日本民主法律家協会機関誌・『法と民主主義』は年10回刊。2・3月と、8・9月が合併号となる。今月発刊の8・9月号(通算511号)は、「市民と野党の共同」を特集している。7月の参院選を振り返って、全国各地の状況をこれだけ並べて読めるのは、当誌ならではの充実した企画。
「3分の2の壊憲派議席を許した護憲勢力敗北の参院選」との一面的な総括ではなく、「市民の共同と広がりが野党を動かし共闘を実現させ、さらには市民と野党の共同の選挙をもつくり出した」「全国32の一人区すべてで統一候補が立候補し、11人の当選者を生み出した」「原発と米軍基地による被害に苦しむ福島と沖縄では現職大臣が落選し統一候補が当選」「当選しなかった選挙区でも4野党の比例票を大幅に超える得票を獲得し、市民と野党の共同が生まれ成長しているという希望を生み出した」という視点からの「希望の総括」。次の総選挙・小選挙区での選挙共闘を展望してのものである。
ご案内は下記URL。
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ご注文は下記から。
http://www.jdla.jp/kankou/itiran.html#houmin
目次をご紹介しておきたい。
広渡清吾、佐藤学のビッグネーム論稿だけでなく、「市民が主役、津軽の『リンゴ革命』…大竹進(整形外科医)」など各地の具体的な状況がビビドで読み応えがある。
個人的には、編集長のインタビュー記事「あなたとランチを〈№19〉…ランチメイト・渡辺厚子先生×佐藤むつみ」をお読みいただきたい。渡辺厚子さんは、「東京・君が代裁判」の原告のお一人。
そして巻末の「ひろば」(日民協執行部の回りもちコラム)を今月号は、私が担当して執筆した。象徴天皇制へのコメントである。もちろん、日民協の公式見解ではなく、私の見解。憲法的視点からの象徴天皇(制)批判として目をお通しいただきたい。
特集★市民と野党の共同
◆特集にあたって……編集委員会・南 典男
◆安倍政権ヘのオルタナティブを──個人の尊厳を擁護する政治の実現を目指す……広渡清吾
◆市民が創出した新しい政治──「市民連合」の挑戦──……佐藤 学
◆東京都知事選挙における「市民と野党の共同」……南 典男
●共闘はこう闘われた──全国の状況
◆市民が主役、津軽の「リンゴ革命」……大竹 進
◆弁護士グループ勝手連で応援……新里宏二
◆市民の後押しで実現した山形の野党共闘……外塚 功
◆現職法務大臣を破っての勝利……坂本 恵
◆「声をあげれば政治は変わる」の実感を……河村厚夫
◆投票率全国トップ、攻撃にひるむことなく熱い闘いを……毛利正道
◆次に繋げる検証を──山口選挙区からの報告……纐纈 厚
◆志を同じくする市民と力を合わせて──徳島・高知合区選挙区の闘い……大西 聡
◆今後の熊本の民主主義を支える大きな力に……阿部広美
◆「大分方式」の復活と「戦争法廃止運動」の融合……岡部勝也
◆沖縄の統一戦線「オール沖縄」の圧勝……小林 武
●その外21選挙区の状況
◆岩手/秋田/栃木/群馬/新潟/富山/石川/福井/岐阜/三重/滋賀/奈良/和歌山/鳥取・島根/岡山/香川/愛媛/佐賀/長崎/宮崎/鹿児島……丸山重威
☆連続企画●憲法9条実現のために〈7〉急事態条項改憲論批判──ウラの理由をどうみるか、オモテの理由とどうつきあうか……永山茂樹
☆メディアウオッチ2016●《参院選後……》リオに覆われた重要ニュース 問われる「社会の在り方」……丸山重威
☆あなたとランチを〈№19〉……ランチメイト・渡辺厚子先生×佐藤むつみ
☆司法をめぐる動き・名前を変えても本質は変わらない 共謀罪の国会提出に反対する……海渡雄一
☆司法をめぐる動き・7月・8月の動き……司法制度委員会
☆時評●司法反動期の不当判決群の遺物……徳住堅冶
☆ひろば●「天皇の生前退位発言」に関する論調に思う……澤藤統一郎
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ひろば 2016年8・9月号
「天皇の生前退位発言」に関する論調に思う(弁護士 澤藤統一郎)
日本国憲法は、主権者国民の「総意」に基づくとして、天皇という公務員の職種を設けた。天皇は、憲法遵守義務を負う公務員の筆頭に挙げられ、他の公務員と同様に国民全体に奉仕の義務を負う。
旧憲法下の天皇は、統治権の総覧者としての権力的契機と、「神聖にして侵すべからず」とされる権威的契機とからなっていたが、日本国憲法は権力的契機を剥奪して「日本国と日本国民統合の象徴」とした。
「初代象徴天皇」の地位には、人間宣言を経た旧憲法時代の天皇が引き続き就位し、現天皇は「二代目象徴天皇」である。
その二代目が、高齢を理由とする生前退位の意向を表明した。「既に八十を越え、幸いに健康であるとは申せ、次第に進む身体の衰えを考慮する時、これまでのように、全身全霊をもって象徴の務めを果たしていくことが、難しくなるのではないかと案じています。」と語っている。
天皇自らが、「象徴の努め」の内容を定義することは明らかに越権である。しかも、国事行為ではなく「象徴の努め」こそが、天皇の存在意義であるかのごとき発言には、忌憚のない批判が必要だ。さらに、法改正を必要とする天皇の要望が、内閣の助言と承認のないまま発せられていることに驚かざるを得ない。
ところが世の反応の大方は、憲法的視点からの天皇発言批判とはなっていない。「陛下おいたわしや」の類の言論が氾濫している。リベラルと思しき言論人までが、天皇への親近感や敬愛の念を表白している現実がある。天皇に論及するときの過剰な敬語には辟易させられる。
この世論の現状は、あらためて憲法的視点からの象徴天皇制の内実やその危険性を露わにしている。
天皇制とは、この上ない国民統治の便利な道具として明治政府が作りあげたものである。神話にもとづく神権的権威に支えられた天皇を調法にそして綿密に使いこなして、国民を天皇が唱導する聖戦に動員した。敗戦を経て日本国憲法に生き残った象徴天皇制も、国民統治の道具としての政治的機能を担っている。
国民を統合する作用に適合した天皇とは、国民に親密で国民に敬愛される天皇でなくてはならない。一夫一婦制を守り、戦没者を慰霊し、被災者と目線を同じくする、非権威的な象徴天皇であってそれが可能となる。憲法を守る、リベラルな天皇像こそは、実は象徴天皇の政治的機能を最大限に発揮する有用性の高い天皇像なのだ。国民が天皇に肯定的な関心をもち、天皇を敬愛するなどの感情移入がされればされるほどに、象徴天皇は国民意識を統合する有用性を増し、それ故の危険を増大することになる。天皇への敬愛の情を示すことは、そのような危険に加担することにほかならない。
いうまでもなく、「国民主権」とは、天皇主権の対語であり、天皇主権否定という意味にほかならない。この国の歴史において、民主々義や主権者意識の成熟度は、天皇制の呪縛からの解放度によって測られる。今なお象徴天皇への敬意を強制する「社会的同調圧力」の強さは、戦前と変わらないのではないか。いまだに、権威からの独立心や主権者意識が育っていないといわざるを得ない。
天皇発言や天皇制への批判の言論が、社会的同調圧力によって抑制されてはならず、自己規制があってもならない。日民協やその会員が、憲法的視点から、天皇制に関する忌憚のない発言をすることは重要な使命だと思う。
(2016年9月30日)
あらもったいなやもったいない
リオで百合子が旗ふって
アベのマリオが猿芝居
8分間で12億
ああ、もったいない
くちおしい
あらもったいなやもったいない
新国立の設計は過大過剰でやり直し
清算費用も気前よく
ドブに捨てたが68億
ああ、もったいない
くちおしい
あらもったいなやもったいない
豊洲の地下に盛り土なく
ポッカリ開いた空間は
まっくらくらの伏魔殿
移転費用はふくらんで
総額なんと5884億
ああ、もったいない
くちおしい
あらもったいなやもったいない
東京五輪は金食い虫よ
東北復興妨害し
東京一極押し進め
今や予算は3兆円
これがみんなの財布から
合法的に奪われる
ああ、もったいない
くちおしい
あらもったいなやもったいない
新銀行東京を
作って壊して1400億
なんの役にも立たないで
石原選挙のボロ看板
都民を欺す道具立て
都民の負担で立てながら
当の本人「オレ知らん」
ああ、もったいない
くちおしい
あらもったいなやもったいない
防衛予算は聖域で
とうとう5兆を突破した
北朝鮮様に感謝して
次にほしいはステルス機
先日落ちたと同型のF?35Aがお手頃で
6機でなんと946億円
ああ、もったいない
くちおしい
あらもったいなやもったいない
誰が原発始めたか
巨額の費用で恐怖のタネを
作って育ててばらまいて
反省知らずの再稼働
プルトニュウムをためこんで
やがては兵器に転用か
廃炉の費用も青天井
ああ、もったいない
くちおしい
あらもったいなやもったいない
税金払うがもったいない
保育園児は待たされて
介護給付は出し渋り
堤防低くて出水し
老朽トンネルガタガタで
南海地震に直下型
そんな備えは後回し
税金払うはもったいない
あらもったいなやもったいない
私の納めた税金が、私のために使われず
こんな形で消えてゆく
投票先を間違えて
監視と追求怠って
愚かな為政者のさばらせ
欺瞞と隠蔽放置した
結局私の責任か
ああ、もったいない
くちおしい
(2016年9月29日)
昨日(9月27日)、大阪地方裁判所がヘイトスピーチを違法として損害賠償を命じる判決を言い渡した。原告は在日朝鮮人フリーライターの李信恵、被告はおなじみの在特会・桜井誠(本名・高田誠)である。認容金額は77万円。被告の側は、反訴を提起していたが、これは全面棄却となった。
注目すべきは2点。
判決は、名誉毀損ではなく民族差別を侮辱ととらえた。
そして、人種差別撤廃条約を前面に押し出した。
いずれも、今後に影響が大きい。ヘイトスピーチ撲滅への「価値ある勝利」と言えよう。
報道を総合する限りだが、認定された桜井の侮辱行為の内容は次のようなもの。
街宣活動やネット動画・ツイッターで、原告を「朝鮮人のババア」「朝鮮ババア」「反日記者」「差別の当たり屋」などと表現し、名前をもじって「ドブエ」と連呼した。
このことを通じて、在特会を「在日朝鮮人を日本から排斥することを目的に活動する団体」と断定、「人通りの多い繁華街などで原告の容姿や人格を執ようにおとしめた。論評の域を逸脱した限度を超えた侮辱で、在日朝鮮人に対する差別を助長する意図が明らかだ」「社会通念上許される限度を超える侮辱行為で、原告の人格権を違法に侵害した」と認定した。また、違法の根拠として「日本が加入する人種差別撤廃条約に違反する」と明示的に認めた。
一方、在特会側は「互いに批判し合う表現者どうしの言論のやり取りで、賠償すべき発言ではない」と主張した(NHK)というが、一顧だにされなかった。当然のことだ。
問題になったのは「互いに批判し合う表現者どうしの言論のやり取り」ではない。一方的な差別の言動である。差別の悪罵は、マジョリティからマイノリティに、強者が弱者に向けてする一方通行のもので、その逆はない。これを「相互批判の言論」へのすりかえは、卑怯この上ないというべきである。
さらに、同判決について被告側代理人弁護士は、「在日特権を批判、追及している政治団体への偏見に基づく一方的な判決で不当であり、控訴を検討する」とコメントしたという。このコメントは判決に不満だとは言っているものの、判決のどこが間違っているという指摘ができていない。むしろ、できないことを自白する内容。事実認定にはケチをつけようがない以上、不満は違法の評価にある。
「日本の裁判所の日本人裁判官であれば、『在日朝鮮人を差別し侮辱してけっこうだ』というべきではないか」とコメントすれば、ホンネがよく分かるのだが。
ところで、「公然事実を指摘して、人の社会的評価を低下させる」という名誉毀損の要件の認定には、それなりのハードルを超えなければならない。一方、民族差別の言動を人種差別撤廃条約に照らして違法とし、これを「人格権を違法に侵害した侮辱」ととらえれば、被害者側からの訴訟は簡明になる。今は代理人弁護士が付かなければ提訴は困難だが、やがて代理人不要で定式化された訴状のひな形に、侮辱の言動を補充することで損害賠償請求訴訟提起が可能となる。無数の反差別裁判が日本中に提起されることによって、民族差別がなくなることを考えると痛快ではないか。
判決後、原告は伝統衣装のチマ・チョゴリ姿で記者会見し、「どんな判決が出るのか眠れなくて不安でしたが、民族差別だと認められたのはうれしく、すごく価値のある勝利だと思います。これからも小さな勝利を積み重ねて差別のない社会を作りたい」と喜びを語ったという。
深く同感する。あなたの勝利は価値あるものだ。その「小さな勝利の積み重ね」が差別のない社会に通じる。不義不正の横暴と闘ってこその正義の実現である。面倒な訴訟を勇気をもって提起し、勝訴されたことへの敬意と祝意を表したい。
(2016年9月28日)
アベでございます。第192回臨時国会の冒頭、立法府の長として、あっ間違いました、行政府の長として、衆参両院の議員ならびに臣民の皆さまに、あっ間違いました、主権者である国民の皆さまに、所信を表明いたします。
私が語るものはもっぱらバラ色の未来です。過去を美しく描けば、歴史修正主義と罵倒されます。現在は、皆さまご存じのとおりの体たらく、これを素晴らしいなどと言えば白けてしまう。我が政権の3年半を語って国民を感動させるものはなく、糊塗のしようもありません。ですから、未来。未来なら、どのようにでも描くことができる。夢と希望と世界一に溢れたバラ色の未来を語ることで、もうしばらくは、我が政権をもたせることができそうではありませんか。そのような寛容な国民の皆さまあっての、我が政権の安泰なのです。
ところで、我が国は基本的な価値観を共有する国々だけと連携を深めてまいります。指導者への忠誠やナショナリズムという基本的な価値観を共有する国としては、その筆頭が北朝鮮、次いで中国でしょうか。いずれの国も、リーダーの演説には起立して鳴り止まぬ拍手を送るという美しい光景を見せていますが、ようやくにして我が国の自民党議員諸君も、これを見習うにいたつているのは喜ばしい限りです。
私が所信表明演説の次のくだりで声を張り上げたところで、北朝鮮現象が起きたのです。
「我が国の領土、領海、領空は、断固として守り抜く。強い決意を持って守り抜くことを、お誓い申し上げます。
現場では、夜を徹して、そして、今この瞬間も、海上保安庁、警察、自衛隊の諸君が、任務に当たっています。極度の緊張感に耐えながら、強い責任感と誇りを持って、任務を全うする。その彼らに対し、今この場所から、心からの敬意を表そうではありませんか。」
自民党議員のほぼすべての諸君が、起立して鳴り止まぬ拍手をしてくれました。これこそ、戦後レジームを脱却した大政翼賛現象。他党やメディアからは冷ややかな反応でしたが、それはどうでもよいこと。ようやくにして自党の議員だけでも価値観を共有すべき北朝鮮の域に近づいてくれたかと、感慨一入というところでございます。
ナショナリズムの喚起こそ、国民感情を掻きたてて国民を束ねる要諦。近隣の特定国を邪悪な敵とし、敵は我が国をねらっている。敵になんの理もなく、自国に何の非もない。敵は侵略者、自国はひたすらに被害者。古今東西、この論法が有効なのです。野党議員はともかく、国民はころっとまいるだろう。自民党議員と同じ反応をしてくれるはず。それが私の国民観であり政治勘なのでございます。
ところで最大の問題は改憲です。ついに、改憲勢力の議席が両院とも3分の2を占めるに至っています。でも、さあ「改憲案作り」だとは、さすがの私も言えません。何しろ、選挙では意識的に明示的に改憲を争点から外したのですから。選挙が終わっての手のひらを返したような改憲推進は、「だ・ま・し・う・ち」だの「か・す・め・と・り」だの、あるいは「議席詐取」「政治的悪徳商法」「詐欺的政治手法」と言われるのは必定。次の選挙に影響必死ですから、ここは慎重に対応せざるを得ません。
憲法はどうあるべきか。日本が、これから、どういう国を目指すのか。それを決めるのは政府ではありません。国民です。そして、その案を国民に提示するのは、私たち国会議員の責任であります(あれっ? 内閣総理大臣としての演説が、突然「私たち国会議員」になっちゃった。まあ、いいか)。与野党の立場を超え、憲法審査会での議論を深めていこうではありませんか。
決して思考停止に陥ってはなりません。互いに知恵を出し合い、共に「未来」への橋を架けようではありませんか。
「憲法改正案を発議するのは国会議員の責任」だつて? そりゃないだろう。憲法改正案を発議しないことも、発議すべきでないと議論に参加することも、さらには改憲のための議論は必要はないとする姿勢を貫くことも、立派な国会議員のあり方。附和雷同の憲法改正論議参加ではなく、熟慮の改憲議論拒否の選択は大いにあり得るのだ。このことを思考停止などと行政府の長が口を出す余地はない。もちろん、「立法府の長」であっても。
(2016年9月27日)
日刊ゲンダイが、辺野古新基地建設反対の闘いを「平成の砂川闘争」と表現した。「土地に杭は打たれても 心に杭は打たれない」との名フレーズを残したあの砂川闘争である。「ちゅら海を、いくさの泥で汚させない」というのが、辺野古闘争である。
いま、代執行訴訟の和解によって大浦湾埋立工事はストップしているが、代わって東村高江周辺の米軍北部訓練場のヘリパッド建設工事が強行されている。工事の強行を支えているのは、500人規模といわれる全国から投入された機動隊である。地元沖縄の警察では住民や支援者に手荒なまねはできない。県外の機動隊に頼らざるを得ないのだ。
とりわけ、目立っているのが警視庁機動隊。工事現場では「何しに来たのか」「東京へ帰れ!」と怒声が飛ぶ。海保も機動隊も、沖縄戦での日本軍(第32軍)に似ている。地元の運動体には、「警視庁機動隊をなんとかできないのか」という声が高いという。さもありなん。一方、東京の運動体には、沖縄支援の具体策を講じたいが、有効な手立てはないだろうか。という声がある。
この両者を結びつける東京でできる手立てが、機動隊予算支出差し止めの監査請求である。
地方自治法242条に基づき、東京都民であれば誰でも(たった一人でも)、機動隊の沖縄派遣費用が東京都公安委員会ないし警視総監による違法または不当な公金の支出にあたるとして、その公金支出を差し止め、あるいは既往の損害を東京都に賠償するよう請求することができる。
請求先が東京都監査委員会で、そのメンバーは5名。警視庁生活安全部長の友渕宗治が常勤で他4人が非常勤。自民党都議・山加朱美、公明党都議・吉倉正美、元中央大学大学院教授・筆谷勇、公益財団法人21世紀職業財団会長・岩田喜美枝。
監査請求は、事実の特定が不十分でもかまわない。違法ではなく不当の主張でもよい。とりあえず監査請求をすることで、派遣機動隊の規模や支出額が特定できることになる。「宿泊先は、名護市内にある1部屋1泊5万円前後の高級リゾートホテル」との報道の真偽も確認できる。そして、監査結果に納得できなければ、監査請求者が原告となって、東京地裁に住民訴訟の提起もできることになる。
機動隊派遣費用支出が、違法あるいは不当な公金支出に該当するか否かは、もっぱら派遣された機動隊の行動如何にある。いったい、機動隊は何をしたのか、何をしているのか、現地の運動体との連携を緊密に、逐一その違法行為を監査請求審査の場に反映させるというのは、優れて実践的な運動であり法的手段ではないか。
そのような試みが今準備中であるという。
(2016年9月26日)
本日(9月25日)は、開業医共済協同組合の総代会準備の理事会に出席。
総代会に提案の議案書冒頭に、「事業の基本方針」が高らかに宣言されている。
1.開業医共済協同組合は開業医として国民の命と健康を守る立場にあり、共済協同組合として、国民の協同の力で共済制度の解体を狙うアメリカと日本の金融資本の横暴を阻止し、何よりも人間として平和と自由を希求するものである。その立場から、これらの政治の動きに警鐘を鳴らし、開業医の経営と生活を守り、協同の理念を広げる当組合と制度の発展に尽力する。またそのことによって開業医運動の未来を示す役割も果たす。
2.国民の生存権確保を目的とする社会保障の一翼を担って、第一線の医療現場で医療を給付している開業医には、ひとたび病気やケガで自院の休業を余儀なくされたときに医業再開のための公的休業保障は無く、当組合は「国民医療の改善」「開業保険医の経営を守る」という保険医運動の基本方針と「一人はみんなのために、みんなは一人のために」という協同組合の基本原則に則り、共済事業をさらに発展させていくために、保険医団体はじめ関係団体とともに協力・協同して活動する。
3.当組合は、医師・歯科医師自身が作った組織であるという株式会社等にはない共同体組織としての「優位性」を備えている。医療機関の経営を下支えすること、開業医共済休業保障制度の共済基盤を安定させることの2つの課題を正面に据え、組合員の立場に立った制度共済を提供・充実させるために、組合員の知恵と共同の力に基づいて事業を推進する。
なお、この議案書案の中には、医療を取り巻く情勢として、「憲法破壊に対峙し、平和を求める国民による明確な意思表示」の一項目が明記されている。
この議案書に通底するものは、「恒産無くして恒心無し」という現実主義である。「医師が、国民の命と健康を守るという使命を果たすには、まずもって自身の経営の安定が必要だ」というリアリティ。極めてわかりやすい。
弁護士も似たようなもの。人権と社会正義に奉仕するという弁護士本来の任務を全うするためには、弁護士が裕福である必要はないが、経営の安定が必須の要件なのだ。このことを軽視してはならない。弁護士の不祥事の多くは過当競争による弁護士の貧困に起因する。個人的な資質をあげつらうだけでは解決にならない。俗世では、「貧すりゃ鈍する」というとおりである。
孟子の「恒産無くして恒心無し」は、「恒産無くして恒心有る者は、ただ士のみ能くする」とセットをなしている。弁護「士」にしても、医「師」にしても、社会的使命を全うするためにやせ我慢せよ、とは言いがたい。世に「赤髭」はいるが常に稀有の存在でしかない。人権派弁護士も自己犠牲を求められれば、圧倒的に少数派とならざるを得ない。
実は、医師や弁護士に限ったことではない。「恒産無くして恒心無し」「衣食足りて礼節を知る」「貧すりゃ鈍する」は刑事政策の基本ではないか。犯罪をなくすためには、貧困をなくし、すべての人に生活の安定を保障することのはず。いや、国際紛争の多くが、経済格差や貧困から生じているではないか。
開業医共済協同組合は、まずは医師・歯科医師の共助によって自らの経営と生活の安定を確保し、その上で後顧の憂いなく自らの職業的使命を全うしようというのだ。企業による保険ではなく、献身的なボランティア理事による共済事業として今順調に発展中である。
関心ある方は、下記のURLをご覧いただきたい。
http://www.kaigyouikumiai.or.jp/
(2016年9月25日)
本日(9月24日)の毎日新聞朝刊に「北田暁大が聞く」シリーズの第6回。ゲスト・小熊英二が対談の相手。テーマは、「安保法制抗議運動(その1)」である。
両対談者の関心は若者層の運動参加。「60年代運動参加者」との対比で、「2015年9月の安保関連法案への運動参加者」を論じている。大雑把には、「団体が主導した60年代」と「SNSでつながっているいま」なのだが‥。
小熊が次のように言っているのが、興味深い。
「『68年』と、2011年の原発事故以降の抗議運動は、参加者の属性や意識が大きく違います。『68年』の運動参加者は大部分が大学生で、その多くは、経済の成長とそれに伴う卒業後の雇用の安定を疑っていませんでした。安定を前提にしたうえで、非日常な『ここではないどこか』を求めて大学をバリケード封鎖したり、機動隊と衝突したりした。『市民』を掲げた運動もありましたが、実際の参加者は学生が多く、あとは知識人や主婦や公務員が中心だった。
現在は、現状の生活レベルが今後も維持できるのかといった、未来への不安感が運動の背景にあります。11年以降の抗議運動の中心には、デザインや情報産業など知的サービス業の非正規専門労働者、認知的プレカリアートと呼ばれる人々が多くいます。高学歴でスキルはあるが、日々の生活や将来は安定しない人々です。反安保法制運動を主催したSEALDsの学生も、奨学金という名の借金を何百万円も負っている人が多い。彼らも認知的プレカリアートの一種です。こうした人たちの不安を、より広い層も共有している。『未来がみえない。平和な日常を守りたい』という不安感、言い換えればある種の生活防衛意識が背景にあり、それが広範な人々を集めた一因でしょう。」
全部が当たっているかどうかはともかく、「当時の学生は、卒業後の雇用の安定を疑っていませんでした。」という指摘は興味深い。おそらくその通りで、明らかに今は違うのだ。
かつては、学生時代の運動参加経験が就職活動に障害になるという意識は希薄だった。企業の姿勢も寛容だったし、あえて活動歴を問いただすということは禁じ手と意識されていた印象がある。理想を追い求めて反政府的な学生運動に走る学生に対して、企業も社会も寛容だった。そのことが、就職時の採用可否に関する思想差別は許されないという法意識を醸成していた。
このことの評価は両面あろう、学生は社会のしがらみにとらわれることなく、理想を追求することができた。学生が「革新的」であることは当然視され、運動参加も学問の姿勢においても自由を謳歌することができた。しかし、それはあくまで社会に出るまでに期間限定された自由であって、その多くが企業社会の文化に染まるや見事にこれに従順と化した。また、その自由は恵まれた階層に属する学生の特権でしかなかったともいえよう。
もっとも、この学生の自由も、60年代末には企業の側から浸食され始めていた。その典型が、「三菱樹脂・高野事件」であり、「日本軽金属・品川事件」だった。いずれも、大企業が新卒者を幹部社員候補として採用の後に、学生時代の活動歴を実質的な理由として、試用期間満了時に採用を撤回して大きな支援運動を伴った裁判となった事例である。
三菱樹脂事件は一・二審は原告勝訴となり、最高裁では逆転敗訴になったが、それでも復職を実現した。復職は実現したものの最高裁判例としては「こと採用に関しては、思想差別禁止の適用はない」との判例が残された。日本軽金属事件では、「勝利的和解」を勝ち取りはしたが、復職は実現できなかった。その後、少しずつ、企業の優位は拡大され、学生の側の自由は縮小を余儀なくされた。
問題は企業だけではなかった。70年代に入るや、「最高裁よ、おまえもか」という事態が生じたのだ。かつては、思想信条や団体所属歴で、裁判官の採用差別は考えられなかった。裁判官の政党所属も、公的には自由だった。そのことは、裁判所に対する社会の信頼の支えの一つとなっていた。しかし、判事補採用希望の司法修習生が、青年法律家協会会員であったことを実質的な理由として任官拒否される事件が起こった。1971年私と同期(23期)では6名が任官拒否された。時あたかも、自民党政権からの、「偏向判決批判」キャンペーンと軌を一にするものであった。
反対運動は大きく盛り上がったが、結局判事補採用希望司法修習生の青年法律家協会入会は激減した。こうして、裁判官希望者は、任官以前から最高裁の意向を忖度する習性を身につけることになる。
今学生は、リクルートルックに身を装う以前から、就職や任官を意識せざるを得ない立場にある。総資本から、管理されていると言っても良いのではないか。大企業への就職競争は、いつからスタートしているのだろうか。有名幼稚園、有名小学校、偏差値中学を経ての進学校での受験偏重教育。その難関を経てようやく進学した大学で、政治活動などしていたのでは就活の成功はおぼつかない。就活競争とは、企業への忠誠心の競争である。反体制の活動に関わってなどしておられないのだ。
だから、確かに、いま国会を取り囲み、「戦争法反対」、「原発反対」、「差別を許すな」、「人間らしい働き方を保障しろ」と声を上げる人の中に、若者は少ない。しかし、彼らは何となく動員されて参加するのではなく、危険を覚悟で、自覚的主体的に、「ある種の生活防衛意識を背景にして」参加するのだ。
小熊は、「それが広範な人々を集めた一因でしょう」という。圧倒的な企業優位社会で管理され、萎縮した学生の運動離れの面だけを見ていると絶望的になるが、小熊のいう「『未来がみえない。平和な日常を守りたい』という広い層が共有している不安感」を背景に、こうした人たちの代表として運動に参加する学生たちと見れば、明るい展望も開けて来るのだろう。
(2016年9月24日)
本日(9月23日)が久保山愛吉の命日である。
1954年3月1日、アメリカはビキニ環礁で最大級の15メガトン水爆「ブラボー」を大気中で爆発させた。その威力は広島に落とされた原爆の1000倍であったという。そして、その構造から大気中にばらまかれた放射線量もけたはずれのものだった。
たまたま近海で操業していてたマグロ漁船・第五福竜丸は、爆発地点から160キロの距離で被災することになった。未明、太陽が西に昇ったと思わせる閃光の後に、乗組員23名が雪のように降った死の灰を浴びることになった。これが「3・1ビキニ事件」。
この死の灰は、島ごと吹き飛ばされた珊瑚礁の破片を主成分とする、高線量の放射性物質だった。23人の乗組員全員が「急性放射線症」で入院した後、最年長の通信士久保山愛吉が半年後の9月23日に亡くなる。その遺言は、「原水爆の被害者はわたしをさいごにしてほしい」というものであった。
久保山の遺言を刻した「久保山愛吉碑」が、夢の島の第五福竜丸展示館の裏庭に建立されている。その書体は、三宅泰雄(第五福竜丸平和協会・初代会長)の筆になるもの。
その「久保山愛吉碑」のとなりに、「マグロ塚」がおかれている。高さ約130センチほどの青みがかった重量感ある石碑。「マグロ塚」の文字は、第五福竜丸乗組員だった大石又七の筆跡である。
東京都名義の解説板に、以下の記載がある。
「1954年3月1日、米国が太平洋のビキニ環礁で行った水爆実験で被爆した第五福龍丸から、放射能に汚染された魚が水揚げされ、消費者の手に渡る前に中央卸売市場築地市場の一角に埋められました。
このような核の被害が再び起きないことを願って、「築地にマグロ塚をつくる会」は募金活動を行い、募金に参加した大勢の子どもたちと共にマグロ塚を作りました。
本来であれば、この塚はマグロが埋められた築地市場に置くことがふさわしいのですが、市場は整備中であるため、暫定的に第五福竜丸のそばに展示されることになりました。」
ビキニ事件当時、原爆マグロは世を震撼させた。放射能の脅威、その被害が食の安全を脅かす形で、すべての人の身近なものとなった。その記憶を風化させないで、核の恐怖の警鐘にしよう。そう考えたのが大石で、子どもたちに10円募金を呼びかけて石碑を作ることまではした。しかし、東京都も認めるとおり、「この塚はマグロが埋められた築地市場に置くことがふさわしい」のだが、それが実現していない。
築地には石碑ではなく、建物の壁にはめ込まれた金属の「プレート」がある。こちらは、次のように由来が書き込まれている。
「1954年3月1日、米国が太平洋のビキニ環礁で行った水爆実験で被曝した第五福竜丸から水揚げされた魚の一部(約2トン)が同月16日築地市場に入荷しました。国と東京都の検査が行われ、放射能汚染が判明した魚(サメ、マグロ)などは消費者の手に渡る前に市場内のこの一角に埋められ廃棄されました。
全国では850隻余りの漁船から460トン近くの汚染した魚が見つかり、日本中がパニックとなって魚の消費が大きく落ち込みました。築地市場でも「せり」が成立しなくなるなど、市場関係者、漁業関係者も大きな打撃を受けました。
このような核の被害がふたたび起きないことを願って、全国から10円募金で参加した大勢の子どもたちと共に、この歴史的事実をきろくするため、ここにプレートを作りました。 マグロ塚を作る会」
いま、築地にマグロ塚はなく、市場の整備が済むまで、暫定的に第五福竜丸展示館にある。これを本来あるべきところに移そうという運動が起きている。その運動を担うのが「築地にマグロ塚を作る会」、代表が大石又七である。その会の設立趣旨を記しておきたい。
本会は、「1954年の水爆実験で、放射能マグロ騒ぎが起こり、築地魚市場はもちろん日本中がパニックになりました。457トンものたくさんのマグロが地中や海に捨てられ、魚屋さんや、お寿司さん魚河岸も、お手上げになりました。その教訓を忘れないようにしたいのです。埋められたマグロ、食卓に上ったマグロにも、マグロ好きな日本人らしく、供養と感謝の思いをよせて作りたい」との大石又七さんの呼びかけにもとづき、築地の中央市場への建設の要請と署名及び10円募金活動を行ってきました。その結果署名は2万2千名、募金は約300万円が集まりました。これは全国各地多くの賛同する人たちからの支援、とくに小・中学校の生徒からの支援も多くありました。
築地の中央市場を管理する東京都からは市場の移転や改修計画を理由にプレートの設置のみが許可され、2000年の1月8日に中央市場の正門にプレートを設置することができました。又、本来ならば築地に置くべき『塚』は暫定的ながら第五福竜丸展示館前に設置する事になりましたが、いずれこの塚は、築地の市場に設置すべきものと考えています。
97年当初はマグロ塚をつくる会といっても、大石さん一人から署名・募金活動を開始され、その後徐々に支援の輪が拡がってきました。今後とも築地の中央市場への塚の設置実現のためには、大石さんや多くの人たちが協力して持続的で広い活動を行うことが必要とされています。その為にも『築地にマグロ塚をつくる会』の会則等をつくり、機能的に運営し、多くの支援してくれる方にその活動の内容を伝えたいとおもっています。
会は今、東京都に対する要請の署名運動を始めた。要請の趣旨は、「かつてマグロの廃棄地とされた跡地の一画に『マグロ塚』を移設することで、核兵器や放射能の怖さ、そして平和の尊さを多くの人たちに永く訴えたい」ということである。
昨日(9月22日)夢の島で、会が「9・22平和集会」を開催した。82歳の大石が病む体を押して出席し、署名を通じての塚の移設実現を訴えた。
はからずも、今築地から豊洲への市場移転問題が世の大きな関心事となっている。食の安全こそが重大事として再確認されているのだ。60年前の「原爆マグロ」事件は、食の安全が脅かされたことによる国民的な規模でのパニックをもたらした。核兵器の存在が、このような形でも人の生活を脅かすことを忘れてはならない。
下記のURLを開いて、是非ご協力をお願いしたい。
http://tsukijimaguro.blogspot.jp/2016/09/blog-post_76.html
(2016年9月23日)
この度は、私の東京都知事在任中の件で、皆様に多大な混乱やご懸念を生じさせるなどしておりまして、まことに申し訳なく思っております。
普段は、上から目線の傍若無人でえっらそうにむやみに威張る人と評判をとるこの私が、このくらい下手に出ているのでございます。そのくらいに窮地にあるものとご推察いただき、武士の情けをおかけくださるよう切にお願い申しあげます。
このところ、豊洲への市場移転に関して、多くの報道機関の皆様から取材の依頼を受けておるのみならず、無遠慮に私の責任を追及するやの言論が跋扈しておりますので、私としては面倒極まりなく、また責任追及に防衛の手段を講じなければならないものと痛感しておるところで、心境の一端を以下のとおり明らかにさせていただくという形で、取材拒否と私の責任追及への予防措置を明確にしておきたいと存じます。
今般の件は十数年というかなりの時間が経過している上、当時私は都政とは無関係な尖閣問題や、うまく責任を逃れた新銀行東京などの私にとっての重大案件を抱えていたことや、週に1、2度しか登庁しないという大きな制約の事情もあり、加えて間もなく84歳になる年齢の影響もあって、長編の書物を執筆したり、集会で「厚化粧」発言などはできても、私にとっては大して重大とも思えない市場移転問題については記憶が薄れたり、勘違いをしたりすることも大いに考えられます。今後、報道機関の皆様の個別のお問い合わせにその都度お答えすることは、面倒この上ないばかりか、うっかり不利益な真実を語ったりしかねないおそれもあることから、一切控えさせていただくこととしました。
取材は控えさせていただきますが、ただ、私から一言弁解を申し上げます。この弁解に関する反論の取材はもちろんお断りです。今般の件については、当時、卸売市場、建築、交通、土壌汚染、予算等のさまざまな観点で、私の意を体した専門家や関係者だけの意見を聞きながら、側近中の側近であった副知事以下、子飼いの幹部職員や、私の威令には逆らうことのできない実務に長けた関係部署の多くの職員たちを半ば恫喝し半ばは宥めながら事業の計画を進めていたもので、この事業はとても私個人の素人判断のみでは、真っ当な形式を整えることができなかった専門的かつ複雑な問題でありました。
それだけに、経過の詳細を思い出してご説明することなれば、うっかり隠れていた真実が明るみに出かねない難しさがつきまといますが、幹部職員や担当職員からも事情を聞いていただければ、自ずから私が因果を含めていたような証言となるはずで、私の責任はないよう周到に用意されていたとおり明らかになるものと思っております。
もちろん、私に昔ほどの権力も権威もなく、虚仮威しが通じない気配もありますので、私自身に責任が及ぶもけねんされますので、そのような事態となれば遠慮なく発言する権利は留保いたします。その上で、もとより私自身も今後、私自身に法的な責任が及ばない限りにおいて、事実関係の検証を行う場合に形だけは全面的に協力するつもりでおります。
ところで、一部の報道においては、私が土壌汚染による危険を無視ないし軽視して予算と完成時期だけにこだわり強引に今回問題になっている構造にさせたといった指摘がなされているようですが、これは一面正確なご指摘ですが、実は表面だけを見てのこと。是非この程度でおさめていただき、私が、何が何でも極度に毒性強い土壌の豊洲に、何ゆえ食の安全を無視してまでも強引に市場を移転する決断をしたか、この大きな謎に切り込むような取材や報道があってはならないものと警告しておきたいと存じます。
私が、法的責任を追及される筋合いは断じてありません。そもそも、知事というものは、週に1度か2度か登庁して、部下が調えた書類にメクラ判を押す気楽な商売ではありませんか。年俸2000万円ぽっちはメクラ判代でしょう。それを、私一人がやったわけでもなく、多数の専門家や担当部署職員が関与し、また議会も審議する案件で、一々責任を追及されては割が合わないじゃないですか。
ともあれ、私の都知事在任中の件に端を発してこのような事態になっていることについては責任を痛感いたしておりますが、この責任は、あくまでも言葉だけのもの倫理上道義上のもので、私に法的責任があるなどということは絶対にありえません。そんなものは、いつものとおり部下が責任をとればよい。私は、一切知らぬ存ぜぬなのであります。以上のとおり、謹んで宣告申し上げます。
(2016年9月22日)
峠三吉のガリ版『原爆詩集』(1951年)の表紙絵や絵本『おこりじぞう』(1979年)の挿絵を手がけるなど、広島で生涯をかけて「反戦平和」を見つめながら表現活動を続けた画家・四國五郎(1925?2014)。(丸木美術館「四國五郎展」2016年の案内リーフから)
その四國五郎が次のような文章を書いている。
「原爆詩集が刷りあがったとき、峠さんはうれしそうであった。第一工房というガリ版印刷所は、千田町三丁目の電鉄前ににあったのだが、刷りあがったホヤホヤを私の勤め先の市役所へ持ってきてくれたのである。
市庁舎の改築で玄関あたりもすっかり様がわりしたのでついでに書いておくが、庁舎前の石畳に、やはりみかげ石で縁どった芝生に金木犀やかいづかが植えてあった。九月の陽ざしをさえぎって、けっこう木かげをつくっていたので二人はそこに腰をおろした。
「ほら、できあがったよ、いいのができたありがとう」
謄写インキの香りもま新しいその原爆詩集は、ザラ紙にセピアで刷られたものであるが、きれいな文字が小さく並んでおり、いま眺めても、手造り詩集といった感じで、なかなか味のあるものである。
後にこの詩集が河出書房の日本現代詩大系に収録されたときも、ちょうど峠さんの家に居あわせたのだが、そのときよりもガリ版の原爆詩集ができたときの方が、ほんとうに嬉しそうであった。自分の詩集が誕生したというだけの嬉しさだけでなく、詩による原爆の告発が陽の目をみることのよろこびも込められているよろこびであり、それは「われらの詩の会」のみんなのよろこびでもあった。」
その人柄をよく表した美しい文章だと思う。
また、同じ文章に、原爆詩集の制作過程の一コマがこう綴られている。
「被爆の状況を語りあいながら私が毛筆で和紙に絵を描き、峠さんはそれを眺めながら、イラストにつけ加える説明とも詩ともつかぬ文句を考え、イラストはグレイで刷られた。そのときのそのような共同作業が、その後の辻詩作製のパターンのはじまりであった。」
四國五郎についてはウィキペディアに以下の記事がある。よくできた紹介と感心するしかない。やや長文になるが引用させていただく。
「原爆詩人の峠三吉が死没するまで常に共に活動しており、「ちちをかえせ」で著名な『原爆詩集』(1951年出版オリジナル版)の表紙装丁、中の挿画も全て四國の作品。この詩集は官憲の弾圧を恐れた東京の出版社が全て出版を拒否したため、詩人・壺井繁治の勧めもあり、広島で急遽ガリ版刷りで500部出版したもので、原爆文学作品として記念碑的存在。現在では一部の博物館でしかオリジナル版の実物は目にする事はできない。広島市平和公園内の峠三吉の「ちちをかえせ」の慰霊詩碑のデザインも彼によるもの。また、広島市内には大田洋子の文学碑もあるがこれも四國のデザインによるもの
約3年間シベリアに抑留され、公の全ての記録はソ連により剥奪されたが、四國は生死を彷徨う体験をしながらも、自分で豆のようなノートを作り、それに克明に記録を取り靴の中に入れて密かに日本に持ち帰った。帰国後すぐに記録を絵と共に1,000ページ近い絵日記として復元し、シベリア抑留の貴重な生の記録となっている。また、自らの飯盒にシベリアの仲間達の名前を60名近く彫りこみ、その上からペンキを塗り文字を隠し日本に持ち帰った。シベリアから記録を持ち帰ることはスパイ罪と見なされ、厳しく制限されたが、四國は持ち帰ることに成功している。シベリア抑留者の中で、四國のように、豆のような日記や名前の彫りこまれた飯盒を日本に持ち帰った例は、他にないと言われている。
また、1950年の朝鮮戦争前から、峠が入院するまで約3年間、『辻詩』(つじし)と題して、絵は四國、詩は峠が担当し、一枚モノの手書きのポスターのような表現物を100種類近く手書きで作成。市内のあちこちにゲリラ的に掲出した。GHQが厳しい言論統制を敷く中、当時としては逮捕覚悟の反戦活動だった(貴重な歴史資料だが、現物はほとんど残っていない)。
戦争によって、意味もなく最も被害を受けるのは、何の罪もない母や子供たち、との考えから、平和の象徴として「母子像」をテーマに、誰にでも分かりやすく平和の尊さを訴える、多くの作品を油絵や水彩で残した。」
丸木美術館の「四國五郎展」には、「豆日記」も「辻詩」(8葉)も、「母子像」も展示されていた。そして、絵本「おこりじぞう」の原画も、戦後の広島の風景も。
企画展の案内リーフには、ジョン・ダワー(マサチューセッツ工科大学名誉教授)のメッセージが記されていた。
「原爆の図丸木美術館」に常設されている丸木位里・赤松俊夫妻の「原爆の図」と一緒に四國五郎の作品が展示されるのは、なんともすばらしい機会である。
この三人の作品は、単に1945年8月に日本に投下された原爆の恐ろしさを思い起こさせるだけではない。戦争と平和がいかに絡み合っているかということを作品を観る者の心にうったえてくるし、創造性豊かな三人の作品から私が個人的に受ける忘れがたい印象は、美と創造性と平和、さらには人間の命の大切さの深淵な確認ということである。
((略))
三人の作品は、核戦争というものがいったいどんなものなのかを世界中の人々に思い起こさせる上で、特別な力強さを持っている。
私の祖国である米国でも、また日本でも、軍国主義が再び台頭しつつある今、四國五郎と丸木夫妻の芸術作品は、今まで以上に緊迫性をもって私たち一人一人に語りかけてくる。
私は原爆詩集が発行されたころ、広島市内の小学生だった。今は様変わりしている太田川や相生橋の記憶もある。原爆ドームの瓦礫で遊んだ記憶もある。四國五郎の描く当時の広島の風景には、格別に心惹かれるものがある。
広島の画家として「反戦平和」の生涯を貫いた四國五郎の作品群である。願わくは、貴重な歴史の宝として、もっともっと多くの人に知られ評価されんことを。
(2016年9月21日)