澤藤統一郎の憲法日記

改憲阻止の立場で10年間毎日書き続け、その後は時折に掲載しています。

森下俊三経営委員長の責任を問う《NHK文書開示請求訴訟》被告本人森下俊三に対する尋問のお知らせ

(2023年5月31日)

NHKの報道姿勢に関心を持つ市民の皆様
そして報道各社の皆様へ

 NHK情報公開制度を活用しての《NHK文書開示請求訴訟》が大詰めです。来週に迫った次回法廷では、森下俊三経営委員長を尋問します。
 ひとも、傍聴と報道をお願いいたします。

  時 6月7日(水) 13時10分?
  (12時30頃に傍聴券配布。12時50分締め切りの予定)
  所 東京地裁103号(大法廷)

 当日の人証は以下の3名です。
  証人 中原常雄(経営委員会事務局長・原告側尋問時間30分)
  被告 森下俊三(経営委員会委員長・原告側尋問時間60分)
  原告 長井 暁(元NHKチーフプロデューサー・尋問時間20分)

 なお、閉廷後に報告集会を行います。こちらにもぜひご参加ください。
  時間 17時30分?
  場所 東京弁護士会502号(A・B・C)

 この訴訟の原告は、NHKを行政のくびきから解放して、独立したジャーナリズムに育てようという、壮大な志を持つ市民運動に携わってきた114名。被告はNHKと、現職の経営委員会委員長・森下俊三氏。
 NHK運営の透明性を確保し、視聴者への説明責任を全うさせようという情報公開請求ですが、情報公開を妨害してきた被告森下の責任を問う訴訟となっています。

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《NHK文書開示請求訴訟》概要の解説

 原告の主たる請求は、「第1316回経営委員会(2018年10月23日開催)議事録」の全面開示です。併せて、議事録の正確性を担保するための録音テープの開示も求めています。形式的にはその義務は被告NHKにありますが、実質的にその義務を妨げているのは被告森下の責任であると原告側は考えています。
「第1316回経営委員会」では、経営委員会が当時のNHK会長上田良一氏に、口頭での厳重注意を言い渡しています。表面上は「ガバナンスの不徹底」「視聴者目線に立っていない」という名目ですが、経営委員会は明らかに外部勢力と一体となって、NHKの番組制作現場に圧力を掛けたのです。だから、放送法が命じている、議事録の作成も、その公表もなかったのです。
 この訴訟の第1回口頭弁論期日(21年9月)を報告する原告団ニュースは20頁に及ぶものですが、その冒頭の大見出しが、「番組妨害・議事録隠し・放送法違反の森下俊三氏が経営委員長の職に留まることを許さない」というものです。このよくできたスローガンが原告・弁護団の合い言葉です。
 問題の発端は、NHKの看板番組「クローズアップ現代+」が「日本郵政のかんぽ生命不正販売」を取りあげたこと。2018年4月のことです。
 この番組が、日本郵政の不興を買って、制作現場のみならずNHK執行部も、当時日本郵政グループの上級副社長であった鈴木康雄氏(元総務次官)を先頭とする攻撃にさらされました。このとき、防波堤となるべき経営委員会は、あろうことか、日本郵政側に立って番組制作現場とNHK会長を攻撃したのです。なんと、経営委員会は、当時の会長を厳重注意としました。
 さすがに恥ずかしくて公表できなかった経営委員会議事録の完全開示を求めて原告らは本件提訴に及んだのです。そうしたら、「議事録のようなもの」が提出されました。しかし、明らかに正規の議事録としての手続を踏んだものではなく、その記載の真偽を確認の術もありません。起こしの元となった録音テープの提出を求めたところ、都合よく「既に廃棄した」というのです。誰が、いつ、なぜ、どのように、廃棄したとは言わずに、ともかく廃棄した、存在しないのだといいます。到底信じがたく、このことが、法廷で尋問の対象となります。


《統一教会スラップ訴訟・有田事件》 第1回期日傍聴と報告集会のお誘い。(拡散希望)

(2023年5月11日)
 5月16日(火)、午後2時から「旧統一教会スラップ訴訟・有田芳生事件」の第1回口頭弁論期日が開かれます。東京地方裁判所103号法廷は、大型の法廷で傍聴席数はほぼ100席。傍聴券配布(午後1時20分から1時40分まで)事件となっていますが、コロナ規制もなく、多くの方に傍聴いただけるはずです。


 閉廷後に報告集会を準備しています。是非、法廷傍聴と報告集会にご参加下さい。報告集会では、島薗進さん(宗教学・東大名誉教授)の記念講演があります。共に闘う立場から、望月衣塑子さん、佐高信さん、鈴木エイトさんの発言も予定されています。また、関連他事件の当事者や弁護団にもご参加を呼び掛け、共に闘う第一歩にしたいと願っています。


 「旧統一教会訴訟・有田事件」第1回口頭弁論期日
  時 5月16日(火)14:00〜 
  所 東京地裁103号法廷(13時20分?40分傍聴券配布)

  進行 訴状・答弁書・準備書面各陳述 書証の提出
     有田芳生さん、光前幸一弁護団長、各意見陳述。


 「有田事件」第1回口頭弁論期日後報告集会
  時 5月16日(火)15:00〜17:00
  所 日比谷公園内・日比谷図書文化館(地下ホール)

  記念講演 島薗進さん(パワポを使っての解説)
   統一教会問題の特異性
   ?.統一教会の政界工作と米国での暴露
   ?.「カルト」問題に対する世界の対応
   ?.統一教会と政教関係の特異性―80年代まで
 「共に闘う」立場からの発言
   望月衣塑子さん・佐高信さん・鈴木エイトさん
  有田訴訟並びに関連各訴訟当事者・弁護団からの挨拶

 統一教会関係者以外、どなたでもご参加ください。
 但し、統一教会関係者の集会への立入りは厳にお断りいたします。

性的マイノリティ・人権論の視点から ― 「法と民主主義」2023年5月号購読のお勧め

(2023年5月10日)

 「法民」今号(578号)の特集は、私が担当した。考えさせられる論稿ばかりで、得るものが多かった。ぜひ、多くの方にお読みいただきたい。

 ご購読は下記のURLから。
 https://www.jdla.jp/houmin/form.html

(目次と記事)
◆特集にあたって … 編集委員会・澤藤統一郎
◆日本におけるLGBTQと法政策の現状と課題 … 谷口洋幸
◆性的マイノリティの権利:出発点 ─ 国際人権法における議論状況 … 前田 朗
◆「性自認」問題の論争点と論争のあり方 … 齊藤笑美子
◆LGBTQ、SOGI(性的指向・性自認)に関わる差別に対し健康を守るために … 藤井ひろみ
◆LGBTQ+の権利保障をめぐる政治と法 ─ 台湾の経験に学ぶ … 鈴木 賢
◆同性婚法制化を求める取組み
─ 「結婚の自由をすべての人に」訴訟と公益社団法人の取組み … 三輪晃義
◆経済産業省事件 ─ トランスジェンダー女性の職場での処遇差別 … 立石結夏
◆日本の不名誉と怠慢 ─ LGBTQ+をめぐる政治的諸問題の諸相 … 北丸雄二

◆司法をめぐる動き〈83〉
 ・金沢市庁舎前使用不許可違憲訴訟 … 北尾美帆
 ・3月の動き … 司法制度委員会
◆連続企画●憲法9条実現のために(45)
 ・安保法制違憲訴訟をたたかう … 内山新吾
 ・山梨でのたたかい … 加藤啓二
◆追悼●日本一の労働弁護士?宮里邦雄先生の思い出? … 棗一郎
◆メディアウオッチ2023●《メディアの役割・国会の役割》
 予算編成後に始まる財源論議 軍拡・戦後大転換に 憲法・歴史観欠くメディアの姿勢 … 丸山重威
◆とっておきの一枚 ─シリーズ?─〈№20〉
 「心の共鳴板」が響く限り … 小野寺利孝先生×佐藤むつみ
◆改憲動向レポート〈№49〉
 自衛隊明記の憲法改正を主張する自民党・公明党・日本維新の会 … 飯島滋明
◆連続企画・学術会議問題を考える(10)
 日本学術会議法「改正」法案、今国会提出見送りへ!!
◆時評●日本学術会議は独立性を失うのか … 戒能通厚
◆ひろば●6団体連絡会に参加して … 宮坂 浩


 「性的指向におけるマイノリティーの人権」(特集リード)

本号の特集は、比較的に新しい分野の人権とされる課題を取りあげる。
 「ジェンダー」や「ジェンダーギャップ」という概念は、社会に定着していると言ってよい。「ジェンダーギャップ」の克服は、既に人権を語る者の共通の課題となっている。
 しかし、「ジェンダー・アイデンティティ」というキーワードが社会に定着しているとは言いがたい。「LGBT」(あるいは「LGBTQ+」)や「SOGI」などの用語について共通の理解が既に確立しているとは思えない。多様な「ジェンダー・アイデンティティ」を人権として把握する社会意識はいまだに希薄である。

 新しい人権を語るときには、人権論の基本に立ち返らねばならない。人権とは何であるのかという根源的な問いかけが必要となる。人権とは、個人の尊厳にほかならない。いかなる性的指向も尊厳をもって遇されなければならない。個人の尊厳を損なうものは、様々な態様の差別である。性的指向におけるマイノリティが、どのような制度や社会意識において差別されているか、その差別の実態を直視し、差別された当事者の痛みを理解し、その差別を克服の対象として自覚しなければならない。

 これまで、差別といえば、民族や人種や国籍や性差や特定の出自・居住地・職業、あるいは身体障害や病気などの属性によるものであった。それぞれに長い反差別の運動があり、差別克服の理論の蓄積もある。しかし、性的指向のマイノリティーに対する差別については、問題が新しいだけに人権擁護を標榜する人々の中にも、理解の不十分を否めない。

 本特集は、「性的マイノリティー」といわれる人々に対する差別の実態を踏まえて、その性的な指向を人権と把握する立場から、法論理や、訴訟、立法のありかたについての現状と議論の内容を報告し、人権擁護の立場に立つ者にとってのスタンダードを提供するものである。

 さらに、少数者の性的指向について人権としての把握を阻んでいたものは、家父長的な家族制度やそれを支えてきた社会意識ではなかったのか。ジェンダーギャップ克服の課題と、ジェンダーアイデンティテイの多様性の承認とは、実は同根のものではないのかという問題意識を各論稿から読みとることができる。この点では、国際人権の議論で一般化しているという「交差性」(複合的な差別)の概念が示唆に富む。

 本特集は8本の論稿から成る。いずれも時宜にかなった、読み応えのある内容となっている。以下にその概要を紹介しておきたい。

 巻頭の谷口洋幸論文は、問題の全体像を明晰に解説し、「LGBTQ関連の法政策における注目される論題」として、「同性同士のパートナー関係」「性別記載の変更」「SOGI差別禁止法制」の三つの論題に着目し、現状と課題を概観している。問題状況とあるべき理念を把握するのに適切この上ない好論文となっている。

 前田朗論文は、国連人権理事会の担当専門家が二〇二一年に発表した「包摂の法」の解説を通して、国際人権論におけるジェンダー・アイデンティティに関する議論を紹介している。いわゆる先進国が到達した法制度や、国際的な世論や政治的な対応の趨勢を理解することができる。

 「LGBTQ」の中で、最大の論争テーマは、「T」(トランス・ジェンダー)における性自認問題である。人権を語る者同士でも、時に激論の対象となる。ここに焦点を絞って「論争のあり方」を論じた貴重な論稿が、齋藤笑美子論文である。これで論争に終止符を打つことにはならなかろうが、その視点はどちらの立場にも示唆に富むものである。なお、問題の本質を「強制異性愛や家父長制との闘いとして理解すべき」とする論者の指摘に真摯に耳を傾けたいと思う。

 藤井ひろみ論文は、医学的見地からの性的マイノリティ論である。かつて医学界は、LGBTを異常性愛であり精神疾患であるとして、治療の対象にした。精神疾患視から、人権としての把握への転換が興味深い。なお、この論文の冒頭部分にキーワードとなる各用語の解説がある。ぜひ、これを参照されたい。

 鈴木賢論文は、アジアの先進国・台湾における、法制化成功例の報告である。同論文は、法形成のための公式ルートとして、「立法(国会)」「司法(憲法裁判所)」「直接民主主義(国民投票)」があり、これをフル稼働させたことが台湾の成功につながったという。そして、国民的な合意形成に支障になったのは宗教勢力であったということも、参考にすべきであろう。

 わが国における同性婚法制化を求める訴訟と運動についての報告が三輪晃義論文である。まず、「結婚の自由をすべての人に」訴訟の意義と狙い、そしてその到達点を確認している。そして、裁判以外での取り組みが、実に楽しそうに生き生きと報告されている。運動論として、興味深い。

 そして、立石結夏論文が、トランス・ジェンダー女性の「経済産業省事件」についての一・二審の報告である。原告となった当事者は、性自認女性であるが、性別適合手術を受けることができない。最も厳しい立場の「性同一性障害」者である。職場での「女性としての処遇」を求めての訴えは、一審では国家賠償法上の違法として認められたが、控訴審では否定された。上告審判決はまだ出ていない。当事者の苦悩がよく分かる論文となっている。

 最後の北丸雄二論文は、ジャーナリストから見た背景事情についての報告である。現政権の首相秘書官による差別的発言が世論の糾弾を受けるという事件が生じて、この問題は法的・社会的問題としてだけでなく政治問題化した現状にある。自民党右派は性的少数者に対する偏見に、宗教カルトあるいは宗教右翼からの掣肘もあって問題を解決できない。しかし、世界と仕事を行うグローバル企業にとっては、この日本の後れは、経済と雇用に影響する大きな問題と意識されているという。

 すべての人権課題がそうであるように、当事者の苦悩、とりわけ差別に対する苦悩について、社会が理解し共感することが出発点である。この理解と共感が広がり、個人の尊厳に関わる人権問題との把握につなげることで道は開けるのであろう。その道は、まだ狭く険しいが、着実に開かれつつある。

                                              (編集委員 澤藤統一郎)

本郷三丁目交差点「かねやす」前で ー 「本郷湯島九条の会」からの訴え

(2023年5月9日)
 本日は5月9日、第2次大戦の主戦場だったヨーロッパの戦争が終わった日です。ドイツの連合国への降伏文書調印時刻は、ベルリン時間で1945年5月9日午前0時15分であったとされています。この歴史的な戦勝記念日を5月8日とする国も、5月9日とする国もありますが、いずれにせよ本日以後ヨーロッパの戦禍は止みました。

 5月9日以後も、連合国と絶望的な戦いを続けたのは日本でした。4月末までに、ムソリーニはパルチザンに処刑され、ヒトラーは自殺しました。残るヒロヒトだけが生き延びていて、「もう一度戦果を上げてからの有利な和睦」に固執して、日本各地の空襲や沖縄地上戦の悲劇を招いただけでなく、ヒロシマ・ナガサキの惨劇にまで至って、無条件降伏を余儀なくされました。

 こうして、天皇の国・大日本帝国は、3か月後の8月に亡びました。自ら始めた戦争によって、近隣諸国にこの上ない惨禍をもたらしてのことです。新しい日本の再生は、再びの戦争を繰り返さない、平和国家の建設以外にはあり得ませんでした。

 もっとも、戦争への反省の仕方は、二通りありました。一つは、軍事力が足りなかったという反省の仕方です。もっと強い軍隊をもち、もっと強力な武器を備え、もっと国防思想を高め、国力をもっともっと軍事に傾注していれば、世界を敵にまわしても戦いに負けることなかった。今回は負けたが、今に、どの国にも負けない軍事大国に日本を育てなければならない、という反省です。

 これは、戦争の準備こそが自国の安全を保障するという考え方です。他国は全て敵、隙あらば侵略を狙っているのだから軍事的な威嚇をもって敵に対処しなければならない。自国の軍事力を強大化し戦争の態勢を整えることこそが、敵国に対して侵略の意図を思いとどまらせる抑止力となる。この軍事的な抑止力こそが自国の安全を保障するもの、という考え方。

 これに対峙して、平和を獲得するためには平和に徹しなければならない、という考え方があります。近隣諸国も自国民と同様に平和を願う人々と信頼して、すべてのトラブルは外交で解決することにより平和を実現しようという考えです。自国の安全のために戦争を準備するというやり方は、明治維新以来の大日本帝国の基本路線であり、その失敗に学んだはずではないか、という批判に立ってのものです。

 相手国に対する不信は、自国に対する不信となって返ってくる。敵視は敵視を生み、仮想敵国に対する軍備の増強は際限のない軍拡競争に陥るばかり。新生日本は平和憲法を制定し、軍隊を持たない国、軍事力に頼らない国としての大方針を確定しました。文字通り、戦争のない世界を目指して、人類の理想を自ら実践する道を選んだのです。

 残念ながら、平和に徹する道の実践は長続きしませんでした。しかし、不徹底ながらも、憲法9条は生き続け、その生命力を保ち続けて今日に至っています。

 これを「平和を望むなら戦争の準備を」という思想に転換しようというのが、戦後一貫した保守政権の立場です。安倍政権で質的転換が起こり、岸田政権がこれを完成しようとたくらんでいます。憲法の危機、平和の危機と、心を痛めざるを得ません。

 昨年の12月16日、「安全保障3文書」が閣議決定となりました。その基本思想は、軍事大国化の推進によって我が国の安全を守ろうというものです。幾つかのキーワードがありますが、まずは「大軍拡・大増税」。皆さん、容認できますか。

 そして、「敵基地攻撃能力保有」です。明らかに専守防衛ではなく、他国を攻撃することもあるぞ、という宣言です。しかも、集団的自衛権行使と組み合わせて、日本ではなく同盟国の軍隊が攻撃を受けた際にも、敵基地攻撃ができるし、そのような能力を持とうと言うのです。

 さらにもう一つのキーワードが、「武器輸出」です。防衛産業を育成し、武器輸出を認める方向に踏み出すことを明確にしています。ご覧ください、本日のプラスターは、武器輸出を認めてはならない、というものです。

★武器輸出 憲法9条目のかたき
★緊張を高めてもうける武器輸出
★武器輸出 9条の国崩壊す
★武器輸出 あらたな戦前目の前に
★武器輸出 死の商人がほくそ笑む
★戦争へ 軍拡増税 武器輸出
★9条の陰でたくらむ武器輸出
★馬鹿げてる! 武器輸出、もうけた金で武器購入。

 かつて、「武器輸出3原則」というものがありました。三木内閣以来、その運用として、事実上武器の輸出はしないことを取り決めてきました。ところが、第2次安倍政権の2014年、「装備移転3原則」と名前を変えて、武器輸出の道を開きました。

 そして、岸田政権は「防衛産業強化法案」を提出して、防衛産業を育成し、さらに武器輸出の道を広げようとしています。これが、本日衆議院を通過しようという情勢と報じられています。同盟国を強化することによって、集団的に抑止力を高めようという発想によるものです。

 皆さん、武器とは人を殺傷する道具ではありませんか。大量の殺人や傷害、建造物の破壊以外に、役に立つものではありません。そんなものを製造する産業を育成しようという方針が、明らかにまちがっています。武器輸出となれば、なおさら非人道と指摘せざるを得ません。

 私たちは、平和のためには戦争の準備をせよという、デマに踊らされてはなりません。今こそ平和憲法を擁護して、国際平和に貢献しなければならないと思います。それこそが、戦争の惨禍を経て生き残った私たちの、人類の理想に対する責務だと思うのです。

《旧統一教会スラップ訴訟・有田芳生事件》 ー 「第1回弁論期日」と「報告集会」のお知らせ(拡散希望)

(2023年5月7日)
 5月16日(火)の《旧統一教会スラップ訴訟・有田芳生事件》「第1回口頭弁論期日」(東京地裁)と、「報告集会」(日比谷図書文化館)のお知らせです。
 統一教会関係者以外、どなたでもご参加いただけます。ぜひ、お越しください。

 下記は、有田芳生さんが「共に闘う会」のホームページにアップした《闘争宣言》の一節です。

▼教団が韓国で生まれて68年目。統一教会=家庭連合は組織内外に多くの被害者を生んできました。まさに反社会的集団です。私は元信者はもちろん現役信者とも交流してきて思ったものです。日本史に埋め込まれた朝鮮半島への贖罪意識を巧みに利用して真面目な信者を違法行為に駆り立ててきた統一教会の犯罪的行為の数々は絶対に許すわけにはいきません。

▼安倍晋三元総理銃撃事件事件をきっかけに、自民党との癒着など「戦後史の闇」の蓋が開きはじめました。私は信頼する弁護団と社会課題についてはたとえ立場が異なれども教団に立ち向かう一点で集ってくれた「有田さんと闘う会」の高い志を抱きしめて、みなさんとともに、統一教会と徹底的に本気で闘っていきます。

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 旧統一教会は、自身への批判の言論を嫌って、紀藤正樹弁護士、本村健太郎弁護士、八代英輝弁護士らの発言に対するスラップ訴訟を濫発しています。ジャーナリストの有田芳生さんも、日本テレビと共に理不尽な提訴を受けた一人です。

 私たちは、表現の自由保障の立場から、5件の統一教会スラップ訴訟のすべてで、力を合わせて早期に勝利しなければならないと考えています。

 5月16日(火)、下記のとおり「旧統一教会スラップ訴訟・有田芳生事件」の第1回口頭弁論期日が開かれます。東京地方裁判所103号は、大型法廷で傍聴席数はほぼ100席。傍聴券配布事件とはなっていますが、コロナ規制もなく、多くの方に傍聴いただけるはずです。

 閉廷後に報告集会を企画しています。是非、傍聴と集会にご参加下さい。報告集会では、島薗進さんの記念講演があります。共に闘う立場から、望月衣塑子さん、佐高信さん、鈴木エイトさんの発言も予定されています。また、関連他事件の当事者や弁護団にもご参加を呼び掛け、共に闘う第一歩にしたいと願っています。

 「旧統一教会訴訟・有田事件」第1回口頭弁論期日
  時 5月16日(火)14:00〜 
  所 東京地裁103号法廷(13時30分ころ、傍聴券発付が予想されます)
  進行 訴状・答弁書・準備書面陳述
     有田芳生さん、光前幸一弁護団長、各意見陳述。

 「有田事件」第1回口頭弁論期日後報告集会
  時 5月16日(火)15:00〜17:00
  所 日比谷公園内・日比谷図書文化館(地下ホール)

  記念講演  島薗進氏

  「共に闘う」立場からの発言

   望月衣塑子・佐高信・鈴木エイトの各氏

  有田訴訟並びに関連各訴訟当事者・弁護団からの挨拶

なお、統一教会関係者の立入りは厳にお断りいたします。

不敬の勧め ― 不敬であれ、不敬を貫け、不敬を誇りにせよ。

(2023年5月6日)
 本日,新英国王の戴冠式だという。いい大人が、何という滑稽でバカバカしい儀式。奇を衒った装飾やら衣装やら勲章やら、パレードやら。恥ずかしくないか。いまどき、もったいぶってこんなことをやっている連中の正気を疑わねばならない。

 その戴冠式はウェストミンスター寺院で行われ、英国国教会の最高位聖職者であるカンタベリー大主教から王冠を授けられるという。王権の神授を、被治者の目に見せようという魂胆である。

 これを「目くじら立てるほどのことでもなかろう」という世の良識に,敢えて異を称えよう。王位も王冠も、くだらぬ無意味なものではない。この上なく有害なものなのだから。もちろん英国の王位ばかりではない、我が国の天皇制についても同じことだ。民主主義を語るほどの者は、すべからく不敬に徹しなくてはならない。天皇に対する批判の言論に,いささかの萎縮や躊躇もあってはならない。

 40年ほども昔、岩手靖国違憲訴訟に取り組んでいたころ。「不敬言動監視委員会」とか、「不敬摘発取締本部」などと名乗るグループから、何通かの警告文を頂戴したことがある。私の以下のような発言が「天皇陛下に対する不敬」に当たるということだった。

 「天皇は、国民主権・民主主義の敵対物である。しかし、特殊な歴史的事情から民主主義を根幹とする『日本国憲法』の不徹底部分に生き残った。憲法に明記されている以上は、将来の憲法改正が実現するまで、天皇の存在を違憲とは言えない。しかしそれは、人権と民主主義に人畜無害な形としてあるものと運用し,解釈しなければならない」

 「天皇という危険物を、その有害性の発動に歯止めを掛け、人権や国民主権・民主主義に人畜無害な存在にとどめるための憲法上の安全装置が、政教分離にほかならない」

 「かつて天皇は神聖な神として臣民に君臨し、国民精神を支配した。日本国憲法は、天皇の主権と軍事大権を剥奪しただけでは足りず、精神的権威の根源たる国家神道(天皇教)を厳格に禁じた。これが日本の政教分離である。再び天皇を神としてはならないとする保証の制度である」

 右翼グループから不敬と指摘されて、私はあらためて不敬の大切さを認識した。そうだ、象徴天皇の危険を見くびってはならない。不敬に徹しなければならない。

 宮武外骨というジャーナリストがいた。晩年の彼は、その自叙伝の表題を『予は危険人物なり』とした。そのような覚悟で、天皇制権力としたたかに対峙しながら、生きてきた人である。不敬罪での逮捕の経験もあり、投獄は3年8か月に及んだという。また、その著書の中で、敢えて「予の先祖は備中の穢多であるそうな」とも書いている。尊敬に値する人物。

 天皇とは旧社会の諸悪の残滓にほかならない。何よりも家父長制温存の悪しき象徴である。世襲制度や血に対する信仰の愚かさとその害悪は、今さら言うまでもない。世襲が何代も続いたことを何か素晴らしいことのようにもてはやす価値観は愚かの極みと言わざるを得ない。また、天皇は、出自での差別を容認する社会の象徴でもある。人は、生まれで貴賤を判別されてはならない。そのことを徹底する最も確実な方法は、天皇制を廃絶することである。天皇をなくして、民主主義社会は何の痛痒も受けない。天皇がないと社会の安定が壊れるという論説は、我が国の民主主義の未成熟を嘆いて見せているだけのことである。

 英国の戴冠式、他人事として眺めていないで、まずは不敬の覚悟を固めよう。 

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