明後日(9月2日)東京地裁で、私自身が被告にされている「DHCスラップ訴訟」の判決が言い渡されます。報道に値する判決になるはずですので、ぜひ取材のうえ報道されるよう要請いたします。
そして、この判決を契機として、表現の自由保障の重要性や、経済的強者が民事訴訟を濫発して自分に不都合な言論を封殺しようという「スラップ訴訟」の弊害と防止策などについて、ぜひ掘り下げて言論界の話題にしていただくようお願いいたします。
この件で被告になっているのは私ですが、実は私だけでなく「政治的言論の自由」「政治とカネにまつわる問題についての批判の自由」「消費者利益の擁護に向けた言論の自由」なども、私と一緒に被告席に立たされています。その意味では、すべてのディアがご自分の問題としても関心をもたざるを得ない訴訟であり判決だと思います。
《当日の予定》は以下のとおりです。
午後1時15分 判決言い渡し(631号法廷)
午後1時30分 判決勝利報告集会(一弁講堂・弁護士会館12階)
午後3時30分 記者会見(司法記者クラブ)
《判決を迎える事件の特定》
東京地方裁判所民事第24部合議A係
平成27年(ワ)第9408号
原告 吉田嘉明 DHC(株)の両名
被告 澤藤統一郎(職業・弁護士)
裁判長裁判官 阪本勝
陪席裁判官 渡辺達之輔 大曽根史洋
原告代理人弁護士 今村憲 木村祐太 山田昭
被告代理人弁護士 光前幸一 外110名(計111名)
《この事件が持つ意味》
*政治的言論が保障されなければならないこと。
*「政治とカネ」をめぐる論評の自由が特に保障されねばならないこと。
論評の内容は「カネで政治を買う」ことへの批判。
*消費者利益をめぐる論評の自由が強く保障されねばならないこと。
論評の内容はサプリメント販売の規制緩和(機能性表示食品問題)への批判。
*公権力だけでなく、経済的社会的強者も言論による批判を甘受すべきこと。
*高額損害賠償請求訴訟を提起しての言論妨害が許されないこと。
《予想される判決の内容》
この日の判決は、DHC・吉田嘉明の自己に不都合な言論を封殺しようとした不当な意図を挫いて、政治的言論の自由を再確認し、市民や消費者の立場からの、企業や行政や経済的強者への批判の権利を保障する内容になるはずです。判決の主文もさることながら、理由がより注目されるところ。
《DHCスラップ訴訟経過の概略》
2014年3月31日 違法とされたブログ(1)掲載
「DHC・渡辺喜美」事件の本質的批判
2014年4月2日 違法とされたブログ(2)掲載
「DHC8億円事件」大旦那と幇間 蜜月と破綻
2014年4月8日 違法とされたブログ(3)掲載
政治資金の動きはガラス張りでなければならない
同年4月16日 原告ら提訴(当時 石栗正子裁判長)
5月16日 訴状送達(2000万円の損害賠償請求+謝罪要求)
6月 4日 答弁書提出(本案前・訴権の濫用却下、本案では棄却を求める)
6月11日 第1回期日(被告欠席・答弁書擬制陳述)
7月11日 進行協議(第1回期日の持ち方について協議)
7月13日 ブログに、「『DHCスラップ訴訟』を許さない」シリーズ開始
第1弾「いけません 口封じ目的の濫訴」
14日 第2弾「万国のブロガー団結せよ」
15日 第3弾「言っちゃった カネで政治を買ってると」
16日 第4弾「弁護士が被告になって」
以下本日の第50弾まで
7月22日 弁護団発足集会(弁護団体制確認・右崎先生講演)
8月20日 10時30分 705号法廷 第2回(実質第1回)弁論期日。
8月29日 原告 請求の拡張(6000万円の請求に増額) 書面提出
新たに下記の2ブログ記事が名誉毀損だとされる。
7月13日の「第1弾」ー違法とされたブログ(4)
「いけません 口封じ目的の濫訴」
8月8日「第15弾」ー違法とされたブログ(5)
「政治とカネ」その監視と批判は主権者の任務だ
参照 https://article9.jp/wordpress/?cat=12
『DHCスラップ訴訟』関連記事
2015年7月 1日 第8回(実質第7回)弁論 結審
2015年9月 2日 判決言い渡し期日
《本日の勝訴報告集会》
13時30分?15時 第一東京弁護士会講堂
弁護団長 経過と判決内容の説明 今後の展望 質疑応答
常任弁護団から、あるべきスラップ訴訟対策提言試案
弁護団・支援者・傍聴者 意見交換
スラップ常習提訴者や提携弁護士に対する抑止・制裁のあり方
スラップ対策の制度つくり など
被告本人 お礼とご挨拶
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《関連他事件について》
DHCと吉田嘉明が連名で原告となって提起した同種スラップ(いずれも、吉田嘉明の渡辺喜美に対する8億円提供を批判したもの)は合計10件あります。その内の1件はDHC・吉田が自ら取り下げ、9件が現在係属中です。
最も早く進行したDHC対折本和司弁護士事件は、
本年1月15日に地裁判決(請求棄却)、
6月25日の控訴棄却判決(控訴棄却)、
その後上告受理申立がなされ最高裁に係属中。
2番目の判決となったS氏(経済評論家)を被告とする事件は
本年3月24日に地裁判決(請求棄却)、
8月5日に控訴審判決(控訴棄却)、
やはり、その後上告受理申立がなされ最高裁に係属中。
私の事件が、3番目の地裁判決になるようです。
DHC・吉田は、同種2事件で各一審と控訴審計4回の判決を受けてすべて敗訴となっています。
DHC・吉田は、関連して仮処分事件も2件申し立てていますが、いずれも却下。両者とも抗告して、抗告審も敗訴。これで、合計8連敗です。
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《スラップに成功体験をさせてはならない》
私は、多くの人の支援や励ましに恵まれた「幸福な被告」です。しかし、被告が常に法的、財政的、精神的な支援に恵まれる訳ではありません。スラップの被害に遭った者がペンの矛先を鈍らせることも十分にあり得ることと言わざるを得まらん。だから、恵まれた立場にある私は、声を大にして、DHC・吉田の不当を叫び続けなければならない。そして、スラップの根絶に力を尽くさなければならない、そう思っています。
その思いを、下記のとおり結審法廷の被告陳述書で述べています。
《被告本人意見陳述》(2015年7月1日結審の法廷で)
口頭弁論終結に際して、裁判官の皆さまに意見を申し述べます。
私は、突然に被告とされ、応訴を余儀なくされています。当初は2000万円、現在は、6000万円を支払え、とされる立場です。当然のことながら、心穏やかではいられません。このうえなく不愉快な体験を強いられています。理不尽極まる原告らの提訴を許すことができません。
私は、憲法で保障された「表現の自由」を行使したのです。本件で問題とされた私の言論の内容は、「政治をカネで歪めてはならない」という民主主義社会における真っ当な批判であり、消費者利益が危うくなることに関しての社会への警告なのです。むしろ私は、社会に有益で有用な情報や意見を発信したのだと確信しています。被告とされる筋合いはありえません。この点について、ぜひ十分なご理解をいただきたいと存じます。
関連してもう一点お願いいたします。原告の訴状では、私の書いた文章がずたずたに細切れにされ、細切れになった文章の各パーツに、なんとも牽強付会の意味づけをして、「違法な文章」に仕立て上げようとしています。細切れにせずに、各ブログの文章全体をお読みください。そうすれば、私の記事が、いずれも非難すべきところのない真っ当な言論であることをご理解いただけると存じます。
私は、45年の弁護士生活を通じて、政治とカネ、あるいは選挙とカネをめぐる問題を、民主主義の根幹に関わるものととらえて、関心を持ち続けてきました。また、消費者事件の諸分野で訴訟実務を経験し、東京弁護士会の消費者委員長を2期、日本弁護士連合会の消費者委員長2期を勤めています。消費者問題に取り組む中で、「官僚規制の緩和」や「既得権益擁護の規制撤廃」などという名目で、実は事業者の利益のために、消費者保護の制度や運用が後退していくことに危機感を募らせてきました。そのことが本件各ブログに、色濃く反映しています。
私の「憲法日記」と表題するインターネット・ブログは、弁護士としての使命履行の一端であり、職業生活の一部との認識で書き続けているものです。現在のものは、2013年4月1日に開設し毎日連続更新を宣言して連載を始めたもので、昨日で連続更新821日を記録しています。このブログは権力者や社会的強者に対する批判の視点で貫かれていますが、そのような私の視界に、「DHC8億円裏金事件」が飛び込んできたのです。
昨年3月「週刊新潮」誌上に吉田嘉明手記が発表される以前は、私はDHCや原告吉田への関心はまったくなく、訴状で問題とされた3本のブログは、いずれも純粋に政治資金規正のあり方と規制緩和問題の両面からの問題提起として執筆したものです。公共的なテーマについての、公益目的での言論であることに、一点の疑義もありません。
原告らは、私の言論によって社会的評価を低下した、と主張しています。しかし、自由な言論が権利として保障されているということは、その言論によって傷つく人のあろうことは、法が想定していることなのです。誰をも傷つけることのない人畜無害の言論には、格別に「自由」だの「権利」だのと法的な保護を与える必要はありません。仮に原告両名が、私の憲法上の権利行使としての言論によって、名誉や信用を毀損されることがあったとしても、これを甘受しなければならないのです。
そのことを当然とする根拠を3点上げておきたいと思います。
その第1は、原告らの「公人性」が著しく高いことです。もともと原告吉田は単なる「私人」ではありません。多数の人の健康に関わるサプリメントや化粧品の製造販売を業とする巨大企業のオーナーです。行政の規制と対峙しこれを不服とする立場にもあります。これに加えて、公党の党首に政治資金として8億円もの巨額を拠出して政治に関与しました。さらに、そのことを自ら曝露して、敢えて国民からの批判の言論を甘受すべき立場に立ったのです。自らの意思で「私人性」を放棄し、積極的に「公人性」を獲得したのです。自分に都合のよいことだけは言っておいて、批判は許さないなどということが通用するはずはありません。
その第2点は、私の言論の内容が、政治とカネというきわめて公共性の高いテーマであることです。「原告吉田の行為は政治資金規正法の理念を逸脱している」というのが、私の批判の内容です。仮にもこの私の言論が違法ということになれば、憲法21条の表現の自由は画に描いた餅となり、民主主義の政治過程がスムーズに進行するための基礎を失うことになってしまいます。
さらに、第3点は、私の言論が、すべて原告吉田が自ら週刊誌に公表した事実に基づくものであることです。本来、真実性の立証も、相当性の立証も問題となる余地はありません。私は、その事実に常識的な推論を加えて論評しているに過ぎないのです。意見や論評を自由になしうることこそが、表現の自由の真髄です。私の論評がどんなに手痛いものであったとしても、原告吉田はこれを甘受しなければならないのです。
にもかかわらず、吉田は私をいきなり提訴しました。しかも、私だけでなく10人の批判者を被告にして同じような訴訟を提起しています。カネをもつ者が、カネにものを言わせて、裁判という制度を悪用し、自分への批判の言論を封じようという試みが「スラップ訴訟」です。本件こそが、典型的なスラップ訴訟にほかなりません。原告吉田は、私をだまらせようとして、非常識な高額損害賠償請求訴訟を提起したのです。私は、「黙れ」と恫喝されて、けっして黙ってはならない、と決意しました。もっともっと大きな声で、何度でも繰りかえし、原告吉田の不当を徹底して叫び続けなければならない、これも弁護士としての社会的使命の一端なのだ、そう自分に言い聞かせています。
その決意が、私のブログでの「『DHCスラップ訴訟』を許さない」シリーズの連載です。昨日(6月30日)までで46回書き連ねたことになります。原告吉田は、このうちの2本の記事が名誉毀損になるとして、それまでの2000万円の請求を6000万円に拡張しました。この金額の積み上げ方それ自体が、本件提訴の目的が恫喝による言論妨害であって、提訴がスラップであることを自ら証明したに等しいと考えざるを得ません。
本件は本日結審して判決を迎えることになります。
その判決において、仮にもし私の言論について、いささかでも違法の要素ありと判断されるようなことがあれば、およそ政治批判の言論は成り立たなくなります。原告吉田を模倣した、本件のごときスラップ訴訟が乱発され、社会的な強者が自分に対する批判を嫌っての濫訴が横行する事態を招くことになるでしょう。そのとき、市民の言論は萎縮し、権力者や経済的強者への断固たる批判の言論は、後退を余儀なくされるでしょう。そのことは、権力と経済力が社会を恣に支配することを意味します。言論の自由と、言論の自由に支えられた民主主義政治の危機というほかはありません。スラップに成功体験をさせてはならないのです。
貴裁判所には、本件のごとき濫訴は法の許すところではないことを明確に宣言の上、訴えを却下し、あるいは請求を棄却して、司法の使命を果たされるよう要請申し上げます。
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なお、メディア関係者以外の一般の方に訴えます。
法廷傍聴も、法廷後の勝訴報告集会も、どなたでも参加ご自由です。言論の自由を大切に思う多くの皆さま、政治とカネの問題や、消費者問題に関心のある方、ぜひご参加ください。
(2015年8月31日)
本日、午後2時。首都で全国で、国民が主権者として、政権の前に立ち現れた。そして、主権者の意思を明確にし、議会や政府を掣肘した。まさしく、今日こそは、国民主権原理が、真っ当に正しく機能した記念すべき日となった。
何度でも繰り返そう。私たち国民が主権者だ。安倍でも、山口でも、中谷でも、谷垣でもない。日本国憲法が制定されて以来、一日24時間・年間365日、切れ目なく主権者であり続けているのだ。
正確に言えば憲法を制定したのも主権者国民だ。憲法は国民が主権者の地位にあることを確認したにすぎず、主権者の地位は憲法によって与えられたものではない。だから、実は日本国憲法制定以前から私たち国民が主権者なのだ。
切れ目なく主権者であるとは、選挙期間中だけの主権者ではないということだ。投票箱の蓋が開いていても閉まっても、投票箱の用意が無いときも、私たち国民が主権者なのだ。
私たち主権者国民の多くは、切れ目なく政治のことばかりを考えてはおられない。資本主義経済の中で忙しく立ち働かなくてはならないし、一人ひとりの生身の人間には、文化的活動もエンタテイメントも必要だ。家族生活も友人との付き合いもコミュニティの中での活動も、非政治的な社会生活の分野は限りなく広い。非政治の多くの時間が必要なのだ。
だから、代議政治の合理性は認めざるをえない。国民が候補者の中から議員を選び、衆議院議員の中から内閣総理大臣が選任されて、行政府の長となる。こうして、憲法の定めた手続きに従って、立法府と行政府が作られ、これに政治を任せることにしたのだ。
さはさりながら、主権者は国会や内閣に、すべてを丸投げしてお任せしたのではない。選挙期間だけの主権者ではなく、投票日一日だけの主権者ではない以上は当然のことだ。常に、主権者の意思にそって立法や行政が行われているかを監視続けていなければならない。そして、内閣や国会が、明らかに主権者の意に背くとき、そして次の選挙による意思表示では遅すぎる場合には、主権者の直接の出番となる。国民が主権者として起ち上がらざるを得ない事態なのだ。主権者は代議制の枠を超えて、直接にその意思を表明しなければならない。今日が、その日となった。
主権者が直接の意思を表明するためのもっとも基本的な手段が集会でありデモである。多くの人が集まって、声を揃えて国会と内閣の不当を叫ぶのだ。立法や行政に携わる者は、謙虚にその声に耳を傾けなくてはならない。
今日の午後、国会周辺は小雨をついて集まった大群衆に包囲された。これが、観念としての主権者ではない、具体的な形と意思を伴った主権者なのだ。主権者は、安倍政権に「国民をなめてはいけない」とたしなめた。いや、違憲の法案をゴリ押しする政権に「今すぐ退陣」と怒りを露わにした。
まだ、大群衆のコールが耳に残る。
「戦争法案今すぐ廃案!」
「安倍内閣は今すぐ退陣!」
安倍よ、山口よ、中谷よ、谷垣よ。この主権者の声を生で聞いたか。この主権者の声をなんと聞くのか。
憲法21条は、「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する」と定める。新聞でもラジオでもテレビでもなく、「集会」を条文のトップに置いた憲法の真意を今日あらためて知った思いがする。「集会」は、政治を変えうるのだ。そのような手段として「集会の自由」がこの上なく重要なのだ。
メインのステージでは、岡田(民主)、志位(共産)、吉田(社民)、小澤(生活)の各党首が手を組んで戦争法案の廃案を誓った。日比谷エリアのステージでは、管(民主)、小池(共産)、福島(社民)の各議員が力のこもった演説をした。主権者が、野党各党の結束を指示している構図となった。
戦争法案の廃案を求める主権者の意思が明確になった今日以後も、安倍政権は敢えて主権者の意思に逆らおうというのか。
夏の陣が終わると、切れ目なく、いよいよ決戦の「秋の陣」が始まる。さあ、正念場だ。自信をもって、今日のコールを追求しよう。
「戦争反対!」「9条守れ!」
「憲法破壊絶対反対!」
「安倍内閣の暴走止めよう!」
「強行採決絶対反対!」
(2015年8月30日)
さあ出かけよう みんなして
家族トモダチ連れだって
ツレがなければ一人でも
日ざしが強けりゃ帽子をかぶり
雨が降ったら傘さして
風が吹いてもへこたれず
目指すは官邸 安倍屋敷
普段は無口な私だが
これまで黙っていたけれど
堪忍袋の緒が切れた
平和を守れと声を上げよう
安倍はやめろと声上げよう
私は平和を望むから
誰をも敵にしたくない
乱暴者のアメリカの
手先になって威を借りて
武力で脅して黙らせて
それで平和が築かれる?
そんな法律マッピラだ
アメリカの威を借りるとてただじゃない
思いやり予算は2000億
押しつけられた17機オスプレイは3600億
こんな大金 ドブに捨てるな福祉にまわせ
戦争法案廃案に
安倍内閣は退陣を
みんなで大きく声上げよう
国の主人は私たち
一人二人じゃ力はないが
津々浦々の人々が
100万人で声あわせ
山も動けとどよもせば
この国中にはびこった
魑魅魍魎を吹き飛ばす
地鳴りのような大声で
安倍も自民も吹き飛ばせ
政府も与党も吹き飛ばせ
違憲法案吹き飛ばせ
戦争勢力吹き飛ばせ
さあ出かけよう みんなして
100万人で輪を作ろう
目指すは国会・参議院
*************************************************************************
8月30日(日)の「戦争法案廃案! 安倍政権退陣! 8・30国会10万人・全国100万人大行動」『全国を戦争法反対の声で埋め尽くそう!』に総結集しよう。
東京で10万人、全国で100万人の総行動をぜひとも成功させよう。この集会が、その後の情勢を決める。メディアを覚醒させ、国会に活を入れることにもなる。そして、国民の手で憲法を守ることにつながる。
大行動の案内は実行委員会の下記URLをご覧いただきたい。
http://sogakari.com/
http://sogakari.com/?p=633
http://sogakari.com/?p=732
8月30日(日)14:00? 場所:国会議事堂周辺
戦争法案廃案!安倍政権退陣!8・30国会10万人・全国100万人大行動
(2015年8月29日)
靖国神社にほど近い九段の一角、九段会館(昔は軍人会館)に隣接して、「昭和館」がある。日本遺族会から「戦没者遺児記念館(仮称)」として建設の要請があり、「戦没者追悼平和祈念館(仮称)」として厚生省(当時)が予算をつけ、2008年に現施設名で竣工した国立博物館である。
「主に戦没者遺族をはじめとする国民が経験した戦中・戦後の国民生活上の労苦についての歴史的資料・情報を収集、保存、展示し、後世代の人々にその労苦を知る機会を提供する施設」だという。やや分かりにくいコンセプトだが、館の運営は日本遺族会に委託されている。当然のこととして宗教色はない。戦争賛美ではありえないが、近隣諸国への加害責任の観点はほとんどない。
その昭和館がこの夏、「昭和20年という年?空襲、終戦、そして復興へ?」と題する特別企画展を開催している。8月30日までということなので、今日足を運んでみた。そして、今日は閑散とした靖国神社にも立ち寄った。
企画展の趣旨はこういうもの。
「昭和20(1945)年初頭より、日本各地では本格化した空襲により被害は拡大し、4月に米軍の沖縄本島上陸、8月6日には広島、9日には長崎に原子爆弾が投下されました。そして8月15日の「玉音放送」により、国民は戦争が終わったことをはじめて知らされました。終戦直後の国内は混乱を極め、人びとは戦時中とは異なる労苦を体験しながら、復興への第一歩を踏み出していきます。
戦後70年を迎えた今年、本展では激動の昭和20年を「空襲にさらされる日本(1月?8月)」「終戦8月15日」「混乱の中からの出発(9月?12月)」の3つの時期に分け、国内の様子を実物資料の展示を中心に紹介します。」
入場無料だから文句も言えないが、見るべきもののある企画展ではなかった。わざわざ足を運ぶほどのものではない。それでも、遊就館に行って感じる好戦的な不愉快な雰囲気はない。
「終戦8月15日」のブースでは、「玉音放送」が繰り返されていた。私は、あのおかしな抑揚の朗読を聞いていると限りなく不快になる。生理的に受け付けないのだ。その部屋で、たまたま同年代の男性から声をかけられた。「この玉音放送の文章はよくできていますね。たいしたものですね」という。これがきっかけで、意見交換となった。
「おやそうですか。私はちっとも出来がよいとは思いませんね」「この人、国民に謝らない。『なんじ臣民、朕が意を体せよ』って、えっらそうな口をきいて。信じられない神経ですね」「『天皇陛下のために』と何百万人もが命を落としていることをどう考えているんだか、その責任を自覚している口ぶりではありませんね」「このひと大元帥でしょう。敗軍の将ではないですか。古来敗軍の総大将は腹を切るのが、日本の美学でしょうが」「『私は腹を切る』とでも約束すれば、『さすが潔い』となったかも知れない。ところが、自分の責任はまったく棚上げして、責任は部下に押しつけて刑死させた」「自分は生きながらえて恥ずかしいとは生涯言わなかった人でしょう」
相手の男性は、怒らずに耳を傾けた。で、述べたのは「でも、時代が時代だからしょうがなかった」「戦前の人々は天皇を崇拝していたのですから」。
「そう、多くの人が洗脳されていたのですよね。オウム真理教が世間を騒がせたのは、『たとえ人殺しでも、尊師の命令に従うことが正しいことだ』、そんなふうに若者たちが洗脳されたことでした。『天皇のために戦え、天皇のために中国人や鬼畜米英を殺せ。勇敢に闘って死ね』。こんな風に洗脳した組織の最高責任者が、自らは責任をとろうとしなかった」
「いや、マッカーサーが天皇と会って、人格的に傾倒したのではないですか」
「私はそうは思いません。アメリカは終戦以前から、占領政策の中に天皇制を温存して天皇を利用することを考えていた」「天皇は部下を見殺しにして戦犯とし、自らはマッカーサーにへつらって生き延びた、そう言われてしかるべきではないですか」
この人柄のよい男性は、無理に反論はしなかった。「まあね。兵が死ぬ間際には『天皇陛下バンザイ』と言ったというのは建前で、本当はみんな『お母さん』と言ったそうですからね」と相槌を打ってくれた。これで、会話はおしまい。
さして多くはない展示品の中に、1945年1月の作品だという小学校5年生の女児の書があった。展示品目録には「習字」とされていたが、驚くべき達筆。
精魂込めて書かれたであろうその文字は、
「大東亜共栄の平和」
というもの。
これを見て、寒気がした。この子は、本気になって、日本は「平和のため」に戦争をしていると思っていたに違いない。神国と教えられた日本が、神なる天皇が統率したもう皇軍が、侵略したり、略奪したり、民家を焼いたり、強姦したりすることなどおよそ思い及ぶことではなかった。従軍慰安婦の存在など、夢にも知らなかったに違いない。
今また、「積極的平和」の美名で戦争が準備されつつある。戦後70年のいま、なすべきことは、あの1931年から始まった戦争を思い起こし、見つめ直し、絶対に繰り返さないことだ。「絶対に戦争の惨禍を繰り返さない」は、抽象的なスローガンではない。目の前の、戦争法案を廃案に追い込むことでなくてはならない。
*************************************************************************
だから明後日、8月30日の「戦争法案廃案! 安倍政権退陣! 8・30国会10万人・全国100万人大行動」『全国を戦争法反対の声で埋め尽くそう!』に総結集しよう。
東京で10万人、全国で100万人の総行動をぜひとも成功させよう。この集会が、その後の情勢を決める。メディアを覚醒させ、国会に活を入れることにもなる。そして、国民の手で憲法を守ることにつながる。
大行動の案内は実行委員会の下記URLをご覧いただきたい。
http://sogakari.com/
http://sogakari.com/?p=633
http://sogakari.com/?p=732
8月30日(日)14:00? 場所:国会議事堂周辺
戦争法案廃案!安倍政権退陣!8・30国会10万人・全国100万人大行動
平和を大切に思うきみに、
憲法を大切に思うあなたに、呼びかけたい。
普段は忙しくて集会にもデモにも疎遠なきみも、
この日だけは、国会の周辺に出かけよう。
たった一人でも、とりあえずは出かけて10万人の輪の中にはいろう。
全国それぞれの地域で行われる集会に参加しよう。
そして、
「戦争法案を廃案にせよ!」
「センソウホウアン、イマスグハイアン!」
「安倍内閣は退陣せよ!」
「アベナイカクワ イマスグタイジン!」
と声を上げよう。
私たちのその声が集まって
平和を創ることになる、
憲法を擁護することになる。
平和と憲法を守るのは、
ひとひとりのきみであり、
あなたであり、私であり、
ほかならぬ私たち自身なのだ。
(2015年8月28日)
本日の「しんぶん赤旗」一面トップの大見出しが、「正義と真理 総結集」である。
「正義」は法曹界を象徴し、「真理」とは学者集団を指す。法曹界と学者300人が一堂に会して、戦争法案の廃案を訴えた。昨日(8月26日)の午後4時、日弁連会館の講堂クレオでのこと。
主催者挨拶は、「法の支配にもとづき正義を貫く法曹と、理性にもとづき真理を探究する学者の多くが集まって、同じ認識に立ち、今回の安保法制が憲法に違反し、真理と正義に反するということ、廃案しかないということで活動していきたい」というものだった。
日弁連と全国52単位弁護士会の全代表が集まった。また、元最高裁判事、元法制局長官も加わっている。そして、錚々たる学者の顔ぶれ。村越進日弁連会長の、「こんなに幅の広い人々が総結集したのはおそらく初めてのこと」「立憲主義の破壊だけは認めることができない」との発言には実感がこもっている。
その、記者会見の壮大な写真をご覧いただきたい。
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik15/2015-08-27/2015082701_01_1.html
この日、日弁連と学者は、正午から国会議員会館で「院内学習会 安全保障法制を問う」を開催し、その後議員会館の各議員を訪問して「安保関連法案」廃案への要請行動を行い、4時からの共同記者会見に臨み、その後日比谷野音で市民を交えた大集会を開催。そして、国会までのパレードを行った。まさしく、日弁連と学者が総力をあげたというに相応しい行動の日だった。
また同日、「安全保障関連法案に反対する学者の会」は、「100大学有志の共同行動」を行い、北海道から九州まで全国87大学253人の大学教員が一堂に会し記者会見に臨んでいる。
「学者の会」の発起人で事務局代表の佐藤学学習院大学教授は、各大学有志の声明は7月20日に18大学程度だったのが、現在同会がつかんでいるだけで108大学に広がり「それぞれ予想以上の賛同者を集めている」と報告。同会のアピールには学者・研究者1万3507人から賛同が寄せられ「各大学で自主的な動きがわき起こり、かつてない広範な共同がつくられている」と大学人の取り組みの勢いを語りました。(赤旗)
この日の行動で最も注目を集め拍手も多かったのは、創価大学教員の佐野潤一郎さん。この人が主役だったと言ってもよい。「創価大学が、いま立ち上がらなくてどうするんだと。私たちの大学出身の公明党の議員さんたちも、それについては、ぜひ反対をしていただきたいと思っています」「公明党の議員には、ぜひ頑張って、本当の意味で歯止めになってほしい。今のままでは、歯止めになっていないではないか」という発言。
公明党は政党の論理として与党でいたい。そのためには自民党と折り合わねばならない。「どこまでも付いていきます下駄の雪」に甘んじざるをえないのだ。しかし、公明党の母胎であり、これまで党を支えてきた創価学会員としては、これで納得できようはずがない。立党の精神は「平和の党」であったはずではないか。憲法九条をないがしろにしてよいのか。国民の大多数の憂慮を払拭しないまま専守防衛路線を投げ捨ててよいのか。野党の反対を無視しても強引に自衛隊の海外派兵を認める法案推進でよいのか。当然に疑問が生じているはず。
多くの創価学会員の公明党批判が聞こえてくる。創価大学と創価女子短期大学でも戦争法案への反対署名が取り組まれ、既に1400人を超えているという。世論調査による公明党の支持率も軒並み低下著しい。戦争法案の成否の帰趨に、来年に選挙を控えた参院公明党の動向が影響することは確実であり、その公明党の動向に創価学会員の意識や行動が影響することも疑いがない。佐野さんに代表される、創価大学内の戦争法案の廃案を求める活動に注目せざるを得ないのだ。
ところで、8月26日の諸行動について、NHKはまったく無視だったそうだ。さもありなんと納得してはならない。「アベ様のNHK」に、あらためて怒りもて抗議しなければならない。
が、NHKは別にしても、赤旗を除く各メデイアの戦争法案反対運動の扱いが必ずしも大きくないのが、やや気になるところ。弁護士会も学者も元気だ。シールズに代表される若者たちも、ママの会も…。しかし、メディアがやや報道意欲を失っているのではないか。長丁場の法案審議の報道に、中だるみがあるのではないか。憲法と平和への危機感を持続してもらいたいものと思う。
この中だるみを打破するイベントが、8月30日の「戦争法案廃案! 安倍政権退陣! 8・30国会10万人・全国100万人大行動」『全国を戦争法反対の声で埋め尽くそう!』である。東京で10万人、全国で100万人の総行動をぜひとも成功させよう。この集会が、メディアを覚醒させるだろう。国会に活を入れることにもなる。その成功は国民の手で憲法を守ることにもつながる。
大集会の案内は実行委員会の下記URLをご覧いただきたい。
http://sogakari.com/
8月30日(日)14:00? 場所:国会議事堂周辺
戦争法案廃案!安倍政権退陣!8・30国会10万人・全国100万人大行動
平和を大切に思う人、
憲法を大切と思う人、に呼びかけたい。
普段は忙しくて集会にもデモにも疎遠な人も、
この日だけは、国会の周辺に出かけよう。
全国それぞれの地域での集会に参加しよう。
そして、
戦争法案を廃案にせよ
安倍内閣は退陣せよ
とコールしよう。
あなたのその声が集まって
平和を守ることになる、
憲法を守ることになる、のだから。
(2015年8月27日)
昨日(8月25日)の夕方、NHK包囲の抗議行動に参加した。
NHK放送センター西門の近くで、「私たちは怒っているゾー」「籾井はただちにやめろ」「アベチャンネルにするな」などコールを繰りかえしながら、NHKってなんだろう、と考え続けた。
NHKのNは、今や「内閣」のNである。Hは「奉賛」のH、あるいは「諂う」のH。「内閣奉賛会」ないしは「内閣へつらい協会」ではないか。「安倍政権報道部」の実態が抗議の対象とされている。「政府の声でなく、国民の声を報道しろ!」「『皆さまのNHK』を忘れないでー」と声があがる。
戦争法案の審議が進行し、衆議院の強行採決さえなされた。平和と憲法にとっての存立危機事態である。このときに、安倍政権とNHKとの癒着である。とりわけ政権がNHKの人事を牛耳って自らの政策遂行の道具としていることが到底座視しえない。
安倍が籾井を牛耳り、籾井が経営委員会や理事会を牛耳ることで、安倍がNHKを支配し、NHKが安倍政権におもねりへつらう態勢が構築されている。由々しき事態ではないか。
大本営発表を繰り返した戦前のNHKの体質は変わらず、今また、安倍政権と二人三脚で、新たな大本営発表を繰り返そうとしているのだ。このことに危機感を持ち、抗議しなければならないというのが、参加者の切実な思いなのだ。
有名無名の多くの人がリレーでスピーチした。NHK上層部を痛烈に批判するとともに、印象に残ったのは、良心的なNHK職員を励まそうというスピーチだった。
今さら言うまでもないが、NHKは国営放送ではない。受信料は税金ではない。飽くまで、NHKと視聴者各個人との受信契約締結の効果としての民事的な債務なのだ。だから、契約自由の原則に従い、本来は契約するもしないも視聴者の選択による。
ただし、放送法は不思議な規定を置いて、「NHK放送を受信することのできる受信設備を設置した者は、NHKと放送受信についての契約をしなければならない」と定めて、NHKとの受信契約の締結を「しなければならない」としている。もちろん、受信契約締結強制も民事法上のもので、罰則での強制があるわけではない。契約締結者の受信料不払いも、そのことは民事的な債務不履行とはなり得ても、刑事罰の対象とはなり得ない。
放送法は、NHKを国民の信頼に支えられた報道機関と位置づけている。国民がNHKの報道姿勢を信頼し、進んで受信契約を締結して受信料を支払うことを想定しているのだ。この想定に反して、国民がNHKを見捨てた場合には受信料収入が激減することも想定されているといってよい。
この日のスピーチで、何人かが「今のようなNHKでは受信料を払えない」「籾井がやめるまでは受信料を払わない」「NHKよ。私に受信料を払いたいと思わせるまともな報道姿勢を貫いていただきたい」と発言した。これこそ、放送法が想定する最も真っ当な市民の声だ。
国民から信頼される報道機関としての基本は、何よりも権力から独立していることにある。今のように、政治権力と国民との立場が大きく乖離しているとき、権力と国民は公共放送であるNHKを自らの側に近づけようと、必死の綱引きをしているのだ。今この綱引きは、政権の側が優勢である。会長や経営委員の人事を牛耳って、政治報道には政権批判を許さないどころか、内閣奉賛の実態となってしまった。だから、「政府広報はやめろ」「戦争法案に加担するな」とコールが浴びせかけられるNHKの現状。これはあまりにもお恥ずかしい実態。
NHKOBである永田浩三さんが鋭く叫んだ。「NHKは政権のものでない。国民の貴重な宝物なのです」。なるほど、そのとおりなのだ。
籾井会長は「政府が右といえば、左というわけにはいかない」という安倍政権ベッタリの人物。「籾井会長はNHKトップに最もふさわしくない!」と何度も声があがった。安倍の息のかかったこの人物が会長として君臨する限り、国民の貴重な宝物は、安倍政権の手中でブロックされ、コントロールされるばかり。
国民はそれにふさわしい政府をもつ、という。国民は自分たちにふさわしいメディアをもつ、と言い換えられてもいる。しかし、今のNHKの現状が、国民にふさわしいとは到底考えられない。もっとまともなNHKにしなければならない。短期的には、戦争法案を廃案に追いこむために。長期的には、日本の民主化を促進するために。
それにはまず、籾井をやめさせることが先決問題だ。これが、考え続けての平凡な結論。あらためて叫ぼう。「籾井はやめろ」「アベチャンネルにするな」。
(2015年8月26日)
自民党公認で滋賀4区から出馬し当選した武藤貴也・衆議院議員。世に埋もれた無名の存在だったが、学生たち(シールズ)の戦争反対の声を「利己的」と言って俄然全国的な有名人となった。安倍チルドレンの内実とレベルの程度を天下に知らしめた点において、その功績は大きい。
さらに、8月19日発売の週刊文春で「未公開株詐欺」まがいの集金手口を暴露されて、政治家としての知名度ランキングのトップレベルに躍り出た。しかもそのあと自民トカゲのシッポとなって、安倍自民党の「イヤーな感じ」高揚に大いに貢献してもいる。
が、この問題それだけではない。もしかしたら…、政治とカネの薄汚い関係を壮大に暴露する発端であるのかも知れない。その意味では事件の奥行きはもっと深く暗いものなのかも知れないのだ。
8月19日以来、私の仲間内では「武藤のやったことは典型的な未公開株詐欺だろう」「『国会議員枠』なんてあるはずがないものを目玉にしての勧誘なのだから詐欺」「もし、欺していなければ、委託の趣旨に反した預り金の流用として横領は確実なところ」「金融商品取引法の無登録業者の違法勧誘行為や、出資法1条の『出資金の受入の禁止』にもあたるだろう」「こんなひどい議員は告発に値する」「安倍政権への打撃にもなるはずだから、告発したらどうだ」。「詐欺・横領・金商法違反・出資法違反を射程に告発すべきだ」と声は出ている。
しかし、大方は口だけは動くが、なかなかそれ以上には進まない。誰かやってくれるだろう、と他を期待しているからだ。こういうときに頼りになるのが、「政治資金オンブズマン」(共同代表、阪口徳雄弁護士・上脇博之神戸学院大学教授ら)。よく調べ、果敢に行動する。今回も動いた。
興味深いのは、彼らが「いきなり告発」ではなく、問題となった未公開株の上場手続幹事を務めた証券会社に対する公開質問状の発送という形で、宣戦を布告したことである。主たる質問内容は、未公開株の配分割当に関して、「国会議員枠」(あるいはそれに類するもの)があるのかどうかということである。
公開質問状は、昨8月24日付で「エイチ・エス証券株式会社 代表取締役社長 和田智弘」宛に発送された。公開質問状の全文は、共同代表である上脇教授のサイトに掲載されている。URLは以下のとおり。
http://blog.livedoor.jp/nihonkokukenpou/archives/51811709.html
上脇さんは、公開質問状を発信した趣旨に関連して「自民党が詳細な内部調査をすることなく議員辞職もさせず除名もせず離党させたのは不可解な対応であり、自民党は株の購入につき「国会議員枠」(あるいはそれに類するもの)があるのかどうかの論点を話題にさせることを回避しようとしたのではないかの疑惑が生じる」と述べている。
「国会議員枠」という表だった制度が存在するわけはない。しかし、問題は、表向きの制度がどうなっているかではない。いかなる態様にせよ、証券会社が未公開株の割当をする際に、政治家に甘い汁を吸わせている運用の実態はないのか、ということなのである。
「国会議員枠」を明示の制度として理解すれば、そんなものはないとニベもなくはねつけられるに決まっている。しかし、運用の実態が問題なのだ。未公開株の配分という美味しい手続に、政治家への手心が加えられている実態があれば、「国会議員枠(あるいはそれに類するもの)」が存在することになるということだ。
エイチ・エス証券株式会社には、幹事社として未公開株上場を担当する際の手続については「募集等にかかる株券等のお客様への配分にかかる基本方針」(公開質問状では「本基本方針」と言っている)という内部基準がある。
http://www.hs-sec.co.jp/book/haibun.pdf
公開質問状の質問事項は、次のとおりこの基準の運用についてのものとなっている。
1 本基本方針では「新規公開株の配分について、
?抽選による配分、
?抽選によらない配分、
という2種類の配分方法があります。
抽選又は抽選によらない配分の中に「国会議員枠」又はこれに類する配分方法があるのですか。
2 国会議員、又はその秘書について、本基本方針第3項(2)??「当社と継続的にお取引を頂いていること、又はお取引拡大が期待できること」に該当するとして事実上国会議員枠又はそれに類する配分方法を設定することがありますか。
3 (1)貴社が主幹事を務めた2014年11月の株式会社CRI・ミドルウェアの新規公開株につき、抽選又は抽選によらない方法で、武藤議員又は政策秘書の宮崎資紹氏から、何らかの配分を受けたいという申し入れがありましたか。
(2)その場合に武藤議員又は政策秘書の宮崎資紹氏に現実に配分しましたか。又は配分がなかったですか。
この「基準」には、「公平」と「公正」そして「適切」が何度も繰り返されている。
たとえば、「株券等の配分を行うに際しては、…適切な募集等の取扱いを行うとともに、公平かつ公正な配分に努めることを基本方針としております」「以上のような配分の基本方針に基づき、公正な配分を通じて証券市場の発展に寄与していくことが、当社の使命であると考えております。」という具合。
但し、その運用が公平・公正、かつ適正に行われているかはよく分からない。この基準が公平・公正かつ適正な運用を担保するほどのものとなっているとは考えられない。そして、「国会議員枠」を明示的に排除しているとは読めないのだ。
但し、「当社は、当社の役職員、当社に対して特定の利便を与え得るなど社会的に不公平感を生じせしめる者、暴力団員又は暴力団関係者、いわゆる総会屋等社会的公益に反する行為をなす者及び配分を行うことが適切ではないと当社が判断するお客様への配分を行いません。」という一文がある。暴力団・総会屋には配分しないとは明記されているが、国会議員に対する除外は明記されていない。もっとも、「当社に対して特定の利便を与え得るなど社会的に不公平感を生じせしめる者」には国会議員が含まれる可能性がある。しかし、仮にはいるとすれば、なぜ端的に「国会議員」を配分対象から外すと明記しないのだろうか。
本当に国会議員枠は、ないのだろうか。換言すれば、「未公開株の配分において、国会議員に便宜を図る運用がなされてはいないのだろうか」。「議員枠的なもの」が本当にないのか、実はあるのではないか。本件では、エイチ・エス証券が武藤に、そのような便宜を図ろうとしたのか否か。それが問題なのだ。
「イエス」の回答があれば、世の中がひっくり返るほどの大騒ぎとなるだろう。「ノー」である場合には、武藤の詐欺が濃厚となる。回答拒否も考えられるが、これは何らかの不都合があって回答ができないと考えざるをえない。何らかの形での「国会議員枠」存在が推認されるといって差し支えなかろう。
実は、こんなことは自民党が自ら調査すべきなのだ。天下の与党に、自浄の意思も能力も欠けているばかりに、民間が代わってこんなことまでしなければならないのだ。安倍自民党無責任体質、ここに極まれりではないか。
(2015年8月25日)
例年になく熱かった「戦後70年の夏」。さすがに風と空は涼しさを感じさせるが、戦争法案の廃案と安倍政権退陣を求める運動の熱気は冷めやらない。ますます熱い。
戦争の月・8月の下旬に多くの集会やデモが目白押しだが、その集大成版ともいうべき3集会をご案内する。私も、その片隅で声を上げている。
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まずは、明日の「8.25NHK包囲行動」である。
ぜひ下記のURLでチラシを拡散願いたい。
http://kgcomshky.cocolog-nifty.com/825NHKhoui/NHKhoui.pdf
メインスローガンは、「政権べったりの報道をやめろ 怒りの声でNHKを包囲しよう!」という大集会。
日時: 2015年8月25日(火) PM: 6:30?
場所: NHK放送センター(渋谷)
西門、正門、NHKホールそばの3カ所で
リレートークとコールが行なわれる。
主催: NHK包囲行動実行委員会
・政権に不都合なことを隠すな
・NHKは戦争法案に加担するな
・中国の脅威をあおるな
・国民の抗議の声を伝えよ
・国会審議をまともに放送せよ
・政治家と会食するな癒着するな
・籾井会長はNHK私物化するな
・権力監視のメディアになれ!
・籾井会長はただちにやめろ!
安倍政権が右といえば左とは言えないNHKへの抗議である。これだけの規模の世論の包囲にさらされながら、まだ安倍政権の命脈が保たれているのは、産経・読売と並んで、「皆さまから視聴料をいただいているNHK」の寄与が大きい。「安倍政権のスポークスマン」とまでいわれる岩田明子解説委員に代表される、その露骨な政権従属報道姿勢が安倍内閣の支持率を何%か押し上げているのだ。これを徹底批判しようという集会。
本日の赤旗〈潮流〉が、次のようにこの集会を紹介している。
「NHKの番組には優れたものがあっても、ニュースは安倍政権寄りだと視聴者の批判は高まるばかり。この機に市民団体の「放送を語る会」が、戦争法案をめぐるテレビニュースのモニター報告を発表しました▼これまで集団的自衛権などでもテレビ報道を検証。今回は、NHKのニュースは『安倍首相発言のコピー』となり、多様な批判的言論を伝えていないと実証的に指摘しました。『戦後未曽有の平和の危機』にジャーナリズムの役割を発揮する覚悟を求めての中間報告です▼明日25日、市民が『怒りの声でNHKを包囲しよう!』と一大行動に出ます。東京・渋谷のNHK放送センターの門前に集合です。大阪や京都では、呼応する取り組みがあります。“みなさまのNHK”へ要望します。7時のニュースで堂々と生中継してはいかが。」
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明後日(8月26日)には、日弁連が総力をあげた集会を予定している。
「安保法案廃案へ!立憲主義を守り抜く大集会&パレード?法曹・学者・学生・市民総結集!」と集会名も大変に熱い。
詳細は、下記日弁連のホームページを参照していただきたい。
http://www.nichibenren.or.jp/event/year/2015/150826.html
日時 2015年8月26日(水)
【集 会】 18時?19時(開場:17時15分)
【パレード】 19時15分?
日比谷野外音楽堂(千代田区日比谷公園1-5)
参加費等 参加費無料(事前申込み不要)
参加対象 どなたでも参加いただけます。
※定員3,000名のため、会場にお入りいただけない場合がありますが、パレードには参加いただけます。
集会での発言予定者は、現在のところ以下のとおり。
宮?礼壹氏(元内閣法制局長官)
溝淵勝氏(元裁判官、元高松地裁所長)
山岸憲司氏(前日弁連会長)
石川健治氏(東大教授・交渉中)
益川敏英氏(ノーベル賞受賞者・交渉中)
廣渡清吾氏(東大名誉教授・日本学術会議前会長・学者の会代表・予定)
上野千鶴子氏(東大名誉教授)
奥田愛基氏(SEALDs)
町田ひろみ氏(安保関連法案に反対するママの会)
道あゆみ氏(弁護士)
また、同日16時?17時、弁護士会館2階講堂クレオで「安保関連法案に反対する学者の会」と合同記者会見も行われる。こちらの出席予定は、以下のとおり。
濱田邦夫氏(元最高裁判事)
大森政輔氏(元内閣法制局長官)
宮?礼壹氏(元内閣法制局長官)
平山正剛氏(元日弁連会長)
村越進(日弁連会長)
水地啓子氏(女性弁護士として)
廣渡清吾氏(東大名誉教授・日本学術会議前会長、学者の会代表)
長谷部恭男氏(早稲田大教授・国民安保法制懇)
小林節氏(慶応大名誉教授)
石川健治氏(東大教授・立憲デモクラシーの会・交渉中)
水島朝穂氏(早稲田大教授)
那須弘平氏(元最高裁判事) メッセージ参加
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そして、8月30日(日)午後2時が、東京10万人・全国100万人の大集会。
詳細情報は実行委員会のウェブサイト(http://sogakari.com)を参照いただきたい。
戦争法案廃案! 安倍政権退陣!
8.30国会10万人・全国100万人大行動
8月30日?14:00?
場所:国会議事堂周辺ほか
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声を上げよう。
「戦争法案を廃案に!」
「安倍内閣は退陣せよ!」と。
平和と民主主義を守るために。
声を上げることは、主権者の権利であり責務でもある。
今、大きく声を上げないと平和と民主主義が崩れてしまうかも知れない。
平和と民主主義がいったん崩れると、その再建のために声を上げる自由はもはやなくなる。
だから、手遅れにならぬうちに、声を上げよう。
できるだけ多くの人に呼びかけて、できるだけ大きな声を。
今なら、まだ間に合うのだから。
明日では遅すぎるかも知れない、のだから。
(2015年8月24日)
村岡到さんから近著をいただいた。「文化象徴天皇への変革」というタイトル。表紙に「天皇を文化の象徴に 斬新な提起!」とある。この「あまりの斬新さ」に驚いた。
村岡到といえば左翼の理論家と自らも任じ、社会にも知られる人物。その左翼理論家が、天皇制廃絶や天皇制との対峙ではなく、「文化の象徴としての天皇」を語り、これを純化する制度を提案しているのだ。
しかも、前書きには次のような意気込みが語られている。
「私は、この小さな本で日本の左翼の伝統的な弱点を明らかにし、その欠落を埋める内実を提起した。一九四七年五月三日の新憲法によって成立した象徴天皇制の経過と根拠を解明し、象徴天皇制の廃絶と合わせて、天皇を〈文化の象徴〉に変革することを、私は提案する。これはかつて存在しない、まったく新しい提案である。」
村岡さんは、現行の「象徴天皇制」の弊害は大きくこれを廃絶しなければならないとしながら、「文化の象徴としての天皇」は残すべきだという。憲法を改正して現行の「第一章 天皇」を削除し、これに代えて「第一章 日本国の理念」とし、その章の末尾に位置する第8条に「天皇は日本に住む市民の文化の象徴とする。天皇に関する制度については、法律によって定める」を置くのだという。
さらに、その具体的な制度案として、種々のアイデアが並んでいる。
天皇とその家族は伊勢神宮内に居住する。財政は任意の寄付を基本として不足の場合にのみ国庫の負担とする。定年制とし退任後は選挙権を認める。50年に1度程度の国民投票で国民に存廃を諮る。宮内庁や皇宮警察は廃止する…。
まだよく読み込めていない。もちろん、軽々に賛成とは言えない。が、私には、村岡さんの筆の伸びやかさが好もしい。天皇制についての議論をアンタッチャブルなものとしていない。誰に遠慮するでもなく、誰からも束縛されずに、自分の意見を述べている。体制にも、右翼にも、左翼にも、どの政党にも、運動体にも、自分の支持者にも、一切おもねるところがない。大変な量の文献を渉猟したことが記されているが、共産党や学界の権威からもまったく自由だ。そして以前の自分の見解にもとらわれていない。まさしく、自分の頭で考えたことを、自分自身の言葉で語っているのだ。
この書の中に、次の一節がある。この部分が、全体の立論の基礎になっている。
「私たちの政治分野での研究は政治的に真空の状態で行うものではなく、緊迫した政治情勢における明確な立場と主張の表明を外してはならない。温和な政治環境が与えられていれば別であるが、現在はそうではない。安倍首相による乱暴な好戦壊憲策動が強化されているのが現状である。私たちは、憲法第九条を骨抜きにする好戦壊憲策動に断固として反対であり、この策動を粉砕しなくてはならない。この明確な立場から考えると、象徴天皇制にどのように対処するのが正しいのか。」
この書では、天皇や皇后、皇太子らの、度重なる憲法擁護発言・戦争反省発言を評価する立場を明確にしている。「天皇らの言動は、安倍首相による好戦壊憲策動のアクセルとして利用できないばかりか、小さくないブレーキとなっている」という認識が語られている。「この現下の政治状勢のなかでは(天皇の)『平和の象徴』としての機能に賛意を表し、その傾向を拡げるほうが良い。天皇らの言動に、戸惑いを感じたり、『裏があるのではないか』などと邪推するのは誤っている」という立場なのだ。
もちろん、憲法改正を伴う制度の改変であるからには、長期的な展望をもたねばならない。本書は「日本人はなお、何らかの〈象徴〉なしには社会を統治できない段階を生きている」ことを前提に、「以上のような内容によって象徴天皇制を廃絶し、決定的に改革すれば、天皇を政治的反動に利用することはできなくなり、天皇をテコにした優越感や差別はその根を絶たれる。『お上に従う』などの非自律的習性も衰える。同時に『平和の象徴』としての天皇に尊崇の念を抱く国民に採っても不快感を募らせることはない。」と述べている。
リベラルな天皇への積極的な評価の立論は、当然にあり得ると思う。不十分ながら、私見は8月17日の当ブログに「『愚かで不誠実な首相』と『英明で誠実な天皇』との対比の構図をどう読むべきか」として書いてはいる。
https://article9.jp/wordpress/?p=5440
このときには、保守層の比較的リベラルな部分からの天皇発言の評価について触れた。村岡さんが、左翼陣営からかくも真っ正面に肯定し、しかも憲法制度にまで踏み込んで言及していることは知らなかった。このような刺激的な提言は、自分の考えを吟味し、再考する良い機会となる。
おそらくは村岡説と同じ結論にはならないと思うが、あらためて天皇制をよく考え直してみたい。政治・文化・宗教・国民意識等々を総合して、自分なりに再整理することになるのだろうから。
本書のご注文は、
ロゴスhttp://logos-ui.org/book/book-23.html
エルパカBOOKSなどに。
(2015年8月23日)
私が被告とされているスラップ(言論封殺目的)訴訟。9月2日の判決言い渡し期日が間近となりました。その日のスケジュールを再度お伝えします。
9月2日(水)
13時15分 東京地裁631号法廷 判決言い渡し
(東京地裁庁舎南側(正面入口から入構して右側)6階)
13時30分 勝訴判決報告集会 第一東京弁護士会(弁護士会館12階)
この日の判決は、
DHC・吉田嘉明の言論封殺の意図を挫いて、
政治的言論が自由であることを再確認し、
市民や消費者の立場からの、
企業や行政や経済的強者への遠慮のない批判の権利を保障する
そのような内容になるはずです。
この日を表現の自由の勝利の日として祝賀しようではありませんか。
法廷傍聴も報告集会も、どなたでも参加ご自由です。言論の自由を大切に思う多くの皆さまに、ご参加を呼びかけます。
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DHCと吉田嘉明が連名で原告となって提起した同種スラップは合計10件あります。その内、1件はDHC・吉田が自ら取り下げ、9件が現在係属中です。
最も早く進行したDHC対折本和司弁護士事件は、
本年1月15日に地裁判決(請求棄却)、
6月25日の控訴棄却判決(控訴棄却)、
その後上告受理申立がなされ最高裁に係属中。
2番目の判決となったS氏(経済評論家)を被告とする事件は
本年3月24日に地裁判決(請求棄却)、
8月5日に控訴審判決(控訴棄却)、
やはり、その後上告受理申立がなされ最高裁に係属中。
私の事件が、3番目の地裁判決になるようです。
DHC・吉田は、同種事件で4回の判決を受けてすべて敗訴となっています。
関連して仮処分事件も2件申し立てていますが、いずれも却下。両者とも抗告して、抗告審も敗訴。これで、合計8連敗です。
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下記の動画がユーチューブにアップされていることを教えてもらいました。
TBSが、烏賀陽弘道さんを取材して作成した「JNNルポルタージュ・報道の魂」という番組のアーカイブ画像です。
パート1?3までありますが、とても分かり易くスラップとは何か、なぜスラップ対策が必要かを語っています。ぜひ、ご覧ください。
https://www.youtube.com/watch?v=NciG6PbVjqk
烏賀陽さんは、「オリコン事件」と言われる典型スラップで5000万円の請求を受け苦労の末に実質的な勝利を手にします。勝利してオリコンには支払わなくてもよいことにはなりましたが、「応訴費用や訴訟期間中の減収など失った金銭(概算で1000万円弱)」は返ってきません。「心身の苦痛はひどいものだった」が、これも癒されません。
スラップとは標的とした人物に対する「イヤガラセ提訴」ですから、被害が生じることは当然なのです。これを放置していてよいのか、という当事者としての問題意識から、烏賀陽さんは「訴訟大国」アメリカに調査に出かけます。
アメリカ50州のうち28州(人口カバー率だと72%)に「反スラップ法」が制定されているそうです。その内容は必ずしも同じではありませんが、典型的には次のようなものです。
スラップを提訴された被告は、「この訴訟はスラップである」と動議を出すことができます。この動議の要件は、公共の利害にかかわる意見表明が攻撃されているということだけでよい。すると、原告側は勝訴の蓋然性を裁判所に証明しなければならない。名誉毀損訴訟の場合では、「被告に現実の悪意が存在すること」の立証が必要だというのです。原告がこの立証に不成功なら、そこで請求は棄却になります。それだけではなく、「弁護士費用移転」の効果が発生するというのです。原告は、被告が負担した弁護士の費用まで、被告に支払わねばなりません。これで、スラップ防止の実を挙げているというのです。
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私も、当事者としてスラップに向かい合い、スラップ防止の策を考えなければなりません。
DHC・吉田は、カネに飽かせて、負けてもともとの濫訴をしています。これに対する厳正な制裁が必要です。十分な制裁があって初めて濫訴の防止が可能になります。現行の民事訴訟制度で出来ることはなんだろう。立法政策として、可能なことはなんだろう。一審判決を機に、十分考え社会に提案してみたいと思います。自分でできることは実践もしてみたい。
烏賀陽さんの近著「スラップ訴訟とは何かー裁判制度の悪用から言論の自由を守る」(現代人文社)では、カリフォルニア州のスラップ専門弁護士のコメントを紹介しています。
「例えて言うなら、カリフォルニア州の反スラップ法は、キバがいくつも並んだサメの歯のようなものです。いったん食いつかれると、次々にキバが食い込んで抜け出せなくなる。それでも提訴しますか、とクライアントに警告する。…たいていは思いとどまります」
このアメリカの反スラップ立法も、言論の自由を厚く擁護する判例の積み重ねが生みだしたものだ。日本においても、まずは個別の事件できちんと勝ち切って、判例を積み重ねるところが出発点なのだろう。
(2015年8月22日)