(2023年3月21日)
死刑確定囚の袴田巌さんは、冤罪を雪ぐために再審を求めて闘ってきた。
紆余曲折経て再審を認めた3月13日東京高裁決定への特別抗告の期限が昨日20日。この日、東京高検は最高裁への特別抗告断念を弁護団に通知した。これでようやく、本当にようやく、再審開始が確定した。
これから、静岡地裁で袴田巌さんの誤判を覆すための再審公判が開かれる。そして、間違いなく無罪判決が言い渡される。おめでとう、袴田さん。おめでとう、ひで子さん。そして、弁護団長の西嶋さん。
とは言うものの、失われたもの、取り返しのつかないものはあまりにも大きい。誤判を繰り返さないために、間違っての死刑執行を防ぐためにも、刑事訴訟制度・再審制度の再点検が行われなければならない。
誰もが感じているように、袴田事件の再審請求には世論の援護があった。世の人々の目が、裁判所の背中を押し、検察官の足を止めたと言えるだろう。「袴田事件再審決定は世論の勝利」とは、一面素晴らしい教訓ではあるが、他面、それでよいのかという問題を考えなければならない。
最近、「再審格差」という言葉を聞く。何を「格差」というかは必ずしも明確ではない。担当裁判官の姿勢次第で生まれる「格差」もある。のみならず、世に注目され世論の後押しを受ける事件と、必ずしも注目されず世論の後押しを受けない事件との「格差」も否定しえない。冤罪を訴える者の「人権」や「真実」を論じる立場から、「格差」は容認しえない。平等なルールの設定が必要である。
喫緊の課題は、再審請求の手続きにおける証拠開示のルール化である。検察官手持ちの全証拠の開示をどう実現するか。ことは、再審請求事件だけの問題ではない。
日弁連は、2019年10月の人権擁護大会で、
?再審請求手続における全面的な証拠開示の制度化の実現、
?再審開始決定に対する検察官による不服申立ての禁止
を含む再審法の速やかな改正を求める決議を採択した。そして、これを盛り込んだ刑訴法改正案を公表している。早期の法改正の実現が強く望まれる。
そしてまた、5件目の死刑再審無罪判決を機に、死刑存廃の議論が巻きおこらねばならない。国家が刑罰権の行使に過つことがあったとしても、取り返しのつかない死刑執行は絶対に避けなければならない。その観点からの死刑廃止論がリアリティをもって考えよと迫っている。
日弁連は、1959年の徳島事件以来再審支援に取り組んでいる。これまでに34件の再審事件を支援し、そのうち18件について再審無罪判決を獲得しているという。
現在再審請求中の支援事件は、以下のとおりである。
☆名張事件 1969年9月 名古屋高裁死刑判決 1972年6月確定
☆袴田事件 1968年9月 静岡地裁死刑判決 1980年11月確定
☆マルヨ無線事件 1968年12月 福岡地裁死刑判決 1970年11月確定
☆大崎事件 1980年3月 鹿児島地裁懲役10年1981年1月確定
☆日野町事件 1995年6月 大津地裁無期懲役 2000年9月確定
☆福井女子中学生殺人事件 95年2月 名古屋高裁金沢支部 懲役7年 97年11月確定
☆鶴見事件 1995年9月 横浜地裁 死刑判決 2006年3月確定
☆恵庭殺人事件 2003年3月 札幌地裁 懲役16年 2006年10月確定
☆姫路郵便局強盗事件 2004年1月 神戸地裁姫路支部 懲役6年 06年4月確定
☆豊川事件 2004年3月 名古屋高裁 懲役17年 08年9月確定
☆小石川事件 2002年3月 東京地裁 無期懲役 05年6月確定
☆難波ビデオ店放火殺人事件 2009年12月 大阪地裁 死刑判決 14年3月確定
再審無罪確定事件は以下のとおりである(無罪確定順)。
○吉田事件 無期懲役 1963年2月 名古屋高裁 再審無罪判決
○弘前事件 懲役15年 1977年2月 仙台高裁 無罪判決
○加藤事件 無期懲役 1977年7月 広島高裁 無罪判決
○米谷事件 懲役10年 1978年7月 青森地裁 無罪判決
○滝事件 懲役5年 1981年3月 東京地裁 無罪判決
○免田事件 死刑 1983年7月熊本地裁八代支部 無罪判決
○財田川事件 死刑 1984年3月 高松地裁 無罪判決
○松山事件 死刑判決 1984年7月 仙台地裁無罪判決
○徳島事件 懲役13年 1985年7月 徳島地裁 無罪判決
○梅田事件 無期懲役 1986年8月 釧路地裁 無罪判決
○島田事件 死刑判決 1989年1月 静岡地裁 無罪判決
○榎井村事件 懲役15年 1994年3月 高松高裁 無罪判決
○足利事件 無期懲役 2010年3月 宇都宮地裁 無罪判決
○布川事件 無期懲役 2011年5月 水戸地裁土浦支部 無罪判決
○東電OL殺人事件 無期懲役 2012年11月 東京高裁無罪判決
○東住吉事件 無期懲役 2016年8月大阪地裁 無罪判決
○松橋事件 懲役13年 2019年3月 熊本地裁 無罪判決
なお、下記は日本国民救援会が支援している「再審・冤罪事件」の事件名一覧である。
●秋田・大仙市事件
●山形・明倫中裁判
●宮城・仙台北陵クリニック筋弛緩剤冤罪事件
●栃木・今市事件
●東京・三鷹事件
●東京・痴漢えん罪西武池袋線小林事件
●東京・小石川事件
●東京・乳腺外科医師冤罪事件
●長野・冤罪あずさ35号窃盗事件
●長野・あずみの里「業務上過失致死」事件
●福井・福井女子中学生殺人事件
●静岡・袴田事件
●静岡・天竜林業高校成績改ざん事件
●愛知・豊川幼児殺人事件
●三重・名張毒ぶどう酒事件
●滋賀・日野町事件
●京都・長生園不明金事件
●京都・タイムスイッチ事件
●兵庫・えん罪神戸質店事件
●兵庫・花田郵便局強盗事件
●岡山・山陽本線痴漢冤罪事件
●高知・高知白バイ事件
●鹿児島・大崎事件
●米・ムミア事件
(2023年3月19日)
昨日(3月18日)は奇妙な日だった。早朝のニュースで「プーチンに逮捕状」と聞き、深夜就寝前のニュースが「来週火曜日にトランプ逮捕」と言った。いずれも寝床でのラジオが語ったこと。東と西のゴロツキが法の名において断罪されようということなのだから、これが実現すればこの上ない慶事だが、さてどうなるか事態は混沌としたままである。
トランプは18日、自ら立ち上げた独自のSNS「トゥルース・ソーシャル」に「共和党の最有力候補でありアメリカ合衆国の元大統領が来週の火曜日に逮捕される」などと投稿した。トランプ自らによる、トランプ逮捕予告の記事である。真偽のほどは不明だが、「検察からの違法な情報漏洩」があったことを根拠にしてのことだという。逮捕を免れようと、「抗議しろ、私たちの国を取り戻せ」と自身の支持者に呼びかけている。理性に欠けた狂信的支持層の反応が懸念される。とうてい、民主主義を標榜する社会のあり方でない。
朝に「プーチンの戦争犯罪」を断罪し、夕べに「トランプの破廉恥と、民主主義への敵対姿勢」を確認した日となった。
トランプの投稿は、逮捕の被疑事実や捜査の進展など詳しい経緯には触れていない。それでいて、「抗議しろ、私たちの国を取り戻せ」なのだ。いったい何をどう抗議せよというのか。おそらくは、そんなことはどうでもよいのだ。ともかくも、愚かな自分の支持者を煽動して抗議の声を上げさせさえすれば、逮捕の実行はなくなるだろうという傲り、あるいは願望が透けて見える。こんな人物が、アメリカの大統領だった。そして再選を狙う候補者なのだ。
伝えられているところでは、最も可能性の高いトランプの逮捕理由は、2016年に不倫関係にあったとされるポルノ女優ストーミー・ダニエルズに「口止め料」を支払った問題で、以来今日まで、ニューヨークのマンハッタン地区検察官が捜査を続けてきた。この件について、米メディアは「捜査が大詰めを迎えている」と報じていたという。
問題となっている元ポルノ女優は、かつてトランプと不倫関係にあったとされる。トランプはその関係が明らかになることで大統領選に影響が出ることを懸念し、弁護士を通じて13万ドル(約1700万円)を支払った疑いがかけられている。ニューヨーク州法では、選挙に影響を与える一定額以上の寄付が禁じられており、この口止め料が抵触する可能性が指摘されてきた。トランプを起訴するかどうかは、地区検察官が招集した大陪審が決める。
起訴された場合は、トランプはいったん出頭して逮捕される手続きとなるという。米メディアによると、地区検察官はトランプに対し、大陪審の前で証言する機会を提示したが、トランプは拒んだ。ニューヨーク・タイムズはこうした経過を根拠に「起訴が近いことを示している」と報じた。
トランプを巡っては、脱税疑惑もあり、20年大統領選の結果を覆そうとした疑惑や公文書を私邸に持ち出した疑惑など、複数の案件で捜査が進められている。さすがに「容疑者が大統領」ではシャレにもならない。こんな人物を大統領候補にしているのが、アメリカの一断面なのだ。
思い出す。トランプの顧問弁護士だったマイケル・コーエンのことを。彼は、トランプの代理人として、2016年の米大統領選期間中にトランプとの不倫関係を公表しようとしていたポルノ女優と米男性誌「プレイボーイ(Playboy)」元モデルに口止め料を支払い、これで選挙資金法に違反したとして有罪となった。禁錮3年である。
ポルノ女優のストーミー・ダニエルズと、米男性誌「プレイボーイ」元モデルのカレン・マクドゥーガル両名への不正口止め料の支払いの金額は計28万ドル(約3200万円)と供述していた。コーエンは、この金額はトランプと調整し、最終的にトランプの指示で支払ったもので、当然にトランプも違法を認識していたと述べている。しかし、いまだにトランプは「違法行為を指示したことはない」と否認し続けている。
このコーエン弁護士。安倍晋三・昭恵の夫婦に乗せられながら、途中で切って捨てられて今は下獄している籠池夫妻に似ていなくもない。
ここまで来れば、トランプも退くに退けない。司法当局と争わざるを得ない立場となった。当面は、大陪審の面々に圧力をかけ、徹底して脅すしかない。ということは、ニューヨークの一般市民を敵にまわすということでもある。結局は、偉大なアメリカの実現のために「法の支配」「民主主義」と果敢に闘う大統領候補になるということなのだ。プーチンとトランプ、なんとまあ、よく似ていることか。
(2023年3月13日)
人の世の悲劇の形はさまざまだが、冤罪ほどの悲惨は稀であろう。ましてや、冤罪による死刑宣告の確定は悲劇の極みである。その悲嘆、絶望、恐怖、神への呪い、社会への憎悪、近親への慮り…、いかばかりであろうか。
人権とは、権力との関係において語られるべきもの。人間としての尊厳を権力に蹂躙されてはならないのだ。死刑冤罪とは、権力が無辜の人の命を奪うことである。これに過ぎる人権侵害はない。
本日、東京高裁は「無実の死刑囚・袴田巌さん」の再審開始を決定した。検察は、これを受容して再審に応じ無罪の論告を行うべきである。それが、公益を代表する検察のあるべき姿といわねばならない。
本日の決定で注目すべきは、決定理由中に、「捜査機関が証拠を捏造した可能性が極めて高い」と踏み込んだことにある。
決定は、犯行時の犯人の着衣とされる5点の衣類について「事件から相当期間を経過した後に捜査機関がみそタンク内に隠した可能性が極めて高い」と指摘し、静岡地裁の再審開始決定に続いて捜査機関による証拠捏造の可能性を認めた。
この事件は、1966年6月に静岡県清水市(当時)で一家4人が殺害・放火され、現金20万円などが奪われたもの。県警は、同年8月、元プロボクサーでこの会社の従業員だった袴田さんを逮捕した。袴田さんは捜査段階で自白したとされたが、静岡地裁で裁判が始まると否認に転じた。
否認事件として審理進行中の67年8月、別の従業員が会社のみそタンクの底から、血痕のついたTシャツやズボンなど5点の衣類を発見した。検察はこれが袴田さんの犯行時の着衣だったと主張。地裁は、衣類に袴田さんと同じ血液型の血がついていたことなどから「衣類は袴田さんのもので、犯行時の着衣」と認め、68年に死刑を言い渡した。死刑判決は80年に最高裁で確定した。
2008年に申し立てられた第2次再審請求審で、静岡地裁は14年に再審開始を決定した。「血痕は袴田さんとは別人のもの」としたDNA型鑑定結果の信用性を認めたほか、「衣類を約1年間みそに漬けると血痕は黒褐色になるのに、発見時の衣類に赤みが残っているのは不自然」という、再現実験に基づく弁護側の主張を認めた。
確定判決は5点の衣類の血痕の色は「赤みがある」ことを前提にしていたが、弁護側は独自にみそ漬け実験を行い「みそ漬けされた血痕は黒褐色に変わる」と矛盾する結果を得た。静岡地裁はみそ漬け実験の信用性を認めて再審開始決定の根拠の一つとした。また、衣類については「発見直前に捜査機関が投入した捏造証拠の疑いがある」とも述べ、袴田さんの死刑の執行停止と釈放も決めた。
しかし、地裁の再審決定を不服として、検察官が申し立てた抗告審での東京高裁決定は、弁護側「みそ漬け実験」の信用性を否定して地裁決定を取り消した。これに対して、特別抗告審における最高裁決定は血痕の色調の変化に関する審理が足りないとして、高裁に差し戻した。
こうして、差し戻し審の争点は「5点の衣類」に付着した血痕の色調の評価となった。弁護側、検察側の双方が新たに「みそ漬け実験」を実施。弁護側は「短期間で血痕は黒褐色に変わる」、検察側は「条件によっては血痕に赤みが残る」とそれぞれ主張していた。
本日の決定は、「みそ漬け」された「犯行時の着衣」の血痕の色調について、弁護側の実験の信用性を認めて「無罪を言い渡すべき明らかな新証拠」と判断した。
本日の決定は朗報である。多くの人の労苦の賜物である。だが、無辜の人物の逮捕からここまで57年の年月を要している。袴田さんと、その近親者の人生はこの間奪われたに等しい。失われたものはあまりに大きい。
のみならず、冤罪を晴らすことは難しい。再審は「開かずの扉」と言われ続けた。この扉をこじ開けて、ラクダが針の穴を通るほどに困難とされる死刑囚の再審無罪を勝ち取った先例は4件。袴田事件がようやく5件目となる。日弁連のホームページから、なにゆえに誤った死刑判決が確定したのか、抜粋しておきたい。冤罪は、けっして過去のものではない。
1 免田事件 (1948年12月に熊本県人吉市で発生した一家4人が殺傷された強盗殺人事件。51年3月死刑確定。第6次再審請求で、83年7月無罪確定)
捜査機関は、極端な見込み捜査により、別件で免田さんを逮捕し、暴行、脅迫、誘導、睡眠を取らせない等の方法により、免田さんに自白を強要しました。免田さんは当初からアリバイを主張しており、移動証明書や配給手帳等により裏付けられていましたが、全て無視されました。
裁判所も、自白を偏重して全面的にこれを信用し、免田さんのアリバイを無視して、有罪判決を言い渡し、再審請求を棄却し続けました。
2 財田川事件(1950年2月、香川県三豊群財田村(当時)で発生した強盗殺人事件。57年1月死刑確定。84年3月再審無罪確定)
捜査機関は、地元の風評以外に何の根拠もないのに、谷口さんを犯人と確信し、別件逮捕を繰り返して、極めて長期間、代用監獄に谷口さんの身体を拘束して、食事を増減したり、暴行を加えたりして、谷口さんに自白を強要しました。
また、裁判所も自白を偏重し、当時法医学の権威とされた古畑種基・東京大学教授の鑑定を安易に信用するという誤りを犯しました。再審開始決定において、古畑鑑定は、検査対象とされた血痕は事件後に付着した疑いがある等から、信用できないものとされました。
3 松山事件(1955年10月、宮城県志田郡松山町(当時)で殺人・放火事件。84年7月再審無罪確定)
捜査機関は、斉藤さんを別件逮捕したうえ、斉藤さんの同房者である前科5犯の男性をスパイとして利用し、自白するように唆すという謀略的な取調べを行っています。
また、「掛布団襟当の血痕」が自白を補強するものとされましたが、再審では、血痕の付着状況が不自然であり、捜査機関によって押収された後に付着したと推測できる余地を残しているとされました。
4 島田事件(1954年3月10日、静岡県島田市内の幼児強姦殺人事件。1960年12月死刑確定。89年1月再審無罪確定)
捜査機関は、見込み捜査により、別件で赤堀さんを逮捕し、暴行、脅迫等により、赤堀さんに自白を強要しました。赤堀さんは、事件当時には東京にいたというアリバイを主張していましたが、全て無視されました。
また、自白によると凶器は石とされ、当時法医学の権威とされた古畑種基・東京大学教授の鑑定がこれを裏付けているとされていました。しかし、再審で、被害者の傷痕が石では生じないことが明らかになりました。
更に、この事件では、捜査機関は約200名にのぼる前科者、放浪者等を取り調べており、警察の強引な取調べのため、赤堀さん以外にも自白した者がいます。
(2023年1月2日)
新年にふさわしい明るい話題ではない。それでも、野蛮な大国の現実について警鐘を鳴らし続けねばならない。
我々は、香港についての報道を通じて、野蛮と文明との角逐を垣間見ている。残念ながら、そこでは野蛮が文明を圧倒しているのだ。野蛮とは、剥き出しの暴力に支えられた権力である。そして、文明とは『法の支配』や『権力分立』によって権力を統御し人権を擁護しようという制度と運用を指す。疑う余地なく、この意味での文明あってこそ人身の自由があり、思想の自由・表現の自由の謳歌がある。
暮れの各紙が、「中国、香港最高裁判断覆す」「国安法違反、外国弁護士の参加巡り」という見出しで、香港発の共同通信記事を報じている。
「中国の全国人民代表大会(全人代)常務委員会は(12月)30日、香港国家安全維持法(国安法)違反事件の被告の弁護人を外国の弁護士が務めることができるかどうかを巡り、香港政府トップの行政長官の許可が必要だとの解釈を示し、香港最高裁の判断を事実上覆した。許可がない場合は、香港国家安全維持委員会の決定が必要だとした。
同法違反罪に問われた民主派香港紙、蘋果日報(リンゴ日報=廃刊)創業者、黎智英氏の裁判で、香港最高裁が香港当局の主張を退け英国の弁護士の参加を認める判断を示していた。司法の独立性が後退したとの懸念がさらに高まりそうだ」
黎智英は中国共産党によって表現の自由を蹂躙されて、この上なく声価の?かった新聞(蘋果日報)の発行停止に追い込まれた。それに伴い、中国共産党によって財産権を侵害され、営業の自由を蹂躙された。さらには、不当に逮捕され、人身の自由を蹂躙された。そして今、彼は中国共産党によって刑事被告人としての弁護人選任権までが侵害されているのだ。恐るべし、野蛮な権力。
以前にも指摘したことがあるが、黎智英が英国の弁護士を弁護人として選任したのは香港の刑事訴訟法がそれを許容する制度になっているからだ。ところが、香港司法当局(日本での法務省に当たるのだろう)は、これにイチャモンを付けて、香港籍の弁護人への変更を申し立てた。その理由は、「(国安法上の)『外国勢力との結託による国家安全危害共謀罪』で起訴された被告人の弁護人を、海外で働く外国人が担当するのは国安法の立法趣旨に反し不適当」だというのだ。無罪の推定も、弁護権の保障も念頭にない、まったく無茶な権力側の発想。
さすがに、香港の高裁と最高裁はいずれも司法当局の訴えを退ける判断を下した。ところが、ここで奥の手が出てくる。香港の最高裁の判断は、全人代常務委員会の胸先三寸でひっくり返されることになった。これが、一党独裁のグロテスク。
「非理法権天」という、出所定かならぬ駄言がある。楠木正成が報じたとの伝承され、戦艦大和のマストに掲げられた幟にも書いてあったそうだが、《非は理に勝たず、理は法に勝たず、法は権に勝たず、権は天に勝たぬ》という文意だという。この中で、《法は権に勝たず》だけが意味のある内容、もちろん権力をもつ者にとっての意味である。
元来、法は権力を抑制し掣肘するためにある。「王権といえども法の下になければならない」のだ。実力に支えられた権力が、正義や理性の体系である法に縛られ従うことで文明社会の秩序が保たれる。これが《法の支配》の理念であって、《法は常に権力に勝つ》べき立場にある。これを、《法は所詮紙片に書かれた文字の羅列に過ぎない、実力装置に支えられた権力に勝ち目はない》というのは、野蛮な世界の認識なのだ。
一党独裁とは、共産党に敵対する政党の存在を許さないというだけのものではなく、徹底した国家権力の集中を意味するのだ。一国二制度の下、ごく最近まで香港には常識的な三権分立の制度が確立していた。中国が香港の自由を蹂躙したとき、香港の教科書から「三権分立」の文字が消えた。同時に香港の人権と民主主義も失われた。
三権分立の核をなすものは、司法権の独立である。法の支配において、最終的に法の解釈を確定する権限は司法にある。が、この常識は中国では通じない。香港の司法の独立は、中国共産党の支配にまったく歯が立たないのだ。
それを見せつけたのが、今回の《黎智英弁護人選任権否認事件》である。「香港の司法は、中国共産党という権力に勝てず」が立証された。
かくて香港の《文明》は、南北朝時代あるいは近代天皇制権力時代と同じ《野蛮》に敗れたのだ。
(2022年11月11日)
葉梨康弘という政治家が話題の人となった。本日辞表提出とのことで、メディアを賑わせている。これまで知らなかったお名前だが、彼の望み通りに、突然に有名政治家となった。「失言」によってではなく、「本音」を吐露したことによってである。
東京都三鷹市出身で、教駒を経て東大法学部卒業。警察官僚から政治家に転身して宏池会に所属。衆院選に6回当選して本年8月初入閣し法務大臣となった。ご多分に漏れず、茨城3区を地盤とする世襲3代目議員だという。絵に書いたような官僚出身自民党政治家の典型人物。
これまでの彼の政治姿勢などネットで検索してみて、少し考え込んでしまった。この人、けっしてアホでもなければ、ワルでもない。保守ではあっても頑迷ではない。人権が大切などという教育は、十分に受けてきたはずの人。それが、どうして冗談交じりで軽々しく死刑執行を語ることができるのだろうか。
もしかしたら、これは葉梨一人の問題ではなく、日本の中等教育、大学教育の根本的な欠陥を露呈する深刻な問題ではないだろうか。受験競争を勝ち抜いた高学歴層に人権というものが理解されていない。それは、紙の上に書かれた文字、せいぜいが法的概念でしかない。身に沁みた、血肉化されたものとはなっていないのだ。凶悪犯人の人権など彼の脳裏には存在しないのかも知れない。有名進学高の教員たちも東大法学部の教員も、これでいいのか、どうすれば良いのか、考えなおさねばならないのでは。
批判されている彼の発言はいくつもあるが、何よりも、法務大臣の身で、「朝、死刑(執行)のはんこを押して、昼のニュースのトップになるのは、そういう時だけという地味な役職」と述べたことである。
軽薄極まるということもさることながら、明らかに人権感覚の欠如を物語っている。人間の尊厳に対する畏敬の念がないのだ。人権を侵害された人、人権侵害の危機にある人の思いへの共感能力に欠けているのだ。現代の教育は、こういう高学歴の欠陥人間を大量に生み出してきたのではないか。
公権力が、人間の命を奪うということへの疑問も、その仕事に携わる心の痛みのかけらもない。思い出す。海部内閣の時代に左藤恵という法務大臣がいた。この人、真宗大谷派の僧侶でもあり、真っ当な弁護士でもあった。その信念に従って、法相在任中には、死刑執行命令書に署名しなかった。もちろん、賛否は分かれたが、自民党政権にも、このような気骨ある大臣がいたのだ。
また、民主党政権で法務大臣を千葉景子氏は、命令書に署名した死刑の執行に立ち会った。その後、東京拘置所の刑場を報道機関に公開し、制度の存否を含めた議論を呼びかけてもいる。この人も弁護士である。
葉梨康弘の発言は、この人の人権感覚の欠落を露呈したものとして撤回に馴染まない。謝罪すべき対象もない。さすがに、岸田首相もこのような人物を法務大臣として閣内に留めるわけにはいかなかったようだ。
あらためて思う。はたしてその資質において閣内に置くベからざる閣僚は彼一人であろうか。じつは、多数の「葉梨康弘」がひしめいているのではないだろうか。
(2022年11月3日)
本日は、「日本国憲法」公布記念日である。日本国憲法の冒頭に、「上諭」という天皇(裕仁)の文章が、目障りな絆創膏みたいにくっ付いている。下記のとおりの内容だが、これに1946年11月3日の日付が付されている。
「朕は、日本国民の総意に基いて、新日本建設の礎が、定まるに至つたことを、深くよろこび、枢密顧問の諮詢及び帝国憲法第七十三条による帝国議会の議決を経た帝国憲法の改正を裁可し、ここにこれを公布せしめる。」
ところで吉田内閣は当初1946年11月1日を新憲法公布の日と予定していた。ところが、そうすると半年後の翌年5月1日が憲法施行記念日となって、メーデーと重なる。GHQがこれに難色を示して、公布日が2日遅れの11月3日となったという説がある。
まったくの偶然であるが、この1日と3日にはさまれた1946年11月2日に、東京地裁の重要判決が言い渡されている。旧憲法から新憲法に法体系転換の狭間を象徴する「プラカード事件」の東京地裁一審判決である。
1946年5月19日の通称「食糧メーデー」(「飯米獲得人民大会」)での出来事。参加者の一人である松島松太郎の、下記プラカードの表記が不敬罪に問われたのだ。
「詔書 ヒロヒト曰ク 國体はゴジされたぞ 朕はタラフク食ってるぞ ナンジ人民 飢えて死ね ギョメイギョジ」(表面)
「働いても 働いても 何故私達は飢えねばならぬか 天皇ヒロヒト答えて呉れ 日本共産党田中精機細胞」(裏面)
不敬罪は刑法第74条。日本国憲法施行後削除されたが、当時はまだ生き残っていた。条文は、次のとおりである。
「天皇、太皇太后、皇太后、皇后、皇太子又ハ皇太孫ニ對シ不敬ノ行為アリタル者ハ三月以上五年以下ノ懲役ニ處ス」
構成要件は、天皇等に対する「不敬ノ行為」である。何が犯罪となるのか曖昧至極ながら最高刑は懲役5年。『天皇は神聖にして侵すべからず』とされた時代の弾圧法規の遺物というしかない。
松島は、三田警察署から出頭を要請されて拒否し逮捕される。そして、天皇制の終焉明らかなこの時期に、検察は敢えて不敬罪で起訴した。
この事件の弁護団は自由法曹団の弁護士を中心に十数人で編成された。弁護団長布施辰治以下、上村進、神道寛次、正木ひろし、森長英三郎、青柳盛雄、梨木作次郎等々の錚々たる布陣。「ポツダム宣言の受諾によって天皇の神性も神聖性も根拠を失い、不敬罪は消滅した」「天皇、天皇制に対する批判を含む言論・表現の自由は確立しているはずだ」と無罪を主張して争った。
面白いエピソードが伝えられている。1審の公判で、正木ひろしは、裁判長に「天皇を証人として喚問しろ」と要求したという。もし不敬罪ではなく名誉毀損罪として罪名を換えて処罰するのなら、名誉毀損罪が親告罪である以上、裕仁の告訴の意思の有無を確認しなければならない、という至極もっともな理由だった。
しかし、裕仁の証人申請は却下されて、判決が言い渡された。新憲法公布の前日となった11月2日のこと。さすがに不敬罪の適用はなかったが、名誉毀損罪の成立を認めた。裕仁の告訴のないままにである。量刑は懲役8月、執行猶予はつかなかった。判決はこう言う。評価はさまざまである。
「天皇の個人性を認めるに至った結果、かかる天皇の一身に対する誹謗、侮蔑などにわたる行為については不敬罪をもって問擬すべき限りでなく、名誉に対する罪条をもってのぞむを相当とする」
1947年6月28日、控訴審東京高裁は「不敬罪に当たるが日本国憲法の公布にともなう大赦令で免訴」との判断を下す。この判決の評判はすこぶる悪い。最終的に1948年5月26日、最高裁判所で大赦による公訴権の消滅を理由に上告棄却となり、免訴が確定した。これが歴史上最後の不敬罪事件となった。
松島は、敗戦直後の1945年11月に日本共産党に入党。田中精機に労働組合を結成して委員長に就任する。1950年以降は神奈川県川崎市に居住し、日本共産党の専従として活動。1960年の安保闘争では神奈川県民会議の代表幹事として運動を指導。衆院選、参院選に立候補したが落選。1973年11月、日本共産党中央委員に就任するとともに、神奈川県委員長を兼任。のち日本共産党中央党学校の主事を務めた。2001年8月9日、胃癌で死去している。
後年、彼は、あのプラカードの文章を書いたことについて、こう語っている。
「号令をかけて国民を戦争に動員し、かつ生命や財産を奪った張本人はヒロヒト、すなわち昭和天皇ですよ。太平洋戦争は裕仁天皇の「宣戦の詔勅」で始まりました。これは厳然たる事実ですよね。そして「終戦の詔勅」で終結しました。裕仁天皇の意思で戦争が始まり、彼の意思で戦争が終わった。
明治憲法のもとにおける天皇の臣民に対する命令と意思は、形式として「詔書」をもって周知されました。朕の言葉としてね。詔書は天皇の最高意思を示す形式ですよ。「詔書ヒロヒト曰く」はこの形式をもじったものです。あのプラカードは詔書という形式をとってなされる天皇政治をパロディー化したものでした。」
「臣民=国民は裕仁天皇の“号令”があったからこそ、苦悶・葛藤しながら応召を受け、かつ戦争に命がけで協力したのです。結果は敗戦でした。
憲法上、天皇の地位・立場がどうのこうのと言う以前に、最低限の問題として、裕仁天皇は日本国民やアジア各国民に対する道義的な責任があるのです。皇室典範などにおいて天皇の退位を定めていない、などと言って逃げてはいけないですね。 ところが広島と長崎に原爆を落とされ、敗戦となり、国民が戦争の惨禍で苦しみ、遅配・欠配で餓死寸前にあるというのに、その天皇がなお尊崇の対象とされていた。」
「天皇政治は「臣民ノ幸福ヲ増進」するどころか、生命財産を奪い、こんどは国民を飢餓に陥れました。プラカードに示される私の思いは、太平洋戦争であれ、現下の飢餓・欠乏であれ、すべての元凶が天皇制にあるのだということを国民に端的に訴えたかったのです。そうした意識が敗戦以来、私の脳裏に沈潜していたものですから、先ほど即興詩のように書いたと言いましたけれども、深く思案・推敲することなく書きなぐるように吐露できたのでしょうね。」
(2022年10月30日)
文明とは、権力統御の達成度をいう。野蛮とは、統御されない権力が猛威を振るう時代状況の別名である。文明は、権力の横暴を防止して人権を擁護するために、権力統御の制度を整えてきた。法の支配、立憲主義、そして権力の分立、司法の独立…等々。
人権が、最も厳しく権力とせめぎ合うのは、国家が刑罰権を発動する局面においてのことである。権力は、国民を逮捕し勾留し起訴し刑罰を科すことができる。場合によっては、生命さえ奪う。その手続は厳格に抑制的に定められなければならない。そのようなハンディを権力に課すことで、脆弱な人権はかろうじて守られる。適正手続の保障、弁護権の確立、黙秘権、裁判の公開、推定無罪の原則…、等々が文明社会の基本ルールである。文明は、このような制度を整え適切に運用して権力の暴走を抑制する。人権という究極の価値を守ろうとしてのことである。
我が国の刑事司法制度やその運用が、十分に成熟した文明の域に達しているわけではない。「人質司法」、「調書裁判」と批判もされ揶揄もされる実態を嘆かざるを得ない。しかし、中国刑事司法と比較する限りにおいては、格段に「文明的」であると評し得よう。我が国の司法制度をあのようにしてはならないという反面教師として、中国の刑事司法をよく知ることが有益である。
野蛮ないしは非文明国家の反人権的刑事司法制度とその運用による危険の典型を中国に見ることができるが、このほど、その渦中にあって苛酷な実体験をした日本人の詳細な報告が話題となっている。
毎日新聞が、その当事者を取材して、本日まで3日連続の報告記事を掲載した。「邦人収監」というタイトルのルポ。意義のある貴重な記録である。
上 北京空港、白昼の拘束 高官との雑談「スパイ容疑」
https://mainichi.jp/articles/20221028/ddm/007/030/095000c
中 友好の現場まで監視 取調官「中国研究は不要」
https://mainichi.jp/articles/20221029/ddm/007/030/090000c
下 繰り返される「洗脳」 共産党礼賛の歌唱、歩行訓練も
https://mainichi.jp/articles/20221030/ddm/007/030/111000c
ルポの対象となったのは、鈴木英司氏。「日中青年交流協会」という団体の理事長という立場の方だという。同氏は中国をたびたび訪れ植林活動に取り組み、中国側から表彰されたこともあり、共産党の対外交流部門、中央対外連絡部とも交流していたという。
その彼が「スパイ活動」の嫌疑で拘束され「収監」されて苛酷な取り調べで自白を強要されて、起訴された。形式だけの裁判で有罪とされ、懲役6年の実刑判決を受けて収監された。今月11日刑期を終えて出所し日本に帰国している。彼が語る詳細で貴重な体験は、戦慄すべき内容である。
時系列を整理すると、概略以下のようである。氏は、「居住監視」という名目の苛酷な監禁生活を7か月間強いられている。24時間、6時間交替の二人の見張り役から同室で監視されるという苛酷な状況。カーテンは閉ざされ、太陽光を見ることが許されたのは、この7か月の間に、15分間だけだったという。正式の逮捕と起訴は、この監禁のあとに行われている。
2016年7月15日 身柄拘束・「居住監視」での苛酷な取り調べ
2017年2月16日 逮捕手続
2017年5月 起訴
2017年7月 公判開始(非公開)
2019年5月 一審判決・懲役6年の実刑
2020年 控訴審判決・懲役6年の実刑確定 下獄
2022年10月11日 出所、帰国
以下、幾つかの苛酷な人権侵害の実態を抜き書きする。
「居住監視」という監禁の苛酷さ
氏は、帰国直前、北京空港近くで屈強な男6名に取り押さえられ、目隠しをされたまま某所に強制連行される。
そこは、「内装は古びたビジネスホテルのよう。洗面所、トイレ、シャワーがある。部屋の四方で監視カメラがレンズを光らせている。
弁護人を依頼することは禁じられた。日本大使館に連絡を取るよう再三にわたり要請し、鈴木氏の記憶では7月27日になってようやく大使館員が訪ねてきた。だが、用意された面会室に向かうと、例の取調室の3人組がいるではないか。映像を撮影され、鈴木氏が拘束された容疑について少しでも触れると注意された。大使館員の話では、現在の身柄拘束は「居住監視」と呼ばれる中国の法に基づいた手続きだという。実態は監禁だ。大使館員はこう告げた。「長期戦になります」
取り調べは続いた。調べが終わっても、本は読めず、テレビもない。紙やペンの使用も禁止。話し相手はおらず、食事とシャワーの時間以外は暗闇でただ、じっと座っているだけ。頭がおかしくなりそうだった。拘束された日にうっとうしいくらいだった太陽が、ひたすら恋しい。一度でいいから見たい。拘束から約1カ月たったある日、その思いを老師(取調官の中心人物)に伝えると、「協議するから待て」と言われた。
翌朝、老師が「15分だけならいい」と許可した。窓から約1メートル離れた場所に、椅子がぽつんと置かれていた。座ると太陽が視界に入った。「これが太陽かあ」。涙が出てきた。もっと近くで見たい。窓際に近寄ろうとすると、「ダメだ」と叱られた。窓の近くからは建物の周囲が見えるからだろう。すべてが秘密に包まれた場所だった。「終わり」。15分後、男の無情な声が廊下に響いた。
監禁は長期にわたり続いた。室内にカレンダーや時計はなく、ペンや紙の使用も許可されなかったため日記をつけることもできない。だんだんと今日の日付さえ分からなくなってきた。室内は冷暖房がきいているため、季節を感じる機会もない。
抵抗しきれず署名
新たな建物の地下にある取調室に入れられると、前日に取り調べをした制服の男とたばこの女がいた。スパイ容疑で正式に逮捕され、この日が17年2月16日だと知らされた。還暦の誕生日は既に数日前に過ぎていた。
同室者はおおむね2、3人いた。久々の話し相手に心がおどった。ありがたいことに、窓にカーテンはかかっていない。空には冬の太陽が雲の隙間(すきま)から遠慮がちに顔をのぞかせていた。半年前に15分だけ太陽を見せてもらって以来の「再会」だ。
スパイ容疑を認める内容の供述調書を見せられ、制服の男にこう要求された。「署名しなさい。拒否してはならない」。「基本的な人権もないのか」と抵抗したが無駄だった。しぶしぶ署名した。鈴木氏は17年5月、起訴された。
弁護をしない弁護人
1審の公判は17年8月に始まった。鈴木氏は無罪を主張したが、公選弁護人は「初犯で重い事件ではないので軽い刑にしてほしい」と述べた以外、ほとんど何もしてくれない。同室だった最高裁の元判事はこう言った。「中国の弁護士なんて皆、そんなもんだ」
私選の弁護人を雇うことも考えたが、40万元(約820万円)を支払っても意味が無かった人がいるとの話を聞き、あきらめた。証人申請はすべて却下され、裁判はすべて非公開。19年5月に1審で懲役6年の実刑判決を言い渡された。
中国は2審制だ。鈴木氏は上訴したが20年11月、懲役6年の実刑が確定した。判決は、鈴木氏が「中国の国家の安全に危害をもたらした」と指摘した。
刑務所では、洗脳教育
鈴木氏は日本で言う刑務所に当たる「北京市第2監獄」に収容された。中には外国人用の施設があった。スパイ罪だけでなく、他の事件の囚人も収監されている。まず始まったのが「新人教育」だ。
♪没有共産党就没有新中国(共産党がなければ新しい中国はない) 共産党辛労為民族(共産党は民族のため懸命に働く)
共産党の革命歌をいやというほど歌わされる。中国語が読めない人にはアルファベットで記した歌詞が配られた。
約5週間の新人教育が終わった後も「洗脳」は続いた。毎日、中国国営中央テレビが制作する英語ニュースを見せられる。共産党史、日中戦争、朝鮮戦争などを描いた番組や映画では、共産党がいかに中国人民を救ったかが描かれていた。
10月11日、出所の日が来た。早朝、身支度を整え、北京市第2監獄に別れを告げた。当局が用意した車で空港まで送られ、6年3カ月ぶりに北京を離れた。
成田空港に着き、電車を乗り継いで住み慣れた実家までたどり着いた。拘束前は96キロあった体重。量ると、68キロまで落ちていた。
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この貴重な記録。剥き出しの権力とはいかなるものであるかを教えるだけではない。勾留期間の制限、弁護人選任権、裁判の公開、裁判官の独立、調書裁判の排除…等々の手続の重要性を噛みしめなければならない。
(2022年5月21日)
山口県阿武町の4830万円「誤送金」事件。容疑者は誤入金があった4月8日から19日までに、34回にわたって当該口座から計約4633万円を出金。振込先は決済代行会社3社で、このうち27回の計約3592万円が1社に集中。4月12日には300万円と400万円が別の会社にそれぞれ送金された。…県警によると、容疑者は「オンラインカジノに使った」と供述している、と報道されている。
「オンラインカジノ」とは、インターネットを通じての賭博である。「自宅に居ながらにして、簡単にギャンブルを楽しむことができます。お金を儲けることもできます」「パソコンとインターネット環境さえあれば、海外のカジノサイトで直接プレイをすることが可能です」「もちろんお金を賭けて勝負をしますし、勝てば配当も獲得できます」という甘い誘引が、インターネットに並んでいる。こんなもの、野放しにしてよいはずはない。
あらためて、賭博の害悪、賭博の反社会性を深刻なものと受けとめざるを得ない。公営の博打場を作ろうなどという自民や維新の「犯罪性」を追及しなければならない。IRを作らせはならない。そして、オンラインカジノを取り締まらねばならない。
安倍晋三の守護神と言われた黒川弘務東京高検検事長。番記者との賭マージャン報道を切っ掛けに賭博罪で告発され、略式起訴されて有罪(罰金20万円)となった。検察組織ナンバー2で検事総長に最も近いとされた人物も、可罰的違法性がないなどと無罪を争わなかった。賭博罪の犯罪性・可罰性は明白である。
刑法185条が、「賭博をした者は、50万円以下の罰金又は科料に処する。ただし、一時の娯楽に供する物を賭けたにとどまるときは、この限りでない。」とし、同186条1項が「常習として賭博をした者は、3年以下の懲役に処する」と定める。法定刑はさして高くはないが、賭博は正真正銘の犯罪なのだ
賭博罪の構成要件行為は「賭博をする」ことである。賭博とは、改正前の刑法の条文では、「偶然ノ輸贏ニ関シ財物ヲ以テ博戯又ハ賭事ヲ為シタル者ハ」とされていた。随分難しい熟語を使っているが、「輸贏」とは「負けと勝ち」のこと、「勝敗」「勝負」と言っても同じことである。「偶然で決まる勝負によって、カネやモノの遣り取りをする」ことが賭博である。相互に合意の上でのこととは言え、他人のカネを我がカネとし、他人の物を我が物とし、他人の不幸をもって我が幸せとする、人倫に反する反社会的行為といってよい。
偶然の要素は少しでもあればよいとされているので、賭博の手口はサイコロ賭博やルーレットに限られない。カネやモノを賭ければ、囲碁・将棋・麻雀、相撲も野球もゴルフもジャンケンも、全てが賭博になり得る。もちろん、「一時の娯楽に供する物を賭けたにとどまるときはこの限りでない」が。
賭博の蔓延は大きな社会的害悪である。社会的な害悪という所以は、これに参加する多くの人に射幸心を煽り、健全な労働意欲を失わしめるからである。さらには、多数市民をギャンブル依存症に陥らせ、その家族にも大きな苦しみを与える。
安倍政権は賭博という犯罪行為を大規模に奨励することでの経済振興策を思い立った。これがIRである。多くの人の不幸を不可避とする「経済振興」の愚策。批判が集中する中で、維新の大阪と、長崎のみがこの愚策に乗った。とりわけ、大阪の強引さが際立っている。
いま、国民世論がIRという賭場の犯罪性を糾弾している。これ以上の不幸の源泉をはびこらせてはならない。もし、今「夢洲」(大阪市此花区)に、IRができていたら、阿武町の容疑者はそこに町のカネを注ぎ込んだに違いない。公営賭場だから、犯罪ににはならなくても実質的な反社会性がなくなるわけではないのだ。
オンライン賭博も同様である。賭博の害悪は胴元がどこの誰であるかに関わらない。胴元が国内にあるか国外にあるのか、あるいは違法か合法かに関わりなく、賭博行為は犯罪である。
インターネットでする賭博は、国内のパソコンへの入力で完結する。その先の胴元が、国内にあろうが国外にあろうが、あるいは違法か合法かに関わりなく、賭博行為は明らかに犯罪である。オンラインカジノでの起訴件数は過去2件しかないようであるが、これを野放しにしていては、賭博罪を創設した意味がなくなる。社会的害悪の蔓延を防止し得ない。
阿武町の詐欺容疑者は、30回ものオンラインカジノへの賭博を繰り返していたようである。金額も大きい。明らかに常習賭博である。国民注視のせっかくの機会である。容疑者を常習賭博として起訴のうえ、公判を通じて「オンラインカジノ参加は刑法上の賭博行為であり、犯罪行為である」ことを明確にされるよう検察当局に期待したい。
(2022年2月21日)
先週の金曜日2月18日、最高裁第二小法廷は、「乳腺外科医・えん罪事件」において、懲役2年の実刑とした原審の東京高裁判決を破棄した。この点において、心配された最悪の結果は回避され一応は安堵させられた。しかし、最高裁は自判して無罪との宣告はせず、審理は東京高裁へ差戻された。判決書きを読んでみると、無罪の判決を言い渡すべきであったと思う。この点どうしても不満が残る。
松川や三鷹、菅生などの一連の諸事件を「冤罪事件」とは言わない。言うべきでもない。あれは、「弾圧事件」である。つまりは権力がデッチ上げた刑事裁判なのだ。しかし、この「乳腺外科医に対する準強制わいせつ起訴事件」には、権力による弾圧という声は聞かない。救援運動はそのような運動の建て方をしていない。これは、司法の欠陥がもたらす「冤罪」と言うべき事件なのだ。
真実を見極めることは難しい。この事件では、「被害者」が、「事件」直後に「被害」を訴えるメールを打ち、その後の証言も一貫している。ことさらに、医師を貶める動機はない。被害者の胸からは被告人の唾液と思しき付着物は検出されている。他の冤罪事件同様、有罪と考えられるべ状況はある。しかし、現場は個室でも密室でもない4人部屋の病室。何人もの医療関係者や患者・付添人が行き交う環境で、常識的にはあり得ない「犯行」。
一審は無罪としたが、控訴審は逆転有罪となった。しかも、懲役2年の実刑であった。問題となったのは、「被害者」が「術後せんもう」による「幻覚」の症状にあった可能性を否定できるか、そして被害者の胸の付着物がわいせつ行為の証明たりうるかということ。最高裁判決は、一審と二審の判決を比較して、二審の判決は維持できないとした。この判決全文は、下記のURL(最高裁HP)で読むことができる。
https://www.courts.go.jp/app/hanrei_jp/detail2?id=90933
この判決の結論部分は、以下のとおりである。
「A(公訴事実での被害者)の証言の信用性判断において重要となる本件(付着物)定量検査の結果の信頼性については,これを肯定する方向に働く事情も存在するものの,なお未だ明確でない部分があり,それにもかかわらず,この点について審理を尽くすことなく,Aの証言に本件アミラーゼ鑑定及び本件定量検査の結果等の証拠を総合すれば被告人が公訴事実のとおりのわいせつ行為をしたと認められるとした原判決には,審理不尽の違法があり,この違法が判決に影響を及ぼすことは明らかであって,原判決を破棄しなければ著しく正義に反するというべきである。
よって,原判決を破棄し,専門的知見等を踏まえ,本件定量検査に関する上記の疑問点を解明して本件定量検査の結果がどの程度の範囲で信頼し得る数値であるのかを明らかにするなどした上で,本件定量検査の結果を始めとする客観的証拠に照らし,改めてAの証言の信用性を判断させるため,本件を東京高等裁判所に差し戻すこととし,裁判官全員一致の意見で,主文(破棄・差し戻し)のとおり判決する。」
この判決の理由はおかしいのではないか。言うまでもなく、有罪の立証責任は検察官にある。しかも、合理的な疑いを容れる余地のない程度の立証が要求される。その立証に成功しなければ裁判所は無罪の判決をしなければならない。それが、文明社会が到達した刑事訴訟の基本ルールである。
そもそも検察官と被告人は、対等の力量を持つ当事者ではない。一方が強大な国家権力を行使して有罪の証拠を収集する権限と力量を持ち、他方は自己に有利な証拠の収集に何の実力も持たない。
この最高裁判決が「原判決には,審理不尽の違法があり,この違法が判決に影響を及ぼすことは明らか」というのは、検察官の有罪立証不成功を認めたことである。ならば、無罪判決をすべきが当然ではないか。補充の立証によって有罪判決獲得の機会を与えようというのは、刑事訴訟の基本ルールに照らして間違っているとしか言いようがない。
「被告人は、常に無罪と推定される」「検察官に有罪の立証責任ある以上、無罪判決以外にはない」「事実審(一・二審)における立証活動においては、被告人を有罪とするには合理的な疑いが残る」「従って、被告人は無罪」と判決すれば、司法の評価を高からしめたのに。惜しいことをした。
(2021年10月25日)
今は昔のこと。中国司法制度調査団などというツァーに参加して、何度か彼の地の法律家と交流したことがある。
そのとき、裁判官の独立も、弁護士の在野性も、検察官の罪刑法定主義もほとんど感じることはできなかった。日本の司法には大いに不満をもっていたが、彼の地の司法はとうていその比ではなかった。
改革開放政策に踏み切った中国が経済発展を遂げるには、近代的な法制度をつくり、その法制度を運用する厖大な法律家の創出が必要になるという時期。みごとな通訳を介して、私は遠慮なくものを言った。
「中国共産党の専横を抑制するには、法の支配を徹底するしかない。厖大な数の法律家が育てばその役割を果たしてくれるのではないか」「とりわけ、人権意識の鋭い弁護士が多数輩出することが中国の社会を民主化するきっかけになるのではないか」「権力の横暴が被害者を生み、その被害者が弁護士を頼らざるを得ないのだから、反権力の弁護士が育たないはずがない」「そのような弁護士の輩出による中国共産党の一党独裁の弊害への歯止めを期待したい」
私の言葉は、ほとんど無視された。せいぜいが、「あなたは中国共産党のなんたるかを知らない」「そんな甘いものじゃない」「まったくの部外者だから、勝手なことを言える」という言葉が返ってきた程度。
今、中国の人権派弁護士が孤立して、中国共産党の暴虐に蹂躙されている模様が報道されている。「中国で人権派弁護士は、権力の監視役として一定の役割を果たしてきた。習近平指導部は、党の一党独裁体制を脅かす存在として抑圧を続けている」と共同記事。昔中国で聞かされた「中国共産党はそんな甘いものではない」という言葉を思い出す。なるほど、これが現実なのだ。
かつての天皇制権力の暴虐も、弁護士の人権活動を蹂躙した。はなはだしきは、国賊共産党員の弁護活動従事を治安維持法違反に当たるとして検挙した。当時司法の独立はなく、当然の如く有罪が宣告され、弁護士資格は剥奪された。当時弁護士の自治はなく、弁護士会も天皇制権力に毅然とした姿勢をとることはできなかった。同じことが、いま中国で起こっているのだ。
2015年7月9日、約300人の弁護士・人権活動家が一斉拘束された。「709事件」としてよく知られている。しかも、拘束された人権派弁護士たちは苛酷な拷問を受けたとされる。多くの弁護士が、この弾圧で投獄され資格を失った。それだけではなく、この事件で起訴された弁護士の弁護を務めた弁護士が弾圧されている。
「709事件」の被害者として著名な人権派弁護士王全璋は、服役して刑期を終えた。ところが、王全璋の弁護を担当した余文生弁護士は18年1月からの拘束が続いているという。その余弁護士の弁護を引き受けたのが、盧思位弁護士。余弁護士は苛酷な拷問のうえ有罪判決を受けて下獄し、廬弁護士は香港の事件受任で資格剥奪の通告を受けているという。
余弁護士の妻、許艶氏は夫の拷問を告発するとともに、「(一斉拘束事件では)弁護士の弁護士の弁護士まで圧力を受けた」と憤っていると報じられている。ああ、中国には人権はなく、刑事司法もない。あるのは、お白州レベルの糾問手続だけなのだ。
これは、社会主義とも共産主義とも無縁な現象。野蛮な権力の容認は、未開社会の文化度・文明度を物語るものである。