DHCスラップ訴訟の経過を一冊の本に ー「DHCスラップ訴訟」を許さない・第195弾。
(2021年9月23日)
DHCスラップ訴訟・「反撃」訴訟の経緯を一冊の本にまとめようと悪戦苦闘している。何とか、今年中にでも出版に漕ぎつけたい。が、なかなか筆が進まない。そして、書いたものを読み返しては、読者に面白いだろうか、有益だろうか。と反問せざるを得ない。
未定稿だが、その冒頭の一部と、末尾の一部を抜き出してみよう。こんな具合なのだが、果たして読者に読んでもらえるものになるだろうか。
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?えっ? 私が被告?
2014年5月のとある日。初夏の雨上りの心地よい日だった。世はなべてこともなく、穏やかであったその日の夕刻。とんでもないものが舞い込んできた。
玄関のチャイムが鳴って郵便局の青年が愛想よく声をかけてきた。「澤藤さん、トクベツソウタツですよ。印鑑をお願いします」
「ああ特別送達ね。ハイ、了解」と受領印を押して、東京地裁から私宛の特別送達の封書を受け取る。法律事務所に裁判所からの特別送達。特に珍しくはないが、日常的にあることでもない。さて、受任している誰の件だろうか。封を開けて当事者の表示を見て驚いた。私が受任している事件ではない。私自身が被告として明記されていたのだ。私は、代理人としてではなく、被告本人として私宛に送達された訴状を受領したのだ。初めての妙な体験。いったいこれは何のことだ。
訴状を一瞥してさらに驚いた。サプリメント販売大手のDHCとそのオーナーである吉田嘉明の両者が原告となって、私に対する2000万円の名誉毀損損害賠償請求訴訟を起こしたのだ。私のネット上のブログ記事を削除せよとも請求し、屈辱的な謝罪文の掲載も求めている。
なんの前触れもないその唐突さに最初は呆れ、次いでこの上ない不愉快と怒りの感情に襲われた。爽やかな初夏の夕刻の景色が、禍々しい一通の訴状で一変した。その日に始まったDHC・吉田嘉明との闘い。2021年1月に、訴訟が最終的に確定するまで6年8か月である。
当時私は弁護士になって45年目。訴訟の当事者となる依頼者の代理人として、多くの訴訟に携わってきた。しかし、自分が事件の当事者となるのはまったく初めての経験。訴えられるなどとは思いもよらないことだった。しかも、この訴訟は私に違法な行為があって、2000万円を損害賠償せよという。2000万円は私にとっては大金である。とうてい鼻先で笑える金額ではない。私は、猛烈に怒った。
あれから7年余である。おそらくは何年経っても、あのときの怒りは治まらない。DHCと吉田嘉明と、そしてその代理人となった弁護士を決して許さない。私は執念深いのだ。
あらためて考える。当時、私はいったい何に怒ったのだろうか。明らかに、この提訴は私の言論に対する「黙れ」という恫喝であった。私は恫喝されたことにも怒ったが、むしろ恫喝すれば黙るだろうと見くびられたことに腹を立てた。また、どんなめちゃくちゃな裁判であろうとも、これに応訴する面倒をよく知っている。確実に労力を割かねばならない。手間暇がかかるのだ。このことにも苛立った。
そして、思った。弁護士の私が、「黙れ」「口を慎め」と脅かされているのだ。弁護士としての矜持にかけて決して黙ってはならない。絶対に、一歩も退くものか。全力をあげて闘うことを決意した。闘う相手は、直接は原告となった吉田とDHCとその代理人弁護士であるが、決してそれだけではない。自由な言論を封じようとする社会的圧力との闘いと意識した。
大袈裟ではあるが大真面目に思った。これは、正義のための悪の権化との戦いである。
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?反撃訴訟判決の確定
そして、2021年1月15日コロナ禍の年明け。若い郵便局員がチャイムを鳴らして、「澤藤さん、トクベツソウタツですよ」とマスク越しに声をかけた。「はい、特別送達ね」と既視感のある応対。今度は最高裁(第1小法廷)から特別送達。反撃訴訟についてDHC・吉田嘉明の「上告棄却・上告受理申立不受理」の決定通知である。薄っぺらい三つ折りの書面。俗にいう、三下り半の決定通知。これですべてが終わった。
東京地裁からの訴状特別送達で始まって、最高裁からの上告棄却決定の特別送達で終了。この間6年8か月である。本当に長かった、ようやく終わったという実感。
提訴から数えれば6年9か月に及んだ、DHC・吉田嘉明と私(澤藤)との典型的なスラップ訴訟をめぐる法廷闘争だった。繰り返し確認しておくことになるが、私の完勝である。ということは、DHC・吉田嘉明完敗の確定である。裁判は、都合6回あった。私の6戦全勝、DHC・吉田嘉明の6戦全敗である。DHC・吉田には何の策もなく負けるべくして負けた。この経過と判決内容とは、私の勝利というだけではなく、基本権である表現の自由の勝利である。この社会には、まだDHC・吉田のごとき者を批判する自由は保障されているのだ。
判決によってその権利性が保障された私の言論は、無内容なものではない。DHC・吉田嘉明が、カネの力でこの国の政治を歪めようとすることへの批判の言論にほかならない。DHC・吉田嘉明が政治家渡辺喜美に対する8億円の裏金提供が目論んだ政治の歪みとは、規制緩和の「美名」のもと、企業の利潤追求に障害となる行政規制をなくして消費者利益を奪いとろうとしたものであった。そのことを批判した私の言論は、民主主義政治にとっても消費者利益にとっても、極めて有益な、真っ当な言論であった。DHC・吉田嘉明が、私を恫喝して妨害しようとした言論とは、そのようなものである。
結論を明確にしておきたい。今回のDHC・吉田嘉明完敗の最大の教訓は、「DHC・吉田嘉明ごときに恫喝されて、批判に臆してはならない」ということである。デマ・ヘイト・スラップ・ステマ・ブラック体質、極右の言論…、何とも多くの病巣を抱え込んだ問題企業・問題人物としてのDHC・吉田嘉明である。これに対する言論での批判は、事実に基づくものである限り、果敢に行わねばならない。スラップの提訴を恐れるが故のいささかの怯みもあってはならないのだ。また、言論によるものではなく、消費者運動としてのDHC製品不買運動にも積極的に取り組むべきである。少しでも、この社会をよりよりものとするために。
この序章と終章との間に、エピソードはいくつもある。
?えっ? 請求額が6000万円に?
?えっ? 私がまた被告に?
?逃げるな吉田嘉明
など思い出してみれば盛り沢山なのだ。
そして、あらためて思う。私個人としては、いささかも怯むところなく徹底して闘うことで自分のプライドを守り得たのだ。そして、社会的にはとてもよい判決を得た。これをもっと世に広めたい。
そして、この成果を得るために力を尽くしていただいた弁護団の皆様に感謝の気持ちでいっぱいである。
だから、執筆を急がねばと思いつつ気持ちは揺れる。自分では、有益で面白いと思ってみたり、独りよがりに過ぎないと思ったり。その日の気分次第で、自評も毎日くるくる変わっている。が、何とか書かねばならない。