澤藤統一郎の憲法日記

改憲阻止の立場で10年間毎日書き続け、その後は時折に掲載しています。

「自由は死せず」 ー 板垣退助や安倍晋三の生死にかかわらず。

(2023年3月30日・連日更新満10年まであと1日)
 時折、産経新聞が私のメールにも記事を配信してくれる。友人からの紹介で、ネットの産経記事を読むこともある。他紙には出ていない、いかにも産経らしい取材対象が興味深い。そして独特の右側に寄り目でのものの見方が面白い。営業成績の苦境を伝えられている産経だが、メデイアには多様性があってしかるべきだ。

 下記は、3月26日19:30のネット記事である。藤木祥平という記者の署名記事。

https://www.sankei.com/article/20230326-42GTY2H7FBKP7PRKWKKAROYUSM/

「板垣死すとも?」死せぬ自由誓い安倍氏慰霊祭、憂国の遺志「重ねずにはいられない」

 この見出しだけでは何のことだか分からない。が、板垣退助と安倍晋三とを重ね併せて、両人ともに「自由を死なせずに擁護した」立派な政治家と持ち上げるイベントを取材し、なんともクサイ記事にまとめたもの。いかにも、産経らしさの滲み出た興味津々たる記事である。

 この記事のリードを引用するのが分かり易い。「板垣死すとも自由は死せず」?。明治15(1882)年、自由党の党首として自由民権運動を推進していた板垣退助は岐阜で遊説中に暴漢から襲われた際、こう叫んだとされる。昨年7月、奈良市で参院選の演説中に安倍晋三元首相が銃撃され死亡したのは、板垣の「岐阜遭難事件」から140年の節目。命がけで国を憂いた2人の政治家を「重ねずにはいられない」として26日、板垣の玄孫(やしゃご)らが大阪市内で安倍氏の慰霊祭を営み、彼らの精神を受け継ぐ決意を新たにした」

 「板垣退助先生顕彰会」なるものがあるという。1968年、板垣の50回忌に佐藤栄作が名誉総裁となって設立された団体だそうだ。土佐の板垣退助の顕彰を長州出身の佐藤がなぜ? ではあるが、その説明はない。そして、2018年の100回忌に合わせ位牌を新調する際、当時の自民党総裁であった安倍晋三に依頼した。こうして、「板垣ゆかりの高野寺(高知市)に奉納されている位牌には、彼の不屈の精神を表すあの叫びが刻まれている。その言葉を揮毫したのが安倍氏だった」という。

 「あの叫び」というのが、「板垣死すとも自由は死せず」という独り歩きしている例のフレーズである。本当に板垣がそう言ったのかは大いに疑わしい。捏造説の方が随分と説得力があるが、それはさて措く。明らかなのは、板垣退助を「自由民権を希求した政治家」と持ち上げるのは、何らかの魂胆あってのフェイクに過ぎないことである。

 岐阜で暴漢に襲われた1882年4月当時、確かに彼は自由党の総理として高揚する「自由民権運動の旗手」であった。しかしすぐに変節する。本来の彼に戻ったというべきかも知れない。

 同年11月から翌年6月まで、彼はヨーロッパに外遊してしまうのだ。自由党に対する弾圧事件が頻発する中で、闘わずして逃げ出したと言ってよい。当時の彼に洋行の費用の工面ができたはずはない。政府の仕掛けに乗り、三井の金で懐柔されたのだ。もちろん、帰国後に板垣が反体制の立場で奮闘したわけではない。解党論を説いて、1884年には自由党を解散させている。

 その後、板垣は伯爵となり、政治家としては2度の内務大臣にもなっている。自由民権の活動家ではなく、藩閥政治の保守政治家になりさがったのだ。だから、どっぷり保守の佐藤栄作や安倍晋三とは相通じるところがあるのだろう。それだけではない。板垣については、こんなエピソードが残っている。

 板垣洋行の直前に、洋行資金の出所に疑惑ありと世に騒がれた自由党は、「板垣退助総理の外遊反対」を決議している。この決議を突きつけられた板垣は、党の幹部連に対して、「他日若し今回の事件にして、余に一点汚穢の事実の確証する者あらば、余は諸君に対して、其罪を謝するに割腹を以てせん」と誓約している。

 割腹は大仰だが、「私はけっして悪くない。政治家としての命を賭ける」という言い方は、安倍とおんなじだ。森友事件発覚初期における安倍晋三の17年2月17日国会答弁、「繰り返して申し上げますが、私も妻も一切、この認可にもあるいは国有地の払い下げにも関係ないわけでありまして…、私や妻が関係していたということになれば、まさに私は、それはもう間違いなく総理大臣も国会議員もやめるということははっきりと申し上げておきたい」は、板垣の誓約となんと酷似していることだろう。

 もちろん、その後の板垣が腹を切ることはなく、安倍晋三も職を辞していない。板垣と安倍晋三、高潔さを欠く点でも自分の言葉に無責任な点でもよく似た人物なのだ。もともと、反権力とも自由とも無縁の人物。ちょっと気取って、似合わぬながらの「自由の旗手」のポーズをとって見たことがある程度。

 とはいうものの、この産経記事の中には次のような関係者の言葉が連ねられている。「(安倍晋三)総理の優しいお人柄を垣間見ることができた」「板垣は肉体としては亡くなったが、その精神は滅びない」「自由民権運動は終わってなどいない。今の政党政治に受け継がれている」「民意を問う選挙の最中に行われたこの暴力的行為を許すことはできない」「(安倍氏は)客観的にも、国民から最も愛された首相だ」「事件の重大さを今一度思い返してほしい」。さすが産経である。

「安倍国葬」強行は、安倍政治承継と改憲の宣言である。

(2022年9月13日)                                                                         
 きょうは、青空に白い雲がゆっくり泳いでいます。その青空を仰ぎながらの「本郷湯島九条の会」の街頭宣伝です。私は、「九条の会」の石井彰です。安倍晋三氏の「国葬」に反対しています

 宣伝行動の始まる前に、中年のご婦人が私たちの用意した「安倍国葬反対」のプラスターを見て、「ほんとにそうよ。何でこんな人に敬意だの弔意だのしなけりゃなんないの。冗談じゃないよ」と言って息巻いていました。まことに、おっしゃるとおりです。国葬反対は、今や大きな世論となっています。

 安倍晋三氏の「国葬」に反対する理由の核心にあるものは、「国葬」をおこなうことそれ自体が、全ての国民に安倍晋三氏に対する弔意を強制する意味をもつことになるということです。「国葬」に伴う黙祷や歌舞音曲停止という具体的な行為の強制があってはならないのはもちろんのこと、全ての国民がこぞって弔意を表明すると意味付けられた儀式の挙行は、明らかに弔意を表したくないという国民の内心を傷付けます。全ての国民が費用負担を強いられることにも納得できるはずはありません。

 日本国憲法は、個人の尊厳を最高の価値としています。そのことを定める憲法13条は日本国憲法の核心部分です。この核心部分をものの見事に崩落させて、国の意思によって、特定の人物に対する弔意を強制するのが、「国葬」なのです。

 安部晋三元首相が2022年7月8日に奈良市で銃撃で殺害された事件そのものが民主主義社会においてあってはならない所業であり、絶対に許されない行為であることは言うまでもありません。しかしこの事件をきっかけに、自民党が統一協会・国際勝共連合と半世紀にわたって深い癒着の関係にあったことが露呈しました。その自民党の中心に安倍三代、岸信介・安倍晋太郎・安倍晋三がいました。この三代が、韓国発祥の統一協会・国際勝共連合に「日本という国を売り渡していた」ことが明らかになったのです。

 その安倍氏を「国葬」にすることは日本人の理性の欠如を世界に示すことにほかなりません。その結果、「国葬」とは、安倍氏の葬儀であるよりは、日本という沈殿した国の葬儀になっしまったのではないでしょうか。

 「国葬」を実施するのかやめるのか。それはカゲロウの国になるのか、理性・民主主義国家への道を歩むのかの分水嶺です。「国葬」反対の世論を全国で圧倒的に広げようではありませんか。

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 皆さま、月に一度の街頭宣伝です。「本郷湯島九条の会」の澤藤が最後にお話しをさせていただきます。もう少しの時間、耳をお貸しください。

 予定されている安倍晋三の国葬、轟々たる反対世論を押し切って、まだ政府は撤回しようとしません。無理をしてでも、やってしまおうという姿勢です。

 国葬反対の理由は、先程来、いくつも語られてきました。その多くは、国葬そのものが違憲であり、あるいは立憲主義に反し、あるいはこの度の国葬が手続き的に許されない、というものです。しかし、分かり易いのは、「国葬反対」論よりは「安倍国葬反対」論です。端的に言えば、「ウソつき晋三に国葬はふざけている」というフレーズ。

 国葬の対象となるには、国民がこぞって敬意を表するにふさわしい人、それゆえに国民の大多数が弔意を表明したいという人でなくてはなりません。そのような人を具体的に想定することは困難ですが、少なくとも、安倍晋三が国葬にふさわしい人物でないことは明白ではありませんか。

 彼は、少なくとも国会で118回のウソをついたことが明らかになっています。ウソつきを国葬にしてはいけません。

 彼は政治を私物化したとして悪名高い人物です。彼は、忖度という政治文化を蔓延させました。安倍政治とは、公文書の偽造・隠匿・改竄、ウソとゴマカシで特徴付けられています。要するに、安倍晋三とは尊敬に値する人物ではなく、道義的にも政治的にも廉潔性を欠いた、薄汚い唾棄すべき人物なのです。こんな汚い人物が国葬にふさわしくないことは明らかではありませんか。

 内政外交に安倍晋三が遺したのは負のレガシーばかり。アベノミクスで格差と貧困を拡げ日本経済を衰退させました。アベノマスクでは無能無策をさらけ出して国家財政に巨額な負担を負わせ、ウラディーミルのお友達としてどこまでも駆けて駆けて駆け抜けた無能な外交手腕。

 何よりも、彼は改憲論者でした。日本国憲法を敵視し、とりわけその平和主義をせせら笑って攻撃し、核共有論さえ語っていた人物です。とうてい、国民こぞって敬意を表明し、その死を悼むことのできる人物ではありません。

 しかも、彼は3代続いた年季のはいった統一教会との同志ではありませんか。筋金入りの反共というイデオロギーで結びついた同志。その関係が今暴かれつつあります。

 無理を承知で、こんな人物の国葬を強行しようというのは、現政権に魂胆があるからです。安倍政治の悪政を国民に忘れさせ、国民からの批判のトゲを抜き、安倍政治を国民に承認させ、安倍晋三が果たせなかった改憲を実現するための安倍政治承継の魂胆。それは、改憲への道筋を付けようとするものにほかなりません。

 安倍晋三の死を政治的に利用しようというたくらみを許容することはできません。どのような死に方をしようとも、安倍晋三の生前の所業をごまかしてはならない。ウソつき晋三を国葬という化粧で塗り込め、その罪を覆い隠すして、改憲策動に利用しようというたくらみを決して許してはなりません。

 ですから、皆さん。国葬参加者を注視しましょう。いったい誰が、なんのために、ウソつき晋三の国葬に参加するのか。これだけ違憲・違法と評判の悪い国葬に、敢えて出席するのか。どの政党、どの政治家、どの首長、どのジャーナリスト・経済人が出席するのか見極めようではありませんか。 

 街頭から、もう一度「安倍国葬反対」と呼びかけて、ここ本郷三丁目交差点での本郷湯島九条の会の訴えを終わります。

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 [本日のプラスター]★「国葬」反対、モリ・カケ・サクラ・クロカワイ。★国民不在「国葬」反対。★人類の理想・戦争放棄の9条。★「国葬」反対、政治の私物化許すな。★「国葬」イントク・カイザン・コウブンショ。★軍事費12兆円、アメリカの盾、捨て石ゴメンデス。★「国葬」反対ウソの答弁118回。

政治を私物化した、あのウソつきを国葬に? それこそ民主主義の危機だ。

(2022年7月14日)
 安倍晋三は、政治を私物化したウソつき政治家だった。生前の功績など、一つとして私は知らない。罪科の方なら、いくつも数え上げることができる。端的に言えば、彼は日本民主主義を壊した。その意味で大きな負のレガシーを遺した。「こんな人物」を長く首相にしておいたことが、主権者の一人として恥ずかしい。我が国の民主主義は、ウソつきを首相に据えるにふさわしい水準だったということになる。

 このウソつきが、ようやくにして首相の座を下りた。首相の時代の深刻な政治の私物化や、数々のウソや、告発された犯罪や、公文書の隠蔽・改竄、虚偽答弁の数々…。その疑惑の解明が不可避の民主主義的課題でありながら、遅々として進まぬうちに彼は亡くなった。

 ところが驚いた。このウソつき政治家が死んだら、国葬だという。タチの悪いウソをつかれている思いだが、現首相は本気のご様子だ。岸田はやっぱり、右側の片耳しか聞こえないのか。そりゃあり得ない、とんでもないこと。正気の沙汰ではない。反対側の耳もほじって、考え直してもらわねばならない。

 「岸田文雄首相は14日の記者会見で、8日に街頭演説中に銃撃を受けて死亡した安倍晋三元首相の『国葬儀』を秋にも執り行う考えを明らかにした。費用は全額政府が拠出する。首相は安倍氏について『ご功績は誠に素晴らしいものだ』とした上で『国葬儀を執り行うことで、我が国は暴力に屈せず、民主主義を断固として守り抜くという決意を示していく』と述べた」(朝日)

 これには、呆れた。「ご功績は誠に素晴らしいもの」「我が国は暴力に屈せず、民主主義を断固として守り抜く」には、二の句が継げない。まるで、岸田文雄には、安倍晋三のウソつきぶりが乗り移ったごとくではないか。

 長く権力を掌握した安倍晋三の生前における政治の私物化や、数知れぬウソや、告発された未解明の犯罪の数々や、公文書の隠蔽・改竄等々こそ、「民主主義が断固として許さざるところ」であった。そして今や、この安倍晋三の悪行の総てを誰への忖度もなく暴いて真実を明らかにすることこそが民主主義の求めるものなのだ。

 だから、生前の安倍晋三の悪行を余すところなく明らかにすることこそが「権力に屈せず民主主義を断固として守り抜く」ことになるのだ。安倍晋三の国葬は、民主主義に反する悪行を重ねてきた安倍の死の政治利用として「民主主義を断固として破壊する決意」を示すものである。

 安倍晋三の国葬は、その生前の悪行を隠蔽するためのイチジクの葉である。安倍晋三を持ち上げることで、憲法改悪や国防国家化を推し進めようとする保守勢力のたくらみを許すことでもある。安倍の死を政治利用しようという連中にとっては、安倍の悪行が明らかになっては困るのだ。その臭い物に、蓋となるのが国葬なのだ。

 「国葬儀」なるもののイメージはつかみがたい。が、国家・国民こぞって、このウソつきを追悼しようというたくらみであることは確かだろう。
 しかし、考えてもみよ。ウソつきを国家・国民こぞって追悼できるだろうか。お仲間だけでやっていればよいことだ。国政を私物化した人物についても同様である。プーチンと親友だった人物、トランプに卑屈だった男、そして、無為無策無能の政治家。歴史修正主義者で民族差別主義者で、ただただ日本国憲法に敵意を剥き出しにしてきた三代目の保守世襲政治家。生前も公私混同甚だしかった安倍晋三だが、死してなおこの始末。

 どう考えても、ウソとごまかしをもっぱらにしてきた安倍晋三である。こんな評判の悪い人物を国葬にしちゃあいけない。当たり前のことだ。安倍晋三の生前の所業を厳しく断罪することが民主主義と国民の道義を回復する本道である。国葬は、明らかにこの本道を逆走させるものでしかない。悪いことは言わない、やめておきなさいよ岸田さん。

えっ? 安倍晋三を国葬に? ご冗談もほどほどに。

(2022年7月13日)
 本日の産経新聞・朝刊の一面トップに、何ともおどろおどろしくも不愉快極まる大見出し。「安倍氏『国葬』待望論 法整備や国費投入課題 政府『国民葬』模索も」。その記事の一部を引用する。

 「参院選の街頭演説中に銃撃され死亡した安倍晋三元首相の政府主導の葬儀について、自民党内や保守層から「国葬」を求める声が上がっている。ただ、元首相の葬儀に国費を投じることには批判的な意見も根強い。国家に貢献した功労者をどう弔うのか─。政府は今後、検討を進めるが、…」

 「過去の例に照らせば、国葬となる可能性は高くない。同42年に生前の功績を考慮して吉田茂元首相の国葬が例外的に行われたが、それ以降は首相経験者の国葬は一度もない。」

 「最近では内閣と自民による「合同葬」が主流で、安倍氏もこの形式となる可能性が有力視される。
 ただ、首相在職日数で憲政史上最長を誇る安倍氏に対し、最大の礼遇を望む支持者の声は強い。国葬令は失効しているが、必要な法律がなければ整備するのが政治の役割でもある。政府内からも「法律をつくって国葬にすればいい」(官邸筋)との声が上がる。」

 「それでも二の足を踏むのは、葬儀に国費を投入することへの批判が根強いからだ。国と自民党が費用を出し合う合同葬でさえ、一部野党や左派メディアは反発する。全額を国が負担する国葬をあえて復活させればさらに強く抵抗し、政権運営にも影響しかねない。」

 「こうしたことを考慮し、政府には「国民葬」を模索する動きもある。内閣と自民党、国民有志の主催で、佐藤栄作元首相が死去した際に行われた。」

 「国葬」であれ「合同葬」であれ、はたまた「国民葬」という形においてであれ、特定の死者に対する国民への弔意の強制はあってはならない。とりわけ、安倍晋三に対する弔意の押し売りはまっぴらご免だ。

 人の死は本来純粋に私的なものである。葬儀は、その人の死を真に悼む人々によって執り行なわれるべきもので、これを政治的パフォーマンスとして利用することは邪道なのだ。政治家の葬儀とは、そのような邪道としての政治的パフォーマンス、ないしは政治ショーとして行われる。本来は私的な特定人物の死を、国家がイデオロギー的に意味づける政治利用の極致が国葬にほかならない。

 安倍晋三の死は、いま日本の右翼勢力と改憲派にとって貴重な政治的資源となっている。この資源を最大限利用する形態が国葬であって、当然に安倍晋三の死を悼む気持ちのない多くの人々に最も強い形で弔意を押し付けるものでもある。安倍晋三の国葬、けっしてあってはならない。

 安倍晋三の葬儀は、真に安倍を悼む人々が私的に執り行えばよい。それ以外の人々を巻き込んで、弔意と費用負担の押し付けてはならない。国家に、そのような権限はない。

 いったい、政治家としての安倍晋三は何をしたのか。民主主義を壊した。政治を私物化した。ウソとごまかしで政治を劣化させた。経済政策では、貧困と格差を広げた。日本の成長を止めた。アベノマスクに象徴される、無為・無策・無能の政治家だった。外交ではプーチンと親交を深めたが北方領土問題の解決の糸口もつかめなかった。拉致問題をこじらせ政治利用はしたが何の進展も見いだせなかった。こんな政治家を国葬にせよとは、厚顔にもほどがある。泉下の安倍も、赤面しているに違いない。

 第1次安倍内閣の、教育基本法改悪を忘れてはならない。第二次内閣では、何よりも集団的自衛権行使を容認した戦争法制定で、憲法の中身を変えた。それだけではなく、特定秘密保護法や共謀罪を制定した。コントロールとブロックというウソで固めて醜悪な東京オリンピックを招致した。弱者に居丈高になりトランプには卑屈になるという、尊敬に値しない人格だった。

 森友学園事件、加計学園問題、桜を観る会疑惑、黒川検事長・河井元法務大臣事件、さらにタマゴにカジノだ。これまで、こんなにも疑惑に満ち、腐敗にまみれた内閣があっただろうか。それだけでなく、その疑惑を隠すための公文書の隠ぺい、改ざん、廃棄までした。

 彼がやりたくてできなかったのが憲法改悪の実現であった。今、彼の死を利用して、憲法改悪を推進しようとの策動を許してはならない。その一端である、安倍晋三の国葬をやめさせよう。

 「えっ? アベの国葬? まさか?」「それって、ご冗談ですよね」「こんな悪い人でも、死ねば水に流して国葬ですか?」「私の納めた税金をそんなことに使うなんて絶対に認めない」  

すべては、安倍晋三の責任を徹底追求しなかったツケなのだ。

(2021年12月16日)
?おじさん、弁護士でしょ。ちょっと教えて。「森友学園公文書改ざん訴訟が国の認諾で終了」って記事が出ているけど、「森友学園」ってなんだっけ。

☆安倍晋三が首相だった時代に、たくさんの不祥事が起こった。森友学園事件もその一つ。安倍晋三と妻の昭恵が、森友学園の右翼的な教育に共鳴して、その小学校建設に肩入れした。なにせ当初は、校名を「安倍晋三記念小学校」とし名誉校長に安倍昭恵が予定されていた。安倍夫妻の口利きの実態は明らかになっていないが、不動産鑑定士の評価では9億5600万円の国有地が、「8億円値引き」されて、1億3400万円で払い下げられた。これが、発覚して大問題となった。

?そんなことがあったから、安倍さんを「右翼で国政私物化総理」と言ったのね。「森友学園事件」って安倍さんの右翼オトモダチへのえこひいきで、国有地をタダ同然で払い下げたという問題ね。

☆それだけじゃない。この怪しい国有地売却の経過を記録しているはずの公文書が大量に廃棄されたり、14の決裁文書が290個所にわたって改竄されていた。後で明らかになったのは、安倍夫妻や自民党の大物政治家の名前を消すための公文書改竄。

?きっと、安倍さんが裏で公文書の廃棄や改竄を命令してたんでしょうね。

☆誰でもそう思うのが当たり前。安倍晋三は、国会で「自分や妻が関わっていれば、首相も国会議員も辞める」と言った。だから、都合の悪い文書を残しておくわけにはいかなかった。でも、本当のところは分からない。官僚が首相の立場を「忖度」してゴマを摺ったのかも知れない。

?「本当のところは分からない」なんてじれったいじゃないの。真実を明らかにする方法はないのかしら?

☆国会が国政調査権を発動して調べるのが一番の筋だろう。その一環として、衆参の予算委員会は佐川宣壽理財局長を証人として呼出し、宣誓の上証言させた。が、彼は、安倍からの指示を否定したが、改竄の経緯については証言を拒否した。野党は偽証で刑事告発しようとしたが、告発には3分の2の委員の賛同が必要で、自公や維新の議員が賛成するはずはないから、結局あきらめた。

?ほかに方法はないの?

☆世論の突き上げにあって、さすがに財務省も腰をあげた。内部調査委員会を作って調査し、「森友学園案件に係る決裁文書の改ざん等に関する調査報告書」をとりまとめて公表した。この報告書に基づいて、財務省は本庁と近畿財務局の幹部20人を処分した。もちろん、安倍関与の事実は出てこない。これで幕引きというわけ。「内部調査では信頼できない。信頼できる外部委員を入れて調査をやり直せ」という声には、聞く耳をもたない。

?警察や検察は動かなかったの?

☆何人もの人が、何人もの関係者を、いくつもの罪名で告発した。すべての告発事件が大阪地検特捜部に集められ、佐川宣寿以下の財務省職員ら計38人に対する告発が、すべて不起訴処分となった。「検察も安倍に忖度しているのか」と非難囂々だった。その後、事件は大阪第1検察審査会の審査に持ち込まれたが、いかんせん検察には捜査の権限はない。佐川ら10人について「不起訴不当」の議決となったが、「起訴相当」とはならなかった。大阪地検特捜は形ばかりの再度の捜査の上、再びの不起訴とし捜査は終了した。安倍の指示は、暗闇のまま。

?あれもダメ、これもダメ。じゃあ、話題になっている「森友学園公文書改ざん訴訟」ってなんなの?。

☆森友事件での公文書改竄は、東京の財務省本庁ではなく、出先の近畿財務局で起こった。実際に改竄を実行したのは、本庁からの命令を受けた近畿財務局の職員だった。そのうちの一人、赤木俊夫さんは、不本意ながらやらざるを得ず、正義感から自分の行為を恥じて結局痛ましい自死の結果となった。赤木さんの妻・雅子さんは、夫の自死は国に責任がある。その経過を明らかにしたいとして、国を相手に損害賠償請求の裁判を起こした。併せて、佐川宣壽も被告にしている。この裁判の過程で新しい資料が出て来るなどの進展はあった。そして、これから証人申請がなされるという時になって国に対する裁判は、国の認諾で突然に終わった。

?「認諾」ってなんなの?

☆原告の請求を被告が受諾すれば、原告は満足することになって紛争は解決し裁判は終了する。この場合は、「1億円支払え」という原告の請求を、被告が「全面的に認めます」という書面を陳述して、訴訟は終了した。

?じゃあ、安倍首相の公文書改竄の責任が明らかになったのかな?

☆いや、「請求を認諾する」ことは、必ずしも「請求の根拠となった請求原因事実を認める」ことを意味しない。むしろ、これからの訴訟の進展の中でいろんな事実を明らかにしていこうという原告側の思惑を封じ込めようという意図が見え見えと言ってよい。

?岸田首相は、財務省による改竄の責任を認めることで、安倍さんを叩いたようにも見えるけど。実は助けたというわけ?

☆両方の見方があるだろうね。この認諾が、一時的には安倍に対する打撃になることは避けられないが、長期的に見ると安倍の利益になる公算が高い。この裁判が長引けば、折に触れて安倍の責任、自民党の汚点が思い出される。この訴訟を終了させることは、安倍にだけではなく自民党にも有益なこと。とりわけ来年の参院選への影響を考えれば、今の時期がベストと考えたのかも知れない。

?なんだ。結局は安倍さんや昭恵さんの責任追求の場がなくなったと言うことか。

☆原告だった雅子さんが、提訴によって獲得しようとしてたのはお金ではなく、文書改竄を命じた人や経過をはっきりさせることだったはず。とりわけ、佐川宣壽と安倍晋三との具体的なやり取り。それが断ち切られて、「真相にふた」「問題に幕」を狙っての認諾。どうにもスッキリしない。

?今後はどうなるの?

☆国は認諾したけれど、佐川宣壽に対する550万円請求の裁判は残されている。弁護団は努力を重ねるだろうし期待もしたい。関連する情報開示の別訴訟もある。しかし、国を除いて佐川だけになった裁判で、予定していた関係者の尋問を実現したり新しい事実を発掘するような展開は、これまでよりも困難になるだろう。国が認諾した債務を支払えば、もう原告には損害はないと判断されるかも知れない。

?まるで、疑惑の幕引きに税金1億円を注ぎ込んだみたい。これからどうすればよいの?

☆もう一度原点に帰って、安倍晋三と昭恵の悪行を思い起こし、洗い直そう。そして、世論の力を再結集して国会やメディアに訴える。国会はもう一度、安倍の責任と、岸田の幕引き姿勢を追求しなければならない。日本の民主主義の力量が試されている。

?一番大切なことはどういうこと?

☆雅子さんは記者会見で「なぜ夫が亡くなったのかを知りたいと思って始めた裁判。お金を払えば済む問題ではない」と話している。本当にそのとおりだと思う。
 もとはと言えば、安倍政権の横暴が幾重にも露わになった事件。しかし、嘘とごまかしにまみれ、政治を私物化してきた安倍政権を政権の座からも国会からも、駆逐できなかった。国民も議会もメディアも力が足りなかった。自公の与党政権を批判する勢力がもっと強ければ、こんなことにはならなかったはず。すべては、安倍晋三という邪悪なる者の責任を徹底追求できなかったことのツケだと思う。
 モリ・カケ・サクラ・クロカワイ…。しっかりと、みんな忘れないように肝に銘じよう。

森友事件について、利害関係のない第三者による徹底した再調査を。

(2021年10月8日)
 確かに言いましたよ。「私・岸田文雄の特技は、人の話をしっかり聞くこと」とね。だってね。これまでの総理が、ひどかったものね。ほとんど人の言うことに聞く耳もたない総理が続いた9年間。その結果、国民からそっぽを向かれたんだから、こういうしかないでしよう。政治の要諦は、「信なくば立たず」ですよ。

 そして、おっしゃるとおり、人の言うこと聞かない総理のしでかした事件の象徴が森友学園事件でしたね。総理夫妻の責任を揉み消す仕事を押し付けられて、善良な公務員が自殺にまで追い込まれたんじゃないかと、国民の多くが疑念をもっている。このままでは、国民の信頼を得られず、自民党は崩壊しかねません。

 「多くの皆さんが政治に国民の声が届かない、あるいは政治が信じられないと切実な声を上げておられました」。こんな事態ですから、国民の声を聞きますよと言わざるを得ないじゃないですか。で、耳を傾けたら、当然に森友事件の徹底解明を求める再調査をせよという国民の声が聞こえて来ますよね。だから私は、総裁選立候補直後に、「国民の声に耳を傾けます」「森友事件の再調査をやります」と確かに言いました。

 でもね。安倍さんが怒ったんですよ。多分、「森友事件を蒸し返して再調査などするのなら、総裁にはしないぞ」「仮に総裁になったとしても、徹底して潰してやるぞ」ということでしょうね。そりゃあそうでしょうね。あの人のことだから。

 だから私は、方針を変えました。ほら、よく言うでしょう。「君子は豹変す」とか、「過ちては即ち改むるにはばかること勿れ」とか。私は君子ですから、再調査はもうしないってことにしたんですよ。「私・岸田文雄の本当の特技は、安倍さんのお話をしっかり聞くこと」なんですから。

 おかげで、目出度く、私は総裁になり、総理にもなれた。そうしたら、赤木雅子さんからの直筆のお手紙ですよ。「財務省の公文書改ざん問題の再調査をしてください」というわけ。これにはコマッタ。きっと、安倍さんだと良心の呵責って感じないんでしょうけど、私はそんな鉄面皮じゃあないから困ってしまう。

 赤木を立てれば安倍立たず、安倍を立てれば世論が立たない。さあ、どうする、どうする。どうしましょうかね。

 その手紙は、「私の話を聞いてください」で始まるんですよ。そして、「夫は、亡くなる前に改ざんや書き換えをやるべきではないと本省に訴えています。それにどのように返事があったのかまだわかっていません」と続く。「夫が正しいことをしたこと、それに対して財務省がどのような対応をしたのか調査してください」というのが主旨だ。「正しいことが正しいと言えない社会はおかしいと思います。岸田総理大臣なら分かってくださると思います」とも書いてある。

 それに、記者会見では、「岸田さんって聞くのが得意、それが長所なんですよね」「だから、きっと私の声も届くはずだし、聞いてくださる感覚があったので、岸田さんに届けるのが一番いいと思いました」「元々は再調査に前向きで素敵な方だと信じています」と説明している。断りにくいよね、これ。

 やっぱり、再調査やることにして、世論を味方に付けるのが得策かな。そしたら、安倍さん怒るだろうな。でも、圧倒的な世論を味方にすれば、安倍さんも恐くはない。ここは、勝負に出てみようかな。安倍さんが怒鳴り込んできたらなんて言おうか。

 「私の特技は安倍さんの話をしっかり聞くことですが、実は聞くだけのことで、聞いたあとことは特技ではないんです」。こう言ったら、お終いだろうな。

 せめてこう言おうか。「安倍さん、森友問題については、本当に信頼できる第三者を選任した外部委員だけで、徹底した再調査をします。で゜すから、安倍さんの身の潔白は徹底して明らかになるはずです。安心してください」とね。あ、安倍さん、真っ青になっちゃった。もしかしたら、そのことが一番イヤなのかも知れない…。

新総裁の政治姿勢 ー 総論は「可」、具体策は「不可」。

(2021年9月29日)
 コップの中の嵐がおさまり、落ちつくところに落ちついたようだ。安倍・菅と、あまりにひどいこの国のトップが9年も続いた。あまりに長かった、国民の声に聞く耳を持たない政治の9年。ウソとゴマカシ、国政私物化の9年でもある。高市早苗以外の人物なら、誰が総裁になっても、少しはマシというべきだろう。ようやく、政権与党に、自らの特技を「人の話をよく聞くこと」というトップリーダーが誕生した。

 岸田文雄は、本日の自民党総裁選開票直後の両院議員総会で新総裁としてあいさつに立ち、こう述べたという。

 「多くの国民が政治に声が届かない、政治が信じられないといった切実な声を上げていた。私は、我が国の民主主義の危機にあると強い危機感を感じ、我が身を顧みず、誰よりも早く総裁選に立候補を表明した」「私たちは『生まれ変わった自民党』をしっかりと国民に示さなければなりません。」

 この言葉は、その後の就任記者会見の冒頭挨拶のなかでも、次のように繰り返されている。

 「国民のみなさまの中に、『国民の声が政治に届かない』、あるいは『この政治の説明が心に響かない』、こうした厳しい切実な声があふれていました。」「今まさに我が国の民主主義そのものが危機にある強い危機感を持ち、私は我が身を顧みずこの総裁選挙、真っ先に手を上げた次第です。」

 これを言葉の通りに聞けば、誰しも岸田の認識を真っ当なものと思うに違いない。「安倍・菅のウソとゴマカシ、国政私物化の9年が、我が国の民主主義そのものの危機」をもたらしたというのだ。だから、この事態を反省し清算する真っ当な政治を行う決意だと思うことだろう。私も、そうであって欲しいと思う。

 ところが記者会見での記者からの質問への回答で、期待は打ち砕かれた。こりゃダメだ。アベ・スガ政権への批判も反省もない。批判も反省もないから、言葉が上滑りして具体性がない。言質を取られまいという物言いだから、国民の胸に響く言葉にならない。これから何をしようというのか、漠然としてつかみようがない。

 記者の質問に答えて、「今のさまざまな政治課題は、国民の協力なく結果を実現することができない時代だと認識している。そういった点から、国民の皆さんにしっかりと政治の説明責任を果たしていきたい」と述べたと報道されている。その言や良し。この人総論を語らせたら、立派にしゃべることができるのだ。採点すれば文句なく合格点。『可』以上は確実。

 ところが、「森友学園」をめぐる再調査をしないのか、という具体的な質問に対する回答は、まったくおかしいものとなる。

 「行政で調査が行われ、報告書が出されている。また司法において裁判が行われ、民事の裁判も続けられており、その判断を見ていかなければならない。こうした行政や司法の取り組みが行われ、それでもいろいろなご意見や思いがあるならば、今度は政治の立場からしっかり説明していかなければいけない」と述べたという。そりゃおかしい。それじゃ旧態依然の自民党、生まれ変われない。完全に不合格だ。『不可』しかやれない。その理由を整理しておきたい。

1 国民のなかに渦巻く政治不信を、まったく理解していない。「行政や司法の取り組みにご意見や思いがあるならば」などと、将来の、あるいは仮定の問題として語る姿勢が不合格。本気でそう思っているなら、決定的な無能力。そう思っているフリをしているのなら、とてつもない不誠実。

2 「行政の調査」への国民の反発を知るべきだ。身内の調査で、多少の尻尾を切ったが膿を出し切っていない。何よりも、安倍晋三の責任に切り込んでいない。然るべき信頼できる第三者による再調査チームの編成が必要なのだ。仮に、安倍晋三が潔白だったとしても、今、それを信じる理性ある人はない。

3 「司法において裁判が行われ、民事の裁判も続けられており」というこの人の言葉づかいは、経過を良く認識していないこと、自信のないことの表れである。「司法において裁判が行われ」は、あたかも刑事裁判が行われたごとき印象の言葉づかいだが、実は刑事の立件はすべて起訴猶予となり立件されていない。もう一度、きちんと経過を把握して、明瞭に見解を述べ直さねばならない。

4 「民事の裁判も続けられて」いることが、再調査を拒否する理由にはなりようがない。自死した赤木さんの遺族が提起した民事訴訟において、国は無責であ類語と言い続けている。果たして、そのような姿勢で良いのかが問われているのだ。第三者による再調査にすべてを委ねることが求められている。それができないのは、安倍晋三に不都合だからと考えざるを得ない。

行政にも司法にも信用を措けない、不十分だということだから、新総裁に期待が大きいのだ。直ちに再調査の態勢を整えていただきたい。それができなきゃ、アベ・スガと、同じ穴のムジナでしかない。少しだけ穏やかなムジナ。

 ああそうか。岸田の言う「危機にある日本の民主主義」とは、「日本の保守政治」のことなんだ。彼は、民主主義の旗手ではなく、自民党保守政治救済の旗手なのだ。そう考えると辻褄が合う。

秋元司有罪は、アベ・スガ政権への断罪でもある。

(2021年9月7日)
 ことあるごとに思い起こそう。忘れぬように繰り返そう。

 モリ・カケ・桜・クロカワイ・アベノマスクにIR

 ウソとゴマカシをもっぱらとし、政治を私物化した安倍晋三という人物と、その政権を忘れてはならない。度しがたい歴史修正主義者で改憲論者の安倍、しかも無能・無責任のこの人物の長期政権をわれわれは許してしまった。さらに1年、その付録であり、事実上の延長政権である菅義偉後継政権がようやく終わった。

 次期総裁選などというコップの中の嵐に興味を惹き寄せようという策謀に乗せられてはならない。アベ・スガ政権を清算して、そのアンチテーゼとしての新政権を樹立する議論こそ、今なすべきもの。

 本日の秋元司のIR汚職と証人買収での有罪判決。あらためて、安倍政権とは何であったかを思い出させる。この秋元という男、なんとも汚い。政治を金儲けの手段としただけでなく、金で無罪も買えると考えたのだ。本日の判決言い渡しで、裁判長に、「公人としての倫理観はおろか、最低限の順法精神すら欠如している」と言わしめたとおりである。この汚い人物が安倍政権IR担当の内閣府副大臣だった。そのイスと人物とよく似合う。釣り合いまことにピッタリではないか。

 しかも、IRは安倍政権の観光振興策の目玉であり、安倍はカジノ議連の最高顧問を務めたこともある。菅とともにカジノの旗振り役だった。成長戦略の目玉として「カジノ解禁法案」採決を強行した当時、「カジノ事業者らによる議連関係者へのロビー活動がすごかった」と報道されている。

 業者にとっても政治家にとっても、おいしい事業であり、法案だった。それだけに、危険が見え見えの代物である。案の定、安倍政権の薄汚さを象徴する収賄事件が発覚して秋元は逮捕され、不要な尻尾として切られた。

 秋元は無罪を争ったが、本日の判決は懲役4年の実刑で、追徴金約760万円(求刑懲役5年、追徴金約760万円)が言い渡された。

 判決言い渡しにおいて、裁判長は「特定の企業と癒着し、職務の公正や社会の信頼を大きく損なった。証人買収は前代未聞の司法妨害だ」と厳しく非難し、刑事責任は重く、長期の実刑は免れないと述べたという。

 この事件の贈賄側は、日本でのIR事業参入を目指していた中国企業「500ドットコム」。この企業から、議員会館事務所で300万円を受け取るなど、総額約760万円相当の賄賂を受領。保釈中だった昨年6?7月、同社元顧問2人に報酬を示し、公判で自分に有利な証言をするよう持ち掛けたが、これが裏目に出た。

 カジノもIRも、こんな汚いものはまっぴらだ。アベ・スガ政権の残滓とともに、日本中から一掃しなければならない。アベ・スガも秋元も、その身を恥じて、もう政界から身を引いてもらいたい。

ところが、秋元は十分に懲りては居ないようだ。判決前のメディアの取材に対して、今秋に予定されている衆院選について「やましいことはないので有罪判決でも出馬する」と答えているという。嗚呼、おそらくは、安倍も菅もなのだ。

桜を見る度に思い起こそう。そして語り継ごう。桜を見る会を私物化した、とんでもない首相がいたことを。

(2021年3月19日)
東京の昨日と今日とは、陽光燦々春も本番の趣。天気上々なれば気分も悪かろうはずはない。上野の桜ももうすぐ見頃。ヨウコウは満開、オオシマザクラは五分咲き、そしてソメイヨシノもちらほらと咲き始めている。コロナ禍のさなか、マスクは手放せないが、間もなく庶民の「花見・桜を見る会」の時期。ちょうど符節を合わせたように、安倍晋三の「桜を見る会・前夜祭」疑惑を忘れるな、という検察審査会議決。

本日書留郵便で、東京第五検察審査会からの、被疑者配川博之に対する審査申立に対する議決書が届いた。内容は、末尾に転載のとおり。

この件の審査申立対象の主役は安倍晋三である。起訴・有罪に持ち込むことができれば、彼の議員としての地位は失われる。彼は、それだけの犯罪を犯してきた人物なのだ。配川は、その公設秘書で端役に過ぎない。後援会長とされていただけの人。しかも、既に略式起訴が確定して有罪(罰金100万円)となっている。

東京地検特捜部は昨年12月、安倍晋三後援会の2016?19年分政治資金収支報告書に、桜・前夜祭の会食費に関する収支計約3022万円を記載しなかったとして、政治資金規正法違反罪で後援会代表だった配川を略式起訴した。が、2015年分については起訴の対象としなかった。会計帳簿の原本が失われていたことが理由とされている。検察審査申立は、これを不服としたもの。

検察が起訴しなかった2015年の「桜前夜祭会食費」について、検察審査会議決は「不起訴不当」と判断した。今後、東京地検が再度捜査し、起訴するかどうかを判断することになる。

この議決書、「検察官の不起訴は、一般市民の感覚では納得できない」とし、「収支報告の原本を廃棄しないための法改正・運用改正を求めている」などの点で立派なものとなっている。

実は、配川に対する審査申立は、時効の関係から急ぐ事情があるとして、安倍告発の本体から、切り離して別事件とした経緯がある。理由はともあれ、配川についての「不起訴不当」の議決は、やや物足りない。安倍に対する審査申立本体では、是非とも「起訴相当」の議決がほしいところ。そして…、毎年桜の咲く季節には、桜疑惑を思い出そう。国政を私物化し、選挙民を会食に誘っては飲食の費用を補填していた、とんでもない首相がいたことを。

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令和3年3月18日
令和3年(申立)第4号

審査申立人 澤藤 大河 殿

同     澤藤統一郎 殿

東京第五検察審査会

通 知 書

 当検察審査会は,上記審査事件について議決したので,別添のとおり,その要旨を通知します。

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令和3年東京第五検察審査会審査事件(申立)第2号,同第3号,同第4号
申立書記載罪名 政治資金規正法違反
検察官裁定罪名 政治資金規正法違反
議 決 年 月 日 令和3年3月3日
議決書作成年月日 令和3年3月17日

議 決 の 要 旨

審査申立人(第2号事件)
上 脇 博 之
審査申立人(第3号事件)
泉 澤   章  外6名
審査申立人(第4号事件)
澤 藤 大 河  外1名

被疑者  配 川 博 之
不起訴処分をした検察官
東京地方検察庁 検察官検事  田 渕 大 輔

上記被疑者に対する政治資金規正法違反被疑事件(東京地検令和2年検第18326号)につき,令和2年12月24日上記検察官がした不起訴処分の当否に関し,当検察審査会は,上記申立人らの申立てにより審査を行い,次のとおり議決する。

議 決 の 趣 旨

本件不起訴処分は不当である。

議 決 の 理 由

1 本件は,安倍晋三後援会(以下「後援会」という。)の会計責任者であった被疑者が,政治資金規正法により山口県選挙管理委員会に提出すべき後援会の平成27年分の収支報告書に平成27年4月に東京都内のホテルで開催された「安倍晋三後援会桜を見る会前夜祭」(以下「前夜祭」という。)における収支を記載しないで,山ロ県選挙管理委員会に提出したという事案である。
なお,平成28年分から令和元年分までの収支報告書に前夜祭の収支を記載しないで山ロ県選挙管理委員会に提出した事実については,既に略式命令がなされている。

2 本件不起訴処分記録並びに各審査中立書及び審査申立人が提出した資料等を精査し,慎重に審査した結果は次のとおりである。
(1)本件不起訴処分記録及び審査申立人が提出した資料等によると,平成27年度の収支報告書の原本(以下「本件原本」という。)は保管期限の経過により既に廃棄されていること,山口県選挙管理委員会が情報公開により開示をしてインターネットで公表ざれている平成27年度の収支報告書の写し(以下「本件写し」という。)は宴会費等を記載すべき部分を含む支出項目や会計責任者が署名する宣誓書等が欠落している不完全なものであることが認められる。
(2)しかし,本件不起訴処分記録によると,被疑者は,本件原本に平成27年の前夜祭の収支を記載しなかったことを認めている。
(3)また,平成27年の前夜祭の収入については,本件写しには収入に関する部分に欠落がないので,本件原本にも同年の前夜祭の収入が記載されていなかったことが認められる。
(4)そして,平成27年の前夜祭の支出については,仮に本件原本に支出項目の部分が欠落していたとしても,本件写しに記載されている平成27年度の支出総額よりも,証拠上認められる同年の前夜祭の支出額の方が多額であることから,本件原本における支出総額の記載は,同年の前夜祭の支出額を加えた記載でなかったことは明らかである。
(5)そうすると,本件原本が既に廃棄されていたとしても,他の証拠によって事実を認定できるので,本件を不起訴とした検察官の裁定は,一般市民の感覚では納得できない。
よって,上記趣旨のとおり議決する。

3 なお,本件では,本件原本が廃棄されているために原本自体を証拠とすることができないので,他の証拠から不記載罪が認定できるかどうかを検討せざるを得 ないが,当検察審査会としては,このような事態を避けるために,不記載罪の公 訴時効が完成するまでは収支報告書の原本を廃棄しないように,法律や運用を改める必要があると考える。

東京第五検察審査

政治腐敗の治療と予防に、市民の告発は有効なのだ。

(2021年3月13日)
忘れてはならない、安倍晋三政権という7年8か月の悪夢を。国政私物化と、ウソとゴマカシで塗り固めた汚れた政権運営を。その汚れた政権が、2020年を「改憲施行の年に」と叫んでいたことを。

心に留めておこう、安倍政権不祥事の数々を。最低限下記の呪文だけは記憶にとどめて、事件を覚えておこう。

モリ・カケ・さくら、タマゴにカジノ、クロカワイ。

森友学園事件・加計学園事件・桜を見る会私物化・鶏卵大手アキタフーズ農水大臣贈収賄事件、秋元司カジノ収賄事件・官邸の守護神黒川弘務事件・河井夫妻公選法起訴事件…。数え切れない、覚えきれない…。この政権は、アベノマスクに象徴される「無能政権」であったばかりではない。腐敗の政権、改憲指向の政権だった。この政権が国内の右翼を勢いづけ、民主主義や人権を脅かしたことを忘れまい。

「忘れまい」と力まずとも、折々、事件の方から国民に挨拶がある。たまたま昨日(3月12日)には、菅原一秀(元経済産業大臣)議員が話題の人となり、記者のマイクとカメラの標的となった。秘書が選挙区内の有権者に香典などを渡していた、あの香典政治家である。「モリ・カケ・さくら、卵にカジノ、クロカワイ」のどこにも入っていない。脇役でしかないが、歴とした安倍腐敗政権の有力大臣であった人。さすがに安倍政権、腐敗の裾野は広い。

この人、市民から刑事告発されたが、地検は起訴猶予とした。しかし、告発した市民はこの処分に納得せず、検察審査会に審査請求をしていたところ、「起訴相当」の議決となった。この議決のインパクトは大きい。告発人にも、検察審査員にも敬意を表したい。こうして、少しずつでも、政治の腐敗は正されていくのだ。

この人、2019年10月、選挙区内の有権者に、秘書が香典を渡してまわったことが明らかになって、公職選挙法違反の疑いで告発状が提出された。公選法は、「政治家がみずから葬儀や通夜に出席する場合を除いて選挙区内の人に香典を渡すこと」を禁じている。「政治家が選挙区内の人にむやみに香典を渡す名目で票を買う行為を防止するために、みずから葬儀や通夜に出席する場合以外の香典交付が禁じられた」と解すべきだろう。

東京地検特捜部は、捜査の結果、この人が「選挙区内の18人に総額17万5千円相当の枕花を寄付していた」「みずから弔問せずに選挙区内の9人にあわせて12万5千円の香典を寄付していた」と認定したうえで、「法を無視する姿勢が顕著とはいえない」として、起訴猶予処分とした。

しかし、審査請求を受けた東京第4検察審査会(東京には、第1?第6審査会まである)が本年2月24日付で「起訴相当」と議決した。その理由を「香典は個人的な関係だけで渡したものではなく、将来における選挙も念頭に置いたものと考えるのが自然だ。公職選挙法は金がかからない選挙を目指していて、検察は、国会議員はクリーンであってほしいという国民の切なる願いにも十分配慮すべき」と指摘していると報道されている。

「起訴相当」であるから、これを受けて地検は再び捜査を行うことになる。仮に、検察が再び不起訴にした場合には、検察審査会の再度の「起訴相当」議決によって強制起訴となりうる。「起訴相当」の議決には11人中8人以上の賛成が必要なのだから、地検は、国民目線の厳しさを心すべきである。

また、たまたま時を同じくして、話題の主となったのが、元東京高検検事長の黒川弘務。世が世であれば、検事総長として政権の守護神となっていたはずのお人。在職中に担当の新聞記者らと点ピンの賭けマージャンをしていた問題で告発され、この人も不起訴処分となったが、第6検察審査会が「起訴相当」と議決し、再捜査が進行していた。

各紙が一斉に報じている。東京地検は、賭博罪で黒川を略式起訴する方針を固めたという。「取材で分かった」との報道だが、リークがあったのだろう。地検は判断を一転させたことになる。略式ではあっても起訴は起訴。元検事長の起訴なのだから、インパクトは大きい。

実は、これまで表面化しなかったが、官僚や政治家に対する接待疑惑が噴出している。これも、安倍政権腐敗の膿である。「ソンタク」とならぶ「セッタイ」が流行語となりそうな雲行き。

あとからあとから切りがないとあきらめることなく、政治浄化の努力を続けよう。「どうせ告発などしたところで、まともに取りあげてはもらえない」と決めつけていては、事態は変わらない。現実に告発が実を結ぶこともあるのだ。

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