(2023年3月18日)
早朝、寝床でラジオのスイッチを入れて驚いた。「プーチン・ロシア大統領に逮捕状が発行されました」と聞こえた。逮捕状を出したのは国際刑事裁判所(ICC)、被疑事実はウクライナでの戦争犯罪。大勢のウクライナの子どもたちの誘拐ということだ。
プーチンに逮捕状とは素敵なニュースだが、現状では逮捕状の執行が不可能に近い。本来であれば、逮捕状発付は、プーチン逮捕、プーチン起訴、プーチンの公判、プーチン有罪の判決、そして刑の執行と進行する予定の最初のステップ。だが、その見通しは暗い。プーチンの身柄の確保が困難なことは百も承知での逮捕状の請求があって、逮捕状の執行困難を自覚しながらの逮捕状の発付である。このことにいったいどのような意味があるのだろうか。
国際刑事裁判所(ICC)は、オランダ・ハーグにある常設国際機関。冷戦終結後、旧ユーゴスラビアやアフリカのルワンダでの集団虐殺などをきっかけに、常設の国際刑事裁判所の設置を求める声が高まり、2003年に設立された。日本を含む123の国と地域が参加しているものの、ロシアやアメリカ、中国などは管轄権を認めていない。要するに、自国が訴追される恐れのある国は参加していないのだ。アメリカがその典型と指摘されてきたが、今回のプーチンへの逮捕状発付をアメリカは積極的に支持している。「逮捕状にはとても説得力がある」「戦争犯罪を犯したのは明白だ」なんちゃって。
ICCが管轄する犯罪は、いわゆる「ジェノサイド」や、一般市民への組織的な殺人や拷問などの「人道に対する犯罪」、戦場での民間人の保護や捕虜の扱いなどを定めた国際人道法に違反する「戦争犯罪」など。
ウクライナへの軍事侵攻をめぐって、国際刑事裁判所は、去年3月、ウクライナ国内で行われた疑いのある「戦争犯罪」や「人道に対する犯罪」などについて捜査を始めると発表し、現地に主任検察官を派遣するなどして調べを進めてきた。
そのICCが、ウクライナのロシア占領地域から子どもたちをロシア領に移送したことが国際法上の戦争犯罪にあたり、しかもプーチンがこれに関わったことが証拠上明らかと判断した。戦時の文民保護を定めたジュネーブ諸条約は、住民の違法な移送や追放を禁じている。裁判所のホフマンスキ所長は声明を発表し「国際法は占領した国家に対し住民の移送を禁じているうえ、子どもは特別に保護されることになっている」「逮捕状の執行は、国際社会の協力にかかっている」と述べ、プーチンの身柄拘束への協力を訴えた。
ICCのカーン主任検察官は、少なくとも数百人の子供が孤児院や施設から連れ去られ、多くはロシア国籍を押し付けられて養子に出された疑いがあると発表した。なお、ロシアで養子縁組を進めたマリヤ・リボワベロワ大統領全権代表に対しても逮捕状が発令されている。
ICCが現職の国家最高指導者に逮捕状を出したのは、スーダンのバシール大統領(2009年)、リビアのカダフィ大佐(11年)に続く3度目。国連安全保障理事会の常任理事国元首では、もちろん初めてとなる。国家元首が戦犯容疑者となったことで、ロシアの国際的な孤立が強まることになった。
当然のことながら、ロシアは強く反発している。ということは、逮捕状発付の影響を無視し得ないと受けとめているのだ。「言語道断で容認できない」「この種のいかなる決定も法律上の観点からロシアでは無効だ」「ロシアはICCに加盟しておらず、何の義務も負っていない。何の意味もない」と述べて非難している。それはそのとおりだ。ウクライナに対する侵略も、民間人の虐殺も、非軍事組織の破壊も、ロシア国内では非難される行為ではない。しかし、ロシア国内での判断がどうあろうと、国際道義がロシアの行為を許さないとしているのだ。「この種のいかなる決定も法律上の観点からロシアでは無効だ」という、ロシアの独善性が批判されていることを知らねばならない。
ボロジン露下院議長は「プーチン氏への攻撃はロシアへの攻撃とみなす」と主張。露国営メディア「RT」トップのシモニャン氏も「プーチン氏を逮捕する国を見てみたいものだ。その国の首都までの飛行時間はどれくらいだろうか」とミサイル攻撃を示唆した。恥ずかしくないか。このような発言、このような姿勢こそが、ロシアの野蛮を証明し、ロシアの国際的威信を貶めているのだ。
なお、ロシアはウクライナから多数の子どもたちをロシアに連れ去っていること自体は否定していない。「連れ去りではなく保護した」「危険な戦闘地域から避難させた」と主張している。その上で、ウクライナの子どもをロシア人の養子にする取り組みを進め、ロシアの主張に沿った愛国教育を行っていると報道されている。プーチンはこれらの取り組みを推進する大統領令に署名しているという。
一方、これも当然ながら、ロシアの責任追及を訴えてきたウクライナはICCの決定を歓迎している。ゼレンスキーはSNS上に公開したビデオメッセージで、「歴史的な決断だ。テロ国家の指導者が公式に戦争犯罪の容疑者となった」と述べている。また、シュミハリ首相もSNSに、「プーチン大統領に逮捕状が出されたことは正義に向けた重要な一歩だ。この犯罪やその他の侵略の犯罪に責任があるのはプーチン大統領だ。テロ国家の指導者は法廷に出てウクライナに対して犯したすべての犯罪について裁かれなければなない」と投稿した。
ウクライナの司法当局は、ロシアの軍事侵攻が始まって以降、東部のドネツク州、ルハンシク州、ハルキウ州、それに南部ヘルソン州であわせて1万6000人以上の子どもがロシアによって連れ去られたことが確認され、実数はさらに多い可能性があるとされている。コスティン検事総長は、17日、「ロシアは子どもたちを連れ去ることでウクライナの未来を奪おうとしている」と述べた。
メディアに、国際刑事裁判所の元裁判官だった、中央大学の尾崎久仁子特任教授の指摘が紹介されている。「あえて逮捕状を出したと公表したのは子どもの連れ去りがいまも引き続き行われているので、こうした犯罪が繰り返されることを阻止するとともに、ほかの非人道的な行為を抑止する狙いもある」「ロシアという国連安保理の常任理事国である大国の現職の大統領がこういった犯罪で逮捕状を請求され、正式に被疑者になることが国際社会に与える影響は大きい。いままでロシアに対して中間的な対応をとってきた国々に一定のインパクトを与えるだろう」。なるほどそうなのだろう。
ウクライナのコスティン検事総長は「逮捕状が出されたということは、プーチン大統領は、ロシア国外では逮捕され裁判にかけられるべき人物となったことを意味する。世界の国々の指導者は、プーチン大統領と握手をしたり、交渉したりすることをためらうようになるだろう。これはウクライナと、国際法の秩序全体にとって歴史的な決断だ」と発言した。
折よくというべきか、あるいは折悪しくか、明後日(20日)には、このタイミングで中国の習近平がロシアを訪問する。さて、習は、逮捕状の出ている「国際指名犯・プーチン」と躊躇なく握手をするだろうか、あるいはためらいを見せるだろうか。
(2023年3月16日)
三好達が亡くなった。3月6日のことという。95歳だった。元最高裁長官であり、元日本会議会長であった人。最高裁と日本会議、両組織の相性の良さを身をもって証明した人物である。
最高裁とは、本来は政治勢力から独立した憲法の砦であり人権の番人なのだが、その現実は長期保守政権の番犬と言われる存在。日本会議とは、日本の右翼勢力の総元締め。保守政権を支える岩盤支持層の実働部隊である。この両者、それぞれが保守政権を支えることに、協力し合っている。だから、元最高裁長官が日本会議会長とは、少しも意外なことではない。日本会議と最高裁との関係の緊密さを物語っているだけのこと。
三好は、東京都出身、東京高裁長官などを経て1992年3月から最高裁判事。95年11月に第13代長官となって、97年10月に定年退官した。その後、2001年から15年までの長きにわたって、日本会議の会長を務めた。さらに、退任後は亡くなるまで名誉会長に就いていた。
三好の会長時代に、日本会議は活発に動いた。その「成果」の筆頭は、教育基本法改悪(2006年)と言われる。安倍第一次内閣の時代。三好は、安倍晋三ともすこぶる相性が良かったわけだ。
そのほかにも、改憲推進運動、夫婦別姓反対運動、靖国に代わる国立追悼施設反対運動、自衛隊イラク派遣激励活動、人権擁護法案反対運動、靖国神社20万参拝運動、女系天皇・女性宮家創設反対運動、天皇即位20年奉祝行事、外国人参政権反対運動などを行ってきた。
彼はその著書『国民の覚醒を希う』(明成社、2017年)でこう言っているという。「私が日本会議会長となってまず直面したのが「夫婦別姓」問題でした」(初出:『正論』2007年11月号)。「この法律が成立し、施行された場合、夫婦の一体感が喪失され、ひいては家庭の破壊を招き、家庭の最も大切な役目であります子女の育成機能まで低下させる」「多くの国民は、『私は別姓にしたいとは思わない、しかし、この法律が出来て、別姓にしたい人がそうするというのなら、その人の自由にさせたら、いいのじゃないの』というような考え、つまり「私には関わりのないことだけど」といった気持ちの方が多いように見受けられるのです」(以上、塚田穂高・上越教育大学大学院准教授による)
こういう人物が、最高裁長官だった。最高裁やその判例を盲信してはならない。こういう人物が司法のトップにいることを許すこの社会の力関係を見抜かなければならない。
なお、よく似た先輩がいる。5代目の最高裁長官、それも「ミスター最高裁長官」と言われた石田和外である。戦前は思想判事、生涯を通じての天皇主義者だったから知性には欠ける人物だった。長官時代に裁判所の中の青年法律家協会への弾圧で名を上げた。その際には「裁判官には現実に中立・公正であるだけでなく、公正らしさが必要だ」と言いながら、退職後には「英霊にこたえる会」の初代会長となって、世人に最高裁の体質をアピールした。「最高裁というのは、そんなものであり、その程度のもの」なのだ。三好達や石田和外がそう教えている。
(2023年2月21日)
BBCと共同が伝える記事に驚いた。スペイン議会は、今月16日に「16歳以上の国民が法律上の性別変更の手続きをする際に診断書を不要とする法案を賛成多数で可決した。表決は191対60だった」という。
つまり、16歳になれば、スペイン国民は自由に自分の性を選択できるのだ。診断書は不要。未成年者も両親の同意は不要。スペインの事情はよく分からぬながら、これで社会的混乱は生じないのかと訝る自分の感覚に自信が持てない。
私がよく知らなかっただけで、この種法案の成立はけっしてスペイン独特のものではないという。1972年にスウェーデンが初めて性別変更を合法化し、2014年デンマークが初めて自己申告のみでの性別変更を可能としたという。現在では9か国が同様の制度を採用しており、スペインは10番目の性別選択自由化国なのだとか。
スペインでは、これまで法律上の性別変更手続きには「性別違和(生物学的な性別と性自認に違和感がある状態)の診断書」に加え、「2年間のホルモン治療」が必要とされてきた。新法成立後は、「診断書」も「治療」も不要となる。なお、対象者が12?13歳の場合は裁判所の関与が、14?15歳の場合は保護者の同意が必要となるという。
「性別変更 16歳から自由に スペインで法案可決」との見出しでの報道のとおり、今後スペインでは16歳以上の国民だれもが、裁判所の手続も医師の診断も必要なく、自分の意思だけで性別の変更が可能になる。国民全てに、性別の自己決定権を認めたということなのだ。もっとも、性別変更回数制限の有無についての報道はない。
スペイン新法は、人の性別とその登録の制度を残してはいる。自分で「男性」「女性」のどちらか一方の性を選択することとしているわけだ。しかし、自由に性別を変えることができるとすれば、結局のところ、性別を無意味とし法から性別の概念を取り払うことにつながることになるのではないだろうか。
同性婚の制度が違和感なく確立している社会では、人の性別は限りなく必要性の小さなものとなるのだろう。スペイン新法のさらに先には、どちらの性に属することも拒否するという権利を認める社会が開けるのかも知れない。十分に成熟した社会が実現しての未来のことではあろうが。
ところで、日本の事情は相当に立ち後れている。戸籍の性別変更は、「性同一性障害者の性別の取扱いの特例に関する法律」(2003年成立・04年施行、通称・「性同一性障害特例法」)が定める要件と手続による。
この法の名称にある「障害者」という語が目に痛い。この法案提案の趣旨には、冒頭以下の一文がある。「性同一性障害は、生物学的な性と性の自己意識が一致しない疾患であり…」。 「性同一性障害」は、明確に「疾患」として捉えられている。
これに比して、スペインの事情は大いに異なる。議会の採決前にイレーネ・モンテロ平等担当相は議員に対し、「トランスジェンダーの人々は病人ではない。ただの人間だ」と語ったと報じられている。出生時の性別と自己認識の性別が異なるトランスジェンダー問題を、当事者の人権に関わる問題と捉えての法改正なのだ。
スペインとは対照的に我が法の性別変更要件は、まことにハードルが高い。「性同一性障害特例法」第3条1項は、次のとおり定める。
「家庭裁判所は、性同一性障害者であって次の各号のいずれにも該当するものについて、その者の請求により、性別の取扱いの変更の審判をすることができる。
一 二十歳以上であること。
二 現に婚姻をしていないこと。
三 現に未成年の子がいないこと。
四 生殖腺がないこと又は生殖腺の機能を永続的に欠く状態にあること。
五 その身体について他の性別に係る身体の性器に係る部分に近似する外観を備えていること。」
一読して明らかなとおり、とうてい人権を実現しあるいは擁護するための規定ではない。その憲法適合性が争われて当然である。何度か、違憲判断を求めて最高裁に特別抗告がなされたが、いずれも斥けられている。同性婚を認めない現行法制による秩序との不適合が主な理由とされている。
しかし、もしかしたらこの判例が覆るのではないかという特別抗告事件が話題となっている。昨年12月7日に、2年間寝かされていた最高裁係属事件が、大法廷に回付されたのだ。おそらくは、弁論が開かれ、これまでとは異なる判断となる公算が高い。
事案は、男性として生まれ、女性として社会生活を送る人が、戸籍の性別変更を求めたもの。性同一性障害特例法の規定は、生殖腺を取り除く手術を必要とすることになるが、「手術の強制は重大な人権侵害で憲法に違反する」と主張して、手術を受けることなく、性別変更を認めよと申し立てている。
最高裁が、人権の砦としての役割を果たすことができるのか、あるいは現行秩序の番人に過ぎないのか。注目しなければならない。
なお、2004年の特例法施行以来今日まで、司法統計に公表されている限りで、全国の家庭裁判所で性別変更が認められた審判件数は1万1000を超えているという。判例変更となれば、この数は急増することになるだろう。だが、それでもなお、全ての人に性別選択の自由を認めるスペイン型法制度には違和感を払拭し切れない。
(2023年2月17日)
イスラエル・ネタニヤフ政権の「司法制度改革案」が政権を揺るがす政治問題となっている。1月以来、波状的に10万人規模の市民のデモが街頭に溢れているという。三権分立の崩壊を懸念し、「民主主義を守れ」というスローガンが叫ばれている。
市民の憤りの対象となっている「ネタニヤフ流・司法制度改革」の問題点は二つ。その一は「最高裁の判断を国会が多数決で覆すことができる」という三権分立の根幹に関わる制度「改革」案。そしてもう一つは、「裁判官の任命人事への政府の関与の拡大」だという。任命時からの裁判官統制で、司法を骨抜きにしようという魂胆。
政権側は、「裁判所は民主的な組織ではない。改革案こそが民主主義の精神に合致したもの」という。言わば、三権分立を崩壊させて、ときの政権の独裁を図ろうというもの。これを「民主主義」の名のもとに断行しようというのだ。なるほど、市民が「三権分立を守れ」「民主主義を守れ」と立ち上がらざるを得ない事態である。
ネタニヤフ首相は「権力のバランスを回復する」と主張している。2022年11月の総選挙で勝利したことで、改革が有権者の信任を得ているとも訴えた。あからさまに、「国民に選ばれていない司法が力を持ちすぎている」として、最高裁による法律審査の権限を制限するというのだ。これでは、「ときの政権が絶対的な力を持ち、独裁国家になりかねない」との批判を免れない。ヒトラーの手法に似ているではないか。
もちろん、この司法改革案には、政治的な動機がある。22年12月末に新たな連立政権を発足させたばかりのネタニヤフだが、収賄罪などで19年に起訴され公判中の身である。自身の有罪判決を避けるため司法の力を弱めようとしているとの臆測がくすぶる。安倍晋三が夢みた忖度司法を、ネタニヤフも望んでいる。
それだけでなく、政権と司法の緊張をいっそう高めたのが、閣僚罷免要求事件である。最高裁は1月18日、連立与党のユダヤ教政党「シャス」の党首アリエ・デリの内相兼保健相への任命が「著しく不当」とし、ネタニヤフ政権に罷免を命じた。
脱税の罪に問われたデリは22年1月、執行猶予つきの有罪判決を司法取引で受け入れた。イスラエル基本法(憲法に相当)は、有罪判決から7年間は閣僚になれないと定める。ところがネタニヤフ支持派は政権発足の直前、執行猶予つきの場合は就任できるよう国会で基本法を改正したという。
このあたりの手続の詳細はよく分からないが、デリを閣内に取り込み、連立政権を樹立するためのお手盛りとの批判は強く、最高裁の決定に至った。ネタニヤフは同月22日、止むなくデリ氏を罷免したが、連立政権運営は顕著に難しくなった。そこで、国会の議決で最高裁の決定を覆す制度「改革」を、ということなのだという。
この改革に危機感を募らせているのは、野党や法曹だけではないという。まず、地元経済界からも懸念の声が上がっているそうだ。イスラエルはIT(情報技術)などの新興企業が勃興し投資資金を集めてきたが、「知的財産や資産の保護は司法が独立した国でこそ可能だ」「国のビジネス拠点の地位に取り返しのつかない影響を与える」という声が上がっているという。
また、「政権は『ユダヤ人優位』の国家を目指し、アラブ人ら少数派を排除しようとしている。そのため、少数派の権利を守り、民主主義の基盤となってきた司法を弱めようとしているのだ」という、司法擁護論も根強いという。
司法が、真に市民のために役に立つものとなっているとの信頼と評価があれば、司法の権威を貶めようという、司法「改革」には、市民が反対運動に立ち上がることになる。
(2023年1月28日)
仙台高裁の岡口基一判事は、ものを言う裁判官として知られる。ものを言う裁判官は、最高裁当局のお好みではない。そのことを十分に知りつつ、岡口判事はSNSでものを言い続けてきた。最高裁当局の統制に服さない裁判官として、貴重な存在である。
しかし、ものを言い続けることはリスクを背負うことでもある。今、彼は、これ以上はない大きなリスクに直面している。しかも、彼が向き合っているリスクは、司法の独立のリスクでもあり、民主主義のリスクでもあって、とうてい傍観してはおられない。
昨日、岡口判事を被告とする名誉毀損損害賠償請求訴訟の判決があった。東京地裁(清野正彦裁判長)は、請求の一部を認容して彼に計44万円の支払いを命じた。
裁判官たる者の民事訴訟での敗訴判決である。不名誉なことではあろう。しかし、裁判官とて訴えられることがあり、その結果として敗訴判決を受けることがあったとしても、けっして騒ぐほどのことではない。問題は、民事訴訟の帰趨にはなく、彼がいま受けている国会議員で構成される弾劾裁判の判決への影響を懸念せざるを得ないということなのだ。その 弾劾裁判 3回目の期日が2月8日に予定されている。
弾劾裁判における訴追事由13件のうち10件は殺人事件被害者遺族に関するもので、昨日の判決もこの殺人事件被害者遺族に関するものであった。このSNS発信が名誉毀損と認定されて民事訴訟に敗訴しても「44万円を支払え」というレベルの負担に過ぎない。ところが、同じSNSが罷免事由にあたると認定されれば、彼の裁判官としての職業生活が断たれる。のみならず、退職金は不支給となり、法曹資格も剥奪される。つまり、弁護士に転職することもできなくなる。表現行為への制裁として、量定の均衡を逸脱した明らかに苛酷に過ぎる措置。弾劾裁判の結論は、「罷免の可否」だけで中間段階の判断はない。これが、この上ないリスクである。
岡口個人について苛酷というだけでなく、裁判官の表現行為や市民的自由を束縛し、私生活上の行状に対する萎縮効果も極めて大きい。司法行政による、全国の裁判官に対する統制も強まることを懸念せざるを得ない。
ところで、昨日の判決、私は判決書きをまだ見ていない。報道されている限りでのことだが、大いに疑問のある判決だと考えざるをえない。この判決は、判例が積み上げた法理に照らして間違っていると思う。民主主義社会に不可欠な表現の自由をないがしろにしているとも思う。担当裁判官が、司法行政当局の意向を忖度してのものと考える余地もある。
この民事訴訟の原告は、東京都江戸川区の女子高校生殺害事件被害者の両親。岡口裁判官の3件の投稿で侮辱されたとして、計165万円の損害賠償を求めた。そのうち2件は請求棄却となったが、残る1件について名誉毀損と認定された。
2019年11月に岡口判事がフェイスブックに投稿した「遺族は俺を非難するようにと、東京高裁事務局及び毎日新聞に洗脳されてしまい」との文言について、判決は「遺族の名誉を毀損し、人格を否定する侮辱的表現」と認定した。さらに、裁判官として「一般のSNS利用者と一線を画する影響力があった」とし、原告である両親に各20万円の慰謝料を認めた。
私は間違った判決として、上級審で覆るとは思うが、仮にこの判決が確定するようなことがあったとしても、それゆえに岡口判事を罷免するようなことがあってはならない。司法の独立の核心は、個々の裁判官の独立にある。裁判官は、政治権力からも、社会的同調圧力からも、行政府からも、立法府からも独立していなければならない。そのために、裁判官には憲法上の身分保障がある。
にもかかわらず、現実の裁判官は、独立の気概に乏しい。その中にあって、司法行政の統制に服することなく意識的に市民的自由を行使しようという裁判官は貴重な存在である。最高裁にも政権にもおもねることなくもの言う裁判官の存在も貴重である。
そのような貴重な存在としての裁判官として、岡口基一裁判官が目立った存在となっている。明らかに、司法当局の目にも、政権・与党の目にも、目障りな存在となっている。いま、この貴重な裁判官が訴追され、国会の弾劾裁判所にかけられている。その成り行きは、我が国の「司法の独立」の現状を象徴することになる。
けっして、岡口基一判事を罷免させてはならない。
(2023年1月11日)
昨日の赤旗「学問・文化」欄に、京都の浅岡美恵弁護士の『世界で広がる気候訴訟』と題した寄稿が掲載されている。「地球温暖化を止めたい」「国の怠慢ただす市民と司法」という副題が付いている。
これまで日本の弁護士たちは、日本国憲法を拠りどころとして、さまざまな分野の訴訟に取り組んできた。一例を挙げれば、「平和訴訟」「基地訴訟」「戦後補償訴訟」「生存権訴訟」「労働訴訟」「政教分離訴訟」「教育権訴訟」「原発訴訟」「ジェンダー訴訟」「メディア訴訟」「消費者主権訴訟」「株主オンブズマン訴訟」等々。そして、分野を横断する「政策形成訴訟」の遂行を意識してもきた。
しかし、浅岡さん指摘のとおり、我が国ではこれまでのところ「気候訴訟」は話題にもなっていない。「公害訴訟」「環境訴訟」の経験と伝統は脈々とあるにもかかわらずである。
浅岡論文は世界の事情をこう解説している。
「地球温暖化を止めたい。政府の対策では間に合わない。市民のそんな思いを託した気候訴訟が世界の注目を集めています。市民や NGO が政府や企業に対して《温室効果ガスの削減目標の引き上げや適応策の強化を求めるもの》《石炭火力やガス田採掘を止めさせようとするもの》《自然の中での先住民の暮らしを守ろうとするも》《グリーンウォッシュと言われる企業の欺瞞的な広告に対する訴訟》などです。
2015年以降に特に増加し、昨年までに1200件を超え、欧州や米国だけでなく、ラテンアメリカ、オーストラリアやアジア諸国などにも広がっています。気候の危機が広く認識され、この10年の取り組みが危険な気候危機の回避に決定的に重要とされていることが、若者の訴訟提起を後押ししています。」
ところが日本では、まったく事情が異なる。
「日本では神戸製鋼の石炭火力発電所についての訴訟で、原告側には訴える権利も認められなかった(21年大阪地裁判決、22年同高裁判決)」
浅岡論文は、オランダやアイルランド、そしてフランス、ベルギー、チェコ、パキスタン、コロンビア、ブラジル、ドイツなど海外の画期的な重要判決を紹介している。その多くは、多量の温室効果ガス排出を続ける企業と国策に削減を命じるものである。紹介される判例を素晴らしいと思う。羨ましいとも思う。しかし、我が国では非常に難しい。
難しい理由は、大きくは二通りある。実体法上の問題と、訴訟法上の問題である。
実体法上の問題とは、国家や公的機関、あるいは企業に、気候変動を予防すべき具体的な法的義務が必要だということである。具体的な法的義務がなければ、その履行を求める訴訟も、義務の不履行を違法とする損害賠償請求も困難と言わざるを得ない。憲法だけからこのような義務を紡ぎ出すのは、至難の業なのだ。
訴訟法上の問題とは、《裁判を起こせるのは、自分の権利が侵害された、あるいは侵害されそうになっている人に限られる》ということ。国や企業に違法があったとしても、その違法が自分の権利に関わるという人でなければ、裁判は起こせない。
仮に明らかな違憲・違法な事実があったとしても、その違法によって自分の権利を侵害された、あるいは侵害されそうな人でなければ訴訟は提起できない。民事訴訟であれ、行政訴訟であれ、原告個人の権利に関わるものでなければ、適法な訴訟とはならず、訴えは却下即ち門前払いとなる。
三権分立についての普通の考え方は次のようなものである。国会が国権の最高機関であり、議院内閣制のもと国会の多数派が作る内閣が行政権を行使する。つまり、国会と内閣は、民主主義の理念で構成され運営される。司法は、その構成も運営も民主主義的な理念によるものではない。司法を貫くものは人権尊重の理念であって、当然のことながら多数決原理によって左右されない。司法は、人権侵害を救済する場面では立法や行政に優越するが、人権に関わらない問題には口出しをしない。それが司法をめぐる三権のバランスの取り方である。
浅岡論文には、こうある。
「2019年12月、オランダ最高裁は、気候変動による被害は現実の重大な切迫した人権の侵害であり、原告ら国民を気候変動の被害から守るために、政府に温室効果ガスの削減目標を引き上げるよう命じました」
しかもその理由中で、「世界でコンセンサスとなつている水準の削減は、法的義務」としたという。
「世界では、この判決に触発された訴訟がで提起され、アイルランド最高裁判所は20年7月に対策計画に具体性実行性が欠けているとし、同月、フランスの国務院も22年3月までに対策の強化を命じましたベルギーやチェコ共和国、パキスタンやコロンビア、ブラジルなどでも、国に対し適応対策や森林保護の対策強化を命じる判決が出ています」
浅岡さんが言うとおり、「日本の裁判所はこれまでのところ政策によって対応されるべき問題として判断を避けてい」る。人権の問題として把握していない。飽くまで選挙を通じて国会で処すべき、民主主義の課題という位置づけなのだ。 この壁をオランダ最高裁は易々と飛び越えて、「国民全体の人権の問題」とした。そのとたんに、気候変動問題については国会ではなく、裁判所がヘゲモニーを握って政策決定することになった。これも、一つのあり方ではあろう。浅岡論文の最後はこう結ばれている。
「司法も世界に目を向け、私たちや子供たち、将来世代を破壊的な気候災害から守るために、科学の指摘を受け止め、生命や自由を守る司法の使命を思い起こす必要があります」
(2023年1月2日)
新年にふさわしい明るい話題ではない。それでも、野蛮な大国の現実について警鐘を鳴らし続けねばならない。
我々は、香港についての報道を通じて、野蛮と文明との角逐を垣間見ている。残念ながら、そこでは野蛮が文明を圧倒しているのだ。野蛮とは、剥き出しの暴力に支えられた権力である。そして、文明とは『法の支配』や『権力分立』によって権力を統御し人権を擁護しようという制度と運用を指す。疑う余地なく、この意味での文明あってこそ人身の自由があり、思想の自由・表現の自由の謳歌がある。
暮れの各紙が、「中国、香港最高裁判断覆す」「国安法違反、外国弁護士の参加巡り」という見出しで、香港発の共同通信記事を報じている。
「中国の全国人民代表大会(全人代)常務委員会は(12月)30日、香港国家安全維持法(国安法)違反事件の被告の弁護人を外国の弁護士が務めることができるかどうかを巡り、香港政府トップの行政長官の許可が必要だとの解釈を示し、香港最高裁の判断を事実上覆した。許可がない場合は、香港国家安全維持委員会の決定が必要だとした。
同法違反罪に問われた民主派香港紙、蘋果日報(リンゴ日報=廃刊)創業者、黎智英氏の裁判で、香港最高裁が香港当局の主張を退け英国の弁護士の参加を認める判断を示していた。司法の独立性が後退したとの懸念がさらに高まりそうだ」
黎智英は中国共産党によって表現の自由を蹂躙されて、この上なく声価の?かった新聞(蘋果日報)の発行停止に追い込まれた。それに伴い、中国共産党によって財産権を侵害され、営業の自由を蹂躙された。さらには、不当に逮捕され、人身の自由を蹂躙された。そして今、彼は中国共産党によって刑事被告人としての弁護人選任権までが侵害されているのだ。恐るべし、野蛮な権力。
以前にも指摘したことがあるが、黎智英が英国の弁護士を弁護人として選任したのは香港の刑事訴訟法がそれを許容する制度になっているからだ。ところが、香港司法当局(日本での法務省に当たるのだろう)は、これにイチャモンを付けて、香港籍の弁護人への変更を申し立てた。その理由は、「(国安法上の)『外国勢力との結託による国家安全危害共謀罪』で起訴された被告人の弁護人を、海外で働く外国人が担当するのは国安法の立法趣旨に反し不適当」だというのだ。無罪の推定も、弁護権の保障も念頭にない、まったく無茶な権力側の発想。
さすがに、香港の高裁と最高裁はいずれも司法当局の訴えを退ける判断を下した。ところが、ここで奥の手が出てくる。香港の最高裁の判断は、全人代常務委員会の胸先三寸でひっくり返されることになった。これが、一党独裁のグロテスク。
「非理法権天」という、出所定かならぬ駄言がある。楠木正成が報じたとの伝承され、戦艦大和のマストに掲げられた幟にも書いてあったそうだが、《非は理に勝たず、理は法に勝たず、法は権に勝たず、権は天に勝たぬ》という文意だという。この中で、《法は権に勝たず》だけが意味のある内容、もちろん権力をもつ者にとっての意味である。
元来、法は権力を抑制し掣肘するためにある。「王権といえども法の下になければならない」のだ。実力に支えられた権力が、正義や理性の体系である法に縛られ従うことで文明社会の秩序が保たれる。これが《法の支配》の理念であって、《法は常に権力に勝つ》べき立場にある。これを、《法は所詮紙片に書かれた文字の羅列に過ぎない、実力装置に支えられた権力に勝ち目はない》というのは、野蛮な世界の認識なのだ。
一党独裁とは、共産党に敵対する政党の存在を許さないというだけのものではなく、徹底した国家権力の集中を意味するのだ。一国二制度の下、ごく最近まで香港には常識的な三権分立の制度が確立していた。中国が香港の自由を蹂躙したとき、香港の教科書から「三権分立」の文字が消えた。同時に香港の人権と民主主義も失われた。
三権分立の核をなすものは、司法権の独立である。法の支配において、最終的に法の解釈を確定する権限は司法にある。が、この常識は中国では通じない。香港の司法の独立は、中国共産党の支配にまったく歯が立たないのだ。
それを見せつけたのが、今回の《黎智英弁護人選任権否認事件》である。「香港の司法は、中国共産党という権力に勝てず」が立証された。
かくて香港の《文明》は、南北朝時代あるいは近代天皇制権力時代と同じ《野蛮》に敗れたのだ。
(2022年12月19日)
統一教会と伝統右翼、その主張は水と油。むしろ互いに天敵の関係。天皇を含む日本人は韓国に跪いて奉仕すべしとする教義を持つカルトと、皇国史観から旧植民地韓国を差別して恥じないレイシスト集団。しかし、本来は不倶戴天のこの両者が、「反共」の一点では連携するのだ。だから、あの歴史修正主義者・安倍晋三が、統一教会の教主には歯の浮くようなお世辞のメッセッージを送ることになる。
いま、統一教会に対する日本社会の風当たりが強い。当然に、それなりの理由あってのことである。しかし、これまで息をひそめていた教団が、少しずつ反撃を試みつつある。その主要なものが、メディアを通じての教団の主張の展開であり、スラップの提起である。また、「信者」による各自治体への要請・陳情などでも報じられている。
さらに、あらたな手段が登場した。《旧統一教会と関係断つ富山市議会決議、取り消し求め信者が「全国初」提訴》(読売)と報じられている件。
「富山市議会が世界平和統一家庭連合(旧統一教会)との関係を断つと決議したことで、憲法が保障する信教の自由や請願権を侵害されたなどとして、同市に住む50歳代の男性信者が16日、決議の取り消しと市議会を設置する市に慰謝料など350万円を求める訴訟を富山地裁に起こした。代理人弁護士によると、旧統一教会を巡る同種の決議に対し、取り消しを請求する訴えは全国初とみられる」。この原告訴訟代理人の弁護士が、伝統右翼側陣営の人物。
富山市議会の決議は9月28日におけるもの。全会一致での可決だった。「旧統一教会や関係団体と一切の関係を断つ」とす内容。その全文は以下のとおり。
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富山市議会が世界平和統一家庭連合(旧統一教会)及び関係団体と一切の関係を断つ決議
安倍晋三元総理の銃撃事件をきっかけに政治と世界平和統一家庭連合(以下「旧統一教会」という。)との関わりの深さが浮き彫りとなっている。
問題は、政治家が宗教団体と関わることではない。消費者の不安をあおり、高額な商品を購入させる「霊感商法」などで大きな社会問題となった団体とのつながりを持ってきたことにある。
藤井市長並びに当局は、旧統一教会及び関係団体との関係について調査し、記者会見並びに議会でも公表した。富山市議会も藤井市長並びに当局と同じく、議会として過去の関係について次の通り調査し公表する。
1 各会派と旧統一教会及び関係団体との関係の有無について調査する。
2 会派として関係があった場合は、その内容について調査する。
3 会派の政務調査活動や政策立案の判断に影響が及んでいないか調査する。
4 以上のことを会派が取りまとめ議会として公表する。
藤井市長並びに当局は、旧統一教会は極めて問題のある団体として、旧統一教会及び関係団体とは一切関わりを持たないことを決意し、表明した。
富山市議会も、藤井市長並びに当局と同じく旧統一教会及び関係団体と今後一切の関係を断ち切ることを宣言する。
令和4年9月28日
富山市議会
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この決議を違憲違法というのだから恐るべき偏見。恐るべき没論理。意見は勝手だが、被告となる自治体の住民に迷惑をかけてはならない。
この決議についての一般紙の報道は、下記のように簡略である。
「訴状で男性は、決議について『市における信者の政治参加を全面的に排除するものだ』と主張。取り消しを求める請願をしようと複数の市議にかけ合ったが、決議の尊重を理由にいずれも断られたといい、信仰を理由に不当な差別待遇を受けたとしている。
また、決議自体についても、憲法が定める信教の自由や法の下の平等に反すると訴えている。」
このようにしか報道されないのは、箸にも棒にもかからない、敗訴確実の提訴だからだ。行間に、記者の嘲笑が聞こえるような記事の書き方。
ところが、統一教会の機関紙と目される「世界日報」だけは調子が異なる。内容が妙に詳細なのだ。タイトルは、「富山市を憲法違反で提訴 旧統一教会信者 断絶決議で請願権侵害」(2022年12月17日)
「富山県富山市の男性が16日、自身が世界平和統一家庭連合(旧統一教会)の信者であることから市議会への請願を受け付けられなくなったことは憲法違反であるとして、富山市を相手取った訴訟を起こした。
背景にあるのは、安倍晋三元首相銃撃事件で逮捕された容疑者が旧統一教会への恨みを供述したとの報道から激しい旧統一教会批判が巻き起こり、政党が競うように同教団との関係断絶をアピールしたことだ。
特に自民党総裁である岸田文雄首相が8月31日、自民党と教団関連団体との長年の関係を陳謝し、同教団と一切の関係を断絶すると宣言。その後、自民党は地方組織にも通達した。
来年に統一地方選挙を控えて各地の地方議会で教団との接点が政治材料となり、関係断絶を求めるなどの決議案が主に共産党から提出されている。が、富山市議会では、党中央の方針を受け自民党市議団から教団との関係を断絶する決議案を提出し、9月28日に可決した。
富山市を相手取った原告の代理弁護人がツイッターで公表した訴状によると、原告の男性Yさんは現市長や自民党市議団所属の議員を応援し、選挙協力してきたという。しかし同決議を理由に請願の紹介議員となることを断られたという。
Yさんは、『何人も…請願する権利を有し、何人も、かかる請願をしたためにいかなる差別待遇も受けない』とする憲法16条、同14条の法の下の平等、同19条の思想良心の自由、同20条の信教の自由などに違反するとして、同決議の取り消しと請願権を侵害された損害などから慰謝料など350万円の支払いを富山市に求めた。
直近の選挙まで篤い支持を選挙で受けながら、教団の信仰を理由に信者が投票した議員が請願を拒否する問題は国政から地方にまで広がっている。このような「関係断絶」決議案を否決する地方議会もあれば、可決する地方議会もある状況だが、要は基本的人権にかかわる問題だ。」
こう詳しく報道されれば、一見して無理筋の訴訟であって、勝ち目のなさが明々白々である。被告の自治体(議会)が、こんな提訴で萎縮することはあるまいが、応訴の費用は自治体住民の負担となる。富山市は、この提訴にかかった全費用を、原告の「Yさん」に請求すべきであろう。また、場合によっては、共同不法行為として原告代理人の弁護士にも請求してしかるべきである。
そのようにして、傍迷惑な濫訴を防止する必要がある。この手の濫訴の放置は民主主義の脆弱化につながりかねないのだから。
(2022年12月16日)
中国は師である。多くのことを教えてくれる貴重な存在。民主主義や人権についての恰好の反面教師。けっして、ああなってはならないのだ。
とりわけ、香港から見える中国の姿が教訓に満ちている。おそらくは、ウィグルやチベットから見ればさらに深刻な教訓が得られるのだろうが、残念ながら報道が極端に少ない。
香港からの報道で身に沁みて学ぶべきは、権力集中というグロテスクの危険であり恐さである。中国は具体的な実例をもってそのことを教えてくれている。真剣に学ばねばならない。
一党独裁とは、共産党に敵対する政党の存在を許さないというだけのものではなく、徹底した国家権力の集中を意味するのだ。一国二制度の下、ごく最近まで香港には常識的な三権分立の制度が確立していた。中国が香港の自由を蹂躙したとき、香港の教科書から「三権分立」の文字が消えた。同時に香港の人権と民主主義も失われた。その後学校現場に持ち込まれたものは、愛国教育の徹底であった。
具体例として報道されたのは、「(香港の法制度の特徴は)三権分立の原則に従い、個人の自由と権利、財産の保障を極めて重視する」との教科書の記述が削除され、代わって「デモで違法行為をした場合、関連の刑事責任を負う」との記述が加えられたという。恐るべき中国共産党、恐るべき一党独裁、恐るべき偏向の洗脳教育ではないか。
三権分立の核をなすものは、司法権の独立である。法の支配において、最終的に法の解釈を確定する権限は司法にある。が、この常識は中国では通じない。香港の司法の独立は、中国共産党の支配にまったく歯が立たないのだ。
それを見せつけたのが、以下の共同配信の記事。毎日新聞は、「香港最高裁判断、全人代が変更の可能性 りんご日報創業者の弁護巡り」という見出しで報じた。
「香港政府は(22年)11月29日までに、香港国家安全維持法(国安法)違反罪に問われた民主派香港紙、蘋果(ひんか・りんご)日報(廃刊)創業者、黎智英氏の弁護人を英国の弁護士が務めることを認めた最高裁の判断は不当だとして、中国の全国人民代表大会(全人代)常務委員会に法解釈の判断を求めた。
香港メディアは最高裁の判断が覆される可能性が高いと報じており、司法の独立性の後退に懸念が高まっている。」
黎智英が英国の弁護士を弁護人として選任したのは刑事訴訟法がそれを許容する制度になっているからだ。ところが、香港の司法当局(日本での法務省に当たるのだろう)は、これにイチャモンを付けて、弁護人の変更を申し立てた。その理由は、「国安法の外国勢力との結託による国家安全危害共謀罪で起訴された黎氏の弁護人を、海外で働く外国人が担当するのは国安法の立法趣旨に反し不適当」だというのだ。無罪の推定も、弁護権の保障も念頭にない、まったく無茶な主張。
さすがに、香港の高裁と最高裁はいずれも司法当局の訴えを退ける判断を下した。ところが、ここで奥の手が出てくる。香港の最高裁の判断は、全人代常務委員会の胸先三寸で、ひっくり返すことができるのだ。これが、一党独裁のグロテスクさ。
既に、香港最高裁のこの件の判断に対しては、中国政府で香港政策を担当する「香港マカオ事務弁公室」が11月28日に「国安法の立法精神と論理に反している」と非難する声明を出しているという。既に、万事休すなのだ。
意気阻喪しているところに、今度は元気の出るニュース。「天安門追悼計画、民主派逆転無罪 香港・高裁」という、昨日の毎日新聞記事。
「香港の高裁は14日、中国当局が民主化要求運動を武力弾圧した天安門事件(1989年)の犠牲者を追悼する昨年の集会計画を巡り、無許可集会扇動罪に問われた香港の民主派団体元幹部(弁護士)に対し、1審有罪判決を取り消し、無罪を言い渡した。
香港当局は2020年の香港国家安全維持法(国安法)施行後、民主派への締め付けを強化。デモ開催などを無許可集会に当たるとして、民主派が有罪判決を受ける中、無罪判決は異例。」
一審判決禁錮1年3月(実刑)からの逆転無罪である。公訴事実は、昨年6月4日天安門追悼集会を企画し宣伝した「無許可集会扇動罪」。弾圧された民主派が次々と有罪判決を受ける中、無罪判決は異例だという。
もしかしたら、この判決は最高裁で逆転させられるかも知れない。さらには、またまた北京のご意向で無罪判決は吹き飛ばされるかも知れない。それでも、自分の良心に忠実に無罪判決を書く裁判官の存在に胸が熱くなる。制度よりは、このような人の信念にこそ、民主主義が生きているのだ。
中国共産党はいろんな教訓を教えてくれる。やはり、貴重な「師」以外のなにものでもない。
(2022年11月1日)
本日午後2時、東京地裁庁舎内の司法記者クラブで記者会見し、「統一教会のスラップを批判する弁護士・研究者・ジャーナリスト声明」を発表した。正式のタイトルは、「報道機関各社は旧統一教会からのスラップ訴訟に萎縮することなく市民の知る権利に真摯に応えた報道姿勢を堅持されたい」というもの。
声明を掲載する特別のサイトはない。本日の当ブログに、全部の記録を掲載することとする。
以下に、(1) 記者会見概要の説明、(2) 10月11日付け呼び掛け文、(3) 呼び掛けの主体となった「23期・弁護士ネットワーク」の個人名、(4) 声明文本体、(5)スラップの被告とされた各メディアに対するご通知、の順で掲載する。これで、経緯と声明の内容はお分かりいただける。
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2022年11月1日
「旧統一教会スラップ批判声明」のご説明
本日、旧統一教会が9月29日東京地裁に提訴した3件のスラップ訴訟について、これを批判する立場からの声明を発表いたします。
声明の趣旨は、「報道機関各社が、スラップに萎縮して統一教会批判の言論を自主規制するようなことがあってはならない」「報道各社には、怯むことなく、市民の知る権利に真摯に応えた報道姿勢を堅持していただきたい」というものです。
この声明を呼びかけたのは、23期・弁護士ネットワーク。その個人名は別紙に記載したとおりの26名(23期弁護士22名と客員4名)です。弁護士を主に、親しい研究者・ジャーナリストにも賛同を呼びかけ、呼びかけ人を含む全声明賛同者は下記のとおりとなりました。
弁護士 212名
研究者 29名
ジャーナリスト 5名
その他(宗教者など) 25名 (総数271名)
本日、声明を被告とされた各社にお届けするとともに、この声明を公表することによって全報道機関各社やジャーナリストの皆様への声援としたいと思います。
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2022年10月11日
弁護士・研究者・ジャーナリストの皆様に、別紙声明への賛同の呼びかけ
「報道機関各社は旧統一教会からのスラップ訴訟に萎縮することなく
市民の知る権利に真摯に応えた報道姿勢を堅持されたい」
人権や民主主義擁護に活躍していらっしゃる弁護士・研究者・ジャーナリストの皆様に、別紙声明への賛同を呼びかけます。
私たちは、1969年に司法修習生となった同期(23期)の弁護士です。1971年に弁護士や裁判官となって以来今日までの50年余、一貫して日本国憲法の理念を大切にする立場で職業生活を送ってきました。
この同期のなかには、長年にわたって法廷で統一教会と対峙してきた者、スラップ訴訟と闘ってきた者、メディアの表現の自由を擁護してきた者、真実の隠蔽を許さずとして情報公開問題に取り組んできた者、消費者被害救済をライフワークとしてきた者、等々がいます。
これまで、同期の気安さから忌憚なく懇談を重ねてきましたが、時として、どうしてもこの件については意見をまとめて公表しようという気運が高じることがあります。この度、そのような、やむにやまれぬ思いから多くの弁護士や研究者、ジャーナリストの皆様に別紙の声明へのご賛同を得たく呼びかける次第です。
ことは、統一教会による、放送メディアと番組出演の弁護士とを被告とした名誉毀損損害賠償請求訴訟の提起です。これによって、報道機関各社が萎縮して統一教会批判の言論を自主規制するようなことがあってはならない。報道各社には、怯むことなく、市民の知る権利に真摯に応えた報道姿勢を堅持していただきたいという趣旨です。是非、所定のURLをご使用の上、声明にご賛同ください。月内に賛同署名を締め切り、11月の冒頭に公表いたします。
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23期・弁護士ネットワーク
「旧統一教会スラップ批判」声明
呼びかけ人(23期・弁護士ネットワーク)個人名
(23期弁護士)
梓澤和幸 (東京)
井上善雄 (大阪)
宇都宮健児 (東京)
大江洋一 (大阪)
木嶋日出夫 (長野)
木村達也 (大阪)
児玉勇二 (東京)
郷路征記 (札幌)
阪口徳雄 (大阪)
澤藤統一郎 (東京)
瑞慶山茂 (千葉)
豊川義明 (大阪)
野上恭道 (群馬)
野田底吾 (兵庫)
本多俊之 (佐賀)
藤森克己 (静岡)
松岡康毅 (奈良)
村山 晃 (京都)
森野俊彦 (大阪)
山田幸彦 (愛知)
山田万里子 (愛知)
吉村駿一 (群馬)
(以下・客員)
野原 光 (広島大学・長野大学名誉教授)
西川伸一 (明治大学教授・政治学)
北村 栄 (弁護士・愛知)
本田雅和 (ジャーナリスト) 以上26名
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(声明文)
2022年11月1日
「報道機関各社は旧統一教会からのスラップ訴訟に萎縮することなく
市民の知る権利に真摯に応えた報道姿勢を堅持されたい」
本年9月29日、旧統一教会(現名称「世界平和統一家庭連合」)が、テレビ番組での出演者の発言を同教会に対する名誉毀損として、各テレビメディアと発言者である各弁護士を被告とする3件の損害賠償請求訴訟を提起しました。賠償請求金額は合計6600万円、謝罪放送の請求もされています。
私たちは、この訴訟提起を看過し得ない重大事と受けとめました。その主な理由は下記の3点にわたるもので、報道機関各社をはじめとする関係者に適切な対応を要請するだけでなく、広く社会に大きな問題ととらえていただくよう訴えます。
第1の理由は、各提訴とも報道機関を標的とした表現の自由への挑戦であり、市民の知る権利に蓋をしようとする企てだという点にあります。
旧統一教会は、各訴訟において被告として特定した報道機関だけでなく、あらゆる分野のメディアに対して、旧統一教会問題追及の言論を威嚇し牽制して、批判を封じようとしているものと指摘せざるを得ません。
最近の旧統一教会と政権与党との癒着をめぐる報道には、目を瞠らせるものがあります。日本の政治構造の根幹にも関わる重大な問題として、多くの人々が関心をもって関連報道に注視してきました。
万が一にも、報道機関各社が本件各提訴に萎縮して、旧統一教会批判の報道や番組編成に支障が生じるとすれば、日本の民主主義の行方にも関わるものとして憂慮せざるを得ません。放送に限らず各分野における報道機関は、是非とも、この重大な時期に重大な報道を萎縮することなく、視聴者・市民の知る権利に真摯に応えて、ジャーナリズムの本領を発揮されるよう要望いたします。
第2の理由は、本件提訴がいわゆる「スラップ訴訟」であることです。
正確な定義は困難ですが、「自分を批判する言論を威嚇し萎縮させる目的で提起される民事訴訟」をスラップ訴訟と言って間違いはありません。多くの場合、その目的のためにスラップは高額請求訴訟となります。直接被告とされた者に心理的負担と応訴費用の経済的負担を余儀なくさせるだけでなく、被告以外の周辺にも言論萎縮の効果をもたらします。
状況から見て、本件3訴訟は、被告とされた報道機関と発言者を威嚇することで旧統一教会批判の言論封じを目的とした、典型的なスラップ訴訟と考えざるを得ません。民事訴訟本来の役割は、法的正義の実現であり、また社会的弱者の権利救済にあります。本件のごとき民事訴訟の濫用を、法の適正な運用に関心をもつ者としてとうてい看過し得ません。
私たちは、スラップ訴訟を成功させてはならないと考え、その被害者に状況に応じた適切な支援を惜しみません。
第3の理由は、本件各訴訟がいずれも、旧統一教会によるさまざまな被害を救済し、あるいは防止しようという運動の妨害を目論むものだからです。
各訴訟の被告とされている弁護士は、旧統一教会の霊感商法被害救済を求めて闘ってきた人、あるいは現時点で旧統一教会のあり方を批判する立場を鮮明にしている人です。その人たちを被告として高額の損害賠償を請求することは、現在高揚しつつある旧統一教会による種々の被害救済・防止の施策や運動の進展を牽制し妨害することを意味しています。
霊感商法被害・高額献金被害・二世信者被害等々の旧統一教会による種々の被害の救済や防止策が、社会的な注目の中で行政をも巻き込んで進展しつつある現在、これを妨害しようという提訴を許してはならならず、全ての関係者に毅然たる姿勢の堅持を期待いたします。
私たちは、以上の理由から、旧統一教会が提起した各訴訟の被告となった各弁護士、報道機関各社を激励するとともに、全ての報道機関・メディアに対して旧統一教会への正当な批判報道に萎縮することがないよう訴え、ひろく社会に同様のご支援をお願いする次第です。
23期・弁護士ネットワークと
賛同の弁護士・研究者・ジャーナリスト
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2022年11月1日
〒540-8510 大阪市中央区城見1丁目3番50号
讀賣テレビ放送株式会社
代表取締役 大橋善光様
23期・弁護士ネットワーク
「声明」呼びかけ人26名の一人として
弁護士 澤 藤 統 一 郎
「旧統一教会スラップ批判声明」のご送付
本日、弁護士212名・研究者29名・ジャーナリスト5名・その他市民(宗教者など)25名の総数271名の連名で、別紙の声明を発表いたしました。
その内容は、旧統一教会が9月29日東京地裁に提訴した3件のスラップ訴訟について、統一教会を厳しく批判する立場からのもので、声明の趣旨は、「報道機関各社が、スラップに萎縮して統一教会批判の言論を自主規制するようなことがあってはならない」「報道各社には、怯むことなく、市民の知る権利に真摯に応えた報道姿勢を堅持していただきたい」というものです。
この声明を起案し呼びかけたのは、23期・弁護士ネットワーク。その個人名は別紙に記載したとおりの26名(23期弁護士22名と客員4名)です。この26名が、親しい弁護士を主に、研究者・ジャーナリストにも賛同を呼びかけて、本日の声明となりました。
被告とされた御社に本声明をお届けするとともに、スラップに屈することなく、今後とも全社を挙げてジャーナリズムの本道を歩まれ、旧統一教会の問題性を掘り下げる報道を継続されるよう期待申し上げます。
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2022年11月1日
〒107-8006 東京都港区赤坂五丁目3番6号
株式会社TBSテレビ
代表取締役 佐々木 卓 様
(以下、同文)