澤藤統一郎の憲法日記

改憲阻止の立場で10年間毎日書き続け、その後は時折に掲載しています。

冤罪を訴える人々と、国民救援会。

日本国民救援会は、1928年4月7日に結成されたというから、来年が設立90周年となる。そのホームページには、「戦前は、治安維持法の弾圧犠牲者の救援活動を行い、戦後は、日本国憲法と世界人権宣言を羅針盤として、弾圧事件・冤罪事件・国や企業の不正に立ち向かう人々を支え、全国で100件を超える事件を支援しています。」とある。

その国民救援会が発行する「救援新聞」は旬刊で、毎月5の日に発行。最新刊の11月5日号の第4面から6面に、救援会が支援している冤罪被害者(あるいは家族)の声が紹介されている。
「私は無実です ご支援ください」という大きな見出し。ほとんどが再審請求中の事件で、その数25件。一つ一つの事件の本人の「私は無実です」という訴えが痛々しい。

その事件名と当事者の名前だけを連ねておく。
●秋田・大仙市事件? 畠山博さん
●山形・明倫中裁判? 元生徒7人
●宮城・仙台北陵クリニック筋弛緩剤冤罪事件? 守大助さん
●栃木・今市事件 勝又拓哉
●東京・三鷹事件 竹内景助さん(故人)
●東京・痴漢えん罪西武池袋線小林事件 小林卓之さん
●東京・小石川事件 井原康介さん
●長野・冤罪あずさ35号窃盗事件 Yさん
●長野・あずみの里「業務上過失致死」事件 山口けさえさん
●福井・福井女子中学生殺人事件 前川彰司さん
●静岡・袴田事件 袴田巖さん
●静岡・天竜林業高校成績改ざん事件 北川好伸さん
●愛知・豊川幼児殺人事件 田邉雅樹さん
●三重・名張毒ぶどう酒事件 奥西勝さん(故人)
●滋賀・湖東記念病院人工呼吸器事件 西山美香さん
●滋賀・日野町事件 阪原弘さん(故人)
●京都・タイムスイッチ事件 車本都一さん
●京都・長生園不明金事件 西岡廣子さん
●兵庫・花田郵便局強盗事件 ジュリアスさん(仮名)
●兵庫・えん罪神戸質店事件 緒方秀彦さん
●岡山・山陽本線痴漢冤罪事件 山本真也さん
●高知・高知白バイ事件 片山晴彦さん
●熊本・松橋事件 宮田浩喜さん
●鹿児島・大崎事件 原口アヤ子さん
●米・ムミア事件 ムミア・アブ=ジャマールさん

救援新聞には、「ひとこと」という会員の投書欄があって、宮城の女性が、次の投書を寄せている。
「『司法』というのは、正義の守り手のはずです。それなのに冤罪が生まれる。それでも再審請求し、正義が正義になるよう、力を合わせないといけない。これも闘い?」

司法の正義とは、けっして冤罪者を出さぬことだ。しかし、冤罪は後を絶たない。冤罪が明らかになったとき、司法は頑強にこれを認めようとしない。司法が間違ったとなれば、司法の権威が損なわれると考えるからだ。しかし、司法が自らの権威の失墜を恐れて冤罪の救済を怠るようなことがあれば、そのこと自身が大きな正義の喪失であり、司法の権威と信頼は地に落ちることになる。

市民運動が、雪冤を訴える冤罪被害者の声に耳を傾けて励まし、再審無罪を勝ち取ることができれば、市民自身が正義を実現し、失墜した司法の権威回復に寄与したことになる。

戦前、市民運動としての救援会と被告と弁護士との三者の連携を、「モ・ベ・ヒ」の団結と言ったそうだ。モは救援会の前身の「モップル」、ベは弁護士、ヒは被告本人である。当時、冤罪と言えば、弾圧事件だった。これに抵抗する、強固な弾圧からの救済運動組織が必要とされた。救援会は、その流れを汲んでいる。

その弾圧事件はけっして過去のものではない。公選法による弾圧も、民商に対する弾圧も、そして公務員労働者に対する弾圧もけっしてなくなることはない。「共謀罪法」が成立した今、新たな弾圧事件の発生も懸念される。

権力による市民への弾圧がなくなり、司法の誤りがなくならぬ限り、国民救援会は発展し続ける。創立90周年から、100年を超えて、いつまでも…。
(2017年10月30日)

行政の規制権限不行使は違法。規制緩和などもってのほか。

一昨日(10月27日)、首都圏建設アスベスト訴訟(横浜第1陣事件)控訴審で、東京高裁が国とメーカーの責任を認める判決を言い渡した。5年前の原告全面敗訴判決を逆転したもの。

「あやまれ!つぐなえ!なくせ!アスベスト被害」というスローガンの実現に、大きな前進である。提訴や控訴時の原告団弁護団の写真の中の、今は亡き山下登司夫弁護士の表情が心なし嬉しそうに見える。

アスベストは毒物である。遅効性だが極めて危険な発がん物質。これが、地域に飛散すれば公害となる。工場の生産過程で労働者に接触すれば労災・職業病となる。また、アスベストを素材とする製品が事業者から消費者に売り渡されれば、消費者問題となる。さらに、このような危険物が、国民の健康や生命を脅かすことのないよう、国は、メーカーや使用者や事業者を規制しなければならない。この国で、全ての人が安心して暮らしてゆけるように。

屋外での「建設アスベスト訴訟」に先行して、「工場労働者型(屋内型)」訴訟が大阪地裁に提起された。2006年5月のこと。いわゆる泉南アスベスト国家賠償訴訟である。健康被害又は死亡による損害賠償を求めたのは、泉南地域の石綿工場の元労働者や近隣住民及びその遺族。

キーワードは、「国の規制権限の不行使」。被害の発生が予想される事態においては、国は被害の予防のために規制権限の行使が義務づけられ、行使しなかったことが違法となって生じた損害を賠償しなければならない。まさしく、これに当たるというのが原告らの主張だった。

同様の訴訟は、じん肺訴訟弁護団が経験している。筑豊や北海道の炭坑で働いていた坑内労働者は、坑内の粉じん被曝によって高い確率でじん肺に罹患する。じん肺の症状認定を得た元労働者が企業に責任を追及しようとしても、中小炭坑は全てつぶれて責任追及先が存在しないという事情があった。誰が潰したか、エネルギー転換の名のもとに国が中小炭坑を潰した。では国に責任を取らせよう。こうして、じん肺国家賠償訴訟が始まった。そして元抗夫らは、みごとな勝訴を収めた。ここでも、キーワードは、「国の規制権限の不行使の違法」。

泉南アスベスト国家賠償訴訟も同じ構造だった。しかし、もちろん規制権限の具体的法的根拠の構造はちがう。泉南訴訟第一陣訴訟では、一審大阪地裁判決は原告勝訴となったが、控訴審は全面敗訴となった。ここからの頑張りで、上告審で逆転勝訴し、差し戻し審の大阪高裁で国の有責を前提する和解が成立し、後続訴訟での和解のルールが開けた。

そして、建設現場でアスベストによる健康被害を受けた元建設作業員と遺族約90人が、国と建材メーカー43社に総額約28億円の賠償を求めたのが、「建設アスベスト訴訟」(横浜地裁・第1陣訴訟)である。2012年の判決では、原告が国に対しても、メーカーに対しても敗訴となった。一昨日の東京高裁(永野厚郎裁判長)判決は、これを逆転したもの。もっとも、これまで国は、7事件で1勝6敗である。その1勝の逆転敗訴なのだ。

この事件での被告のうち、原告を雇用していた使用者は、(一人親方を除いて)労働者に対する安全配慮義務違反としての責任が認められた。アスベスト製材を販売していた建材メーカーには、75年の時点でアスベストの健康上の危険性を製品に警告表示する義務があったのにこれを怠った責任が認められた。そして、被告の国に関しては、「1980年までに事業主に対し、労働者に防じんマスクを着用させるよう罰則付きで義務付けなかった」ことを規制権限不行使の違法と認めた。

同種訴訟は、東京、横浜、大阪、京都、福岡、札幌の6地裁に7件の提起がされた。
法務省のホームページには判決の全体像を次のようにまとめている。

これまでの判決の結果は,以下のとおりです。
(1) 横浜地方裁判所(第1陣)平成24年5月25日判決(全部棄却・相手方控訴,東京高等裁判所に係属中)
(2) 東京地方裁判所平成24年12月5日判決(一部認容・双方控訴,東京高等裁判所に係属中)
(3) 福岡地方裁判所平成26年11月7日判決(一部認容・双方控訴,福岡高等裁判所に係属中)
(4) 大阪地方裁判所平成28年1月22日判決(一部認容・双方控訴,大阪高等裁判所に係属中)
(5) 京都地方裁判所平成28年1月29日判決(一部認容・双方控訴,大阪高等裁判所に係属中)
(6) 札幌地方裁判所平成29年2月14日判決(一部認容・双方控訴)

これに、次の判決が加わる
(7) 横浜地方裁判所(第2陣)平成29年10月判決(認容・双方控訴,東京高等裁判所に係属中)札幌地方裁判所平成29年2月14日判決(一部認容・双方控訴)

一昨日の判決が上記(1)についてのもの。地裁において唯一の原告全面敗訴となった判決が、控訴審第1号判決において逆転したのだ。この判決の意義は大きく、先例から見て、今後の全面和解解決に道を開いたものと考えられる。

なお、「国の規制権限不行使の違法」を根拠とする国家賠償訴訟は、数多く活用されている。国には東京電力に対し、適切な規制権限の行使を違法に怠った責任があるとするのが、原発国家賠償訴訟。そして、消費者被害の回復にも活用が試みられている。かつて、豊田商事事件について、その被害防止のために適切な規制権限を発動しなかった責任を問うて、豊田商事国家賠償訴訟が提起された。原告弁護団は国をよく追い詰めたと思うが、わずかにおよばず敗訴となった。

私は、豊田商事の被害が金銭だけであって、人命や健康ではなかったことが、勝敗を分けたものと思っている。

DHCの吉田嘉明は、3年前の週刊新潮誌上の手記で、「自社(DHC)に対する厚生労働行政が厳格に過ぎる」との不満を述べている。だが、行政に手心があってはならない。消費者に健康被害を及ぼすような事件があれば、行政も「規制権限不行使による怠慢の違法」を追求されることになる。そのようなことのないよう、規制行政は厳格に行われなければならない。消費者の健康や人命を守るために必要な規制の緩和など、けっしてあってはならない。
(2017年10月29日)

医療問題弁護団40周年記念シンポジウム「医療現場に残された現代的課題」

本日(10月28日)は、医療問題弁護団(略称「医弁」)設立40周年記念シンポジウム。イイノホール4階ルームAでの4時間余の集会。270名の参加で盛会だった。

医療問題弁護団とは、「患者側」を標榜する在京の医療事件専門弁護士集団。現在、250人の会員を擁している。設立の目的を「医療事故被害者の救済及び医療事故の再発防止のための諸活動を行い、これらの活動を通して医療における患者の権利を確立し、安全で良質な医療を実現することを目的とします。」と謳っている。

弁護士集団なのだから、「医療事故被害者の救済」すなわち医療過誤訴訟受任のシステムを整え、医療事件専門弁護士としてのスキルを磨き、後輩を育てることを任務にするのは当然。しかし、それだけにしないところが真骨頂。「安全で良質な医療を実現すること」を究極の目標と位置づけているところに、人権派弁護士集団としての道義的な矜持が表れている。

看板だけでなく、実際に患者側弁護士の立場から「安全で良質な医療を実現する」活動に携わっているところがたいしたもの。個別事件の受任を超えた、医療に関する政策提言活動が太い柱として定着している。

本日のシンポジウムテーマも、「この40年に医弁会員が獲得した医療過誤事件判例紹介」「40年で医療過誤判例はどこまで進歩したか」「判例をリードし続けた医弁の活動」「今、医療訴訟の焦点はどこにあるか」「医弁の窓口を叩いた医療過誤被害者の顧客満足度」…などでも良さそうなものだが、そうはなっていない。「医療問題弁護団40周年記念シンポジウム『医療現場に残された現代的課題』ー40年前の『医療に巣くう病根』と比較してー」というものなのだ。

シンポジウムの趣旨はこう語られている。
「私たち医療問題弁護団は、医療被害の救済・医療事故再発防止・患者の権利確立を目的として1977年に結成して以来、40周年を迎えました。40年前、私たちは『医療に巣くう病根』を4つの視点から分析しました。40年後の現在、私たちが取り組んできた医療被害救済に関する事件活動もふまえ、医療現場に残された現代的課題について、団員の報告やパネルディスカッションを通じて探っていきたいと思います。」

医弁に集う患者側弁護士の関心は、医療過誤訴訟それ自体よりは、医療事故を生み出す医療現場の状態にある。患者の人権という観点から、医療現場にはいったいどこにどんな問題があるのだろうか。40年前に見つめ考えたことが、今どうなっているのかを検証してみよう。そして今、医療現場に残された現代的課題について、報告し意見交換をしよう。それが今日のシンポジウムなのだ。この趣旨は、本日の配布資料(A4・220頁)の冒頭に、医弁代表の安原幸彦さんが、「巻頭言」としてよく書き込んでいる。その全文を末尾に添付しておく。

さて、40年前に、患者側医療弁護士を志した若い弁護士たちが、医療事故を起こす原因と意識した「医療に巣くう病根」とは次の4点であった。
?医師、医療従事者と患者の関係が対等平等ではないこと
?保険診療の制約が医療安全を阻害していること
?医師の養成・再教育が不十分であること
?医師、医療従事者の長時間・過密労働
いずれも思い至ることではないか。

40年後の現在、この『医療に巣くう4病根』は、次のように敷折したテーマとなっているというのが本日の報告である。

(1) 医師と患者との希薄な信頼関係ー「医師・患者関係」
(2) 患者安全を実現できない保険診療と「営利」追求型医療の横行
(3) 体系的・継続的な教育制度の未整備ー「教育」
(4) 医療現場での人員不足・劣悪な労働環境ー「労働」

そして、新たに検討が必要なテーマとして、
(5) 医療従事者間の不十分な「連携」
(6) 適正な医療が行われていることを「チェック」するシステムの不存在、不十分

さらに、以上の各テーマに通底するキーワードとして、医師の「プロフェッション論」が取り上げられた。

以上の、「医師・患者関係」「営利」「教育」「労働」「連携」「チェック」、そして「プロフェッション論」が、医療現場の現代的課題としてシンポジウムのテーマとされた。

私も、医弁の古参会員の一人である。おそらくは、最古参となっている。いつの間にか世代は着実に交代しているのだ。

とはいえ、私はいまだに現役の患者側医療弁護士である。かつてのように、同時に十指におよぶほどの医療事件の受任はできないが、事件受任が途切れることはない。事件を通じて、医療を考え続けてきた。幾つかの感想を述べておきたい。

言うまでもないことだが患者にとって医師は敵ではない。医療訴訟において対峙することはあっても、医師は患者にとって不可欠な専門技術提供者である。医師との信頼関係なくして、真っ当な医療はなく、医師の自覚と献身的な寄与なくして患者の人権は守られない。

これまで事件を通じて、多くの医師を見てきた。医師のあり方を論じるときには、弁護士としての自分のあり方を顧みなければならないことになる。依頼者への接し方、事態の現状や採るべき対応の方法についての説明の仕方、そして事態が思わしく進行しなかったときの対処の仕方。セカンドオピニオンを求められたときの対応…。私は、これまで何人もの立派な医師の対応を見てきた。これを学びたいと思っている。そしてまた、立派とは言いがたい医師も見てきた。これも、反面教師としたい。

「医師・患者関係」で論じられたのは、インフォームドコンセントのあり方についてである。インフォームドコンセントの理念は単なる説明ではない。「医師と患者の医療情報の共有」でも、「十分な医師の説明と、その説明を理解した上での患者の同意」と言っても、不十分だ。「医師と患者の共同意思決定へのプロセス」としてとらえるべきだと理解した。

本日の報告で、アメリカにおけるインフォームドコンセント概念として、「大統領委員会報告書(1983年)」の「相互の尊重と参加による意思決定を行う過程」という定義が紹介された。なるほど、そのようなものだろう。これを訴訟に活かすことができれば、医療の現場も変わってくるに違いない。

医療における「営利」は、永遠の課題である。医師不足も医師の過密労働も、その改善は営利との関連を抜きには考え難い。医療の安全は直接には営利を生まないが、いったん事故を起こしたときの経営への打撃を考えれば、資金の投入が必要なのだ。また、医療機関にとって、患者の安全に配慮しているとの評判は、営利に結びつくものとなるだろう。

パネラーの一人が、「テール・リスク」という概念について語った。「確率分布の裾野にあり、発生の確率は極めて小さいが、一旦起こるとおおきな損失になる潜在リスク」ということ。問題はその事故の補償ができるか、ということになる。予見可能である限りは、補償の財源を確保しておかねばならない。その財源は、価格設定に折り込まなければならない。価格の設定の仕方を間違える(ミスプライス)と補償ができなくなる。どの範囲の保障や賠償のコストを想定して価格対応するかが政策的な課題となっている、という。

法的観点からの指摘でなく、マネージメント論としての解説だったが、「原発事故から手術の合併症まで」とパワポに書き込まれていた。これは訴訟実務の重要論点ではないか。説明義務の対象の範囲の問題としても、予見可能性や結果回避可能性の存否にしても、どこまでの低確率の事故なら免責されるのか、実は一義的な解答はない。あらためて考え込まされた。
(2017年10月28日)
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巻頭言?医原問題弁護団 代表 安原幸彦
本日は、医療問題弁護団創立40周年記念企画にご参加いただきありがとうございました。
医療問題弁護団は、1977(昭和52)年9月3目、医療事故の被害救済と再発防止を目的として結成されました。その歩みは、報告概要編・イントロダクションでご紹介しています。
結成後間もなく、私たちは、医療事故が起こる原因として、?医師、医療従事者と患者の関係が対等平等ではないこと、?保険診療の制約が医療安全を阻害していること、?医師の養成・再教育が不十分であること、?医師、医療従事者の長時間・過密労働の4点を挙げ、これを「医療に巣くう病根」と呼びました。
この指摘は、医療事故被害と向き合った自分たちの実践から導いたものではありましたが、いかんせん、結成から間もない時期に取りまとめたものでもあり、その後の実践を通した検証が必要でした。また、医療を取りまく環境や医療政策の変化、それに伴う患者や社会の意識変化などにも対応する必要がありました。現在弁護団員も250名に達しています。その団員が40年にわたって様々な活動を積み重ねる中で、医療事故の原因と防止策について、考え、学ぶところが多くありました。
そこで、私たちは結成40周年を迎えるにあたり、「医療に巣くう病根」として取りまとめた分析を出発点としつつ、それを現代的課題として整理する試みを行いました。その成果を取りまとめたのが報告書編の各論稿です。医療問題弁護団は団員を4つの班に分けていますが、各班にテーマを割り振り、約1年間、調査・研究してきた内容がそこに書かれています。
そして、今回、各テーマを統括して、医療現場に残る現代的課題を医療におけるプロフェッション性の阻害とその回復と集約しました。詳しくは報告書編・プロフェッション論をご覧ください。
本報告書は、医療事故を通して、主として患者の視点から、より安全で、より良い医療の実現を目指して分析したものです。各界の皆様から、忌憚のないご意見をいただき、今後の私たちの活動の指針とエネルギーにしていきたいと思います。どうぞよろしくお願いいたします。
2017(平成29)年10月

「DHCスラップ第2次訴訟」第1回期日は12月15日午後1時30分、東京地裁415号法廷にて。 ― 「DHCスラップ訴訟」を許さない・第108弾

既にお知らせしたとおり、DHC・吉田嘉明から2度目の提訴をされて、私(澤藤)はまたもや「幸福な被告」に逆戻りしています。

その裁判の事実上第1回(形式的には第2回)の口頭弁論期日が、12月15日(金)午後1時30分に予定されています。開廷場所は東京地裁の4階、415号法廷です。もちろん誰でも自由に傍聴できます。閉廷後には、弁護士会館で報告集会を予定しています。その部屋は1か月前にならないと決まらないのですが、決まり次第当ブログでご案内しますので、ぜひ、ご参集ください。

DHC・吉田嘉明の2度目の提訴の内容は、「債務不存在確認」請求事件です。普通の訴訟は、「怪しからんブログを削除せよ」、「謝罪文を掲載せよ」、「損害賠償の金銭を支払え」という作為や給付を求めるものですが、この訴訟はそういう普通の訴訟ではありません。ただ単に、「原告DHCも吉田嘉明も、被告澤藤に支払うべき債務はないことを裁判で確認していただきたい」という訴えなのです。迫力を欠いた裁判であることは言うまでもありません。

よほどの事情がない限り、こんな裁判は普通しません。相手から提訴されたら受けて立てばよいだけのことなのですから。どうして、吉田嘉明が自分の方からこんな裁判を仕掛けようという気になったのか、どうしてそんなにも焦ったのか。首を捻るばかり。本当によく分かりません。人はそれぞれですし、お金持ちの気持ちの忖度はなかなか難しいと思うばかりです。

DHC・吉田の最初の提訴は3年前の2014年4月。5月の半ばに訴状が届きました。あの訴状を読んだときの、なんとも形容しがたい不愉快な思いは忘れられません。この文明社会で、まさか自分の言論が理不尽に抹殺の対象となろうとは思いもよりませんでした。「言論には言論で対抗する」ことが原則です。しかも、DHC・吉田嘉明は巨大な規模の言論対抗手段をもっているのです。紙媒体でも、ネットでも、そして電波メディアでも。

沖縄基地反対闘争についてのフェイクとヘイトで有名になったDHCシアターや、虎ノ門テレビは彼の傘下にあります。
また、テレビ東京の筆頭株主以下の順序は、以下のとおりです。
1位・日本経済新聞、2位・吉田嘉明、3位・みずほ銀行、4位・三井物産、5位・日本生命…。

そのDHC・吉田嘉明が、言論の市場で対抗言論を行使するのではなく、私の言論を不快として、まったく唐突に2000万円の慰謝料請求の訴訟を起こしたのです。

違法だとされた私のブログは、次の3本。ぜひよくお読みください。いずれも、政治を金で買ってはならない、金で政治や行政を歪めてはならないという典型的な政治的批判の言論です。万が一にも、これが違法だとしたら、この世に意味のある言論の自由は絶えてなくなってしまうということがご理解いただけるはずです。
https://article9.jp/wordpress/?p=2371(2014年3月31日)
「DHC・渡辺喜美」事件の本質的批判

https://article9.jp/wordpress/?p=2386(2014年4月2日)
「DHC8億円事件」大旦那と幇間 蜜月と破綻

https://article9.jp/wordpress/?p=2426 (2014年4月8日)
政治資金の動きはガラス張りでなければならない

DHC・吉田の提訴は、誰が考えても言論封殺を目論んでのこと以外にはありえません。被告とされたのは私であり、直接攻撃を受けたのは、私の3本のブログです。しかし、影響はそれにとどまりません。DHC・吉田の意図は、自分に対する批判をすればこのように裁判を起こされてたいへんなことになるぞ、という見本を示しているのです。

私は、この理不尽にけっして屈してはならない。徹底して闘おうと決意をしました。そして、ブログでのDHC・吉田批判をやめず、「DHCスラップ訴訟を許さない」シリーズを書き始めました。するとどうでしょう。DHC・吉田は、2000万円の請求を6000万円に請求を拡張したのです。行動で、言論封殺のための提訴であることを証明したのです。

裁判は、1審も2審も私が勝ちました。勝って当然の裁判なのですから。そして、DHC・吉田は無理を承知で、最高裁に上告受理申立をして不受理の決定があって確定しました。こんな理不尽な裁判で、大迷惑を掛けておいて、DHCも吉田嘉明も、一言の謝罪もありません。私は、不当な提訴で被った損害を賠償せよと、請求をしました。その金額は600万円、DHC・吉田が私に請求した金額の10分1というささやかなもの。

DHC・吉田は、この600万円を支払う義務がないことの確認を求めて提訴したのです。

ですから、新たな裁判(「DHCスラップ第2次訴訟」)の主たる舞台は、反訴になります。近々、反訴状を提出します。請求金額は、600万円に10%の弁護士費用を上乗せした660万円。

私も、既に50人を超した弁護団も、スラップ訴訟の提起が違法であることを明らかにすることで、政治的な批判の言論の自由を確立したいと意気込んでいます。12月15日の法廷では、反訴状を陳述することになります。ぜひ、傍聴にお越しください。

なお、みなさまにお願いがあります。DHCのように、スラップ訴訟を多発する企業には、消費者の行動で制裁を加えていただきたいのです。公害発生源となっている企業や、消費者問題を多発する企業、児童労働や劣悪労働条件の企業などには、自覚的な消費者集団による市場での批判の行動で、これを是正することが可能です。労働厚生行政による規制をきらうことを広言し、あるいは規制緩和推進の政治家に闇の金を渡し、これを批判されると、スラップで口封じをしようという、こういうスラップ常習企業には、民主主義社会を大切に思う立場の理性ある消費者の行動を通じて相応の制裁を課す必要があると思うのです。ぜひ、この点についてご協力ください。

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以下が、まだ「反訴」提起前の、「本訴」についてのやり取り。
なお、原告の請求原因の全文は、以下のURLで読めます。
https://article9.jp/wordpress/?p=9149

原告DHC・吉田の「請求の原因」
1 原告らは、被告が、自身のブログ「澤藤統一郎の憲法日記」において、原告らの名誉を毀損する記述をしていたことから、平成26年4月16日、訴訟提起したが、平成27年9月2日、請求が棄却され、控訴も上告も棄却された。

2 平成29年5月12日、被告は、原告らの訴訟は、いわゆるスラップ訴訟であり、不当提訴であるから、不法行為に基づく損害賠償請求として、連帯して600万円の支払いを求める内容証明郵便を送付し、原告らに600万円の債務が存在する旨主張した。

(以下3項?7項まで略)
8 よって、原告らは、被告に対し、原告らの被告に対する別紙訴訟目録1記載の訴え提起、同2記載の控訴及び同3記載の上告受理申立てによる損害賠償債務が存在しないことの確認を求める。

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上記の訴状「第2 請求の原因」に対する、被告澤藤の認否
1 請求原因第1項のうち、「原告らが被告に対し、2014(平成26)年4月16日訴訟を提起したが2015(平成27)年9月2日請求が棄却され,控訴も上告も棄却された」こと、当該訴訟が「被告が主宰するブログ『澤藤統一郎の憲法日記』において,原告らの名誉を毀損する記述をしていると主張してのものであった」ことはいずれも認め、その余の事実は否認する。

2 同第2?4項はいずれも認める。

3 同第5項のうち、前訴において「原告らが名誉毀損だと指摘した被告のブログの記述は,違法性阻却事由により判決においては違法ではない旨判示されたものの,同時にその大半の記述が,原告らの社会的評価を低下させるとも判断されている」ことは認める。
これに続く「被告が弁護士でありながらも原告らの名声や信用を一般読者に対して著しく低下させたことは事実であり,このような事実無根の誹謗中傷をネットに書き散らす行為が許容される事態は社会的に問題である。」との記述は否認する。この記述は、訴訟上意味のないものであるばかりでなく、「事実無根の誹謗中傷」という点で明らかに事実に反する主張であり、「このような事実無根の誹謗中傷をネットに書き散らす」との表現は被告を侮辱するものである。
なお、「(被告のブログにおける当該表現)行為が許容される事態は社会的に問題である」との記述は、前訴の確定判決に対する原告らの拒絶の宣言であり、各審級の裁判所の判断に対する嫌悪の感情の吐露でもある。原告らは、前訴の判決から学んで反省するところがなく、確定判決を黙殺する点で、法や司法に対する軽視の姿勢をよく表しているというほかはない。

4 同第6項は認める。

5 同第7項のうち、被告が、甲7の1及び甲7の2と特定されたブログの記事を掲載していることは認める。
なお、ここでも、原告らは「性懲りもなく」と被告に対する侮蔑的な表現に及んでいる。前訴において敗訴したのは原告らであって被告ではない。法秩序から見て反省すべきは原告らであって被告ではない。「性懲りもなく」(再度の提訴に及んだ)と評されるべきは被告ではなく、明らかに原告らなのである。

6 同第8項は争う。

7 実務上、債務不存在確認請求訴訟の要件事実は、「被告が、請求の趣旨で特定された当該権利を有すると主張していること」で足りるとされている。これで、確認請求訴訟一般に必要な確認の利益の主張も十分である。
従って、本請求に必要な請求原因は、本来第2項(「平成29年5月12日、被告は、原告らの訴訟は、いわゆるスラップ訴訟であり、不当提訴であるから、不法行為に基づく損害賠償請求として、連帯して600万円の支払いを求める内容証明郵便を送付し、原告らに600万円の債務が存在する旨主張した。」)だけで足りるものである。事情として付加するものがあるとしても第1項および第2項で十分である。
にもかかわらず、その余の第3?7項の記載があるのは、法的な主張の必要を超えて、被告を攻撃する過剰な意図あればこその叙述と言わざるを得ない。原告らの前訴提起の意図が、自らの権利救済の目的を超えて、被告を過剰に攻撃することによって自己を批判する言論を封殺しようとした姿勢と通底するものであることを指摘しておきたい。
(2017年10月27日)

「選挙が終わった。モリもカケも、もうほとぼりが冷めた頃だろう」とは言わせない。

選挙期間中だからとして寝かされていた問題も、いつまでも寝かしたままにはしておけない。モリ・カケ疑惑解明忌避解散のあと、政権への遠慮から伏せられていた事実が、選挙が終わってようやく報道されるようになった。

本日(10月26日)の共同配信記事は、森友学園問題について「森友への値引き6億円過大 国有地売却、会計検査院が疑義」の見出しで、以下のように伝えている。
「学校法人「森友学園」に大阪府豊中市の国有地が、ごみの撤去費分として約8億円値引きされて売却された問題で、売却額の妥当性を調べていた会計検査院が撤去費は2億?4億円程度で済み、値引き額は最大約6億円過大だったと試算していることが25日、関係者への取材で分かった。
官僚の「忖度」が取り沙汰された問題は、税金の無駄遣いをチェックする機関からも、ごみ撤去費の積算に疑義が突き付けられる見通しとなった。検査院は関連文書の管理にも問題があったとみており、売却に関わった財務省と国土交通省の責任が改めて厳しく問われるとともに政府に詳しい説明を求める声が強まるのは必至だ。
検査院は詰めの調査を進め、両省(財務省・国土交通省)への指摘内容を年内にも公表する見通し。」

簡にして要を得た記事だが、本日の東京新聞は、さらに次のように報じている。
「国交省積算ごみ撤去費 森友値引き6億円過大 検査院が疑義」
「森友学園は2015年5月、財務省近畿財務局と国有地の定期借地契約を締結。その後、国有地の購入を申し出たことから、財務局は地中に埋まっていたごみの撤去費の見積もりを、以前に現場周辺の地下の埋設物を調査していた国交省大阪航空局に依頼した。
学園は「地下九・九メートルまでごみがある」と申告。航空局は詳細に調べ直さないまま、以前の調査を基に、土壌全体の47%にごみが混入しているとみなし、撤去費を約8億2千万円と算出。財務局は16年6月、この額を評価額の約9億5千万円から値引きし、約1億3千万円で売却した。
検査院が残された資料を検証したところ、47%というデータは、航空局が以前に現場の敷地を掘削した数十ポイントのうち、ごみが出てきた六?七割のポイントの土壌に限っての混入率だった。残る三割以上では、ごみが見つかっていないのに混入率に反映させていなかったという。検査院が計算し直したところ、混入率は30%程度で撤去費は約二億円にとどまった。別の計算方法を用いても四億円余りだったという。
ただ、撤去費単価に関する文書や、国と学園とのやりとりの記録は破棄されており、正確な見積もりはできなかった。検査院は文書管理の改善も求めるとみられる。

また、取材源が同じかどうかよく分からないが、産経も次のように報じている。
「森友への値引き額、6億円過剰 国有地売却、検査院が試算 『不適正』指摘へ 11月にも報告公表」
「大阪府豊中市の国有地が学校法人「森友学園」(大阪市)に小学校建設用地として評価額より安い価格で売却された問題で、売買価格や手続きが適正だったか調べていた会計検査院が、値引き額は最大6億円過剰だったと試算したことが25日、関係者への取材で分かった。売却価格が低く評価されているとして、「不適正」と指摘するもようだ。ただ、財務省や国土交通省と見解の相違もあることから、最終的な検査報告に反映されるかは流動的とみられる。11月中にも報告が公表される見通し。
問題の土地は、上空が大阪空港への飛行ルートに当たるとして、国交省大阪航空局が騒音対策のため保有していた小学校の建設用地(8770平方メートル)。土地の評価額は9億5600万円とされた。
ごみの撤去費用の算出は通常第三者が行うが、開校予定が迫っているとして国が対応した。財務省近畿財務局は国交省大阪航空局に撤去費の見積もりを依頼。航空局の見積もりではごみの量は1万9500トン、撤去費用などは8億2200万円と算定された。財務局は、土地の評価額からこの8億2200万円を差し引いた1億3400万円で森友学園側に売却していた。
関係者によると、検査院は撤去費は2億?4億円程度で済んだと試算。売却手続きの過程が妥当だったか疑問視しているもようだ。」

「会計検査院が、値引き額は最大6億円過剰だったと試算したこと」が書きぶりまで一致している。産経記事では、「財務省や国土交通省と見解の相違もあることから、最終的な検査報告に反映されるかは流動的とみられる」としているのが、気にかかるところ。

この件については、本年7月13日に、阪口徳雄弁護士や上脇博之教授らのグループ246人が、近畿財務局担当職員ら7人を背任容疑で大阪地検特捜部に告発している。この告発状には、独自の調査でゴミ撤去費用の適正価格を算定している。会計検査院も、ほぼ同様の見解に至ったということだ。

また、本年10月16日には、醍醐聰さんを代表とする「森友・加計問題の幕引きを許さない市民の会」の有志103名が、7月13日告発後新たに公開された音声録音記録を証拠として、東京地検特捜部に告発状を提出した。告発対象は、池田靖氏(近畿財務局統括国有財産管理官・当時)の背任(刑法第247条)と、佐川宣寿氏(財務省理財局長・当時、現国税庁長官)の証拠隠滅(刑法第104条)である。
https://article9.jp/wordpress/?p=9335

選挙前の報道であれば、もっとインパクトが大きかったのにと残念だが、森友学園問題全容解明に明るい兆しが見えてきている。

加計学園問題については、選挙直後に加計学園獣医学部の設置なるだろうとの報道があったが、さすがにそんな露骨なことはできまい。

森友学園問題も、加計学園問題も、国民は忘れていないし、許してもいない。けっしてうやむやのうちに放置はしないと、発言を続けよう。

(2017年10月26日)

船尾徹・自由法曹団新団長の船出にエールを送る。

「しんぶん赤旗」は共産党の政党機関誌だが、市民運動関係の情報豊富なところが貴重な存在となっている。昨日(10月24日)赤旗朝刊を開いたら、社会面に「共闘広げ改憲阻止 自由法曹団総会終わる」の記事。小見出しに「新団長に船尾氏」と、船尾徹さんが三重県鳥羽市で開かれていた団の総会で、新しい団長に選任されたという記事が写真とともに目に飛び込んできた。事前に一切情報がなかったため一瞬驚いたが、まことに当を得た人事で素晴らしいニュースだ。

弁護士とは、在野に徹し反権力を堅持すべき専門職能。国家権力とも、大資本とも、厳しく対峙しなければならない。だから、弾圧事件にも冤罪事件にも取り組む。労働争議も解雇も思想差別も、弁護士の出番だ。そんな心意気の、本来の姿の弁護士の集団が自由法曹団。最も活動的で団結力の強い規模の大きな弁護士の任意団体である。

その弁護士集団の新代表になった船尾さんは、私が弁護士として職業生活をスタートさせた東京南部法律事務所の1年先輩に当たる。6年間机を並べて議論もし、事件の現場も一緒に歩いてともに仕事をした仲だ。温厚篤実な人柄で粘り強い仕事ぶりには定評がある。

遠くから見ている限りで立派な人物も近づけば幻滅。それが世の常なのだが、船尾さんは最初から身近にあって尊敬すべき人物として揺るぎがない。この人事、団のためにも船尾さんのためにも、心からの祝意を表したい。

私は、修習生の時代に青年法律家協会に参加した。ここで、最高裁と衝突の経験を経て将来の生き方を決めた。弁護士として仕事を始めて、すぐに自由法曹団員となった。そして間もなく団の事務局次長となって貴重な経験をした。その後に総評弁護団員になり、日本民主法律家協会会員にもなった。

私が弁護士になりたてのころ、自由法曹団長といえば雲の上の存在だった。上田誠吉、小島誠一、岡崎一夫などの錚々たる顔ぶれ。治安維持法の時代を知る年代。団規令や政令325条と闘った筋金入りの弁護士たち。そして、松川事件やメーデー事件など伝説的な法廷闘争で輝かしい成果をあげた大先達。

時代は移った。この頃は近しい人が団長を務める。20期の菊池紘さんのあと、22期が3人続く。篠原義仁さん、荒井新二さん。そして船尾さんである。それぞれが個性あって多士済々。いずれも、それぞれの分野で語るべき業績を
あげてきた人たち。

以下は、自由法曹団の解説。
 団は、1921年に神戸における労働争議の弾圧に対する調査団が契機となって結成された弁護士の団体。今年で、創立96周年を迎えた。広辞苑でも「大衆運動と結びつき、労働者・農民・勤労市民の権利の擁護伸張を旗じるしとする。」と紹介されている。
 団の目的は、「基本的人権をまもり民主主義をつよめ、平和で独立した民主日本の実現に寄与すること」であり、「あらゆる悪法とたたかい、人民の権利が侵害される場合には、その信条・政派の如何にかかわらず、ひろく人民と団結して権利擁護のためにたたかう」(規約2条)こと。団は、この間、平和、民主主義と人民の生活と権利を守るため、憲法改悪、自衛隊の海外派兵、有事法制、教育基本法改悪、小選挙区制、労働法制改悪などに反対する活動を行ってきた。そして今、戦争法制(安保法制)など戦争する国づくりに反対する活動、秘密保護法に反対する活動、米軍普天間基地撤去を求め、辺野古新基地建設に反対する活動、議員定数削減に反対し、民意の反映する選挙制度を目指す活動、労働法制改悪に反対する活動、盗聴法の拡大と司法取引の導入に反対する活動、裁判員制度の改善と捜査の全面可視化を実現する活動、東日本大震災と福島第一原発事故による被害者支援の取り組み、脱原発へ向けたとりくみなどを行っている。
また、団と団員は、布川事件、足利事件、袴田事件などのえん罪裁判、派遣労働者の派遣先企業への正社員化を求める裁判などの数々の労働裁判、生活保護受給を援助する取組、嘉手納爆音裁判などの基地訴訟、環境・公害裁判、税金裁判、消費者裁判などの様々な権利擁護闘争に取り組んでおり、国際的な法律家の連帯と交流の活動も行ってもいる。
 現在、約2100名の弁護士が団員として全国すべての都道府県で活動しており、全国に41の団支部がある。
 現在の役員は、団長・船尾徹(22期)、幹事長・加藤健次(40期)、事務局長・西田穣(57期)。
 
船尾新団長の船出に、風雨ことさらに激しき折、心して風を切り浪を乗り越えよと、心からのエールを送る。
(2017年10月25日)

「小選挙区制こそ諸悪の根源」と、「野党共闘のあり方」と。

気が重いのだが、自分なりに総選挙の総括をしておかねばならない。日本国憲法の命運如何という視点からの評価だ。明文改憲の阻止、解釈壊憲の進展への歯止めに、今回総選挙の結果がどう関わるかの評価。

私はいつまで経っても、できた人間にはなれない。些事に動じることなく、将来を展望して楽観するなどという仙人の心境とは無縁で、常に目の前のできごとに一喜一憂するしかない性分。その私の目には、この選挙結果には一喜なく多憂あるのみ。

自公の「大勝」という各紙の大見出しに背筋が寒くなる。改憲発議には改憲派議員の議席数だけがものを言う。衆院の議席総数は465だから、発議に必要な3分の2の議席数は310である。自民の当選者数が284、公明29、与党だけで313議席、またも3分の2超となった。公示前勢力が、自民284公明35だから、与党の議席数が増えたわけではないが、今回は改憲を公約化しての選挙であったし、アベ政権の不支持率が支持率を上回るアベ逆風の中での選挙。それでも、与党で3分の2。

希望(50議席)も維新(11)も、改憲容認政党だから、これを加えると371議席。ほぼ80%になる。

今朝(10月24日)の毎日に、全当選議員に対する政見アンケートの集計が掲載されている。「改憲」賛成者が前回に引き続き82%。九条改正問題に限っても、自衛隊明記賛成54%、国防軍化9%という恐るべき事態。両院の憲法審査会を舞台に、アベ自民の改憲策動が始まるだろう。本格的な衝突が避け得ないことを覚悟しなければならない。

なお、「希望」議員の47%が自衛隊明記賛成で、反対39%と割れているという。

もっとも、大勝した自民党が有権者の圧倒的多数から支持を得ているわけではない。この議席数はけっして民意を反映したものではなく、小選挙区制のマジックの効果ではないか。

「自民党がえた比例得票は33%(有権者比17.3%)なのに、全議席の61%の議席を得たのは、もっぱら大政党有利に民意を歪める小選挙区制がもたらしたものであり、『虚構の多数』にすぎません。」というのが、本日(10月24日)赤旗に発表になった共産党のオフィシャルな見解。この各数字は、前回14年総選挙とほぼ同じもの。前回正確には、自民の比例得票率は33.11%で議席占有率は61.26%。得票に応じた33%の議席でよいのに、現実には全議席数の61%も取っている。その超過分28%分が「虚構の多数」というわけだ。今回も同様に、虚構の下駄履き議席数は実に130に及ぶ。

もっとも、考え方はいろいろある。自民党の小選挙区得票は2672万票で、得票率は48.21%。
ところが小選挙区の獲得議席数は218だから、議席占有率は小選挙区全議席数289の75.43%となる。
この75.43%のうち、比例配分なら48.21%となるべき議席割合の超過分27%は、小選挙区効果による水増し分と言ってよい。これが59議席に相当する。小選挙区だけで59議席が「虚構の多数」となる。

また、総選挙では有権者は各2票(小選挙区票+比例票)をもっている。これを全国の有権者分合計すると、投票総数は1億1180万票となる。この票数で465議席が決められているのだから、自民党の得票(小選挙区票+比例票)は4527万票で得票率は40.72%となる。ところが獲得議席数は284だから議席占有率は61%となる。
この計算方法でも、20%が小選挙区効果による水増し分となる。これが93議席に相当する。

なお、この計算方法で共産党の正当な議席数を計算すると、得票率8.46%相当の比例配分なら39議席を獲得すべきが、現実には12議席に過ぎない。小選挙区効果がマイナスに働き、27議席減となっているのだ。

つまり、小選挙区・ブロック別比例代表併用制の選挙制度を採用の結果、最大党の自民党には93議席のプラス効果を、少数党の共産党には27議席のマイナス効果が生じている。これは不公平の極みではないか。

本来、議会は有権者の意見分布を正確に反映する鏡でなくてはならない。意識的にいびつな鏡を作る小選挙区制であってよいわけがない。アベ一強政治の歪みをもたらした根源はこの小選挙区制にある。世論調査における国民の憲法意識と、議員アンケートの極端な乖離の根源もここにある。

「政治の堕落・腐敗の根源は小選挙区制だ!」「小選挙区制をなくせ!」「国民の意思を正確に反映する国会を作れ!」と言い続けなければならないと思う。
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しかし、選挙制度の改善を待っていては当座の間に合わない。全てを小選挙区の罪として済ませることもできない。自民党の有権者数に対する絶対得票率は概ね25%で推移している。自公の与党合計でも30%程度。それなら、反アベの野党が結束すれば、小選挙区制を反自公側に有利に使える、という発想が出て来る。全野党共闘でなくても、9条改憲反対の野党が結集すれば、相当の選挙区でアベ自民の非立憲派候補に勝つ可能性が開けてくる。

タラ・レバの話だが、「今回の衆院選で野党が候補者を一本化していれば、少なくとも84小選挙区で与党を逆転していた可能性がある」(毎日)、「複数の野党候補(野党系無所属を含む)が競合した「野党分裂型」226選挙区のうち、約8割の183選挙区で与党候補が勝利をおさめた。一方、朝日新聞が各野党候補の得票を単純合算して試算したところ、このうち3割超の63選挙区で勝敗が逆転する結果となり、野党の分散が与党側に有利に働いたことがうかがえる。」(朝日)などと報じられている。

公示以前に進んでいた、民進・共産・自由・社民の共闘の規模は実現しなかったが、市民運動が仲介の労をとり、立憲野党勢力の結集がはかられた。市民と野党の共闘として、政策協定としては7項目の共通政策を確認した。その第1が「九条改正への反対」である。これに、「特定秘密保護法・安保法制・共謀罪法の廃止」「原発ゼロの実現」などが続く。全野党共闘ではないが、立憲野党の共闘は成立した。

さて、この共闘はうまく作動したのだろうか。間違いなく、立憲民主党には利益をもたらした。今回立憲が比例代表で得た得票数1100万票は、前回14年総選挙で民主党が得た970万票を上回っている。減った共産党票160万票の受け皿となった可能性を否定し得ない。

共産党には共闘の直接の利益は見あたらない。67の小選挙区で予定候補を取り下げた。それだけでなく、その地区の野党共闘候補当選のための選挙運動もしている。そうして、自党の得票を減らしたのだ。その結果が、獲得議席数で前回21から12への大幅後退。比例代表得票は、前回606万票(11.4%)から440万票(7.9%)への後退である。結局、「比例だけは共産党」の訴えでは、現実には票が出ないのだ。

私は共産党を一貫して支持してきたが、それは憲法擁護の立場から。明文改憲にも、解釈壊憲にも、ぶれることなく反対を貫く、最も頼りになる存在だからだ。その共産党に実益なく、票も議席も大きく減らす共闘のあり方を、「大義」「大局」から素晴らしいなどと言っていてよいものだろうかと思う。ブレない共産党がしっかりした地歩を固め存在感あってこその、国会内護憲共闘ではないか。

共闘はウィンウィンで、なければならない。共闘参加者にともに利益がなければならない。一方だけが譲って他方だけが受益の関係では、長く続くはずがなかろう。今回、市民連合の総括が、「自党の利益を超えて大局的視野から野党協力を進めた日本共産党の努力を高く評価したいと考えます」と言わざるを得ない事態が、不自然でおかしいのではないだろうか。
http://shiminrengo.com/archives/1954

私の地元でも、共産党が予定していた小選挙区候補者を下ろし、立憲民主党の候補を推した。共産党の活動家がポスター貼りもしたという。そのポスターに、「比例は立憲民主党に」と書き込んであった。これが、正常な共闘のあり方だろうか。将来を見据えた共闘関係を築くためには、共闘参加者全体に相応の利益が実感できるあり方を考えなければならないと思うのだが。

まずは、立憲民主党の国会内での活動のあり方を注目したい。
(2017年10月24日)

 

 

 

 

当協同組合の発展に祝意を、そして協同組合運動の発展に期待を。

開業医共済協同組合の第8回通常総代会に顧問弁護士としてご挨拶申しあげます。

当組合の業務も財務も、たいへん順調とのご報告で結構なことと存じます。自信あふれる理事長の開会の辞の中に、協同組合の理念に触れたところがあって、興味深く拝聴いたしました。

協同組合は相互扶助を目的とする自治的な組織です。その組織は平等な権利をもつ組合員による民主的な運営を原則とします。徹底した平等や民主的運営は、協同組合の本質だと思います。

私は、弁護士として長年消費者問題の分野に携わり、消費者運動にも関わってきました。その中で、消費者問題とは何か、消費者運動とは何を目指しているのかを考え続けてきました。

消費者問題とは、資本主義経済の矛盾の一側面にほかなりません。そこでは、事業者と消費者の利害が衝突しています。圧倒的な強者である事業者の横暴から弱者である消費者の利益を擁護することが消費者問題の普遍的テーマです。

事業者と消費者の対峙とは、実は、〈利潤追求の原理〉と〈生身の人間がよりよく生きたいという要求〉との対峙なのだと思います。事業者すなわち企業の利潤追求至上主義が生活者としての消費者の利益を損ねているところに、消費者問題の根源があります。

この世は資本主義社会です。市場原理によって人々は動いています。いや、市場原理が人々を支配していると言って差し支えないでしょう。市場における企業の利潤追求は、必ずしも消費者の利益を顧みません。利潤追求に適う限りでは消費者の利益を尊重しますが、それ以上のものではあり得ません。過度な消費者利益要求への妥協は企業間競争の敗北を招きかねないことにもなります。

社会の隅々にまで、市場原理が浸透している社会とは、人の欲望の全てが利潤のために商品化された社会です。形あるものだけでなく、全てのサービスも、労働力も…。もちろん保険業務も、資本が利潤追求の対象としています。

資本による利潤追求は合理的であり、その方法は洗練されています。しかしこの社会は、全てを資本による利潤追求に任せ、市場原理に席巻させてよいはずはありません。市場原理になじまない分野もあり、市場原理を排除すべき分野もあり、市場原理の修正を求めなければならない分野もあるのだと思うのです。

協同組合とは、資本主義社会の中での弱者が相互扶助原理をもって、利潤追求主義から自分たちの利益を防衛しようという試みにほかならないと思うのです。

消費者運動では、利潤追求主義が行き着くアンフェアな取引による商品や、ブラック企業の商品を意識的に排除することで、賢い消費行動を通じて、環境保護やコンプライアンス推進を実現する試みがなされています。その運動が大きくなって、企業の行動に影響を与えることが期待されます。

協同組合運動も、資本に対抗する拡がりをもってくれば、平等や民主的運営は、社会の普遍的価値として重みをもってくることになるでしょう。さらに、国際協同組合同盟(ICA)は、「協同組合は、自助、自己責任、民主主義、平等、公正、そして連帯の価値を基礎とする。」「協同組合の組合員は、誠実、公開、社会的責任、そして他人への配慮という倫理的価値を信条とする。」と定めているそうです。

利潤追求と市場原理万能の社会にあっても、生身の人間を尊重し経済的弱者の相互扶助の精神をより大切なものとしたいと思いますし、さらには経済合理性よりは、人々が快適に共同生活を送っていくための基本理念の実現を優先する社会を作りたいと思うのです。

当協同組合の運営が順調であることは、そのような意義をももっているものとして、祝意を表します。そしてこの順調がさらに継続しますよう、祈念申し上げます。
(2017年10月23日)

秋葉原の異様な光景ーアベ自民の選挙運動の終わり方

公職選挙法(第129条)は、選挙運動ができる期間を「公示(または告示)から当該選挙の期日(投票日)の前日まで」に限っている。この異様な規制の起源は1925年衆議院議員選挙法の改正に遡る。当時の天皇制支配の補完物であった政権が、不本意ながらも男子普通選挙制度を実現した際に、無産政党の進出を恐れて編み出した、選挙運動の自由規制の一端である。この選挙法「改正」が治安維持法と双子の兄弟として同時に立法されたことも、記憶に留めておかねばならない。

この異様な立法は、日本国憲法制定とともに、表現の自由に対する典型的な規制として是正されるはずだったが、衆議院議員選挙法の後継法である公職選挙法が、天皇制下の選挙運動規制体系をほぼそのまま受継した。しかも、戦後続いた保守政権が選挙運動の規制を我に有利として放置して現在に至っている。司法も、これを違憲と踏み込むことはしない。総選挙についてみれば、当初30日間だった選挙運動期間が、今は12日間である。

そんなわけで、「当該選挙の期日」である本日(10月22日)は、選挙運動ができない。インターネット(ブログ・SNSを含む)でも同様である。

もっとも、判例・実例によれば、選挙運動の定義は、「特定の選挙について、特定の候補者の当選を目的として、投票を得又は得させるために直接又は間接に必要かつ有利な行為」とされている。けっして明瞭ではないが、憲法上の基本権の制約なのだから、軽々に表現行為を違法としてはならない。

特定の候補者についての投票依頼は、「特定の選挙について、特定の候補者の当選を目的として、投票を得させるために必要な行為」として避けるべきだろうが、投票依頼から離れた政治的言論まで萎縮してはならないと思う。

なお、最高裁裁判官の国民審査は公職選挙法の適用はない。どこでもいつでも、「安倍政権が選任した最高裁裁判官全員に×を」と宣伝してよい。

さて、選挙運動期間は昨日で終わった。アベ自民党の秋葉原での最後のお願いの異様さが、話題を呼んでいる。

いつもながら、リテラが素早く的確だ。「安倍首相の秋葉原街頭演説が極右集会そのもの! 『こんな人たち』を排除し、日の丸はためくなか『安倍総理がんばれ』コール」という表題。
http://lite-ra.com/2017/10/post-3530.html

東京新聞のネット版は以下のとおり。
https://mobile.twitter.com/tokyonewsroom/status/921676634121314305

知人から、「安倍首相演説時の秋葉原の状況、これは見ておいた方がいい」という紹介もいただいた。
https://t.co/DWsrHskaNX?amp=1

この映像は衝撃だ。日の丸の林立に囲まれたアベ自民。視覚的にアベが「保守」ではないことを明らかにしている。これを「極右」と言わずしてなんと呼ぶべきか。背筋が寒い。
(2017年10月22日)

「こんな人たち」以外の「一般の人々」に訴えます。ーアベ・シンゾーより

第48回衆院総選挙は10月10日に公示され、いよいよ明日22日が投票日となります。国民の皆さまのうち、どうせ私の言うことになど聞く耳もたない「こんな人たち」を除く、「こんな人たちではない一般の人々」にお願いを申しあげます。

今回の解散総選挙は、私アベシンゾーが仕掛けたものです。私は、自分に一番好都合なタイミングを選んで、衆議院を解散して勝負に出たのです。政治家として当然のことではありませんか。

グズグズしていたら、森友学園問題も加計学園疑惑追求もたいへんなことになってしまうではありませんか。突っ込まれたり暴かれたりしたら困るネタが、それこそ無数にあることは、私自身が一番良く知っていることです。

それならどうするか。まずは逃げることです。卑怯と罵られようと、みっともないと嗤われようとも、「三十六計逃ぐるに如かず」ではありませんか。おとなしく臨時国会を開いて、野党の攻撃に身をさらし、サンドバッグになりたくはないのです。それに、私は、あんまり筋を通すとか、矜持を大切にするという潔癖な性格ではありません。「嘘つきめ」「食言だ」「逃げたな」「プライドはないのか」と言われても、あまり応えるタチではないのです。自分でも、政治家向きの性格だと思いますね。10年前、あんなみっともない政権投げ出しをして恥を晒しましたが、めげずに再登板しました。図々しい者が勝ちなんですよ。この世の中は。

だから逃げたのです。だから冒頭解散でした。解散総選挙の必要を、消費税増税分の使途について有権者の意図を問う、ナンチャッテ言ってみましたが、誰も信じはしませんでした。もちろん、私自身も信じてもらえるとも思っていません。

私は、この解散を「国難突破解散」とネーミングしました。自分でも、気恥ずかしさはありましたが、図々しさに徹しなければこの商売やっていけませんからね。選挙期間中、どこででも「おまえが国難」「アベの存在自体が国難」「国難アベ政権摘出解散」などと言われて、覚悟はしていましたが、不愉快でしたね。

私の評判が地に落ちていることは、自覚していました。モリ・カケだけではない。憲法問題も、「こんな人たち」が悪法という法律制定を強行したことも。私の側近といわれた政治家のスキャンダルも、いろいろありましたから。しかし、それでも、解散自体がこんなに評判悪いものになるとは思わなかったのです。「大義なき解散」「森友・加計の疑惑隠し解散」「ジリ貧回避解散」「今ならまだマシ解散」「私利私欲加算」「自己チュー解散」とさんざんでした。それでも、私には、心強い味方が、三つありました。

一つ目の味方は、北朝鮮です。金正恩のミサイル発射も核実験も、アベ政権への援護射撃。あるいは祝砲と言ってもよい。これは確実な追い風になりました。ありがたくって涙が出るほど。

軍備を拡大し、国防に金を注ぎ込み、国防国家体制を作ることによって人心を把握し、政権の基盤を強固にする。その意図と政策において、金正恩体制とアベ政権は同志的連帯でつながれています。アベ政権の危機には、北朝鮮がミサイルを撃ってくれる。すると、アベ政権は安泰になるのです。今まさにその時。北の脅威を誇張して吹聴することで、我が陣営に暖かい風が吹くのです。

二つ目は、有権者である国民の忘れっぽさです。解散して、総選挙をやっているうちに、きっと国民の大多数は、モリもカケも、共謀罪も、集団的自衛権行使容認もすっぱりと忘れてくれるだろう。選挙が終われば、モリ・カケ疑惑解明にも、安保法制や共謀罪法廃止にも、国民の関心が続くはずはない。もっと新しい前向きな問題に関心が移るはず。私は、国民をそのように信頼申しあげているのです。

そして、三つ目が株高です。アベノミクスは本当は失敗ですよ。もう5年近くも、「もう少しすれば…」、と言い続けてきたのですが、いつまで経っても「もう少しすれば…」なのですから。でも、株高はアベノミクスの成果とする宣伝材料になるはずだと思ったのです。もちろん、株高にはからくりがあります。国が国民から預かっている年金を、株式市場に注ぎ込んで株を買っているのですから上がるはず。いつまでも続くはずはないのですが、当面経済がうまく行っているように見えればそれで十分なのです。国民みんなのお金で、株を持っている人だけの資産価値を押し上げているわけですから、「こんな人たち」にはご不満でしょうが、それ以外の「一般の人々」には歓迎されていますよね。

12日間の選挙戦の今日が最終日。モリもカケも封印し、都合の悪いところは徹底してスルーして、つまみ食いの経済指標を並べたてて、北朝鮮の脅威を煽るうちに風向きがすこしよくなってきたのが、我ながら不思議。今回解散は失敗だったかと、何度もヒヤヒヤしましたが、どこからかカミカゼが吹いてきたような思い。

「こんな人たち」が、縁なき衆生として度しがたいのはやむをえません。問題は、それ以外の「一般の人々」。この人たちは、私の言うことによく耳を傾けて、もう少しだまされ続けてあげましょうという寛大な態度。ホントに素晴らしい有権者のみなさま。これなら九条改憲も、原発再稼働も、沖縄辺野古新基地建設も、日本中にオスプレイ飛ばすことも、天皇の交代も…、私の思いのまま。いつまでも、傲慢なアベらしいアベであれということではありませんか。

あなたがね。それを不愉快と思うのなら、私を落とせばいいんですよ。自民党や公明党に投票せず、市民と野党の共闘候補に投票すればよい。そして、比例は日本共産党に。そうすりゃあ、私も大きな顔をすることができなくなる。
(2017年10月21日)

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