(2021年9月30日)
類は友を呼ぶ。安倍晋三のお友達は、どうしてこうも汚い連中ばかりなのだろうか。汚い連中を外すと、組閣はできなくなるということなのだろうか。アベ・スガ政権のダーティーブランドを、クリーンに衣替えのための岸田の登場のはずだった。が、どうもそうはならない様子だ。情けなや、岸田新総裁。
本日の夕刊各紙には、「岸田新総裁、幹事長に甘利明氏で最終調整」「甘利明氏を幹事長起用へ最終調整」という。よりによって、注目人事の幹事長職に甘利明を起用とは。そりゃ、あまりにもひどい、あんまりだ。自民党は、国民を舐めている。もう、甘利の謹慎など国民は忘れちまっているに違いないとの思い込み。
下記は、2016年6月3日の当ブログの再掲。《甘利不起訴ー検察審査員諸君、今君たちに正義の実現が委ねられている》というタイトル。
上脇博之政治資金オンブズマン共同代表(神戸学院大学教授)らが、被疑者甘利明らを告発したのが本(16年)年4月8日。同告発に対して東京地検特捜部は、5月31日付けで不起訴処分とした。その処分通知は下記のとおりまことに素っ気ないもの。
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処 分 通 知 書
平成28年5月31日
上脇博之 殿
東京地方検察庁 検察官検事 井上一朗 職
貴殿から平成28年4月8日付けで告発のあった次の被疑事件は,下記のとおり処分したので通知します。
記
1 被疑者 甘利明,清島健一,鈴木陵允
2 罪 名 公職にある者等のあっせん行為による利得等の処罰に関する法律違反,政治資金規正法違反,公職選挙法違反
3 事件番号 平成28年検第14913? 14915号
4 処分年月日 平成28年5月31日
5 処分区分不起訴
これに対して、本日(6月3日)付で東京検察審査会宛に、下記のとおりの審査申立がなされ、甘利の起訴の有無は、検察審会の判断に委ねられた。
この申立の代理人弁護士は49名。その代表者が大阪弁護士の阪口徳雄君。私も、その49人の内の一人。
審 査 申 立 書
2016年6月3日
東京検察審査会 御中
別紙代理人目録記載の弁護士49名
被疑者 甘 利 明
被疑者 清 島 健 一
被疑者 鈴 木 陵 允
申 立 の 趣 旨
被疑者甘利明、清島健一および鈴木陵允らの下記被疑事実の要旨記載の各行為についてのあっせん利得処罰法および政治資金規正法に違反する告発事件について、「起訴相当」の議決を求める。
申 立 の 理 由
第1 審査申立人及び申立代理人
審査申立人:上脇博之(別紙審査申立人目録記載の通り)
申立代理人:別紙代理人目録記載のとおり
第2 罪名
あっせん利得処罰法違反及び政治資金規正法違反
第3 被疑者
甘利明、清島健一および鈴木陵允
第4 処分年月日
2016(平成28)年5月31日
第5 不起訴処分をした検察官
東京地方検察庁 検事 井上一朗
第6 被疑事実の要旨
別紙告発状記載の通り
第7 検察官の処分
不起訴処分。理由は嫌疑不十分。なお理由は処分した検察官からの電話で、代理人代表弁護士が「嫌疑不十分」と聞いただけであり、どの事実についてどのように証拠がなく、嫌疑不十分となったかの質問をしたが、それは答えられないと拒否された。従って、報道されているように「権限に基づく影響力の行使」を『いうことを聞かないと国会で取り上げる』などという違法・不当な強い圧力を行使した場合に限定した解釈をした結果不起訴になったか否かは不明である。
第8 不起訴処分の不当性
1 本件は政権の有力政治家の介入事件である
本件告発事件は、閣僚として政権の中枢にある有力政治家(被疑者甘利明)事務所が、民間建設会社の担当者からURへの口利きを依頼されて、URとのトラブルに介入して、その報酬を受領したという、あっせん利得処罰法が典型的に想定したとおりの犯罪である。同時に、口利きによる報酬であることを隠蔽するために、政治資金規正法にも違反し、不記載罪を犯した事件である。
2 あっせん利得処罰法の保護法益
あっせん利得処罰法の保護法益は、「公職にある者(衆議院議員等の政治家)の政治活動の廉潔性ならびに、その廉潔性に姑する国民の信頼」とされている。政治の廉潔性に対する国民の信頼と言い換えてもよい。本件の被疑者甘利明の行為は、政治の廉潔性に対する国民の信頼を著しく毀損したことは明白である。
しかも、通例共犯者間の秘密の掟に隠されて表面化することのない犯罪が、対抗犯側から覚悟の「メディアヘの告発」がなされ、しかも告発者側が克明に経過を記録し証拠を保存しているという稀有の事案である。世上に多くの論者が指摘しているとおり、この事件を立件できなければ、あっせん利得処罰法の適用例は永遠になく、立法が無意味だったことになろう。
被疑者らが、請託を受けたこと、したこと、URの職員にその職務上の行為をさせるようにあっせんをしたこと、さらにその報酬として財産上の利益を収受に疑問の余地はないと思われる。
3 検察の不起訴処分は政権政党の有力大臣であった者への「恣意的」で「政治的」な不起訴処分である
検察は国民の常識から見て起訴すべき事案を、もし報道されているように検察官が「権限に基づく影響力の行使」を『言うことを聞かないと国会で取り上げる』などという違法・不当な強い圧力を行使した場合に限定した解釈をしたというのであれば、その解釈は被疑者が政権政党の有力大臣であったことによる『恣意的』で『政治的』な限定解釈であると断じざるを得ない。
第1に「権限に基づく影響力の行使」を『言うことを聞かないと国会で取り上げる』などのような一般的な制限的解釈は正しくはない。条文に「その権限に基づき不当に影響力を行使」したとか言う「行為態様」に関して一切の制限をしていない。
権限に基づくという影響力の行使とは、行為態様が強いとか弱いとかいうのではなく、国会議員が有する客観的地位、権限に基づき影響力の行使を言うのであって、その影響力の行使の「態様」を制限していないのである。それをあたかも「影響力の行使」の「態様」について『言うことを聞かないと国会で取り上げる』などという制限的な態様を解釈で補充することは検察の極めて恣意的な解釈であると同時に検察の「立法」に該当する。あっせん利得処罰法の保護法益は前記に述べたように政治家はカネを貰って斡旋行為をすることを禁じた法律であり、政治家などの政治活動の廉潔性ならびに、その廉潔性に対する国民の信頼が毀損された場合は処罰する法律であって、その権限の行使態様には一切の制限がないのである。確かに一般の国会議員等が関係機関に要請した場合または口利きのみの行為を罰することは正しくない。しかし、国会議員等の要求、口利きであつてもその「行為」の報酬としてカネを貰うという「議員等とのカネでの癒着による権限に基づく影響力の行使」行為を罰するのであつて、通常の政治家の要請行為を罰するものではない。
第2に本件の場合は安倍政権の有力大臣であり政治家の「要請」行為であったからこそ、UR側は当初は補償の意思がなかったのに2億2000万円まで大幅に補償額を上乗せして支払っているのである。この結果=社会的事実は甘利大臣側がどのような言葉で要請したかではなく、安倍政権の有力政治家が有する「権限に基づく影響力の行使」という客観的な地位、権限があったからこそ、UR側は飛躍的に補償額を上乗せしたのである。『言うことを聞かないと国会で取り上げる』と言ったとか、言わなかったかの問題でなく、当時の甘利大臣の飛ぶ鳥を落とす「地位」「威力」「権限」があったからこそ、UR側も要求に応じたのである。例えが悪いが巨大な指定暴力団の有力幹部が横に座つているだけで一言も発しなくてもその「威力」に負けて要求に応じるのと同一の構造である。
第3に、本件は決して軽微な事案ではない。「週刊文春」などの報道によれば、被疑者甘利らが、本件補償交渉に介入する以前には、UR側は「補償の意思はなかった」(週刊文春)、あるいは「1600万円に過ぎなかった」とされている。ところが、被疑者らが介入して以来、その金額は1億8000万円となり、さらに2億円となり、最終的には2億2000万円となつた巨額の事件であり、甘利側が貰った金額も巨額である。今回の事件は、有力政治家の口利きが有効であることを如実に示すものであり、これを放置すると多くの業者などが、政権政党の有力大臣や有力政治家に多額のカネを払い、関係機関に「口利き」を要請する事態が跋扈することになろう。これを払拭するために、本件については厳正な捜査と処罰が必要とされている。
4 告発事実の事実関係、政治資金規正法違反について
別紙告発状記載の通り
5 結語
本件のような、政権政党の有力大臣や有力政治家による口利きがあったことが明白な事件においてあっせん利得処罰法の適用ができないということになれば、「公職にある者(国会議員等の政治家)の政治活動の廉潔性ならびに、その廉潔性に対する国民の信頼」を保護することなど到底できないことになる。そして、今後政治家による「適法な口利き」が野放しとなり、国民は政治活動の廉潔性を信頼することがなくなり、政治不信が増大することとなる。
口利きによる利益誘導型の政治が政治不信を招き、それを防止するために制定されたあっせん利得処罰法の趣旨を十分理解したうえで、検察官の不起訴処分に対して法と市民の目線の立場で「起訴相当」決議をしていただきたく審査請求をする次第である。ちなみにあっせん利得処罰法違反で500万円を受領した事件の時効は本年8月20日に満了する。早急に審査の上、起訴相当の議決をして頂きたい。
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不起訴処分と同時に、甘利の政治活動への復帰が報じられている。甘利本人にとっても、起訴は覚悟のこと、不起訴は望外の僥倖と検察に感謝しているのではないか。不起訴処分は、限りなくブラックな政治家を甦らせ、元気を与えるカンフル剤となる。それだけではない。政治家の口利きは利用するに値するもので、しかも立件されるリスクがほぼゼロに近いと世間に周知することにもなる。
これでは、あっせん利得処罰法はザル法というにとどまらない。あっせん利得容認法、ないしはあっせん利得奨励法というべきものになる。
こんなことを許してはならない。巨額のカネが動いたのは事実だ。甘利自身、薩摩興業の総務担当者から、大臣室で現金50万円、地元神奈川県大和市の甘利事務所で50万円を直接受けとっている。この金が口利き料としてはたらいたことも明らかではないか。薩摩興業は、最終的にはURから2億2000万円の補償金を得ている。この現金授受と口利きの事実、口利きの効果が立証困難ということはありえない。「知らぬ存ぜぬ」は通らない。「秘書が」の抗弁もあり得ない。
有罪判決のハードルが、もっぱら構成要件の解釈にあるのなら、当然に起訴して裁判所の判断を仰ぐべきである。有罪判決となれば、立法の趣旨が生かされる。仮に法の不備から無罪となれば、そのときには法の不備を修正する改正が必要になる。いずれにせよ、検察審査会は単に不起訴不当というだけではなく、国民目線で、起訴相当の議決をすべきである。そうでなければ、政治とカネにまつわる不祥事が永久に絶えることはないだろう。
検察審査員諸君、あなたの活躍の舞台ができた。せっかくの機会だ。このたびは、あなたが法であり、正義となる。政治の浄化のために、民主主義のために、勇躍して主権者の任務を果たしていただきたい。
(以上・2016年6月3日)
ご存じのとおり、最終結論は、秘書は起訴されたが甘利は逃げおおせた。
同年7月29日、東京第四検察審査会から連絡があって足を運び、被疑者甘利明外2名に対するあっせん利得処罰法違反告発事件の審査申立に対する議決書を受領した。
被疑者甘利明は「不起訴相当」となった。この結果、甘利に対する訴追の道は断ちきられたことになる。到底納得できない。
清島と鈴木の秘書2名は、「不起訴不当」。検察は捜査をやり直すことになるが、強制起訴の道は断たれている。
政治家秘書は「トカゲの尻尾」。これを切り離すことで政治家は生き延びることができる。そのような見本となった検察審査会議決であった。
(2021年9月29日)
コップの中の嵐がおさまり、落ちつくところに落ちついたようだ。安倍・菅と、あまりにひどいこの国のトップが9年も続いた。あまりに長かった、国民の声に聞く耳を持たない政治の9年。ウソとゴマカシ、国政私物化の9年でもある。高市早苗以外の人物なら、誰が総裁になっても、少しはマシというべきだろう。ようやく、政権与党に、自らの特技を「人の話をよく聞くこと」というトップリーダーが誕生した。
岸田文雄は、本日の自民党総裁選開票直後の両院議員総会で新総裁としてあいさつに立ち、こう述べたという。
「多くの国民が政治に声が届かない、政治が信じられないといった切実な声を上げていた。私は、我が国の民主主義の危機にあると強い危機感を感じ、我が身を顧みず、誰よりも早く総裁選に立候補を表明した」「私たちは『生まれ変わった自民党』をしっかりと国民に示さなければなりません。」
この言葉は、その後の就任記者会見の冒頭挨拶のなかでも、次のように繰り返されている。
「国民のみなさまの中に、『国民の声が政治に届かない』、あるいは『この政治の説明が心に響かない』、こうした厳しい切実な声があふれていました。」「今まさに我が国の民主主義そのものが危機にある強い危機感を持ち、私は我が身を顧みずこの総裁選挙、真っ先に手を上げた次第です。」
これを言葉の通りに聞けば、誰しも岸田の認識を真っ当なものと思うに違いない。「安倍・菅のウソとゴマカシ、国政私物化の9年が、我が国の民主主義そのものの危機」をもたらしたというのだ。だから、この事態を反省し清算する真っ当な政治を行う決意だと思うことだろう。私も、そうであって欲しいと思う。
ところが記者会見での記者からの質問への回答で、期待は打ち砕かれた。こりゃダメだ。アベ・スガ政権への批判も反省もない。批判も反省もないから、言葉が上滑りして具体性がない。言質を取られまいという物言いだから、国民の胸に響く言葉にならない。これから何をしようというのか、漠然としてつかみようがない。
記者の質問に答えて、「今のさまざまな政治課題は、国民の協力なく結果を実現することができない時代だと認識している。そういった点から、国民の皆さんにしっかりと政治の説明責任を果たしていきたい」と述べたと報道されている。その言や良し。この人総論を語らせたら、立派にしゃべることができるのだ。採点すれば文句なく合格点。『可』以上は確実。
ところが、「森友学園」をめぐる再調査をしないのか、という具体的な質問に対する回答は、まったくおかしいものとなる。
「行政で調査が行われ、報告書が出されている。また司法において裁判が行われ、民事の裁判も続けられており、その判断を見ていかなければならない。こうした行政や司法の取り組みが行われ、それでもいろいろなご意見や思いがあるならば、今度は政治の立場からしっかり説明していかなければいけない」と述べたという。そりゃおかしい。それじゃ旧態依然の自民党、生まれ変われない。完全に不合格だ。『不可』しかやれない。その理由を整理しておきたい。
1 国民のなかに渦巻く政治不信を、まったく理解していない。「行政や司法の取り組みにご意見や思いがあるならば」などと、将来の、あるいは仮定の問題として語る姿勢が不合格。本気でそう思っているなら、決定的な無能力。そう思っているフリをしているのなら、とてつもない不誠実。
2 「行政の調査」への国民の反発を知るべきだ。身内の調査で、多少の尻尾を切ったが膿を出し切っていない。何よりも、安倍晋三の責任に切り込んでいない。然るべき信頼できる第三者による再調査チームの編成が必要なのだ。仮に、安倍晋三が潔白だったとしても、今、それを信じる理性ある人はない。
3 「司法において裁判が行われ、民事の裁判も続けられており」というこの人の言葉づかいは、経過を良く認識していないこと、自信のないことの表れである。「司法において裁判が行われ」は、あたかも刑事裁判が行われたごとき印象の言葉づかいだが、実は刑事の立件はすべて起訴猶予となり立件されていない。もう一度、きちんと経過を把握して、明瞭に見解を述べ直さねばならない。
4 「民事の裁判も続けられて」いることが、再調査を拒否する理由にはなりようがない。自死した赤木さんの遺族が提起した民事訴訟において、国は無責であ類語と言い続けている。果たして、そのような姿勢で良いのかが問われているのだ。第三者による再調査にすべてを委ねることが求められている。それができないのは、安倍晋三に不都合だからと考えざるを得ない。
行政にも司法にも信用を措けない、不十分だということだから、新総裁に期待が大きいのだ。直ちに再調査の態勢を整えていただきたい。それができなきゃ、アベ・スガと、同じ穴のムジナでしかない。少しだけ穏やかなムジナ。
ああそうか。岸田の言う「危機にある日本の民主主義」とは、「日本の保守政治」のことなんだ。彼は、民主主義の旗手ではなく、自民党保守政治救済の旗手なのだ。そう考えると辻褄が合う。
(2021年9月28日)
NHKを、真に独立したジャーナリズムに育てようという壮大な市民運動。その一環としてのNHK情報公開請求訴訟。本日、東京地裁103号法廷で、その第1回期日が開かれた。
コロナ禍のさなか、おそらく傍聴希望者は少数に留まるという予想ははずれた。傍聴券は抽選となった。漏れた方にはお詫びするしかない。午後1時からの議員会館での報告集会も盛会だった。
法廷では、予定の通り、下記の原告と原告代理人(計4名)の口頭意見陳述が行われた。
(1) 西川幸さん(視聴者の立場から)
(2) 長井暁さん(副原告団長・元NHKチーフプロデューサー)
(3) 醍醐聰さん(原告団長・東大名誉教授)
(4) 澤藤大河弁護士(原告ら訴訟代理人)
代理人意見陳述要旨を掲載して、報告としたい。
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原告ら代理人意見陳述要旨
原告ら代理人弁護士澤藤大河
先に 3 名の原告がお話しした通り、この訴訟の目的はNHKに正しく情報公開制度を運用させ、それを確立することにあります。
組織は往々にして、腐敗します。腐敗した自らの組織とその幹部を守るために、あらゆる手段を使い、その責任の所在を隠そうとします。
このような腐敗を許さず、民主的な運営をさせる要諦は、運営の透明化にあります。その透明化の切り札が情報公開です。民主的であることを標榜する組織は、積極的に内部情報を公開するとともに、要求あれば特定された文書の開示請求に応じなければなりません。説明責任遂行に伴う情報公開の全うこそが、あらゆる組織の民主的運営の土台というべきです。
今、情報公開請求裁判は数多く起こされています。その訴訟の形式は、多くは行政機関・あるいは独立行政法人を対象とした行政訴訟です。
「行政機関情報公開法」、あるいは「独立行政法人等情報公開法」に基づいて文書開示を請求し、不開示決定を得た場合に、その「不開示という行政処分」の取り消しを求める訴訟なのです。
しかし、NHKには、どちらの法律の適用もありません。「独立行政法人等情報公開法」は、192にも上る独立行政法人あるいは特殊法人を対象としていますが、NHKは意識的に適用外とされています。
これは、決してNHKについて情報公開する必要がないからではありません。NHK自らが組織した「NHK情報公開研究会」は 2000 年 11 月に、「NHKの情報公開のあり方に関する提言」を発表しています。NHKの情報公開制度を基礎づけた重要な文書です。
ここには、以下のような格調高い文章で、NHKが社会的に大きな意義を持った存在であるべき事が高らかに唱われています。
「放送や新聞などのマスメディアは、いわゆる社会の公器として公的な役割を担っており、とりわけNHKには、国民共有の財産である電波を利用し、視聴者が直接負担する受信料によって運営される公共放送であることから、より高い公共性とそれに伴う説明責務(アカウンタビリティ)が求められる。」「NHKの持つ説明責務は、政府や行政機関のそれとは異なり、NHK自身が視聴者に対して負っている「視聴者に対するNHKの説明責務」であることを、NHKはまず深く認識することが重要である。」
要するに、NHKは、政府や行政機関とは異なり、マスメディアとして視聴者に対して直接説明責任を負っているということです。情報公開法が制定された際の「特殊法人情報公開検討委員会」では、NHKは、「政府の諸活動としての放送を行わせるために設立させた法人ではない」とされ、特殊法人等情報公開法の対象法人とはしないことが確認されています。
これも、NHKが政府の下請宣伝機関ではなく、独立したマスメディアであり、その独立性が非常に重要であることを確認しているといえます。
情報公開の重要性を自覚したNHKは、視聴者への説明責務を果たすために、内規として独自の情報公開制度を定めました。今回、原告らが情報公開を求めたのは、この制度を利用したものです。ところが、NHKの姿勢は、これらの情報公開制度について、これはあくまでも内規に過ぎず、法的な効果をもつものではないとでも言わんばかりです。「裁判所に持ち込まれることなどあり得ない」というNHKや経営委員会の思い込みが、これまでの開示請求に対する不誠実な対応の原因の一つと考えられます。
これは、法的には、非常に影響の大きな、重要な争点です。ある者が義務を負いそれを認めているのに、義務を負う根拠が自分で決めた内規であるということで、司法判断を免れるということが許されるのでしょうか。司法判断を受けなくて済む領域を自ら勝手に設定することができるものでしょうか。
裁判を受ける権利は憲法上保障されており、勝手に司法判断を拒否できるものではありません。NHKが視聴者に対する情報公開制度を作り、この制度の存在を公表し、実際に運用してきました。そうである以上、この制度を遵守することが、NHKと視聴者との間の受信契約の内容となっている、と私たちは考えています。
また、これら内規は、NHKが行政機関ではなく、政府から高い独立性をもって特別な報道機関としてその任務を果たすために、情報公開諸法の対象から外されたことから制定されたはずのものです。報道の自由を支えるために情報公開諸法の対象から外されたのです。それなのに、この内規が、報道現場を経営陣がコントロールし、政府に迎合する報道をするための手段として使われている奇妙なねじれが生じています。
行政訴訟ではなく、民事訴訟として、受信契約にもとづく文書開示請求権の行使として請求するこれまでに前例のない訴訟が、本件なのです。
さらに、この訴訟は、NHKだけを被告にしているのではありません。NHK経営委員会森下俊三現委員長を、二人目の被告として、個人に対する損害賠償請求もしています。
NHKの最高機関は、「NHK経営委員会」です。経営委員会が、会長の任命権限を持ち、罷免する権限も持っています。その経営委員会委員長が、元総務事務次官からの要請を受けて、明らかに「かんぽ生命不正報道」の番組制作を妨害して、制作現場に土足で踏み込んだのです。明らかな放送法違反であり、民事法上も違法な行為をなしたのです。
この訴訟で開示を求めている中心的な文書は経営委員会議事録です。その議事録が出せない、あるいは議事録の公開が遅延したのは、現委員長森下俊三の番組制作妨害が議事に関わっているからだというのが、私たちの主張です。この点に関しては、被告森下氏の認否にもよりますが、今後の訴訟活動として、被告森下氏の不法行為を十分に主張するつもりです。経営委員長として議事録を作成せず公開しなかったことが不法行為です。
そして、議事録不開示の動機は、森下氏が番組制作・放送妨害に介入したことを隠蔽するためです。本件においては、隠蔽しようとしたという動機も重要です。故意不法行為であることや動機の悪質性は慰謝料の増額事由となるからです。
最後に申し上げますが、私たちはNHKを敵視していません。政府から独立し、民主的で透明な運営がなされる良質のジャーナリズムを支える存在として、その価値を発揮することを望んでいます。本件訴訟はNHKに透明な運営をもたらすために極めて重要な意義があります。
裁判所においては、本件訴訟は、NHKという大きな報道機関の運営を正常化し透明性を確保させるという重大な意義があることを、是非ご理解いただきたいと思います。
(2021年9月27日)
安倍晋三長期政権の権力私物化の象徴が、「モリ・カケ・サクラ」である。そのどれもが、いまだに説明が尽くされていない。安倍晋三の責任が曖昧にごまかされたまま。アベ・スガ政権の後継者を決める総裁選挙も終盤だが、自民党に自浄能力があるのかが問われている。
そのような問題意識で、「『桜を見る会』を追及する法律家の会」が、本年9月17日付けで、自民党総裁候補4人と野党の代表者7名に、公開質問状を送った。
https://article9.jp/wordpress/?p=17589
関心は自ずから、自民党総裁候補4人の回答に絞られる。この質問状には、「回答内容は、回答の有無も含め、マスコミ等への公開を予定しております」と明記されている。公開質問状だから当然といえば当然だが、元首相安倍晋三の不祥事を、どのように深刻に受けとめ、どのように再発の防止に努めるのか、誰もが問い質したいところ。野党各党の回答と比較されるのだから疎かにはできまい、と思ったのが浅はかだった。
自民党総裁選候補者、岸田文雄、高市早苗、河野太郎、野田聖子のうち、河野太郎は積極的な配達証明郵便の受け取り拒否。あからさまな、人の言うことに聞く耳を持たないという積極姿勢を示した。岸田文雄と高市早苗の両名は質問状を受領はしたが無回答。おそらくは、どう答えてよいか、決断できなかったのであろう。
つまり、国民への受けがよいのは「首相の犯罪を厳しく断罪する姿勢」である。しかしそう回答すれば、まだ健在な安倍から睨まれる。それなら、黙して語らぬのが良策という姿勢。これを「疚しき沈黙」という。結局のところ、岸田、高市、河野、このだれが、総裁・総理になっても、自浄の意思も能力もない。
これに対して、野田聖子だけが真っ当な姿勢を見せた。下記のとおり、計5問に手抜きのない丁寧な回答を寄せている。他の3候補とは際だった違い。その全文を掲載しておきたい。
1 桜を見る会について
? 検察審査会の指摘について、これは検察官が専門家として判断したものの上に、国民の代表が意見を反映したものと認識しており、賛同します。
? まず「桜を見る会」そのものを今後どうするかについて、私が首相になったときには、全面的に見直しを行い、(コロナを克服してからの)桜を見る会にはすぺての国民の皆様をど招待したい、と考えております。桜は日本の国花です。桜には罪はありません。日本人はこれまで、春を待ち焦がれ、桜を待ち焦がれ、多くの歌に詠んできました。私は、民主主義政治の原点は、政治家が国民とともにあることだと思っています。内閣総理大臣として、希望するすぺての国民とともに桜を楽しみ、国民から勇気と元気を頂いて、明日からの国家へのエネルギーに変える、そのような会に改革したいと思っています。
次に、安倍総理大臣の行った桜を見る会に関する疑惑についでは、秘書が略式起訴され罰金が確定、安倍議員ど本人が不起訴となりましたが、その後検察審査会で不起訴不当となり、再捜査が行われているものと思います。当面は捜査の行方を見守りたいと思いますが、そもそも民主主義政治における政治家は、あることないこと言われるのが通例ですが、自らの潔白は自らが丁寧に説明すべきものと考えています。
2 前夜祭について
? 検察審査会は専門家である検察官が下した判断の上に、国民の代表が意見を反映したものですので、その指摘を尊重したいと思います。
? これも同様の理由で、検察審査会の指摘を尊重したいと思います。そのうえで、民主主義政治における政治家は、あることないこと言われますし、今はフェイクュュースの脅威にもさらされています。そんな中においても、検察審査会のご指摘の通り、私たちの責務として、自らの潔白は自らが丁寧に説明すべきものと考えています。
? 政治家が説明責任を巣たし終えたかどうかの判断は、極めて難しいものだと思っています、ただし、私たちが民主主義政治における政治家である以上、国民のせめて過半数が納得してくださるまで、私たちは粘り強く説明する責任を負っているものと考えています。
公明党からも回答があったが、「検察の処分を待つ」とするだけのもの。おそらくは、自民党と連立を組む立場においては、それ以上は言えないということなのだろう。これも、自浄能力がない。
さすがに、立民、共産、社民、れいわの4党からは、安倍晋三の責任を明確化することに何の忖度もない回答になっている。これは希望だ。残念なのは、維新と国民からは回答のないこと。
本日(9月27日)、「会」は、記者会見を開いてこの結果を公表した。
そこで述べられたことは、「このまま、与党の政権が続れば、桜を見る会は同じように曖昧にされ続けてしまうだろう」「野党4党の回答には、自党が政権を担うことになれば、真相解明と責任追及、法制度の改善という積極的な行動に出る、という決意の表明が見られた」ということ。
総裁選、自浄能力のない候補者の優勢が報じられている。
(2021年9月26日)
「蟷螂の斧を構えたままの姿です」という一文に目が留まった。81歳の方の文章、「蟷螂の斧を構えた」のが1964年のこと。以来、その姿勢を崩していないというのだ。しかもこの方は元裁判官。この姿勢の維持は、当局の強い圧力に抵抗してのこと、並大抵の覚悟でできることではない。私もそう言えるようになりたい。その心意気に学びたい。
「核兵器の廃絶をめざす日本法律家協会(略称:日本反核法律家協会)」という団体がある。自らを、《「人類と核は共存できない」との立場から、日本の法律家や法律家団体を幅広く結集し、志を同じくする国際組織や市民社会と連携して、核兵器の廃絶、ヒバクシャ援護、原発に依存しない社会の実現をめざす諸活動にとりくむ団体です。》と紹介している。
「日本反核法律家協会」の機関誌(季刊)の名称が、分かり易い「反核法律家」。その108号(2021年秋号)が本日届いた。巻末(60ページ)に、「NEW FACE」という新入会員の自己紹介欄がある。ここに、「81歳の自己紹介」として、埼玉弁護士会の北澤貞男弁護士が寄稿している。
北澤さんは、定年まで勤め上げた元裁判官。元青年法律家協会裁判官部会の会員で、その後継の如月会にも所属し、その流れを汲む裁判官ネットワークの活動にも携わっておられた。退官後弁護士となって、日民協の活動に参加、人権を守るいくつもの裁判に携わってもいる。首尾一貫、ブレない方なのだ。
その北澤さんが、昨年(2020年)の師走に、誘われて81歳で「日本反核法律家協会」の会員になられたという。その北澤さんの自己紹介記事の一部を抜粋してご紹介したい。
私は、…1966年4月に判事補となり、2004年12月に定年退官するまで裁判官の地位にありました。修習生の前期に青法協に加入し、その姿勢のまま現在に至った感じです。蟷螂の斧を構えたままの姿です。
北澤さんの青法協加入が1964年のことになる。57年余も、蟷螂が斧を構えたままの姿勢を保ち続けて来られたというのだ。これは並大抵のことではない。右翼や自民党と一体化した最高裁が、青法協裁判官に対する脱退攻撃を始めたのが1969年頃からである。大勢いた青法協裁判官が、石田和外ら司法官僚の恫喝や勧奨に屈して崩れていく中で、さまざまな報復や差別に屈せず、筋を通し、信念を貫き、自らの法律家としての矜持を守った少数の裁判官がいた。その一人が北澤さんだ。
2005年2月に弁護士登録をしましたが、先輩等から誘われるまま、中国「残留孤児」国家賠償請求事件、東京大空襲国家賠償請求事件、そして安保法制違憲訴訟に一弁護士として関与することになりました。
これらの訴訟に関与して考えさせられたことは、「国家権力」の正体とそれを担う者たちの意識の在りようについてです。最も感じたことは、国家の「人民」に対する「冷たさ」です。天皇制国家から国民主権の民主政国家に変わっても、国家の冷たさは変わっていません。戦争被害受忍論はそれを象徴する理屈です。国民主権が定着していないことだけでなく、そもそも国家は特定の人間が大勢の「人民」を支配する巧妙なシステムのようです。
平和を希求する民衆が安保法制違憲訴訟を提起して活動していますが、下級審の判決は、保護されるべき権利・利益が認められないとして、安保関連法の憲法判断と立法違法の判断を回避し、門前払いに近い判決が続いています。国家権力の中枢に関わる事件ですから、難しいとはいえ、裁判官の姿勢は「国家権力」の影に隠れ、日本国憲法の威力から身を守っている(保身)かのようです。
ブレることのなかった元裁判が、保身としか見えない現役裁判官の姿勢に切歯扼腕しているのだ。自らを「蟷螂」という北澤さんだが、私も蟷螂だ。先輩蟷螂を見習って、大きく斧を振り上げ続けたい。
(2021年9月25日)
コロナ禍がもたらした思いがけない福音に、オンライン会議の普及がある。これまでは東京周辺の人としかできなかった会合が、オンラインなら全国の誰とでも可能となった。交通の時間も費用もかからずに。
50年前に、司法修習と修習生運動を共にした23期の弁護士の気の合った仲間が、「23期弁護士ネットワーク」というグループを名乗って、今年の4月、まず「司法はこれでいいのか」という本を出版し、4月24日には出版記念の集会を開催した。その準備はZoom(ズーム)での会議がなければできなかったこと。
その後も頻繁にZoom(ズーム)会議を開いて、意見交換をしている。札幌、東京、名古屋、京都、大阪などの参加者が、簡単に顔を合わせ、話し合うことができるのだから、これは便利だ。
23期共通の関心事は司法問題。どうすれば、《憲法が想定する、真に独立した人権の砦としての裁判所》をつくることができるだろうか、という問題意識。
そのような観点からの活動の第一歩として、本日は、オンライン学習会を開催した。『原発訴訟から司法を考える』とタイトルした企画。
企画書は次のように述べている。
「今回は、3・11の福島原発事故以後の原発差止訴訟を取り上げます。ご存じの通り、全国各地で差止訴訟が提起されていますが、勝訴判決はわずかですし、勝っても上級審では全て覆されています。あれだけの被害を出し、史上最大最悪の公害と言われる原発被害を経験したのにもかかわらず、この結果は何を意味するのでしょうか、また何が原因となっているのでしょうか。さらには、どうすれば裁判所を変えていけるのでしょうか。それらを探りながら、前回の集会に引き続き、再度、ハードケースで勝訴判決が出ない司法の問題点、現状を議論し、今後の裁判に役立てたいと思い、今回の企画を準備しました。」
パネリストは次のお二人。
*島田広弁護士50期
大飯原発福井訴訟団長として、いわゆる樋口判決を得るも控訴審等で最高裁シフトを経験。
*井戸謙一弁護士(元裁判官)31期
裁判官時代志賀原発2号機の運転差止を認める判決を下す(当時全敗の中)。差止訴訟に限らず、「ふくしま集団疎開裁判」等の団長も。
メインの講師、井戸さんのお話は、明晰で興味深いものだった。司会をお願いした北村栄弁護士が、周到な準備を経た質問をしてくれたおかげもある。いくつか、印象に残ったことを、私なりの理解で書き残しておきたい。
?刑事訴訟とは実体的真実を見極めるための手続ではない。「ギルティ」と証明できない限りは、「ノットギルティ」なのであって、被告人が真に潔白であるか否かは問題にならない。
?実は、民事訴訟も同様に挙証責任の配分というルールに従っての判断に至る手続で、本来は安全性具備の挙証責任は被告の電力会社側にある。ところが、多くの原発差し止め事件判決が、先例とされている行政訴訟の伊方原発事件の法理に従って、挙証責任を逆転させて住民を敗訴させてきた。私は、民事訴訟のルールの通りに判決したまでのこと。
?それでも、初めての差し止め判決を出すには緊張感が伴ったし、その後も変わった裁判官という目で見られた印象を拭えない。自分の裁判官としてのキャリアに影響あることは予てから覚悟していた。だから、ローンなどは、早めに完済するよう、心がけていた。
?裁判官を説得するには、争点を絞り、書面は短く、記録は薄く、主張は簡潔に、専門的なことを噛み砕いて文系の裁判官に分かり易くということが望ましい。現実にはなかなか困難だが。
?原告の主張を実現するには法廷外の運動も大切だと思う。傍聴席が満員であれば、国民が注視している事件だという緊張が生まれる。公正判決要請などの署名は、書記官限りで裁判官にまで上がってこない扱いが多いが、なんとなくたくさんの署名があったということは話題になるもの。
?いま大切だと思っていることは、科学的知見を裁判所に納得してもらうために、良心的な科学者集団の叡智を結集すること。具体的には、これまで余り注目されなかった地盤工学に関する研究者たちの助力を得ている。
?原発関連訴訟に関しては、3・11事故による被害の確認は重要だと思う。事故直後のあの緊迫感は時とともに風化しつつあると思わなければならない。
?国を被告にする事件だからといって、裁判官が国におもねることはないと思う。しかし、国策の根幹に関わるような事件では、話は別。たとえば、沖縄の問題ではそれが顕著に表れていると思う。
?かつては、結論では棄却の判決でも、その理由中の傍論で原告の望む事実認定をし、あるいは違憲違法を語った例が多かった。最近ではそれが少ない。安保法制違憲素諸判決には一件もない。裁判官の意識の変化かも知れない。
?裁判官は、組織に隠れた存在になってはならない。評価すべき判決も批判すべき判決も、裁判官・裁判長の固有名詞を冠して特定すべきだ。だから、ネットで実名を挙げての裁判批判もあって当然だと思う。
(2021年9月24日)
NHKを行政のくびきから解放して、真に独立したジャーナリズムに育てようという壮大な市民運動。その一環としてのNHK情報公開請求訴訟にご注目とご支援をお願いいたします。
その第1回期日が目前です。当日のスケジュールは以下のとおり。
日時 9月28日(火)午前10時40分から約1時間
法廷 東京地裁103号(1階の「大法廷」)
(傍聴には、10時20分からの抽選が予定されています。しかしコロナ禍のさなか、おそらく満席にはならないと思われます)
法廷では、下記の原告と原告代理人(計4名)の口頭意見陳述が行われます。
(1) 西川幸さん(視聴者の立場から)
(2) 長井暁さん(副原告団長・元NHKチーフプロデューサー)
(3) 醍醐聰さん(原告団長・東大名誉教授)
(4) 澤藤大河弁護士(原告ら訴訟代理人)
その後、下記のとおり報告集会を行います。こちらにもぜひご参加を。
時間 13:00 ?
場所 参議院議員会館 B108会議室
この訴訟の原告は104名の受信契約者(視聴者)、被告はNHKと森下俊三(経営委員長)の2名。被告NHKに対しては「文書の開示」を請求し、被告森下には文書開示を懈怠した責任者として損害賠償をせよという内容。
被告NHKに対して開示を求める最重要の文書が、「2018年10月23日のNHK経営委員会議事録」。放送法41条は、「委員長は、経営委員会の終了後、遅滞なく、経営委員会の定めるところにより、その議事録を作成し、これを公表しなければならない」と、経営委員会委員長の任にある者に経営委員会の会議議事録の作成と公表を義務付けている。しかも、「遅滞なく」である。
ところが、法律で明確に定められたこの義務は、履行されていない。なぜか。経営委員会にとって都合が悪いものだから出せない、と考えざるを得ない。
この日の経営委員会で何が行われたのか。森下主導で経営委員会は、当時の上田良一NHK会長に「厳重注意」を言い渡した。これは、NHKの良心的番組「クローズアップ現代+」が取りあげた「日本郵政のかんぽ生命不正販売問題」の制作妨害の意図によるものである。
つまり、NHKの最高意思決定機関である経営委員会が、外部勢力(日本郵政)の意を受けて、NHKの番組潰しを画策したのだ。経営委員会は具体的な番組の制作に干渉してはならない、とする放送法32条に違反する、明らかな違法行為。
この文書については、これまで5件の開示請求(NHKの手続では「開示の求め」という)があり、NHKが委嘱した「情報公開審議委員会」は5度に渡って、NHKに公開すべしと答申したが、NHK(実質的には経営委員会)が答申を拒否した。
そこで、原告らが、「仮に今度も開示を拒否されたら提訴する」ことを宣言して、開示の求めを行い、所定の期限までに開示に至らなかったことで、提訴に及んだのがこの訴訟なのだ。
原告らは今年の4月7日に「開示の求め」を行い、提訴は6月14日となった。その後、7月9日になって、『議事録』が開示された。提訴の効果として、一定の前進あったことの評価はやぶさかではない。
しかし、実は問題が解決したわけではない。もし、この『議事録』が放送法の定める議事録だとすれば、当然に公表されなければならないところ、この議事録は文書開示の求めをした当事者には写しが交付されているが、誰もが見ることができるように「公表」されていない。通常、公表はNHKのホームページに掲載されるが、今に至るもその掲載はない。
しかも、この議事録には「別紙」が付されて、「これは経営委員会の確認を経ていない」旨が明記されている。果たして、7月9日交付を受けた文書が、原告らが開示を求めた文書であるかについては、いまだ納得しえない。そんな経緯の中で、第1回法廷を迎える。
なお、被告森下の答弁書は、9月21日の夕方ファクス送信されてきた。請求の趣旨に対する答弁だけで、何の内容もないもの。被告NHKの答弁書は9月22日の夕刻だった。こちらは、さすがに内容のあるものだった。
そのNHKの答弁は、「既に請求された情報開示は実行されている」というものだが、原告が納得できるようにはなっていない。原告は、文意必ずしも明確とは言えないとして翌23日付の求釈明書を提出している。28日の法廷は、この点のやり取りが中心となる。
NHKの答弁書を一瞥して、それなりの真摯さを印象づけられた。いたずらに論点をはぐらかしたり、挑発的な、あるいは居丈高な姿勢はない。認めるところは認めるという穏当な答弁。
この訴訟にはメディアの関心が集中しており、メディアの背後にはNHKのあり方を憂慮する広範な国民が存在している。私は、NHKがそのことを意識してこその、この答弁書の姿勢だと思う。
そしてもう1点。原告は、決してNHKを非難し追及しているわけではない。むしろ、励ましているのだ。この件では、元総務次官の日本郵政上級副社長・鈴木康雄と、当時は経営委員長代行だった森下俊三との二人が、良心的番組潰しの両悪役である。NHK執行部は、番組制作の現場を守ろうとして力が足りなかったと言ってよい。原告らは、森下とNHK執行部との責任の強弱を明確に区分して認識している。NHKには、そのような原告の思いが伝わっているのだとも思う。
(2021年9月23日)
DHCスラップ訴訟・「反撃」訴訟の経緯を一冊の本にまとめようと悪戦苦闘している。何とか、今年中にでも出版に漕ぎつけたい。が、なかなか筆が進まない。そして、書いたものを読み返しては、読者に面白いだろうか、有益だろうか。と反問せざるを得ない。
未定稿だが、その冒頭の一部と、末尾の一部を抜き出してみよう。こんな具合なのだが、果たして読者に読んでもらえるものになるだろうか。
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?えっ? 私が被告?
2014年5月のとある日。初夏の雨上りの心地よい日だった。世はなべてこともなく、穏やかであったその日の夕刻。とんでもないものが舞い込んできた。
玄関のチャイムが鳴って郵便局の青年が愛想よく声をかけてきた。「澤藤さん、トクベツソウタツですよ。印鑑をお願いします」
「ああ特別送達ね。ハイ、了解」と受領印を押して、東京地裁から私宛の特別送達の封書を受け取る。法律事務所に裁判所からの特別送達。特に珍しくはないが、日常的にあることでもない。さて、受任している誰の件だろうか。封を開けて当事者の表示を見て驚いた。私が受任している事件ではない。私自身が被告として明記されていたのだ。私は、代理人としてではなく、被告本人として私宛に送達された訴状を受領したのだ。初めての妙な体験。いったいこれは何のことだ。
訴状を一瞥してさらに驚いた。サプリメント販売大手のDHCとそのオーナーである吉田嘉明の両者が原告となって、私に対する2000万円の名誉毀損損害賠償請求訴訟を起こしたのだ。私のネット上のブログ記事を削除せよとも請求し、屈辱的な謝罪文の掲載も求めている。
なんの前触れもないその唐突さに最初は呆れ、次いでこの上ない不愉快と怒りの感情に襲われた。爽やかな初夏の夕刻の景色が、禍々しい一通の訴状で一変した。その日に始まったDHC・吉田嘉明との闘い。2021年1月に、訴訟が最終的に確定するまで6年8か月である。
当時私は弁護士になって45年目。訴訟の当事者となる依頼者の代理人として、多くの訴訟に携わってきた。しかし、自分が事件の当事者となるのはまったく初めての経験。訴えられるなどとは思いもよらないことだった。しかも、この訴訟は私に違法な行為があって、2000万円を損害賠償せよという。2000万円は私にとっては大金である。とうてい鼻先で笑える金額ではない。私は、猛烈に怒った。
あれから7年余である。おそらくは何年経っても、あのときの怒りは治まらない。DHCと吉田嘉明と、そしてその代理人となった弁護士を決して許さない。私は執念深いのだ。
あらためて考える。当時、私はいったい何に怒ったのだろうか。明らかに、この提訴は私の言論に対する「黙れ」という恫喝であった。私は恫喝されたことにも怒ったが、むしろ恫喝すれば黙るだろうと見くびられたことに腹を立てた。また、どんなめちゃくちゃな裁判であろうとも、これに応訴する面倒をよく知っている。確実に労力を割かねばならない。手間暇がかかるのだ。このことにも苛立った。
そして、思った。弁護士の私が、「黙れ」「口を慎め」と脅かされているのだ。弁護士としての矜持にかけて決して黙ってはならない。絶対に、一歩も退くものか。全力をあげて闘うことを決意した。闘う相手は、直接は原告となった吉田とDHCとその代理人弁護士であるが、決してそれだけではない。自由な言論を封じようとする社会的圧力との闘いと意識した。
大袈裟ではあるが大真面目に思った。これは、正義のための悪の権化との戦いである。
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?反撃訴訟判決の確定
そして、2021年1月15日コロナ禍の年明け。若い郵便局員がチャイムを鳴らして、「澤藤さん、トクベツソウタツですよ」とマスク越しに声をかけた。「はい、特別送達ね」と既視感のある応対。今度は最高裁(第1小法廷)から特別送達。反撃訴訟についてDHC・吉田嘉明の「上告棄却・上告受理申立不受理」の決定通知である。薄っぺらい三つ折りの書面。俗にいう、三下り半の決定通知。これですべてが終わった。
東京地裁からの訴状特別送達で始まって、最高裁からの上告棄却決定の特別送達で終了。この間6年8か月である。本当に長かった、ようやく終わったという実感。
提訴から数えれば6年9か月に及んだ、DHC・吉田嘉明と私(澤藤)との典型的なスラップ訴訟をめぐる法廷闘争だった。繰り返し確認しておくことになるが、私の完勝である。ということは、DHC・吉田嘉明完敗の確定である。裁判は、都合6回あった。私の6戦全勝、DHC・吉田嘉明の6戦全敗である。DHC・吉田には何の策もなく負けるべくして負けた。この経過と判決内容とは、私の勝利というだけではなく、基本権である表現の自由の勝利である。この社会には、まだDHC・吉田のごとき者を批判する自由は保障されているのだ。
判決によってその権利性が保障された私の言論は、無内容なものではない。DHC・吉田嘉明が、カネの力でこの国の政治を歪めようとすることへの批判の言論にほかならない。DHC・吉田嘉明が政治家渡辺喜美に対する8億円の裏金提供が目論んだ政治の歪みとは、規制緩和の「美名」のもと、企業の利潤追求に障害となる行政規制をなくして消費者利益を奪いとろうとしたものであった。そのことを批判した私の言論は、民主主義政治にとっても消費者利益にとっても、極めて有益な、真っ当な言論であった。DHC・吉田嘉明が、私を恫喝して妨害しようとした言論とは、そのようなものである。
結論を明確にしておきたい。今回のDHC・吉田嘉明完敗の最大の教訓は、「DHC・吉田嘉明ごときに恫喝されて、批判に臆してはならない」ということである。デマ・ヘイト・スラップ・ステマ・ブラック体質、極右の言論…、何とも多くの病巣を抱え込んだ問題企業・問題人物としてのDHC・吉田嘉明である。これに対する言論での批判は、事実に基づくものである限り、果敢に行わねばならない。スラップの提訴を恐れるが故のいささかの怯みもあってはならないのだ。また、言論によるものではなく、消費者運動としてのDHC製品不買運動にも積極的に取り組むべきである。少しでも、この社会をよりよりものとするために。
この序章と終章との間に、エピソードはいくつもある。
?えっ? 請求額が6000万円に?
?えっ? 私がまた被告に?
?逃げるな吉田嘉明
など思い出してみれば盛り沢山なのだ。
そして、あらためて思う。私個人としては、いささかも怯むところなく徹底して闘うことで自分のプライドを守り得たのだ。そして、社会的にはとてもよい判決を得た。これをもっと世に広めたい。
そして、この成果を得るために力を尽くしていただいた弁護団の皆様に感謝の気持ちでいっぱいである。
だから、執筆を急がねばと思いつつ気持ちは揺れる。自分では、有益で面白いと思ってみたり、独りよがりに過ぎないと思ったり。その日の気分次第で、自評も毎日くるくる変わっている。が、何とか書かねばならない。
(2021年9月22日)
ワタシがブロック太郎だ。ワタシの突破力を疑う人もないではないが、ワタシのブロック力を疑う人とてこの世にはない。誰もが認める、六十余州に隠れもない史上最強のブロック太郎…だぁ。
あれもヤメレ、これもヤメレ。見たくないものには目をふさぐ、聞きたくない言葉には耳をふさぐ。ブロックに何の遠慮が要るものか。聞いてほしけりゃ、ワタシの喜ぶ意見をもってこい。
ナニ? 「自民党総裁選候補者及び各党代表への『桜を見る会・前夜祭』に関する公開質問状」だと? いったい誰がそんな公開質問状を出しているんだ? 「『桜を見る会』を追及する法律家の会」だと。そんなもの、どう答えたって、総裁選に有利になるはずはない。ヤメレ、ブロックだ。受領拒否で送り返せ。また来たら、また送り返せ。ブロック太郎のブロック力の見せどころだ。
「news23」で、「首相になってもブロックはするのか」と質問されたから、「ワタシのやりたいようにやる」と答えてやった。ブロックは、ブロック太郎のレーゾンデートルだ。ブロックやめたら、ワタシがワタシでなくなる。誰の意見も聞きましょうなんて、面倒なことはやってられない。できっこない。
記者会見なら、「次の質問どうぞ」「次の質問者どうぞ」だ。あなたの質問には答えない。気にいらない記者には答えない。耳に痛い質問には答えたくない。だって、ワタシはいつも正しく忙しい。つまらぬ記者やその質問に、時間をとられるのはまっぴらだ。
ワタシもそれほどバカではない。作戦というものが二つある。一つは公私の区別曖昧化作戦。もう一つが、中傷・批判混交作戦。意図的にやっている。マ、安倍さんのご飯論法みたいなもんだ。
こういうことだ。まずツイッターはワタシの「暇つぶし」と私的な言論であることを強調する。こうしておいて、公的情報をどんどん入れてフォロアー数を稼ぐ。何か批判があれば、すぐにブロックして「私的な言論にとやかく言われる筋合いはない」と開き直る。私と公との行ったり来たり。境界曖昧にしておくことが、何よりのブロック術の秘訣。
もう一つが、意識的な誹謗と批判の曖昧化。卑劣な誹謗は許せない、なんて言いながら政治的批判の言論をブロックしようというずる賢い高等戦術。「ツイッター上の会話も普通のリアルの会話のように礼節をもってやってもらえればいいんだが」などと言いつつ、面白くない批判者の言論はブロックなんだ。
ワタシのや目指すところはトランプの流儀。ワタシにとって大切なのは、熱狂的な支持者の一群を作ることであって、満遍なく説明責任を全うすることではない。なんで、自分を批判する「あんな人たち」の言い分を聞かなきゃならないんだ。ブロックしたって何が悪い。
「『桜を見る会・前夜祭』に関する公開質問状」なんて、どうせ前首相や自民党を誹謗中傷する法律家の集まりだろう。ワタシはまだ私人だ。ブロック力を発揮して、受領拒否をしても、ちっとも問題はないだろう。これからも、「ワタシのやりたいようにやる」だけさ。
(参照) https://article9.jp/wordpress/?p=17589
(2021年9月21日)
国会議員とは辛い仕事だ。共産党の議員ともなれば格別に辛い。楽しい弁護士稼業に専念せずに、辛さ覚悟で議員になってる山添拓には、ご苦労様というほかはない。
この辛さには二面ある。一つは、一般人ならなんでもないことをことさらにあげつらわれ、悪意ある輩から過剰に叩かれること。もう一つは、積極的な弁明をしがたいことだ。「大したことをやったわけではない」と自ら言えば、反省が足りないとさらに深みにはまる恐れがある。
自己弁護をしがたい辛い境遇なのだから、周囲が弁護を買って出なければならない。私も、一言申し上げておきたい。
彼のツィッターでの発言によれば、「2020年11月3日、休日を利用して趣味の鉄道写真を撮りに行った際に、長瀞町の秩父鉄道の線路を横断したことが、埼玉県警秩父警察署から軽犯罪法違反であるとの指摘を受け、本年9月16日付で送検した旨の連絡を受けました。」という。
送検の被疑罪名が必ずしも明らかではないが、軽犯罪法とすれば、「第1条第32号 入ることを禁じた場所又は他人の田畑に正当な理由がなくて入つた」しか考えられない。
鉄道の線路は、「入ることを禁じた場所」に当たるのだろうが、実生活においては線路を渡るのも、線路を歩くのも、必要あれば誰でもすることだ。右を見左を見て安全を確かめたうえ、線路を渡る。私もこれまでの人生でおそらくは何百回もやってきたことだ。普通、これを犯罪と意識することはない。ましてや送検されるなど思いもよらないこと。
このような、法益侵害の極限までに軽微な行為に対しては法の適用の公平性を厳格に確保し、厳しく濫用を警戒しなければならない。軽犯罪法自身が、その4条で、「この法律の適用にあたつては、国民の権利を不当に侵害しないように留意し、その本来の目的を逸脱して他の目的のためにこれを濫用するようなことがあつてはならない。」と、司法警察や検察官を戒めているとおりである。
よもや立件はあり得ないだろうが、送検されただけで悪意ある中傷にさらされている現実がある。山添拓弁護の材料を提供しておきたい。
まずは、「一厘事件」大審院判例を淵源とする可罰的違法性論である。形式的には構成要件に該当する行為も、刑罰法規が刑事罰に値するとして予定する違法性の質・量を欠く行為は処罰に値せず、罪とならない。
「一厘事件」は、葉煙草専売法(不納付)違反での起訴事件。被告の農民が、大蔵省専売局に納入することを怠った乾燥葉煙草の相当価格は、1厘(1円の千分の1)であった。この起訴が、一審無罪、控訴審有罪となり、注目された大審院は、無罪とした。処罰に値するほどの違法性を欠くということなのだ。
刑事弾圧には、常にこの可罰的違法論が問題となる。山添拓弁護はまずここから始まる。そして、故意の欠如、公訴権濫用論等々。
もう一つ。新訳聖書(ヨハネ伝)を引用しておきたい。
イエスは身を起して彼らに言われた、「あなたがたの中で罪のない者が、まずこの女に石を投げつけるがよい」。
これを聞くと、彼らは年寄から始めて、ひとりびとり出て行き、ついに、イエスだけになり、女は中にいたまま残された。そこでイエスは身を起して女に言われた、「女よ、みんなはどこにいるか。あなたを罰する者はなかったのか」。
女は言った、「主よ、だれもございません」。イエスは言われた、「わたしもあなたを罰しない。お帰りなさい。今後はもう罪を犯さないように」。
これも、示唆に富んでいる。誰もが自信をもって処罰すべきと言える行為でなければ、犯罪として扱ってはならない。恣意的な捜査や起訴の危うさを忘れてはならない。
山添拓よ。怖じけるな、たじろぐな、動じるな。この一件、大成に至る一里塚とせよ。