澤藤統一郎の憲法日記

改憲阻止の立場で10年間毎日書き続け、その後は時折に掲載しています。

本郷三丁目交差点「かねやす」前で ー 「本郷湯島九条の会」からの訴え

(2023年5月9日)
 本日は5月9日、第2次大戦の主戦場だったヨーロッパの戦争が終わった日です。ドイツの連合国への降伏文書調印時刻は、ベルリン時間で1945年5月9日午前0時15分であったとされています。この歴史的な戦勝記念日を5月8日とする国も、5月9日とする国もありますが、いずれにせよ本日以後ヨーロッパの戦禍は止みました。

 5月9日以後も、連合国と絶望的な戦いを続けたのは日本でした。4月末までに、ムソリーニはパルチザンに処刑され、ヒトラーは自殺しました。残るヒロヒトだけが生き延びていて、「もう一度戦果を上げてからの有利な和睦」に固執して、日本各地の空襲や沖縄地上戦の悲劇を招いただけでなく、ヒロシマ・ナガサキの惨劇にまで至って、無条件降伏を余儀なくされました。

 こうして、天皇の国・大日本帝国は、3か月後の8月に亡びました。自ら始めた戦争によって、近隣諸国にこの上ない惨禍をもたらしてのことです。新しい日本の再生は、再びの戦争を繰り返さない、平和国家の建設以外にはあり得ませんでした。

 もっとも、戦争への反省の仕方は、二通りありました。一つは、軍事力が足りなかったという反省の仕方です。もっと強い軍隊をもち、もっと強力な武器を備え、もっと国防思想を高め、国力をもっともっと軍事に傾注していれば、世界を敵にまわしても戦いに負けることなかった。今回は負けたが、今に、どの国にも負けない軍事大国に日本を育てなければならない、という反省です。

 これは、戦争の準備こそが自国の安全を保障するという考え方です。他国は全て敵、隙あらば侵略を狙っているのだから軍事的な威嚇をもって敵に対処しなければならない。自国の軍事力を強大化し戦争の態勢を整えることこそが、敵国に対して侵略の意図を思いとどまらせる抑止力となる。この軍事的な抑止力こそが自国の安全を保障するもの、という考え方。

 これに対峙して、平和を獲得するためには平和に徹しなければならない、という考え方があります。近隣諸国も自国民と同様に平和を願う人々と信頼して、すべてのトラブルは外交で解決することにより平和を実現しようという考えです。自国の安全のために戦争を準備するというやり方は、明治維新以来の大日本帝国の基本路線であり、その失敗に学んだはずではないか、という批判に立ってのものです。

 相手国に対する不信は、自国に対する不信となって返ってくる。敵視は敵視を生み、仮想敵国に対する軍備の増強は際限のない軍拡競争に陥るばかり。新生日本は平和憲法を制定し、軍隊を持たない国、軍事力に頼らない国としての大方針を確定しました。文字通り、戦争のない世界を目指して、人類の理想を自ら実践する道を選んだのです。

 残念ながら、平和に徹する道の実践は長続きしませんでした。しかし、不徹底ながらも、憲法9条は生き続け、その生命力を保ち続けて今日に至っています。

 これを「平和を望むなら戦争の準備を」という思想に転換しようというのが、戦後一貫した保守政権の立場です。安倍政権で質的転換が起こり、岸田政権がこれを完成しようとたくらんでいます。憲法の危機、平和の危機と、心を痛めざるを得ません。

 昨年の12月16日、「安全保障3文書」が閣議決定となりました。その基本思想は、軍事大国化の推進によって我が国の安全を守ろうというものです。幾つかのキーワードがありますが、まずは「大軍拡・大増税」。皆さん、容認できますか。

 そして、「敵基地攻撃能力保有」です。明らかに専守防衛ではなく、他国を攻撃することもあるぞ、という宣言です。しかも、集団的自衛権行使と組み合わせて、日本ではなく同盟国の軍隊が攻撃を受けた際にも、敵基地攻撃ができるし、そのような能力を持とうと言うのです。

 さらにもう一つのキーワードが、「武器輸出」です。防衛産業を育成し、武器輸出を認める方向に踏み出すことを明確にしています。ご覧ください、本日のプラスターは、武器輸出を認めてはならない、というものです。

★武器輸出 憲法9条目のかたき
★緊張を高めてもうける武器輸出
★武器輸出 9条の国崩壊す
★武器輸出 あらたな戦前目の前に
★武器輸出 死の商人がほくそ笑む
★戦争へ 軍拡増税 武器輸出
★9条の陰でたくらむ武器輸出
★馬鹿げてる! 武器輸出、もうけた金で武器購入。

 かつて、「武器輸出3原則」というものがありました。三木内閣以来、その運用として、事実上武器の輸出はしないことを取り決めてきました。ところが、第2次安倍政権の2014年、「装備移転3原則」と名前を変えて、武器輸出の道を開きました。

 そして、岸田政権は「防衛産業強化法案」を提出して、防衛産業を育成し、さらに武器輸出の道を広げようとしています。これが、本日衆議院を通過しようという情勢と報じられています。同盟国を強化することによって、集団的に抑止力を高めようという発想によるものです。

 皆さん、武器とは人を殺傷する道具ではありませんか。大量の殺人や傷害、建造物の破壊以外に、役に立つものではありません。そんなものを製造する産業を育成しようという方針が、明らかにまちがっています。武器輸出となれば、なおさら非人道と指摘せざるを得ません。

 私たちは、平和のためには戦争の準備をせよという、デマに踊らされてはなりません。今こそ平和憲法を擁護して、国際平和に貢献しなければならないと思います。それこそが、戦争の惨禍を経て生き残った私たちの、人類の理想に対する責務だと思うのです。

日本は、けっして「明日のベラルーシ」になってはならない。

(2023年3月29日・連日更新満10年まであと2日)
 ロシアがウクライナに侵攻して以来の1年有余。この両国がウクライナ全土を戦場とする戦争当事国となってきた。驚いたことに、唐突にロシアがベラルーシへの「戦術核配備」を発表し、ベラルーシが「準・戦争当事国」となった。ロシアとベラルーシとの合意によって、ことし7月1日までにベラルーシ国内に戦術核兵器を保管する施設が建設される予定だという。

 昨28日、ベラルーシ外務省は、戦術核の配備は北大西洋条約機構(NATO)などの圧力が原因と主張する声明を発表したという。同声明は、ベラルーシが米国や英国、NATO加盟国などから近年、政治・経済的に「これまでにない圧力にさらされてきた」と西側諸国を非難。「自国の安全保障と防衛能力を強化して対応することを余儀なくされている」と説明している。

 ロシアもウクライナも、それぞれの友好国から戦争遂行のための有形無形の支援を受けてきた。むろん通常兵器の提供も受けている。しかし、核配備の受け入れとなれば、話は次元を異にする。この戦時に戦争当事国の一方に対して、対立国を標的とする「戦術核配備」を提供するというのだ。これ以上の威嚇はない。一方当事国への「支援」の域を超えて、対立当事国への敵対関係を宣告するに等しい。それだけの覚悟を必要とすることなのだ。しかも、ロシアとの関係深く、ウクライナとは長い国境を接するベラルーシにおいてのことである。ウクライナ友好国の全てに対する敵対宣言ととられても不自然ではない。

 考えるべきは、ベラルーシの決断のメリットとデメリットである。ロシアの「戦術核配備」を受け入れることが、果たして「自国の安全保障と防衛能力を強化して対応すること」になるものだろうか、同国の国際的な威信を高めることだろうか。さらには、ロシアにとっても、有利な戦況をもたらすものとなるだろうか。

 ベラルーシ内の「戦術核」発射施設は、戦況がエスカレートした際の第1攻撃目標となる。ウクライナとしては、目と鼻の先に位置する、このとてつもない危険物の存在を見過ごしてはおられないからだ。ウクライナ軍の砲門は、常時この発射施設に向けられる。岸田文雄が言う「敵基地攻撃」の対象施設になるのだ。しかも、いざというときには一瞬の逡巡があっても取り返しのつかないことになるのだから、「自衛的先制攻撃」の誘惑を捨てきれない。「戦術核」配備は、ベラルーシの戦争被害リスクを確実に大きくする。

 それだけではない。「西側諸国は、劣化ウラン弾をウクライナに提供する。西側の同盟が核を用いた兵器を使い始めるということになる。そうなればロシアは対応する必要がある」というのがプーチンの理屈である。「劣化ウラン弾提供には、戦術核配備で対抗するしかない」というわけだ。また、ベラルーシとしては、「これまでにない圧力に『対抗』するための戦術核配備」だという。しかし、西側諸国の側から見れば、「ベラルーシへの戦術核配備には、ウクライナへの戦術核配備で対抗するしかない」と言うことにならざるを得ない。明らかに、危険な核軍拡競争の負のスパイラルに足をすくわれている。安全保障のジレンマに陥ってもいる。ベラルーシの安全保障は損なわれることになるだろう。

 さらに強調すべきは、ロシアもベラルーシも、核拡散防止条約(NPT)の締約国であることである。NPTは、核兵器禁止条約の厳格さを持たない。しかし、米、露、英、仏、中5か国の「核兵器国」からの核拡散を防止し、「核兵器国」にも「非核兵器国」にも核不拡散義務を課し、締約国には誠実に核軍縮交渉を行う義務を規定している。ロシア、ベラルーシ両国ともに、国際条約を誠実に遵守する姿勢を持たない非文明国として、国際的な権威を失墜することになろう。

 この事態は、ロシアにも跳ね返る。戦術核の配備や使用にこだわることは、戦争遂行への自信のなさの表れと見透かされることになろう。そして、国際的な威信の失墜は覆うべくもない。この戦争を見つめる多くの中立国から見離される、あらためての契機となるに違いない。

 いま、保守陣営からは、「今日のウクライナは明日の日本だ」「だから侵略に備えて、軍備の増強が必要だ」との声が上がっている。その声が、既に防衛予算の増額に反映し、今後の「大軍拡・大増税」も招きかねない。

 しかし冷静に、まずは「明日の日本を今日のベラルーシにしてはならない」と考えるべきだろう。軽々に、核抑止が有効だなどと単純に考えてはならない。いまベラルーシが直面している核配備の大きなデメリットに注視しなければならない。戦術核配備に限らない。実は、戦争当事国の一方に対する通常兵器の提供も、これと同等の有形無形の支援もリスクのあることなのだ。リスクの大きな「大軍拡・大増税」路線に舵を切ってはならない。

 そのことは、「明日の日本を今日のウクライナにしてはならない」という平和の道を探ることに通じる。ウクライナにも、ロシア侵攻を避ける途はあったはずである。軍備を固めるのではなく、国連を通じ誠実な外交の通じての平和を確立する道。そのことを徹底検証して教訓を生かさねばならないと思う。

「本郷・湯島九条の会」街頭宣伝で、大江健三郎さんを悼む。

(2023年3月14日)
 本日の朝刊各紙に、大江健三郎さんの死去が報じられています。亡くなられたのは3月3日のこと、享年88でした。「戦後文学の旗手」「反戦平和を訴え続けた生涯」などと紹介されています。謹んで、ご冥福をお祈りいたします。

 彼は、2004年6月、日本国憲法を守る「九条の会」の結成に参画しています。加藤周一や井上ひさし、奥平康弘、鶴見俊輔らとともに、その活動の中心メンバーとして活動しました。東日本大震災以後は反原発の運動にも参加しています。

 九条の会は、上命下服とは無縁の市民運動です。行動の統一方針などはありません。まったくの自発性に支えられて、平和・日本国憲法・第九条を大切に思う人々が寄り合って名乗りさえすればよいのです。全国の地域に、職場に、業界に、学園に、学界に、7500もの「九条の会」が、それぞれのスタイルで結成され、活動を続けています。

 私たち「本郷・湯島9条の会」も10年前の春に、そのようにして結成され、細々ながらも、途切れなく活動してまいりました。

 2004年に9人の呼びかけで始まった「九条の会」運動。呼びかけ人9人の内、存命なのは澤地久枝さん、お一人となりました。淋しいことではあります。しかし、各地の「九条の会」は、呼びかけ人9人から「指令」も「指導」も受けていたわけではありません。呼びかけの理念に共鳴して、平和・憲法・九条を擁護する自発的な運動を続けていたのですから、大江さんが亡くなっても、九条の会運動がなくなることも、衰退することもありません。

 「本郷・湯島9条の会」も、今後とも、自発的な運動を継続してまいります。ご支援をよろしくお願いいたします。

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なお、「九条の会」呼びかけ人・9人のプロフィールは下記のとおり。

井上ひさし 1934?2010年
劇作、小説の両方で大活躍。日本ペンクラブ第14代会長。

梅原猛 1925?2019年
古代史や万葉集の研究から築いた「梅原日本学」で著名。

大江健三郎 1935?2023年
核時代や民衆の歴史を想像力を駆使して小説で描いてきた。ノーベル文学賞受賞。

奥平康弘 1929?2015年。
「表現の自由」研究の第一人者。東京大学名誉教授。

小田実 1932?2007年。
ベトナム反戦などで活躍。地元・兵庫で震災被災者の個人補償求め運動。

加藤周一 1919?2008年。
東西文化に通じた旺盛な評論活動を展開。医師でもあった。

澤地久枝 1930年生まれ。
戦争による女性の悲劇を次々発掘。エッセーも。

鶴見俊輔 1922?2015年
『思想の科学』を主導。日常性に依拠した柔軟な思想を展開。

三木睦子 1917?2012年。
故三木武夫元首相夫人。アジア婦人友好会会長を務めるなど国際交流活動で活躍。

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 以下は、「九条の会」発足時に採択されたアピール。

「九条の会」アピール

 日本国憲法は、いま、大きな試練にさらされています。
 ヒロシマ・ナガサキの原爆にいたる残虐な兵器によって、五千万を越える人命を奪った第二次世界大戦。この戦争から、世界の市民は、国際紛争の解決のためであっても、武力を使うことを選択肢にすべきではないという教訓を導きだしました。
 侵略戦争をしつづけることで、この戦争に多大な責任を負った日本は、戦争放棄と戦力を持たないことを規定した九条を含む憲法を制定し、こうした世界の市民の意思を実現しようと決心しました。
 しかるに憲法制定から半世紀以上を経たいま、九条を中心に日本国憲法を「改正」しようとする動きが、かつてない規模と強さで台頭しています。その意図は、日本を、アメリカに従って「戦争をする国」に変えるところにあります。そのために、集団的自衛権の容認、自衛隊の海外派兵と武力の行使など、憲法上の拘束を実際上破ってきています。また、非核三原則や武器輸出の禁止などの重要施策を無きものにしようとしています。そして、子どもたちを「戦争をする国」を担う者にするために、教育基本法をも変えようとしています。これは、日本国憲法が実現しようとしてきた、武力によらない紛争解決をめざす国の在り方を根本的に転換し、軍事優先の国家へ向かう道を歩むものです。私たちは、この転換を許すことはできません。
 アメリカのイラク攻撃と占領の泥沼状態は、紛争の武力による解決が、いかに非現実的であるかを、日々明らかにしています。なにより武力の行使は、その国と地域の民衆の生活と幸福を奪うことでしかありません。1990年代以降の地域紛争への大国による軍事介入も、紛争の有効な解決にはつながりませんでした。だからこそ、東南アジアやヨーロッパ等では、紛争を、外交と話し合いによって解決するための、地域的枠組みを作る努力が強められています。
 20世紀の教訓をふまえ、21世紀の進路が問われているいま、あらためて憲法九条を外交の基本にすえることの大切さがはっきりしてきています。相手国が歓迎しない自衛隊の派兵を「国際貢献」などと言うのは、思い上がりでしかありません。
 憲法九条に基づき、アジアをはじめとする諸国民との友好と協力関係を発展させ、アメリカとの軍事同盟だけを優先する外交を転換し、世界の歴史の流れに、自主性を発揮して現実的にかかわっていくことが求められています。憲法九条をもつこの国だからこそ、相手国の立場を尊重した、平和的外交と、経済、文化、科学技術などの面からの協力ができるのです。
 私たちは、平和を求める世界の市民と手をつなぐために、あらためて憲法九条を激動する世界に輝かせたいと考えます。そのためには、この国の主権者である国民一人ひとりが、九条を持つ日本国憲法を、自分のものとして選び直し、日々行使していくことが必要です。それは、国の未来の在り方に対する、主権者の責任です。日本と世界の平和な未来のために、日本国憲法を守るという一点で手をつなぎ、「改憲」のくわだてを阻むため、一人ひとりができる、あらゆる努力を、いますぐ始めることを訴えます。

 2004年6月10日

井上 ひさし(作家)   梅原 猛(哲学者)   大江 健三郎(作家)
奥平 康弘(憲法研究者) 小田 実(作家)    加藤 周一(評論家)
澤地 久枝(作家)    鶴見 俊輔(哲学者)  三木 睦子(国連婦人会)

「本郷・湯島9条の会」街宣活動の起源は10年前の春。

(2023年2月15日)
 昨日、2月14日の「本郷湯島九条の会」・本郷三丁目交差点「かねやす」前での街頭宣伝。まずは、「米軍事戦略に呑み込まれる日本」と題した、石井彰代表世話人の報告。

 風が冷たい昼休みのひとときでしたが、13人の参加者で大いに意気あがる、賑やかな街宣となりました。開始前にたくさんのプラスターを道に広げていると、二十歳前後の若者たちが通りかかって、「オレ、戦争なんか行かないもん」。また別の若者は、「オレは自転車に乗って逃げちゃうもん」。わたしたちが、「一緒に戦争に反対しようよ」と声をかけましたが、さて、気持ちが通じたかどうか。

 マイクはアメリカの軍事戦略にのって日本が戦争国家になりつつあることを告発しました。岸田首相は昨年末に安全保障3文書を閣儀決定し、今年1月にはバイデン米大統領に会って「敵基地攻撃能力保有」を決めてきたことを告げ、バイデン米大統領に賞賛され、あまつさえ「統合防空ミサイル防衛IAMD」に参加することを約束してしまう始末です。「敵基地攻撃能力」を持たないと「統合防空ミサイル防衛IAMD」に参加できないのです。

 さらに軍拡をおこなうための増税、社会保障の削減が始まっていることを訴え、まさに安全保障3文書は軍需産業の基盤強化、軍事分野の官民学の連携強化、空港・港湾・道路などの軍事利用が狙われていることを訴えました。

 日本は、何よりもロシアのように侵略する国になってはならない。アメリカの戦争戦略のもとで敵を探して先制攻撃を仕掛ける準備など、けっしてしてはならない。そして、ウクライナのように侵略される国になってもならない。抑止力という名で、軍事的な挑発を繰り返すことの危険を理解しなければならない。

 若者を戦争にいかせてはいけない、そのため皆様方とともに戦争させないために力を合わせましょう、そう呼びかけました。4月の統一地方選挙には「戦争する国」にしようとしている政党に投票することを止めましょうと訴えました。

 [プラスター]★自民党さん LGBTQなぜ困る?★浮き足立つな、落ちつこう。★反対しよう戦争への道。★トンデモない、軍拡・大増税。★9条の会、迷わず平和路線。★トマホーク、オスプレイいらない、憲法9条と国連強化。★軍事栄えて、福祉、子育て、医療、年金やせる。 

 最後に私がマイクを取って短く訴えた。
 
 「トルコとシリアの大震災で、多くの人か亡くなっています。人は、互いに殺し合うのではなく、助け合わねばなりません。私たちの国・日本は、戦争国家ではなく、国際協調国家です。人殺しの準備をするのではなく、このようなときこそ命を助ける事業に力を尽くさなければなりません。

 私たちの国は、150年前に近代国家の仲間入りをしました。そして、その歴史の前半は、幾つかの内戦を経て対外戦争を繰り返しました。目標は富国強兵。侵略戦争と植民地支配をこととする精強な軍国主義国家を作りあげて、そして亡びました。

  戦後は軍国主義の戦前ときっぱり縁を切って、9条を持つ平和国家として生まれ変わりました。以来75年余、私たちの国は曲がりなりにも平和を維持し続けています。今後も、この平和を続けていかねばなりません。平和憲法は、人を殺す準備ではなく、世界中の人々の命を救えと教えています。
  
 戦前は、近隣諸国や西欧先進国に負けない国防国家を作ることが国の備えだと考えました。軍備を拡大すれば、国は安全になると盲信したのです。そして、失敗しました。その高くついた反省から、戦後は平和を望むならば徹底して平和の準備をすることとしたのです。軍拡も、核共有も、日米安保も、集団的自衛権も、平和を壊す危ない橋だと知らねばなりません。政府の言うことを鵜呑みにすることなく、平和について、真剣にお考えください。」

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 街宣終了後、主要メンバーが寒さを避けて近所の定食屋「ゆげ」に入って、暖かいカレーうどんなど口にしながら、気分良く話しが弾んだ。いったいいつから、この街宣活動が始まったのかが話題になり、どうやら今年の春で、満10年になるのだと話が落ちついた。

 第2期安倍晋三政権発足が2012年12月末。その危険性を13年春に地元の集会で私が喋った。そして、その集会の席上で街宣活動を呼び掛けたことが発端だという。その後しばらくして、毎月第2火曜日のお昼に定まった。これが、みんなの記憶の一致するところ。以来、台風で中止となったことが一回だけ。ずっと続いているのだから、なかなかのもの。近所の人も、近くの交番の警察官も、よく耳を傾けてくれているというのが、自己満足的な甘い評価。

岸田文雄の得意と失意。

(2023年1月16日)
 どうです、わたくし岸田文雄の働きぶり。我ながらホレボレというところ。ときどき自分の才能にニンマリですよ。あのアベさんもできなかった、大軍拡・大増税。事実上、易々とやっちゃった。

 憲法改正はね、自民党結党以来の党是ですよ。「党是」って、「悲願」とか「宿願」っていうこと。明文改憲には、だれも手を付けられなかった。岸信介、中曽根康弘、安倍晋三も、憲法の一字も変えていない。でも、私・岸田が、事実上憲法ぶっ壊しましたものね。大したもんでしょう。

 だから、アメリカ大統領も、私のことをベタ褒めですよ。日本時間での月月14日、バイデン大統領と会いました。皆さん、テレビ見たでしょう。ホワイトハウスの南正面玄関で、アメリカ大統領が私を出迎えたんですよ。「あなたは真のリーダーであり、真の友人だ」とまで言ってくれた。異例の厚遇って話題沸騰ですよ。本当に、私、歓迎されたんだ。多少は、舞い上がってもよいでしょう。もちろん、アメリカの旧式武器を買ってくれるマヌケなお客さんだからって、やっかむ人もいるけどね。

 「岸田は宏池会なんだから、ハト派のはずじゃなかったのか」って。そりゃ、何度も言われますよ。「ハトの卵からタカが生まれた」とか、「ウリの蔓にトリカブトが成った」なんて悪口も。ぜんぜん気にしちゃいませんよ。すべては結果次第でね。

 私は、ハトのフリをしていたわけじゃない。みんなが勝手にそう思い込んでいたというだけのこと。タカの本性丸出しの安倍さんじゃ、みんな警戒したでしょう。でも、「特技は人の言うことをよく聞くこと」なんていう私は警戒されない。なんだ、結局「アメリカと財界と右翼勢力の言うことにしか聞く耳もたなかったのか」なんて気が付いたときには、時既に遅しという次第。本当に、私は有能なんだ。

 何がコツかって? ひとつは、国会論議を避けること。そして、国民を煽ることだね。国民に恐怖を植え付けて、これに火を付けること。中国は恐い。ロシアも恐いぞ。北朝鮮はもっと恐い。恐い相手は、ある日突然何をしてくるか分からない。そのときに備えて、敵基地攻撃能力を備えておかなくてはならない。恐くて悪い敵国も、日本が敵基地攻撃能力を備えていると分かれば、報復を恐れておいそれと日本を攻撃しなくなる。平和が保たれる。これが抑止力。アメリカと一体になれば、もっともっと大きな抑止力ができる。

 抑止力って、戦争を防ぐためのチカラ。これあればこそ、恐くて悪い敵国も、軽々に日本への侵略をすることはない。もちろん、抑止力って軍備のこと。軍備を強くすればするほど、大きくすればするほど、抑止力も高まる。つまり、軍隊を増員し兵器を買い込んで、軍備を拡大し増大すればするほど、平和が来る。なんだか変だって? そんなことはない。平和とは、勝ち取るもの。勝ち取るためには闘わねばならない。闘いには武器が要る。軍備を拡大すればするほど、平和になるわけさ。

 その点、日米首脳に意見の齟齬はない。大統領は私の訪米を歓迎し、両首脳間のパートナーシップ、そして日米同盟はかつてなく強固であると言った。私も返答した。日米両国が近年で最も厳しく複雑な安全保障環境に直面している中、我が国として、昨年12月に発表した新たな国家安全保障戦略等に基づき、反撃能力の保有を含む防衛力の抜本的強化及び防衛予算の相当な増額を行っていくってね。大統領は喜んでくれた。もう、これで、実際戦争になっても大丈夫さ。

 とは言え、いつまでも国会論議を避けているわけには行かない。もうすぐ、通常国会が始まる。気分は良くないね。予算はすんなり通らないのじゃないかな。なにより、ぶち上げた大軍拡には、大増税が必要だ。国民がすんなり受け容れるはずはない。これ以上の支持率低下はやっぱり恐い。

 それにしても、大軍拡はアメリカからは大歓迎だ。「あなたは真の友人」「あなたこそ真の指導者」と手放しだった。公費を使っての外遊はいい心持ち。お土産だって全部税金だものね。いつまでも外遊していたかった。どうして、同じ大軍拡が、国内では評判悪いのだろう。軍拡すればするほど平和が保障されるっていうのに…。

憲法や政治学の研究者が、切実に国民に訴える「安保3文書」の危険性

(2022年12月25日)
 我が国の安全保障政策を根本的に転換し、平和憲法をないがしろにする「安保3文書」の閣議決定。これに対する批判の声明が、各方面から相次いでいる。

 法律家の分野で特筆すべきは、日弁連が12月16日付で「「敵基地攻撃能力」ないし「反撃能力」の保有に反対する意見書」をとりまとめ、19日付で内閣総理大臣及び防衛大臣宛てに提出したこと。
https://www.nichibenren.or.jp/document/opinion/year/2022/221216.html

 そして、一昨日(12月23日)の「立憲デモクラシーの会」の声明である。
 同「会」は、「立憲民主党」とやや紛らわしいが、「憲法に従った民主政治を回復するために」結成された、著名な研究者で作る任意団体である。2014年、安倍晋三政権が集団的自衛権行使容認の憲法解釈に転じたとき、これを批判する立場の法学者・政治学者を中心に、安倍内閣の方針に対抗すべく設立された。設立時の共同代表は樋口陽一、山口二郎、奥平康弘。設立の際の記者会見で、奥平は「安倍政権の下で、立憲主義とデモクラシーはともに危機的状況にある。私たちには、異議申し立てをする義務がある」と述べている。

 その「会」が、12月5日に「いわゆる反撃能力の保有について」とする声明を、さらにこの度「安全保障関連三文書に対する声明」を発表した。憲法や政治学の研究者の危機感は強い。
http://gifu9jou.sakura.ne.jp/democrcy221223.pdf

 声明は、「『抑止力』が相手国に攻撃を断念させる保証はなく、逆にさらなる軍拡競争をもたらし安全保障上のリスクを高める」「先制攻撃と自衛のための反撃は区分が不明確。敵基地攻撃能力の保有は専守防衛という日本の防衛政策の基本理念を否定する」などと指摘した。

 また、防衛費増額についても「GDP(国内総生産)比2%という結論に合わせた空虚なもの」として「税負担の増加は国民の疲弊を招く」と批判した。さらに、手続き面でも「国会で説明せず内閣と与党だけで重大な政策転換を行った」として「国民不在、国会無視の独断」と断じている。

 同日、国会内で記者会見した研究者の各発言は、次のように報じられている。
 長谷部恭男・早稲田大教授(憲法) 「なぜ軍拡を進めるのかについて、安全保障上の必要性や合理性に関する説明が欠けている」
 中野晃一・上智大教授(政治学) 「国会で説明せず、閉会後に独断でなし崩し的に閣議決定した。2014年に安倍政権が集団的自衛権の行使容認を閣議決定だけで決めた手法が、いよいよ先鋭化している」
 石川健治・東大教授(憲法) 「露骨に『敵』や『攻撃』という観点が打ち出されているが、周辺国の危機意識を高めただけだ。閣議決定で決め、法整備や財源を後付けしている」

 声明は、以下のとおり(一部割愛)。

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安全保障関連三文書に対する声明(2022年12月23日)

 岸田文雄内閣は、12月16日、安全保障関連三文書の改定を閣議決定した。立憲デモクラシーの会は、すでに敵基地攻撃能力保有の問題性を指摘する声明を発表しているが、今回の三文書について、改めて、その内容と手続きの両面から疑義を呈したい。

 政府は敵基地攻撃能力の保有により「抑止力」を高めることが日本の安全に不可欠だと主張する。しかし、一般に抑止という戦略は相手国の認識に依存するので、通常兵力の増強が相手国に攻撃を断念させる保証はなく、逆にさらなる軍拡競争をもたらして、安全保障上のリスクを高めることもありうる。

 また、政府は日本が攻撃を受ける事態の意味について、「敵国」が攻撃に着手することを含むかどうかについてあえて曖昧にしている。すなわち、日本に向けたミサイルの発射の前に日本から攻撃を行う可能性を否定していない。そもそも、「敵国」が発射するミサイルが日本を攻撃するためのものか否かは、発射された後にしか確定し得ない。「先制攻撃」と自衛のための「反撃」の区分はきわめて不明確であり、敵基地攻撃能力の保有は専守防衛という従来の日本の防衛政策の基本理念を否定するものと言わざるを得ない。

 政府の打ち出した防衛費増額についても、それが日本の安全確保に資するものかどうか、疑問である。来年度から5年間の防衛費を43兆円、GDPの2%にすると政府は表明した。しかし、今回の防衛費急増は、必要な防衛装備品を吟味したうえでの積み上げではなく、GDP比2%という結論に合わせた空虚なものである。すでに、第二次安倍晋三政権がアメリカから有償武器援助で多くの防衛装備品を購入しており、その有効性についての検証もないまま、いたずらに防衛費を増加させることは、壮大な無駄遣いに陥る危険性をともなう。

 臨時国会が閉幕してわずか1週間の間に、与党調整を済ませ、閣議決定するという手法も批判しなければならない。そもそも防衛費大幅増、敵基地攻撃能力の保有は今年4月からウクライナ戦争に便乗する形で、自民党内で声高に叫ばれるようになった。岸田首相にその気があれば、7月の参議院選挙で防衛費急増とそのための増税を争点とし、国民の審判を受けることができたはずである。選挙の際には争点を隠し、秋の臨時国会でも国会と国民に対する説明をせず、内閣と与党だけで重大な政策転換を行ったことは、国民不在、国会無視の独断である。

 今回の防衛政策の転換と防衛費急増は、国民の疲弊のみならず、東アジアにおける緊張を高め、軍拡競争を招くことが憂慮される。立憲デモクラシーの会は、日本の安全保障政策のあるべき姿と防衛力の規模について、来年の通常国会において白紙から議論を進めることを求める。

本郷三丁目交差点で、「専守防衛」逸脱の大軍拡・大増税に抗議する。

(2022年12月13日)
 本郷三丁目交差点ご通行中の皆さま、とりわけ若い方々に訴えます。ご意見もお聞かせいただきたい。あなたは、命じられたら戦争に参加しますか。兵士となって戦場に行く覚悟がありますか。怨みのない人と命をかけた殺し合いもやむを得ないと思いますか。

 お父さんやお母さんの世代の方にも伺いたい。愛する子どもや家族を戦争に差し出しますか。ご親戚や友人、隣人ならどうですか。国を守るためなら戦争もやむを得ないと思いますか。誰かに、命をかけて国のために闘ってもらいたいと思いますか。

 政府・与党は今、大軍拡大増税に踏み切ろうとしています。軍拡って他人事ではありません。軍拡は武器だけでなく、たくさんの兵士を必要とします。あなただって、兵士として戦場に引っ張られるかも知れない。祖国の防衛のためなら、勇躍して任務に当たりますか。

 政権や右翼や扇動者は、平和を維持するためには抑止力が必要と言います。抑止力って、イザというときには反撃できる能力のことのようです。張り子の虎では抑止力にならない。イザというときには対等以上に戦闘する能力を備えるための軍備拡張。あなたは、イザというときの反撃のために兵士になることをやむを得ないと受け容れますか。

 臨時国会が10日に閉幕となりました。この国会では岸田内閣のタカ派的な姿勢は目立ちませんでした。ところが、国会が終わってそのくびきから脱したとたんに、事態は様変わりしました。昨日、安保3文書の与党内合意が成立したことが公表されました。本日の各紙朝刊が、その骨子を報道しています。これが16日に閣議決定される予定ということです。

 恐るべき事態と言わねばなりません。歴代政権が憲法違反だとしてきた敵基地攻撃能力の保有が明記されることになります。米国製の長距離巡航ミサイル・トマホークが導入されます。来年23年度から27年度までの5年間で、防衛予算は総額43兆円に膨れあがります。大軍拡に伴う大増税を覚悟せよというのです。そのうえで、大軍拡のとばっちりを受けて、教育や福祉の予算は削らざるを得ないことになります。「軍事栄えて民痩せる」という時代がやってきます。本当にこれでよいのでしょうか。

 なによりも、軍拡は兵士を必要とします。あなたは兵士として、命をかけて闘う覚悟がありますか。大切な人を、お国のために差し出す覚悟がありますか。

 12月です。太平洋戦争の開戦を思い起こさねばなりません。1941年12月8日の天皇の「詔勅」は、こう言っています。
 「日本は平和を望み、長い間忍耐を重ねてきたが、米も英も少しも互譲の精神がなく、ますます経済上・軍事上の脅威を増大し続け、それによって我が国を屈服させようとしている。このような事態が続けば、アジアの平和を願っての我が国の努力はことごとく水の泡となり、帝国の存立もまさに危機に瀕している。今や自存と自衛のため、決然と立ち上がって一切の障害を破砕する以外にない。」

 今また、同じ轍を踏みかねません。かつては、日本は正義の国で、英・米・蘭・ソ・中などは、どれも日本を敵視する不正義の国。ドイツやイタリアと同盟して、これと闘わねばならないとしました。あの頃とは、敵国・味方国が変わっていますが基本は変わりません。かつてヒトラーのドイツと結んだ日本は、今、アメリカと同盟しています。主たる敵が中国であることは隠そうともしません。中国の脅威に備えて軍備を拡大し、軍拡増税をしようというのです。

 77年前の敗戦のあと、日本国民は再びの戦争という過ちを犯してはならないと、深く強く決意しました。その決意の根本には、平和は武装することによって得られるものではない。近隣諸国との軍備拡大の競争という愚かなことはしない。それが日本国憲法9条に結実しました。

 あの戦争の反省には、まったく異なる二通りがありました。一つは、戦争に負けたことを反省しようというのです。今度は、精強な大軍事力を作って、米英にも、中国にも負けない大軍事国家を建設しようという反省の仕方。これは、ほんの一握りの戦争指導者の立場。圧倒的な国民は、戦争そのものを反省しました。どんな理由があろうとも、けっして再び戦争をしてはならない。

 その国民の意思を結実した憲法9条が次第に影を薄くし、いま自衛隊という軍事力が存在感を増すにいたっています。それでも、憲法9条とそれを支える世論があるから、敵基地を攻撃するような武器は持てないとしてきたのです。

 今回の安保3文書は、かろうじて9条の効果としての「専守防衛」路線を事実上放棄すること。敵国の軍事力には、我が国の軍事力を対抗することで、平和を守ろうという路線への転換にほかなりません。明文改憲ないままに、事実上の「壊憲」が行われようとしています。このままでは、9条は空文に帰しとめどない軍拡の悪循環に巻き込まれかねません。慌てず、騒がず、浮き足立つことなく、落ちついて、戦争のない国際社会を作る努力をしようではありませんか。

 [プラスター]★敵基地攻撃能力、戦争への道。★軍拡大増税、くらしはカツカツ大赤字。★穏やかな声優しそうな顔で、憲法9条を壊してゆく岸田政権。★人類の理想、戦争放棄の9条。★トンデモない 軍拡大増税。★浮き足立つな落ち着こう、反対しよう戦争への道。★9条の会、迷わず平和路線。★トマホーク、ハイマースもオスプレイもいらない、憲法9条と国連強化。

軍事費太って、民痩せる。

(2022年11月29日)
 平和国家だったはずの日本が揺れている。急転してくずおれそうな事態。ハト派だったはずの岸田政権、とんでもない鷹派ぶりである。

 富国強兵を国是とした軍国日本が崩壊し、廃墟の中で新生日本が日本国憲法を制定した当時、憲法第9条は光り輝いていた。その字義のとおりの「戦争放棄」と「戦力不保持」が新しい国是になった。

 「戦争放棄」とは、けっして侵略戦争の放棄のみを意味するものではない。制憲議会で、吉田茂はこう答弁している。「古来いかなる戦争も自衛のためという名目で行われてきた。侵略のためといって始められた戦争はない」「9条2項において一切の軍備と国の交戦権を認めない結果、自衛権の発動としての戦争も、また交戦権も放棄したのであります」。
 
 その後、戦力ではないとして「警察予備隊」が生まれ、「保安隊」に成長し、「自衛隊」となった。飽くまでも、軍隊ではないというタテマエである。さらに、安倍政権下、集団的自衛権の行使が容認された。それでも、政府は「専守防衛」の一線を守り続けてきたと言う。

 それが今崩れ去ろうとしている。いったい、この国はどうなったのか、どうなろうとしているのか。敵基地攻撃能力、敵中枢反撃能力、指揮統制機能攻撃能力の保有が声高に語られる。先制攻撃なければ国を守れない、と言わんばかり。

 これまで、防衛予算の対GNPは1%の枠に押さえられていた。岸田内閣は、これを一気に倍増するのだという。それも、今年末までに決めてしまおうというのが、岸田優柔不断内閣の一点性急主義。

 11月22日には、「国力としての防衛力を総合的に考える有識者会議」なるものが、防衛費増額のために「幅広い税目による負担が必要」と明記した報告書を提出している。28日になって岸田首相は、NATOの基準を念頭に、5年後の2027年度時点で「防衛費とそれを補完する取り組み」を合算してGDP比2%とするよう浜田靖一防衛相と鈴木俊一財務相に指示した。「補完する取り組み」とは防衛力強化に資する研究開発、港湾などの公共インフラ、サイバー安全保障、国際的協力の4分野で、これまで他省庁の予算に計上されていたという。また、歳出・歳入両面での財源確保措置を今年末に決定する方針も示した。年末までには、安全保障3文書も公開されることになる。

 政府与党と維新・国民などは、「防衛力の抜本的整備だ」「大軍拡が必要だ」「そのための軍事予算確保だ」「福祉を削っても軍事費増額だ」という軍国モードに突入し、国民生活そっちのけで軍事優先に走り出している。本当にそれでよいのか。国民が納得しているのか。

 軍事拡大が国防に役立つかの議論はともかく、確実に国民生活を圧迫する。円安、エネルギー高騰、物価高、そして低賃金。庶民の生活はかつてなく苦しい。福祉も教育も、コロナ対策も、医療補助にも予算が不可欠な今である。国民生活に必要な予算を削る余裕はない。それでも、軍備拡大のための増税をやろうというのか。国民生活を削らねば軍備の拡大はできない。軍備を縮小すれば、その分だけ国民生活を豊かにできる。さあ、この矛盾をどうする。

 本日午前に開かれた自民党の会合では、軍拡財源確保のための増税には「反対の大合唱」が起きたとの報道。これは、興味深い。軍拡と軍事費倍増を煽っても、増税には反対というのだ。

 与党の税制調査会には「所得税、法人税を含めて白紙で検討する」(自民党の宮沢洋一税制調査会長)との声があり、基幹税の増税議論が行われる見通しだ。ただ、自民党内には増税に消極的な声も強く、調整は難航が予想されるという。一つ間違えば、国民から見離されかねない。

 さあ、防衛費増額の財源をどう手当てするのか。まさか、禁じ手の「戦時国債」発行でもあるまい。とすれば、軍拡は確実に民生を圧迫することになる。

大切な参院選、日本共産党候補者へのご支援のお願い。

(2022年6月22日)
 本日、参議院議員選挙の公示となりました。18日間の選挙運動期間を経て、7月10日・日曜日の投開票となります。いつにもまして大切な選挙です。友人知人の皆様に、日本共産党へのご支援を心からお願い申しあげます。

 今度の参院選がいつにもまして大切な選挙という理由は、何よりも憲法「改正」がかかった選挙になっているからです。自民党は、選挙のあとに改憲の発議をすると公言しています。日本国憲法が、自民党やその同類諸政党(公明・維新・国民・N党…)によって蹂躙されることを、見過ごすことはできません。

 かつての日本は、富国強兵をスローガンに侵略と戦争を繰り返し、厖大な不幸を積み重ねて1945年にいったんは亡びました。生まれ変わっ新しい国は、旧大日本帝国憲法を捨てて、現行の日本国憲法を採用しました。その眼目の一つが、平和主義であり憲法9条です。私たちの国は、「けっして再びの戦争はしない」「戦争しないのだから軍隊も持たない」、内外に向けたその宣誓によって、日本は国際社会に復帰しました。

 しかし、富国強兵のホンネはこの国の保守陣営には深く根を張って生き残りました。1955年に結成された自民党は、憲法「改正」を党是として出発しています。その改憲のターゲットは何よりも憲法9条。邪魔で目障りな9条を取っ払って一人前の軍隊をもちたい、その軍隊の力で国威を発揚したいというのが、これまで成し遂げることのできない保守陣営の悲願なのです。

 民主主義と平和を国是とする今ある日本は、悲惨な戦争の体験を経て生まれました。私は、アジア太平洋戦争末期の1943年の生まれです。私の父は、2度徴兵され、弘前・満州・横須賀・そして弘前と、終戦までに7年間を兵営で過ごしています。銃後の母は、終戦の年の夏には、ハシカにかかっていた2歳に満たない私を負ぶって、空襲警報の鳴るたびに防空壕で心細い思いをしたことを繰り返し話しました。母の妹の夫は、フィリピン沖で輸送船とともに沈んでいます。私は、「絶対に二度と戦争をしてはいけない」と聞かされて育ちました。

 これが当時の日本人の共通の思いでした。この思いが形になって日本国憲法が制定され、9条ができたのです。もちろん、憲法制定当時、9条の条文のとおり、日本には「陸海空軍その他の戦力」は存在しませんでした。ところが、アメリカ占領軍の政策の変更をきっかけに9条の解釈はゆがめられ、警察予備隊ができて保安隊となり、1954年には自衛隊ができました。

 では憲法9条は無意味になったのかと言えば、けっしてそうではありません。政府も自衛隊を保持する根拠の説明に、9条を無視することはできないのです。

 政府は、自衛隊保持の根拠を憲法に求めることはできません。「憲法には書いていないけれども、日本が主権国家である以上は、固有の自衛権を否定することはできない」という説明が出発点です。「わが国の自衛権が否定されない以上、その行使を裏づける自衛のための必要最小限度の実力を保持することは、憲法上認められる」というのです。つまり、憲法では「陸海空軍その他の戦力」の保持は禁じられているが、「自衛のための必要最小限度の実力」の保持までは禁じられていない、それが自衛隊だとというのです。

 このような考えに立ち、「憲法のもと、専守防衛をわが国の防衛の基本的な方針として、憲法に禁じられた戦力には当たらない実力組織としての自衛隊を保持し、その整備を推進し、運用を図ってきています」というのが、政府の基本方針。つまり、いま9条は「専守防衛」という縛りの根拠とされているのです。日本は「専守防衛」に徹するべきで、自分から先制的に侵略戦争を仕掛けるようなことがあってはならない。「専守防衛」に必要な最小限度の装備を超えてはならず、「攻撃的な武器は持たない」「軍事大国とはならない」。うっかり、その限度を超えると、違憲となってしまうのです。このことは、長く保守政権も含めての国民的な合意であったはずです。

 ところが、安倍・菅・岸田と続く政権は、この原則を放擲しようとしています。予てから軍事大国化を狙っていた右派勢力が、ロシアのウクライナ侵攻に乗じて、今を好機と大きな声で「軍事費増やせ」「防衛費を5年以内にGDP比2%以上にせよ」「年間10兆円に」「いや12兆円に」と言い出す始末。

 それだけではありません。「敵基地攻撃能力が必要だ」、「それでは足りない。敵の中枢を攻撃する能力がなければならない」「先制攻撃もためらっていてはならない」「非核三原則も見直せ」「核共有の議論を」と暴論が繰り返されています。そして、そのような軍事力の増強に邪魔となる「憲法9条を変えてしまえ」というのです。

 これまで歴史が教えてきたことは、「安全保障のジレンマ」ではありませんか。仮想敵国に対抗しての我が国の軍備増強は、必ず仮想敵国を刺激し軍備増強の口実を与えます。結局は、両国に際限のない軍拡競争の負のスパイラルをもたらすだけではありませんか。このような愚行を断ち切ろうというのが、戦争を違法化してきた国際法の流れであり、その最終到達点としての日本国憲法9条であったことを再確認したいと思います。

 今、平和を守り、その礎としての平和憲法を守り、専守防衛の根拠とされている9条を護ることが参院選の重要な争点の一つとなっています。では、どの政党が、どの候補者が、もっとも真剣に平和・9条擁護に取り組んでいるか。それが、日本共産党であることに、大方のご異存はないと思われます。

 何よりも、この政党は、戦前から筋金入りの平和政党でした。文字どおり命をかけて侵略戦争に反対した歴史をもつ政党です。本日の党委員長の第一声は、次のように報道されています。私は、これに賛同します。

「9条いかし平和外交を 共産 志位和夫委員長
 この参院選は戦争か平和か、日本の命運がかかった選挙だ。ロシアの蛮行に乗じて岸田政権は敵基地攻撃や軍事費2倍、憲法9条改正の大合唱をしている。日本が軍拡すれば、相手も軍拡を加速する。軍事対軍事の悪循環に陥ることが一番危険だ。自民党はGDP(国内総生産)比2%以上を公約にしながら財源を一言も書いていない。消費税なら2%以上の負担になる。消費増税の白紙委任を自民党に渡すわけにはいかない。
 日本が進むべきは敵基地攻撃ではなく、9条をいかした平和外交だ。核兵器禁止条約への参加を求める。唯一の戦争被爆国である日本の不在が大きな批判になっている。橋渡し役と言いながらなぜ参加しないのか。核抑止の呪縛を断ち切るべきだ。(東京都新宿区で)毎日」

 
 もしかしたら、この選挙後の3年間、国政選挙はないかも知れません。この参院選に勝てば、政権にとって選挙による制約のない「黄金の3年間」が始まる、という声が聞こえて来ます。政権がなんでもできるという「黄金の3年間」にしてはなりません。そのためには、改憲反対の立場でブレのない日本共産党を大きく伸ばすことで、憲法の改悪を阻止しなければならない。そう考えて、私は、お知り合いの皆様に日本共産党へのご支援を訴えます。

 自由も人権も平等も民主主義も福祉も、憲法に書きこんだだけでは実現しません。その理念を実現するには、国民の知恵と努力の結集が必要となります。平和も同様です。まずは、国会で日本共産党を中心とする平和勢力の議席を確保し、その上で平和構築の行動をともにしたいものと思います。

 参院選の投票用紙は2枚配布されます。各都道府県単位の地方区と、全都道府県を選挙区とする比例代表と。地方区には、それぞれの共産党の候補者(あるいは共産党が推薦する共闘候補)がいるはずです。東京なら「山添拓」、大阪なら「辰巳孝太郎」を。

 比例代表の投票には、「日本共産党」と政党名を書いていただくか、あるいは「にひそうへい(仁比聡平)」、「田村智子」などの候補者名をお書きください。よろしくお願いいたします。

今こそ、防衛費増額論に「NO!」の世論を。

(2022年5月25日)
 バイデンが駆け足で韓・日と訪問し、一昨日(5月23日)帰米した。日本に残していったのが防衛費増額の宿題。同日の両首脳共同会見で、岸田は「日本の防衛費の増額を確保する決意」を表明してこの宿題を抱え込んだ。

 「聞き耳」自慢の岸田ではなかったか。まずは国民の声を聞き、国民に提案して、国民から政府方針転換と負担増の了承を得るべきが当然だろう。それを他国の首脳に「決意表明する」など、完全に順序が間違っている。この人の耳は、アメリカの腹の中や、右翼のつぶやきを聞き取るようにできているのだ。

 「わたしからは、日本の防衛力を抜本的に強化し、その裏付けとなる防衛費の相当な増額を確保する決意を表明し、バイデン大統領からは、これに対する強い支持をいただいた」って? 主権を持つ国の首脳としては、なんとも情けなく、みっともない記者会見での発言。

 ところが、右翼陣営や自民党・維新からは、批判の声は聞かれない。むしろ、歓迎して「防衛費の相当な増額」とは倍増だという威勢のよい声が上がっている。

 2月24日のウクライナショックは、大きかった。一時は、「ウクライナよ正義のために果敢に闘え」「ウクライナに軍事的・非軍事的支援を」という声一色となった。「不正な侵略には戦わざるを得ない」「それ見たことか、非軍事での防衛など絵空事だ」「独立国家に自衛力は不可欠だ」「強国との強力な軍事同盟あっての平和ではないか」と護憲派が矢面に立たされた。これに乗じて、「敵基地攻撃能力」(反撃能力)だの、攻撃対象を拡大せよだのという火事場泥棒的防衛力増強論が大手を振る事態。

 3か月経って、世論は少し落ち着きを取り戻しつつある。が、この岸田の「防衛費の相当な増額」決意に、野党もきちんと批判し得ていない。これで、大丈夫だろうか。

 既に事実上の与党となっている国民民主は「防衛費の相当な増額」に事実上容認の立場。自民よりも右のポーズをとることで世論の受けを狙っているポピュリスト維新は、今や改憲・軍拡路線の尖兵。「積極防衛能力」の整備を唱い、具体策として防衛費の国内総生産(GDP)比2%への増額を主張している。

 問題は、立憲民主党である。これまでの経緯からは当然に「防衛費増額に反対」と声を上げるのかと思ったら、どうもそうではない。泉健太党首は、24日、「『昨今の安保環境で言えば(防衛費は)増えることになる』と首相の方針に理解を示し、『参院選の争点にならない』との見解まで示した」「立憲民主党は必要な防衛費は整備すべきだと考えている」と強調。「防衛費がその結果として前年を上回ることは十分あり得る」とし、防衛費増額は「必要だ」とも明言した、と報じられている。

 どうなっちゃんだ、立憲民主党。ウクライナショックの深い傷が未だ癒えていないごとくである。

 元来が、平和主義(パシフィズム)という言葉には軟弱な印象がつきまとう。とりわけ今は、プーチン・ロシアの非道が際だって、「不正な侵略には、断固戦うべし」という論調が優勢である。この論調に後押しされる形での防衛費増強論が大手を振っている。「我が国だって、凶悪な隣国から、いつ不正な侵略を受けないとも限らない。これに備えた軍備増強なければ、枕を高くして眠れないではないか」。立憲民主党も、威勢のよいこの論調に抗しがたいと考えているのだろうか。

 平和主義者は、今こそ敢然と非戦論を掲げなければならない。軍事的な抑止力論や、軍事的均衡による平和論が、際限のない軍拡競争の負のスパイラルに陥るという歴史的教訓の到達点が「9条」に結実している。「9条の精神」は、「軍備で平和は生まれない」「軍拡は戦争を招く」ことを教えている。

 軍備増強・防衛費増額論には、「断固NO!」の世論を形成したいものと思う。
 

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