三陸の沿岸漁民が、岩手県知事(達増拓也)を相手に起こした「サケ刺網漁不許可処分取消請求訴訟」。その控訴審が、そろそろ大詰めである。公平に見て、法廷の議論では漁民の側が圧倒的に優勢である。岩手県知事側の焦りからか、本日(5月31日)の法廷では、看過できない被控訴人準備書面の記述が問題となった。
裁判官が入廷して驚いた。3人の裁判官のうち、裁判長と左陪席が交替していた。明らかに、従前の訴訟の流れが途切れ法廷の雰囲気が変わった。年度末の交替ではなく、5月10日に新任裁判長の着任だという。
本日予定の各主張は、被控訴人(県知事)側第3準備書面と、控訴人(漁民)らの反論を述べた準備書面(6)。裁判長が、型どおりに「被控訴人、第3準備書面をしますか」と発言したのを、控訴人代理人が遮った。「まず、控訴人代理人の意見陳述をさせていただきたい。被控訴人第3準備書面の中には、陳述すべきでない記述がある。そのことについての意見も述べたい」。
以下が、控訴人ら代理人の弁護士澤藤大河が意見陳述である。
控訴人ら代理人の澤藤大河から、以下の3点について、口頭で意見を申し上げます。
第1点は、本日陳述の控訴人準備書面(6)の内容の要約です。
第2点は、本件の進行についての意見。
そして、第3点が被控訴人第3準備書面の一部主張についての削除の要請です。
第1点。この間の主張の応酬によって、本件の争点が明確になってまいりました。
本日陳述の控訴人準備書面(6)の主要な内容は、「水産業協同組合法4条の理解に関して」と表題したものですが、その論述が訴訟の全体像の中で占める位置をご理解ください。
控訴人らの本件サケ刺し網漁許可申請を不許可とする要件は、2点に限られます。
その第1が「漁業調整の必要」であり、
第2が「資源の保護培養の必要」です。
この2要件が積極的に認定されない限り、申請に対しては許可がなされなければなりません。
とりわけ、「漁業調整の必要」の有無こそが本件での最重要の争点です。つまりは、サケ漁の漁利の配分をめぐる利害の調整はいかにあるベきかということが問題なのです。具体的には、岩手県内82ケ統の大規模定置網漁業者と、控訴人ら小型漁船漁業者との間のサケ漁の漁獲配分をめぐる利害の調整を意味します。《巨額の資本を有する大規模漁法の経営者》と、《一艘の小型船舶だけで操業する零細漁民》の間の、サケ漁をめぐる経済的利益の配分についての利害の調整です。
現状は、大規模定置網漁業者がサケ漁の漁獲を独占しています。もちろん各定置網に漁獲量の制限などありません。これに対して、固定式刺し網漁希望の漁民は一匹のサケも獲ってはならないとされています。獲れば最高刑6月の懲役というのです。極端な不公平・不平等。一見明白といって差し支えない、この不合理な現状を変更して、新たな漁業秩序形成の調整が必要なのです。
問題は、この82ケ統の定置網中に漁協単独経営の定置網が46ケ統、漁協・個人共同経営のものが10ケ統あることです。漁協は公益性が高いから、他の個人や会社形態の定置網漁業者はともかく、漁協の自営定置についてだけは、その漁獲量を確保するために、漁民のサケ刺し網は禁止されてもやむを得ないのだろうか。そんな疑問に徹底して詳細に反論したのが、準備書面(6)の主たる内容です。
結論から言えば、漁協の利益のために、漁民が要望するサケ刺し網漁の許可を禁止すべき正当性はまったくあり得ません。
漁協とは漁民の漁業経営に直接奉仕するための存在です。その漁協が、漁民と競合する漁業を経営して組合員の漁業経営を圧迫する、あるいは漁民が希望する漁業を禁じて漁協が漁業を自営するなどの事態は、明らかに漁協設立の目的を逸脱するものです。水協法4条は、漁協の目的を「組合員のために直接の奉仕をすること」と定めています。水協法11条は、漁協が行うことができる事業を限定列挙していますが、もちろん、そのなかに漁業の自営ははいっていません。本来、漁協が漁民と競合する事業を行うことは想定されていないのです。仮に、漁民と漁協が、競合する漁業において利害衝突した場合には、譲るべきは漁協であって、漁民ではありません。漁民あっての漁協であって、漁協あっての漁民ではないからです。
結局、漁協の自営定置漁の漁獲に支障を生じるおそれがあることを理由に、「漁業調整の必要有り」としてサケ刺し網の申請を不許可にすることは、違法と言わざるを得ません。
☆第2点。進行についての意見です。控訴人としては、既に当審で控訴理由書と6通の準備書面を提出し、主張の応酬は一応完結したものと考えています。
現時点まで明確になった論点について、鑑定人的証人として二平章氏、そして控訴人本人の一人を人証として採用をお願いします。既に、各陳述書を提出済みです。証拠調べ後に、最終準備書面を提出して結審とする進行を考えています。
なお、前回、裁判所から控訴人らに、主張補充の必要性の有無について意見を求められていた、岩手沿岸漁民が置かれている経済事情や、漁業の実態についての最新事情については、2018年漁業センサスが現在集計中です。その「概数値」発表は本年8月末、「確定値」については12月末と予定されています。おそらく最終準備書面作成時には、その成果を援用しての主張が可能かと思いますが、主張補充のために、特に漁業センサスの発表を待つ必要はないものと考えています。
☆第3点。被控訴人第3準備書面の不適切な一部主張について、被控訴人に当該部分の削除を求め、裁判所には、被控訴人に対する削除の勧告を要請いたします。
被控訴人は、第3準備書面の「第3・6項」において恐るべきことを述べています。
控訴人らの内の、かつてサケの混獲を認めた時代があったと陳述した者を指して、「このような者は遵法精神を欠き『漁業に関する法令を遵守する精神を著しく欠く者(岩手県漁業調整規則24条)』にあたるので、サケ刺網規制の当否以前の問題として、固定式刺網漁業の許可はできない(同規則23条)というべきである。」というのです。これは、「サケ刺網の許可を与えない」というだけでなく、サケを除いては現在許可されている「固定式刺し網漁の許可もしない」、「許可の取り消し」もありうるという威嚇であり恫喝にほかなりません。
もちろん、県であろうと知事であろうと、あるいは国であろうとも、法廷では一当事者に過ぎませんから、岩手県知事が法廷で精一杯その主張を尽くすこと自体になんの異議もありません。しかし、被控訴人は公権力の担い手でもあります。訴訟上の攻撃防御の必要を超えて、相手方当事者にその権限を笠に着た不利益の予告は、明らかに節度を超えた公権力の作用としての威嚇であり恫喝と指摘せざるを得ません。
漁業で生計を立てている漁民にとって、知事は許可漁業における許可・不許可権者ですから、その限りでは生殺与奪の権を握っている権力者と言って過言ではありません。その知事が、特定の控訴人の名を具体的に挙げて、控訴人らの生計を支えている漁業について、「許可を与えない」「許可を取り消す」と言っているのです。しかもこれは、訴訟上の攻撃防御になんの必要もありません。無意味、かつ有害な主張なのです。その言動の重大性を知事は認識しければなりません。
これは、漁民の切実なサケ刺し網漁許可を求める運動への萎縮を狙った、岩手県政の恫喝として到底看過し得ません。県民に対する福祉を増進すべき立場にある県知事が述べるべき言葉ではありません。
被控訴人第3準備書面「第3・6項」(9頁)の、末尾9行の記述を削除されるよう強く求めます。
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被控訴人第3準備書面「第3・6項」の全文が次のとおり。
6 控訴人は「事実上容認されていた刺網による混獲が、1990年頃(平成2年)から厳しく規制されるようになった」とか、「それまで容認されていた混獲が突然厳しく規制されることになった」などと主張するが(第5準備書面21頁)、事実に反する。刺網によるサケの採捕については、原審で詳細に説明したとおり(乙9等)、本県ではサケ刺網漁業を許可したことはなく、「事実上容認した」とか「混獲を容認した」ことも全くない。控訴人は、「1990年頃(平成2年)から厳しく規制されるようになった」と述べるが。正しい事実は、平成2年に気仙地区の漁船漁業者が県の規制に違反し、それ以前から禁止されていた「刺網でのサケ漁獲」を(混獲名目で)行い水揚げを強行する事件が発生したため、刺網漁業自体の操業を一定期間禁止し、漁具を規制する等の措置をとったというものである(乙9・4頁)。控訴人A(原文は実名)によれば、平成2年の事件以前から刺網にかかったサケを市場に運ぷ際白トラックを抑えられた(販売したくてもできなかった)ことがあったとか、一斉水揚げの10年ぐらい前、1980年代初頤から問題が起きていた(検挙等を受けることがあったと述べていると解される)、混獲で水揚げしたものが検挙される例が相次ぎ、流通・販売段階での規制が日増しに強くなっていた、などと述べており(甲16・9頁)、それらに照らしても、控訴人ら(の多く)は、平成2年以前から固定式刺網漁業ではサケを採捕してはならない(許可の制限又は条件となっている)ことを認識していた(その上で当時から当該規制に不満を持っていた)ことが窺える。
控訴人Bも「規制がそれほど厳しくなかった時期の前例からすれば、サケ刺網を実施できれば、それだけで年収800万円ぐらいが期待できる」と述べており(甲17・4頁)、過去に(混獲名目で)刺網によりサケを採捕して多額の収入を得ていた(者がいた)ことを認めている。
このような控訴人らの陳述と上記の「平成2年以前は容認されていた」との主張を併せて考えれば、当時から操業していた控訴人らの中には、規制があることを知りながら、摘発が厳しくないことなどに藉口して「事実上容認されている」との勝手な認識を抱き刺網でサヶを採捕(混獲を含め)し水揚げをしていた者がいることが窺われる。このような者は遵法精神を欠き「漁業に関する法令を遵守する精神を著しく欠く者(岩手県漁業調整規則24条)」にあたるので、サケ刺網規制の当否以前の問題として、固定式刺網漁業の許可はできない(同規則23条)というべきである。
上記の末尾(赤字イタリック)が、削除を求める部分である。
私は、被控訴人代理人は削除要求に同意するだろうと思っていた。訴訟の場でこんなことを言ってなんの得にもならない。しかも、これは岩手県知事の言としてあるべきものではない。明らかに、知事の政治的な責任が論じられるべき内容なのだ。漁民の切実な要求に「事情があって応じられない」というのならともかく、居丈高に運動参加の漁民を敵視して、「漁業に関する法令を遵守する精神を著しく欠く者」と決めつけたのだ。述べる必要のない余計なこと、「(現状では許可されている、サケ以外の)固定式刺網漁業の許可さえできない」を言って挑発したのだ。
ところが、県の代理人弁護士は「削除の意思はありません。陳述します」と言ってしまった。控訴人代人両名こもごもの申し入れにも拘わらず、積極的に削除勧告をしようとしない裁判所の姿勢に意を得たごとくに、である。漁民としては、知事の責任を追及する覚悟を固めなければならない。知事も責任を覚悟しなければならない。
達増拓也岩手県知事に問いたい。
県の方針に異議を申し立てる者は県政の敵なのか。
零細漁民の切実な要求に、何故かくまでに耳を塞ごうというのか。
漁民の生計防衛の自主的な運動をかくまで敵視するのは、いったいいかなる理由に基づくものなのか。
岩手県政には、漁民に寄り添おうという姿勢はないのか。零細漁民は県民とは思っていないのか。
30年前のことを持ち出して、「遵法精神なき者」と本当に考えているのか。
「固定式刺網漁業の許可さえできない」は、県の方針なのか。
県民の支持を得て知事の座にある者が、どうしてかくも県民に無慈悲な言葉を発せられるのか。
きちんと回答されたい。
(2019年5月31日)
間近に迫った参院選の野党共闘態勢が成立した。けっして、確固たるものとは言い難く、安心して見ていられるものでもないが、ようやく形ができ上がったたことを歓迎したい。あとは、この形にどう魂を吹き込むかが課題となる。
昨日(5月29日)、市民連合と5野党・会派が「共通政策」に合意した。形式は、市民連合の要望13項目に、5野党・1会派の代表が、「上記要望を受け止め、参議院選挙勝利に向けて、ともに全力で闘います」として、署名したものである。まずは、この内容に目を通していただきたい。
市民連合の要望書
来る参議院選挙において、以下の政策を掲げ、その実現に努めるよう要望します。
だれもが自分らしく暮らせる明日へ
1 安倍政権が進めようとしている憲法「改定」とりわけ第9条「改定」に反対し、改憲発議そのものをさせないために全力を尽くすこと。
2 安保法制、共謀罪法など安倍政権が成立させた立憲主義に反する諸法律を廃止すること。
3 膨張する防衛予算、防衛装備について憲法9条の理念に照らして精査し、国民生活の安全という観点から他の政策の財源に振り向けること。
4 沖縄県名護市辺野古における新基地建設を直ちに中止し、環境の回復を行うこと。さらに、普天間基地の早期返還を実現し、撤去を進めること。日米地位協定を改定し、沖縄県民の人権を守ること。また、国の補助金を使った沖縄県下の自治体に対する操作、分断を止めること。
5 東アジアにおける平和の創出と非核化の推進のために努力し、日朝平壌宣言に基づき北朝鮮との国交正常化、拉致問題解決、核・ミサイル開発阻止に向けた対話を再開すること。
6 福島第一原発事故の検証や、実効性のある避難計画の策定、地元合意などのないままの原発再稼働を認めず、再生可能エネルギーを中心とした新しいエネルギー政策の確立と地域社会再生により、原発ゼロ実現を目指すこと。
7 毎月勤労統計調査の虚偽など、行政における情報の操作、捏造(ねつぞう)の全体像を究明するとともに、高度プロフェッショナル制度など虚偽のデータに基づいて作られた法律を廃止すること。
8 2019年10月に予定されている消費税率引き上げを中止し、所得、資産、法人の各分野における総合的な税制の公平化を図ること。
9 この国のすべての子ども、若者が、健やかに育ち、学び、働くことを可能とするための保育、教育、雇用に関する予算を飛躍的に拡充すること。
10 地域間の大きな格差を是正しつつ最低賃金「1500円」を目指し、8時間働けば暮らせる働くルールを実現し、生活を底上げする経済、社会保障政策を確立し、貧困・格差を解消すること。また、これから家族を形成しようとする若い人々が安心して生活できるように公営住宅を拡充すること。
11 LGBTsに対する差別解消施策、女性に対する雇用差別や賃金格差を撤廃し、選択的夫婦別姓や議員間男女同数化(パリテ)を実現すること。
12 森友学園・加計学園及び南スーダン日報隠蔽(いんぺい)の疑惑を徹底究明し、透明性が高く公平な行政を確立すること。幹部公務員の人事に対する内閣の関与の仕方を点検し、内閣人事局の在り方を再検討すること。
13 国民の知る権利を確保するという観点から、報道の自由を徹底するため、放送事業者の監督を総務省から切り離し、独立行政委員会で行う新たな放送法制を構築すること。
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私たちは、以上の政策実現のために、参議院選挙での野党勝利に向けて、各党とともに全力で闘います。
安保法制の廃止と立憲主義の回復を求める市民連合
上記要望を受け止め、参議院選挙勝利に向けて、ともに全力で闘います。
立憲民主党代表 枝野幸男
国民民主党代表 玉木雄一郎
日本共産党委員長 志位和夫
社会民主党党首 又市征治
社会保障を立て直す国民会議代表 野田佳彦
この政策協定を手放しで満点というつもりはない。しかし、ここまでの合意をまとめ上げた関係者の努力には敬意の表明を惜しまない。
なんと言っても、今回の参院選には、日本国憲法の命運がかかっている。「改憲阻止選挙」でなくてはならない。自公維の改憲勢力に、改憲阻止の野党共闘が対峙する構図がつくられなければならない。いま、その形ができたのだ。
「改憲阻止」「改憲発議阻止」「安保法制廃止」「防衛予算削減」「辺野古新基地建設中止」そして、「原発再稼働反対」「消費増税中止」がきちんとはいっている。
念のためテーマを羅列すれば、下記のとおり、アベ政治と対決する政策が網羅的に並んでいる。
「改憲阻止」「改憲発議阻止」「安保法制廃止」「共謀罪法制廃止」「防衛装備膨張見直し」「防衛予算削減」「辺野古新基地建設中止」「環境の回復」「普天間早期返還」「日米地位協定改定」「沖縄県民の人権を守れ」「国の沖縄県下自治体への地方自治権侵害をやめよ」「東アジアにおける平和の創出と非核化」「北朝鮮との国交正常化」「拉致問題解決」「核・ミサイル開発阻止に向けた対話を再開」「現状での原発再稼働を認めない」「再生エネルギーへの転換による原発ゼロ実現」「行政における情報の操作、捏造の究明」「関連法の廃止」「消費税率引き上げを中止」「総合的な税制の公平化」「保育、教育、雇用に関する予算の飛躍的拡充」「最低賃金1500円を目指す」「8時間働けば暮らせる働くルールの実現」「貧困・格差の解消」「公営住宅拡充」「LGBTsに対する差別解消施策」「女性に対する雇用差別賃金格差撤廃」「選択的夫婦別姓・議員間男女同数化(パリテ)実現」「森友学園・加計学園及び南スーダン日報隠蔽の疑惑を徹底究明」「透明・公正な行政の確立「内閣人事局の在り方を再検討」「放送事業者の監督を総務省から切り離し、独立行政委員会で行う新たな放送法制を構築する」。
この政策協定成立と同時に、新たに19の参院選1人区で野党統一候補を擁立することの合意もできた。これで、全国32ある参院選1人区のうち合計30選挙区で、野党統一候補を擁立することでの合意に至ったことになる。合意に至らずに残されたのは、国民と社民党が競合する鹿児島と、擁立作業が進んでいない宮崎の2県のみ。30選挙区の公認予定者の内訳は、無所属14、立憲7、国民民主5、共産3。なお、佐賀は国民が擁立作業中という。
もっとも、この文書の性格について全党が一致というわけではなさそうである。しかし、各党の代表者が、「上記要望を受け止め、参議院選挙勝利に向けて、ともに全力で闘います」との文言を承認して、署名をしたのだ。その上での各選挙区での候補者調整である。それだけの重みは否定し得ない。そもそも、政党間の政策協定とは、法的拘束力をもつ契約書ではない。政治的、道義的なものだ。後は、反アベ・反自公の改憲阻止勢力糾合を確かなものとする努力を積み上げていくしかない。
当然に、右派勢力はこれにケチをつけようとする。たとえば、産経。「参院選候補者一本化も野党はや不協和音」という見出しでの報道。
「野党党首らは会談後、野党共闘を支援する『安保法制の廃止と立憲主義の回復を求める市民連合』の代表者らと国会内で会い、『憲法9条「改定」反対』など左派色の強い13項目にわたる政策要望書にサインした。」
「共産党の志位和夫委員長はその後の記者会見で『市民と野党の共通政策として調印された。野党共闘の政策的な旗印が鮮明に翻った』と歓迎。要望書で示された政策を参院選の『共通公約』と位置づけた。」
「これに対し、国民民主党の幹部は『要望書を受け取ったことを示すためにサインしただけだ。共通公約ではない』と真っ向から否定した。」
との記事。「国民民主党の幹部」とは、まさか玉木代表ではあるまい。「要望書を受け取ったことを示すためにサインしただけだ。」は、誓約文言の内容に照らして、明らかにおかしい。しかし、要は「真面目に共闘に参加せず、こんな後ろ向きなことを言っていれば置き去りにされる」と、「国民民主党の幹部」にも思わせるだけの空気を作れるか否かなのだ。
朝日の報道は前向きである。「立憲の枝野幸男代表は会談後、「候補者の一本化はスタートラインだ。地域事情に応じて、各党とも最大限の努力をする」。国民の玉木雄一郎代表も「応援態勢を一つにして当選につなげる」と述べ、野党間の協力態勢の構築が必要だとの認識を示した。」としている。
また、朝日は、「改選数1の1人区で、野党は6年前に2勝29敗と惨敗。全選挙区で候補者を一本化した3年前は11勝21敗と持ち直した。複数区のように与党と議席を分け合うことがないため、野党は「1人区の趨勢(すうせい)が参院選の勝敗に大きく影響する」(立憲の福山哲郎幹事長)と重視してきた。国民幹部は「前回の11勝が最低目標だ」と語る。」
さらに朝日は、「5月の連休明けを目指した一本化の決着は大幅にずれ込んだ。さらに6年前に大敗した影響で、野党の現職の立候補予定者は国民の1人のみ。野党内では『新顔は地域への浸透に時間がかかる。一本化は遅すぎた』(閣僚経験者)との懸念が出ている。」とも報じている。なるほどそうかも知れない。
日本国憲法の命運を決する選挙戦、ここからスタートである。
(2019年5月30日)
どこの国にも国旗がある。日本には「日章旗」、韓国は「太極旗」、北朝鮮は「共和国旗」である。台湾は「青天白日旗」を国旗として、「五星紅旗」に対抗している。
国家は、その象徴として国旗を制定する。国家という抽象物は目に見えないが、国家を象徴する国旗は、国民の目の前で翻ってみせる。国民の目の前で翻る国旗は、国民のナショナリズムを刺激する。おなじ旗に集う者として国民を束ね、束ねた国民を国家に結びつけるよう作用する。
国家(より正確には国家を掌握している権力者)は、より強い国民の国家統合を求めて、国民に対して「国旗を尊重せよ」「国旗に敬意を表明せよ」と要求する。国家への忠誠を国旗に対する態度で示せということなのだ。場合によっては、国旗への敬意表明が国民の法的義務となる。わざわざ法的義務としなくても、国民多数派の社会的同調圧力が、全国民に国旗尊重を事実上強いることになる。
全国民が、無理なく受け入れられる国旗をどうデザインするかは難しい。東京朝鮮中高級学校のホームページを開くと、まず目に飛び込んでくるのは、「統一旗」である。在日の皆さんが求める国家的アイデンテティをよく表している。かつての枢軸3国の内、ドイツもイタリアも敗戦後の再出発にあたっては、国旗を変えた。国家が生まれ変わったのだから、国旗も国歌も変えるのが当然なのだ。しかし、日本だけが旧態依然である。あの神権天皇制の日本。侵略戦争と植民地支配に狂奔した軍国主義日本と、あまりにも深く一体化した旗と歌とが今なおそのまま国旗となり国歌となっている。
天皇代替わりの今、あらためて、敗戦と日本国憲法制定にもかかわらず、この国の変わり方が不徹底であったことを噛みしめざるを得ない。多くの国民が、天皇の戦争責任追及をしなかった。自らの侵略戦争や植民地支配への加害責任の自覚が足りない。旧体制を支えた天皇の権威への盲従に、反省がまことに不十分なのだ。そのことが、歴史修正主義者を跋扈させ、今日に至るも近隣諸国に対する戦後補償問題が未解決な根本原因となっている。
学校での「日の丸・君が代」強制も、主には歴史認識問題である。旧体制批判に自覚的な教員の多くが、「日の丸・君が代」強制に抵抗してきた。
「日の丸・君が代」は、あまりに深く旧体制と結びついた歴史をもつ。天皇主権・天皇の神格化・富国強兵・滅私奉公・軍国主義、そして侵略戦争と植民地支配である。「日の丸に向かって起立し、君が代を唱え」と強制することは、新憲法で否定されたはずの旧価値観を押し付けることではないか。一人ひとりの思想・良心の自由を蹂躙して、国家が良しとする秩序を優先することは受容しがたい。それが、圧倒的な教員の思いであった。
しかし、国は徐々に「日の丸・君が代」強制強化に布石を打っていった。文部省は1989年に「学習指導要領」を改訂し、従前は「指導することが望ましい」とされていた表記を、「入学式や卒業式などにおいては,その意義を踏まえ,国旗を掲揚するとともに,国歌を斉唱するよう指導するものとする。」とあらためた。さらに1999年8月には、国旗国歌法を制定して「日の丸・君が代」を国旗・国歌とした。
こうして、制度が整うと、強制の徹底を買って出る自治体が現れる。まずは、石原慎太郎都制下の東京都教育委員会が、2003年10月に、悪名高い「10・23通達」を発出した。以来、都内の公立学校では、式のたびに全教職員への起立斉唱の職務命令が発せられ、不起立の職員には懲戒処分が強行されることになった。今日まで、戒告・減給・停職の処分が延べ480名余に強行されてきた。これに関連するいくつもの訴訟が提起され、最高裁判決も積み重ねられている。
残念ながら、教員側は、最高裁で「いかなる処分も違憲」という判決を獲得し得ていない。しかし、最高裁は、戒告を超えて減給以上の実質的な不利益を伴う重い処分量定は苛酷に過ぎ、懲戒権の逸脱濫用にあたるとして、都教委の暴走に歯止めを掛けてきた。
今回、3月28日に最高裁は、都教委の上告受理申立を不受理として、現役教員の4回目・5回目の不起立に対する各減給処分(いずれも減給10分の1・1月)を違法とする原判決を容認した。不起立回数に関わりなく、君が代・不起立の処分は戒告にとどまることになった。
「日の丸・君が代」強制反対訴訟は、まだまだ続く。この訴訟と支援の運動は、児童・生徒のために自由闊達で自主的な教育を取り戻すための闘いとともにある。本来が、教育とは、国家の強制や政権の思惑からは独立した自由なものでなくてはならない。教育への公権力の介入を象徴するこの訴訟への関心と、ご支援を心からお願いしたい。
(日朝協会機関誌「日本と朝鮮」東京版・2019年6月号掲載)
(2019年5月29日)
はじめに
自由民主党や日本維新の会などは、継続審議となっている「日本国憲法の改正手続きに関する法律」(以下「改憲手続法」という。)改正案の今国会成立を狙い、衆議院憲法審査会での審議・採決を強行する構えを崩していない。自民党は夏の参議院選の公約に自衛隊明記の9条改憲案など4項目の改憲案を列記し「早期の憲法改正を目指す」こと、継続審議となっている改憲手続法の早期成立を目指すことを明記する調整を進めていると報道されている。
改憲問題対策法律家6団体連絡会は、自民党4項目改憲案に強く反対し、改憲手続法改正案の採決と現時点の衆参両院の憲法審査会の開催に断固として反対するものである。
1 安倍自民党による改憲発議を許してはならない―自民党9条改憲案は9条2項を空文化させて海外での戦争を可能にする
自民党9条改憲案は、「前条の規定は、わが国の平和と独立を守り、国及び国民の安全を保つために必要な自衛の措置をとることを妨げず、そのための実力組織として、法律の定めるところにより、内閣の首長たる内閣総理大臣を最高の指揮監督者とする自衛隊を保持する。…」とするもので、明らかに憲法9条2項の空文化を狙うものである。「必要な自衛の措置」の名目でフルスペックの集団的自衛権の行使が憲法上可能となり、憲法の平和主義の原理を葬り、アメリカ軍の指揮の下で何時でもどこでも海外で戦争ができる国へ転換を図るものである。これらの本質を隠し、「自衛隊の任務・権限は変わらない」などと国民を欺き、安倍首相の主導のもと数の力で9条の改憲発議を行う暴挙を許してはならない。
また、自民党の緊急事態条項に関する改憲案は、軍事的な緊急事態における内閣の権限拡大と人権の大幅な制限に利用される危険性がある。大地震などの自然災害に対応するためであれば、すでに災害対策基本法や大規模地震対策特別措置法などによって規定されており、緊急事態条項に関する改憲の必要性はない。
合区解消の改憲案は、憲法の基本原理である国民主権や普遍的価値を有する平等原則を著しく損なうものである。合区にかかわる問題の解消は、議員の総定数の見直しや選挙制度の抜本的な改革など法律改正で実現できるのであり、改憲は必要ない。
自民党の教育に関する改憲案は、教育が「国の未来を切り拓く上で極めて重要な役割を担う」として教育への国家介入を正当化する危険がある。教育の充実は、国会と内閣がその気になれば、法律や予算措置で可能であり、改憲は必要ない。
以上のとおり、自民党の4項目改憲案は、いずれも改憲の必要性・合理性を欠くうえに、日本国憲法の基本原理である平和主義、国民主権、基本的人権の尊重を破壊するものであり、安倍自民党による改憲発議を断じて許してはならない。
2 国民不在のまま、安倍自民党改憲のための憲法審査会を開催してはならない
安倍首相は、内閣総理大臣の資格に基づいて憲法改正を推進する主張を繰り返している。「憲法尊重擁護義務」(憲法99条)を負う首相や国会議員が改憲を主導することは憲法に違反する。憲法改正は、国民の中から憲法改正を求める意見が大きく発せられ、世論が成熟した場合に限り行われるべきものである。今、国民の中で改憲を望むのは少数であり世論は全く熟していない。
憲法によって公権力を制約し、国民の権利・自由を保障するのが立憲主義である。憲法に拘束される権力の側が、国民を差し置いて憲法改正を声高に叫び、発議に向けた憲法審査会の開催を「ワイルド」に野党に迫るようなときは、憲法審査会が安倍自民党4項目改憲のために悪用されることを十分に警戒しなければならない。立憲主義を守るために憲法審査会を開催してはならない。
また、安倍首相は2020年に新しい憲法を施行すると明言して改憲ありきの立場であり、これまでの政府与党の政治手法に鑑みれば、現時点で憲法審査会を開催した場合、事実に基づく慎重な議論が行われることは期待できず、強引な議論で多数派の要望のみが実現される危険性が極めて高い。憲法審査会の伝統たる「熟議による合意形成」を尊重するのであれば、事実に基づく議論が期待できない現在の政治状況において、憲法審査会を開催すべきではない。
3 改憲手続法改正案は重大な欠陥があり、このまま成立させてはならない
継続審議となっている与党提出の改憲手続法改正案は、名簿の閲覧、在外名簿の登録、共通投票所、期日前投票、洋上投票、繰り延べ投票、投票所への同伴の7項目で、2016年に成立した公職選挙法改正の内容にそろえて国民「投票環境を向上させる」ためなどと与党は説明する。しかし、投票環境の後退を招くもの(期日前投票時間の短縮、繰り延べ投票期日の告示期限の短縮)も含まれていたり、郵便投票の対象の拡大については見送りとされている。何より、テレビ・ラジオの有料広告規制が、投票前2週間の投票運動のみに限定されていて、「国民投票を金で買う」危険性が考慮されていない本質的な欠陥があるほか、公務員・教育者に対する規制の問題、最低投票率の問題が全く解決されていない重大な欠陥のある法案である。
2007年5月の成立時において参議院で18項目の附帯決議、2014年6月の一部改正の際にも衆議院憲法審査会で7項目、参議院憲法審査会で20項目もの改善を約束した附帯決議がなされているほか、日本弁護士連合会をはじめとする法律家・法律家団体からも早急な見直しが求められている。このように重大な欠陥のある法案を急ぎ成立させる理由は全くない。それは、安倍首相が目指す臨時国会での改憲4項目発議の環境を整えるものでしかない。
以上
2019年5月27日
改憲問題対策法律家6団体連絡会
社会文化法律センター ? 共同代表理事 宮里 邦雄
自 由 法 曹 団 ?? 団 長 船尾 徹
青年法律家協会弁護士学者合同部会 議 長 北村 栄
日本国際法律家協会 会 長 大熊 政一
日本反核法律家協会 会 長 佐々木猛也
日本民主法律家協会 理 事 長 右崎 正博
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日本民主法律家協会からのお知らせとお願いです。
☆昨日(5月27日)、改憲問題対策法律家6団体連絡会は、「与党提出の改憲手続法改正案採決と衆参憲法審査会の開催に、断固反対する法律家団体の緊急声明」を発出し、官邸、衆参憲法審査会委員全員、各政党、メディア等に送付して執行しました。
本日(5月28日)午前中行われる憲法審査会幹事会までに送り、立憲野党を励ます目的としてのものです。
☆また昨日、「法と民主主義」5月号を発刊しました。特集は「いま、ジャーナリズムを問う―本当に伝えるべきことは何か」。
各分野から、いまのジャーナリズムのあり方を批判的視点で論じています。
さらに、4月22日の院内集会「安倍政権と取材の自由」における東京新聞・望月衣塑子記者の講演とパネルディスカッションなど、興味深い記事が今月号も満載です。
特集★いま、ジャーナリズムを問う── 本当に伝えるべきことは何か
◆特集企画にあたって … 編集委員会・丸山重威
◆災害と報道 … 礒野弥生
◆自衛隊タックシール問題について … 藤井美保
◆原発と五輪プロパガンダ … 中村梧郎
◆沖縄の民意が問い掛けるもの … 西江昭吾
◆消費税は社会保障を削る… 浦野広明
◆統計不正疑惑── 揺らぐ日本の統計 … 岡田俊明
◆「徴用工」「慰安婦」問題と歴史認識の課題 … 石山久男
◆公文書は誰のものか?── 一連の公文書問題から考える… 榎澤幸広
◆不正と虚飾の東京五輪 … 喜久山大貴
◆突出する軍事費と2019年度予算の特徴 … 熊澤通夫
◆象徴天皇制を論じたか── 仕組まれた「代替わりフィーバー」 … 丸山重威
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■連続企画●憲法9条実現のために〈22〉
安倍政権と取材の自由── ──官邸による取材の自由と国民の知る権利への侵害を跳ね飛ばす院内集会
(改憲問題対策法律家6団体連絡会主催・院内集会より)
◆民主主義とは何か── 安倍政権とメディア … 望月衣塑子
◆パネルディスカッション … 梓澤和幸/永田浩三/望月衣塑子/清水雅彦
◆司法をめぐる動き
・「ネトウヨ」化する裁判所 元朝日新聞記者・植村隆名誉毀損訴訟 … 穂積 剛
・4月の動き … 司法制度委員会
◆メディアウオッチ2019●《メディアは誰のものか》
「アベノ・メディア作り」止まらず 自民党は対若者戦略 … 丸山重威
◆あなたとランチを〈№45〉
みんなに頼りにされて … ランチメイト・尾林芳匡先生×佐藤むつみ
◆改憲動向レポート〈№14〉
「改憲論議は国会議員の責務」といった発言を繰り返す安倍首相 … 飯島滋明
◆インフォメーション
◆時評●「人質司法」は解消されるか … 村井敏邦
◆ひろば●深刻な危機──安倍政権の破綻政策 … 南 典男
ぜひお読みいただき、広げて下さい。
以上を反映してホームページを更新しましたので、こちらもお目をお通し下さい。
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https://www.jdla.jp/houmin/
(2019年5月28日)
トランプが日本列島に不快な熱波を運んできた。暑苦しくて寝苦しくて鬱陶しくて、不愉快極まりない。
私は、長くアメリカの民主主義の伝統には、深甚の敬意を惜しまなかった。さまざまの欠点はあっても、学ぶべきところの多い国。近年その敬意は次第にしぼんではきたものの、オバマの時代まではかろうじて持ちこたえた。が、トランプの出現によって、アメリカに対する敬意はまったく消え失せた。こんな、知性を欠いた、自分勝手で粗暴な男が、世界の大国の大統領だという。危険極まりない。
日本はアベ。アメリカはトランプ。兄たりがたく、弟たりがたし。民主主義そのものに、懐疑的とならざるを得ない。
一昨日(5月25日)、江川昭子さんが「明日の国技館、せめて心ある相撲ファンの方による、短くていいから、力強い『Boo!』の一声が出るように祈りたい。」とツィートして、話題になっている。アベご一統は別にして、心ある人なら皆同じ思いだろう。
とは言え、レイシストでも粗暴でも国賓ではある。大国の現職大統領には違いない。それなりに、応接しなければならないという意見もあろう。その際には、面従腹背で行くしかない。たとえば、次のようにご挨拶を。
この度、アメリカ合衆国大統領ドナルド・トランプ閣下が、令夫人と共に、我が国を御訪問になりましたことを心から歓迎申し上げます。今宵、大統領御夫妻をこの晩餐会の席にお迎えすることができ、たいへん嬉しく思います。
つらつら思えば、我が国が、鎖国を終えて国際社会に足を踏み出したきっかけは、今から166年前の1853年、貴国の軍艦4隻が浦賀に来航して、いわゆる砲艦外交の威嚇をもって、開国・開港を迫ったからにほかなりません。
300年の平和を満喫していた我が国の民は、サスケハナを旗艦とする4隻の「黒船」の武力を恐れ、貴国をはじめとする世界の列強に屈しました。こうして、まずは翌年の1854年に、貴国との間で日米和親条約を締結し、次いで通商条約を締結しました。それ以来、我が国は、長く列強との不平等条約の撤廃に苦難の道を歩まざるを得ませんでした。
しかし、我が国は貴国から受けた仕打ちを教訓とし、立場を代えて近隣諸国に同様の仕打ちをすることに成功いたしました。こうして、我が国は世界の列強の仲間入りをするまでになりました。
これを快しとされない貴国とは、ついに戦火を交える関係となり、日本にも責任があるとは言え、貴国は日本の各都市に容赦ない空襲を重ねて国民を殺傷し、沖縄地上戦では10数万に及ぶ現地住民の犠牲を余儀なくさせ、さらには広島と長崎に史上初めての原爆投下までされました。
しかし、戦後、日米両国とその国民は、様々な困難を乗り越え、相互理解と信頼を育み、今や太平洋を隔てて接する極めて親しい隣国として、強い親分・子分関係の信頼の絆で結ばれております。
たとえば、一夜にして10万人の焼死者を出した1945年3月10日の東京大空襲。無辜の東京市民を徹底して焼き尽くす計画を練り上げた、カーチス・ルメイ将軍に対して、戦後の日本は最高の名誉ある勲章を差し上げて、その功績をねぎらっています。
日米の友好関係は、今や最高潮に達していると言って過言でありません。その象徴が、沖縄の辺野古新基地建設問題。地元の沖縄県民が、どんなに反対しようとも、日米両政府は固い結束のもと徹底して馬耳東風。いささかの痛痒もなく、動揺もありません。日本国政府が責任をもって貴国の軍事基地建設に余念がないのです。
このような関係を築いて参りました貴国に、私どもは、懐かしさと共に、特別の親しみを感じています。とりわけ、トランプ大統領と安倍首相。ともに、凡庸で国民からの信頼や尊敬とはほど遠い人物でも、現に一国のリーダーが務まるのだという実例をお示しになられて、多くの人たちに希望と親しみを感じさせていらっしゃいます。まことに慶賀なことと存じます。
日本は、今、緑の美しい季節を迎えています。もっとも、大統領御夫妻の御滞在の期間だけが、過去に例のない5月の熱波のようでございます。それでも、おやりになることは、ゴルフと相撲に炉端焼き。お遊びに来られご様子ですから、せいぜい楽しくやってください。
なお、まだ我が国にはカジノはございません。次回お越しの際には、良識ある国民の反対運動を蹴散らして、トランプ大統領に巨額の献金をされているあの業者のカジノができているかも知れません。それをお楽しみに、またぜひお越しください。
では、日米両国における似た者どおしの政権が一日も長からんことを祈念して杯を挙げたく思います。
(2019年5月27日)
昨日(5月25日)、ちきゅう座総会に参加した際に、社会評論社の松田健二さんから「評伝 孫基禎」(寺島善一著)をいただいて、興味深く読んだ。著者の立場は公平である。オリンピックやスポーツだけを切りとるのではなく、日本の朝鮮に対する植民地支配の歴史に目を配っている。それだけに読後感はやはり重い。日本人の朝鮮に対する差別意識の底流が露わになっている今だけに、なおさらである。
著者は、近代オリンピズムの崇高さを強調し、孫と同時代アスリートとの交流を「スポーツで築き上げた友情は、国境を越えていつまでも不変」と讃えている。大島謙吉、オーエンス、ハーパー(英・孫に続いてマラソン2位)らとの交流は確かに感動的なのだが、現実の厳しさの方に圧倒される。
国威発揚のナショナリズム、人種差別、そして商業主義の跋扈というオリンピック事情は、1936年当時も現在も、さして大きな変化はないのではないか。
来年(2020年)の五輪は、歴史修正主義者が首相を務める国の、民族差別主義者が知事の座にある首都で、開催される。本当に、東京五輪開催の積極的意味はあるのだろうか。
プロ・アマを問わずスポーツ隆盛の今、若者たちに訴えたい。かつて理不尽な仕打ちを受けていた朝鮮人アスリートがいたことを。日本が朝鮮を植民地としていたが故の悲劇である。その代表的な人物が、孫基禎なのだ。
孫基禎(ソン・キジョ)、1919年8月の生まれ。当時、既に朝鮮は日本の植民地とされていた。貧苦の中で走り続けて、ランナーとして頭角を表し、世界記録保持者として、1936年8月9日ベルリンオリンピックのマラソンに挑んで、金メダルに輝く。当時のオリンピック新記録。なお、このとき朝鮮人南昇竜も銅メダルを獲得している。
その表彰式では、「日の丸」が掲揚され「君が代」が演奏された。これは、孫には耐えがたい屈辱だった。後年、彼自身がこう語っている。
「優勝の表彰台で、ポールにはためく日章旗を眺めながら、『君が代』を耳にすることはたえられない侮辱であった。…果たして私が日本の国民なのか? だとすれば、日本人の朝鮮同胞に対する虐待はいったい何を意味するのだ? 私はつまるところ、日本人ではあり得ないのだ。日本人にはなれないのだ。私自身の為、そして圧政に呻吟する同胞のために走ったというのが本心だ…。これからは、2度と日章旗の下では走るまい。この苦衷をより多くの同胞に知ってもらわなければならない」
孫も南も、表彰式では陰鬱な表情をしてうつむいている。孫は、ユニフォームの胸に付けていた日の丸を勝者に与えられた月桂樹で隠している。表彰式での真正面からの写真では、胸の日の丸が見えない。しかし、斜めからの撮影では日の丸が映ってしまう。この日の丸を消した写真を掲載したのが、8月25日付東亜日報だった。よく知られている「消えた日の丸」事件である。
現地の日本軍20師団司令部が激怒し、直ちに総督府と警察に関係者の緊急逮捕を命じた。こうして、5人の関係者が逮捕され、40日余の残酷な拷問が行われた。その上で、東亜日報は無期限発行停止処分、5人は言論界から永久追放となった。
ところで、孫と南の表彰式の後、日本選手団本部は選手村で祝賀パーティを開いたが、両名とも出席しなかった。「差別と蔑視故の抗議であったろう」という。その時刻両名はどこにいたか。ベルリン在住の安鳳根(アン・ボングン)という人物を訪問していたという。あの安重根(アン・ジュングン)の従兄弟である。
孫は、このとき安鳳根の書斎で、生まれて初めて「太極旗」と対面したのだという。
「これが太極旗なのだ。わが祖国の国旗なのだ。そう思うと感電でもしたように、熱いものが身体を流れていった。太極旗がこうして息づいているように、わが民族も生きているのだという確信が沸き起こってきた」
これが、彼の自伝「ああ月桂冠に涙ー孫基禎自伝」(講談社・1985年)の一節。
その後、孫は徹底して警察からマークされる。到底、金メダリストの扱いではない。彼が日の丸を背負って走ることは2度となかった。指導者たらんと東京高等師範と早稲田の入学を志すが、受験を拒否されている。明治大学だけが、暖かく迎え入れたが、当局はこれを許可するに際して条件を付けた。「再び陸上をやらないこと。人の集まりに顔を出さないこと。できる限り静かにしていること」だという。
明治大学は、箱根駅伝で彼を走らせようとしたが、かなわなかった。息子・孫正寅の語るところでは、2002年臨終の際に残した言葉が、「箱根駅伝を走りたかった」だった。
言うまでもなくマラソンは、オリンピックの華である。必ず最終日に行われる最終種目。この特別の競技の勝者には、特別の敬意が捧げられる。1936年ベルリンオリンピックで、10万の観衆が待ち受けるスタジアムに先頭で姿を現し、最後の100メートルを12秒台で走り抜けたスーパーヒーロー。それが、日本人として登録された朝鮮人・孫基禎だった。
孫は朝鮮民族の英雄となった。民族の団結や連帯の要となり得る立場に立った。日本の当局は、その言動を制約せざるを得ないと考えたのだ。孫に、朝鮮人の民族的な自覚や矜持を鼓舞する言動があるのではないかと危惧したのだ。
明治大学名誉教授である著者は、孫基禎と明治大学の親密な結び付きを誇りとして書いている。慶應も早稲田も東京高師も、この明治の姿勢に敬意を表さねばなるまい。
なお、ご注文は下記まで。
http://www.shahyo.com/mokuroku/sports/essay/ISBN978-4-7845-1569-1.php
(2019年5月26日)
本日は、「ちきゅう座」第14回総会にお招きいただき、冒頭発言の機会を得ました。「ちきゅう座」には、私の拙いブログを、毎日掲載していただいていることに感謝申し上げ、そのブログに関連して、短い時間ですが、私流のブログ作法のようなものをお話しさせていただきます。
私がブログを書く基本姿勢は、「当たり障りのないことは書かない」「すべからく、当たり障りのあることだけを書く」ということに尽きます。「当たり障りのあること」とは、誰かを傷つけると言うこと。誰かを傷つけることを自覚しながら、敢えて書くということです。
「誰かを傷つける」言論は、当然にその「誰か」との間に、軋轢を生じます。それは、面倒を背負い込むことであり、けっして快いことではありません。場合によっては「裁判沙汰」にさえなります。それでも書かねばならないことがあります。
近代憲法を学ぶ人は、典型的な近代市民革命の成果としてのフランス人権宣言(「人および市民の諸権利の宣言」・1789年8月)に目を通します。その第4条に、有名な「自由の定義」が記載されています。
「自由とは、他人を害しないすべてのことをなしうることである。」という有名な一文。私は、これにたいへん不満です。えっ? たった、それだけ? 自由ってそんな程度もの?
「自由とは、他人を害しないすべてのことをなしうること」という文言では、論理的に「誰も、他人を害する自由を持たない」「他人を害することは、自由の範囲を越えている」ことになります。私には、到底納得できない「中途半端な人権宣言」でしかありません。
他人を害しない、当たり障りのない言論には、「自由」や「権利」として保護を与える必要はありません。「当たり障りのある言論」であってはじめて、保護しなければならないことになる。戦前、國體と私有財産制を擁護し、富国強兵や滅私奉公を鼓吹する言論は誰憚ることなく垂れ流されました。当時は、これが「権力に従順で、他人を害しない、当たり障りのない言論」でした。その反対の、天皇の権威を傷つけ、生産手段の私有制を非難して資本家を排撃し、軍部・軍人を揶揄し、侵略戦争や植民地主義の国策を批判する言論は、多くの国民の耳に心地よいものではなく、当たり障りのある言論として徹底的に取り締まられました。
いま横行している、天皇を賛美し、アベノミクスを礼賛する言論。人をほめるだけの「当たり障りのない言論」は、ことさらに自由や権利として保護する必要はありません。他人を批判し、他人を傷つけ、他人との間に軋轢を生じる言論の有用性を認めることが、文明の到達した、表現の自由を筆頭とする自由や人権の具体的内容でなければなりません。
もっと端的に言えば、表現の自由とは、権力と権威を批判するためにあります。いうまでもなく、権力は批判されなけれ腐敗します。権力を担う者は、いかに不愉快でも、傷つけられても、批判の言論を甘受しなければなりません。批判さるべきは政治権力に限らず、社会的な強者、経済的な強者として君臨する者も同様。付け加えるなら、社会的多数者もです。
そして、今問題とすべきは権威です。あらゆる権威が、批判に晒されなければなりません。とりわけ、批判が大切なのは、権力と癒着する恐れある権威です。そのような権威が今われわれの眼前にあって、それに対する批判が極めて弱い。表現の自由の危うさを危惧せざるを得ません。
表現の自由とは、多様に根拠付けすることができるかと思いますが、究極のところ、権力と権威の批判の手段として有用であり必要なのです。すべての権力は血塗られた実力で獲得されますが、これを維持するためには権威の調達が必要となります。宗教的権威であったり、文化的権威であったり、神話であったり、いずれウソとゴマカシで練り上げられた権威。
戦前、天皇は権力と権威を兼ねていました。荒唐無稽な神話に基づく国家神道が、天皇を神とし教祖ともしたのです。その天皇の宗教的権威が、天皇の統治権の総覧者としての権力を支えていました。
日本国憲法は、天皇から権力を剥奪しましたが、象徴天皇というかたちで、天皇制自体は残存し、その権威の払拭は不徹底のまま現在に至っています。日本国憲法の政教分離は、天皇を再び神とすることを阻止するための歯止めですが、これさえ十分には働いていません。しかも、天皇の権威とは、必ずしも宗教的権威にとどまらない、文化的、社会心理学的なものがあると考えざるをえません。
一連の天皇代替わり儀式において、国民主権原理違反、政教分離原則違反が明らかになりつつありますが、これは象徴天皇制そのものが内在的にもつ矛盾であり、「権力と癒着する権威」という天皇制の本質の表れというほかはありません。
権力と権威に対する仮借ない批判の言論が今こそ必要な時期だと思います。「ちきゅう座」が、そのような立場で大きな役割を果たされるよう期待の言葉を述べて、「当たり障りのないご挨拶」といたします。
(2019年5月25日)
両院の憲法審査会は、「日本国憲法及び日本国憲法に密接に関連する基本法制について広範かつ総合的に調査を行い、憲法改正原案、日本国憲法に係る改正の発議又は国民投票に関する法律案等を審査する機関」とされている。国会による憲法改正案の発議に先だって、各院で憲法改案を実質審議するのが憲法審査会の役割。
その衆議院の憲法審査会は毎週木曜日が開催予定の日程となっている。しかし、最近はこの審査会が開かれることは希となっている。今通常国会(1月28日?6月26日)において、これまで開催されたのは3回のみ。しかも、実質審議はたった1回だけ。昨日(5月23日・木曜日)の開催も見送られた。
その結果、会期末の6月26日(水)まで、木曜日はあと4日を残すのみ。これを乗り切れば、さあ、日本国憲法の命運を決める2019年参院選となる。改憲派議席を3分の2以下に減らすことで、日本国憲法は生き延びる。いや、「生き延びる」は不正確だ。憲法を大切に思う自覚的な国民が、右派の策動から日本国憲法を守り抜き、さらに深く自らの血肉とするのだ。
積極改憲派にとっては、明らかに憂うべき事態。この間の事情を産経は、こう伝えている。
「与野党は22日、衆院憲法審査会の幹事懇談会を断続的に開き、継続審議になっている国民投票法改正案の取り扱いについて21日に続いて協議した。与党側は質疑、採決を23日に行う日程を重ねて提案したが、立憲民主党など主要野党が反対し、23日は憲法審の開催自体が見送られた。
28日に改めて幹事懇を開くが、改憲議論を阻止したい立民は審議拒否の姿勢を変えない見通しで、採決のめどは立っていない。」
本日の読売社説は、こうなっている。
「憲法審査会 駆け引き排して役割を果たせ
今国会でも憲法に関する議論を見送るのか。事態打開に向けて与野党は真摯しんしに協議すべきだ。
衆院憲法審査会ではこの1年半の間、憲法論議が行われていない。継続審議となっている国民投票法改正案の処理を巡り、与野党が対立する。」
「自民党は、自衛隊の根拠規定の明記や、緊急事態条項の創設など4項目からなる案をまとめている。野党は党内論議を急ぎ、この案に対する賛否や、自らの考え方を示さねばならない。」
要するに、産経も読売も焦っているのだ。今が改憲派にとっては、千載一遇のチャンス。何しろ、憲法変えたくてしょうがない右翼・好戦派の安倍晋三が首相の地位にある。しかも、衆参両院とも、改憲派が3分の2を上回る議席を確保しているではないか。滅多にないこのチャンスを生かし切れずにウカウカ過ごすと、選挙に負けてこの千載一遇のチャンスが潰えてしまう。そうなっては、半永久的に改憲のチャンスはめぐってこない…かも知れない。
憲法審査会の審議が進行しないのは、結構なことだ。これを批判する世論などない。国民の大多数が明文改憲の必要など感じていないからだ。国政における喫緊の課題はいくらでもある。あらゆる世論調査が、性急な改憲を望んではいない。とりわけ、「安倍晋三が首相在任中の改憲には反対」が圧倒的多数なのだ。
本日(5月24日)の読売社説は、悔しそうに、「(憲法審査会の審議が進行しなくなったのは)立民党が誕生した17年の秋以降だ。安倍政権下での憲法改正には反対するという一部野党の方針が影響していよう。」という。
憲法改正は、もちろん公権力を有する政府の任務ではない。主権者国民の権限に属するものである。その中間にある議員にとっても、積極的な義務ではない。主権者国民の憲法改正の要求が澎湃と巻きおこったときに、議員がこれを感得して議論をすればよいだけのこと。
いま、国民から議会・議員への憲法改正の要求はない。「アベ改憲反対」こそが国民の声ではないか。今通常国会での憲法審査会開催なしには、十分な合理的理由があるというべきなのだ。
(2019年5月24日)
一躍勇名を馳せて《超有名政治家》となった維新公認当選の丸山穂高。なかなかユニークなお人のようだ。
北方領土返還実現のためには戦争が必要で、「戦争なんて言葉を使いたくない」などと生温いことを言っているようでは、「でも(そんなことでは)取り返せないですよね」「戦争をしないとどうしようもなくないですか」と言ってのけた。酔余の妄言か、幼児性の発露か、はたまた戦争賛美の確信に基づいた素面の発言か。いずれにしても、この上なく危険で、国会議員としてふさわしくない。
それだけではない。昨日(5月22日)には、「丸山議員 ロシア女性紹介しろ」「大声で卑猥な言葉繰り返す」(北海道新聞)と見出しを打たれる醜態も明らかとなっている。
「ビザなし交流訪問団の一員として訪れた国後島で、戦争による北方領土の奪回に言及し、日本維新の会を除名された丸山穂高衆院議員(大阪19区)が、同島の宿泊施設「友好の家」に滞在中、団員に対し「ロシア人女性の店に行こう」という趣旨の発言をし、単独行動が認められていないにもかかわらず何度も外出しようとして政府関係者らに止められていたことが22日、分かった。」
「丸山氏は11日夜、友好の家の食堂で団員10人程度が懇談していた際、大声で卑猥な言葉を数回繰り返した。その後、丸山氏は食堂の端で同行記者2人の取材を受けていた大塚小彌太団長(90)に対し、『戦争でこの島を取り返すのは賛成か反対か』と語りかけた。」
週刊文春報道での丸山の言動は、さらにえげつない。
「丸山氏は“戦争暴言”の後、『俺は女を買いたいんだ』と禁じられている外出を試み、事務局スタッフや政府関係者ともみ合いになったという。売買春は日露両国で共に違法行為である。」
丸山穂高、その行為や恐るべし。もしかしたら、単なる常習泥酔者の「うっかり本音」なのかも知れないが、それならなおのこと、こんな人物が議員となっている現実が恐ろしい。
丸山穂高は、大阪19区選出の35歳だという。大阪19区とは、貝塚市・泉佐野市・泉南市・阪南市・熊取町・田尻町・岬町の、泉南地域4市3町。今や、泉南の恥である。こんな人物を当選させたことを地元有権者は真剣に反省しなければならない。もっとも、丸山だけではなく、維新の幹部・議員や候補者には問題人物山積である。維新の責任重にして、かつ大なるは、指摘するまでもない。
想起するのは、よく似ているようで真反対の事例。「反軍演説」で帝国議会を除名になった立憲民政党の斎藤隆夫のこと。1940年2月2日、帝国議会衆議院本会議において彼が行った演説は、日中戦争に対する根本的な疑問提起と、軍部批判を内容とする「反軍演説」として知られる。彼は、聖戦を冒涜したとして、同年3月7日の本会議決議によって議員除名となる。除名決議の票決内容は、賛成296、棄権121で、反対はわずか7票であったという。
しかし、彼の選挙区である兵庫県5区(但馬選挙区)の有権者は、反軍演説で除名の斎藤隆夫を誇りとした。次の1942年の翼賛選挙に斎藤は非推薦で立候補してダントツのトップ当選(当時は中選挙区・定員4名)を果たしている。当局や右翼の妨害をはねのけてのこと。
いま、有権者の質が問われている。丸山穂高を議会に送ったのも、斎藤隆夫を再び議員に押し上げたのも、地元選挙区の有権者である。泉南と但馬、いま国民の目は、雲泥の差ありとして両地域を見ている。
(2019年5月23日)
元号が変更になって、3週間が経過した。まったく慣れない。馴染めない。新元号での文書に接すると、心穏やかでなくなる。やがて、動悸が激しくなる。血圧が上がる。呼吸が窮迫する。頭が痛くなる。発疹が出そうだ。
これは、明らかに「令和アレルギー」「令和不適応症候群」である。花粉症の人が、この世に杉の木あることを呪う気持ちがよく分かる。元号よ、この世から消えよ。天皇制とともに、飛んで行ってしまえー。
人権や民主主義を大切にすると看板を掲げている弁護士までが、無神経に元号を使って書面を書いていることが腹ただしい。もっとも、裁判所は不効率極まりない元号の世界。天皇への服属を当然としている不見識。自分の書く書面からはすべて元号を駆逐し得ても、裁判所は無神経に元号を押し通す。何とかならないか。
皆の衆、これを機に元号を駆逐しようではないか。
時も時。春の叙勲である。勲章だの褒賞だの、上から目線でくれてやろうというその姿勢に腹が立たないか。あんな物を、ありがたく頂戴しようという臣民根性を目にすると腹が立つ。不愉快極まる。眩暈をもよおす。これは、明らかに「勲章アレルギー」「褒賞不適応症候群」である。
皆の衆よ、これを機会に、勲章など駆逐しようではないか。
で、折も折、亀卜によって主基田(すきでん)と悠紀田(ゆきでん)が選定された。これが、新天皇を神とする怪しげな儀式、大嘗祭の準備なのだ。そのバカバカしさに腹が立つ。腹が立つだけではない。手足が震える。目も霞む。これは、明らかに「大嘗祭アレルギー」「政教分離違反不適応症候群」である。
皆の衆、これを機会に、大嘗祭をこの世から駆逐しようではないか。
私の「アレルギー」「不適応症候群」の元兇は、明らかに天皇制だ。国民主権に敵対し、差別の根源となっている天皇制。それが、この日本を大手を振って徘徊している。
嗚呼、醜悪なる妖怪が日本国をわがもの顔に徘徊している。象徴天皇制という妖怪が…。敗戦当時気息奄々だったはずのこの妖怪、今また代替わりで、息を吹き返しているごとくである。この妖怪が撒き散らす、毒気と妖気と臭気がアレルゲンとなって、「アレルギー」「不適応症候群」を引き起こしている。
皆の衆や、皆の衆。これを機に、天皇制という妖怪を主権者の力で、押さえ込もうではないか。でないと、民主主義や人権の、被侵害症状はますます増悪して、重篤化するばかり。
(2019年5月22日)