本日(7月31日)午前、阪口徳雄君、児玉勇二君ら同期の弁護士とともに東京地検特捜部に赴き、下村博文らに対する政治資金規正法違反の告発状を提出してきた。
被告発人は、政治団体「博友会」の主宰者下村博文と、同会の代表者として政治資金収支報告の届出名義人となっている井上智治、そして同会の会計責任者兼事務担当者兼松正紀の3名。被告発事実は、下村が文科大臣だった2013年と14年当時における、政治資金パーティのパーティ券購入代金の収支報告書への「不記載」と「虚偽記入」。パーティ券購入先つまりは金主は、話題の加計学園である。
政治資金規正法違反は形式犯である。それだからこそ逃れがたいものの、実質的な違法性軽微として立件を免れるおそれなしとしない。しかし、記者会見で強調されたことは、本件告発は捜査の端緒に過ぎず、政治資金規正法違反はその入り口である。出口は実質犯、贈収賄成立の可能性となりうる。そこまでを見据えた厳格な捜査を期待したい、ということ。
下村が文科大臣となって(2012年12月?15年10月)以来、それまで年間20万円だった加計学園からの博友会への寄金額は、100万円に増額されている。しかも、加計学園が経営する岡山理科大学は、獣医学部だけでなく教育学部の新設(15年4月開学)も目指していた。
設立認可の権限をもつ大臣と、設立認可の申請をする事業者の、金を介しての癒着である。公正であるべき行政が歪められたと思わないのは、主権者としてあまりに鈍感というほかはない。
また、ことは政権中枢と加計学園という首相縁故者の癒着の問題でもある。20ページに及ぶ告発状の、14ページのスペースは「告発の理由」。背景事情に紙幅を割き、首相夫妻と下村夫妻、そして加計孝太郎学園長の親密さのうえに、加計学園問題があることを詳述している。本件告発は、捜査機関によるその解明のきっかけとなり得るのだ。
以下に、告発状の「被告発事実」についての概要だけをご報告する。
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第1 告発事実
1 加計学園からのパーテイーの対価に係る収入不記載罪
(1)「博友会」告発事実1(2013年加計学園からの100万円のパーティーの対価に係る収入の不記載の告発事実)
「博友会」の代表である井上智治と同会計責任者である兼松正紀は、「博友会」の実質的な代表である下村博文(以下この3名を総称する場合は「被告発人ら」と略す)と共謀の上、2013年10月3日東京プリンスホテル(東京都港区)における「セミナー」を開催したが、その際、「学校法人「加計学園」からのそのパーティーの対価に係る収入金100万円を受領しながら、同一の者からの政治資金パーティーの対価の収入で、その金額の合計額が20万円を超えるものについては、当該対価の支払をした者の氏名、住所及び職業並びに当該対価の支払に係る収入の金額及び年月日を「博友会」の2013年分政治資金収支報告書の収入欄に記載する義務あるところ、そのいずれも記載せず、2014年3月31日に同収支報告書を東京都選挙管理委員会に提出し、
もって政治資金規正法第25条第1項第2号(政治資金収支報告書の不記載罪)に違反したものである。
(2)「博友会」告発事実2(2014年加計学園からの100万円のパーティーの対価に係る収入の不記載の告発事実)
被告発人らは共謀の上、2014年10月14日東京プリンスホテル(東京都港区)における「セミナー」を開催したが、その際、「加計学園」からのそのパーティーの対価に係る収入金100万円を受領しながら、同一の者からの政治資金パーティーの対価の収入で、その金額の合計額が20万円を超えるものについては、当該対価の支払をした者の氏名、住所及び職業並びに当該対価の支払に係る収入の金額及び年月日を「博友会」の2014分政治資金収支報告書(以下「博友会2014年分収支報告書」という)の収入欄に記載する義務あるところ、それらを一切記載せず、2015年3月31日に同収支報告書を東京都選挙管理委員会に提出し、
もって政治資金規正法第25条第1項第2号(政治資金収支報告書の不記載罪)に違反したものである。
2 上記1の予備的告発事実
(1)告発事実1(1)の予備的告発事実(「政治資金パーティーの対価の支払のあっせん」の不記載罪)
下村博文が2017年6月29日の記者会見で釈明したようにパーティー券50枚分100万円を仮に「加計学園」の山中一郎・秘書室長が11人の者からそのパーティーの対価の支払いを集め「博友会」に提供した合計金であったとしても、それは政治資金規正法の「政治資金パーティーの対価の支払のあつせん」によるものであるから、20万円を超える対価の支払の場合は、当該対価の支払のあっせんした者の氏名、住所、職業、あっせんに係る収入金額、これを集めた期間、当該政治団体に提供された年月日を「博友会2013年収支報告書」に記載する義務あるところ、それらを一切記載せず、2014年3月31日に同収支報告書を東京都選挙管理委員会に提出し、
もって政治資金規正法第25条第1項第2号(政治資金収支報告書の不記載罪)に違反したものである。
(2)告発事実1(2)の予備的告発事実(「政治資金パーティーの対価の支払のあつせん」の不記載罪)
下村博文が2017年6月29日の記者会見で釈明したようにパーティー券50枚分100万円を仮に「加計学園」の山中一郎・秘書室長が11人の者からそのパーティーの対価の支払いを集め「博友会」に提供した合計金であったとしても、それは政治資金規正法の「政治資金パーティーの対価の支払のあつせん」によるものであるから、20万円を超える対価の支払の場合は、当該対価の支払のあっせんした者の氏名、住所、職業、あっせんに係る収入金額、これを集めた期間、当該政治団体に提供された年月日を「博友会2014年収支報告書」に記載する義務あるところ、それを、一切記載せず、2015年3月31日に同収支報告書を東京都選挙管理委員会に提出し、
もって政治資金規正法第25条第1項第2号(政治資金収支報告書の不記載罪)に違反したものである。
(3)上記2(2)に関する会計帳簿の虚偽記載の予備的告発事実
週刊誌に公表された一覧表「2014年博友会パーティー入金状況」が「博友会」の会計帳簿であるとすれば、上記2(2)の場合は、上記100万円が「政治資金パーティーの対価の支払のあつせん」によるものであること、その11名の各支払内訳を、会計帳簿にそれぞれ記載する義務があるところ、あたかも学校法人「加計学園」が2014年10月10日に政治団体「博友会」主催の政治資金集めのパーティー券100万円分を入金したかのごとき虚偽の記入をし、
もって政治資金規正法第24条第1号(会計帳簿の虚偽記載罪)に違反したものである。
(注)2013年の会計帳簿虚偽記載罪の公訴時効は3年であるので告発しない。
3 「博友会」のパーテイーの対価の「不透明性」に関する告発事実
(1)「博友会」パーテイの対価の不透明性に関する告発事実1(2012年パーティー券代収入計290万円の不記載の告発事実)
被告発人らは共謀の上、2012年9月28日東京プリンスホテル(東京都港区)における「セミナー」を開催したが、その際、「(株)東京インターナショナル」からのパーティー券代40万円、「(株)ナガセ」からのパーティー券代50万円、「都内貸金業男性」からのパーティー券代200万円を、それぞれ受領しながら、「博友会」の2012年分政治資金収支報告書(以下「博友会2012年分収支報告書」という)の収入欄に、そのいずれも記載せず、2013年3月29日に同収支報告書を東京都選挙管理委員会に提出し、
もって政治資金規正法第25条第1項第2号(政治資金収支報告書の不記載罪)に違反したものである。
(2)「博友会」パーテイの対価の不透明性(裏カネ)に関する告発事実?(2013年パーティー収入合計額2019万円の虚偽記載と裏カネにした金1039万円分の多額の「裏金」支出の不記載の告発事実)
被告発人らは共謀の上、2013年10月3日に開催された、東京プリンスホテル(東京都港区)における「セミナー」で合計約2019万円の収入がありながら、「博友会2013年分収支報告書」の収入欄に「政治資金パーティーの対価に係る収入」として合計額980万2円と虚偽の記載をし、かつ、「博友会2013年分収支報告書」の支出欄にその裏カネにした金1039万円分の支出を一切記載せず、2014年3月31日に同収支報告書を東京都選挙管理委員会に提出し、
もって政治資金規正法第25条第1項第2号・第3号(政治資金収支報告書の不記載罪、虚偽記載罪)に違反したものである。
(3)「博友会」パーテイの対価の不透明性に関する告発事実?(2014年加計学園からの100万円を除くパーティー券代収入計90万円の不記載の告発事実)
被告発人らは共謀の上、2014年10月14日東京プリンスホテル(東京都港区)における「セミナー」を開催したが、その際、「株式会社東京インターナショナル」から40万円、「日本医師連盟」から50万円を、それぞれ受領しながら、同一の者からの政治資金パーティーの対価の支払で、その金額の合計額が20万円を超えるものについては、当該対価の支払をした者の氏名、住所及び職業並びに当該対価の支払に係る収入の金額及び年月日を法12条において「博友会2014分収支報告書」の収入欄に記載する義務があるところ、それらを一切記載せず、2015年3月31日に同収支報告書を東京都選挙管理委員会に提出し、
もって政治資金規正法第25条第1項第2号(政治資金収支報告書の不記載罪)に違反したものである。
第2 罪名及び罰条
1 告発事実1について
告発事実1(1)(2)について
被告発人らの行為は政治資金規正法第25条第1項第2号(不記載罪)、刑法第60条(共同正犯)
2 予備的告発事実2について
(1)同2(1)(2)について
被告発人らの行為は政治資金規正法第25条第1項第2号(不記載罪)違反、刑法第60条(共同正犯)
(2)同2(3)について
被告発人らの行為は政治資金規正法第24条第1号(会計帳簿の虚偽記載罪)違反、刑法第60条(共同正犯)
3 告発事実3について
被告発人らの行為のうち告発事実2の「総額の収入についての虚偽記入」は政治資金規正法第25条第1項第3号違反。それ以外の告発事実の不記載は政治資金規正法第25条第1項2号違反。いずれも刑法第60条(共同正犯)。
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以上のとおり、第1項の「告発事実1」および「同2」が主位的告訴。添付の資料から常識的に推論可能な犯罪を告発事実とするもの。第2項の「予備的告発事実」は、容易には信じがたいが仮に被告発人下村の本件に関する記者会見での弁明が正しいものであったとした場合に成立する犯罪の告発である。
昨年(2016年)6月、東京地検は被告発人甘利明に対する「あっせん利得処罰法違反」告発を不起訴とした。再び、下村博文不起訴では、政権から独立した検察の権威を問われることになろう。是非、政権中枢に切り込む捜査を期待したい。
(2017年7月31日)
トランプ政権によるオバマケア潰しを阻んだ人物として、共和党のジョン・マケイン議員(アリゾナ州)が話題となっている。
民主党政権が成立させたオバマケア(「アフォーダブル・ケア・アクト」)に代わる法案の本命として、トランプ・共和党は「ヘルスケア・フリーダム・アクト」を提案して、下院は通した。そして、自信満々で上院の採決に持ち込んだが、7月28日否決に至った。満身創痍のトランプ政権に、また一つ深い傷が付け加わった。
上院の議席は各州2で100議席。その票決は、賛成49対反対51だった。その差わずか2票。反対票51の内訳は、民主党46、無所属3。これだけでは共和党の51議席にはおよばない。共和党からの2票の造反が採否を逆転させた。「ご意向」・「忖度」の程度を超えた、政権中枢や党幹部からの説得・圧力に屈しなかった2人のうちの1人が、ジョン・マケインである。彼は最近脳腫瘍と診断され闘病中と報道されていた。にもかかわらず、政治家としての存在感を見せた。
ジョン・マケインといえば、2008年大統領選挙で民主党オバマ候補の対立候補として接戦を演じたことが記憶に新しい。そのとき、生粋の軍人であること、戦闘機パイロットとしてベトナム戦争のヒーローであったことなどを知った。しかし、今、そのマケインがアメリカで再び尊敬を集めているという。もちろん、トランプとの対比においてである。
ベトナム戦争で彼は何度も死線をくぐっている。そして、撃墜されて重症を負い、さらにパラシュート脱出後民衆に殴打されて捕虜になり、5年に及ぶ過酷な捕虜生活に耐えたという。しかも、彼には早期釈放が提案されていた。マケインの父親(ジョン・S・マケイン・ジュニア)はアメリカ太平洋軍の司令長官となり、ベトナム戦域すべてを指揮する立場となった。それに伴ってのベトナム側からの釈放提案であったという。ところが彼はこれを拒否した。アメリカ合衆国軍の行動規範に”first in, first out”というものがあるそうだ。「自分より早く捕虜になった者がすべて釈放されるなら受け入れる」というのが、彼の拒否理由だった。
ベトナム戦争におけるアメリカの責任について免罪するつもりは毛頭ない。マケインも責任を分有しなければならない。しかし、廉潔や公平、自己規律という視点からは、自ずと別の評価が可能であろう。アメリカ軍の中にも、こういう人物はいるのだ。
そのマケインについてのもう一つの最近の話題が、2008年選挙集会でのある動画だという。彼が、民主党対立候補のオバマ候補を擁護した際の態度の公平さ、真摯さが、あらためて今、人々の称賛を集めていると報じられている。
その動画は、08年10月に中西部ミネソタ州でマケイン氏が開いた対話型集会の様子を映したもの。女性支持者が「オバマは信用できない。彼はアラブ人だ」と発言した。当時、支持者の中ではオバマ氏が過激派テロリストと関係しているなどの中傷が流布していた。マケイン氏は首を振りながら女性のマイクを取り上げ「違います。彼は家族を愛するまっとうなアメリカ市民です。彼と私はたまたま基本的な事柄について意見が異なるだけです」と諭した。
マケイン氏はその後も、会場の共和党支持者からブーイングを浴び続けながら「オバマ氏が大統領になっても恐れる必要はない。この国の政治は相手への敬意が基本だ」などと語った。
今月(7月)19日に脳腫瘍の診断を発表したマケイン氏に対し、共和、民主両党から早期回復を願う声が寄せられている。オバマ氏はツイッターで「マケイン氏は米国の英雄で最も勇敢な闘士だ。誰と戦っているのか、がんは分かっていない。ぶっ飛ばしてやれ」とエールを送った。(以上、「毎日」からの引用)
「彼と私とはたまたま意見が異なるだけです」「意見は異なっても、相手への敬意が基本」とはなかなか言えることではない。選挙という修羅場の中で、現実にそう言ったことで、マケインはいま尊敬を集めているのだ。
トランプとの比較もあろうが、「政治の私物化」「えこひいき」「隠蔽」「嘘つき」等々の非難の中、保身に汲々とするのわが国の政権にも、このような爽やかさがほしい。もっとも、尊敬すべき保守ほど手強い相手はいない。安倍政権の爽やかならざる隠蔽・嘘つき体質は、僥倖というべきなのだろう。
(2017年7月30日)
立憲主義をないがしろにし、憲法への敵意を剥き出しにしてきたのが安倍晋三「壊憲」内閣。かつての保守本流とは明らかに一線を画した危険な政権と指摘せざるを得ない。無理矢理に国費を金融市場に注ぎ込んで株価を押し上げ、「他の政権よりマシだから」という目眩まし国民世論の消極的支持を得てここまで命脈を保ってきた。その安倍政権が、ようやくにして崩壊寸前となっている。まさしく「築城3年、落城1日」の趣き。もう一息だ。
その落城寸前の安倍政権に打撃を与えた最大の功労者は、安倍晋三本人を除けば、稲田朋美という獅子身中の虫と万人が認めるところ。そのオウンゴール功労者が、「大臣としての資質に欠ける」「無能」「無責任」「隠蔽体質」「嘘つき」と火だるまになって、防衛大臣を辞任した。誰もが、いろんな角度から「辞任は当然だが、遅きに失した」と述べている。
昨日(7月28日)午後1時半すぎ、不名誉な辞任会見を終えて防衛省を去るに際して、記者団から「今の心境は」と尋ねられ、この人は、意味不明のにやけ顔で、「空(くう)ですね」と述べている。ことの重大さと自分の責任をまったく自覚していない風の不遜な態度。この人には、現実感というものが感じられない。常に、学校劇を演じてセリフをしゃべっているような浮遊感が漂っている。国民をなめきった所作と言葉。最後の最後まで、自らの資質の欠如、政治家としての「不適材」ぶりを誇示して、安倍晋三の人選の過誤、任命責任の深刻さを印象づけた。さすがに、オウンゴール名手としての名に恥じない。
おそらくは、あの記者会見は内閣支持率の幾ばくかの低下に確実に寄与した。こうして、安倍政権が崩壊し改憲・壊憲の動きにストップがかかれば、振り返って稲田朋美こそが日本国憲法の危機における救世主だったともなり得る。いずれは、感謝状を贈らねばならない。
ところで、稲田が言った「空」とは何だろう。言葉は社会的存在であるから、主観の忖度を離れて「空」の客観的な意味を探らなければならない。
「空」とは形声文字で、「穴」に音符の「工」を付したものという。「穴」は穴居生活の住居の象形(「偕老同穴」が分かり易い)で、くぼみ、へこみの「あな」を表す。「工」は、ノミなどの工具の象形文字で、この場合は音符となっているが元の意味を失っていない。大漢語林(大修館)では、「工具などでつらぬいた穴の意味から、むなしいの意味を表し」「転じてそらの意味を表す」。また「工は、広いの意味。広い穴、そらの意味とも考えられる」とされている。つまり、「大きな空っぽの穴」が原意であり、派生して「そら」になったという。
もともとが、「むなしい」「中身がない」「空っぽ」「実がない」という意味であり、やや転じて「うそ」「いつわり」「落ち着きを失った状態」「かいがない」「いたずらに」「むだに」との意味となったというのだ。
根も葉もない言葉を「空言」あるいは「空語」という。和語では「そらごと」。いつわりの涙は「空涙」。空虚・空吟・空耳・空理・空論・空文・空名・空想・空談…と、「空」とは実の伴わない空っぽのことなのだ。なるほど、中身なく責任感に欠けた「空っぽ政治家」が大臣辞任時に口にするに、まことにふさわしい言葉ではないか。
稲田朋美は、民主党政権時代に国会質問で、舌足らずながらもやたらと攻撃的な言葉使いで話題を提供した人物。当時の菅直人首相が、「私も野党時代、かなり厳しい言葉を使っておりました。 しかし、これほど汚い言葉は使わなかったつもりであります。」と反論したほど。
その稲田が、本会議でこう言ったことがある。
「民主党政権には日本の主権を守る意志がない。領土を守る意志がない。家族と地域社会を守る意志がない。そして何よりも国家観がない。この国がどんな国を目指すのかという理念もない。つまり、意志も国家観も理念もない、からっぽの政党なのです。」
いま、自らを「からっぽの政治家なのです」と自覚し、自嘲した言葉が「今の心境は空ですね」という意味かと、その捨てゼリフに納得がいく。
(2017年7月29日)
本日(7月28日)午前。大阪地裁の門前に二つの幡(はた)が躍った。一つは「勝訴」。そしてもう一つは、「行政の差別を司法が糺す!」。大阪地裁は、司法本来の使命をよくぞ果たした。裁判所にも、この裁判を支えた原告側の関係者にも敬意を表したい。
この裁判は、2013年1月24日の提訴。原告は、東大阪市で大阪朝鮮高級学校などを運営する学校法人「大阪朝鮮学園」。被告は、国。朝鮮学校を無償化の対象から外した国の「不指定処分」の取消を求める取消請求と、指定の義務付け請求の訴訟。今月19日の、同種訴訟での広島地裁判決が原告敗訴だっただけに、本日の判決はとりわけの感動をもって受けとめられた。原告弁護団の丹羽雅雄団長は、「裁判所は良心と法の支配のもとで適正な事実認定、判断を下した。我々の全面勝訴だ」とコメントしている。
高校の授業料の無償化(就学支援金支給)制度は2010年、民主党政権時代に導入された。この制度から、朝鮮学校だけを対象から外したのが、第2次安倍政権。ブラジル学校、中華学校、韓国学校、インターナショナルスクールなど、39校の外国人学校が文部科学大臣の指定を受けているが、朝鮮学校10校だけが除外されているという。「拉致問題の進展がない」「朝鮮総連との密接な関係から国民の理解を得られない」ことを理由とするもの。高校生に何の責任もないこと。
この制度で、外国人学校が無償化(就学支援金支給)の対象となるには文部科学大臣の指定を受ける必要があり、すべての朝鮮学校がその申請をしたが、2013年2月に申請拒否の処分となった。本日の判決は、原告の請求を認容して、国の「就学支援金の不支給処分を取り消す」とともに、被告国に対して「就学支援金の支給処分をせよ」と命じた。これは、安倍内閣の民族差別政策に対する断罪でもある。
同種訴訟は全国5地裁に係属している。請求内容は、「不支給処分取消」「支給処分義務付」、そして「国家賠償」の各請求である。提訴順に以下のとおり。
2013年1月24日
大阪地裁 原告 大阪朝鮮学園 処分取消・支給義務付
2013年1月24日
名古屋地裁 原告 生徒・卒業生10名 国家賠償
2013年8月1日
広島地裁 原告 広島朝鮮学園 処分取消・支給義務付
? 原告 生徒・卒業生110名 国家賠償
2013年12月19日
福岡地裁 原告 生徒・卒業生68名 国家賠償
2014年2月17日
東京地裁 原告 生徒・卒業生62名 国家賠償
このうち、広島と大阪が判決に至った。残る3件が審理続行中だが、東京訴訟が結審し、9月13日判決の予定である。
この種の訴訟は、行政裁量との闘いである。裁判所は民主的な手続で運営されている(はずの)行政の裁量を大幅に認める。法の趣旨や理念から大きく外れる場合に限って、処分が違法となる。裁判所は民主的な手続によって構成されない。その裁判所の行政への介入は最小限度であるべきという司法消極主義が、わが国の伝統となっているのだ。広島地裁判決は、このハードルを越えられないものだった。
しかし、本日の判決は、軽々とこのハードルを越えた。原告側の主張は、「北朝鮮との外交問題を理由に不利益を与えるのは差別意識を助長し違法」という平等権(憲法14条)を骨子とするもの。本日の大阪地裁(西田隆裕裁判長)判決は、「無償化に関する法律を朝鮮学校に適用することは、『拉致問題の解決の妨げになり、国民の理解が得られない』という外交的、政治的意見に基づいて対象から排除したと認められ」「教育の機会均等とは無関係の外交的、政治的意見に基づく処分で違法、無効」と指摘して、国の処分を取り消し、無償化の対象に指定するよう命じた、と報じられている。
いま、安倍内閣が揺らいでいる。安倍内閣の憲法無視の姿勢がようやくににして批判の対象になってきているということであり、近隣諸国民や在日に対する敵意涵養政策が揺らいでいるということでもある。民族差別や憎悪を助長する政策頓挫の意味は大きい。次は、9月13日の東京地裁判決に注目するとともに、支援の声を送りつつ期待したい。
(2017年7月28日)
当たり前のことですが、嘘つきはいけません。ね、稲田朋美さん。
「嘘つきは泥棒の始まり」と言いますよね。多分、「嘘をつくような人物は遵法精神に乏しく、そのため泥棒だってしかねない」という意味なのでしょう。「嘘つきは信用することができない。泥棒同然だ」ということでもあるでしょう。
ともかく、嘘つきは信用できないのですから、泥棒同様の取り扱いを受けなければなりません。社会的な信用を必要とする仕事をまかせるわけにはいかないのです。「民信なくば立たず」なんて2500年も前から言われていること。政治とは、国民からの信頼あって初めて成り立つものですから、政治家が「嘘つき」と言われるようになったら、もうオシマイです。
ところで、稲田朋美さん。あなたはたいへんに評判の悪い政治家でした。無知、無能、不誠実。やる気なく、信頼なく、実績なしの三拍子。トラブルメーカーとして政権の厄介者。右翼思想が右翼総理に気に入られただけの空っぽ政治家。政治家なんてこんなレベルでやっていけるという見本でしたが、さすがに「嘘つき」と呼ばれるようになったら、もういけません。あなたも、ようやく「自分はもうオシマイ」と気付いたようですね。
防衛大臣辞意表明と言われていますが、「国会議員ならできる」と勘違いしてはなりません。「福井1区の有権者なら、こんな無能で嘘つきの私でも、きっと許してくれるでしょう。」などと、なめてはなりません。潔く、謝罪のうえ政治の世界から身をお引きなさい。それが、あなたのためであり、国民のためであり、あなたの所属する政党のためでも、福井県民のプライドのためでもあることは間違いありません。
もっとも、人には思い違いというものがあります。だから、一概に人を「嘘つき」と決めつけることは難しいし、すべきでもありません。現に、あなたも「私の思い違いでした。その点は訂正して謝罪します」なんて、何度も言ってきましたね。つまり、「私は嘘つきではない。記憶違いをしていただけ」「悪いのは私ではなく、私の記憶力に過ぎない」という言い訳ですね。
でも、一連のその人の言動から、これは「嘘つき」と呼ばれても仕方がないということがありえます。むしろ、「嘘つき」と批判しなければならないことさえも。あなたの南スーダンPKO陸自日報隠し問題については、積極的な批判が必要なケースなんですよ。ことは、憲法や平和に関わる重大事なのですから。
しかも、興味深いのは、あなたの嘘を暴いた報道は産経グループにおいて、厳しいことです。思想的には、あなたやあなたを抜擢した安倍晋三と同じ、右翼のメディアがですよ。
フジ産経グループのFNNが、2017年2月13日「17時15分大臣室」に防衛省の幹部が協議した内容を記した直筆のメモを報道しました。これが生々しい。
南スーダンでのPKO活動の日報をめぐる問題について、このメモには、陸自の日報データが削除されずに残っていたこと、その報告を受けた上で、稲田さん、あなたが陸自の日報データが残っていたことを認識しながら自らが隠蔽に関与したことが記載されています。あなたの発言メモ。これは、ごまかしようがない。
辰己統幕総括官「破棄漏れがある」
稲田防衛相「7月7日から12日のもあったということ」
湯浅陸幕副長「紙はないかとしか確認しなかった。データはあったかというと、あった。今あったのは1件のみ」
稲田防衛相「明日(14日の予算委員会審議で)なんて答えよう」
稲田防衛相「今までは、両方破棄したと答えているのか」
米山大臣秘書官「データも破棄したと答えた」
このメモがあなたが、陸自の日報データが実際には存在していたことを知っていたことの動かぬ証拠。にもかかわらず、このあとあなたは、ヌケヌケと「私は一貫して情報公開を推進し事実解明に取り組んできた。非公表や隠蔽を了承する行動はこれまでの私の姿勢と真逆で相いれない」などと繰りかえし言っています。だから、「嘘つき」としか言いようがないのです。
確かに、世に言われているとおり、このメモの情報源は陸自の幹部以外にはなく、意を決しての彼らの大臣への叛乱なのでしょう。事態は容易ならざるものですが、こんな事態に至らしめたあなたの責任は重大であることをご認識いただきたい。
なぜ、総理はもっとすみやかに、あなたのクビを切れなかったのか。数々の無能ぶり、不祥事を見逃してきたのか。明らかに、自らが任命責任の追及を受けることをおそれ、自らに人を見る目のないことを暴露する結果になることを恐れたからにほかなりません。
政治家には、国民の安全と安心を守る責任がある。あなたを抜擢した安倍首相の口癖です。あなたには、自分と首相の保身しか頭になく、上の空で政治をもてあそんでいたにすぎません。そんなあなたに、国民はとうに見限っていたのです。辞任は遅きに失したとはいえ、恋々とその地位にしがみついている安倍首相よりは、ちょっとマシと言っておきましょう。
さあ、あなたを抜擢し任命し持ち上げ、数々の不祥事のあとにも重用し続けて事態を深刻な混乱に陥らせたもうひとりの責任者、そしてもうひとりの「嘘つき」でもあるこの人にも、きちんと責任をとってもらいましょうよ。ね、稲田朋美さん。
(2017年7月27日)
昨日と一昨日(7月24日・25日)、衆参両院での予算委員会閉会中審査が行われた。国家戦略特区制度を隠れみのにした、総理の友人への利益供与という加計学園疑惑。その疑惑が解明に至ったと白々しく言う者はないだろう。疑惑の核心に手が届いていないというもどかしさが残るばかり。新たな疑惑の深まりもある。この問題に幕を引くことはできない。幕引きを許してはならない。
「公正であるべき行政がゆがめられたのではないか」「その理由は、認可を申請する事業者が総理のオトモダチだったからではないか」。具体的な問題点を整理して、適切な証人を選定して、再度の追及が必要である。「どうせこれ以上は水掛け論」と、追及の手を緩めてしまえば、民主主義の敗北となる。
そもそもこの閉会中審査は、安倍晋三のイニシャチブで実現した。政権側の思惑としては、支持率低下に慌てて「行政私物化疑惑」「えこひいき疑惑」を払拭して国民の信頼をつなぎ止めようという舞台だった。政権延命のために、プライドを捨てて低姿勢に徹した安倍晋三だったが、所詮は形だけ。疑惑の払拭にも解明にも至らなかった。思惑外れであり、期待の内閣支持率回復はありえない。
次の注目舞台は、横浜市長選と、閉会中審査の安保委員会となる。選挙は民意の動向を表す場であり、安保委員会は政権の綻びを解明する場となる。後者は、稲田朋美防衛相による陸自日報隠し了承疑惑が焦点。稲田が居座ろうとも罷免されようとも、安倍政権に大きな打撃となることは必至である。
安倍内閣は既にアウトだ。少なくとも、レームダック。何かをなし得る力は既にない。9条改憲などもってのほかだ。安倍失脚後の安倍改憲政策の生き残りは、常識的にはないだろう。
安倍内閣のアウトは、岡山理科大学獣医学部設置認可の目は完全になくなったことも意味する。この2日間の質疑で明らかになった杜撰な関係省庁の審査は、新学部設置準備の杜撰をも物語っている。これで、新学部設置認可が可能とはとうてい考え難い。8月末日までに結論を出すという文科省の大学設置審議会が、まさか認可相当の判断をするとは考えられない。森友学園と同様、設立認可が得られないまま、校舎は取り壊しに至る公算が高い。
国家戦略特区における獣医学部の新設「4条件」(石破4条件)の充足すら具体的に検討されていない。加計問題として話題にならず、総理のご意向や忖度が幅を利かせた昨日までならともかく、今や国民の目が光っている。メデイアも手ぐすね引いている。ハードルは俄然高くなっているのだ。
「獣医師養成系大学・学部の新設に関する検討課題」は次の4要件である。
1.現在の提案主体による既存獣医師養成でない構想が具体化し、
2.ライフサイエンスなどの獣医師が新たに対応すべき具体的需要が明らかになり、
3.既存の大学・学部では対応困難な場合には、
4.近年の獣医師需要動向も考慮しつつ、全国的見地から本年度内に検討を行う。
だから、加計学園による、既存獣医師養成ではない独創的な獣医学部設立構想が具体化していなければならないが、そのような構想の説明も、審査の発表もない。
また、ライフサイエンスなどの獣医師が新たに対応すべき具体的需要が明らかにされなければならないが、そのような調査も説明もなされていない。
さらに、上述の構想が、既存の大学・学部では対応困難でなくてはならないが、そのような調査が行われていないことが明確になっている。
最後に、「近年の獣医師需要動向も考慮しつつ、検討を行わねばならない」ところ、むしろ近年の獣医師需要は減少し続けているというのが、所轄の農水省の現状認識である。
報道によれば、加計学園の教員確保も、教育条件整備も困難であろうというのが実情を知る者の見解である。総理のオトモダチに、不当な利益を享受させてはならない。大学設置審は、総理の意向の忖度などすることなく、岡山理科大学獣医学部設置認可申請に対して、「認可不相当」の断固たる答申をせよ。
(2017年7月26日)
昨日(7月24日)、閉会中審査の衆院予算委員会において、安倍晋三はこう述べたという。
「『李下に冠を正さず』という言葉がある。私の友人が関わることで、国民から疑念の目が向けられることはもっともなことだ。私の今までの答弁ではその観点が欠けており、足らざる点があったことは率直に認めなければならない。常に国民目線に立ち、丁寧なうえにも丁寧に説明を重ねる努力を続けていきたい」
殊勝な言葉のつもりなのかも知れないが、なんとも軽く歯が浮く。責任の重さの観点が決定的に欠けている。
「李下に冠を正さず」の成語の出典は、『古楽府』の「君子行」だという。デンデン総理が、「ボクだってこれくらいのことは知っている」とひけらかして見せたわけだ。
出典の原文は、以下の短い文章。
「君子防未然、不處嫌疑間。瓜田不納履、李下不正冠。」
《君子は未然に防ぎ、嫌疑の間に處(お)らず。瓜田に履を納れず、李下に冠を正さず》と読み下すようだ。君子たる者、嫌疑をかけられちゃおしまいよ、ということ。
また、調べて見ると、前漢の「列女伝」に、「経瓜田不納履、過李園不整冠」という成句があるという。
《瓜田を経るも履を納れず、李園をよぎるも冠を整さず》と読むのだろうか。これも同じ意味。
李園に実がたわわに成るころ、なにゆえ、その実の下において冠を正してはならないのか。答は自ずと明らかである。そんなことをする輩は、十中八九は李泥棒だからである。もう少し正確に言えば、「李下に冠を正す」行為は、李泥棒が嫌疑をごまかすための所作と相場が決まっているからである。収穫期の瓜田に入り込めばウリ泥棒。もっとも、必ずそうだと決めつけることは危険で例外の存在を否定できない。しかし、「李下に冠を正す」行為あれば明らかに嫌疑濃厚なのだ。
だから、原典も《君子は未然に防ぎ、嫌疑の間に處らず》と言って、「李下に冠を正す」行為を厳にいましめ、嫌疑の間に陥った場合には言及していない。瓜田でも李園でも、嫌疑をかけられた君子たる身には、みっともない言い訳はそれ自体見苦しい。「いったん疑われたらアウト」ということなのだ。
安倍晋三の言葉は軽すぎる。まだ、自分が国民からアウトの宣告を受けていることに気付いていないようなのだ。彼は、自分に「李下に冠」の行為があったから反省するという。しかし、「李下に冠」の行為を見咎められることは、窃盗の嫌疑をかけられること。そのような恥辱は君子には耐えがたいことのだ。ましてや一国の総理。「李下に冠」の疑惑を自覚すれば、潔く身を引く以外にはない。
安倍晋三は言う。「私の友人が関わることで、国民から疑念の目が向けられることはもっともなことだ」と。しかし、これではごまかしの域を出ない。国民目線に立つというのなら、もっと率直に誠実にこう言うべきなのだ。
「私・安倍晋三は、腹心の友のために、友が経営する学校法人の獣医学部新設の認可に関し、国家戦略特区諮問会議委員長の任にあることを奇貨として、公正であるべき行政をゆがめ、本来認可すべきではない特区認定をしたのではないかと、国民の皆様から重大な疑惑を招きました。
この「えこひいき疑惑」「政治の私物化疑惑」は、信なくば立たない政治の信頼に癒すべくもない深刻な損傷をもたらしたもので、民主主義社会における政治家として万死に値する深い罪を自覚し、自ら相応の責任を取らねばならないと覚悟を固めました。
私は、この責任を取って国会議員としての職を辞すことにいたします。当然に内閣総理大臣としての欠格事由にあたりますので、内閣は総辞職をし、総選挙をしなければなりません。国民の皆様には、再び政治の私物化などという疑惑を招く国会議員や内閣が誕生することのないよう投票にはくれぐれもご注意いただきたく、ふつつかながらせめてもの希望を申しあげます。
また、加計孝太郎さんには、私の不徳によってご迷惑をおかけしたことを深くお詫び申しあげ、新学部設立は諦めていただくようお願いいたします。そして、今後は慎重に友を選ばれるよう、《己に如かざる者を友とするなかれ》という論語の一節を贈らせていただきます。
以上のとおり、『李下に冠を正してしまった』政治家としての責任をとることを表明する次第です。」
(2017年7月25日)
「自民惨敗の都議選」(7月2日)に続く大型地方選挙として、民意の動向を占う機会と注目されていた仙台市長選。昨日(7月23日)投開票の結果、郡和子候補の勝利となった。同候補は、民・共・社・由の4野党共闘候補。「市民と野党」の共闘が結実したことになる。安倍内閣の支持率が急落するさなかでのこの結果、政権への影響は不可避である。それだけではなく、今後の野党共闘選挙のモデルとして大きな意義がある。
都議選は、部分的な野党共闘はあったものの基本は各政党の選挙戦。特殊な事情として、都民ファーストの会という本来保守でありながらヌエのごとき政治勢力の存在があった。反自民票の主たる受け皿の地位は、この政治勢力にさらわれた。しかも都議選では、「都ファ+公明」の選挙協力が成立し、自民は公明に離反されて孤立してもいた。
それと比較して仙台市長選は、与党勢力対野党勢力が四つに組んでの総力戦となった。「自・公の与党」対「民・共・社・由の野党」の闘い。極めて普遍性の高い選挙状況。いずれ迎える「天下分け目の」次の総選挙の小選挙区共闘のモデルケースである。地元紙「河北新報」の出口調査が、「無党派層の投票先は、自公候補28.1%、野党共闘候補45.2%」となっているのが象徴的である。野党共闘陣営が、無党派票(≒浮動票)獲得に成功し、ここで勝敗が決まった。票差は、16万5000票対14万9000票である。
河北新報の以下の記事も紹介しておきたい。
「(敗れた)菅原さんは自民、公明の政権与党に加え、盟友の村井氏(宮城県知事)、奥山氏(前仙台市長)が支える盤石の態勢だった。『だからこそ負けるわけにはいかない』と訴えたが、知名度不足を最後まで覆せなかった。
告示直前の都議選で自民が大敗し、学校法人「加計学園」問題などで安倍政権の支持率が下落する中での選挙戦。『国政どうこうという話は私の頭の中には全くない』と述べたが、支援した市議は『アゲンストの風が吹いた』と悔やんだ。」
けっして、野党が勝って当たり前の選挙ではなかった。
与党側候補には、自民公明の政権与党が付き、宮城県知事も前市長も推しているのだ。負けるはずのない「盤石の態勢」と言ってもよい。それでも投票率が上がり、野党共闘に票が流れた。『アゲンストの風が吹いた』のだ。
河北新報は次のようにも伝えている。
「村井氏(知事)との近さを前面に出したことで、他候補から『お友達政治は許されない』『市は県の支店ではない』との批判も招いた。落選が確実となり、事務所では吹っ切れた表情で敗戦の弁を述べ、支持者らに頭を下げた。村井氏と奥山氏は姿を見せなかった。」
こんな風にはならないだろうか。
「首相との近さを前面に出したことで、国民から『お友達政治は許されない』『行政は総理のご意向や忖度で動くべきではない』との批判も招いた。文科省の設置不認可が確実となり、愛媛県も今治市も、吹っ切れた表情で敗戦の弁を述べ、地元民に頭を下げた。しかし、加計学園も安倍晋三首相も姿を見せなかった。」
これも、河北新報記事。
「郡氏は民進、社民両党の宮城県連が支持し、共産党県委員会と自由党が支援。衆院議員を四期務めた知名度を生かし、幅広く支持を集めた。自民党県連と公明党県本部、日本のこころが支持した菅原氏は、政権への逆風の余波を避けようと党幹部らの応援を控え、地元市議や県議が組織戦を展開したが、及ばなかった。」
全体状況と経過が簡潔にまとめられている。弱小ながらも極右の「日本のこころ」が、与党勢力にくっついていることにも触れられている。与党や自民が何者であるかを考えるうえで貴重な役割を果たしている。
ところで、衆議院議員総選挙宮城県第1区の最近の総選挙開票結果を確認しておこう。
2014年第47回衆議院議員総選挙
土井 亨 56 自・公 前 93,345票 46.8%
郡和 子 57 民主党 前 81,113票 40.6%
松井秀明 46 共産党 新 25,063票 12.6%
2012年第46回衆議院議員総選挙
土井 亨 54 自民党 元 87,482票 39.2%
郡 和子 55 民主党 前 60,916票 27.3%
林 宙紀 35 み・維 新 38,316票 17.2%
角野達也 53 共産党 新 13,454票? 6.0%
桑島崇史 33 社民党 新 6,547票? 2.9%
宮城1区に限らない。共闘ができずに野党乱立すれば、確実に共倒れ。野党共闘ができれば、今回市長選のように十分な勝機がある。ということは、野党共闘ができずに乱立すれば確実に改憲発議を許してしまう。野党共闘ができれば、今回市長選のように改憲を阻止する勝機があるのだ。
(2017年7月24日)
ワタシは憂鬱だ。「弱り目に祟り目」なのだ。いや「泣きっ面に蜂」だ。しかも、蜂は一匹だけじゃない何匹も何匹も数え切れない。おかしいぞ。安倍一強体制安泰のはずだったじゃないか。それが、かくも脆くも崩れるとは…。いったいどういうことなんだ。
議会でも、記者会見でも、講演でも、街頭演説でも。ワタシは好きなことを好きなように言ってりゃよかった。遠慮する必要なんかなかった。なんと言っても一強なのだから。面と向かってのワタシの悪口など、誰も言える雰囲気ではなかったじゃないか。それがどうだ。手のひらを反したようなこの針を刺すような冷たい空気。みんなワタシの悪口を言い合って楽しげだ。記者の態度も豹変した。突っ込みにトゲがあって、遠慮がない。「安倍首相の国会答弁 あまりに下品で不誠実で幼稚」なんて、コラムが大新聞の表題に躍っている。
驚いたのは、都議選が始まったときだ。候補者からの応援演説の依頼がない。「むしろ、不人気だから総理は来ない方がよい」と言われたあのときが、青天の霹靂。無理に無理を重ねた共謀罪国会で、既に潮目が変わっていたのだ。
なによりも都議選の惨敗は痛かった。それまで、不戦敗は別として、ワタシは選挙に勝ち続けてきた。対抗野党勢力の弱体という僥倖に恵まれていたとはいえ、選挙に強い安倍晋三のイメージが、一強体制をかたち作ってきた。それが、都議選では前回59議席からの、自民23議席への大凋落だ。だから、この都議選の結果が「安倍政権の終わりの始まり」と言われてもしょうがない。都連の会長は引責辞任したが、この大敗は明らかに安倍政権への批判だ。ワタシが惨敗の原因を作り、しっかりと足を引っ張った。それにしても、こんなにみごとに負けるとは思わなんだ。これが「弱り目」。
それだけではない。これを潮に、あらゆる世論調査による内閣支持率の極端な墜落。ついには30%を割る調査結果も。不支持率が支持率を上回り、その差が20%に近い。これが、「祟り目」。今日の新たな報道では、毎日新聞全国世論調査が、安倍内閣の支持率26%で、不支持率56%と発表された。「安倍晋三自民党総裁3期目は、『代わった方がよい』62%、『総裁を続けた方がよい』23%」。これは厳しい。
さらに、悪いことは重なる。無能で不人気な防衛大臣や地方創生担当大臣が、思いっきりワタシの足を引っ張る。これが「泣きっ面に蜂」、さらに大きなスズメバチの攻撃も出てきた。仙台市長選の敗北だ。これも痛い。負けただけでなく、負け方が悪い。タイミングは最悪だ。
仙台市長選は、東京都議選に続く大型地方選挙として注目されていた。国政の与野党対決構図、「自・公」対「民・社・共・自」がそのまま持ち込まれた選挙戦だった。言わば、ミニ国政選挙シミュレーションでもあったわけだ。朝日が「野党共闘候補が自公系破る」と見出しを打った。そのとおりだから、タチが悪い。「野党四党は緊密に連携し、安倍批判票を取り込んで勝利した」。このパターンの定着が最も痛い。この選挙でも、中央からの大物自民党議員は表に顔を出せなかった。「与党側の敗北で安倍政権への影響は避けられそうにない」と多くのメディアが愉快そうに報じている。ワタシは不愉快だ。
こんな事態だから追い込まれる。野党の閉会中審査など2か月前なら、無視して押し通せた。しかし、今は説明責任放棄を世論が許さない。針のムシロが、槍ぶすまになる。致命傷になるのだ。だから、明日と明後日(7月24・25日)には、閉会中審査の予算委員会で、「丁寧に説明」をしなければならない。これが憂鬱の原因なのだ。
でも、「丁寧に説明する」って、どうすればいいんだろう。たくさんの人たちが、ワタシの丁寧な説明能力を疑って、聞き耳を立てている。実は、ワタシもどうすればよいのか分からない。自分で何度も「国民の皆様に、納得していただけるよう丁寧に説明してまいります」って繰り返してきた。だけど、もちろん口先だけで言ってきたこと。本当にやる気はなかったから、どうしたら「丁寧に説明」できるか、真剣に考えたことはない。実際にどうすればよいのか、さっぱりなんだ。どうしてこんなことになっちゃったんだろう。
ワタシは、論争の相手を挑発したり、野次ったり、揚げ足を取ったり、話をそらしたり、論点をずらして一般論でごまかすことは、わりと得意なんだ。逆ギレして聞かれもしないことをまくし立てたり、「印象操作だ」と決めつけて印象操作をすることや、「反省しています」と言いながら相手を攻撃することも得意技。いつもワタシは正しくて、いつも論争の相手の方が間違っているんだから、当然こうなる。
ところが、そういう私の体質に国民世論が反発をしてきた。もちろん、私に非があるのではなく、愚かな世論が間違っているに決まっている。しかし、いま世論に逆らって、さらに支持率を落とせば確実に政権は崩壊する。「泣く子と地頭」には勝てても、世論には勝てない。だから、野党の言い分も良く聞いたフリをしたうえで、「丁寧な説明」をしなければならない。そこがつらい。
今日(7月23日)は、横浜でその練習をしてきた。集会で、「論語」の一節を引用して「『60にして耳順(したが)う』と言う。私はあまり人の話を聞かないイメージがあるけど、結構人の話を聞くんです」と述べてみた。取って付けたような、ワタシに似合わぬぎこちない発言だが、やればできるのだ。
とりわけ、加計学園の問題では「丁寧に説明する努力を積み重ねたい」と言ってきた。これまでなら、「『ご意向』も『忖度』もまったくない。それを証明せよと言っても、ないことの証明は『悪魔の証明』ではありませんか。あるというあなた方の方に証明責任はあるんですよ」と息巻いておくところだが、どうもそれが通用しない。それでは丁寧な説明にならず、そんな論法が批判の対象なのだ。
だから、何とかしなければならないのだが、『ご意向』も『忖度』もまったくないことを、どうしたら丁寧に説明できるのだろうか。ワタシには、至難の業だ。ストレスが溜まる。持病がぶり返すのではないだろうか。一期目のあのみっともない政権放棄を思い出す。汗だくのイノセ君や、茫然自失のマスゾエ君の顔がチラチラする。だから、憂鬱なんだ。
(2017年7月23日)
私、ムンフバト・ダバジャルガル。通称はダヴァ。32歳。職業は日本のプロ相撲選手。こちらでは、大相撲の力士と言うんだ。力士としての登録名は、「白鵬」。「鵬」は中国の古典に出て来るとてつもなく大きな伝説の鳥だ。一昔前に「大鵬」という強い力士がいて、それにあやかったネーミング。15歳でモンゴルのウランバートルから東京に来て、心細い思いをしながらも、我ながらよく頑張った。グランドチャンピオン(横綱)に上り詰めただけでなく、とうとう昨日(7月21日)通算1048勝という大相撲史上の新記録を樹立した。名力士「大鵬」さんもできなかったことだ。これまでの苦労を思えば、感慨一入。涙も出る。
記録達成後のインタビューの様子を、メディアは、「目を閉じて数秒間の沈黙の後に、『言葉にならないね』と喜びをかみ締めた。胸に去来するのは、努力を重ねて地位を築いた土俵人生。そして、将来の夢だ。」などと報じている。「喜びをかみ締めた」は嘘ではない。しかし、思いはもう少し複雑で微妙なんだ。
私は社会人としては若いが、現役の力士としては盛りを過ぎている。引退は先のことではない。その後は、大相撲協会の役員となり、自分の経験を生かして後輩を育成したい。そう、次の舞台の人生を描いている。日本人力士にとっては、なんの問題もないことだが、私の場合には国籍という壁が立ちはだかっている。日本相撲協会の役員として残るには、日本に帰化して日本国籍を取らねばならないとされている。しかし、日本国籍を取るということは、モンゴルの国籍を捨てるということだ。これが悩みなんだ。
私の父、ムンフバト・ジジト(76才)はモンゴル相撲の大横綱で、モンゴル人初の五輪メダリスト(1968年メキシコ五輪レスリング銀メダル)という母国の国民的英雄なんだ。その子の私にも、モンゴル民族の期待は大きい。これまで熱狂的な声援を受けてきた。私も母国の声援に応えようと、努力を重ねてきた。モンゴル国籍の離脱は、母国を裏切るものととらえられかねない。だから、かねてから父は私の帰化には反対してきた。作今、その父の体調がすぐれない。日本国籍を取得して引退に備える、という気持にはなかなかなれない。
国籍問題さえクリヤーできれば実績に文句のつけようはない。「白鵬」の名のまま相撲協会に残って、後進を指導する「年寄」になれる。そう、みんなに言っていただいている。
しかし、公益財団法人日本相撲協会の規則には、「年寄名跡の襲名は日本国籍を有する者に限る」と明示されている。現在の八角理事長(元横綱・北勝海)は「白鵬だから例外ということはない」と言っているそうだ。
私は、自分に流れるモンゴル民族の血にも、栄誉ある父の子であることにも、誇りをもっている。モンゴルの人々のこれまでの恩義も大切にしたい。モンゴルの国籍を捨てるようなことはしたくない。
また、私を育ててくれた日本という国も、大相撲も大好きだ。妻も日本人で、引退後の人生は大相撲の「年寄」として、「白鵬部屋」から立派な力士を輩出する夢を描いている。
できれば帰化などせずに、モンゴルの国籍をもったまま、「白鵬部屋」の年寄りになりたい。そう願って、この問題を考え続けてきた。
問題はふたつあると思う。一つは、大相撲協会の規則。どうして、「年寄」(親方)の資格を国籍で縛ろうというのだろうか。聞くところでは、「日本の伝統文化である以上、(規定を)変えることはありません」ということのようだが、正直のところよく分からない。伝統文化を支えているのはむしろ力士ではないだろうか。力士については日本国籍であることを要求されていない。力士として日本の伝統文化を支えた人が、年寄りになろうとすると、どうして日本の国籍が必要となるのだろうか。私の、これまでの日本の伝統や文化との関わり方を見ないで、帰化するかどうかだけが「日本の伝統文化」を大切にすることの証しなのだろうか。
大相撲は、いち早く尺貫法を捨ててメートル法に切り替えたり、伝統の四本柱をなくして釣り天井にしたり。外国人力士を受け入れたり。伝統文化を大切にしながらも、合理性は取り入れてきたと聞いている。私が帰化しさえすれば、「日本の伝統文化」が保たれたことになるというのだろうか。
私は心の底から思うのだが、私にモンゴル籍のまま力士として活躍の場を与えてくれた相撲協会のあり方こそが「日本の伝統文化」というものではないだろうか。年寄籍問題についても、もっと大らかで解放的に考えていただくことこそが「日本の伝統文化」の立場ではないだろうか。
もう一つは、法律の問題だ。私は、モンゴルの国民でありたい。しかし、場合によっては日本の国籍を取得しなければならない。そのとき、どうしてモンゴルの国籍を捨てなければならないのだろうか。どうして、両方の国籍を取得してはならないのだろうか。必ず、どちらか一つだけを選ばなければならないというのは、私の場合とても難しくつらいことだ。日本とモンゴル、どちらか一方を捨てろという選択を強いられることは、私の心を裂くに等しい。本当に何とかならないものだろうか。
(2017年7月22日)