(2023年3月10日)
「西暦表記を求める会」です。国民の社会生活に西暦表記を普及させたい。とりわけ官公庁による国民への事実上の強制があってはならないという立場での市民運動団体です。
この度は、取材いただきありがとうございます。当然のことながら、会員の考えは多様です。以下は、私の意見としてご理解ください。
私たちは、日常生活や職業生活において、頻繁に時の特定をしなければなりません。時の特定は、年月日での表示となります。今日がいつであるか、いつまでに何をしなければならないか。あの事件が起きたのはいつか。我が子が成人するのはいつになるか。その年月日の特定における「年」を表記するには、西暦と元号という、まったく異質の2種類の方法があり、これが社会に混在して、何とも煩瑣で面倒なことになっています。
戦前は元号絶対優勢の世の中でした。「臣民」の多くが明治政府発明の「一世一元」を受け入れ、明治・大正・昭和という元号を用いた表記に馴染みました。自分の生年月日を明治・大正・昭和で覚え、日記も手紙も元号で書くことを習慣とし、世の中の出来事も、来し方の想い出も、借金返済の期日も借家契約の終期も、みんな元号で表記しました。戸籍も登記簿も元号で作られ、官報も元号表記であることに何の違和感もなかったのです。
戦後のしばらくは、この事態が続きました。しかし、戦後はもはや天皇絶対の時代ではありません。惰性だけで続いていた元号使用派の優位は次第に崩れてきました。日本社会の国際化が進展し、ビジネスが複雑化するに連れて、この事態は明らかになってきました。今や社会生活に西暦使用派が圧倒的な優勢となっています。
新聞・雑誌も単行本も、カレンダーも、多くの広報も、社内報も、請求書も、領収書も、定期券も切符も、今や西暦表記が圧倒しています。西暦表記の方が、合理的で簡便で、使いやすいからです。また、元号には、年の表記方法としていくつもの欠陥があるからです。
元号が国内にしか通用しないということは、実は重要なことです。「2020年東京オリンピック」「TOKYO 2020」などという表記は世界に通じるから成り立ち得ます。「令和2年 東京オリンピック」では世界に通じません。
それもさることながら、元号の使用期間が有限であること、しかもいつまで継続するのか分からないこと、次の元号がどうなるのか、いつから数え始めることになるのかがまったく分からないこと。つまりは、将来の時を表記できないのです。これは、致命的な欠陥というしかありません。
とりわけ、合理性を要求されるビジネスに元号を使用することは、愚行の極みというほかはありません。「借地期間を、令和5年1月1日から令和64年12月末日までの60年間とする」という契約書を作ったとしましょう。現在の天皇(徳仁)が令和64年12月末日まで生存したとすれば110歳を越えることになりますから、現実には「令和64年」として表記される年は現実にはあり得ません。そのときの元号がどう変わって何年目であるか、今知る由もありません。天皇の存在とともに元号などまったくない世になっている可能性も高いと言わねばなりません。
令和が明日にも終わる可能性も否定できません。全ての人の生命は有限です。天皇とて同じこと。いつ尽きるやも知れぬ天皇の寿命の終わりが令和という元号の終わり。予め次の元号が準備されていない以上、元号では将来の時を表すことはできません。
今や、多くの人が西暦を使っています。その理由はいくつもありますが、西暦の使用が便利であり元号には致命的な欠陥があるからです。元号は年の表記法としては欠陥品なのです。現在の元号がいつまで続くのか、まったく予測ができません。将来の日付を表記することができないのです。一貫性のある西暦使用が、簡便で確実なことは明らかです。
時を表記する道具として西暦が断然優れ、元号には致命的な欠陥がある以上、元号が自然淘汰され、この世から姿を消す運命にあることは自明というべきでしょう。ところが、現実にはなかなかそうはなっていません。これは、政府や自治体が元号使用を事実上強制しているからです。私たちは、この「強制」に強く反対します。公権力による元号強制は、憲法19条の「思想良心の自由の保障」に違反することになると思われます。
今、「不便で非合理で国際的に通用しない元号」の使用にこだわる理由とはいったい何でしょうか。ぼんやりした言葉で表せばナショナリズム、もうすこし明確に言えば天皇制擁護というべきでしょう。あるいは、「日本固有の伝統的文化の尊重」でしょうか。いずれも陋習というべきで、国民に不便を強いる根拠になるとは到底考えられません。
ここで言う、伝統・文化・ナショナリズムは、結局天皇制を中核とするものと言えるでしょう。しかし、それこそが克服されなければならない、「憲法上の反価値」でしかありません。
かつてなぜ天皇制が生まれたか、今なお象徴天皇制が生き残っているのか。それは、為政者にとっての有用な統治の道具だからです。天皇の権威を拵えあげ、これを国民に刷り込むことで、権威に服従する統治しやすい国民性を作りあげようということなのです。今なお、もったいぶった天皇の権威の演出は、個人の自律性を阻害するための、そして統治しやすい国民性を涵養するために有用と考えられています。
元号だけでなく、「日の丸・君が代」も、祝日の定めも、天皇制のもつ権威主義の効果を維持するための小道具です。そのような小道具群のなかで日常生活に接する機会が最多のものと言えば、断然に元号ということになりましょう。
ですから、元号使用は単に不便というものではなく、国民に天皇制尊重の意識の刷り込みを狙った、民主主義に反するという意味で邪悪な思惑に満ちたものというしかありません。
(2023年1月29日)
大寒であるが立春は近い。寒い中で、梅が咲き始めている。この時季は梅祭り準備中の湯島天神がよい。梅は風流でもあるが、なによりも観梅無料が魅力。
とは言え、境内の混雑ぶりに驚かされる。けっして善男善女の梅見の参詣というわけではない。合格祈願・学業成就祈願なのだ。昇殿参拝の順番を待つ人々が長蛇の列を作っている。そして奉納の絵馬の数に圧倒される。「○○大学合格祈願」「孫の△△が、××中学に合格できますように」の類いの庶民の願いが、この社に渦巻いているのだ。
何やら真剣にお祈りしている人がいる。祈願をし絵馬を奉納すれば、願はかなうと本気になって信じているような雰囲気。そんな姿はいじらしくもあるが、一面不気味でもある。
境内で放送が繰り返されている。こう聞こえたのだが、空耳でしかなかったかもしれない。
「合格祈願・学業成就祈願は、けっして神さまが結果を約束するものではございません。万が一不合格となっても、神さまは責任をもちません。祈願の際の奉納金の返還はいたしません。不合格は自己責任とおあきらめいただき、自助努力の上、次の祈願をされ、次の奉納金をお納めください」
「各学校の入学試験合格者には定員の枠があり、合格を祈願する方は定員の何倍もいらっしゃるのですから、天神様と言えども、合格祈願の皆様全員を合格させるのはもとより無理なことでございます。皆様、そんなことは百も承知で、願を掛け奉納金をお納めいただいていることと存じます。もちろん、天神様も、お祈りの効果などを過大に吹聴したりはいたしません」
「もっとも、祈祷料などにランクを付けさせていただいてはおりますが、祈祷料の多寡と合格率との相関関係については、あるともないとも申し上げようはございません。ですから、『高額祈祷料を奉納したのに何の効果もなかった。せめて半額を返せ』などいうクレームは受け付けておりませんので、予めご承知おきください」
「むしろ、当社ではなく、この世の不幸禍は、すべて先祖の因縁によるもので、この因縁を解いて家族の幸福を獲得するためには、何千万円もの高額寄附が必要という、マインドコントロールの宗教もございますので、お気をつけください」
だれもが、気休めとは思いつつ、それでも合格祈願・学業成就祈願に人が押し寄せる。これは宗教だろうか、ビジネスだろうか。はたまた悪徳商法では。庶民の願いや悩みを上手に掬い取った、このビジネスモデルの成功に驚嘆するしかない。
なお、湯島天神の梅の見頃予想は2月中旬以降とのこと。2月8日?3月8日までの「文京梅まつり」の舞台となる。
なお、この神社で祀られている「天神」は、怨霊となって醍醐天皇を殺した王権への反逆神である。民衆は、天皇を呪い殺した天神を崇拝した。これは、興味深い。
右大臣菅原道真は藤原時平らの陰謀によって、謀反の疑いありとされてその地位を追われ大宰府へ流される。左遷された道真は、失意と憤怒のうちにこの地で没する。彼の死後、その怨霊が、陰謀の加担者を次々に襲い殺していくが、興味深いのは最高責任者である天皇(醍醐)を免責しないことである。
道真の祟りを恐れた朝廷は、道真の罪を赦すと共に贈位を行い、993(正暦4)年には贈正一位左大臣、さらには太政大臣を追贈している。
もっとも、宗教は時の権力に擦り寄って生き抜いてきた。今、ネットで読める社伝には、反逆の影もない。
(2023年1月18日)
来週の月曜日、1月23日に開会が迫った通常国会。その論議の最大のテーマは、安保改定3文書に表れた安全保障戦略の大転換である。これを許すのか否かが、日本の命運に関わる。そして、これに関連する学術会議法改正案にも注目せざるをえない。
安倍・菅や、それを支える右翼陣営が、日本学術会議を攻撃する真の理由は、同会議が《日本の「軍事・防衛研究」に反対してきた》という点にある。政府は、学術会議の独立性を剥奪して政府の方針を注入し、科学技術の軍事転用を図りたいのだ。さらに本音を言えば、大学の自治も、メディアの自由も、日弁連の在野性も認めたくはない。すべてを政府・与党の方針が貫く日本にしたい。そうすれば、大軍拡も防衛産業の育成も思うがまま。日本の大国化が実現できる。北朝鮮や中国が、羨ましくてしょうがない。だから、安全保障戦略の大転換と関わりが出てくるのだ。
日本学術会議の会員は250人。3年ごとに半数が改選されるが、菅政権発足以前その人選に政府が介入することはなかった。「学問の自由」(憲法23条)は、「学術団体の自治・独立の保障」をも意味するものと理解され、政府の任命が形式なものであることは当然と理解されていた。「政府は、金は出すがけっして口は出さない」というお約束なのだ。
これを乱暴に蹂躙したのが、安倍晋三亜流・菅義偉前首相の初仕事だった。長年の慣行を破って、政府が快しとしない研究者6名の任命を拒否したのだ。後世の歴史書には、学問の自由に対する悪辣な弾圧者としてだけ、菅義偉の名が遺ることになるだろう。
政府は、この任命拒否に続いて、学術会議の独立性を剥奪しようと追い打ちの算段を重ねて、大きな世論の反撃を受けることとなった。3年間のせめぎ合いを続けた末の改正法案は、新規会員の選考過程をチェックする第三者委員会新設を盛り込む内容となっている。
日本学術会議はこれを深刻に受けとめ、昨年暮れ12月21日の総会で、法改正を目指す政府方針に「学術会議の独立性に照らして疑義があり、存在意義の根幹に関わる」として再考を求める声明を出している。
今、この問題での担当大臣は、後藤茂之(経済再生担当相)。この人が、1月13日閣議後の記者会見で、下記のように発言して、科学技術の軍事転用を視野に入れた改正案ではないことを強調した。
「(改正法案は)学術会議の独立性はこれまで同様に保つ。会員選考には基本的に現行方式が続く」「会員以外の有識者からなる第三者委員会を学術会議に設置するが、第三者委員会の委員は一定の手続きを経て会長が任命するものと考えている」「会員などの候補者を最終的に決定するというのも学術会議であることを今検討している法案で想定している」「基本的に現行方式が続き、その手続きを第三者委が透明化して国民に示すということだ」「学術会議の活動に政府が口を出すことは全く想定していない」「軍事研究にシフトするために、第三者委員会で学術会議の独立性に手を入れるという趣旨は全くない」
これに、今度は右翼が噛みついた。産経新聞社が発行する「夕刊フジ」の公式サイトが「zakzak」。その昨日の記事が、「第三者委メンバーを会議が任命!? 日本学術会議?大甘?改革案 岸田政権が提出検討 虫のいい話『お手盛り調査になるのは明白』島田洋一氏」というタイトル。記事を読まなくても、内容はあらかた分かる。島田洋一(福井県立大学教授)とは、こういうときに引っ張り出される、常連の右翼。櫻井よしこらとのお友達。
zakzakの記事中の「学術会議に対しては、年間約10億円もの血税が投入されながら…」という一節にあらためて驚く。何ということだ。日本の学問の殿堂に、「年間わずか10億円」という情けなさ、恥ずかしさ。あの、天下の愚策・アベノマスクの予算措置が466億円だった。違憲の疑い濃い政党助成金が年間315億円。日本がアメリカから売り付けられた戦闘機F35Aの価格は、1機100億円をはるかに超えている。
同記事は、おしまいに島田洋一のコメントを引用する。
「『税金はよこせ、人事は自分たちにやらせろ』という虫のいい話は社会では通用しない。自分たち独自で政府から離れて独立性を確保すればいい」
この俗論、俗耳に入り易いのだろう、繰り返されている。名古屋市長・河村たかしが、あいちトリエンナーレに粗暴な介入をしたときにも同様のことを言っていた。「税金を使って、天皇陛下の肖像画をバーナーで燃やして足で踏みつけるという展示をやっていいのか」。
同種の理屈はいくつも展開されている。「国立大学は国家の税金で運用されているのだから、国旗を掲揚し国歌を斉唱するのが当然」「教育公務員は税金を支給されているいるのだから、教育の理想を求めるなどと言ってはならない。教育行政の命じるとおりの教育方針に従え」。
これを放置しておくと、こんなことまで言いかねない。
「裁判官は国から支給される税金で喰っているのだから、国が当事者となる訴訟では、国を敗訴させてはいけない」
公費の支給は、近視眼的な国家の利益のためにのみなされるものではない。国益を越えた、学問・科学・文化・芸術のために支出されてよいのだ。そのことによって、国民の精神生活や社会性が多様で豊かになるからだ。むしろ、学問や学術会議を時の政権の都合で縛ってはならない。
民主主義社会では、政府が自らの政策を批判する団体にも、公費を支出する寛容さが求められる。『金は出す、口は出さない』は、「虫のいい話」ではなく、そのことを通じて政府は自らの姿勢の検証を可能としているのだ。
(2021年3月3日)
なるほど、なるほど。とても面白いし楽しい篠原資明さんの作品。言葉遊びもこの水準にまでなれば、遊戯の域を超えて、文芸か芸術作品と言ってよい。
ところが、なんとももったいないし残念なことに、ネット上にあったその原作は、既に全部削除されている。結局、ここで引用できる作品は、新聞記事から孫引きした下記4作品だけ。篠原さんご自身は、「アートとして思いついたもので、政治的意図はない」「五輪中止時の『墓碑銘』となるように祈りを込めた。良い意味も悪い意味もない」と説明しているという。ならば、篠原さんの作品に、私が私なりの理解を書き込むことに何の問題もなかろう。受け取り方は人それぞれなのだから。
(1) 「かいかい 死期」(開会式)
東京オリンピック開会式のイメージ展開である。コロナ禍のさなかに、世界中からの感染者予備軍を集めての開会式は、確率的に参加者の誰かの死期となる。そうならずとも、暗い死期を予見させる開会式とならざるを得ない。
もしかしたら、ここで死ぬのは、商業主義や国威発揚演出と闘って一敗地にまみれた五輪憲章とその精神なのかも知れない。
(2) 「すぽ お通夜」(スポーツ屋)
「かいかい 死期」に臨んで通夜を営むのは、(スポーツ屋)である。(スポーツ屋)とは、五輪をメシのタネと儲けをたくらむ電通などの企業や、竹田恒泰ら裏金を操作する連中、そして、森喜朗、橋本聖子、丸山珠代らの五輪政治家ばかりではない。権力機構のなかで国威発揚と売名にいそしむ輩、菅義偉や小池百合子らをも含むものというべきだろう。
(3) 「ばっ墓萎凋」(バッハ会長)
言わずと知れた(スポーツ屋)の元締めが、この人物だ。IOCを神聖にして侵すベからざるものとしてはならない。オリンピック精神の死期におけるIOC会長こそは、「罰」「墓」「萎縮」「凋落」のイメージにピッタリではないか。
(4) 「世禍乱なぁ」(聖火ランナー)
今や、東京五輪は風前の灯である。実は単にコロナ禍のためばかりではない。国威発揚や商業主義跋扈のせいだけでもない。オリパラ推進勢力が、この国を形作っている旧い体質とあまりに馴染み、人権や民主主義の感覚とは大きく乖離しているからなのだ。聖火ランナーを辞退せずオリンピックに協力することは、家父長制やら女性差別に加担する、「旧世代人」イメージを背負うリスクを覚悟しなければならない。まっとうな人は、そんなにしてまで走らんなあ。
篠原資明さんは、京大で美学・美術史を教えていた人。今は名誉教授で高松市美術館の館長。この2月、ツイッターの個人用アカウントに「東京オリンピック、なくなりそうな予感。なので墓碑銘など、いまから考えてみませんか」とした上で、みずからが生み出した「超絶短詩」の幾つかを書き込んだ。
「超絶短詩」とは、一つの言葉を二つの音に区切ることで思いがけない意味を持つ表現方法だという。『ウィキペディア(Wikipedia)』に、「超絶短詩は、篠原資明により提唱された史上最短の詩型。ひとつの語句を、擬音語・擬態語を含む広義の間投詞と、別の語句とに分解するという規則による。たとえば、「嵐」なら「あら 詩」、「赤裸々」なら「背 きらら」、「哲学者」なら「鉄が くしゃ」となる。」と解説されている。「おっ都政」(オットセイ)という秀逸もある。
篠原さんは、「メディアからの取材を受けたことで『ことば狩り』と感じ、美術館のスタッフにも迷惑をかけたくないと思ってアカウントを削除した」と話しているという。オリンピック批判はまだ日本社会ではタブーなのだろうか。こんな楽しい言葉遊び作品を削除せざるを得ない、この社会の窮屈さこそが、大きな問題ではないか。
(2021年2月23日)
本日は、まだ国民の意識に定着してはいないが、天皇(徳仁)の誕生日である。祝日法第2条には、「天皇誕生日 二月二十三日 天皇の誕生日を祝う。」と意味不明の文章がある。分明ではないが、少なくとも「天皇の誕生日を祝え」「祝わねばならない」「祝うものとする」「祝うべき日」などと、国民に祝意を強制する文意ではない。
もちろん私は、天皇(徳仁)との面識はないし、この人の一族郎党とも何の交誼もない。本日が、格別にめでたいとも、祝うべき日であるとも思えない。天皇とその係累には、いささかの怨みこそあれ、その誕生日を祝う振りをする恩義も義理もない。
むしろ、主権者の一人として、「天皇誕生日」の正しい過ごし方は、社会の同調圧力に屈することなく、「天皇」や「天皇制」の過去の罪科をしっかりと見極め、その罪科が現在に通じていることを再確認することであろう。
そのような、本日の「正しい過ごし方」として、コロナ禍のさなかではあるが、「wamセミナー 天皇制を考える(3)」に出席した。「wam」とは、安倍晋三によって番組改竄されたNHK放映「女性国際戦犯法廷」の後継団体、アクティブ・ミュージアム「女たちの戦争と平和資料館」のこと。この「戦犯法廷」では、「ヒロヒト有罪」の判決が言い渡されたが、放映はされなかった。当然に天皇制にも安倍晋三にも怨みは大きい。その「wam」のホームページの中に、次の印象的な言葉がある。
日本の近代は侵略と戦争の歴史でした。天皇は、軍の最高責任者・大元帥でしたが、敗戦後の極東国際軍事裁判(東京裁判)では免責されました。天皇の侵略・戦争責任を批判する声は、戦中は「大逆罪」「不敬罪」などで処罰され、戦後も暴力の対象となって不可視化されてきました。この小さな抗う民衆の声を伝えることからその忘却を問います。
「wamセミナー 天皇制を考える」連続セミナーの趣旨は、以下のように語られている。
「女性国際戦犯法廷」(2000年、東京)から20年の節目にあたって、天皇の戦争責任・植民地支配責任を問い続けるwamは、天皇由来の「祝日」のうち4日間を「祝わない」ために開館し、天皇制を維持してきた私たちの責任を見つめなおし、議論する場を作っていくことにしました。
天皇由来の4祝日とは、以下のものである。
文化の日 11月3日 明治天皇(睦仁)の誕生日
建国記念の日 2月11日 初代・神武の即位の日
天皇誕生日 2月23日 現天皇(徳仁)の誕生日
昭和の日 4月29日 昭和天皇(裕仁)の誕生日
「wamセミナー 天皇制を考える(1)」は、2020年11月3日。講師は池田浩士さんで、テーマは「叙勲・お言葉・思いやり・・・天皇と「国民」を結ぶもの―『明治節』に考える―」
社会や文化、様々な視点から天皇制を研究してきた池田浩士さんをお招きし、明治憲法と戦後憲法とを貫く「象徴天皇制」に焦点を合わせて、天皇制国家の支配制度と「国民」のありかたを再考します。
同(2)は、石川逸子さん。
桜の国の悲しみ、菊の国への抗い―「紀元節」に伝えておきたいこと
石川逸子さんは2008年、明治天皇の父・孝明天皇に亡霊として語らせる『オサヒト覚え書き―亡霊が語る明治維新の影』という大著を上梓、2019年には台湾・朝鮮・琉球への追跡編も出版されています。日本の近代と天皇制を問い続ける石川逸子さんからお話を聞きます。
そして、本日が、歌人内野光子さんの「『歌会始』が強化する天皇制―序列化される文芸・文化」という講演。
「歌会始(うたかいはじめ)」とは、年始に皇居で開催される歌会(集まった人びとが共通の題で短歌を詠む会)で、あらかじめ天皇が出した題にそって「一般市民」が歌を送り、秀でた作品を詠んだ人びとが皇居に招かれる「儀礼」です。毎年テレビでも中継され、2万ほどの「詠進」(一般からの応募)された短歌から選ばれた10首、短歌を詠むために選ばれた「召人」の歌、短歌の「選者」に選ばれた歌人の歌、天皇皇后をはじめ皇族の歌が詠まれます。
内野さんの天皇制批判の立場は揺るぎがない。天皇制とは本質的に国民の自覚に敵対し、個人の思考を停止させるものという。その天皇と国民をつなぐものとしての短歌として、明治天皇(睦仁)、昭和天皇(裕仁)、平成時の天皇(明仁)・皇后(美智子)、現天皇(徳仁)らの短歌を85首抜き出し、そのいくつかを解説された。
印象に残るのは、明仁・美智子夫妻の11回の沖縄行で詠んだ歌。父親(裕仁)の沖縄に対する負の遺産を清算することに懸命になった夫妻の姿勢が窺える。そして、その試みはある程度の成功を納めたと評することができるだろう。実は、何の解決もないままの県民の慰撫。天皇制の、そして歌の作用の典型例と言えるのではないか。
内野さんの講演の主題は、象徴天皇制の「国民」への浸透の場としての「歌会始」の解説と批判である。
1947年に始まった「歌会始」は、当初応募歌数数千から1万程度と低迷していたが、1959年の「ミッチーブーム」を機に応募歌数が激増した。1964年には4万7000首にも達している。その後は、ほぼ2万首で推移しているが、選者の幅を拡げ、毎年10名の入選者に中高生を入れるなどの工夫を重ねてきている。
戦後の現代歌壇が持っていた、天皇制への拒絶の姿勢や雰囲気は、いつの間にか懐柔されて、現代歌壇全体が天皇制を受容している。「歌会始」の選者になることに、歌人の抵抗がなくなったどころか、選者になることを切っ掛けに、褒賞を授与され、芸術院会員となり、文化功労者となり、叙勲を受けている。
かつて、「歌会始」を痛烈に批判していた「前衛歌人」が歌会始の選者になっている。あるいは「歌会始」の選者が「赤旗」歌壇の選者を兼ねている例さえもある。
天皇制の陥穽におちいる「リベラル」派の例は短歌界に限らない。金子兜太、金子勝、内田樹、白井聡、落合惠子、石牟礼道子、長谷部恭男、木村草太、加藤陽子、原武史等々、程度の差こそあれ、「平和を求める天皇」「護憲の天皇」を容認する人々が多数いることに驚かざるをえない。
講演後に質疑応答があり、最後に「ではこれからどうすべきなのか」という問があった。これに、内野さんはこのような趣旨の回答をしている。
天皇制に関して昔とすこしも意見が変わらない私は、歌壇において、「非寛容」だとか「視野狭窄」だとさえ言われるようになっています。でも、自分の頭で考えた、自分の意見を語り続けることが大切なことだと考えています。それ以外の選択肢はありません。
この言葉を聞けたことだけで、本日は「天皇誕生日」にふさわしい有意義な日であったと思う。
(2021年1月16日)
早朝の散歩コースは、ときに変わる。特に理由はなく、まったく気まぐれに。いつもは本郷三丁目交差点を左折して、湯島から不忍池に向かうのだが、今日はなんとなく交差点を直進して神田明神の境内を覗いてみた。信心のカケラも持ち合わせていないこの身のこと、決して詣でたわけではない。失礼にはならないようには気をつけながら眺めてきただけ。
まだ、ここの境内は正月モード。昇殿参拝を受け付けていた。個人コースは、1万円、2万円、3万円の参拝料。会社・法人コースは、3万円、5万円、7万円、そして10万円以上と看板が掛かっており、早朝から申込みの列ができていた。
資本主義とは大したもの、信仰も習俗も経済原則に呑み込んでしまうのだ。1万円コースでは1万円相当の御利益があり、3万円コースではその3倍の御利益があるに違いない。少なくとも、善男善女はそう考えざるを得ない。商売繁盛・社運興隆・心願成就・除災厄除・学業成就・良縁祈願…、ご利益の有無も対価の金額次第。
私は神社めぐりの際には、参詣者が奉納するミニ絵馬を眺める。庶民のささやかな、しかし切実な願いに、心が和んだり痛んだり、共感したり反発したり。そして、必ず日付に注目する。西暦表示か元号かが関心事。最近は、どこの神社の奉納絵馬も、西暦表示派が圧倒している。本日の神田明神は、「2021年」の表示がほぼ8割。「令和3年」は2割に満たない。
ここに祭神として祀られている平将門とは、ときの朱雀天皇に敵対して自ら「新皇」と称し、坂東の独立を宣言した人物。今の世なら内乱罪の首謀者である。当然に、朝敵となって討伐されたが、民衆の人気故に、死して平将門命となり祭神として祀られている。
天皇に対する反逆者として死亡した「平将門の命(みこと)」が一世一元の元号使用を快しとするはずはない。果たして、「令和3年」表示派に、御利益を与える寛容さがあるだろうか。
改めて考える。この国では長く朝廷こそが「正統」であった。しかし、朝廷に深い怨みを抱く菅原道真や平将門が民衆に人気を博していることは興味深い。朝敵という「異端」を祀ろうという庶民の心意気に敬意を表したい。
正統に対峙する「異論」こそが、民主主義に死活に重要なのだ。朝敵という「異端」を神として祀るなどは、「異論」表明の最たるもの。とすれば、湯島天神も、神田明神も、「民主主義神社」であったか。賽銭を投じる気持ちまでにはならないが、明治神宮には背を向けても神田明神には一礼くらいはしてもよいのかもしれない。
「柳田角之進」は、志ん生の持ちネタとしてよく知られた講釈噺。たくさんのテープやCDがあるような気がするが、音源は3種だけだという。いずれも晩年の録音で、彼自身が「50年前に師匠の圓喬に教わったのではない。高座の袖で聞いて覚えた」という。円熟した年齢になってから、演じる気持になったのだろう。
円熟した話芸で聞く者を引き込み、1時間にも及ぶ語りを飽きさせない。しかし、内容はつまらない噺である。と言うよりは、なんとも馬鹿馬鹿しい噺。こんな馬鹿馬鹿しい話を、聞かせるのだから、やはり志ん生は大したものだ。
志ん生は、マクラで「落語にも、ただ笑うだけの噺ばかりではなく、学校じゃ教えない聞いてためになる話もある」という。本気でこの柳田角之進を教訓話として語っていたようなのだ。しかし、今の世にこんなものを教訓にされたのではたまらない。これは、人権軽視の極論。女性の人格を無視した話、家柄だの、武士の意地だのつまらぬものに翻弄された前時代の遺物なのだ。
落語には、体制や権威を笑い飛ばす健康さがあり、そこが現代に通じる魅力となっている。ところが、講談の主流はそうではない。どうしても忠君愛国に傾き、男尊女卑にながれ、高座からムチャクチャな教訓を垂れるという趣がある。柳田角之進も、その手のものと紙一重なのだ。
彦根藩士の柳田角之進、牛の角の曲がっているのも大嫌いという大変な堅物。「水清ければ魚住まず」、上司に煙たがられて讒言に遭い今は浪人暮らし。娘と二人、江戸浅草阿部川町の裏長屋に侘び住まいの身。やることと言えば碁会所に行くだけだが、ここでちょうどよい碁の相手が見つかる。浅草馬道の質屋、万屋源兵衛という大店の旦那である。源兵衛から誘われるままに、万屋へ行って毎日碁を打っていた。
8月15日月見の晩に、万屋で50両の金がなくなるという事件が持ち上がる。角之進と源兵衛の二人だけの密室での源兵衛の金の紛失である。当然に角之進が疑われる。翌朝番頭の徳兵衛が主人には内緒で柳田宅を訪れ、その最後の言葉が、「50両の大金です。出るべきところに出て、お届けしますので、取り調べがあるかも知れませんが、ご勘弁ください」。これを聞いて、角之進は覚悟する。「それは困る。天地神明に誓って私の知らぬことだが、しかしそこにいたのが私の不運だ。その50両、私が出そう。明日取りに来てくれ」。
50両の工面ができる当てはない。役人に取り調べを受けたら弁解は難しい。仮にも縄目の恥辱は家名を汚すことになる、それよりは切腹しようという覚悟。娘に番町の叔母のところに泊まって来いと言いつけると、父の心中を察した娘は、こう言う。「親子の縁を切ってください。自分は吉原の泥水をすすって、その50両をこしらえましょう」「その代わり、身の潔白が明らかになったときには町人二人の首をはねて、武士の意地をお示しください」。角之進はこれを承知して、50両を手にする。
こうして50両は番頭の手に渡る。その際番頭は「もし、後刻50両が出てくるようなことがあったら、私のクビに、主人のクビを添えて差し上げましょう」と約束する。この後、格之進は行方知れずとなる。
その年の12月28日煤払いの日に、万屋の離れの額の裏から50両が出て来て大騒ぎとなる。店の者も手を尽くして角之進を探すが見つからない。年も明けた正月4日。雪の降る湯島切り通しの坂で、番頭徳兵衛は、立派ななりをした武士と出会う。これが、彦根藩留守居役に返り咲いた柳田角之進。徳兵衛から事情を聞いた角之進は、「明日万屋に出向く。二人とも首筋をよく洗っておけ」。
そして明くる日、角之進は万屋へやって来る。が、主人と番頭が互いにかばい合って、自分だけを切ってくれという。それを目の当たりにした角之進は、刀を鞘から払いながらも首をはねることができない。志ん生は、「二つの首がコロリと落ちた、などと私はしない」と笑わせる。
助命された源兵衛は、角之進の娘が50両の為に苦界に身を沈めていると聞き、直ちに身請けをし、これを養女とする。角之進は、これに番頭徳兵衛を娶せる。ここで志ん生は、角之進に「忠義の番頭と、親を助けた孝女」「忠と孝との目出度い婚礼」と言わせている。この夫婦から生まれた子を柳田が引き取り、家名を継がせたという。最後にサゲはなく、「『堪忍のなる堪忍はたれもする、ならぬ堪忍するが堪忍』。柳田の堪忍袋でございます」で締めくくられる。
さて、いったいこれが教訓話になるだろうか。簡単に切腹を覚悟する柳田角之進がまずはおかしい。彼を縛っていたものは武士の意地であり家名である。角之進は、命よりも家名を重んじようという愚かな男。何よりも命を大切にすべきことを知らなければならない。
次いで、角之進の娘(きぬ)である。「父上が切腹しても相手は町人。悪事露見したから腹を切ったというでしょう。身の証しにはなりませぬ」「身の潔白が明らかになったときには町人二人の首をはねて、あかき武士の意地をお示しください」などと言う。差別意識丸出し。親のために身を売る娘を美談にしてはならない。
そしてまた、角之進である。娘の苦界への身売りを容認してしまうのだ。話では、娘は18歳、児童虐待とは言えないが、「済まぬ」などと謝りながらも50両を受け取ってしまう。たいへんな虐待親父である。
一番おかしいのは、身分が復帰して質屋の番頭が驚くほどの上等な服装をしている角之進が、娘を吉原に置いたままにしていることである。これは、ネグレクトにほかならない。
教訓というなら、「こんなひどい話が過去にはありました」「こんなひどい話を教訓としていた時代もありました」という具合でなければならない。もっとも、冤罪を晴らすことの難しさや冤罪被害者の絶望についてであれば、教訓として受けとめられるかも知れない。またあるいは、白州の時代、糾問主義刑事司法の恐ろしさとしてであれば。
(2020年4月27日)
コロナ禍・アベ禍のさなかにも季節はめぐる。昨日(3月14日)、東京に開花宣言である。「暖冬で観測史上最速、満開は23日見込み」と報じられている。
「銭湯で上野の花の噂かな」をキーワードに検索したところ、幾つかの私の過去のブログが出てきた。まずはその抜粋。
本日の東京の天気は上々。桜も咲いた。
銭湯で上野の花の噂かな
佃育ちの白魚さえも花に浮かれて隅田川
花がほころべば、自ずと顔もほころぶ。春はよろしい。
https://article9.jp/wordpress/?p=2358(2014年3月29日)
花の名所は数あるが、花見の名所は上野を措いてない。ここが花見の本場、花見のメッカだ。花見とは、花を見に行くことではない。ようやく訪れた春の、浮き浮きしたこの気分の共有を確認する集いなのだ。
花は植物で、花見は社会現象である。花は美しく、花見は猥雑である。人がいなくても花は花だが、大勢の人がいなくては花見は成立しない。老も若きも、男も女も、赤子も犬も、猫も杓子も参加しての花見だ。歩くあり、しゃがむあり、座り込むあり、寝込むもあり。杖をつく人も、車椅子の人も。人、人、人。寄せては返す人の波だ。
絶え間なく歩く人と、シートに座を占めた人々。それぞれが、しゃべり、写真を撮り、弁当を開き、酒を飲んでいる。歌もあり、踊りもある。屋台の前のごった返し、席取りのいざこざ、満員のトイレの列への割り込みを非難する声も、カタクリの蕾を踏んじゃダメだという注意も、皆なくてはならない花見文化の構成要素。
年に1度のこの雑踏の雰囲気が、我々の民族的アイデンティテイ。とはいえ、この上野の人混みの中に飛び交ういくつもの外国語。そしていろんな肌の色の人々。ああ、花見文化の浸透力の強さよ。
銭湯で 上野の花の 噂かな (子規)
https://article9.jp/wordpress/?p=10136(2018年 3月 26日)
これまでの上野の春は、上述のとおりだ。ところが、今年の上野はたいへんな様変わりなのだ。やはり子規の句に、「寐て聞けば上野は花のさわぎ哉」とある。上野の花は子規の時代さながらに例年のとおりなのだが、花のさわぎがない。いや、そもそも人混みがない。飛び交ういくつもの外国語も、いろんな肌の色の人々もない。
つい先日まで、上野公園の雑踏はインバウンドの人びとで溢れ、ときたまに聞こえる日本語は実に懐かしい響きだった。啄木ありせば、昨年までなら「やまと言葉なつかし 上野の森の人ごみに そを耳にせり」と詠んだところだが、今年聞こえるのは日本語ばかり。その人びとも、濃厚接触するほどの人混みを作らない。しかも公園は、宴会はだめ、酒はだめ、座り込むもだめという。
子規が句を詠んだ時分、根岸の銭湯での噂話はこんなものだったろうか。
お山の花は、もう五分咲きかい。気もそぞろだね。
ご隠居。はやいとこ出かけないと、散ってしまいますぜ。
上野戦争の時にはおどろいたが、穏やかに花見のできるご時世はありがたい。
これだけは文明開化とは無縁でね、昔どおりでなくっちゃ。
薩摩や長州の連中がいばっているのがシャクな世の中だが、あのとき焼けた桜も立派になったものだ。
ご隠居は、花の下で一句ひねろうてんでしょ。こちとらは、仲間と酒盛りの楽しみ。
ああ、明日花の下でお目にかかろうじゃないか。
最近は、ずいぶんと様変わり。
えっ。3月14日に開花宣言だって?
それがご隠居、地球温暖化のせいでね。どんどん開花がはやくなっているんですよ。
震災や戦災の時には、上野の山は焼け出された人びとの逃げ場になってな。穏やかに花見のできる平和はありがたいね。
ところが、今年は穏やかじゃない。グローバリゼーションがあだとなって、あっという間のコロナの流行り。花見はしたいが、コロナが恐い。
コロナより恐いのがアベ政治じゃ。苛政は虎よりも猛しというではないか。火事場泥棒みたいに、特措法の改正までやりおって。国民の不幸で生き延びているのが、アベ政権。シャクな世の中よ。
結局、ご隠居は花の下での句会もできない。こちらは、仲間との酒盛りの楽しみもだめ。
来年こそはコロナもアベもない、穏やかな春を迎えたいものじゃのう。
(2020年3月15日)
2月11日「建国記念の日」が迫ってきた。「国民の祝日に関する法律」は、この日を「建国をしのび、国を愛する心を養う」としている。もっとも、同法には「建国記念の日」を2月11日にするとは書き込まれていない。「政令で定める日」とされているのだ。他の祝日にはないこの「記念の日」に限っての決め方。
「憲法記念日」は「憲法記念の日」とは言わない。5月3日と法がきちんと決めてもいる。「憲法」の誕生日が1947年5月3日であることは誰にとっても自明なことで動かしがたい。しかし、「建国」つまりは国の誕生日となると、一義的に決まるわけではない。人それぞれの考え方によって異なってくる。
よく知られているとおり、2月11日を「建国記念日」として祝日にしようという法案は、自民党が9回国会に提案して9回つぶれた。ようやく成立したのは、「建国記念の日」として、期日を特定しない法案だった。つまり、「建国記念の日」という名の祝日が先にできて、その日をいつにするかは、そのあとで決めたのだ。学識経験者の「建国記念日審議会」が半年間の審議をし(正確には,審議をした振りをし)、2月11日案を答申して、政令が成立したのだ。
紀元節復活を許すか否か。保守と革新の歴史観が衝突した大事件だった。言うまでもなく、2月11日は神話における初代天皇即位の旧紀元節。この「祝日」は、天皇制を考えるべき日である。この日は、多くの学習会や後援会の企画がある。私も下記のとおり小集会で講演をする。
ご参加いただいて、ご一緒に日本の歴史やナショナリズムについて考えていただけば、ありがたいと思う。
日時:2月11日 13時30分?16時30分
講演:「異常な令和フィーバーを考える」
講師:澤藤統一郎(弁護士)
場所:亀戸文化センター(カメリアプラザ5階)
亀戸駅下車歩2分 03ー5626ー2121
資料代:500円
問合せ先:090-8082-9598
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異常な「令和」フィーバーを考える
?「建国記念の日」に天皇制を問う
? 安倍晋三の「令和私物化」を憂うる
☆安倍晋三は、国政を私物化し、行政を私物化し、
さらに時代と天皇までを私物化している。
言うまでもなく、天皇(制)とは、権力に利用される道具として存在している。
歴史的に天皇の権力が失われて以来、
権力者は天皇の権威を損なわぬよう留意しつつ、これを利用した。
安倍晋三も、政権浮揚の小道具として、天皇の交替を徹底して利用してきた。
新元号・令和の利用もその一端である。
☆元号・改元とは、天皇が時を支配するという呪術的権威の表象である。
安倍晋三は、天皇のこの呪術的権威をわがものとして利用した。
天皇交替と改元をことさらに世間の関心事と喧伝し、常にその「国民的関心事」の耳目を集めようと腐心してきた。(しゃしゃり出てきた)
☆安倍晋三・記者会見(2019年4月1日)
本日、元号を改める政令を閣議決定いたしました。新しい元号は「令和」(れいわ)であります。これは「万葉集」にある「初春の令月にして 気淑く風和ぎ 梅は鏡前の粉を披き 蘭は珮後の香を薫す」との文言から引用したものであります。
元号は、皇室の長い伝統と、国家の安泰と、国民の幸福への深い願いとともに、1400年近くに渡る我が国の歴史を紡いできました。日本人の心情に溶け込み、日本国民の精神的な一体感を支えるものとなっています。この新しい元号も広く国民に受け入れられ、日本人の生活の中に深く根差していくことを心から願っています。
(漢籍からではなく「初めて国書から撰んだ」とも)
☆安倍晋三・即位後朝見の儀 国民代表の辞(2019年5月1日)
謹んで申し上げます。
天皇陛下におかれましては、本日、皇位を継承されました。国民を挙げて心からお慶び申し上げます。
ここに、英邁なる天皇陛下から、上皇陛下のこれまでの歩みに深く思いを致し、日本国憲法にのっとり、日本国及び日本国民統合の象徴としての責務を果たされるとともに、国民の幸せと国の一層の発展、世界の平和を切に希望するとのおことばを賜りました。
私たちは、天皇陛下を国及び国民統合の象徴と仰ぎ、激動する国際情勢の中で、平和で、希望に満ちあふれ、誇りある日本の輝かしい未来、人々が美しく心を寄せ合う中で、文化が生まれ育つ時代を、創り上げていく決意であります。
ここに、令和の御代の平安と、皇室の弥栄をお祈り申し上げます。
☆10月22日 即位正殿の儀における 「テンノーヘイカ・バンザイ」
☆11月14日 宗教儀式(秘儀)・大嘗祭
☆臣民根性丸出しの数々の愚行が、国民のウケ狙いで行われていることの問題性。
?「建国記念の日」とは何か
☆「建国」のイデオロギー
人には誕生日がある。果たして国にも誕生日はあるのか。
「国」をどう捉えるか。
フランスでは アメリカでは 中国では 韓国では そして日本では?
紀元節における天皇制ナショナリズム
高天原神話⇒天孫降臨⇒東征⇒神武即位
明治政府が初代天皇即位の日をBC660年2月11日と決めた。
さしたる根拠はなく、天皇即位を建国とするイデオロギーが重要だった。
この日を「紀元」として、皇紀を数えた。
☆明治政府は、天皇の権威をもって国民を統合し統治しようとの設計図を描いた。
天皇は神であり、道徳・文化の根源であり、大元帥であり、
それ故に、統治権の総覧者とされた。
国家権力が「神なる天皇」という虚構を「臣民」に教化した。
壮大なデマとマインドコントロールの体系として神権天皇制はあった。
理性を持つ者は、沈黙か面従腹背を余儀なくされ、あるいは非国民として徹底して弾圧された。
☆敗戦による民主化は、旧体制と断絶した新生日本を作り出した…はずだった。
新憲法によって天皇は神の座から引き摺り下ろされて「象徴」となり、
主権者でも、大元帥でもなくなった。
「臣民」に貶められていた国民は、主権を獲得した。
ところが、民族の歴や文化は連綿として一体であって、
「戦前と戦後は連続している」という考え方がある。
その表れが、皇国史観であり、「皇紀2680年」「明治150年」の思想である。
☆法的には、建国記念の日制定(紀元節復活)・元号法制定・国旗国歌法制定と なり、さらに自民党改憲案での、憲法への取り込みがはかられている。
? 天皇の交替は何を意味するか
☆天皇という公務員職の存在は、「国民の総意」によるとされる。
演出され、作りだされる、「国民の総意」。
主権者に強制される祝意。本末転倒・主客逆転の実態。
天皇制とは、「権力に重宝なもの」として、拵えられ維持されてきた。
☆日本の民主主義は、天皇制と拮抗して生まれ、天皇制と対峙して育ってきた。
象徴天皇制も、強固な権威主義と社会的同調圧力によって支えられている。
いま、この同調圧力に抗する「民主主義の力量」が問われている。
天皇批判言論の自由度が、表現の自由のバロメータとなっている。
? 元号とは
☆天皇制を支える小道具は数ある。
元号・祝日・「日の丸・君が代」・叙位叙勲・恩赦・歌会始・御用達・賜杯・天皇賞・御苑・恩賜公園……等々。そのなかで、元号が国民の日常生活と天皇制を結びつける最大の役割を果たしている
☆元号のイデオロギーとは、
皇帝が時を支配するという宗教的権威顕示の道具であり、
政治的には、支配と服属関係確認の制度である。
☆古代中国の発明を近隣小権力が模倣した。「一世一元」は明治政府の発明品。
新憲法下の皇室典範はこれを踏襲した。
元号は天皇制と一体不可分である。
国民の元号使用の蔓延が天皇制を支える構造にある。
☆しかし、元号は、「欠陥商品」である。
元号は国民の日常生活において使用される道具として、消費生活における商品に擬することができる。
「商品」とは、消費市場における消費者の選択によって淘汰されるもの。
☆元号は、紀年法として、不便・不合理極まる欠陥を有する。
元号は、賞味期限も消費期限もあまりに短い。
元号通用の地域限定性は、耐えがたい欠陥である。
しかも、元号は必然性なく突然に変わる。
一人の人間の生死や都合に、他の全員が付き合わされる不合理。
国民生活における西暦・元号の併用コストは許容しがたい。
☆元号は、不便・不合理を越えて有害である。
元号は、天皇制を支える非民主的な存在として有害である。
元号は、天皇を神とするイデオロギーに起源をもち、
政教分離の精神に反する存在として有害である。
また元号は、現体制への服属を肯定するか否かの踏み絵となる点で有害である。
歴史やニュースの国際的理解を妨げる。ナショナリズム昂揚にのみ資する。
☆元号は、これを使いたくないと考える国民に、事実上使用強制となる点で、
思想・良心の自由(憲法19条)を侵害するものである。
☆いまどき、そんな欠陥商品が、何故大売り出しされるのか。
戦後民主主義の高揚期には天皇退位論だけでなく、元号廃止論が有力だった。
その典型が日本学術会議が内閣総理大臣と、衆参両院の議長に宛てた「元号廃止・西暦採用の申し入れ」(1950年5月・後掲資料)
元号の不合理だけでなく、民主国家にふさわしくないことが強調されている。
ところが、保守政権とともに、天皇制が生き延び、元号も生き延びた。
1979年には元号法が制定され、2012年自民党改憲草案には憲法に元号を書き入れる案となっている。
合理性を追及するビジネスマインドからは元号廃絶が当然の理だが、改憲指向・戦前指向・天皇制利用指向・歴史修正主義・ナショナリズム指向の安倍政権には、新元号制定を「手柄」とし、政権浮揚の道具とする意図があったと考えられる。そして、残念なことに、少なからぬ国民とメディアがそれを許している。
? 令和とは (ブログ「澤藤統一郎の憲法日記」2019年4月1日抜粋)
通常の言語感覚からは、「令」といえば、命令・法令・勅令・訓令の令だろう。説文解字では、ひざまづく人の象形と、人が集まるの意の要素からなる会意文字だという。原義は、「人がひざまづいて神意を聴く様から、言いつけるの意を表す」(大漢語林)とのこと。要するに、拳拳服膺を一文字にするとこうなる。権力者から民衆に、上から下への命令と、これをひざまずいて受け容れる民衆の様を表すイヤーな漢字。
この字の熟語にろくなものはない。威令・禁令・軍令・指令・家令・号令…。
もっとも、「令」には、令名・令嬢のごとき意味もある。今日、字典を引いて、「令月」という言葉を初めて知った。陰暦2月の別名、あるいは縁起のよい月を表すという。
令室・令息・令夫人などは誰でも知っているが、「令月」などはよほどの人でなければ知らない。だから、元号に「令」とはいれば、勅令・軍令・号令・法令の連想がまず来るのだ。これがイヤーな漢字という所以。
さらに「和」だ。この文字がら連想されるイメージは、本来なら、平和・親和・調和・柔和の和として悪かろうはずはない。ところが、天皇やら政権やら自民党やらが、この字のイメージをいたく傷つけている。
当ブログの下記記事をご覧いただきたい。
「憲法に、『和をもって貴しと為す』と書き込んではならない」
https://article9.jp/wordpress/?p=3765(2014年10月26日)
自民党改憲草案前文の「和」が、新元号の一文字として埋め込まれた。「令和」とは、「『下々は、権力や権威に従順であれ』との命令」の意と解することができる。いや、真っ当な言語感覚を持つ者には、そのように解せざるを得ないのだ。
元号自体がまっぴらご免だが、こんな上から目線の奇なる元号には虫酸が走る。今後けっしてこの新元号を使用しないことを宣言する。
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資料1(日本学術会議の「元号廃止・西暦採用決議」)
昭和25年5月6日
衆議院議長
参議院議長
内閣総理大臣
日本学術会議会長 亀山直人
元号廃止 西暦採用について(申入)
本会議は,4月26日第6回総会において左記の決議をいたしました。
右お知らせいたします。
記
日本学術会議は,学術上の立場から,元号を廃止し,西暦を採用することを適当と認め,これを決議する。
理 由
1. 科学と文化の立場から見て,元号は不合理であり,西暦を採用することが適当である。
年を算える方法は,もつとも簡単であり,明瞭であり,かつ世界共通であることが最善である。
これらの点で,西暦はもつとも優れているといえる。それは何年前または何年後ということが一目してわかる上に,現在世界の文明国のほとんど全部において使用されている。元号を用いているのは、たんに日本だけにすぎない。われわれば,元号を用いるために,日本の歴史上の事実でも,今から何年前であるかを容易に知ることができず,世界の歴史上の事実が日本の歴史上でいつ頃に当るのかをほとんど知ることができない。しかも元号はなんらの科学的意味がなく,天文,気象などは外国との連絡が緊密で,世界的な暦によらなくてはならない。したがって,能率の上からいっても,文化の交流の上からいっても,速かに西暦を採用することか適当である。
2. 法律上から見ても、元号を維持することは理由がない。
元号は,いままで皇室典範において規定され,法律上の根拠をもっていたが,終戦後における皇室典範の改正によって,右の規定が削除されたから,現在では法律上の根拠がない。もし現在の天皇がなくなれば,「昭和」の元号は自然に消滅し,その後はいかなる元号もなくなるであろう。今もなお元号が用いられているのは,全く事実上の堕性によるもので,法律上では理由のないことである。
3.新しい民主国家立場からいっても元号は適当といえない。
元号は天皇主権の1つのあらわれであり,天皇統治を端的にあらわしたものである。天皇が主権を有し,統治者であってはじめて,天皇とともに元号を設け,天皇のかわるごとに元号を改めるととは意味かあった。新憲法の下に,天皇主権から人民主権にかわり日本が新しく民主国家として発足した現在では,元号を維持することは意味がなく,民主国家の観念にもふさわしくない。
4.あるいは,西暦はキリスト教と関係があるとか,西暦に改めると今までの年がわからなくなるという反対論があるが,これはいずれも十分な理由のないものである。
西暦は起源においては,キリスト教と関係があったにしても,現在では,これと関係なく用いられている。ソヴイエトや中国などが西暦を採用していることによっても,それは明白であろう。西暦に改めるとしても,本年までは昭和の元号により、来年から西暦を使用することにすれば,あたかも本年末に改元があったと同じであって,今までの年にはかわりがないから,それがわからなくなるということはない。
資料2 元号法(昭和五十四年法律第四十三号)
1 元号は、政令で定める。
2 元号は、皇位の継承があつた場合に限り改める。
附 則
1 この法律は、公布の日から施行する。
2 昭和の元号は、本則第一項の規定に基づき定められたものとする。
(2020年2月7日・連続更新2503日)
2019年が本日で終る。今年は、天皇交替の歳で、新元号制定となった。これに伴う一連の動きの中で、日本の民主主義の底の浅さが露呈した不愉快な歳だった。いつもは筋を通している「日刊ゲンダイ」が、この暮れに中西進のインタビュー記事を掲載している。なんとも、筋の通らないふにゃふにゃの代物。歳の終わりを、そのインタビュー記事批判で締めくくりたい。(以下、赤字が日刊ゲンダイのインタビュアー質問、青字が中西回答。黒字が私見である)
考案者・中西進氏「令和とは自分を律して生きていくこと」
この表題からして荒唐無稽だ。「令和とは自分を律して生きていくこと」という文章自体がなりたたない。この一文の「令和」は、元号としての「令和」でも、時代としての「令和」でもない。漢字2字からなる熟語としての「令和」の意味を「自分を律して生きていくこと」だといいたいのだ。しかし、言うまでもなく、言葉とは社会的な存在である。勝手に言葉を作り、勝手にその意味を決めるなどは、権力者と言えどもなし得ることではない。この人、そんな不遜なことが自分だからできると思い上がっている様子で不愉快きわまりない。
今年の世相を表す「今年の漢字」に「令」が選ばれた。新元号「令和」はまもなく元年が終わろうとしているが、国をリードするべき政権への不信感は募り、国民生活も青息吐息で先行きは不透明だ。これから私たちは、新時代「令和」をどう生きていったらいいのか。「令和」の考案者で万葉集研究の第一人者、国文学者の中西進氏を訪ねてみた。
「これから私たちは、新時代「令和」をどう生きていったらいいのか。」が、恥ずかしくて、読むに耐えない。天皇が交替したから「新時代」、元号が変われば生き方も変わる、という発想は皇国史観に毒された臣民のものの考え方。奴隷の言葉と言ってもよい。主権者の発想ではなく、自由人の言葉ではありえない。わけても、ジャーナリストの矜持をもつ者が決してくちにすべき言葉ではない。
――令和元年は、どのような年だったでしょうか。
いい年だったと思います。とかく惰性的だった生活から、一挙に節目ができたんですから、これほどすごいことはないでしょう。平成の陛下が辞めるとおっしゃったことは、私たちを活性化する大きな出来事でした。みな、「はっ」としたはずです。目が覚めたような感じがしたんじゃないでしょうか。
これが、はたして学問をする人の言葉だろうか。この押しつけがましさには、開いた口がふさがらない。「平成の陛下」へのおもねりは勝手だが、「みな、『はっ』としたはず」などと、他人も同様と思い込んではにらない。天皇の交替で「一挙に節目ができた」と、あなたが思っても、私はそうは思わない。「目が覚めたような感じがしたんじゃないでしょうか」は,いささかなりとも主権者意識をもっている多くの国民に失礼極まる。
――確かに大きな変化でした。
インタビュアがこれではダメだ。まったく突っ込みになっていない。だいいち「変化」ってなんだ。なにがどう変化したのか。
僕はね、退位を示唆されてすぐに思ったんですが、日本国憲法を読んだことのある人なら、これほどに天皇陛下がリーダーシップをもって時代を動かすことができるとは誰も思わなかったと思います。憲法では退位を定めていないのに、肉体的な理由で、自ら天皇の地位を降りられたわけでしょう。上皇は徹底的な戦争否定論者でしたから、余計お疲れだったのかもしれませんが。ともあれ見事な新時代の誕生です。国政が変わったというより、文化の様式としての元号が変わったんです。だから大騒ぎになった。文化がいかに人間にとって大事なのかが分かったと思いますね。
「日本国憲法を読んだことのある人なら、これほどに天皇陛下がリーダーシップをもって時代を動かすことができるとは誰も思わなかったと思います。」は、概ねそのとおり。もう少し正確には、「日本国憲法を大切に思う人なら、これほどに天皇がその矩を超えたリーダーシップをもって、明確に違憲の提言をすることがあろうとは誰も思わなかったと思います。」と言うべきなのだ。
「文化の様式としての元号」とは、訳が分からんような表現だが、必ずしも分からなくもない。元号を小道具とした、タチの悪い天皇制賛美論を、「文化の様式」と言っているのだ。
――元号は文化でもあるんですね。
? 元号の伝統は、世界広しといえど現存しているのは日本だけです。みんな、西暦のほうが便利だということになり、やめてしまいました。確かに西暦はキリストの誕生から年数を数えて、機械的に数を重ねることができます。便利だけど、どこか無機質ではないですか? 片や元号は、統治の出発からの年数で「一世一元」ですから、天皇の代が替われば足し算できなくなり、年数を数えるうえでは不便です。それでも元号を使うのはなぜか。ある時代に対する美的な感覚のようなものではないでしょうか。
元号の不便は自明である。そのことについては、この人も認めているようだ。だから日常生活やビジネスにおける不便に耐えかねて、古代王政の遺物である「元号の伝統」は世界から姿を消したのだ。ところが、日本だけは、国民に不便を強いてもなお、元号を残し、かつ事実上その使用を強制するのはなぜか。この人は、その辻褄合わせを「文化」や「ある時代に対する美的な感覚のようなもの」で説明しようとしているのだが、いかにも自信がない。説得力に欠けるというほかはない。
元号は文化ではないか、と僕は思うんですね。その元号に、私たちはさまざまな希望を込めてきたわけです。公明に治める「明治」、昭らかな平和であれ、と願いを込めた「昭和」というふうに、いい元号をつけるのは、ひとつの期待感でした。ですから元号はある種の倫理コードの役割もあるんです。
ここには、多少のホンネが透けて見える。元号に、「私たちはさまざまな希望を込めてきた」のだという。これはウソであり、誤魔化しでもある。ウソの根源はこの人の言う「私たち」にある。元号の制定は、国民投票で決められたものではない。国会の審議も経ていない。いかなる意味でも、元号は国民の意思を反映したものではない。そもそも、本当に元号が必要なのかすら、しっかりとした議論がない。「私たち」の僭称は慎んでいただきたい。
この人のいう「私たち」は、おそらく「日本国の日本人」という意味なのであろう。日本における日本人とは、昭和までは「神なる天皇を中心とする國体における臣民」であった。臣民に元号策定の権限などあるべくもない。神なる天皇が時を支配し、元号の制定によって時代を改めるという、荒唐無稽の呪術的権威によって、改元は天皇の行為だった。
では、その後の2例の元号(平成・令和)の制定には、国民が関与したか。戦前と同様、政権は関与したが、主権者国民が関与したわけではない。憲法が変わり、国体観念もなくなったはずが、そうなっていないのだ。元号制定の経過は意図的に曖昧にされ、戦前と戦後が、太い一本の心棒でつながっている。その実質は天皇制ナショナリズムである。そういえば角が立つから、この人は「文化」と言っている。この「文化」は「国体」と何の変わりもない。
■宰相は「十七条の憲法」の尊重を
――国書を典拠とする初めての元号となった「令和」に込められた思いを改めて教えてください。
「令和」の2文字は、万葉集の「梅花の歌三十二首」の序文、「初春の令月にして 気淑く風和ぎ」から取られました。令の原義は「善」。秩序というものを持った美しさという意味があります。もっと噛み砕いて言えば、自律性を持った美しさ、ですね。「令は命令に通じるからけしからん」と言うのは、「いい命令」を考えていないのですね。「詩経」や「礼記」などの注釈には「令は善なり」と定義があるのです。
?一方、「和」はこれまで248種類作られてきた元号の中で今回を含め20回使われることになります。「和」の根源は、聖徳太子が定めた日本の最初の憲法「十七条の憲法」の第1条、「和を以て貴しと為す」にあります。聖徳太子という人は、徹底的に平和を教えた人。「平凡な人であることが平和の原点ですよ、自分が利口だと思うから争いが起こる」と604年に発言しているのですから、すごいことです。
? この人の言っていることは、独善であり牽強付会というしかない。えっ? 「令」とは「秩序をもった美しさ」ですと。「善い命令を考えよ」ですって。これは、完全に支配者の発想である。一糸乱れぬ軍隊の行進の美しさ。上命下達の官僚組織の美しさ。国民すべての思想と行動に目を光らせ不服従を許さぬ統制の美しさ。そんなものが、「私たちが元号に込めた希望」だというのか。批判あってしかるべきではないか。
――日本はその前年まで新羅と泥沼の戦争をしていました。
? 第2次世界大戦が終わった翌年に今の憲法ができたように、十七条の憲法も泥沼の戦争の次の年に作られました。ですから、非常に切実な願いが込められているんです。源実朝や藤原頼長ら代々の宰相たちはその聖徳太子が作った「十七条の憲法」を、尊重しようとしてきました。ぜひ今の宰相も「十七条の憲法」を尊重してもらいたいと願っています。
「十七条の憲法」は、保守派の大好きアイテムなのだ。自民党の改憲草案にも、産経の改憲案にも、「和をもって貴しとなす」が出て来る。なぜ、保守派が「和」が好きなのか。この「和」は、上命下服の秩序が保たれている状態を意味するからなのだ。けっして、同等者の連帯や団結を意味するものではない。「十七条の憲法」の第1条には「逆らうことなきを旨とせよ」と書いてある。下級が上級を忖度して、もの言わぬことが「和」なのである。この「和」は、民主主義とも国民主権とも無縁な支配者の求める秩序に過ぎない。こんなものを今の政治に求めてはならない。
それぞれがこのような意味を持つ元号「令和」は、自律性を持った美しさによって「国家」を築いていくという意味です。具体的に言うと、どんなに車が来なくても赤信号では道を渡らない。目の前に1000円が落ちていて誰も見ていなくてもポケットに入れない。それが自分を律するということ。
? 考案者は、新しい令和の時代をそう生きるべきではないか、という思いを込めたんだと思いますよ(笑い)。
何とも馬鹿馬鹿しい。ここで、「自律性」が唐突に出てくる。しかし、「令和」の「令」も「和」も、権力者の支配の秩序以外の何ものでもなく、言わば強いられた「他律」であって「自律性」が出てくる余地はない。言語とは飽くまで社会的存在なのだから、勝手な解釈での意味づけは慎んでもらわねばならない。
?新自由主義のもと弛緩した現代人
――平成の時代は自分を律することなく、自由気ままでいることをよしとする風潮だったかもしれません。
戦争が続いた昭和を経験したことで、「平らになる」平成を望んだわけですが、平凡に平らじゃ困る。そろそろ奮い立たなきゃいけません。アクティブな信号が必要になっていたんじゃないでしょうか。
信号がずっと青(OK)だと、何をしようと平気でしょう。新自由主義によって、経済や効率化が優先されるようにもなりました。“役に立たない”文化とは相いれません。多くを考えなくても生きていけるのは平和だとも言えるけど、人間の心が弛緩してしまいます。経済のことも、教育のことも、よくよく考えなければいけないことは、山積していると思いますね。
この人の頭の中は、ごちゃごちゃで未整理のままなのだ。こんな人が,「そろそろ奮い立たなきゃいけません。アクティブな信号が必要になっていたんじゃないでしょうか」という思いつきで考案した元号が「令和」だというのだ。繰り返すが、天皇制に対する信仰者でも、馬鹿馬鹿しくならないか。
「新自由主義によって、経済や効率化が優先されるようにもなりました」ですって? 本当に新自由主義のなんたるかがお分かりなんでしょうか。新自由主義と対峙するものとして、「文化(=元号)」を考えているようだが、浅薄きわまりない。
■文化は最大の福祉
――文化の衰退は国の衰退と同義語かもしれません。
?「文学で飢えた子を救えるか」という言葉がありますが、確かに肉体は養えません。けれど、心は養えます。文化とは最大の福祉です。福祉というのは生活が豊かになることではなく、心が豊かになることを言います。心の貧乏にならないために、自らを見つめ律する。「令和」らしい生き方をしていきたいものですね。
こういう言説は、眉に唾を付けて聞かなければならない。「福祉というのは生活が豊かになることではなく、心が豊かになることを言います。」は、暴言というほかはない。「福祉というのは、まず生活を豊かにすることだが、それだけでは足りず、心が豊かになることまでを考えなければなりません」と言うことなら分かる。しかし、どうもこの人は本気で、「文化によって、心を豊かにすることが、生活を豊かにすることに先行する」「最大の福祉とは、経済的に生活や医療・教育を成り立たせることではなく、文化(=元号)的環境を整えることにある」と考えているようだ。いかにも、今日の日本の支配層の考えそうなことではないか。
安倍政権の改憲策動と、天皇制と元号の批判で、2019年は暮れていく。歳が改まったところで、なにかが急に変わるわけではない。
明日からも、当ブログは政権と天皇制の批判を続ける。
(2019年12月31日)