(2023年4月13日)
ご存じのとおり、旧統一教会は、自分への批判の言論を嫌って、紀藤正樹弁護士、本村健太郎弁護士、八代英輝弁護士らの発言に対するスラップ訴訟を提起しています。ジャーナリストの有田芳生さんも、日本テレビと共に理不尽な提訴を受けた一人です。私たちは、有田さんの事件について闘う仲間であり弁護団ですが、表現の自由保障の立場から、5件の統一教会スラップ訴訟のすべてで、力を合わせて早期に勝利しなければならないと考えています。
5月16日、下記のとおり「旧統一教会スラップ訴訟・有田事件」の第1回口頭弁論期日が開かれます。そして、閉廷後に報告集会を企画しています。是非、傍聴と集会にご参加下さい。報告集会は、関連する他事件の当事者ご本人や弁護団にご参加を呼び掛け、共に闘う第一歩にする所存です。
「旧統一教会訴訟・有田事件」第1回口頭弁論期日日程
時 5月16日(火)14:00〜
所 東京地裁103号法廷(傍聴券発付が予想されます)
進行 訴状・答弁書・準備書面陳述
有田芳生さん、光前幸一さん(弁護団長)、意見陳述
「有田事件」第1回口頭弁論期日後報告集会
時 5月16日(火)15:00〜17:00
所 日比谷公園内・日比谷図書文化館(地下ホール) 200人収容
内容 記念講演 島薗進氏
「共に闘う」立場からの発言 望月衣塑子氏・佐高信氏
有田訴訟並びに関連各訴訟当事者・弁護団からの挨拶と報告
なお、統一教会関係者の立入りは厳にお断りいたします。
有田芳生さんと共に旧統一教会のスラップ訴訟を闘う会
「旧統一教会スラップ訴訟・有田事件」弁護団
(2023年3月30日・連日更新満10年まであと1日)
時折、産経新聞が私のメールにも記事を配信してくれる。友人からの紹介で、ネットの産経記事を読むこともある。他紙には出ていない、いかにも産経らしい取材対象が興味深い。そして独特の右側に寄り目でのものの見方が面白い。営業成績の苦境を伝えられている産経だが、メデイアには多様性があってしかるべきだ。
下記は、3月26日19:30のネット記事である。藤木祥平という記者の署名記事。
https://www.sankei.com/article/20230326-42GTY2H7FBKP7PRKWKKAROYUSM/
「板垣死すとも?」死せぬ自由誓い安倍氏慰霊祭、憂国の遺志「重ねずにはいられない」
この見出しだけでは何のことだか分からない。が、板垣退助と安倍晋三とを重ね併せて、両人ともに「自由を死なせずに擁護した」立派な政治家と持ち上げるイベントを取材し、なんともクサイ記事にまとめたもの。いかにも、産経らしさの滲み出た興味津々たる記事である。
この記事のリードを引用するのが分かり易い。「板垣死すとも自由は死せず」?。明治15(1882)年、自由党の党首として自由民権運動を推進していた板垣退助は岐阜で遊説中に暴漢から襲われた際、こう叫んだとされる。昨年7月、奈良市で参院選の演説中に安倍晋三元首相が銃撃され死亡したのは、板垣の「岐阜遭難事件」から140年の節目。命がけで国を憂いた2人の政治家を「重ねずにはいられない」として26日、板垣の玄孫(やしゃご)らが大阪市内で安倍氏の慰霊祭を営み、彼らの精神を受け継ぐ決意を新たにした」
「板垣退助先生顕彰会」なるものがあるという。1968年、板垣の50回忌に佐藤栄作が名誉総裁となって設立された団体だそうだ。土佐の板垣退助の顕彰を長州出身の佐藤がなぜ? ではあるが、その説明はない。そして、2018年の100回忌に合わせ位牌を新調する際、当時の自民党総裁であった安倍晋三に依頼した。こうして、「板垣ゆかりの高野寺(高知市)に奉納されている位牌には、彼の不屈の精神を表すあの叫びが刻まれている。その言葉を揮毫したのが安倍氏だった」という。
「あの叫び」というのが、「板垣死すとも自由は死せず」という独り歩きしている例のフレーズである。本当に板垣がそう言ったのかは大いに疑わしい。捏造説の方が随分と説得力があるが、それはさて措く。明らかなのは、板垣退助を「自由民権を希求した政治家」と持ち上げるのは、何らかの魂胆あってのフェイクに過ぎないことである。
岐阜で暴漢に襲われた1882年4月当時、確かに彼は自由党の総理として高揚する「自由民権運動の旗手」であった。しかしすぐに変節する。本来の彼に戻ったというべきかも知れない。
同年11月から翌年6月まで、彼はヨーロッパに外遊してしまうのだ。自由党に対する弾圧事件が頻発する中で、闘わずして逃げ出したと言ってよい。当時の彼に洋行の費用の工面ができたはずはない。政府の仕掛けに乗り、三井の金で懐柔されたのだ。もちろん、帰国後に板垣が反体制の立場で奮闘したわけではない。解党論を説いて、1884年には自由党を解散させている。
その後、板垣は伯爵となり、政治家としては2度の内務大臣にもなっている。自由民権の活動家ではなく、藩閥政治の保守政治家になりさがったのだ。だから、どっぷり保守の佐藤栄作や安倍晋三とは相通じるところがあるのだろう。それだけではない。板垣については、こんなエピソードが残っている。
板垣洋行の直前に、洋行資金の出所に疑惑ありと世に騒がれた自由党は、「板垣退助総理の外遊反対」を決議している。この決議を突きつけられた板垣は、党の幹部連に対して、「他日若し今回の事件にして、余に一点汚穢の事実の確証する者あらば、余は諸君に対して、其罪を謝するに割腹を以てせん」と誓約している。
割腹は大仰だが、「私はけっして悪くない。政治家としての命を賭ける」という言い方は、安倍とおんなじだ。森友事件発覚初期における安倍晋三の17年2月17日国会答弁、「繰り返して申し上げますが、私も妻も一切、この認可にもあるいは国有地の払い下げにも関係ないわけでありまして…、私や妻が関係していたということになれば、まさに私は、それはもう間違いなく総理大臣も国会議員もやめるということははっきりと申し上げておきたい」は、板垣の誓約となんと酷似していることだろう。
もちろん、その後の板垣が腹を切ることはなく、安倍晋三も職を辞していない。板垣と安倍晋三、高潔さを欠く点でも自分の言葉に無責任な点でもよく似た人物なのだ。もともと、反権力とも自由とも無縁の人物。ちょっと気取って、似合わぬながらの「自由の旗手」のポーズをとって見たことがある程度。
とはいうものの、この産経記事の中には次のような関係者の言葉が連ねられている。「(安倍晋三)総理の優しいお人柄を垣間見ることができた」「板垣は肉体としては亡くなったが、その精神は滅びない」「自由民権運動は終わってなどいない。今の政党政治に受け継がれている」「民意を問う選挙の最中に行われたこの暴力的行為を許すことはできない」「(安倍氏は)客観的にも、国民から最も愛された首相だ」「事件の重大さを今一度思い返してほしい」。さすが産経である。
(2023年1月5日)
昨日、1月4日が世の「仕事始め」。首相である岸田文雄も、この日仕事を始めた。その一年の最初の仕事が伊勢神宮参拝という違憲行為。年頭の記者会見を伊勢市で行うという、何ともグロテスクな時代錯誤。
いま、統一教会のマインドコントロール被害をめぐって、「政教分離とは何か」、「信教の自由の本質をどう見るのか」、「統一教会加害の社会心理学的背景は何であるのか」という真摯な論議が巻きおこっている。そのさなかでの天皇の祖先神を祀る神社への年頭参拝の無神経。戦前の天皇教は、日本国民1億をマインドコントロールすることに成功した。その残滓をどう克服するかが、マインドコントロールから解き放たれた戦後民主主義の最大の課題であったはず。にもかかわらずの天皇教本殿への首相参拝である。意識的か無意識か、政権トップが憲法の理念を尊重しようという姿勢に著しく欠けるのだ。この国の立憲主義は、まことに危うい。
その点では、立憲民主党・泉健太も負けてはいない。何と、元日には乃木神社の写真をツィッターに掲載したのだ。これに対する当然の批判に、感情的な反発をして物議を醸している。
彼の1月3日ツィッターはこう言う。
「『乃木神社に参拝したら軍国主義に追従すると批判されても仕方ない』とか、もう酷いもんだ。そうした考えの方がよっぽど危険。私は過去の歴史に学ぶし、教訓にもする。乃木神社創建の経緯もある程度は知っている。でも当然だが、軍国主義者ではない。本当に失礼な話。」
彼が、歴史を学ぶ姿勢をもっているとは思えない。よく似た論理を繰り返し、聞かされてきた。中曽根や、小泉や、安倍晋三や高市が、下記のように言ってたことと変わりはない。要は、政治家としての民主主義的な感度が問われているのだ。
「『靖国神社に参拝したら軍国主義に追従すると批判されても仕方ない』とか、もう酷いもんだ。そうした考えの方がよっぽど危険。私は過去の歴史に学ぶし、教訓にもする。靖国神社創建の経緯もある程度は知っている。でも当然だが、軍国主義者ではない。本当に失礼な話。」
前川喜平が、冷静にこう批判している。「明治天皇に殉死した長州閥の軍人を神と崇める行為。無自覚なのか意図的なのか知らないが、これにより失う支持者は、得られる支持者より多いだろう。」
乃木は、天皇制の時代に忠君愛国の手本となった軍人。君国のために多数の部下に「死ね」と命じた愚将の典型。これを神として祀る神社への参拝は、極右や安倍晋三崇拝者にのみふさわしい。およそ、平和や、民主主義や人権を口にする人が足を運ぶところではない。
1月4日朝の泉ツィッターには、さらに驚かざるを得ない。
「本日は伊勢神宮参拝と年頭記者会見の予定です。『皇室の弥栄』『国家安泰』『五穀豊穣』を祈願するとともに、やはり全国民皆様の』平和」と「生活向上」が大切。そのために一層働くことを誓ってまいります」
岸田に張り合って、泉も伊勢参拝なのだ。その上で、まず『皇室の弥栄』『国家安泰』を祈願するという。この人何を学んできた人なのだろうか。いまだに、天皇教のマインドコントロールに縛られたままのお人のようである。
もう一つ、1月4日毎日朝刊の古賀攻(専門編集委員)コラム「水説」に驚いた。『憲法1条を顧みぬ国』という表題なのだ。内容は、天皇の血統が絶えることを憂慮して対策を講ずるべきだという趣旨である。天下の毎日の編集委員がこう言い、毎日が恥ずかしげもなく紙面に掲載する、その現実を嘆かざるを得ない。
憲法第1条は、こう述べている。
「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権 の存する日本国民の総意に基く。」
この憲法第1条は、天皇を主語にしてはいるが、国民主権宣言条項である。天皇主権を否定し、天皇の地位は主権者国民が認める限りのものに過ぎないと明示する。国民主権の欠如を『憲法1条を顧みぬ国』と愁うるのは分かる。が、「このままだと皇室は確実に核家族化し、将来の天皇を身近に支える皇族がいなくなってしまう」と嘆いてみせる前に、日本の民主主義や人権のあり方をこそ嘆くべきだろう。
このコラムの書き出しはこうである。
「3年ぶりの新年一般参賀に姿を見せた皇族が<少ない>と思ったのは気のせいで、実際には愛子さまと眞子さんの入れ替わりだけだという。こちらが心配性になっているせいかもしれない。」
つまらぬことを心配しているというにとどまらない。愛子『さま』と眞子『さん』の使い分けがばかばかしい。
世襲という制度は忌むべきものである。人は平等であるという文明社会の公理に反する。克服すべき人間不平等時代の野蛮な遺物である。社会は、政治家の世襲については批判する。資産家の二代目三代目も軽蔑する。しかし、世襲制度の本家は皇室であろう。皇室や皇族の世襲をこそ批判しなければならない。
このコラムは、最後をこう締めくくっている。
「憲法1条は、天皇を国および国民統合の象徴、その地位を「主権の存する国民の総意に基づく」と定める。憲法秩序の骨格なのに、(皇位継承の安定化措置を提言する)17年前の首相演説はうやむやになり、国会が求めた報告も放置したまま。それで済ませる感覚が不思議でならない」
私はこう思う。天皇を「憲法秩序の骨格」と言ってのける感覚の論説委員がいまだに存在し、大新聞がそのような論説を掲載することが、不思議でならない。
伊勢神宮・乃木神社・天皇は、国家神道・軍国主義・権威主義・世襲制に貫かれている。いずれも御しやすい国民精神を涵養するためのマインドコントロールの小道具、大道具にほかならない。そして今、これを批判しないマスメディアに支えられている。
(2022年11月18日)
昨日、タイのバンコックで、3年ぶりとなる日中首脳会談が実現した。「両首脳は、今後の日中関係の発展に向けて、首脳間も含めあらゆるレベルで緊密に意思疎通することで一致した」と報道されている。結構なことだ。習近平とも、プーチンとも、金正恩とも、機会があればではなく、機会を作って旺盛な対話を重ねることが大切だ。笑顔で握手できればもっとよい。懸案解決の合意ができなくても、合意の形成に向けて協議を継続すること自体が重要な意味をもつ。外交は、とにもかくにも対話から始まるのだから。
もちろん、昨日の会談が両国間の懸案を解決するものではない。穏健なNHKニュースも、「尖閣諸島をめぐる問題などの懸案が残る中、今後、関係改善を具体的に進められるかが課題となります」「岸田首相は、中国が日本のEEZ=排他的経済水域を含む日本の近海に弾道ミサイルを発射したことなど日本周辺の軍事的活動に深刻な懸念を伝えるとともに、台湾海峡の平和と安定の重要性を強調しました。」と報道している。笑顔での対話の舞台に、懸案事項解決の糸口を探らねばならない。
本日の毎日新聞朝刊トップは、もう少し突っ込んで、「首相は沖縄県・尖閣諸島を含む東シナ海情勢や、中国による弾道ミサイル発射など軍事的な活動に『深刻な懸念』を表明し『台湾海峡の平和と安定の重要性』を強調した」「岸田首相は中国での人権問題や邦人拘束事案などについて日本の立場に基づき、申し入れをした。日本産食品に対する輸入規制の早期撤廃を強く求めた。」などと報じている。日本側が中国との関係で抱える、懸案事項はいくつもあるのだ。
この会談が中国側では、どう報じられているか。中国事情に詳しい知人が「習近平・岸田文雄日中首脳会談の新華社報道」を送信してくれた。次のような添え書きがある。「今回はマイクロソフトのワードにある翻訳ソフトを利用しました。原文が先で日本語訳は後になっております。以前よりかなり進歩した翻訳結果が出ている気がします。」
ややたどたどしい日本語だが、新華社の報道の内容はほぼ分かる。驚いたのは、「習氏は」で始まる部分が圧倒的な分量で、「岸田文雄氏は」の部分は、4分の1もなさそうである。その全文(訳文のママ)が次のとおり。
「岸田文雄氏は、昨年 10 月に電話に成功し、新時代の要求に合致した日中関係の構築に合意したと述べた。現在、様々な分野での交流と協力が徐々に回復しています。 日中は隣国として、互いに脅威をもたらさず、平和に共存する必要がある。
日本の発展と繁栄は中国と不可分であり、その逆も同様である。
日本は、中国が自らの発展を通じて世界に積極的に貢献することを歓迎する。 日中協力は大きな可能性を秘めており、両国は地域及び世界の平和と繁栄に重要な責任を負っており、日本側は日中関係の健全かつ安定的な発展を達成するために中国と協力する用意がある。」
これに、主語不明の次の文章が続いて終わる。
「台湾問題については、日中共同声明で日本側が行った約束に変化はなかった。 中国との対話とコミュニケーションを強化し、日中関係の正しい方向を共にリードしたいと思います。」
これでは、日中間の懸案事項はまったく存在しないがごとくではないか。日本側の安全保障や人権問題、とりわけ台湾海峡や尖閣の問題についての切迫した問題意識は中国国民に伝わるはずもない。
一昔前のことだが、シンガポールの新聞記者で、日本語が上手な陸培春(ルー・ペイ・チュン)さんからアジア各紙のジャーナリズム事情について話を伺ったことがある。韓国・台湾・香港・タイ・インドネシアなどの話を聞いた後、「中国のジャーナリズムはどうなんでしょうか?」と聞いた。彼は怪訝そうな顔をして、「中国にジャーナリズムは存在しません」との記憶に残る一言。フーム。なるほど。
新華社の記事は党が、国民に知らせたいことだけを伝えているのだ。情報の統制によるマインドコントロールではないか。
念のために、習近平発言報道部分も、掲載しておく。これが中国流のメディアのあり方なのだ。
「習近平国家主席は現地時間 11 月 17 日午後、タイのバンコクで日本の岸田文雄首相と会談した。
習氏は、今年、中国と日本は国交正常化 50 周年を記念すると述べた。
過去 50 年間、双方は 4 つの政治文書と一連の重要な合意に達し、様々な分野での交流と協力が実りある成果を挙げ、両国の国民に重要な幸福をもたらし、地域の平和、発展、繁栄を促進した。 中国と日本は隣国であり、アジアと世界の重要な国であり、共通の利益と協力のための多くのスペースを持っています。 日中関係の重要性は変わらない。
中国は、戦略的観点から二国間関係の方向性を把握し、新時代の要求に合致した日中関係を構築するために、日本側と協力する用意がある。
習氏は、双方が誠実に接し、信頼を交わし、中国と日本の 4 つの政治文書の原則を堅持し、歴史的経験を総括し、互いの発展を客観的かつ合理的に捉え、「パートナーとして、互いに脅威を与えない」という政治的コンセンサスを政策に反映すべきであると強調した。歴史、台湾、その他の主要な原則の問題は、二国間関係の政治的基盤と基本的な信義に関係しており、その約束を堅持し、適切に対処しなければならない。
中国は他国の内政に干渉せず、いかなる口実で中国の内政に干渉も受け入れない。
習氏は、中国と日本の社会システムや国情は異なっており、双方は互いに尊重し、疑念を払拭すべきであると強調した。
海洋・領土紛争については、合意された原則的な合意を堅持し、政治的知恵を示し、相違を適切に管理するための責任を担うべきである。双方は、地理的近接性、人的交流、政府、政党、議会、地方、その他のチャネル間の交流と交流、特に長期的な視点で青少年交流を積極的に行い、相互の客観的かつ前向きな認識を醸成し、人々の心と心の共通性を促進するべきである。
習氏は、両国の経済相互依存は高く、デジタル経済、グリーン開発、金融・金融、医療、年金、産業チェーンの安定的かつ円滑な運営の維持など、対話と協力を強化し、相互利益とウィンウィンの状況を実現する必要があると指摘した。
両国は、それぞれの長期的な利益と地域共通の利益に焦点を当て、戦略的自律性、良好な隣人関係、紛争との対立に抵抗し、真の多国間主義を実践し、地域統合プロセスを促進し、アジアを発展させ、構築し、地球規模の課題に共同で取り組むべきである。」
(2022年11月5日)
NHKの報道姿勢に関心をお持ちだろうか。NHK会長の人事についてはいかがだろうか。NHKこそは世論に最も大きな影響力を持つ我が国最大の報道機関である。その動向は日本の民主主義に大きな影響を与える。そのトップの人事は、重大な政治マターとならざるを得ない。
政権は、NHKのあり方にも会長人事にも、重大な関心を持ち続けてきた。とりわけ、安倍晋三である。彼はNHKを独立したジャーナリズムと見ることはなく、自分の意のままとなる配下の一部門と考えてきた。その結果、NHKは「アベチャンネル」と揶揄される惨状を呈するに至っている。
民主的感覚を持ち合わせぬ安倍晋三は、自分の右翼仲間で経営委員会を固め、その経営委員会は、5期連続してNHK会長を財界出身者としてきた。在野性のカケラもない人物たち。ジャーナリズムの何たるかを知ろうともしない人たち。もう、いい加減にしてもらいたい。こういう声が、市民による次期会長選任の運動となった。
市民の立場で、公共放送のトップにふさわしい、本来あるべきNHK会長を選ぼうではないか、という運動が起こっている。NHKを真に国民の立場に立つ公共放送として政府のくびきから解き放つには、強靱な在野精神に充ちた強力なリーダーが必要なのだ。
これまで、NHKの政権追随の姿勢を批判し、公平・中立・独立した番組編成を求める市民運動は全国に広範にあった。その人たちが、現前田会長の任期終了(来年1月)を目前に、「市民とともに歩み自立したNHK会長を求める会」を立ち上げた。森下俊三経営委員会委員長らが次期会長候補推薦の動きをしているとの報に対抗してのことであろう。
とは言うものの、具体的な候補者名はなかなか出てこなかった。具体的な固有名詞なしの「NHK会長推薦」は難しい。ところが、事情を知らない私にとっては突然に、前川喜平さんの名前が上がった。11月1日付で、「前川喜平氏をNHK会長に!」という署名運動が開始された。
そして昨日(11月4日)、「会」と前川さんの記者会見が行われた。ユーチューブでその模様を見た私は、なるほど、前川さんこそが、次期NHK会長にピッタリだと思った。
彼は言う。「私がNHKの会長に就任した暁には、憲法と放送法を遵守して、市民とともにあるNHK、そして不偏不党で、真実のみを重視するNHKのあり方を追求していきたい。そのためには番組の編集、報道にあたって、完全な自由が保障されないといけない」「政治的中立を上から求めたら権力への奉仕となる。不偏不党にも、公平にもならない。大切なことは現場の自由を重んじることだ。表現にかかわる分野では、報道も教育も文化も同じこと」「政府が右を向けと言っても右を向くことはない。左を向けと言っても同じ。けっして政府の言いなりにはならない」
NHKの視聴者は受信料は払うが、会長選任の権利はない。会長選任権は、内閣が任命する12人の経営委員がもつ。さはさりながら、前川喜平会長選任の国民の声は、政権もけっして無視はできまい。
以下に、「会」の呼びかけを紹介しておきたい。
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市民とともに歩み、自立したNHK会長を選んでください!
市民とともに歩み自立したNHK会長を求める会
公共放送NHKは視聴者の受信料で支えられています。しかしNHK会長は総理大臣が任命したNHK経営委員会が決めます。
第一次安倍政権時の2008年1月に、密室の協議で福地茂雄氏(アサヒビール出身)が会長に選出されて以来、NHK会長には5期連続で安倍氏を支持する財界出身者が選ばれて来ました。そうした会長のもとでNHKは「アベ・チャンネル」と揶揄されるような、政権にすり寄り、時には市民をないがしろにする放送を、ニュースを中心に繰り返して来ました。
私たちは、来年1月に任期満了を迎える前田晃伸会長(みずほ銀行出身)の後任を選ぶにあたって、NHK 経営委員会が過去の病弊を断ち切り、市民とともに歩み自立した公共放送のリーダーにふさわしい新会長を選ぶことを求めます。
私たちは日本社会の民主主義と文化の向上のために、公共放送NHKが果たすべき役割は大変大きいものがあると考えています。そのためにNHK会長には、ジャーナリズムのありようや文化的な使命について高い見識を持ち、言論・報道機関であるNHKの自主・自立を貫き通す人物が選ばれる必要があります。そして、その選定にあたっては、透明性が確保されるべきです。
ところが第一次安倍晋三政権時代の2008年1月に、菅義偉総務大臣が古森重隆氏(富士フィルム社長)を経営委員長に据え、古森氏が主導して福地茂雄氏(アサヒビール出身)をNHK会長に選んで以来、松本正之氏(JR東海出身)、籾井勝人氏(三井物産出身)、上田良一氏(三菱商事出身)、前田晃伸氏(みずほ銀行出身)と、5期(15年)の長きにわたって、安倍氏を支持する財界出身者が、経営委員長と政権幹部との密室の協議によって任命されて来ました。
その間、「政府が右ということを左とは言えない」と発言した籾井会長に象徴されるように、NHKは政権にすり寄り、市民の活動を冷笑するような放送を繰り返して来ました。特に政権に都合のよい報道に偏った政治ニュースは、「アベ・チャンネル」と呼ばれるまでになりました。
菅義偉政権になると前田会長を中心とするNHKの政権追従の姿勢はさらに顕著になり、市民の間にコロナ禍での東京五輪の開催に批判的な意見が強まる中で、NHKは世論を無視してまで、大会の強行を後押しし、盛り上げに邁進しました。そんな中、昨年12月にはBS1スペシャル「河?直美が見つめる東京五輪」という番組で、民主主義の根幹をなす市民の活動、その表現手段としてのデモを貶める内容の番組が放送されました。
一方、前田会長が「スリムで強靭な新しいNHK」を目指すとして進める改革は、公共放送の価値や役割を軽視し、もっぱら経済合理性に重点を置いた人事制度改革・営業改革・関連事業改革に終始しています。前田会長が進める改革の内実は、一般の営利企業ですでに実践されてきたコンサルティング会社による改革案を、そのまま持ち込んだものに過ぎません。こうした強引な改革によって、NHKの現場は疲弊・荒廃し、放送番組の質の低下となり、視聴者の期待を裏切る事態が生まれています。
10月11日には前田会長は、菅氏ら総務大臣経験者を中心とした自民党議員からの圧力に屈し、取りまとめていた経営計画案を急遽修正してNHK経営委員会に提出したことが新聞報道によって明らかになりました。政権主導で選ばれたNHK会長では、政治家の圧力に抗えない事実が白日の下にさらされました。
このままでは日本社会にとってかけがえのない公共放送が崩壊しかねません。私たちは、公共放送の健全性を取り戻し、この社会の民主主義を育てるために、ジャーナリズムに深い見識を備え、NHKの自主・自立を貫き通すためのリーダーが、次期会長に選ばれることを強く望みます。
下記のURLから署名ができます。
https://www.change.org/p/%E5%89%8D%E5%B7%9D%E5%96%9C%E5%B9%B3%E3%81%95%E3%82%93%E3%82%92%E6%AC%A1%E6%9C%9Fnhk%E4%BC%9A%E9%95%B7%E3%81%AB
キャンペーン ・ 市民とともに歩み自立したNHK会長を選んでくだ
さい! ・ Change.org
(2022年10月28日)
昨日、統一教会による2度目のスラップ。批判の言論を封じ込めようという2件の名誉毀損損害賠償請求事件の提訴である。
もっとも、スラップの定義は明確には定まっていない。ここでは、「自分に対する批判の言論を封殺する目的での民事訴訟の提起」という意味で使いたい。私は、まだ各訴状に目を通していない。被告側抗弁の立証手段についても知る機会を得ていない。だから軽々に判決の帰趨について断定的な意見を述べることはできない。それでも、各提訴は、侵害された自らの権利の救済よりは、前回3件の提訴と一体となって、統一教会への批判の言論を萎縮させることを主たる目的とした提訴であると推認させるに十分である。
前回のスラップは先月29日、3件での合計請求額は6600万円だった。これについては、提訴翌日の下記当ブログを参照いただきたい。
「統一教会は組織防衛のためのスラップに踏み切った」
https://article9.jp/wordpress/?p=20057 (2022年9月30日)
今回提訴2件の各請求額は、2200万円(対有田芳生事件)と1100万円(対紀藤正樹事件)。これで、全5件の合計額は9900万円となった。
それぞれの時代にスラップの著名常習者が現れる。かつてはサラ金業界のトップ・武富士だった。武富士ベッタリの弁護士が訴訟代理人となって典型的なスラップを次々と提訴して、みっともない敗訴を重ねた。このときスラップの標的にされたのは、正義感に溢れた記者であり、消費者問題をライフワークとする弁護士であり、「週刊金曜日」であり「同時代社」であった。武富士は、懸命に批判をかわそうとしてスラップという戦術をとって、却って墓穴を掘った。まだ、スラップという用語が日本に定着していなかったころのことである。
武富士に次いで、スラップ企業として著名になったのがDHCである。DHC・吉田嘉明もスラップの常習者となった。2014年4月発覚の「渡辺喜美への8億円政治資金貸付事件」批判者に対するスラップだけで10件。その合計請求金額は、なんと7億8000万円である。DHCスラップに較べれば、統一教会スラップの規模はまだ小さいと言えなくもない。
なお、私もDHCスラップの被告とされた一人である。私に対する請求額は6000万円だった。
武富士も、DHC・吉田嘉明も、そして統一教会も、社会的な指弾を受ける重大な問題を引き起こした。厳しい批判と非難を受ける立場となって、その防衛ないしは反撃の手段としてスラップを濫発したのだ。
昨日統一教会が、いずれも東京地裁提訴した2件の訴えの内容は、報道の限りで以下のとおりである。
(1) 被告:有田芳生・日本テレビ
請求金額:2200万円
名誉毀損文言:「霊感商法をやってきた反社会的集団というのは警察庁も認めている」との番組での発言
発言の機会:8月19日放送の番組「スッキリ」
(2) 被告:紀藤正樹・TBS
請求金額:1100万円
名誉毀損文言:「親が子どもを脱会させたいために暴力団に頼んだという事件もあった。暴力団は親からもらったお金を統一教会に渡している」との発言
発言の機会:9月9日の番組「生島ヒロシのおはよう一直線」
この提訴について、有田は「取材に基づき反社会的であることは確信している」「教団によるスラップ訴訟には断固として闘っていく」、紀藤は「言論を萎縮させることを狙った訴訟で、許しがたい。今後訴訟の中で真実を明らかにしていく」とのコメントを出している。日本テレビ・TBSは、いずれも「訴状を確認した上で今後の対応を検討する」としている。
今後訴訟は、それぞれの名誉毀損文言の主要な部分での真実性、あるいは発言者が真実と信じたことの相当性の有無をめぐって進行することになる。
なお、こんな報道が目にはいった。
「訴訟については「いくらでも証拠は出せるので負けるわけない」と自信を持つ有田氏だが、『萎縮効果はあります。私や紀藤氏を出演させると訴えられるとなると、テレビは萎縮します』と指摘した」「そういう効果を狙っているのだろう。旧統一教会の顧問弁護士・福本修也氏は『第3弾、第4弾も検討中だ』と意気込んでいる。」(東スポWeb)
これが、スラップの萎縮効果である。被告となったメディアだけでなく、その周辺メディアにも訴訟リスクを意識させて、言論の自由の自主規制を余儀なくさせる。報道の自由の旗を高く掲げるジャーナリズムには、スラップに萎縮することなく国民の知る権利を擁護される姿勢を堅持されるよう期待したい。
(2022年10月24日)
NHKと安倍晋三任命の森下俊三経営委員長の両名を被告として、NHKの報道姿勢と、最高意思決定機関経営委員会のあり方を根底から問う《NHK文書開示請求訴訟》。その第5回口頭弁論が、明後日に以下の日程で開かれます。
日時 10月26日(水) 午後2時
法廷 東京地裁415号
また、閉廷後下記の報告集会を開催いたします。こちらにも、ご参加下さい。
時刻 同日 15時30分?
会場 参議院議員会館 B102会議室
今回の法廷では、原告主張の第7準備書面の要約を、パワーポイントを使って、弁護士澤藤大河が解説いたします。テーマは、被告森下俊三の不法行為責任にしぼった陳述です。ぜひ傍聴をお願いいたします。
なお、今回傍聴券の配布はありません。先着順に415号法廷に入廷してください。コロナ対策としての空席確保の措置はありませんので、傍聴席の座席数は十分と思われます。
また、閉廷後の報告集会では、関係者からNHKにまつわる詳細な報告を予定しています。ぜひ、こちらにもご参加下さい。
この訴訟は、原告114名の情報公開請求訴訟です。もっとも、行政文書の公開を求める訴訟ではなく、被告NHKに対して、その最高意思決定機関である経営委員会議事録の開示を求める訴訟です。いい加減に誤魔化した議事録ではなく、手抜きのない完全な議事録と、その文字起こしの元になった録音・録画の生データを開示せよという訴訟になっています。
問題の議事録は、経営委員会が当時の上田良一NHK会長に「厳重注意」を言い渡したことや、その前後の事情が明記されているものです。なにゆえの「厳重注意」だったのか。経営委員会が、NHKの報道番組に介入して、良心的な番組の放送を妨害する意図をもっての「会長厳重注意」だったのです。とうてい、看過できることではありません。
NHKの良心的看板番組「クローズアップ現代+」が、「かんぽ(生命)保険不正販売」問題を放映したところ、加害者側の日本郵政の幹部がこの番組をけしからんとして、NHKに圧力をかけてきました。経営委員会は、この外部の圧力をはね除けて、番組制作の自主性を護らなければならない立場であるにかかかわらず、なんとその正反対のことをしでかしました。当時経営委員会委員長代行だった森下俊三が先頭に立って、日本郵政の上級副社長鈴木康雄らの番組攻撃に呼応して、番組制作現場への圧力を加える意図をもっての『会長厳重注意』を強行したのです。明らかに放送の公正を歪める、放送法違反の行為です。
森下俊三はその後経営委員会委員長となり、さらに再選されて今なお、経営委員会委員長におさまっています。こんな経営委員を選任したのは、あんな内閣総理大臣、安倍晋三でした。NHK経営委員会人事は、安倍政権の負のレガシーです。大きな責任が清算されずに放置されたままです。正常な事態を取り戻さねばなりません。
本件文書開示請求訴訟はその第一歩としての基礎作業です。これまで出てこなかった資料が、提訴によってある程度は開示されました。しかし、完全なものではありません。
本件の提訴後原告に開示された「議事録のようなもの」(部内では「粗起こしの議事録草案」と言われる)は、議事録ではありません。「のようなもの」ではなく正式の議事録を開示せよ、というのが原告の要求です。仮にもし被告森下が議事録を作成もせず、公表もしないとなれば、明白で重大な法律違反です。当然に内閣の任命責任が問われなければなりません。
そして、もう一つの開示請求対象は、「議事録のようなもの」の原資料である録音データです。「のようなもの」には作成者の記載はなく、正確性を確認する術はありません。そこで、録音記録を開示せよと要求したら、何と、「消去しました」というのです。バックアップもとっていないという。どこかで聞いたような話。さすがに、安倍が任命した経営委員長の弁明。
訴訟までされながら、なぜNHKは、原告たちに開示を求められた議事録やデータを出さないのか、あるいは出せないのか。NHK執行部に議事録を出せない理由はありません。むしろ、経営委員から不当な「厳重注意」の処分を受けた会長側とすれば、きちんと議事録を提出してことの曲直を糺して欲しいという希望があるに違いないのです。
しかし、経営委員会側は、出したくないのです。番組制作への介入を禁じた放送法32条2項に違反したことを正式な議事録に残したくないのです。違法を恥じない人物が、NHKの最高幹部になって、NHKの放送の自由を攻撃し、さらにはその証拠を残したくないとして、正式の議事録の開示を妨害しているのです。これを任命した総理の責任は重大で、現内閣には罷免を求めなければなりません。
原告たちは、被告NHKに対する文書開示請求権を持っています。その請求権の行使を妨害しているのが、経営委員会委員長の森下俊三なのです。これが、不法行為に当たるとして、損害賠償を請求しているのです。
NHKという組織では、経営委員会が最高権力者です。NHKの会長を選任することも、クビを切ることもできます。何といっても、その議事録には経営委員の放送法違反が書き込まれているという微妙な問題です。NHKが独自の判断で経営委員会議事録の開示も非開示もできるはずはありません。お伺いを立てて、経営委員会のご意向次第。
以上のスジを約10分のパワポにまとめて、ご説明いたします。本来、権力を監視することを本領とするのがジャーナリズムです。権力から独立していなければならない巨大メディアが、こんなにも権力にズブズブなのです。そして、自浄能力がない。NHKという巨大メディアの政治権力への従属性という問題の本質がよく見える法廷となるはずです。
(2022年8月17日)
風の動きが目まぐるしく変わる。あのとき、今日の風は読めなかった。明日の風はどうなることやら。
7月8日、安倍晋三が銃撃を受けたとの報は衝撃だった。一瞬のことではあったが、政治的テロの時代到来かという暗澹たる思いを拭えなかった。何よりも、模倣犯や報復テロが続くことを危惧した。ややあって、「悲劇の政治家安倍晋三」という偶像化と参院選への影響を心配した。そのような風が吹いてきたのだ。
右から左への強い風が吹くなかでの参院選の投票日を迎えた。自民党とりわけ右派にとっての追い風、野党には逆風の厳しい選挙。案の定、与党が圧勝し野党は大きく議席を減らした。余勢を駆って、岸田内閣は安倍国葬を決めた。この風向きに乗じて、さらにこの風を確固たるものにしようとの思惑からである。
この風は、安倍と安倍政治を美化する方向に吹いていた。安倍の政治路線に国政を引き込み、憲法改正も実現させかねない風となっていた。
ところが、この風は長く続かなかった。安倍晋三を銃撃した犯人の動機や背景が明らかになるに連れて、風はおさまり吹きやんだ。のみならず、やがて風向きが変わった。今度は、左から右へ。まったく逆方向への返し風。
安倍銃撃の衝撃に震撼した世論は、容疑者の安倍銃撃の動機報道に再び驚愕することになる。そして、あらためて統一教会というカルトの所業の悪辣さを思い起こし、その統一教会と安倍晋三との癒着の深さを知ることになった。こうして被害者であった安倍を悼む世人の心情は急激に冷めた。むしろ、安倍は、統一教会という反社会的団体と癒着する《反共右翼で権謀の政治家》というイメージを深く刻印されることになる。当然のことながら安倍国葬反対の世論が台頭し、過半を制した。
思いがけぬ事態に慌てた岸田内閣は、統一教会対策を主眼に内閣改造を前倒した。8月10日注目の中で発足した「統一教会関係者隠し」人事は失敗し政権への逆風は却って強くなった。
8月12日には、岸田改造内閣の副大臣と政務官計54人の顔ぶれが決まった。統一教会と接点をもっていた者は登用しないという触れ込みだったが、これも完全に期待を裏切り、教団と自民党全体との深刻な癒着関係があらためて国民に印象づけられた。杉田水脈の政務官採用など、今の時期にあり得ない「安倍人脈」への配慮優先が不信感を増幅させた。
現在、統一教会と自民党議員との関係に向けて、厳しい風が吹いている。これは外堀を埋めている段階。衆院議長細田博之も、国家公安委員長を務めた山谷えり子も、文科大臣を務めた下村博文も、そして萩生田光一も、井上義行も、杉田水脈も、外堀に位置する。その風が、いま本丸に近づきつつある。統一教会と安倍晋三との癒着こそが本丸であり天守閣である。ここに切り込まねばならない。
ジャーナリズムの諸賢にお願いしたい。これから、本丸を攻めなければならない時期に来ている。そうして初めて、政権が安倍晋三を通じて統一教会をどのように擁護していたのかも、明確にすることができるだろう。既に、安倍晋三は世にない。安倍晋三に近い位置にあった人々も、安倍に対する忖度は不要となつている。徹底して、真相を明らかにしていただきたい。そのことによって、安倍国葬は撤回を余儀なくされ、日本の民主主義は再生することになる。
なお、統一教会と安倍晋三を結ぶものは、反共という黒い糸である。反共という大義を共通にする統一教会と安倍晋三、この両者のイデオロギーの交流も明るみに出していただきたい。
是非とも今、この風向きが変わらぬうちに。
(2022年4月20日)
いつからだろうか、何を切っ掛けにしてのことかの覚えはない。私のメールボックスに「産経ニュースメールマガジン」が送信されてくる。ときにその論説に目を通すが、愉快な気分になることはなく、なるほどと感心させられることも一切ない。とは言え、怪しからんと思うことも、黙らせたいと思うことも通常はない。そもそも思想信条も言論も自由なのだから。
しかし、昨日送信を受けた「榊原 智コラム・一筆多論」には、看過し得ない危険を感じる。一言なりとも批判をしておかねばならない。ことは、自衛隊という軍事力=組織的暴力装置の取り扱いに関わるもの。この危険物の取り扱いに失敗すると、軍国主義復活につながりかねない。維新と産経がその先導役を買って出ているような臭いがするのだ。なお、榊原智とは産経の論説副委員長だという。
論説の内容は、共産党委員長志位和夫の「新・綱領教室」出版発表会見での言説に対する批判である。「ロシアのウクライナ侵略があっても目が覚めないのか―」「日本の政党の防衛政策は合格点にあるとはいえないが、共産党と立憲民主党という左派政党の姿勢はとりわけ嘆かわしい」という調子。こういう批判・非難はいつものことで、とるに足りない。
産経が問題にしたのは、志位委員長が言ったという「急迫不正の主権侵害には、自衛隊を含めてあらゆる手段を行使して、国民の命と日本の主権を守り抜く」という発言。
産経は非難がましく、《共産は綱領で、「憲法9条の完全実施(自衛隊の解消)」「日米安保条約の廃棄」を目指している。一方、2000(平成12)年の党大会で、自衛隊の段階的解消を掲げつつ、侵略があれば自衛隊を「活用」すると打ち出した》と解説している。誰が見ても、共産党の綱領は憲法に忠実な姿勢であろう。産経の批判は、「共産党は憲法遵守の姿勢を貫いて怪しからん」と聞こえる。
また産経は《日本維新の会の馬場伸幸共同代表が14日、「国防という崇高な任務に就く自衛隊を綱領で『違憲だ』と虐げつつ、都合のいい時だけ頼るとはあきれる」と批判したのはもっともだ」と言う。フーン、維新と産経、話が合うんだ。ここまでは、聞き流してもよい。問題は次の一文である。
《自衛隊は政治の命に服すべき組織だが、政治家も含め国民は、諸外国の人々が軍人に対するのと同様に、自衛隊員に敬意を払い、支えるべきだろう。命がけで日本を守る決意をしてくれた人たちだ。「事に臨んでは危険を顧みず、身をもって責務の完遂に務め」ると宣誓している。》《共産は自衛隊攻撃を自衛隊と隊員に謝罪し、敬意を払うのが先だ。それなしに自衛隊「活用」を唱えても真剣に防衛を考えているとは思えない。参院選対策の戦術的擬態だと国民に見透かされるのがオチだろう。》
国民に《自衛隊員に対する敬意》を要求し、共産党には《自衛隊と隊員に謝罪せよ》と言うのが産経の態度なのだ。
ことさら確認するまでもなく、《平和を望むのなら、さらなる防衛力の増強と軍事同盟の強化に邁進せよ》というのが、自民・維新・産経の立場である。このことについては、論争あってしかるべきである。しかし、《自衛隊員に敬意を持て》《自衛隊と隊員に非礼を謝罪せよ》と言い募る産経の論調は、それ自体厳しく批判されなければならない。これは、危険な言説である。
軍事力とは厄介なもの、日本国憲法はこれを保持しないと定めたが、現実には自衛隊という「軍事力」がある。暴走すれば、国民の人権も民主主義も破壊する。このような組織的暴力装置は、徹底した文民(主権者国民)の管理下に置かねばならない。だから、自衛隊について、「存在自体が危険」とも、「違憲であるが故に存在してはならない」とも、「直ちに廃止すべき」とも、「段階的に縮小すべき」とも、意見を言うことにいささかの遠慮もあってはならない。この点についての国民の批判の言論は、その自由が徹底して保障されなければならない。
「国防という崇高な任務にまず敬意を」「命がけで国を守る人に批判とは何ごとぞ」という論説は、けっしてあってはならない言論封殺である。権力者にも、権威にも、そして危険物である自衛隊についての論議においても、国民の意見表明の権利は徹底して保障されなくてはならない。
自衛隊のあり方に対する批判に躊躇せざるを得ない空気が社会に蔓延したときには、軍国主義という病が相当に進行していると考えざるを得ない。その病は、国民にこの上ない不幸をもたらす業病である。軽症のうちに適切な診察と治療とが必要なのだ。産経のように、これを煽ってはならない。
(2022年4月8日)
いうまでもないことだが、ジャーナリズムの神髄は権力に対する批判にある。多くのジャーナリストがそのことを肝に銘じて、自らの姿勢を糺している。取材のために権力と接しても権力との距離を保たねばならないとし、権力に擦り寄ることを致命的な職業倫理違反であり恥としている。
しかし、どこの世界にも例外というものがある。国政を私物化し嘘とごまかしで固めた安倍政権に擦り寄った恥を知らない「忖度ジャーナリスト」として、TBSに山口敬之、NHKに岩田明子、東京新聞に長谷川幸洋、そして時事通信に田崎史郎などが知られてきた。
まさか朝日には…。いや、朝日にもいたのだ。その記者(編集委員)の名を、峯村健司という。昨日、朝日がその旨を明らかにし、1か月の停職処分とした。このことを「朝日新聞社編集委員の処分決定 「報道倫理に反する」 公表前の誌面要求」という見出しで報じている。
峯村は何をしたのか。朝日の調査によれば、以下のとおりである。
「(週刊ダイヤモンド)編集部は外交や安全保障に関するテーマで安倍氏にインタビューを申し入れ、3月9日に取材を行った。取材翌日の10日夜、峯村記者はインタビューを担当した副編集長の携帯電話に連絡し、『安倍(元)総理がインタビューの中身を心配されている。私が全ての顧問を引き受けている』と発言。『とりあえず、ゲラ(誌面)を見せてください』『ゴーサインは私が決める』などと語った。副編集長に断られたため、安倍氏の事務所とやりとりするように伝えた。記事は3月26日号(3月22日発売)に掲載された」
朝日の記事は、「公表前の誌面を見せるように要求した峯村記者の行為について、報道倫理に反し、極めて不適切だと判断した」と述べている。「極めて不適切」どころではなかろう。奇妙奇天烈、摩訶不思議というしかない。なお、このインタビューで安倍は、「核共有の議論をタブー視してはならない」と語ったのだという。
なぜ、安倍晋三本人なり安倍事務所が直接ダイヤモンド編集部に「ゲラを見せていただけないか」と申し入れをせずに、峯村に依頼したのか。峯村が背負っている朝日のブランドに着目したからとしか考えようはない。朝日の依頼なら、ダイヤモンド社は応じるのではないか。
ダイヤモンド社編集部は怒った。怒りの矛先は朝日に向けられ、「編集権の侵害に相当する。威圧的な言動で社員に強い精神的ストレスをもたらした」との抗議になって、朝日の調査が開始された。
朝日は、「政治家と一体化して他メディアの編集活動に介入したと受け取られ、記者の独立性や中立性に疑問を持たれる行動だったと判断し、同編集部に謝罪した」と公表している。当の峯村は、「安倍氏から取材に対して不安があると聞き、副編集長が知人だったことから個人的にアドバイスした。私が安倍氏の顧問をしている事実はない。ゲラは安倍氏の事務所に送るように言った」と説明している。
峯村は「安倍氏とは6年ほど前に知人を介して知り合った。取材ではなく、友人の一人として、外交や安全保障について話をしていた。安倍氏への取材をもとに記事を書いたことはない」と説明している。どうやらこの記者、「折りあらば、安倍のために一肌脱いで、貸しを作っておこう」と思っていたようだ。
毎日は、「朝日新聞編集委員 処分 安倍氏記事 事前に誌面要求」と報じた。その中で、「峯村氏は反論」という小見出しで、「重大な誤報を回避する使命感をもって説得し、『(安倍氏の)全ての顧問を引き受けている』と言った。安倍氏からは独立した第三者として助言する関係だ」と峯村の言い分を紹介している。
NHKは、「朝日新聞 記者を処分 安倍氏記事事前に閲覧週刊誌に要求」と見出しを付け、東京新聞は、共同配信の記事として、「安倍晋三元首相の記事、事前に見せるよう要求 朝日新聞が編集委員を懲戒処分」としている。
本日の赤旗は、この件を社会面のトップで扱っている。「安倍元首相と『朝日』編集委員 週刊誌に“圧力” 『核共有』記事 公表前点検要求」という見出し。リードだけを紹介しおきたい。
自民党の安倍晋三元首相が、週刊誌に掲載される自身のインタビュー記事を公表前にチェックするよう朝日新聞の編集委員に依頼していたことが7日、明らかになりました。朝日新聞社は同日、峯村健司編集委員(47)が週刊誌側に公表前の誌面(ゲラ)を見せるよう求めたことを公表しました。同社は「政治家と一体化して」他メディアに圧力をかけたと受け止められる行動だったとして峯村氏を停職1カ月の懲戒処分にしました。(取材班)
この峯村という記者、今月20日には朝日を退社する予定という。さて朝日退社後も、「安倍の番犬」という大きな名札を付けて、「ジャーナリスト」として職業生活を継続しようというのだろうか。やっていけるほど日本の言論界は甘いのだろうか。