澤藤統一郎の憲法日記

改憲阻止の立場で10年間毎日書き続け、その後は時折に掲載しています。

法廷という空間において最も敬意を表されるべき場は傍聴席である。そこには主権者がいるのだから。傍聴席の主権者は、自らの分身である司法が適正に運用されているかを見詰めている。

(2024年7月31日)
異様に暑かった2024年7月が終わる。炎暑・熱暑・酷暑・猛暑・激暑と並べても、この暑さの実感に追いつく言葉が見つからない。身体に応える。時に意識が朦朧となる。8月は、もっと暑くなるのだろうか。そして、来年は、再来年は?

暑い7月だったが個人的には忙しかった。101号法廷での証拠調べが7月中に2回、私も二人の尋問を担当した。控訴審の第1回法廷が2回。ほかに、医療過誤事件も、電子署名の効果を争う事件もあり、突然の被疑者接見も、「法と民主主義」の編集担当も。偶然に仕事のムラがいくつか重なったからだが、やりがいのあることに忙しいのだから、ありがたいこととも、贅沢なこととも思う。

忙しさの最後が、7月25日の「統一教会スラップ・有田訴訟」の控訴審第1回口頭弁論期日(101号法廷)。事前の準備は忙しかったが、当日の法廷は淡々と進行した。型どおりに、控訴状、控訴理由書、控訴答弁書の各陳述、新たに提出の書証甲31?48(いずれも写)の取り調べのあと、被控訴人本人有田さんと、代理人澤藤大河の意見陳述があって結審となった。判決言い渡し日は、追って指定。

 事前の裁判所との打合せで、意見陳述の時間は、有田さん4分・代理人6分と予定されていた。まず、有田さんが当事者席で立ち上がって、「被控訴人有田芳生より、当事者として意見を述べます」と語り始めた。

「「朝日ジャーナル」や「朝日新聞」が統一教会や霊感商法を批判した1980年代。信者たちは上司(教会内部ではアベルといいます)の指示に従って、朝日新聞社に抗議電話を殺到させ、そのため周辺のがんセンターや築地市場の電話回線までパンクする事態が生じました。」と言ったあたりで、裁判長から声がかかった。有田さんの身体が、明らかに100人に近い傍聴人の側を向いた演説になっていたからだ。おそらくは、裁判長に違和感が大きかったのだろう。

裁判長は、こう声をかけた(ように記憶している)。「お気持ちは分かりますが、こちらを向いてお話しいただけませんか」「あるいは、相手方に向かってお話ししては」と、たしなめる調子。有田さんは、やや怪訝な面持ちだったが、「それでは始めからやり直します」と、裁判長を向いて再び話を始めた。かつて統一教会は、批判の言論に対して、実力をもってする嫌がらせで対抗したが、今は、それに換わってスラップ訴訟を提起しており、無視できない成功をおさめていると時間内で話し終えた。裁判長は、よく聞いてくれたように思う。…… 事実としてはそれだけのことなのだが、その場に立ち会った私には幾つかの感想があった。

まず、有田さんの気持を忖度してみよう。

「法廷という構造物が作る空間において最も敬意を示されるべき場は傍聴席ではないか。なにしろ、そこは主権者が席を占める場なのだから。傍聴席の主権者は、主権者自らが託した司法作用が適正に運用されているかを見守っている。当事者席に立って、裁判長に正対すれば、傍聴席の主権者に背を向けて、敬意を表すべき主権者をないがしろにすることになってしまう。私は傍聴席の主権者に向かって発言し、裁判所はその発言を耳に留め置けばよいのだと思う」

裁判長には別の思いがあっただろう。以下のようなものであろうか。

「この法廷の主宰者は私だ。私がこの法廷の秩序を維持し、それぞれの当事者の主張を公平に正確に聞く立場にある。当然に法廷での発言は私に向かってなされるべきで、私は聞く耳をもっている。有田さんが傍聴席に向かって発言したのは意外なことだが、分からないではない。傍聴席は社会に開かれている。この法廷での出来事を社会に発信しようとすれば、自ずと傍聴席に向かってお話しする姿勢となるのだろう。しかし、ここは法廷なのだから、社会への発信よりは、裁判長である私に語りかけていただきたいのだ」

有田さんと裁判長。いったんは、両者の思惑は鋭く角逐した。が、裁判長の物言いが柔らかで、有田さんが傍聴席にこだわらず、始めからやり直します、と言ったため法廷の雰囲気は和やかになった。

刑事事件法廷の公開については、憲法37条が「すべて刑事事件においては、被告人は、公平な裁判所の迅速な公開裁判を受ける権利を有する」と定め、民事事件については憲法第82条1項が「裁判の対審及び判決は、公開法廷でこれを行ふ」としている。刑事も民事も、密室での裁判は許されない。主権者の不断の監視あってこその公平・公正な司法なのだ。もっとも、裁判傍聴を主権者としての権利と位置づけられているわけではない。

なお、この事件の裁判長は太田晃詳(39期)。前任の大阪高裁民事部勤務時代の2022年2月22日、旧優生保護法を違憲とし、初の賠償命令判決を言い渡した裁判長として知られる。下記がその報道(日経)である。

「旧優生保護法(1948?96年)下で不妊手術を強制されたとして、近畿地方に住む男女3人が国に計5500万円の損害賠償を求めた訴訟の判決が(2022年2月)22日、大阪高裁であった。太田晃詳裁判長は旧法を違憲と判断し、計2750万円の賠償を命じた。全国9地裁・支部で起こされた訴訟で初の賠償命令。今後の被害者の救済のあり方に影響を与える可能性がある。」

旧優生保護法は、「君のため国のために、身を捨つることこそ臣民の道」と教え込まれた教育勅語世代の議員による全会一致の立法だった。ようやくにして、個人の尊厳を立脚点にこの法律を違憲・違法とする大法廷判決が出て、国家も社会もこれを受け入れる時代となった。76年かけてのことである。

(2024年7月30日)
 2024年7月がもうすぐ終わる。ひたすらに暑いというだけの7月ではなかった。我が国の人権と司法にとって、珍しく明るい話題が提供された7月であった。

 7月3日、最高裁大法廷は、旧優生保護法を違憲とし、同法に基づいて特定の障害に不妊手術を強制した国に賠償を命じる判決を言い渡した。

 判決は、旧優生保護法の当該条項を「個人の尊厳と人格の尊重の精神に著しく反する」とし、「国会議員の立法行為は、国家賠償法1条1項の適用上違法」と断じた。優生保護法を成立させた議員の立法行為を違法と明言した点で、画期的な判決と言ってよい。

 7月17日、岸田文雄首相は原告の障害者ら130人と首相官邸で面会し、「政府の責任は極めて重大。心から申し訳なく思っており、政府を代表して謝罪を申し上げる」と、障害者らに直接謝罪した。
 また、確定していない他の関連訴訟において、20年たつと賠償請求できない「除斥期間」の主張を撤回する方針を表明。「和解による解決を速やかに目指す」とし、新たな補償制度の創設については本人と配偶者も含めて幅広く対象とする考えも示した。

 7月24日には超党派の議員連盟プロジェクトチームが発足し、次の国会に向けての新たな補償制度などに関する議論が始まった。
 
 そして昨日(7月29日)、政府は全閣僚で構成する「障害者に対する偏見や差別のない共生社会の実現に向けた対策推進本部」の初会合を首相官邸で開いた。3日の最高裁判決を踏まえて、本部長の岸田文雄首相は、「障害者への社会的障壁を取り除くのは社会の責務であり、社会全体が変わらなければならない。偏見・差別の根絶に向け、政府一丸となって取り組む」と強調したと報じられている。遅きに失したとは言え、その姿勢は評価に値する。

 ところで、旧優生保護法が成立したのは1948年6月。超党派議員の議員提案の法案審議ののち、衆参両院とも全会一致での立法であった。日本国憲法の施行が47年5月のこと、基本的人権という概念すらなかった天皇制国家からの脱却不十分な時期とは言え、全会一致には驚くしかない。

 立法府の議員たちは、皇国思想に親和性の高い優生思想に取り憑かれていた。内心まで汚染されていたと言っても、マインドコントロールから抜け切れていなかったと言ってもよい。民族や国家のための個人、社会や国家あっての個人、という固定観念から逃れ切っていないのだ。「君のため国のために、身を捨つることこそ臣民の道」と叩き込まれた人々である。人の成長のすべてを、「天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ」に収斂させる教育勅語で育てられた世代である。「障害者に生きる価値はない」と公言することはないにせよ、「国家社会の見地からは、重度の障害者は生まれてこなくてもよい」「生まないようにした方がよい」との思いから抜けきれなかった。新米主権者としての議員の、そのような思いが残酷な立法を可能にした。

 石原慎太郎という、いたって口の軽い、その意味では分かり易い、極右の政治家がいた。今、小池百合子を知事にしている都民は、かつてはこの石原を都知事にした。1999年9月、就任早々の石原は、重度障害者療育施設である府中療育センターを視察して、こう発言した。「ああいう人ってのは人格あるのかね。ショックを受けた。みなさんどう思うかな。絶対よくならない、自分がだれだか分からない、人間として生まれてきたけれどああいう障害で、ああいう状態になって」「ああいう問題って安楽死につながるんじゃないかという気がする」

 実に分かり易く、優生思想のなんたるかを語っている。1948年における「無数の石原慎太郎」が旧優生保護法を立法し、よにしてにして2024年7月の最高裁が、優生思想による立法を違憲違法と断じたのだ。

 憲法13条に「個人の尊重」、24条2項に「個人の尊厳」という言葉が出てくる。これが、近代憲法のヘソだ。手段的な価値ではない、目的的な憲法価値。「個人の尊重」「個人の尊厳」こそが、公理である。

 国家に有用だから、社会に有益だから、人は尊ばれるのではない。人は人であるだけで、人は人であればこそ、尊厳を有し尊重されなければならない。いかなる人も、人である限り、分け隔てなく等しく、その人格の尊厳を重んじられなければならない。

 人は平等である。「人種、信条、性別、社会的身分又は門地」その他一切の理由で差別されることはない。もちろん、身体的知的な障害の有無や程度によって差別されることはない。

 基本的人権の帰属主体である個人は、国家や、社会や、経済力や、同調圧力等々と対峙する存在である。国家や社会や経済力や同調圧力や、つまりは多数派の側からものを見るのではなく、基本的人権の側から、つまりは個人の尊厳を出発点にしてものを考える立場に立てば、7月3日大法廷判決となるのだ。

 憲法施行からそろそろ80年。ようやくにして、教育勅語の残り滓の腐敗臭を脱した大法廷判決が言い渡されて、政治も社会もこれを受け容れる素地ができたように見える。感慨一入である。

《日の丸を踏め》と命じることが日本への忠誠心を量る「踏み絵」とされたという。同様に《日の丸に正対して起立せよ》と命じることもまた、人の内心をあぶり出す「踏み絵」になる。

(2024年7月26日)
一昨日(7月24日)の朝日.comの記事の表題に、「《踏め》と命じられた昭和天皇の写真 移民たちは拒否し収監された」「迫害された日系移民 ブラジルで何が起きたか」。

 ブラジルの日系人社会には、日本がポツダム宣言を受諾して無条件降伏戦した後もなお、皇国の敗戦を受け入れられずに「帝国が連合国に勝った」と信じ込んでいた人々がいた。これが、「勝ち組」である。その勝ち組をあぶり出すための方策として、ブラジル当局は、踏み絵を使ったという。

 周知のとおり、踏み絵は江戸幕府の官僚の考案で、世界に名だたる日本の発明である。ブラジル当局は、400年前の日本の発明技術を日本人に向けて用いた。さあ、この絵を踏め、踏めなければ「勝ち組」と見なして拘束する、と。使われた絵は、キリストやマリアの聖画ではなく、天皇(ヒロヒト)の写真と「日の丸」だったという。記事の概要は以下のとおり。

 終戦直前、勝ち組は「臣道連盟」という団体を結成。日本が戦争で勝ったことを信じて疑わなかった。「大本営発表しか聞いていないから当然だった。日本が日露戦争や第1次大戦で勝ち、『負けるはずがない』という思いもあったのだろう」。
 46年3?7月、勝ち組は負け組らに対する複数の殺人事件を起こし、日系社会は混乱した。日本の特高警察にあたるブラジルの政治警察は、各地の臣道連盟幹部ら1200人を拘束。警察署では日の丸か昭和天皇の写真を床に置き、踏むように命じた。多くが従ったが、拒んだ150人超はアンシエッタ島の施設に送られて監禁されたという。

 「日本人として天皇の御写真を踏むなど絶対に出来る事ではないのである」という勝ち組幹部の言葉が、紹介されている。

 注目すべきは、天皇の写真だけでなく、「日の丸」も踏み絵に使われたということ。おそらくは、「日本人として「日の丸」を踏むなど絶対に出来る事ではないのである」という勝ち組もいたということなのだ。

 人の内心は普段は伺うことができない。が、特定の状況で、特定の行為を強いることによって、人の内面をあぶり出し弾圧することができる。踏み絵は、そのために開発された技術であって、偉大な日本の発明なのだ。「日の丸」も、内心のあぶり出し道具として有用だった。

 「「日の丸」を踏め」と命じることで、日本への忠誠心の有無を量ることができるのと同様、「「日の丸」に敬意を表して起立せよ」と命じることもまた、人の内心をあぶり出すことになる。起立できるか、できないか。その態度を見ることによって、踏み絵と同じ役割と効果を目論むことができる。

 7月18日(木)、東京地裁101号法廷で、東京「君が代」訴訟(第5次訴訟)での5名の原告本人尋問が行われた。感動に満ちた素晴らしい法廷だったと思う。その中のお一人が、クリスチャンの教員で、自分の教員としての良心は信仰に根差したものであることを語った上で、信仰ゆえに起立斉唱ができないことを訴えた。尋問の担当は私だったが、中に次のような質問と回答があった。

質問 あなたの陳述書に、「踏み絵」という言葉が何度か出てきます。「10・23通達」やこれに基づく起立斉唱の職務命令を「踏み絵」とお考えでしょうか。
回答 この職務命令は、上司という《人の命令》に従うのか、信仰を持ち続け《神に従うのか》と私に迫ります。踏み絵と同じだと感じます。

質問 「聖なる絵を踏め」という強制が信仰を持つ者の心情に耐え難いことは分かり易いのですが、「国旗に向かって起立し国歌を斉唱せよ」という命令が同じような苦痛をもたらすものでしょうか。
回答 キリスト教では、神の前に立つときは、人はみな限りある一つの命を生きているかけがえのない存在で、そこに特別な一人はいないと考えます。天皇という特別な人を讃える「君が代」を国歌として歌うことに強い違和感を覚えます。君が代斉唱命令は、クリスチャンの信仰とあいいれません。

質問 「日の丸」に正対して起立する行為については、いかがですか。
回答 学校儀式における日の丸の取り扱いには偶像崇拝的な印象を持ちます。特に旗に向かって起立や敬礼を強制されるようなときには、強い抵抗を覚えます。

質問 「踏み絵」は信仰者をどのように傷つけるのでしょうか。
回答 「踏み絵」は信仰者を見つけ出し、弾圧する手段です。
  踏み絵を踏むことを拒否すれば、キリシタンというレッテルを貼られて拷問や処刑など弾圧の対象になります。やむなく、多くのキリスト者は心ならずも踏み絵を踏んで、信仰を捨てざるを得ませんでした。踏み絵を踏めば、家に帰ることができたとしても、その後の人生は本当に生きづらいものになったでしょう。

質問 日の丸・君が代に対する起立斉唱命令も同じなのでしょうか。
回答 起立しなければ処分される。起立すれば、自ら信仰を手放して大きな苦しみを負うことになる。踏み絵と変わりません。

 また、第4次訴訟の原告のお一人は、こう語っている。
 「自分は、35年の教員生活で、君が代斉唱時に起立したことは一度もない。自分の信仰が許さないからだ。自分には、「日の丸」はアマテラスという国家神道のシンボルみえるし、「君が代」は神なる天皇の永遠性を願う祝祭歌と思える。
 ところが、やむにやまれぬ理由から、卒業式の予行の際に一度だけ、起立してしまったことがある。それが9年前のことなのだが、いまだに心の傷となって癒えていない。このことを思い出すと、いまも涙が出て平静ではいられない。

 「神に背いてしまったという心の痛み」「自分の精神生活の土台となっている信仰を自ら裏切ったという自責の念」は、自分でも予想しなかったほど、苦しいものだった。そして、「私はどうしても「日の丸」に向かって「君が代」を斉唱するための起立はできません。体を壊すほどの苦痛となることを実感した。

 その上で、この教員は、裁判所にこう訴えた。
 「人の心と身体は一体のものです。信仰者にとって、踏み絵を踏むことは、心が張り裂けることです。心と切り離して体だけが聖像を踏んでいるなどと割り切ることはできません。身体から心を切り離そうとしても、できないのです。身体が聖像を踏めば、心が血を流し、心が病気になってしまうのです。
 「君が代」を唱うために、「日の丸」に向かって起立することも、踏み絵と同じことなのです。キリスト者にとっては、これは自分の信仰とは異なる宗教的儀礼の所作を強制されることなのです。踏み絵と同様に、どうしてもできないということをご理解いただきたいと思います。」

 幕府のキリシタン弾圧の手段として踏み絵が開発されたのは400年前のこと。ブラジルの政治警察が勝ち組をあぶり出すためにその真似をしたのが80年ほど前のこと、そして石原慎太郎とその徒党が教員の国家や東京都への忠誠心の有無をあぶり出そうとして「10・23通達」を発出したのが20年ほど以前のことなのだ。

 日の丸・君が代の強制に悩むのは、真面目で良質な教師、教職をこの上なく大切に思う教師、全身全霊をかけて生徒に向き合おうとする教師らしい教師たちである。都教委は、このような本来の教員を排斥して、もっぱら支配しやすい教員ばかりを増殖している。なんとも、もったいないことではないか。その被害者は明日の主権者であり、日本の人権や民主主義の未来である。

統一教会は、本件放送における有田の意見や解説の中から、前後の文脈を意識的に切り取ったわずか8秒の発言を名誉毀損であるとして本件訴訟を提起した。原判決は、この発言を前後の文脈との関係で捉え直し、そもそも統一教会の社会的評価を低下させるものではないと、統一教会の主張を一蹴した。本訴訟は、典型的なスラップ訴訟である。スラップの被害者は、応訴の負担を強いられる被告だけではない。類似の言論、類似のメディアが、訴訟の煩わしさを避けようと、統一教会批判の言論に躊躇し萎縮を余儀なくされる。スラップの真の被害者は、表現の自由そのものであり、国民の知る権利なのだ。一刻も早い控訴棄却の判決を求める。

(2024年7月25日)
本日、統一教会スラップ有田訴訟の控訴審第1回法廷。本日結審となったが、判決言い渡し期日は決まらず、追って指定とされた。
 本件訴訟は、単なる名誉毀損事件ではなく、また典型的なスラップ訴訟の一事例というだけのものでもない。被告とされた有田側において、原告統一教会の反社会的集団と言うにふさわしいその根拠の立証を積み上げた点で注目に値する事件となった。
 統一教会は、有田芳生の口を封じようと、このスラップ訴訟を提起したが、原告側の目論見に反して「統一教会は反社会的集団である」ことが被告の主要な立証対象となり、その立証のために統一教会の違法を認めた民事・刑事の裁判例が積み上げられた。この立証活動は、統一教会に対する解散命令請求での「悪質性・組織性・継続性の立証」にそのまま重なる。
 こうして、はからずも本件有田訴訟は、文科大臣による統一教会に対する「解散命令請求事件の前哨戦」となり、一審判決は「解散命令先取り判決」「統一教会解散パイロット判決」となるはずであった。
 ところが、一審判決は、そもそも本件有田発言は、統一教会の名誉を毀損する表現ではないとして、統一教会の反社会性の判断に立ち入るまでもないと判断した。本件訴えのスラップ性を認めたに等しいというべきであろう。

 2022年8月19日、日本テレビの情報番組「スッキリ」に、解説者として出演した有田芳生さんは、およそ40分間に及ぶ番組のなかの一言(8秒)で、統一教会から訴えられました。
有田芳生さんは、統一教会との深い関係を断ち切れない萩生田光一議員を批判する文脈で「(統一教会は)霊感商法をやってきた反社会的集団だってのは警察庁も、もう認めている」(「だから、萩生田議員は統一教会ときっぱり手を切るべきだ」)と発言したところ、統一教会は、これを名誉毀損だとして、有田さんと日本テレビを訴えました。その請求額2200万円。
 その結果、「統一教会は反社会的集団である」という事実の『真実性』、あるいは「統一教会は反社会的集団である」という意見の前提事実の『真実性』が、被告側の主要な立証対象となり、有田訴訟が、統一教会の解散命令請求裁判と同様に、統一教会の「悪質性・組織性・継続性」についての司法判断を求める訴訟となったものです。
 東京地裁民事第7部合議B係(荒谷謙介裁判長)
   R4ヮ第27243号名誉毀損事件
   原告 世界平和統一家庭連合(旧統一教会)
   被告 日本テレビ放送網株式会社・有田芳生
(以下、※裁判所、◆原告、◎被告有田、☆被告日テレ、★訴訟外事件)
★22・07・08 安倍元首相銃撃事件
★22・08・19 日テレ「スッキリ」番組放映(萩生田光一議員批判がテーマ)
◆22・10・27 提訴 訴状と甲1?6
 請求の趣旨
  (1) 被告らは連帯して2200万円(名誉毀損慰謝料と弁護士費用)を支払え
  (2) 日テレは番組で、有田はツィッターで、謝罪せよ
 請求原因 名誉毀損文言を、有田の番組内発言における「(統一教会は)霊感商法をやってきた反社会的集団だって言うのは、警察庁ももう認めているわけですから」と特定している。
※22・11・10 被告有田宛訴状送達(第1回期日未指定のまま)
※23・01・23 On-line 進行協議
◎23・02・27 被告有田・答弁書提出 証拠説明書(1) 丙1?7提出
  (本件発言は、一般視聴者の認識において全て意見であり、当該意見が原告の社会的評価を低下させるものではない。仮に社会的評価を低下させるものであったにせよ、その前提事実は真実である)
☆23・02・27 被告日テレ・答弁書提出 乙1(番組の反訳書)提出  
◆23・03・07 原告準備書面(1) (被告日テレの求釈明に対する回答)提出
◆23・03・14 原告準備書面(2) (被告有田に対する反論) 甲7?12提出
◎23・05・09 被告有田準備書面1 提出
☆23・05・09 被告日テレ・第1準備書面
◎23・05・12 被告有田準備書面2 証拠説明書(2) 丙8?13 提出
※23・05・16 第1回口頭弁論期日(103号法廷) 閉廷後報告集会
   島薗進氏の記念講演、望月衣塑子・佐高信・鈴木エイト各氏らの発言
◆23・06・26 原告準備書面(3) (有田準備書面1に対する反論) 甲13?25
◆23・06・26 原告準備書面(4) (有田準備書面2に対する反論)
◆23・06・26 原告準備書面(5) (日テレに対する反論)
◎23・07・17 被告有田準備書面3 提出
※23・07・18 On-line 進行協議
◆23・07・20 原告甲26(番組全体の録画データ)提出
◎23・08・31 被告有田 証拠説明書(3) 丙14?19
証拠説明書(4) 丙20?23
証拠説明書(5) 丙24?27
証拠説明書(6) 丙28?43
☆23・09・15 被告日テレ・第2準備書面 証拠説明書(2) 乙2?7
◎23・09・22 被告有田準備書面4
  (甲26ビデオを通覧すれば、「警察庁ももう認めているわけですから」は、一般視聴者の印象に残る表現ではない。早期の結審を求める)
◆23・09・22 原告証拠説明書 甲27?29
※23・09・26 第2回口頭弁論期日(103号法廷)
   裁判所 「双方なお主張あれば、10月30日までに」
◎23・10・27 被告有田「早期結審を求める意見」書を提出
       (主張は尽くされた。次回結審を求める)
◆23・10・30 原告準備書面(6)提出 内容は横田陳述書(甲30)を援用するもの
   証拠申出・証人横田一芳(国際勝共連合) 甲30・横田陳述書提出
◎23・10・31 被告有田、証人(横田)申請を却下し重ねて次回結審を求める意見。
※23・11・07 On-line 進行協議 原告の証人申請却下
        次回結審とし、法廷では15分の被告有田側の意見陳述を認める。
※23・11・28 第3回口頭弁論期日(103号法廷) 結審  閉廷後報告集会 
※24・3・12 15時30分 判決言い渡し(103号法廷) 請求全部棄却
       16時 報告集会   16時30分 記者会見

              

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控訴審裁判所 東京高等裁判所 第14民事部(裁判長は太田晃詳(39期))
事件名 名誉棄損控訴事件 令和6年(ネ)第1772号
◆24・3・25 統一教会控訴状提出
◆24・3・15 控訴答弁書・甲31?48提出
◎24・7・18 被控訴人有田 控訴答弁書提出
☆24・7・18 被控訴人日テレ 控訴答弁書提出
※24・7・25 14時 控訴審第1回口頭弁論期日(101号法廷)
  控訴状、控訴理由書、控訴答弁書の各陳述
  甲31?48(いずれも写)の取り調べのあと
  被控訴人本人有田さんと、代理人澤藤大河の意見陳述があって、
  結審となった。但し、判決言い渡し日は、追って指定。
 なお、太田晃詳裁判長は、大阪高裁民事部勤務時代の2022年2月22日、旧優生保護法を違憲とし、初の賠償命令判決を言い渡した裁判長として知られる。

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統一教会スラップ有田事件控訴審意見陳述

被控訴人 有田芳生

 被控訴人有田芳生より控訴審第1回期日において、当事者として意見を述べます。
 朝日ジャーナル」や「朝日新聞」が統一教会や霊感商法を批判した1980年代。信者たちは上司(アベル)の指示に従って、朝日新聞社に抗議電話を殺到させ、そのため周辺のがんセンターや築地市場の電話回線までパンクする事態が生じました。
 また記者の自宅に対する深夜の嫌がらせ電話もありました。1992年の国際合同結婚式のときにはテレビ局に3万回を超える抗議電話が組織的にかけられ、ある弁護士宅には頼みもしない寿司上6人前など商品の注文、ハワイ往復旅行の予約、引っ越し業者の派遣などだけでなく、霊柩車まで来るほどでした。
 当時は私の自宅への抗議電話、尾行、脅迫状とカッターナイフの刃が入った封書、渋谷駅頭での左肩への殴打などがありました。こうした組織的な暴力行為が報道され、教団への批判が起きたからでしょう。それから30年。こんどは裁判に訴えることで私たちの言論を封じ込める手法に出たのです。その手段は功を奏し、私については、統一教会に訴えられた翌日からいまに至るまで、テレビ出演はいっさいありません。民主主義社会の基盤を破壊するスラップ訴訟は法を悪用した言論封殺であり断じて許されません。
 原判決は私の発言が名誉毀損に当たらないと判断しました。世間の合理的かつ常識的感覚に沿ったものだと私は考えています。控訴審でも同様の判断がなされるものと確信し、意見陳述を終わります。

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統一教会スラップ有田事件控訴審意見陳述

被控訴人 有田芳生代理人 弁護士 澤藤大河

本件訴えは、形の上でこそ名誉毀損訴訟ですが、その実態は、典型的なスラップ訴訟にほかなりません。その訴訟提起の目的は、統一教会に対する批判の言論を封じようという一点にあります。最も効果的なスラップとするために被告とされたのが、?く統一教会批判の第一人者とされてきたジャーナリストの有田芳生と、影響力が大きいテレビメディア・日本テレビとです。勝訴の可能性は皆無であるにもかかわらず、統一教会の狙いは半ば成功しています。本件提訴以来、被控訴人有田に対するテレビ出演の依頼は一切なくなり、マスコミ全般に統一教会批判報道の萎縮効果が発生しています。
 スラップの被害者は、応訴の負担を強いられる被告だけではありません。類似の言論、類似のメディアが、訴訟の煩わしさを避けようと、統一教会批判の言論に躊躇し萎縮を余儀なくされます。その意味でスラップの真の被害者は、表現の自由そのものであり、国民の知る権利なのです。
 統一教会は、本件放送における被控訴人有田の意見や解説の中から、前後の文脈を意識的に切り取ったわずか8秒の発言を名誉毀損であるとして本件訴訟を提起しました。原審判決は、この発言を前後の文脈との関係で捉え直し、そもそも統一教会の社会的評価を低下させるものではなく名誉毀損に当たる表現ではないと、統一教会の主張を一蹴しました。これは、本件をスラップ訴訟と認めたに等しい判断です。
原判決を不服とする統一教会の控訴理由は、原審判決に「印象論」とのレッテルを貼って攻撃するものです。この「印象論」以外は、本件に関連性のない、解散命令請求を不当とするイデオロギー主張に過ぎません。
 「印象論」は、原判決を貶めるための「印象操作」を意図したもので、「厳密な根拠にもとづく事実認定」や「緻密で正確な法的判断」の反対概念として用いられています。しかし、「印象論」という言葉の使い方も、原判決の判断の構造の見方も明らかに誤っています。
 原判決は最高裁判決に倣って、「印象」という言葉を「強くあるいは深く、心に刻みこまれて忘れられないこと」という本来の意味に用いています。英語ではimpressionであり、記憶に強く残ることを意味します。
 それに対して統一教会の「印象」は、「客観性を欠いた主観的な認識あるいは感覚」という意味合いでの用いられ方です。英語ではfeelingでしょうか。
ダイオキシン報道事件最高裁判決及びこれに従った原判決は、「テレビジョン放送において、人の客観的な社会的評価を低下させるものがあるか否かの判断においては、『一般の視聴者の普通の注意と視聴の仕方とを基準として』『文字や発言からだけでなく、放送内容全体から受ける印象等を総合的に考慮して判断すべきである』」としています。放送内容を把握する判断において、一般視聴者の受け取る印象を考慮に入れるべきは当然で、「印象論」と非難される言われはありません。
また原判決は、最高裁判例が示した法的な判断枠組みに、厳密な認定事実を当て嵌めた堅実で論理性の高いものであって、非難の余地はありません。
 統一教会の本件控訴理由には、新たな事実主張は一切なく、新たに検討を要する法的な問題提起もありません。原審判決を容認できるのか否かを判断するだけですから、控訴審において、これ以上の弁論の応酬は全く不必要です。控訴人有田の必要な反論は、控訴答弁書で既に行いました。これ以上の再反論や再々反論の必要はまったく考えられません。
 スラップ訴訟である本件は、審理が?引いていることそれ自体が、スラップを仕掛けた統一教会の利益なのです。被控訴人両名と表現の自由とそして国民の知る権利は、本件の審理が?引けば、それだけ被害が継続し、損害が拡大することになります。本日の結審と、すみやかな判決によって、被控訴人両名をスラップ訴訟に対応を強制される負担から解放されるよう、強く要請いたします。



本郷湯島の皆様、少しだけ耳をお貸しください。都知事選が終わりました。残念な開票結果でしたが、それだけではない終始釈然としない、モヤモヤとしたヘンな印象が拭えない後味の悪い選挙でした。

(2024年7月12日)
 これまで経験したことのない、いくつものヘンなことが重なったヘンな選挙。日本の民度の低下を見せつけられるような、民主主義の衰退を確認しなければならないような不快感がまとわりついたヘンな選挙。本当にこれが選挙と呼べるものなのでしょうか。

 ヘンな選挙でしたから、当選したのはヘンな人。次点になった人まで、とてつもないヘンな人。真っ当な候補者は3番手に沈みました。「ハテ?」「なぜ?」と、問わずにはおられません。

 それでも、選挙は選挙。開票結果は厳粛に受けとめざるを得ません。トランプのように、「選挙結果は間違っている。都庁を襲撃せよ」などと言ってはなりません。300万に近い東京都の有権者が、稀代のウソつきの都知事三選を容認しました。これが今回投票に表れた、取りあえずの都民の民意です。あと4年、都民は「ウソつき知事」で我慢しなければなりません。4年の我慢…。なんとも長い期間ですが。

 本来、選挙とは、有権者の民意を問うべきもの。候補者間の政策論争がなくてはなりません。そのための主要候補者の討論会。これまでの都知事選では、当然のこととしてNHKや民放のテレビ討論会が行われてきました。しかし、今回は一度も実現しなかった。ネットでの討論会がたった一度ありましたが、極めて不十分。消化不良が否めません。

 なぜ、討論会が実現しなかったか。ウソつき百合子が論戦を不利と見て、逃げたからです。こんな人物を是として、多数の都民が投票しました。なぜ? 民主主義衰弱の病根は根が深いと思わざるを得ません。

 バイデンは不利を承知で論戦に臨みました。論戦を逃げなかった。それだけで、民主主義国のリーダーとしての資質を認めなければなりません。が、ウソつき百合子は論戦を逃げまくり、逃げ通しました。

 ウソつき百合子が論戦を不利と見て逃げた最大の原因は、学歴詐称問題です。学歴など取りに足りない問題です。しかし、ことさらのウソは大きな問題です。彼女は、小さなウソを隠すために、ウソを重ねてきました。ウソで塗り固められた哀しい人生。ですが、そのウソは、彼女一人の哀れだけにとどまらない、大きな影響を及ぼすものとなっています。

 いまや、彼女のカイロ大学卒業という看板を真実と信じる人が存在するとは思えません。それでも、討論の場で公然と学歴詐称を論じられることには耐えられなかったのでしょう。学歴詐称を誤魔化す工作のために、エジプト軍事政権に大きな借りを作り、その国と政権に操られる存在になっているとの指摘を避けたかったのです。

 こうしてウソつき百合子は論戦を避けて逃げ切り、三度目の知事戦に当選しました。8年前は、自民党を攻撃して民意を掠めとり、今回は表立たないように自民党の応援を受けてのことです。「勝てば官軍」です。「選挙に勝てば、ウソつきも知事」なのです。

 しかし、選挙によって百合子のウソが真実に変わったわけではありません。神宮外苑間の再開発も、築地市場跡地も、五輪選手村も、三井不動産ファーストも、電通との腐れ縁も、関連企業への天下りも、在日ヘイトの体質も、歴史修正主義も、議会での答弁拒否の姿勢も、何もかも旧態依然のまま。

 このウソつき百合子に対する制裁の一つは、刑事告発です。公選法235条の虚偽事項公表罪は最高刑禁錮2年。有罪になれば、公民権停止となって知事の資格を失います。しかし、民主主義の本道は広範な世論の声を糾合して、ウソつき百合子を政治的に追い詰めること。

 「あと4年は、ウソつき知事で我慢」は、決して「4年間は知事のなすがままににお任せ」と同義ではありません。ウソつき知事を監視し、批判し、批判の声を挙げ、行動すること。それこそが民主主義の下での有権者のあり方です。

 情報を集め、真偽を判断し、そして「ウソつきは我が国の首都の知事にふさわしくない」「退陣せよ」との声を上げ続けましょう。その声を糾合しましょう。民主主義のために。地方自治のために。私たちの住む東京のために。

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