旧優生保護法は、「君のため国のために、身を捨つることこそ臣民の道」と教え込まれた教育勅語世代の議員による全会一致の立法だった。ようやくにして、個人の尊厳を立脚点にこの法律を違憲・違法とする大法廷判決が出て、国家も社会もこれを受け入れる時代となった。76年かけてのことである。
(2024年7月30日)
2024年7月がもうすぐ終わる。ひたすらに暑いというだけの7月ではなかった。我が国の人権と司法にとって、珍しく明るい話題が提供された7月であった。
7月3日、最高裁大法廷は、旧優生保護法を違憲とし、同法に基づいて特定の障害に不妊手術を強制した国に賠償を命じる判決を言い渡した。
判決は、旧優生保護法の当該条項を「個人の尊厳と人格の尊重の精神に著しく反する」とし、「国会議員の立法行為は、国家賠償法1条1項の適用上違法」と断じた。優生保護法を成立させた議員の立法行為を違法と明言した点で、画期的な判決と言ってよい。
7月17日、岸田文雄首相は原告の障害者ら130人と首相官邸で面会し、「政府の責任は極めて重大。心から申し訳なく思っており、政府を代表して謝罪を申し上げる」と、障害者らに直接謝罪した。
また、確定していない他の関連訴訟において、20年たつと賠償請求できない「除斥期間」の主張を撤回する方針を表明。「和解による解決を速やかに目指す」とし、新たな補償制度の創設については本人と配偶者も含めて幅広く対象とする考えも示した。
7月24日には超党派の議員連盟プロジェクトチームが発足し、次の国会に向けての新たな補償制度などに関する議論が始まった。
そして昨日(7月29日)、政府は全閣僚で構成する「障害者に対する偏見や差別のない共生社会の実現に向けた対策推進本部」の初会合を首相官邸で開いた。3日の最高裁判決を踏まえて、本部長の岸田文雄首相は、「障害者への社会的障壁を取り除くのは社会の責務であり、社会全体が変わらなければならない。偏見・差別の根絶に向け、政府一丸となって取り組む」と強調したと報じられている。遅きに失したとは言え、その姿勢は評価に値する。
ところで、旧優生保護法が成立したのは1948年6月。超党派議員の議員提案の法案審議ののち、衆参両院とも全会一致での立法であった。日本国憲法の施行が47年5月のこと、基本的人権という概念すらなかった天皇制国家からの脱却不十分な時期とは言え、全会一致には驚くしかない。
立法府の議員たちは、皇国思想に親和性の高い優生思想に取り憑かれていた。内心まで汚染されていたと言っても、マインドコントロールから抜け切れていなかったと言ってもよい。民族や国家のための個人、社会や国家あっての個人、という固定観念から逃れ切っていないのだ。「君のため国のために、身を捨つることこそ臣民の道」と叩き込まれた人々である。人の成長のすべてを、「天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ」に収斂させる教育勅語で育てられた世代である。「障害者に生きる価値はない」と公言することはないにせよ、「国家社会の見地からは、重度の障害者は生まれてこなくてもよい」「生まないようにした方がよい」との思いから抜けきれなかった。新米主権者としての議員の、そのような思いが残酷な立法を可能にした。
石原慎太郎という、いたって口の軽い、その意味では分かり易い、極右の政治家がいた。今、小池百合子を知事にしている都民は、かつてはこの石原を都知事にした。1999年9月、就任早々の石原は、重度障害者療育施設である府中療育センターを視察して、こう発言した。「ああいう人ってのは人格あるのかね。ショックを受けた。みなさんどう思うかな。絶対よくならない、自分がだれだか分からない、人間として生まれてきたけれどああいう障害で、ああいう状態になって」「ああいう問題って安楽死につながるんじゃないかという気がする」
実に分かり易く、優生思想のなんたるかを語っている。1948年における「無数の石原慎太郎」が旧優生保護法を立法し、よにしてにして2024年7月の最高裁が、優生思想による立法を違憲違法と断じたのだ。
憲法13条に「個人の尊重」、24条2項に「個人の尊厳」という言葉が出てくる。これが、近代憲法のヘソだ。手段的な価値ではない、目的的な憲法価値。「個人の尊重」「個人の尊厳」こそが、公理である。
国家に有用だから、社会に有益だから、人は尊ばれるのではない。人は人であるだけで、人は人であればこそ、尊厳を有し尊重されなければならない。いかなる人も、人である限り、分け隔てなく等しく、その人格の尊厳を重んじられなければならない。
人は平等である。「人種、信条、性別、社会的身分又は門地」その他一切の理由で差別されることはない。もちろん、身体的知的な障害の有無や程度によって差別されることはない。
基本的人権の帰属主体である個人は、国家や、社会や、経済力や、同調圧力等々と対峙する存在である。国家や社会や経済力や同調圧力や、つまりは多数派の側からものを見るのではなく、基本的人権の側から、つまりは個人の尊厳を出発点にしてものを考える立場に立てば、7月3日大法廷判決となるのだ。
憲法施行からそろそろ80年。ようやくにして、教育勅語の残り滓の腐敗臭を脱した大法廷判決が言い渡されて、政治も社会もこれを受け容れる素地ができたように見える。感慨一入である。