その結論は、「吉田会長は再三にわたり『言うことを聞かないのであれば、渡辺代表の追い落としをする』、と言っておられたので今回実行に移したものと思われます。」というもの。

それにしても、渡辺や江田にとって、大口スポンサーは吉田一人だったのだろうか。たまたま吉田とは蜜月の関係が破綻して、闇に隠れていた旦那が世に名乗りをあげた。しかし、闇に隠れたままのスポンサーが数多くいるのではないか。そのような輩が、政治を動かしているのではないだろうか。

たまたま、今日の朝日に、「サプリメント大国アメリカの現状」「3兆円市場 効能に審査なし」の調査記事が掲載されている。「DHC・渡辺」事件に符節を合わせたグッドタイミング。なるほど、DHC吉田が8億出しても惜しくないのは、サプリメント販売についての「規制緩和という政治」を買いとりたいからなのだと合点が行く。

同報道によれば、我が国で、健康食品がどのように体によいかを表す「機能性表示」が解禁されようとしている。「骨の健康を維持する」「体脂肪の減少を助ける」といった表示で、消費者庁でいま新制度を検討中だという。その先進国が20年前からダイエタリーサプリメント(栄養補助食品)の表示を自由化している米国だという。

サプリの業界としては、サプリの効能表示の自由化で売上げを伸ばしたい。もっともっと儲けたい。規制緩和の本場アメリカでは、企業の判断次第で効能を唱って宣伝ができるようになった。当局(FDA)の審査は不要、届出だけでよい。その結果が3兆円の市場の形成。吉田は、日本でもこれを実現したくてしょうがないのだ。それこそが、「官僚と闘う」の本音であり実態なのだ。渡辺のような、金に汚い政治家なら、使い勝手良く使いっ走りをしてくれそう。そこで、闇に隠れた背後で、みんなの党を引き回していたというわけだ。

大衆消費社会においては、民衆の欲望すらが資本の誘導によって喚起され形成される。スポンサーの側は、広告で消費者を踊らせ、無用な、あるいは安全性の点検不十分なサプリメントを買わせて儲けたい。薄汚い政治家が、スポンサーから金をもらってその見返りに、スポンサーの儲けの舞台を整える。それが規制緩和の正体ではないか。「抵抗勢力」を排して、財界と政治家が、旦那と幇間の二人三脚で持ちつ持たれつの醜い連携。

これが、おそらくは氷山の一角なのだ。》

機能性表示食品の制度は2015年に発足している。私のブログと吉田嘉明のスラップ提訴はその前年のこと。疫病神に操られ煽られた吉田嘉明や渡辺喜美の醜態と言うべきであろう。多くの人を操り煽った政権トップの罪は深い。既に死者5名と報じられている「紅麹」サプリ問題は、疫病神・安倍晋三の巨大な負のレガシーの一端に過ぎない。

新入幕力士の優勝は1914年以来110年ぶりのことだそうな。「大正3年以来」では、何年前のことだかさっぱり分からない。

(2024年3月25日)
 大相撲春場所は昨日が千秋楽。荒れる春場所の幕内優勝は、青森五所川原出身の尊富士となった。新入幕力士の優勝は、両國勇治郎(その後に梶之助)以来110年ぶりのことだという。当時は江戸時代以来の年二場所制、一場所10日間だった。「一年を二十日で暮らすよい男」という川柳が生きていた時代。そして、東西対抗制でもあった。そんな「昔」以来のこと。良くは分からないが、快挙というべきなのだろう。

 110年前は1914年。その年の1月1日が、私の亡父の誕生日である。存命していれば、父は110歳なのだ。相撲とも、尊富士とも、何の関係もない父ではあるが。

 さて、1914年とはどんな年であったろうか。第一次大戦勃発の年としては知られているが、そのほかにはどんな出来事があっただろうかと、ウィキペディアを検索してみて驚いた。グレゴリオ暦の1914年が、その他の紀年法でどう表記されるかが、下記のとおり記されている。ウィキ恐るべしである。

干支 : 甲寅
日本(月日は一致)大正3年 皇紀2574年
中国(月日は一致)中華民国3年
朝鮮(月日は一致)檀紀4247年 主体3年
ベトナム 阮朝 : 維新7年12月6日 – 維新8年11月15日
モンゴル国 共戴3年12月6日 – 共戴4年11月15日
仏滅紀元:2456年10月5日 – 2457年10月15日
ヒジュラ暦(イスラム暦) : 1332年2月3日 – 1333年2月13日
ユダヤ暦 : 5674年4月3日 – 5675年4月14日
修正ユリウス日(MJD) : 20133 – 20497
リリウス日(LD) : 120974 – 121338

※檀紀は、大韓民国で1948年に法的根拠を与えられたが、1962年からは公式な場では使用されていない。
※主体暦は、朝鮮民主主義人民共和国で1997年に制定された。

このうち、ベトナムの「維新」と、モンゴルの「共戴」は既にないようだ。もちろん、日本の「大正」もなくなっているが、後継の元号として、昭和・平成・令和がしぶとく生き残っている。「君主」死亡の度にリセットされて変わる欠陥紀年法が、110年後の今に至るまで生き残っている不可思議を嘆かざるを得ない。「大正3年」時点で、10年後も大正が続いている保証はない。いや、いつ元号が変わることになるのか、確実に明日も同じ元号が存続しているのかは、実は誰にも分からない。不便この上ない元号の使用はもう、いい加減に止めることにしようではないか。

水原一平にこそ弁護士が必要なのだ。

(2024年3月24日)
資本の論理は、この世のあらゆるものを呑み込む魔力をもっている。この魔物にスポーツが呑み込まれて久しい。そして、本来は人権に仕えるべき弁護士の業務も、同様の危険に曝されている。資本主義先進国アメリカがその典型である。

大谷翔平という野球に達者で著名となった若者がいる。かつては、水沢・花巻の出身者として個人的な親近感をもって眺めていたが、資本のゲームの中での成功者となって以来は興醒めである。彼の収入と、彼を支えるファンの収入との天文学的格差は異常というしかない。彼を褒めそやす社会心理のアブノーマルの分析が必要であろう。

その大谷に、巨額ギャンブル関与の疑惑が浮上している。今、確実な情報として伝えられているのは、大谷の個人名義銀行口座からブックメーカー(賭博の胴元)への複数回の巨額の送金があって、昨秋から税務当局が捜査を行っているということ。日本と同様、カリフォルニア州ではスホーツ賭博が違法とされている。当然のことだが、大谷の関与は「疑惑」に過ぎない。その黒白は、今後の捜査の進展を待つしかない。

私が気にかかるのは、大谷にも違法博打の胴元であるボイヤーという人物にも、代理人として弁護士が付いているが、水原には適切な法的助言を求める弁護士がいないことである。

この問題に関する水原の当初の発言は、「大谷に巨額の賭博での借金があることを明かして返済の肩代わりを依頼し、承諾した大谷は自分の目の前でパソコンを操作してブックメーカーに送金した」という内容と伝えられている。特に不自然さのない内容と言ってよい。

これが一日にして覆った。前言を翻して、「大谷は何も知らない。何もしていない」という趣旨の発言となる。この発言の内容は明らかに不自然。いったい大谷本人以外の誰が、何度も、大谷の口座からの送金をしたのか、問い質さなければならないが、今のところ、その内容の報道は何もない。

むしろ、大谷の代理人になっている弁護士の「大谷は知らぬうちに大金(450万ドル・約6億8000万円)の窃盗に遭った」という声明に符節を合わせて、水原が発言を変えたのではないのかという疑問が湧く。

なお、違法賭博の胴元であるマシュー・ボウヤーも、メディアの取材にノーコメントを繰り返した後に、その代理人弁護士が「ボウヤーは大谷と会ったことはなく、水原とだけ取引していた」とメディアに発言している。また、「賭博をしていたのは大谷ではなく、水原だったことを強調しながらも、ボウヤーが巨額な借金を許した背景に『彼は大谷のベストフレンドだったから』と説明した」(ワシントン・ポスト)とも報じられている。

カネを持つ者だけが、弁護士を付けて法の知識を活用しているのだ。水原は、大谷・ドジャースやボウヤーとの関係で、明らかに劣位にある。このままだと、場合によっては、真実が押し潰され、過剰な責任の引き受けを余儀なくされる虞もないとは言えない。

最も弱い立場にある者にこそ、法の保護が必要であり、弁護士が必要なのだ。資本の論理に絡めとられた弁護士ではなく、人権の擁護を使命とする本来の弁護士が。

「統一教会スラップ・有田訴訟」で敗訴の統一教会 ―― 反省も謝罪もなき判決批判

(2024年3月17日)
 3月12日、統一教会は、有田芳生と日本テレビの両者を被告として仕掛けた東京地裁のスラップ訴訟において、全面敗訴の判決を言い渡された。単なる敗訴というだけではなく、これ以上はない徹底した負けっぷりと言ってよい。

 この訴訟は、当初から本来提訴すべきではない違法なスラップであることが明らかではあったが、そのことが統一教会にも分かるような東京地裁判決となっている。原告(統一教会)には、本来提訴すべきではない提訴をしてしまったことについての反省や、被告両名に対する誠実な謝罪があってしかるべきである。なお、控訴期限は3月26日(火)だが、控訴などは論外である。

 にもかかわらず、一昨日(3月15日)統一教会は、この判決を不当と非難するプレスリリースを公表し、その旨を教団のホームページにも掲載した。この一文を見る限り、この教団に敗訴判決を真摯に受けとめて反省する姿勢は見受けられない。有田や日テレに多大な迷惑をかけたこと、さらには報道の自由や国民の知る権利を侵害したことなどについての自覚も皆無のようである。むしろ、本件提訴の違法性を重々自覚しながら、敗訴確定まで時間を稼いで、被告両名や言論界全体を威嚇し続けようとしているかの如くである。

 このプレスリリースにおいて、統一教会は「当法人は控訴して判決の不当性を争う予定です」と述べている。しかし、この訴訟の提起自体が既に違法である。一審判決でこのことが明白となっている。にもかかわらず、敢えて控訴することは、違法に違法を重ねることであり、スラップの故意を確認させることにもなる。控訴は両被告にとって迷惑極まりないが、統一教会にとっても決して賢明な選択ではない。当然のことだが、後々の制裁がさらに厳しくなることを避けられない。

 あらためて確認しておきたい。この訴訟で角逐しているのは、被告両名の「言論の自由」と、原告統一教会の「法人の名誉」である。この具体的な局面で、どちらが優越するのかという価値判断が求められている。

 言論の自由を、誰の権利も侵害せず誰にも迷惑をかけない言論について論じることは無意味である。必ず、その言論によって権利を侵害され、その言論を不都合とする誰かが存在する場合にのみ、その言論の自由や権利性を問題とする意味が生じる。端的にいえば、有田と日テレの当該言論は、「言論の自由」の名の下に「統一教会の名誉」を侵害しても良いのか、という形で問われている。

 名誉毀損訴訟においては、まず原告が被告の名誉毀損文言を特定する。普通、特定された名誉毀損文言は、原告の社会的な評価を貶めるものとして違法が推定される。しかし、社会に有用な言論を違法としてはならない。それでは言論の自由を保障した憲法の規定が無意味になってしまう。そこで、法と訴訟実務は、被告・言論者側に、当該言論の公共性・公益性・真実性(あるいは真実相当性)の立証を求め、その立証が成功した場合には、原告の名誉を侵害する当該の言論を、「言論の自由の保障」の名において保護することとしている。

 だから、名誉毀損訴訟では、主張・立証は大きく下記の二段階に整理される。
(1) 原告が特定した被告による名誉毀損文言が、原告の社会的な評価を貶めるものであるか。
(2) 当該文言が原告の社会的な評価を貶めるものであることを前提に、当該言論の公共性・公益性・真実性(あるいは当該言論における論評の根拠たる事実の真実性)が認められるか。

 通例、(1)は当然に肯定されて問題になることは稀である。(2)だけが論争となるのが普通の名誉毀損訴訟で、公共性・公益性のハードルは低く、主として真実性(あるいは真実相当性)が争われることになる。

 本件有田訴訟でも、原告(統一教会)は有田発言の一部を名誉毀損文言として特定した。しかし、有田弁護団はこれを、統一教会の社会的評価を貶める文言にはあたらないと、本気で否定した。俗な言葉で表現すれば、統一教会のこの点の言い分を「アラ探し」による「言いがかり」に過ぎない、と反論したのだ。

 それでも、仮に裁判所が「有田発言を名誉毀損文言と認めた場合」に備えて、真実性の立証を積み上げた。有田発言は、(統一教会が)「霊感商法をやってきた」「反社会的集団」であり、「(このことは)警察庁ももう認めている」というものだったから、この各点についての真実性の立証は、統一教会に対する解散命令請求事件と主要な部分で主張挙証が重なるものとなった。したがって、有田事件判決は、「解散命令先取り判決」となることを期待していたが、幸か不幸か、そうはならなかった。

 異例のことだが、前述(1)の段階で勝負がついて、次の(2)の判断に進む必要はないという裁判所の判断となった。これを「単なる(統一教会の)敗訴というだけではなく、これ以上はない徹底した負けっぷり」と言ったのだ。裁判所の目からも、そもそも提訴自体が非常識で無理な代物に見えたということなのだ。

 統一教会のなすべきことは、控訴ではなく、真摯な反省と被告両名に対する誠意ある謝罪である。

 なお、統一教会のプレスリリース全文は以下のとおりである。

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日本テレビ・有田芳生氏「反社会的集団」発言に関する 名誉棄損裁判の判決について 2024.03.15世界平和統一家庭連合 広報局
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?2022年8月19日,日本テレビが制作放送する「スッキリ」にジャーナリストの有田芳生氏がテレビ出演し,当法人に関して「霊感商法をやってきた反社会的集団だって言うのは警察庁ももう認めている」などと発言しました。このことを巡って、名誉毀損を理由に当法人が同社及び有田氏を提訴した裁判の判決が2024年3月12日に下され、当法人の請求が全面棄却されました。当法人の見解をお伝えします。
?
?まず、本件発言に関して、当法人が「反社会的集団」であると警察庁が認めたという事実はなく、当該判決でも認めていません。
?
?また、判決は、以下の5つの理由から、有田氏の発言は当法人の社会的評価を低下させるものではない(名誉毀損にもあたらない)と判断しました。
?国会議員が家庭連合と関係を持たないと断言すべきだという発言の一部分であった
?わずか8秒間の発言であった
?有田氏は本件発言を強調していない
?本件発言に関する字幕は表示されていない
?その後、本件発言がこの放送で取り上げられていない 
?
?しかし実際には、字幕なしの8秒間程度の発言であっても、名誉毀損は十分に可能であり、様々な口実を列挙して名誉毀損に当たらないと判断されたことは不当であると言わざるを得ません。したがって、当法人は控訴して判決の不当性を争う予定です。

 なお、有田氏の弁護団は判決後に発表した声明で、「本判決が、このような判断に至ったのは、有田発言に真実相当性があると判断したから故と、弁護団は考えている」と主張していますが、思い込みに過ぎません。裁判所は有田氏の発言の真実性あるいは真実相当性について何らの判断も行っていません。

NHK経営委員長・森下俊三とは、安倍政権から送り込まれたNHK支配の尖兵であった。ところが、あまりの無能さでオウンゴールをやらかした。おかげで、NHK経営委員会の醜態と悪質さのみならず、政権の邪悪さをも白日の下に晒すこととなった。その意味では、森下俊三の貢献度は、決して小さくはない。

(2024年3月15日)
 NHKは、「国営放送」ではなく「公共放送」の事業体であるとされる。「国営放送」と揶揄的に呼称されることを極端に嫌って、NHK自身がこう言っている。

「(NHKは)いわゆる特殊法人とされていますが、NHKの行っている「公共放送」という仕事は、政府の仕事を代行しているわけではありません。「国営放送」でも、「半官半民」でもありません。

 放送法は、NHKがその使命を他者、特に政府からの干渉を受けることなく自主的に達成できるよう、基本事項を定めています。その大きな特徴は、NHKの仕事と仕組みについて、NHKの自主性がきわめて入念に保障されていることです。」

 キーワードは、「自主性」である。NHKの報道機関としての使命を全うするためには、国家・政権という権力機構による統制や掣肘を排除した「自主性」がなければならない。だが、本当に「NHKの自主性はきわめて入念に保障されている」だろうか。はたして、NHKの自主性を尊重する文化が育っているだろうか。

 政権による特殊法人に対する支配と統制は、予算と人事を通じて貫徹される。NHKの財源は視聴者からの受信料であって、政府からの歳入はない。にもかかわらず、その予算と事業計画は、年度ごとに、国会の承認を受けなければならない(放送法 70条)。そして、NHKの会計については、会計検査院が検査する(同79条)。

 この法の規定に則って、3月9日、NHKの新年度予算と事業計画が、松本総務大臣の意見とともに国会に提出され、衆議院総務委員会がNHKの予算審議が始まっている。この予算審議では、2月20日の「NHK情報開示請求訴訟判決」の内容が、話題とならざるをえない。この判決は、政権から送り込まれた森下俊三という経営委員長の違法を認定している。経営委員会と執行部、それぞれが判決の内容を自覚し、政権からの「自主性」の再確立について決意を述べなければならない。それが、唯一の国民からの信頼を再構築する唯一の方法である。

 昨日(3月14日)の衆院総務委員会では、奥野総一郎議員(立憲)が判決について触れた質問をしている。なお、同議員は元郵政官僚である。

奥野総一郎
 裁判の判決の受け止めは?

稲葉延雄会長
 判決の中で、現時点においても録音データを保有していると認められるという判断がなされて、こちらの主張が認められなかった、というふうに受け止めてございます。当時の録音データはすでに削除されたと私ども聞いておりますが、いずれにしても、本件の直接的な対応というのは、経営委員会の方の取り扱いということになるものであるために、執行部側としてはこれ以上申し上げることはできないと言うふうなかとで、この点ご了解いただきたいと思います。

奥野総一郎
 会長にも連帯して開示の責任があった。一義的には経営委員会の議事録の作成・公開を義務付けられているのは経営委員長なんですが、審議委員会から受けた開示の義務は、連帯して会長も負っていると言うことなので、そこは全く知らないと言うことになるので、もう少し前向きな答弁をいただけると思ったんですが、経営委員会の対応、審議委員会の開示の決定を受けての対応については、会長からもっと踏み込んで、遺憾の意が表明されても良かったのではないかと思いますが?

稲葉延雄会長
 先ほど来申し上げました通り、この件につきましては経営委員会がどう考えるか、と言うことでございます。どう対応すべきであるか、と言うことでございまして、執行部としては、その結論を得た上で、あるいはその結論が了とされた中で、組織としてその結果について対応する、と言うことになると思いますので、私どもの方からはちょっとコメントができないと言うことでございます。

奥野総一郎
 経営委員長としてはこの判決をどう受け止めるか?

古賀信行経営委員長
 古賀でございます。今ご質問がありました、その件の経緯そのものについては、正直わきまえておりません。したがって、ここで、それに関してどうすべきかだと言う意見は持ち合わせておりません。係争中でもありますし、その推移を見ながらしか判断できないと思っております。ただ、やっぱり放送法が規定する開示義務と言うのはあるわけでございますので、開示義務につきましては、今後につきましては、私、就任いたしましたので、どうあるべきか、ということにつきましては、もう一回しっかり考え直して対応して参りたいと考えております。ぜひご理解ください。

 多少の感想を述べておきたい。奥野議員の質問は、とてもありがたい。が、必ずしも的を射たものとなっていない。「的」は、録音データの存否にあるのではなく、正式の議事録を作成しなかった森下俊三の法的責任にあり、これを3期にわたって経営委員として選任し経営委員長ともした、安倍・菅政権の任命責任にある。

 そしてもう一つの「的」が、森下俊三の違法な議事録隠しの動機の明確化である。誰が考えても、日本郵政グループの上級副社長・鈴木康雄と一体となって、かんぽ生命保険の不正販売問題を抉り出した、「クローズアップ現代+」の続編番組制作の妨害(放送法32条隠蔽)のための『会長厳重注意』を隠蔽するためであったことは明々白々ではないか。

 さらにもう一つの「的」を挙げるとすれば、提訴直後に、「会長厳重注意」を含む議事の「粗起こし」文書として原告らには開示されながら、NHKのホームページには未掲載のまま公表されていない、この貴重な文書を、そのまま正式な議事録に作成して、NHKのホームページにおける経営委員会議事録欄に、誰でも閲覧できるように掲載すべきことを追求していただきたい。

 奥野議員のいう「会長にも連帯して開示の責任があった」との言葉遣いには、NHKの制度に対する理解の不足がうかがえる。

 まず、「情報公開」の手法には、特定の視聴者からの求めに応じた「文書の開示」と、視聴者すべてに対する「情報の公表」との二通りがある。
 NHKに対して視聴者から「文書の開示の求め」がなされた場合の義務主体はNHK(代表者は会長)である。経営委員会議事録について、「NHK個人情報保護・情報公開審議委員会」からの開示を相当とする答申を受けた場合も、開示を求めた視聴者に対する開示義務者はNHK(会長が代表者)であって、経営委員長ではない。経営委員会も経営委員長も、対内的には絶大な権限をもっているが、対外的にはNHKという法人の機関に過ぎず、独立した権利義務の主体でない。

 なお、放送法41条は、経営委員会委員長に会議の議事録作成と公表の義務を負わせている。議事録公表には一定の例外的免除規定があるが、議事録の作成には一切の免除規定は認められていない。今回の訴訟においては、「2018年10月23日の経営委員会議事録を開示せよ」という原告の請求に対して、判決は「当該議事録は存在しない」として原告らの開示請求を棄却した。「録音データから『粗起こし』した議事録のようなもの」は提訴直後に裁判所に提出されてはいるが、経営委員会が「これは、正式の議事録ではない」と明示している代物。

 すると、放送法41条が経営委員会委員長に作成を義務付けている経営委員会議事録は存在しないことになる。法定作成義務の対象文書の不存在が司法判断となったということなのだ。判決主文の「録音データの開示命令」よりも、経営委員会委員長森下俊三の遵法精神の欠如を明示した「議事録開示請求棄却」の方が遙かに意味は重大である。

 NHK予算審議は、来週も続く。野党議員の皆様には、政権と直接つながる新経営委員会委員長を厳しく追及していただきたい。「新任で事情がつかめていない」「係争中だから答弁できない」は、経営委員長としての不適格を自白するに等しい。

 NHKの自主性の確保は、日本の民主主義にとっての重大事である。安倍政権は経営委員人事を通じてNHKの支配をたくらんだ。13年11月。第2次安倍政権は、NHK経営委員(定員12人)に安倍首相と近い、百田尚樹や長谷川三千子やアベトモの面々を送り込んだ。この「アベ経営委員会」は、新会長に籾井勝人を選んでいる。「政府が『右』と言っているのに、『左』と言うわけにはいかない」と発言した、例のあの会長である。

 森下俊三は、安倍晋三政権から送り込まれた、NHK支配の尖兵であった。が、あまりの無能を曝け出して、オウンゴールを入れた。それが、今回の判決の本質である。NHK予算審議の中で、この安倍・菅政権から送り込まれた経営委員会委員長の悪辣さを徹底して明らかにしていただきたい。報道の自由のために。日本の民主主義のために。 

《統一教会スラップ・有田訴訟》の判決が3月12日(火)に迫っています。注目されるこの判決法廷の傍聴と、報告集会にご参加下さい。
 本訴訟は、単なる名誉毀損事件ではなく、また典型的なスラップ訴訟の一事例というだけでのものでもありません。被告とされた有田芳生さん側から原告統一教会の「反社会性」の立証を積み上げた点で注目に値する事件になっています。昨年10月以来東京地裁で審理中の《統一教会解散命令請求事件》と立証課題を共通にするものとして、「解散命令先取り判決」、あるいは「統一教会解散パイロット判決」となるはずなのです。

(2024年3月2日)
判決当日のスケジュールは下記のとおりです。
・判決言い渡し 15:30 東京地裁103号法廷。
・判決報告集会 16:00?18:00 東京弁護士会502ABC(弁護士会館5階)

 (出席予定 青木理・鈴木エイト・二木啓孝・郷路征記・澤藤統一郎)
・記者会見   16:30 ? 17:00 東京地裁司法記者クラブ
 (出席予定 有田芳生・光前幸一・阿部克臣・澤藤大河)

 統一教会は有田芳生さんの口を封じようと、このスラップ訴訟を提起しました。しかし、訴訟の進行は原告(統一教会)側の目論見とは正反対のものになって、判決は《統一教会の反社会性》を明示するものとなるはずです。

 有田芳生弁護団は、この訴訟において「統一教会が反社会的集団である」ことを立証しました。その立証のために統一教会の違法を認めた民事・刑事の裁判例を積み上げました。この立証活動は、統一教会に対する解散命令請求事件審理の焦点である「悪質性・組織性・継続性の立証」にそのまま重なります。

 こうして、はからずも本件有田訴訟は、文科大臣による統一教会に対する「解散命令請求事件の前哨戦」となり、3月12日判決は「解散命令先取り判決」「統一教会解散パイロット判決」となるはずです。ご注目ください。

 なお、報告集会では、この判決を受けての、青木理さん・鈴木エイトさんらの報告も予定されています。こちらにもご注目いただき、ご参加をお願いします。

        《統一教会スラップ・有田訴訟》経過説明

 2022年8月19日、日本テレビの情報番組「スッキリ」に、解説者として出演した有田芳生さんは、およそ40分間に及ぶ番組のなかの一言で、統一教会から訴えられました。
有田芳生さんは、統一教会との深い関係を断ち切れない萩生田光一議員を批判する文脈で「(統一教会は)霊感商法をやってきた反社会的集団だってのは警察庁も、もう認めている」(「だから、萩生田議員は統一教会ときっぱり手を切るべきだ」)と発言したところ、統一教会は、これを名誉毀損だとして、有田さんと日本テレビを訴えました。その損害賠償請求額が2200万円。

 こうして、「統一教会は反社会的集団である」という事実の『真実性』、あるいは「統一教会は反社会的集団である」という意見の前提事実の『真実性』が、被告側の主要な立証対象となり、有田訴訟が、統一教会の解散命令請求裁判と同様に、統一教会の「悪質性・組織性・継続性」についての司法判断を求める訴訟となったものです。

 東京地裁民事第7部合議B係(荒谷謙介裁判長)
   R4ヮ第27243号名誉毀損事件
   原告 世界平和統一家庭連合(旧統一教会)
   被告 日本テレビ放送網株式会社・有田芳生

(以下、※裁判所、◆原告、◎被告有田、☆被告日テレ、★訴訟外事件)
★22・07・08 安倍元首相銃撃事件
★22・08・19 日テレ「スッキリ」番組放映(萩生田光一議員批判がテーマ)
◆22・10・27 提訴 訴状と甲1?6
 請求の趣旨
  (1) 被告らは連帯して2200万円(名誉毀損慰謝料と弁護士費用)を支払え
  (2) 日テレは番組で、有田はツィッターで、謝罪せよ
 請求原因 名誉毀損文言を、有田の番組内発言における「(統一教会は)霊感商法をやってきた反社会的集団だって言うのは、警察庁ももう認めているわけですから」と特定している。
※22・11・10 被告有田宛訴状送達(第1回期日未指定のまま)
※23・01・23 On-line 進行協議
◎23・02・27 被告有田・答弁書提出 証拠説明書(1) 丙1?7提出
  (本件発言は、一般視聴者の認識において全て意見であり、当該意見が原告の社会的評価を低下させるものではない。仮に社会的評価を低下させるものであったにせよ、その前提事実は真実である)
☆23・02・27 被告日テレ・答弁書提出 乙1(番組の反訳書)提出  
◆23・03・07 原告準備書面(1) (被告日テレの求釈明に対する回答)提出
◆23・03・14 原告準備書面(2) (被告有田に対する反論) 甲7?12提出
◎23・05・09 被告有田準備書面1 提出
☆23・05・09 被告日テレ・第1準備書面
◎23・05・12 被告有田準備書面2 証拠説明書(2) 丙8?13 提出
※23・05・16 第1回口頭弁論期日(103号法廷) 閉廷後報告集会
   島薗進氏の記念講演、望月衣塑子・佐高信・鈴木エイト各氏らの発言
◆23・06・26 原告準備書面(3) (有田準備書面1に対する反論) 甲13?25
◆23・06・26 原告準備書面(4) (有田準備書面2に対する反論)
◆23・06・26 原告準備書面(5) (日テレに対する反論)
◎23・07・17 被告有田準備書面3 提出
※23・07・18 On-line 進行協議
◆23・07・20 原告甲26(番組全体の録画データ)提出
◎23・08・31 被告有田 証拠説明書(3) 丙14?19
証拠説明書(4) 丙20?23
証拠説明書(5) 丙24?27
証拠説明書(6) 丙28?43
☆23・09・15 被告日テレ・第2準備書面 証拠説明書(2) 乙2?7
◎23・09・22 被告有田準備書面4
  (甲26ビデオを通覧すれば、「警察庁ももう認めているわけですから」は、一般視聴者の印象に残る表現ではない。早期の結審を求める)
◆23・09・22 原告証拠説明書 甲27?29
※23・09・26 第2回口頭弁論期日(103号法廷)
   裁判所 「双方なお主張あれば、10月30日までに」
◎23・10・27 被告有田「早期結審を求める意見」書を提出
       (主張は尽くされた。次回結審を求める)
◆23・10・30 原告準備書面(6)提出 内容は横田陳述書(甲30)を援用するもの
   証拠申出・証人横田一芳(国際勝共連合) 甲30・横田陳述書提出
◎23・10・31 被告有田、証人(横田)申請を却下し重ねて次回結審を求める意見。
※23・11・07 On-line 進行協議 原告の証人申請却下
        次回結審とし、法廷では15分の被告有田側の意見陳述を認める。
※23・11・28 第3回口頭弁論期日(103号法廷) 結審  閉廷後報告集会 
※24・3・12 15時30分 判決言い渡し(103号法廷)
       16時 報告集会   16時30分 記者会見(予定)

             《有田芳生さんのメッセージ》

(訴訟開始当時)
▼教団が韓国で生まれて、ほぼ70年。統一教会=家庭連合は組織内外に多くの被害者を生んできました。まさに反社会的集団です。
 私は元信者はもちろん現役信者とも交流してきて思ったものです。日本史に埋め込まれた朝鮮半島への贖罪意識を巧みに利用して真面目な信者を違法行為に駆り立ててきた統一教会の犯罪的行為の数々は絶対に許すわけにはいきません。

▼安倍晋三元総理銃撃事件をきっかけに、自民党との癒着など「戦後史の闇」の蓋が開きはじめました。私は信頼する弁護団と、社会課題についてはたとえ立場が異なれども教団に立ち向かう一点で集ってくれた「有田さんと闘う会」の高い志を抱きしめて、みなさんとともに、統一教会と徹底的に本気で闘っていきます。

(結審時)
▼10月13日、政府は旧統一教会に対する解散命令請求にようやく踏み切りました。文科省の説明によると、遅くとも1980年代から、多数の者を不安と困惑に陥れ、自由な意思決定に制限を加え、正常な判断が妨げられる状態で、問題ある物品販売や献金獲得を長期間にわたり、継続的に行ってきたことを理由としています。遅きに失したとはいえ、多くの被害者の声と社会の良識が政府を動かした成果として、国民の圧倒的多数が歓迎するところとなっています。

▼政府は統一教会の「悪質性」「組織性」「継続性」の3要件を意識して、5000点に及ぶ厖大な証拠によって立証しえたと胸を張っています。「悪質性・組織性・継続性」という三拍子をそろえた行為主体とは、日常的な用語における「反社会的集団」以外の何ものでもありません。このたびの解散命令請求は、統一教会のこれまでの長年にわたる行為を集大成して、政府が「反社会的集団」と認めたことにほかなりません。

▼統一教会が「反社会的集団」であることはいまに始まったことではないのです。教団を「反社会的集団」と批判することが違法な言論であるはずはありません。また、ジャーナリズムは、多くの人を不幸にする悪質な集団やその行為への批判を躊躇してはなりません。

▼しかし、批判の言論は往々にして過剰な反応に曝されます。2022年年7月8日の安倍晋三元総理銃撃事件をきっかけに、教団と政治家との癒着、高額献金、二世の苦悩などが大きな社会問題として噴出しました。私も、永く統一教会の取材を続けてきたジャーナリストとして、テレビ、ラジオ、新聞などの取材に応えて、報告も解説もしてきました。ところが、昨年10月27日に教団が本件訴訟を提起したとたん、私に対するテレビ出演の依頼は完全になくなっていまに至っています。教団を追及する私に対する「口封じ」は、訴えることだけで、目的を達したのです。これこそ、典型的なスラップ訴訟の効果と言わざるをえません。

▼教団が私を訴えたのは、昨年8月19日の朝に放送された日本テレビ系の「スッキリ」という番組での発言を捉えたものです。この番組のテーマは、教団との癒着を断ちきれない萩生田光一自民党政調会長への批判でした。スタジオ出演した私は、教団との癒着を断つべき理由として、「霊感商法をやってきた反社会的集団だっていうのは警察庁ももう認めているわけですから」と発言しました。かなり長い多くの発言のなかの、たった40文字、たった7秒。しかも番組本来の主題である萩生田議員批判とは離れた発言でした。教団はここを狙い撃ちしてきました。

▼この私の発言が、視聴者の認識にどれほど届き、統一教会のいかなる名誉を毀損したというのでしょうか。教団の教義に基づいて信者たちが行ってきた霊感商法や高額献金勧誘の悪質性・組織性・継続性は、教団を「反社会的集団」というに相応しいものではありませんか。そのことは、本件に提出された厖大なこれまでの判決が明らかにしています。

▼本件訴訟において積み上げられた教団の「反社会的集団性の立証」は、解散命令請求での「悪質性・組織性・継続性の立証」に重なります。はからずも、本件の判決は、解散命令裁判を先取りするものとして、注目されることになっています。裁判官の皆様が、本件に提出された多くの証拠を適正に判断されるものと確信して、私の意見陳述を終わります。

              《何が争われているか》

?本訴訟の主要なテーマは、「統一教会の反社会的集団としての性格」をめぐる攻防です。原告(統一教会)は、「統一教会を、反社会的集団と言ってはならない。その表現は名誉毀損に当たる」と主張。これに対して、「統一教会が霊感商法や高額献金勧誘をしてきた反社会的集団であることは厳然たる事実。警察庁も一貫してそのような立場を貫いてきた。これを指摘できないようでは、言論の自由の保障が泣く」というのが有田側の反論。

?名誉毀損とされた有田発言は、テレビ番組での「(統一教会が)霊感商法をやってきた反社会的集団だって言うのは、警察庁ももう認めているわけですから」というもの。その「霊感商法をやってきた」「反社会的集団である」「警察庁も認めている」のすべてが真実性を欠く事実の摘示に当たる、と原告(統一教会)は主張。

?名誉毀損訴訟実務では、言論全般を《事実の摘示》と《意見ないし論評》との2種の構成部分からなるものと考えます。このうち、《事実の摘示》部分に、(人の社会的評価を低下させる)名誉毀損表現があれば原則違法とされ、発言者は、事実摘示の言論が、
 (1) 公共の利害に係り、(公共性)
 (2) もっぱら公益目的によるもので、(公益性)
 (3) しかも真実であること、(真実性)
を立証すれば、違法ではないとされます。
 その要件の中で、「公共性」「公益性」のハードルは低く、重要なのは『真実性』(あるいは、真実と信じたことについての『相当性』)です。

?《意見ないし論評》によっても名誉毀損が成立しうるというのが判例の立場です。しかし、通例、公共性・公益性ある限り、《意見ないし論評》こそは、最大限に表現の自由が保障されなければならない局面として、人格的攻撃などの逸脱ない限り、原則違法性はないものとされます。
 もっとも、《意見ないし論評》は、何らかの《事実》を前提とすることが通常で、その意見・論評の根拠とされた前提事実については、やはり真実性(あるいは相当性)が要求されることになります。
こうして、名誉毀損訴訟では、摘示事実の『真実性』ないしは、意見の前提としての事実の『真実性』が証明の対象となります。

            《本件での当事者の主張と立証活動》

?原告・統一教会の主張の骨格と立証
 有田発言の名誉毀損文言を、「(原告が)霊感商法をやってきた反社会的集団だっていうのは警察庁ももう認めているわけですから」と特定して、これは事実摘示である。少なくも、「警察庁ももう認めている」という表現部分は、事実摘示による名誉毀損文言であると主張。
 そのうえで、「原告(統一教会)は組織として霊感商法をしたことがない」「原告(統一教会)自身が反社会的行為をしたと判断した判決はない」「警察庁が原告(統一教会)を反社会的集団と認定した事実はない」から、有田発言の事実摘示は真実性を欠くと言います。

?被告有田の主張の骨格と立証
 テレビ放映における発言が名誉毀損となりうるか否かは、《一般の視聴者の普通の注意と視聴の仕方を基準》として判断するというのが、判例の立場。ビデオを再現して視聴してみると、この番組は萩生田光一批判をテーマにするもので、有田発言も萩生田批判の発言のごく一部。一般視聴者にとって統一教会批判の文言として印象に残るものではなく、そもそも名誉毀損にあたらない。

 仮に、有田発言が統一教会の社会的評価を低下させるものであったとしても、発言の全てが意見ないし論評である。また、その前提とする事実は公知の事実であるだけでなく、「統一教会は反社会的集団である」という意見を支える判例は、これまで数多く言い渡され、確定している。

 「警察庁も認めている」も国会答弁などから真実である。被告有田の提出した書証(上記の丙各号証)の多くは、統一教会の霊感商法や高額献金勧誘を違法としたこれまでの判決例です。

       《本件は統一教会によるスラップである》

?統一教会は、自身への批判の言論を嫌って、名誉毀損訴訟を濫発しています。
 下記のすべてが、統一教会批判言論の萎縮を狙ったスラップ訴訟です。
  被告 紀藤正樹・讀賣テレビ (請求額2200万円)9月29日提訴
  被告 本村健太郎・讀賣テレビ(請求額2200万円)9月29日提訴
  被告 八代英輝・TBSテレビ(請求額2200万円)9月29日提訴
  被告 紀藤正樹・TBSラジオ(請求額1100万円)10月27日提訴
  被告 有田芳生・日本テレビ (請求額2200万円)10月27日提訴
 統一教会スラップ5事件のうち、八代英輝事件は、東京地裁と高裁の判決があり、本村事件も地裁判決を経ています。当然のことながら、すべて統一教会の敗訴、請求棄却判決でした。有田事件も、これに続くはずです。

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