澤藤統一郎の憲法日記

改憲阻止の立場で10年間毎日書き続け、その後は時折に掲載しています。

性的マイノリティ・人権論の視点から ― 「法と民主主義」2023年5月号購読のお勧め

(2023年5月10日)

 「法民」今号(578号)の特集は、私が担当した。考えさせられる論稿ばかりで、得るものが多かった。ぜひ、多くの方にお読みいただきたい。

 ご購読は下記のURLから。
 https://www.jdla.jp/houmin/form.html

(目次と記事)
◆特集にあたって … 編集委員会・澤藤統一郎
◆日本におけるLGBTQと法政策の現状と課題 … 谷口洋幸
◆性的マイノリティの権利:出発点 ─ 国際人権法における議論状況 … 前田 朗
◆「性自認」問題の論争点と論争のあり方 … 齊藤笑美子
◆LGBTQ、SOGI(性的指向・性自認)に関わる差別に対し健康を守るために … 藤井ひろみ
◆LGBTQ+の権利保障をめぐる政治と法 ─ 台湾の経験に学ぶ … 鈴木 賢
◆同性婚法制化を求める取組み
─ 「結婚の自由をすべての人に」訴訟と公益社団法人の取組み … 三輪晃義
◆経済産業省事件 ─ トランスジェンダー女性の職場での処遇差別 … 立石結夏
◆日本の不名誉と怠慢 ─ LGBTQ+をめぐる政治的諸問題の諸相 … 北丸雄二

◆司法をめぐる動き〈83〉
 ・金沢市庁舎前使用不許可違憲訴訟 … 北尾美帆
 ・3月の動き … 司法制度委員会
◆連続企画●憲法9条実現のために(45)
 ・安保法制違憲訴訟をたたかう … 内山新吾
 ・山梨でのたたかい … 加藤啓二
◆追悼●日本一の労働弁護士?宮里邦雄先生の思い出? … 棗一郎
◆メディアウオッチ2023●《メディアの役割・国会の役割》
 予算編成後に始まる財源論議 軍拡・戦後大転換に 憲法・歴史観欠くメディアの姿勢 … 丸山重威
◆とっておきの一枚 ─シリーズ?─〈№20〉
 「心の共鳴板」が響く限り … 小野寺利孝先生×佐藤むつみ
◆改憲動向レポート〈№49〉
 自衛隊明記の憲法改正を主張する自民党・公明党・日本維新の会 … 飯島滋明
◆連続企画・学術会議問題を考える(10)
 日本学術会議法「改正」法案、今国会提出見送りへ!!
◆時評●日本学術会議は独立性を失うのか … 戒能通厚
◆ひろば●6団体連絡会に参加して … 宮坂 浩


 「性的指向におけるマイノリティーの人権」(特集リード)

本号の特集は、比較的に新しい分野の人権とされる課題を取りあげる。
 「ジェンダー」や「ジェンダーギャップ」という概念は、社会に定着していると言ってよい。「ジェンダーギャップ」の克服は、既に人権を語る者の共通の課題となっている。
 しかし、「ジェンダー・アイデンティティ」というキーワードが社会に定着しているとは言いがたい。「LGBT」(あるいは「LGBTQ+」)や「SOGI」などの用語について共通の理解が既に確立しているとは思えない。多様な「ジェンダー・アイデンティティ」を人権として把握する社会意識はいまだに希薄である。

 新しい人権を語るときには、人権論の基本に立ち返らねばならない。人権とは何であるのかという根源的な問いかけが必要となる。人権とは、個人の尊厳にほかならない。いかなる性的指向も尊厳をもって遇されなければならない。個人の尊厳を損なうものは、様々な態様の差別である。性的指向におけるマイノリティが、どのような制度や社会意識において差別されているか、その差別の実態を直視し、差別された当事者の痛みを理解し、その差別を克服の対象として自覚しなければならない。

 これまで、差別といえば、民族や人種や国籍や性差や特定の出自・居住地・職業、あるいは身体障害や病気などの属性によるものであった。それぞれに長い反差別の運動があり、差別克服の理論の蓄積もある。しかし、性的指向のマイノリティーに対する差別については、問題が新しいだけに人権擁護を標榜する人々の中にも、理解の不十分を否めない。

 本特集は、「性的マイノリティー」といわれる人々に対する差別の実態を踏まえて、その性的な指向を人権と把握する立場から、法論理や、訴訟、立法のありかたについての現状と議論の内容を報告し、人権擁護の立場に立つ者にとってのスタンダードを提供するものである。

 さらに、少数者の性的指向について人権としての把握を阻んでいたものは、家父長的な家族制度やそれを支えてきた社会意識ではなかったのか。ジェンダーギャップ克服の課題と、ジェンダーアイデンティテイの多様性の承認とは、実は同根のものではないのかという問題意識を各論稿から読みとることができる。この点では、国際人権の議論で一般化しているという「交差性」(複合的な差別)の概念が示唆に富む。

 本特集は8本の論稿から成る。いずれも時宜にかなった、読み応えのある内容となっている。以下にその概要を紹介しておきたい。

 巻頭の谷口洋幸論文は、問題の全体像を明晰に解説し、「LGBTQ関連の法政策における注目される論題」として、「同性同士のパートナー関係」「性別記載の変更」「SOGI差別禁止法制」の三つの論題に着目し、現状と課題を概観している。問題状況とあるべき理念を把握するのに適切この上ない好論文となっている。

 前田朗論文は、国連人権理事会の担当専門家が二〇二一年に発表した「包摂の法」の解説を通して、国際人権論におけるジェンダー・アイデンティティに関する議論を紹介している。いわゆる先進国が到達した法制度や、国際的な世論や政治的な対応の趨勢を理解することができる。

 「LGBTQ」の中で、最大の論争テーマは、「T」(トランス・ジェンダー)における性自認問題である。人権を語る者同士でも、時に激論の対象となる。ここに焦点を絞って「論争のあり方」を論じた貴重な論稿が、齋藤笑美子論文である。これで論争に終止符を打つことにはならなかろうが、その視点はどちらの立場にも示唆に富むものである。なお、問題の本質を「強制異性愛や家父長制との闘いとして理解すべき」とする論者の指摘に真摯に耳を傾けたいと思う。

 藤井ひろみ論文は、医学的見地からの性的マイノリティ論である。かつて医学界は、LGBTを異常性愛であり精神疾患であるとして、治療の対象にした。精神疾患視から、人権としての把握への転換が興味深い。なお、この論文の冒頭部分にキーワードとなる各用語の解説がある。ぜひ、これを参照されたい。

 鈴木賢論文は、アジアの先進国・台湾における、法制化成功例の報告である。同論文は、法形成のための公式ルートとして、「立法(国会)」「司法(憲法裁判所)」「直接民主主義(国民投票)」があり、これをフル稼働させたことが台湾の成功につながったという。そして、国民的な合意形成に支障になったのは宗教勢力であったということも、参考にすべきであろう。

 わが国における同性婚法制化を求める訴訟と運動についての報告が三輪晃義論文である。まず、「結婚の自由をすべての人に」訴訟の意義と狙い、そしてその到達点を確認している。そして、裁判以外での取り組みが、実に楽しそうに生き生きと報告されている。運動論として、興味深い。

 そして、立石結夏論文が、トランス・ジェンダー女性の「経済産業省事件」についての一・二審の報告である。原告となった当事者は、性自認女性であるが、性別適合手術を受けることができない。最も厳しい立場の「性同一性障害」者である。職場での「女性としての処遇」を求めての訴えは、一審では国家賠償法上の違法として認められたが、控訴審では否定された。上告審判決はまだ出ていない。当事者の苦悩がよく分かる論文となっている。

 最後の北丸雄二論文は、ジャーナリストから見た背景事情についての報告である。現政権の首相秘書官による差別的発言が世論の糾弾を受けるという事件が生じて、この問題は法的・社会的問題としてだけでなく政治問題化した現状にある。自民党右派は性的少数者に対する偏見に、宗教カルトあるいは宗教右翼からの掣肘もあって問題を解決できない。しかし、世界と仕事を行うグローバル企業にとっては、この日本の後れは、経済と雇用に影響する大きな問題と意識されているという。

 すべての人権課題がそうであるように、当事者の苦悩、とりわけ差別に対する苦悩について、社会が理解し共感することが出発点である。この理解と共感が広がり、個人の尊厳に関わる人権問題との把握につなげることで道は開けるのであろう。その道は、まだ狭く険しいが、着実に開かれつつある。

                                              (編集委員 澤藤統一郎)

はたして日本は文明国か。文明国の価値観を受け容れることが出来るのか。

(2023年3月17日)
 昨日の東京新聞朝刊トップに、「日本はLGBTQ法整備を」「2月に首相宛促す書簡 差別禁止訴え」「先進6カ国+EU駐日大使」という大見出し。

 東京新聞のネット版では、「日本除いた『G6』からLGBTQの人権守る法整備を促す書簡」「首相宛てに駐日大使連名 サミット議長国へ厳しい目」という見出しになっている。いずれにしても、日本は「G7」の中で、たった一国の人権後進国扱いなのだ。G6とEUからの「議長国なんだろう。恥ずかしくないのか。この際何とかしろよ」という苛立ちが伝わってくる。

 日本の政府は、この申入に「内政干渉だ」と条件反射してはならない。それでは中国政府並みの政権の実態が見透かされてしまうのだから。「我が国の醇風美俗を害する申入れ」と無視してはならない。それでは、文明国の仲間に入れてもらえないのだから。「うつくしい日本を壊そうとする陰謀だ」などと反発して見せる必要はない。「うつくしい日本を取り戻そう」と目を光らせている人は既に世にないののだから。そして、「同性婚を認めても、LGBTQ差別禁止法を認めても、けっして社会が変わることはない」のだから。

 記事の概要は、以下のとおりである。

 「先進7カ国(G7)のうち日本を除く6カ国と欧州連合(EU)の駐日大使が連名で、性的少数者(LGBTQ)の人権を守る法整備を促す岸田文雄首相宛ての書簡を取りまとめていたことが、分かった。元首相秘書官の荒井勝喜氏の差別発言をきっかけに、エマニュエル米大使が主導した。G7で唯一、差別禁止を定めた法律がなく、同性婚も認めていない日本政府に対し、今年5月の首脳会議(広島サミット)で首相が議長を務めることも踏まえ、対応を迫る内容だ。」

 「日本でLGBTQの権利を守る法整備が遅れていることを念頭に『議長国の日本は全ての人に平等な権利をもたらすまたとない機会に恵まれている』と指摘し、国際社会の動きに足並みをそろえることができると求めた。」

 「『差別から当事者を守ることは経済成長や安全保障、家族の結束にも寄与する』と強調。ジェンダー平等を巡り『全ての人が差別や暴力から守られるべきだ』と明記した昨年のG7サミットの最終成果文書に日本が署名したことにも触れ、『日本とともに人々が性的指向や性自認にかかわらず差別から解放されることを確かなものにしたい』と訴えた。」

 「大使らは当初、公式な声明を出すことを検討したが、内政干渉と受け取られることを懸念し、非公式に各国の意向を示すことにした。書簡のとりまとめに先立ち、エマニュエル氏は2月15日に日本記者クラブで会見し『(LGBTQの)理解増進だけでなく、差別に対して明確に、必要な措置を講じる』ことを首相や国会に注文した。」

 さて、「日本はG7で唯一、婚姻の平等を認めていない。LGBTQの差別禁止法も持たない」ことが、あらためて浮かび上がっている。これまで、「人権や民主主義という共通の価値観」を基盤に、自由主義陣営や民主主義同盟が形作られてきた。いま日本は、その一員であるという資格が問われている。

 同日の東京新聞2面の「核心」欄に、「同性愛者を公表している日系のマーク・タカノ米下院議員は首相秘書官(荒井勝喜)の発言に反応し『日米は同盟を動機づける共通の価値観を忘れてはならない。LGBTQの権利に敵対的なのは専制主義者だ』とツイッターに書き込んだ」とある。

 選択性夫婦別姓さえ認めないのが自民党の保守派である。さあ、岸田文雄よ。ここがロードスだ、跳べ。ここがルビコンだ、渡れ。自民党保守派総帥の亡霊と決別して、独自の路線に踏み切らねば、政権に明日はない。いや、日本に明日はないのだから。

弁護士会懲戒委員の皆様に、代理人として、総論的な意見を申し上げます。

(2023年3月15日)
 対象弁護士(被懲戒請求人)代理人の東京弁護士会の澤藤と申します。23期です。1971年4月に弁護士となって以来、司法はどうあるべきか、司法の一翼を担う弁護士は、あるいは弁護士会は如何にあるべきかを考え続けてきました。その立場から本件綱紀委員会の議決を拝読して、どうしても一言したいと思い立ち、その機会を得ましたので、意見を陳述いたします。

 まず申しあげたいことは、弁護士の社会的発言に対して、とるべき弁護士会の基本姿勢についてです。弁護士会が、弁護士の品位保持の名のもとに、軽々に弁護士の表現の自由を規制してはならないということです。

 弁護士の言論に対して、権力的な、あるいは社会的な圧力があった場合に、断固として当該弁護士を擁護すべきが弁護士会本来の責務です。綱紀委員会の議決には、その基本姿勢が欠落していると指摘せざるを得ません。

 今の状況を大局的に見れば、対象弁護士がツィッターで少数者の人権を擁護する立場からの社会的発言をし、これを快しとしない社会の多数派を代表する形で、懲戒請求人がその表現の規制を求めて弁護士会に懲戒請求をしている、という構図です。

 本件綱紀委員会議決の理由にも意識されていますが、一般の「表現の自由保障範囲」と、弁護士がその使命である基本的人権擁護のためにする「表現の自由の保障範囲」とは自ずから異ならざるを得ません。弁護士が弁護士であることを前提に社会的な発言を行うに際しては、それに対する異論があることは当然として、その表現の自由はより広く保障されなければなりません。「弁護士の表現の自由は制約されてしかるべき」などと、弁護士会が言ってはなりません。

 いま本件において貴弁護士会がなすべきことは、少数者の人権擁護を趣旨とする対象弁護士の当該発言の自由を保障する立場を貫くとともに、懲戒請求者と社会に対して、その理由の説明を尽くすべきことと考えます。

 弁護士法1条1項に定める弁護士の使命としての「基本的人権の擁護」は、けっして法廷活動のみにおいてなされるものではありません。弁護士は、多面的な社会的活動に携わります。その中で最も貴重なものは、埋もれている新たな人権を見つけ、育て、確立して行く活動です。対象弁護士がいま携わっているのは、まさしくそのような活動です。

 少数者の人権は、権力や社会的な多数者の圧力と抗う中で、育まれて確立に至ります。今、生成中の新たな人権の芽を、弁護士会が摘むことに加担してはなりません。

 弁護士法1条1項は、『弁護士の使命』として「人権の擁護」を掲げています。56条によって弁護士に求められる「品位」という要請は、人権の擁護という大原則の遂行に附随して求められるものです。本来、弁護士の使命である人権擁護の姿勢に徹することを以て、弁護士の品位評価の基準となると考えるベではありませんか。

 「人権の擁護」と「品位の保持」。この両者を統一的に理解すべきではありますが、しからざるものとしても、両者の重みの違いを十分に認識しなければならないところです。弁護士の活動の根幹と枝葉とを混同することのないよう、お願いする次第です。

 人権擁護活動の一端である対象弁護士の行為を、極めて曖昧で分かりにくい「品位に欠ける」との評価で、懲戒処分を科するようなことをしてはなりません。

おめでとう・袴田巌さん!! 《死刑台からの生還》

(2023年3月13日)
 人の世の悲劇の形はさまざまだが、冤罪ほどの悲惨は稀であろう。ましてや、冤罪による死刑宣告の確定は悲劇の極みである。その悲嘆、絶望、恐怖、神への呪い、社会への憎悪、近親への慮り…、いかばかりであろうか。

 人権とは、権力との関係において語られるべきもの。人間としての尊厳を権力に蹂躙されてはならないのだ。死刑冤罪とは、権力が無辜の人の命を奪うことである。これに過ぎる人権侵害はない。

 本日、東京高裁は「無実の死刑囚・袴田巌さん」の再審開始を決定した。検察は、これを受容して再審に応じ無罪の論告を行うべきである。それが、公益を代表する検察のあるべき姿といわねばならない。

 本日の決定で注目すべきは、決定理由中に、「捜査機関が証拠を捏造した可能性が極めて高い」と踏み込んだことにある。
 
 決定は、犯行時の犯人の着衣とされる5点の衣類について「事件から相当期間を経過した後に捜査機関がみそタンク内に隠した可能性が極めて高い」と指摘し、静岡地裁の再審開始決定に続いて捜査機関による証拠捏造の可能性を認めた。

 この事件は、1966年6月に静岡県清水市(当時)で一家4人が殺害・放火され、現金20万円などが奪われたもの。県警は、同年8月、元プロボクサーでこの会社の従業員だった袴田さんを逮捕した。袴田さんは捜査段階で自白したとされたが、静岡地裁で裁判が始まると否認に転じた。

 否認事件として審理進行中の67年8月、別の従業員が会社のみそタンクの底から、血痕のついたTシャツやズボンなど5点の衣類を発見した。検察はこれが袴田さんの犯行時の着衣だったと主張。地裁は、衣類に袴田さんと同じ血液型の血がついていたことなどから「衣類は袴田さんのもので、犯行時の着衣」と認め、68年に死刑を言い渡した。死刑判決は80年に最高裁で確定した。

 2008年に申し立てられた第2次再審請求審で、静岡地裁は14年に再審開始を決定した。「血痕は袴田さんとは別人のもの」としたDNA型鑑定結果の信用性を認めたほか、「衣類を約1年間みそに漬けると血痕は黒褐色になるのに、発見時の衣類に赤みが残っているのは不自然」という、再現実験に基づく弁護側の主張を認めた。

 確定判決は5点の衣類の血痕の色は「赤みがある」ことを前提にしていたが、弁護側は独自にみそ漬け実験を行い「みそ漬けされた血痕は黒褐色に変わる」と矛盾する結果を得た。静岡地裁はみそ漬け実験の信用性を認めて再審開始決定の根拠の一つとした。また、衣類については「発見直前に捜査機関が投入した捏造証拠の疑いがある」とも述べ、袴田さんの死刑の執行停止と釈放も決めた。

 しかし、地裁の再審決定を不服として、検察官が申し立てた抗告審での東京高裁決定は、弁護側「みそ漬け実験」の信用性を否定して地裁決定を取り消した。これに対して、特別抗告審における最高裁決定は血痕の色調の変化に関する審理が足りないとして、高裁に差し戻した。

 こうして、差し戻し審の争点は「5点の衣類」に付着した血痕の色調の評価となった。弁護側、検察側の双方が新たに「みそ漬け実験」を実施。弁護側は「短期間で血痕は黒褐色に変わる」、検察側は「条件によっては血痕に赤みが残る」とそれぞれ主張していた。

 本日の決定は、「みそ漬け」された「犯行時の着衣」の血痕の色調について、弁護側の実験の信用性を認めて「無罪を言い渡すべき明らかな新証拠」と判断した。

 本日の決定は朗報である。多くの人の労苦の賜物である。だが、無辜の人物の逮捕からここまで57年の年月を要している。袴田さんと、その近親者の人生はこの間奪われたに等しい。失われたものはあまりに大きい。

 のみならず、冤罪を晴らすことは難しい。再審は「開かずの扉」と言われ続けた。この扉をこじ開けて、ラクダが針の穴を通るほどに困難とされる死刑囚の再審無罪を勝ち取った先例は4件。袴田事件がようやく5件目となる。日弁連のホームページから、なにゆえに誤った死刑判決が確定したのか、抜粋しておきたい。冤罪は、けっして過去のものではない。

1 免田事件 (1948年12月に熊本県人吉市で発生した一家4人が殺傷された強盗殺人事件。51年3月死刑確定。第6次再審請求で、83年7月無罪確定)

 捜査機関は、極端な見込み捜査により、別件で免田さんを逮捕し、暴行、脅迫、誘導、睡眠を取らせない等の方法により、免田さんに自白を強要しました。免田さんは当初からアリバイを主張しており、移動証明書や配給手帳等により裏付けられていましたが、全て無視されました。
 裁判所も、自白を偏重して全面的にこれを信用し、免田さんのアリバイを無視して、有罪判決を言い渡し、再審請求を棄却し続けました。

2 財田川事件(1950年2月、香川県三豊群財田村(当時)で発生した強盗殺人事件。57年1月死刑確定。84年3月再審無罪確定)

 捜査機関は、地元の風評以外に何の根拠もないのに、谷口さんを犯人と確信し、別件逮捕を繰り返して、極めて長期間、代用監獄に谷口さんの身体を拘束して、食事を増減したり、暴行を加えたりして、谷口さんに自白を強要しました。

 また、裁判所も自白を偏重し、当時法医学の権威とされた古畑種基・東京大学教授の鑑定を安易に信用するという誤りを犯しました。再審開始決定において、古畑鑑定は、検査対象とされた血痕は事件後に付着した疑いがある等から、信用できないものとされました。

3 松山事件(1955年10月、宮城県志田郡松山町(当時)で殺人・放火事件。84年7月再審無罪確定)

 捜査機関は、斉藤さんを別件逮捕したうえ、斉藤さんの同房者である前科5犯の男性をスパイとして利用し、自白するように唆すという謀略的な取調べを行っています。
 また、「掛布団襟当の血痕」が自白を補強するものとされましたが、再審では、血痕の付着状況が不自然であり、捜査機関によって押収された後に付着したと推測できる余地を残しているとされました。

4 島田事件(1954年3月10日、静岡県島田市内の幼児強姦殺人事件。1960年12月死刑確定。89年1月再審無罪確定)

 捜査機関は、見込み捜査により、別件で赤堀さんを逮捕し、暴行、脅迫等により、赤堀さんに自白を強要しました。赤堀さんは、事件当時には東京にいたというアリバイを主張していましたが、全て無視されました。
 また、自白によると凶器は石とされ、当時法医学の権威とされた古畑種基・東京大学教授の鑑定がこれを裏付けているとされていました。しかし、再審で、被害者の傷痕が石では生じないことが明らかになりました。
 更に、この事件では、捜査機関は約200名にのぼる前科者、放浪者等を取り調べており、警察の強引な取調べのため、赤堀さん以外にも自白した者がいます。

「竹の檻」に閉じ込められた気の毒な人たちを思う。

(2023年2月23日)
 天皇誕生日である。もちろん、目出度い日ではない。国民の権威主義的社会心理涵養を意図したマインドコントロール装置に警戒を自覚すべき日である。人を生まれながらに貴賤の別あるとする唾棄すべき思想や、血に対する信仰や世襲制度の愚かさを確認すべき日でもある。

 我が国の民主主義も個人の自立も、天皇制との抗いの中で生まれ、育ち、挫け、またせめぎ合いを続けている。普遍的な近代思想を徹底できなかった日本国憲法は「象徴天皇制」を認めている。これは、コアな憲法体系の外に、憲法の中核的な理念の邪魔にならない限りのものとして存在が許容されているに過ぎない。その役割と存在感と維持のコストを可能な限り最小化し、漸次消滅させていくことが望ましい。

 ところで、天皇や皇族という公務員職にある人もその家族も、気苦労は多いようだ。最近は、あからさまなメディアのイジメにも遭っている。自分の生まれ落ちたところの宿命を、この上ない不幸と呪っているに違いなく、時に同情を禁じえない。もっとも、この人たちに、いささかの知性があればの話だが。

 私は、国語の授業で教えられた「竹の園生」という言葉を、長く「竹製の檻」のイメージで捉えていた。中国古代の、なんとかいう皇帝の庭に竹林があったという故事からの成語だとは聞いた覚えがあるが、最初のイメージは覆らない。「編んだ竹でしつらえた頑丈な檻」に閉じ込められた、形だけ名ばかりの王。鉄の檻でも、木製の檻でもなく、しなやかな美しい竹で作られた檻の中の、自由を奪われた「籠の鳥」。

 高校一年で徒然草を習ったと思う。その第1段の冒頭は次のとおりである。

 「いでや、この世に生まれては、願はしかるべきことこそ多かめれ。帝の御位はいともかしこし。竹の園生の末葉まで、人間の種ならぬぞやむごとなき」

 私は、この第一段で、長く吉田兼好とは知性に欠けた人だと思っていた。が、今は必ずしもそうでもない。「面従腹背」という言葉の積極的意味合いを呑み込んで以来のことである。反語とか逆説などという技法を知って、多少は文章の陰影を読むことができるようになったということでもある。兼好はこう言ったのではなかろうか。

 はてさて、たった一度の人生である。もし、願いがかなうとなれば、いったい何になって何ができれば、最も幸せだろうか。まず思いつくのは天皇である。その血筋に生まれて天皇になれたとしたら、これに勝る幸せはないのではなかろうか。とは一応は思っても、あれは万世一系、子々孫々に至るまで人間とは血筋が別物とされている。読者諸君よ、人間として生きたいか、人間じゃないものになりたいか。天皇なんてものは、奉って『いともかしこし』『やむごとなし』とだけ言っておけばよい。敬して遠ざけるに限るのさ。実際あんなものになってしまったら、人としての喜びなんて、無縁のものになってしまう。

 おそらく、今の天皇・皇室・皇族の多くが、そう思っているに違いない。はやりの言葉を使えば、「最悪の親ガチャ」である。皇室・皇族の人権など、憲法上の大きなテーマではないが、あらためて思う。天皇制は誰をも幸せにしない。

スペインでは性別変更が自由になった。我が国の「性同一性障害特例法」では…。

(2023年2月21日)
 BBCと共同が伝える記事に驚いた。スペイン議会は、今月16日に「16歳以上の国民が法律上の性別変更の手続きをする際に診断書を不要とする法案を賛成多数で可決した。表決は191対60だった」という。

 つまり、16歳になれば、スペイン国民は自由に自分の性を選択できるのだ。診断書は不要。未成年者も両親の同意は不要。スペインの事情はよく分からぬながら、これで社会的混乱は生じないのかと訝る自分の感覚に自信が持てない。

 私がよく知らなかっただけで、この種法案の成立はけっしてスペイン独特のものではないという。1972年にスウェーデンが初めて性別変更を合法化し、2014年デンマークが初めて自己申告のみでの性別変更を可能としたという。現在では9か国が同様の制度を採用しており、スペインは10番目の性別選択自由化国なのだとか。

 スペインでは、これまで法律上の性別変更手続きには「性別違和(生物学的な性別と性自認に違和感がある状態)の診断書」に加え、「2年間のホルモン治療」が必要とされてきた。新法成立後は、「診断書」も「治療」も不要となる。なお、対象者が12?13歳の場合は裁判所の関与が、14?15歳の場合は保護者の同意が必要となるという。

 「性別変更 16歳から自由に スペインで法案可決」との見出しでの報道のとおり、今後スペインでは16歳以上の国民だれもが、裁判所の手続も医師の診断も必要なく、自分の意思だけで性別の変更が可能になる。国民全てに、性別の自己決定権を認めたということなのだ。もっとも、性別変更回数制限の有無についての報道はない。

 スペイン新法は、人の性別とその登録の制度を残してはいる。自分で「男性」「女性」のどちらか一方の性を選択することとしているわけだ。しかし、自由に性別を変えることができるとすれば、結局のところ、性別を無意味とし法から性別の概念を取り払うことにつながることになるのではないだろうか。

 同性婚の制度が違和感なく確立している社会では、人の性別は限りなく必要性の小さなものとなるのだろう。スペイン新法のさらに先には、どちらの性に属することも拒否するという権利を認める社会が開けるのかも知れない。十分に成熟した社会が実現しての未来のことではあろうが。

 ところで、日本の事情は相当に立ち後れている。戸籍の性別変更は、「性同一性障害者の性別の取扱いの特例に関する法律」(2003年成立・04年施行、通称・「性同一性障害特例法」)が定める要件と手続による。

 この法の名称にある「障害者」という語が目に痛い。この法案提案の趣旨には、冒頭以下の一文がある。「性同一性障害は、生物学的な性と性の自己意識が一致しない疾患であり…」。 「性同一性障害」は、明確に「疾患」として捉えられている。

 これに比して、スペインの事情は大いに異なる。議会の採決前にイレーネ・モンテロ平等担当相は議員に対し、「トランスジェンダーの人々は病人ではない。ただの人間だ」と語ったと報じられている。出生時の性別と自己認識の性別が異なるトランスジェンダー問題を、当事者の人権に関わる問題と捉えての法改正なのだ。

スペインとは対照的に我が法の性別変更要件は、まことにハードルが高い。「性同一性障害特例法」第3条1項は、次のとおり定める。

「家庭裁判所は、性同一性障害者であって次の各号のいずれにも該当するものについて、その者の請求により、性別の取扱いの変更の審判をすることができる。
一 二十歳以上であること。
二 現に婚姻をしていないこと。
三 現に未成年の子がいないこと。
四 生殖腺がないこと又は生殖腺の機能を永続的に欠く状態にあること。
五 その身体について他の性別に係る身体の性器に係る部分に近似する外観を備えていること。」

 一読して明らかなとおり、とうてい人権を実現しあるいは擁護するための規定ではない。その憲法適合性が争われて当然である。何度か、違憲判断を求めて最高裁に特別抗告がなされたが、いずれも斥けられている。同性婚を認めない現行法制による秩序との不適合が主な理由とされている。

 しかし、もしかしたらこの判例が覆るのではないかという特別抗告事件が話題となっている。昨年12月7日に、2年間寝かされていた最高裁係属事件が、大法廷に回付されたのだ。おそらくは、弁論が開かれ、これまでとは異なる判断となる公算が高い。

 事案は、男性として生まれ、女性として社会生活を送る人が、戸籍の性別変更を求めたもの。性同一性障害特例法の規定は、生殖腺を取り除く手術を必要とすることになるが、「手術の強制は重大な人権侵害で憲法に違反する」と主張して、手術を受けることなく、性別変更を認めよと申し立てている。

 最高裁が、人権の砦としての役割を果たすことができるのか、あるいは現行秩序の番人に過ぎないのか。注目しなければならない。
 
 なお、2004年の特例法施行以来今日まで、司法統計に公表されている限りで、全国の家庭裁判所で性別変更が認められた審判件数は1万1000を超えているという。判例変更となれば、この数は急増することになるだろう。だが、それでもなお、全ての人に性別選択の自由を認めるスペイン型法制度には違和感を払拭し切れない。

多喜二虐殺から90年。忘れまい、多喜二と母の無念を。

(2023年2月20日)
 90年前の今日1933年2月20日、小林多喜二が築地署で虐殺された。権力の憎悪を一身に集めてのことである。特高警察による野蛮極まる凄惨な殺人事件であった。母セキは多喜二の遺体にすがって、「もう一度立たねか」と泣き崩れた。29歳で殺害された多喜二と、その母の無念を忘れてはならない。そして、多喜二とセキに連なる、無数の無名の犠牲者のあることも。

 一年前の当ブログにも多喜二のことを書いた。ぜひお読みいただきたい。

 本日が多喜二の命日。多喜二を虐殺したのは、天皇・裕仁である。
 https://article9.jp/wordpress/?p=18590

 有名作家だった小林多喜二の死は、翌21日の臨時ニュースで放送され、各新聞も夕刊で報道した。しかし、その記事は「決して拷問したことはない。あまり丈夫でない身体で必死に逃げまわるうち、心臓に急変をきたしたもの」(毛利基警視庁特高課長談)など、特高の発表をうのみにしただけのものであった。

 そればかりか、特高は、東大・慶応・慈恵医大に圧力をかけて遺体解剖を拒絶させた。さらに、真相が広がるのを恐れて葬儀に来た人を次々に検束した。これが、天皇制権力のやりくちであった。そのような権力の妨害にも拘わらず、詳細な多喜二の死体の検案ができたのは、安田徳太郎(医学博士)や江口渙(作家)ら友人の献身があったればこそである。

 時事新報記者・笹本寅が、検事局へ電話をかけて、多喜二の死因を「検事局は、単なる病死か、それとも怪死か」と問い合わせると、「検事局は、あくまでも心臓マヒによる病死と認める。これ以上、文句をいうなら、共産党を支持するものと認めて、即時、刑務所へぶちこむぞ」と、検事の一人が大喝して電話を切ったという。

 「これ以上文句をいうなら、共産党を支持するものと認めて、即時、刑務所へぶちこむぞ」という脅しは、空文句ではない。1928年改悪の治安維持法は、新たに、目的遂行罪を創設した。「結社ノ目的遂行ノ為ニスル行為ヲ為シタル者ハ二年以上ノ有期ノ懲役又ハ禁錮ニ処ス」である。平たく翻訳すれば、「何であれ、共産党の目的遂行のために力を貸すようなことをした者には、最高2年の懲役または禁錮の刑を科す」という条文。要するに、警察・検察の一存で、共産党に関わったら、誰でもしょっぴくことができるとされていた時代のことなのだ。

 この天下の悪法による逮捕者数は数十万人にのぼるとされる。司法省調査によると、送検された者7万5681人、うち起訴された者は5162人に及ぶ。治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟の調査では、明らかな虐殺だけでも共産党幹部など65人、拷問・虐待死114人、病気その他の獄死1503人。多喜二の虐殺もそのうちの1件であった。

 警察も検察も報道もグルになって多喜二の虐殺を隠した。天皇は、虐殺の主犯格である安倍警視庁特高部長、配下で直接の下手人である毛利特高課長、中川、山県両警部らに叙勲し、新聞は「赤禍撲滅の勇士へ叙勲・賜杯の御沙汰」と報じた。何という狂った時代だったのだろうか。

 1933年の2月と言えば、日本が国際連盟を脱退したとき(24日)であり、ベルリンで国会放火事件が起きたとき(27日)でもある。日本も世界も、戦争とファシズムへの坂を転げ落ちていたとき。その時代のもっとも苛烈な弾圧の矢面に立ったのが、多喜二であったと言えよう。とても真似はできないが、せめて、「あの時代にも困難であったけれど、多喜二のように抵抗する生き方があったと知ることは重要」という言葉を噛みしめたい。
(参考記事・07年2月17日、09年2月18日付「しんぶん赤旗」)

ミャンマーの国軍に抗議を、民主派に支援を。

(2023年2月3日)
 2021年2月1日、ミャンマーで軍事クーデターが起きた。その前年の総選挙の「不正」を口実に、国軍がアウンサンスーチー率いる国民民主連盟(NLD)政権幹部らを拘束、全権を奪った。
 国軍の政治的影響力の回復や、ミン・アウン・フライン総司令官の個人的野心が背景にあったとされる。全土に大規模な抗議が広がると国軍は武力で制圧し、事態改善の兆しは見えないまま2年が経過した。

 現地の人権団体「政治犯支援協会」は1日、クーデター後今年1月末までに市民2940人が国軍に殺害され、1万3763人が今も拘束されていると発表した。戦慄すべき事態である。多くの民主派の若者らは地下の武装闘争に入り、国境地帯での戦闘や都市部でのゲリラ攻撃などで抵抗していると報じられている。我が身のこととなったら、どうすればよいのだろうか。

 クーデター2年目の2月1日、民主派はこの日、外出をせずに経済活動を止める「沈黙のストライキ」を呼び掛け、最大都市ヤンゴンでは、多くの人がその「消極的抵抗戦術」に参加して抗議の意思を表明したという。

 ところが、ミャンマー国軍は、この日夜放送の国営テレビで、「2021年2月のクーデター時に発令した非常事態宣言を6カ月延長する」と発表した。ミン・アウン・フライン最高司令官が引き続き全権を掌握し、今年8月に実施すると約束されていた総選挙は先送りとなる。民主派の武装勢力の抵抗で治安が悪化したことが理由とされているという。

 ミャンマーの憲法は、非常事態宣言の期間について、「最長で2年」と定めているという。だから、1月31日をもって期間満了となったのだが、国軍は憲法裁判所が今回の宣言延長を「合憲」と判断したとしている。おそらくは、今後も同様の理由で宣言延長を繰り返し、国軍による強権支配が長期化するだろうと報じられている。政権に独立性を持たない裁判所とは、独裁の横暴にお墨付きを与えるにすぎない存在となるのだ。

 1日、国外に居住しているミャンマー人が、それぞれの居住地で、国軍の支配に抗議する集会を開いたことが報じられている。日本の各地でも集会があった。那覇でも、この日の夜、在沖縄ミャンマー人会が、那覇市ぶんかテンブス館前広場で訴えたという。

 参加者らは「ミャンマーが平和になるまで力を貸してほしい」「日本政府は国軍とのつながりを断って、民主化への働きかけを強めてほしい」と切実に呼び掛けた。留学生や技能実習生など約60人が参加したという。

 これに対して、通りがかった日本人から、「自分の国に帰って(デモを)やれ」などと、心ないやじを飛ばす場面があったという。集会参加者は、「現地でやりたいが、軍に抗議する市民は殴られ、撃たれる」と説明、「悲しくなったけれど、私たちもミャンマーのことを自分たちで解決しないといけないことは分かっている。日本の人々には日本政府に『国軍とのつながりをやめて』ということをお願いしたい」と訴えた。

 なお、この日林芳正外務大臣は談話を発表し「アウン・サン・スー・チー氏を含むすべての当事者の解放など、政治的進展に向けて前向きに取り組むことなく、非常事態宣言をさらに延長したことを深刻に懸念する」「わが国を含む国際社会のたび重なる呼びかけにもかかわらず、今なお暴力によって多くの死傷者が発生している状況を改めて強く非難する。ミャンマーの平和と安定を回復するため、すべての当事者に暴力の自制と平和的解決に向けた努力を求める」として、ミャンマーの人たちに対し積極的に人道支援を行っていく考えを示している。

 ミャンマーの事態から、何を学ぶべきだろうか。まずは、軍隊というものの危険性である。軍隊は、必ずしも外国の軍隊と闘うとは限らない。国内の人民に銃を向ける危険を常に持っているのだ。この危険な軍事組織を、どのように民主なコントロール下に置くことができるか、常に配慮しなければならない。

 そして、人権に関しての国際的な連帯や支援の必要である。ウクライナだけではなく、ミャンマーの人々にも、そして香港にもウィグルにも、イランにもアフガニスタンにも、支援の手が差し伸べられなければならない。

白い紙に、書かれざる文字を読む。

(2022年11月28日)

真っ白い一枚の紙。

デモの市民の一人の手に、
高く掲げられたその紙の白さが、
万人の心を打つ。
万言の言葉を伝える。

この白い紙には、
どんな字も、どんな文章も書ける。
どんな形も、どんな色も描くことができる。

一番書きたい言葉は、
「自由!」
わけても「言論の自由」。

権力を批判する自由
独裁を弾劾する自由
言論統制に抵抗する自由
国旗への敬礼を拒否する自由
国歌斉唱の強制を無視する自由
不合理を不合理と指摘する自由
人間の尊厳を蹂躙する者への不服従の自由

しかし、なんという理不尽
今、この白い紙に、
書くべきことを書くことができない。
権力への批判も抵抗も、
罪になるのだという。

北京・上海だけのことではない。
香港でも、ロシアでも、
そしてそれ以外の、
野蛮な世界の各地でも。

だから、白紙をかざす人がまぶしい。
その決意のほどを受けとめよう。
その白い紙に込められた
万感の思いを汲みとろう。

権力に屈しない誇りある人々との
連帯を求めて。

これが、非文明国家・中国の刑事司法だ。

(2022年10月30日)
 文明とは、権力統御の達成度をいう。野蛮とは、統御されない権力が猛威を振るう時代状況の別名である。文明は、権力の横暴を防止して人権を擁護するために、権力統御の制度を整えてきた。法の支配、立憲主義、そして権力の分立、司法の独立…等々。

 人権が、最も厳しく権力とせめぎ合うのは、国家が刑罰権を発動する局面においてのことである。権力は、国民を逮捕し勾留し起訴し刑罰を科すことができる。場合によっては、生命さえ奪う。その手続は厳格に抑制的に定められなければならない。そのようなハンディを権力に課すことで、脆弱な人権はかろうじて守られる。適正手続の保障、弁護権の確立、黙秘権、裁判の公開、推定無罪の原則…、等々が文明社会の基本ルールである。文明は、このような制度を整え適切に運用して権力の暴走を抑制する。人権という究極の価値を守ろうとしてのことである。

 我が国の刑事司法制度やその運用が、十分に成熟した文明の域に達しているわけではない。「人質司法」、「調書裁判」と批判もされ揶揄もされる実態を嘆かざるを得ない。しかし、中国刑事司法と比較する限りにおいては、格段に「文明的」であると評し得よう。我が国の司法制度をあのようにしてはならないという反面教師として、中国の刑事司法をよく知ることが有益である。

 野蛮ないしは非文明国家の反人権的刑事司法制度とその運用による危険の典型を中国に見ることができるが、このほど、その渦中にあって苛酷な実体験をした日本人の詳細な報告が話題となっている。

 毎日新聞が、その当事者を取材して、本日まで3日連続の報告記事を掲載した。「邦人収監」というタイトルのルポ。意義のある貴重な記録である。

上 北京空港、白昼の拘束 高官との雑談「スパイ容疑」
https://mainichi.jp/articles/20221028/ddm/007/030/095000c

中 友好の現場まで監視 取調官「中国研究は不要」
https://mainichi.jp/articles/20221029/ddm/007/030/090000c

下 繰り返される「洗脳」 共産党礼賛の歌唱、歩行訓練も
https://mainichi.jp/articles/20221030/ddm/007/030/111000c

 ルポの対象となったのは、鈴木英司氏。「日中青年交流協会」という団体の理事長という立場の方だという。同氏は中国をたびたび訪れ植林活動に取り組み、中国側から表彰されたこともあり、共産党の対外交流部門、中央対外連絡部とも交流していたという。

 その彼が「スパイ活動」の嫌疑で拘束され「収監」されて苛酷な取り調べで自白を強要されて、起訴された。形式だけの裁判で有罪とされ、懲役6年の実刑判決を受けて収監された。今月11日刑期を終えて出所し日本に帰国している。彼が語る詳細で貴重な体験は、戦慄すべき内容である。

 時系列を整理すると、概略以下のようである。氏は、「居住監視」という名目の苛酷な監禁生活を7か月間強いられている。24時間、6時間交替の二人の見張り役から同室で監視されるという苛酷な状況。カーテンは閉ざされ、太陽光を見ることが許されたのは、この7か月の間に、15分間だけだったという。正式の逮捕と起訴は、この監禁のあとに行われている。

2016年7月15日 身柄拘束・「居住監視」での苛酷な取り調べ
2017年2月16日 逮捕手続
2017年5月   起訴
2017年7月   公判開始(非公開)
2019年5月   一審判決・懲役6年の実刑
2020年     控訴審判決・懲役6年の実刑確定 下獄
2022年10月11日 出所、帰国

以下、幾つかの苛酷な人権侵害の実態を抜き書きする。

「居住監視」という監禁の苛酷さ

 氏は、帰国直前、北京空港近くで屈強な男6名に取り押さえられ、目隠しをされたまま某所に強制連行される。
 そこは、「内装は古びたビジネスホテルのよう。洗面所、トイレ、シャワーがある。部屋の四方で監視カメラがレンズを光らせている。

 弁護人を依頼することは禁じられた。日本大使館に連絡を取るよう再三にわたり要請し、鈴木氏の記憶では7月27日になってようやく大使館員が訪ねてきた。だが、用意された面会室に向かうと、例の取調室の3人組がいるではないか。映像を撮影され、鈴木氏が拘束された容疑について少しでも触れると注意された。大使館員の話では、現在の身柄拘束は「居住監視」と呼ばれる中国の法に基づいた手続きだという。実態は監禁だ。大使館員はこう告げた。「長期戦になります」

 取り調べは続いた。調べが終わっても、本は読めず、テレビもない。紙やペンの使用も禁止。話し相手はおらず、食事とシャワーの時間以外は暗闇でただ、じっと座っているだけ。頭がおかしくなりそうだった。拘束された日にうっとうしいくらいだった太陽が、ひたすら恋しい。一度でいいから見たい。拘束から約1カ月たったある日、その思いを老師(取調官の中心人物)に伝えると、「協議するから待て」と言われた。

 翌朝、老師が「15分だけならいい」と許可した。窓から約1メートル離れた場所に、椅子がぽつんと置かれていた。座ると太陽が視界に入った。「これが太陽かあ」。涙が出てきた。もっと近くで見たい。窓際に近寄ろうとすると、「ダメだ」と叱られた。窓の近くからは建物の周囲が見えるからだろう。すべてが秘密に包まれた場所だった。「終わり」。15分後、男の無情な声が廊下に響いた。

 監禁は長期にわたり続いた。室内にカレンダーや時計はなく、ペンや紙の使用も許可されなかったため日記をつけることもできない。だんだんと今日の日付さえ分からなくなってきた。室内は冷暖房がきいているため、季節を感じる機会もない。

抵抗しきれず署名

 新たな建物の地下にある取調室に入れられると、前日に取り調べをした制服の男とたばこの女がいた。スパイ容疑で正式に逮捕され、この日が17年2月16日だと知らされた。還暦の誕生日は既に数日前に過ぎていた。

 同室者はおおむね2、3人いた。久々の話し相手に心がおどった。ありがたいことに、窓にカーテンはかかっていない。空には冬の太陽が雲の隙間(すきま)から遠慮がちに顔をのぞかせていた。半年前に15分だけ太陽を見せてもらって以来の「再会」だ。

 スパイ容疑を認める内容の供述調書を見せられ、制服の男にこう要求された。「署名しなさい。拒否してはならない」。「基本的な人権もないのか」と抵抗したが無駄だった。しぶしぶ署名した。鈴木氏は17年5月、起訴された。

弁護をしない弁護人

1審の公判は17年8月に始まった。鈴木氏は無罪を主張したが、公選弁護人は「初犯で重い事件ではないので軽い刑にしてほしい」と述べた以外、ほとんど何もしてくれない。同室だった最高裁の元判事はこう言った。「中国の弁護士なんて皆、そんなもんだ」

 私選の弁護人を雇うことも考えたが、40万元(約820万円)を支払っても意味が無かった人がいるとの話を聞き、あきらめた。証人申請はすべて却下され、裁判はすべて非公開。19年5月に1審で懲役6年の実刑判決を言い渡された。

 中国は2審制だ。鈴木氏は上訴したが20年11月、懲役6年の実刑が確定した。判決は、鈴木氏が「中国の国家の安全に危害をもたらした」と指摘した。

刑務所では、洗脳教育

 鈴木氏は日本で言う刑務所に当たる「北京市第2監獄」に収容された。中には外国人用の施設があった。スパイ罪だけでなく、他の事件の囚人も収監されている。まず始まったのが「新人教育」だ。

 ♪没有共産党就没有新中国(共産党がなければ新しい中国はない) 共産党辛労為民族(共産党は民族のため懸命に働く)

 共産党の革命歌をいやというほど歌わされる。中国語が読めない人にはアルファベットで記した歌詞が配られた。

 約5週間の新人教育が終わった後も「洗脳」は続いた。毎日、中国国営中央テレビが制作する英語ニュースを見せられる。共産党史、日中戦争、朝鮮戦争などを描いた番組や映画では、共産党がいかに中国人民を救ったかが描かれていた。

 10月11日、出所の日が来た。早朝、身支度を整え、北京市第2監獄に別れを告げた。当局が用意した車で空港まで送られ、6年3カ月ぶりに北京を離れた。

 成田空港に着き、電車を乗り継いで住み慣れた実家までたどり着いた。拘束前は96キロあった体重。量ると、68キロまで落ちていた。

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 この貴重な記録。剥き出しの権力とはいかなるものであるかを教えるだけではない。勾留期間の制限、弁護人選任権、裁判の公開、裁判官の独立、調書裁判の排除…等々の手続の重要性を噛みしめなければならない。

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