澤藤統一郎の憲法日記

改憲阻止の立場で10年間毎日書き続け、その後は時折に掲載しています。

貴重な戦後80年の継続である。けっして、再びの戦前としてはならない。

(2025年8月15日)
 戦後80年目の8月15日である。80年前の今日、無謀で無益な戦争がようやく終熄して旧天皇制国家が事実上崩壊した。そして、まったく新たな原理に基づく新生日本が誕生した。「戦前」が終わって「戦後」が始まった、その節目の日。それ以来の80年の年月は、そのまま私の人生の年輪と重なる。

 1945年8月15日以前、この国はまことにいびつな神なる天皇が支配する宗教国家であった。日本国民は、神であり主権者でもある天皇に仕える「臣民」でしかなかった。遙かな昔、天皇の祖先神がそのように決めたからだという無茶苦茶な根拠。維新の藩閥政府は荒唐無稽なカルト天皇教の教理をもって日本国民を洗脳することに成功していた。

 天皇教の経典はいくつも拵えあげられた。その主要なものとして、軍人勅諭・教育勅語・國體の本義・臣民の道などが挙げられる。修身や国史の国定教科書も同類で、全国の訓導が学校で天皇教の布教師となって、子どもたちを洗脳した。

 天皇教の現人神でもあり教組でもあった天皇自身の好戦性著しく、自ら大元帥となって侵略戦争と植民地支配に血道を上げた。神なる天皇が唱導する戦争は聖戦である。聖戦は正義である。正義の聖戦が負けるはずはない。

 こうして天皇の赤子たる臣民は、赤紙一枚で侵略戦争に駆り出され、皇軍の一員として近隣諸国の民衆に諸々の残虐行為を重ねた。天皇教の教義は、徹底した皇国ファーストの排外主義・差別主義でもあった。

 もっとも臣民の100%が洗脳されたわけではない。理性をもって天皇教の洗脳に抗った人には、容赦ない野蛮な弾圧が待ち受けていた。その法的道具が、大逆罪であり、不敬罪であり、治安維持法であり、軍刑法等々であった。天皇は一面、恐怖の神でもあった。

 1945年8月15日、国の内外に夥しい死体の山を積み上げて、血生臭い天皇支配の時代がようやく終わり、戦争の時代から平和の時代へと移行した。同時に、滅私奉公を強いた国家ファーストの時代から個人の尊厳を重んじる時代に。戦争と軍国主義の時代から平和と国際協調の時代に。そして、野蛮な専制の時代から人権と民主主義の時代に、世は確実に遷った。

 この日、日本が受諾を公表したポツダム宣言第6条は、以下のとおりである。
 「我らは、無責任な軍国主義が世界より駆逐されるのでなければ、平和、安全及び司法の新秩序が生じ得ないことを主張しているから、日本国国民を欺瞞して道を誤らせ、世界征服に乗り出させた者の権力及び勢力は、完全に除去されなければならない。」

 「無責任な軍国主義」「日本国国民を欺瞞して道を誤らせ、世界征服に乗り出させた者」とは、臣民を戦争に駆りたてた天皇とその取り巻きの軍部や政治勢力のこと以外にはあり得ない。ポツダム宣言は、これを「完全に除去されなければならない」と言い、日本はこれを受諾しているのだ。

 だから、1945年8月15日は、朝鮮・中国の人々にとってだけでなく、日本の民衆にとっても慶賀すべき臣民からの解放の祝日なのだ。ただし、当然のことながら、目出度いと言えるのは、この戦争で生き残った人だけのこと。駆り出されて侵略に加担した者ではあっても、その戦没の悲劇は直視しなければならない。

 産経新聞の報道によると、自民党の保守系グループ「伝統と創造の会」(会長・稲田朋美元防衛相)が終戦の日の本日、東京・九段の靖国神社を参拝した。「伝統と創造の会」とは、察するところ「歴史修正主義の伝統」と「新たな戦前の創造」の意であろう。

 その稲田は参拝後、記者団の取材に応じ、「前途ある青年たちの命の積み重ねの上に、今の豊かな繁栄する日本がある」「命をかけて、命をささげて家族や地域、国を守ろうとした英霊の皆さんに感謝と敬意を表することができない国というのは、国を守れない」「いろいろな考え方があるが、やはり戦後レジームの脱却の中核は東京裁判史観の克服だ」などと語っている。そりゃオカシイ。

 「命をかけて家族や地域、国を守ろうとした英霊の皆さん」の働きのお陰で、平和と民主主義の時代が開けたのではない。彼らが考えた方法では、何も守ることはできなかった。彼らに表すべきは、「感謝と敬意」ではなく、その義性の痛みへの共感でなくてはならない。

 あの大戦は、我が国未曾有の大事件であった。しかし、この国は、国として、この上ない惨禍をもたらしたあの戦争の原因も、責任の所在も、明らかにすることなく今日に至っている。だから、未だに戦犯(裕仁)の孫が、自分には何の責任もないごとくに「さきの大戦においてかけがえのない命を失った数多くの人々とその遺族を思い、深い悲しみを新たにいたします」などと原稿を読んでいる。もちろん、加害責任への言及はない。80年前、変わったはずのものが未だにこの程度か、という落胆は避けがたい。

 しかし、国民の戦争を忌避する意識は強い。我が国は戦後80年を戦争をせずに過ごしてきた。不戦を誓った「平和憲法」は、一字一句も改定されることなく無傷のままである。日本の将来に、希望と自信をもとう。戦後80年は、私自身の人生でもあるのだから。

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