澤藤統一郎の憲法日記

改憲阻止の立場で10年間毎日書き続け、その後は時折に掲載しています。

『政府が独裁的な方向へ進む時、学者の任命権や発言権が真っ先に攻撃対象となる』 ー 学術会議問題での危機感の共有を

(2022年12月28日)
 安倍後継の菅政権発足が2020年9月16日、その初仕事が学問の自治・学問の自由を蹂躙する、日本学術会議の新会員候補6名の任命拒否だった。有りうべからざる暴挙である。菅義偉という人物は、後世この一事をもってその悪名を語り継がれることになるだろう。

 その後、「抜本的な組織改革」が必要として学術会議の自主性を奪おうとする政府と、学問の独立を擁護しようとする研究者側の緊迫した綱引きが行われてきた。やや水面下で進行した感のあるこのせめぎ合いが、2年を経て再び表面化している。この事態に注目せざるを得ない。

 本日の朝刊各紙に、次の見出しが躍っている。
「政府の改革案は『日本学術会議の独立性侵害』 研究者らが反対声明」(朝日)
「学術会議巡る政府方針『任命拒否上回る介入』 守る会が撤回要望」(毎日)
「『人類社会の福祉、さらには日本の国益に反する』 学術会議を巡る政府方針、学者らグループが撤回求める」(東京新聞)
「学術会議の独立性侵すな 学者・文化人127人、政府方針撤回要求」(赤旗)
 
 昨日、学者やジャーナリストらが「学問と表現の自由を守る会」を結成し、127名連名の声明を発表して記者会見した。

 声明は、日本学術会議の会員選考と運用に介入しようとする政府方針を厳しく批判し、政府が目前の通常国会での成立を目指すという関連法案を、学問や表現の自由を脅かす内容だとして撤回を求めるものである。127名の危機感・切迫感には厳しいものがある。

 東京新聞望月衣塑子記者の記事では、「会見で、科学史が専門でアカデミーの歴史に詳しい東京大の隠岐さや香教授は『政府が独裁的な方向へ進む時は、学者の任命権や発言権が真っ先に攻撃対象となる。民主主義の危機が来ている』と訴えた」という。

 問題が急浮上したのは、今月(12月)6日のことである。内閣府は、まことに唐突に「日本学術会議の在り方についての方針」を公表した。
 https://www.cao.go.jp/scjarikata/20221206houshin/20221206houshin.pdf
 この「方針」は、学術会議の会員の選考と運用に政府が介入することで、同会議の独立性・自律性を根幹から変質させる内容と批判せざるを得ない。しかも、政府はこの方針を盛り込んだ法案を目前の通常国会に提出し、この国会で成立させるという。強引極まりない。

 この「方針」に対して、12月21日、日本学術会議総会はこれを批判して再考を求める声明を採択した。
https://www.scj.go.jp/ja/info/kohyo/pdf/kohyo-25-s186.pdf 

 さらに同月27日、日本学術会議梶田会長による「声明に関する説明」が発表されている。そして、同日の「学問と表現の自由を守る会」声明となった。
https://www.scj.go.jp/ja/info/kohyo/pdf/kohyo-25-s186-setumei.pdf

 学術会議は、科学者が戦争に協力したことの反省から生まれた。平和主義を掲げる国家の学術機関として、科学者の自主性・独立性が尊重されてきた。学術は、国家目的に従属してはならない。これまで、学術会議は軍事研究に反対する声明を繰り返し出してきている。これが、現在の政権にとっては目障りなのだ。とりわけ、軍事優先の国家構築に舵を切ろうとしている現在、学術会議の硬い骨を抜いておかねばならない。これが政府の本音と見なければならない。

 学問が権力の下僕となり下がることの危険を日本国民は戦前の体験から身に沁みている。そのための、憲法23条(学問の自由・学の独立)である。学術会議の政府からの独立性・自律性を失うことは、広く国民・市民の、学問、思想、良心、表現、信教等の精神の自由一般の喪失につながり、強権的国家の戦争への道を開くことにもなりかねない。

 学術会議の会員人事の自律性は、学術会議の独立性の根幹をなすものだが、提出予定とされる法案は、会員選考のルールや選考過程への「第三者委員会」の関与が明記され「内閣総理大臣による任命が適正かつ円滑に行われるよう必要な措置を講じる」との文言まであるものという。明らかに、政府の息のかかった人物を通じて学術会議を支配しようとの魂胆が透けて見える。

 権力は一極に集中してはならない。これが民主主義を標榜する国家における権力構成の大原則である。とりわけ権力は、司法や教育や学術や報道に介入してはならない。それぞれの分野を担う機関の独立性・自主性を尊重しなければならない。

 学術会議の「改革問題」は、民主主義の原則と強権的国家主義との、極めて重要で象徴的なせめぎ合いである。『政府が独裁的な方向へ進む時は、学者の任命権や発言権が真っ先に攻撃対象となる。民主主義の危機が来ている』という、研究者の危機感を共有したい。

「自衛の名による戦争」も、「自衛のための兵器開発研究」も許さない

「2・4 軍学共同反対・大学の危機突破 学術会議まえ大要請行動」にお集まりの皆さま、そして、本日の学術会議主催フォーラム「安全保障と学術の関係」にご参加の研究者の皆さま、少しの時間耳をお貸しください。

本日の要請行動の主催団体の一つである日本民主法律家協会理事の澤藤です。私は、日民協から推薦されて、長く公益財団第五福竜丸平和協会監事の任にあります。

ご存じのとおり、1976年に都立第五福竜丸展示館開館以来、平和協会はこの船の展示を中心に、核兵器のない世界の実現を目指す平和運動を続けてまいりました。1954年のビキニ環礁におけるアメリカの核実験に対する抗議や、被爆船第五福竜丸の保存運動には、多くの科学者・研究者が関わってきました。科学が戦争に利用され、科学が人類を不幸のどん底に突き落としたことへの反省の気持からの運動参加であったと思います。

人間に幸福をもたらすはずの科学が、いびつな発達を遂げて、数多くの残虐な兵器をつくり出し、さらには悪魔の兵器である原爆の完成にまで至りました。45年8月6日の広島で明らかにされたとおり、人類は遂に人類を消滅させるに足りる力を手にしたのです。間違った科学は人類を破滅させるのです。

さらに、1954年3月1日、ビキニ環礁におけるキャッスル計画での最初の一発、「ブラボー」と名付けられた水爆は、広島型原爆の1000倍の威力を持つもので、核兵器が絶対悪であることを人類に知らしめました。この悪魔の兵器をつくり出したのが、科学であり、科学者でありました。第五福竜丸保存運動に関わった科学者や市民は、科学の進歩を戦争に利用させてはならないという強い思いがあったはずです。

日本は、平和憲法を持つ国です。悪夢の戦争体験から、再び戦争を繰り返してはならないことを憲法に書き込んで誓約した国です。侵略戦争だけでなく自衛の名による戦争も放棄しました。自衛の名による戦力の不保持も宣言した国なのです。これまで、一切の戦争のための学術、戦争のための科学研究を拒否してきました。それが今、アベ内閣の思惑によって、大きく方向を転換しようとしています。

その理屈の一つが、「個別的自衛権は認められているのだから、自衛のための兵器開発やその研究は問題ないのではないか」というものです。

しかし、私たちは知っています。いまだかつて、侵略の名で始められた戦争などありません。どこの国にも、「防衛」省があり「防衛」産業があり、「防衛」問題があります。どの戦争も、自国に関しては「防衛」であり、「自衛」なのです。けっして、「侵略」省も「攻撃」省も、「攻撃」産業や「侵略」問題はないのです。国防軍も自衛隊も、あたかももっぱら個別的自衛権行使だけを行う如しではありませんか。現実が違うことは皆さまご承知のとおりです。

どんな道理のない戦争も、自衛の名で行われます。場合によっては、自衛のための先制攻撃まであり得るとされるのです。どんな兵器も、自衛のためのものとされます。絶対悪としての核兵器ですら、抑止力という名で自衛に役立つとされているのです。

悪魔は、こう囁きます。「平和は、戦争の危険の均衡によって保たれる」「お互いに、より危険な武器を、より多く携えることこそが、より確実な平和をもたらすのだ」。

学術会議が自衛のための防衛技術開発を是認することは、この悪魔の声に耳を傾けることにほかなりません。「自衛のための戦争なら是認できる」、としてはなりません。「自衛戦争に有効な科学の開発は是認できる」となり、あらゆる戦争が各当事者の自衛の名による戦争である以上、「全ての戦争への科学の動員を是認してしまう」ことにならざるを得ないのです。

ここにいたって急浮上してきた軍学共同は、アベ政権が平和憲法をないがしろにしている事態の一面が表れたものとして看過し得ません。平和を愛する国民の声をつよくし、核兵器廃絶を願う国民の共同の輪を広くして、軍学共同にストップをかけようではありませんか。

(2017年2月4日)

軍事研究助成に応募拒否を求める署名運動へのご協力を

最近の毎日新聞「みんなの広場」(投書欄)は充実していると思う。これだけ質の高い豊富な意見が寄せられれば、読み応えがある。担当者もやりがいがあるだろう。

その内の一つ。本日(12月16日)朝刊の「関西大の軍事研究禁止に賛同」と題する大阪府河内長野市在住の高井正弘さん(80)の投書。

 関西大学が軍事研究を禁止する方針を打ち出したことを伝える記事を読んだ。その姿勢に賛同の拍手を送りたい。
 防衛装備庁が防衛装備品に応用できる研究を公募して資金提供する「安全保障技術研究推進制度」について、学内の研究者が申請することを禁止する方針を決めたとのことだ。研究者を軍事研究に引き込もうとする政府の思惑に対し、関大は「基本的人権や人類の平和・福祉に反する研究活動に従事しない」と定める研究倫理の原則に沿って判断したという。
 現在、大学や研究機関は過剰な業績主義にさらされ、研究者は研究費獲得などに駆り立てられている。その果てに論文不正や研究費をめぐる不正まで生じている。安倍政権は特定秘密保護法、安全保障関連法の制定を強行したうえ、国是としてきた武器輸出三原則や原子力の研究・利用3原則をほごにした。危機的な国情に対して、一私学が学問研究の理念を堂々と表明したことを称賛したい。
http://mainichi.jp/articles/20161216/ddm/005/070/012000c

多少の補足をしたい。問題とされているのは、「安全保障技術研究推進制度(競争的資金制度)」である。防衛装備庁が始めた応募型軍事技術研究助成制度。軍事技術の研究に1件3000万円(程度)の研究費を付けて募集する。その成果は、防衛省が「我が国の防衛」「災害派遣」「国際平和協力活動」に活用するものだが、研究費不足の大学や研究機関において、3000万円の研究費助成は大いに魅力的である。思わず手が出ようというもの。関西大学はこの誘惑を自ら断ち切ったのだ。

具体的なイメージは、防衛装備庁の下記募集要項でつかめるのではないか。
「平成28年度は、以下の20件の研究テーマについての技術的解決方法(研究課題)を公募します。各研究テーマの細部について確認した上で応募をお願いします。なお、研究テーマは毎年更新します。
 1. 革新的な反射制御技術を用いた光学センサの高感度化に関する基礎技術
 2. レーザシステム用光源の高性能化
 3. 光波等を用いた化学物質及び生物由来粒子の遠隔検知
 4. 機能性多孔質物質を活用した新しい吸着材料
 5. 再生エネルギー小型発電に関する基礎技術
 6. 赤外線の放射率を低減する素材
(以下略)

この制度は、2015年度に3億円の予算規模で始まった。翌2016年には6億円に増額され、来年度(2017年度)にはなんと110億円の概算要求となっている。3年目の予算が初年度の30倍を超えるという恐るべき大判振る舞い。科学技術やその研究を軍事に取り込もうという露骨さなのだ。

これには、科学者・研究機関の良心をかけて阻止しようという反対運動が巻きおこっている。その効果もあって、2015年には109件だった応募総数が、予算倍増の16年には44件に減少している。予算規模を一気に拡大した2017年が大きな制度定着か否か、攻防のヤマ場を迎えることになるだろう。

幅広く研究者が参集して、「軍学共同反対連絡会」が結成されている。
http://no-military-research.jp/

その喫緊の課題が、全国の科学者や大学・研究機関への、「安全保障技術研究推進制度への応募拒否」の呼びかけである。「軍学共同反対連絡会」のサイトでは、次のように解説されている。

 防衛装備庁は、軍事技術に関する研究助成制度である「安全保障技術研究推進制度」を2015年度に創設しました。この制度の狙いは、防衛装備(兵器・武器)の開発・高度化のために、大学・研究機関が持つ先端科学技術を発掘し、活用することです。2015年度に3億円の予算規模で始まった本制度は、2016年には6億円に増額され、来年度(2017年度)においては当初の30倍超の110億円を概算要求しています。大学予算や科学予算が減額され続けている中で、軍学共同を推進するための予算のみが大幅に増額されようとしていることは極めて異常と言わざるを得ません。そして本制度によって大学・研究機関や科学者が軍事研究に取り込まれてしまうことが強く懸念されます。

この制度が大学・研究機関に浸透すれば、科学は人類全体が平和的かつ持続的に発展するための学術・文化ではなくなり、特定の国家や軍に奉仕するものへと変質させられてしまうでしょう。それは、大学・研究機関が本来行ってきた民生目的での研究・開発を歪めてしまうことになります。また、大学院生やポスドクなどの若手研究者が軍事研究に参加することが当然予想され、次世代を担う人間を育てる高等教育の在り方を変質させ、これまでせっかく築き上げてきた大学・研究機関の健全性への市民の信頼に傷をつけてしまうことは明らかです。さらに、戦時中に科学者が軍に全面協力したことへの痛烈な反省から導かれた「軍事研究を行わない」という戦後の日本の学術の原点をも否定することに繋がります。

以上の趣旨を踏まえて、下記のとおりの新しい署名運動が呼びかけられている。研究者だけでなく、毎日新聞への投書に見られるとおり、市民の意思表示も重要だと思う。呼びかけに応えて署名を成功させたいと思う。これも、平和憲法擁護運動の重要な側面である。

? 私たちは、本制度によって、大学・研究機関や科学者が軍事研究に取り込まれてしまうことを強く懸念しています。来年度に、各大学・研究機関がこの制度に応募することのないように各大学・研究機関宛てに提出する緊急署名を実施中です。
? 第一次の署名集約は2017年2月末を予定しています。皆様のご賛同をお願いいたします。また、周囲の方々にも広げていただければ幸いです。
署名のフォームは以下のURLから。
http://no-military-research.jp/shomei/
(2016年12月16日)

「軍学共同反対連絡会」の発足とその課題

9月30日、「軍学共同反対連絡会」が結成された。
同連絡会は軍学共同に反対する科学者と市民の情報ネットワークであり、運動体でもある。池内了名古屋大学名誉教授・野田隆三郎岡山大学名誉教授・西山勝夫滋賀医大名誉教授の3氏を共同代表として、発足時の参加者は17団体と122個人。法律家団体である日民協も名を連ねている。現時点での参加団体は以下のとおり。

 軍学共同反対アピール署名の会
 大学の軍事研究に反対する会
 「戦争と医」の倫理の検証を進める会
 日本科学者会議(全国)
 地学団体研究会
 平和と民主主義のための研究団体連絡会議
 日本民主法律家協会
 民主教育研究所
 日本私立大学教職員組合連合
 東京地区大学教職員組合協議会(都大教)
 武器輸出反対ネットワーク(NAJAT)
 日本平和委員会
 日本科学者会議平和問題研究委員会
 日本科学者会議埼玉支部 新潟大学職員組合
 大学問題を考える市民と新潟大学教職員有志の会
 京滋私大教連
 九条科学者の会かながわ
 大学での軍事研究に反対する市民緊急行動(略称 軍学共同反対市民の会)

なお、事務局長・事務局として赤井純治・香山リカ、小寺隆幸、多羅尾光徳の諸氏。

当面の取り組みの焦点が、日本学術会議への働きかけ。同会議に設けられた「安全保障と学術特別委員会」の動向を注視し、問題点を広く世に訴えるとともに、市民の声を学術会議に届ける取り組みを行うことが確認された。そしてもう一つが、紐付き防衛研究委託(安全保障技術研究推進制度)の是正である。

結成当日(9月30日午後)の記者会見での共同代表らの発言に、現在の問題点がよく表れている。
「デュアルユースが大きな問題だと盛んに言われるが、安全保障のためならいいのではという意見が出ている」
「学術会議会長が『個別的自衛権の範囲内なら許せるのではないか』と発言したことに衝撃を受けている」
「防衛と攻撃の線引きは不可能。多くの戦争は自衛のためにおこなれた。自衛のための戦争は口実に過ぎない」
「自衛を強化すると、必ず攻撃も強化する。エスカレーションの論理の行き着く先が核兵器」
「軍用と民用は区別がつかない。軍がお金を出すのは軍事用に使うという目的があるから。政府は核兵器の使用も憲法に違反しないと発言している。」
「ノーベルは無煙火薬は究極だからこれで戦争は行われなくなると考えたが使われた」
「軍学共同になる大きな理由の一つに財政的貧困がある。教育研究予算が少ない。これを根本的に改善しないと解決できない。」

法的な課題としては、何よりも憲法が柱とする平和主義との関わりがある。そして、憲法23条「学問の自由・大学の自治」と26条「教育を受ける権利」を、この問題にどう具体化するかを検討しなければならない。さらに、日民協の会合で、次のような指摘があった。
 「大学や学術機関が防衛研究に関われば、特定秘密保護法の網が被せられることになる。研究が秘密の壁で隔てられるだけでなく、大学が権力の監視に取り込まれることになる」。なるほどそのとおりだ。

これまで、学術会議は学術研究の軍事利用を戒める厳格な態度を貫いてきた。ところが、前会長広渡清吾氏とは対照的な大西隆現会長になってからは様相が変わった。政権や防衛省の意向を汲もうというのだ。日本の科学・学術の研究のあり方を大きく軍事技術容認の方向に舵が切られかねない。

その学術会議は、1950年4月の総会採択の「戦争を目的とする科学の研究には絶対従わない決意の表明(声明)」では、「再び戦争の惨禍が到来せざるよう切望するとともに、科学者としての節操を守るためにも、戦争を目的とする科学の研究には、今後絶対に従わないというわれわれの固い決意を表明する」と言っている。
また、 学術会議は、さらに67年の総会でも「軍事目的のための科学研究を行わない声明」を出している。「われわれは、改めて、日本学術会議発足以来の精神を振り返って、真理の探究のために行われる科学研究の成果が平和のために奉仕すべきことを常に念頭におき、戦争を目的とする科学の研究は絶対にこれを行わないという決意を声明する。」

以上の理念が、長く日本の科学者の倫理と節操のスタンダードとされ、これに則って大学や公的研究機関の研究者は軍事研究とは一線を画してきた。当然のことながら、日本国憲法の平和主義と琴瑟相和するもの。ところが、いま、この科学者のスタンダードに揺るぎが生じている。言うまでもなく、平和憲法への攻撃と軌を一にするものである。

大西隆は、学術会議に「安全保障と学術に関する検討委員会」を設け、軍事研究を認めない従来の姿勢の見直しを検討している。もちろん、背後に政権や防衛省の強い意向があってのことである。

政権は、軍事技術の研究進展の成果によって防衛力を強化したい。あわよくば、防衛力だけでなく攻撃力までも。軍事研究とその応用は、経済活性化の手段としても期待されるところ。憲法9条大嫌いのアベ政権である。この要求に大西隆らが呼応しているのだ。

とはいうものの、露骨な軍事研究容認は抵抗が強い。そこで持ち出されているのが、「デュアルユース」という概念。民生用にも軍事用にも利用することができる技術の研究ならよいだろうという口実。なに、「薄皮一枚の民生用途を被せた軍事技術の研究」にほかならない。
 
問題は深刻な研究費不足であるという。政権や防衛省が紐をつけた軍事研究には、予算がつく。昨年(2015年)に始まったこと。アベ政権の平和崩しは、ここでもかくも露骨なのだ。

安全保障技術研究推進制度とは、1件3000万円(程度)の研究費を付けて募集する。毎年10件を採用するという。その成果は、防衛省が「我が国の防衛」「災害派遣」「国際平和協力活動」に活用するが、それだけではなく「民生用の活用も期待する」とされている。

防衛省自身が次のとおり述べている。
「これまで防衛省では、民生技術を積極的に活用し、安全保障に係る研究開発の効率化を図ってきたところですが、昨今の科学技術の進展を踏まえ、より一層革新的な技術に対する取組みを強化すべく、広く外部の研究者の方からの技術提案を募り、優れた提案に対して研究を委託する制度を立ち上げます。」
「本制度の研究内容は、基礎研究を想定しています。得られた成果については、防衛省が行う研究開発フェーズで活用することに加え、デュアルユースとして、委託先を通じて民生分野で活用されることを期待しています。」(防衛省ホームページ)

さらに大きな問題は、大西が「1950年、67年の声明の時代とは環境条件が異なって専守防衛が国是となっているのだから、自衛のための軍事研究は許容されるべき」と発言していることだ。

「デュアルユース」とは、技術研究を「民生用」と「軍事用」に分類し、「軍事用研究」も「民生」に役立つ範囲でなら許容されるというもの。ところが、「軍事用研究」の中に「専守防衛技術」というカテゴリを作ると、「専守防衛のための軍事技術は国是として許容されるのだから、民生に役立つかどうかを検討するまでもない」となる。結局は限りなく、許容される軍事技術の研究分野を広げることになる。

防衛用と攻撃用の軍事技術の境界は見定めがたい。状況次第で、どこまでもエスカレートすることになるだろう。近隣諸国へも、挑発的なメッセージを送ることになりかねない。一国の「防衛」力の増強は、「抑止力」を発揮するとは限らない。近隣諸国への疑心と武力増強のスパイラルをもたらすことになるのだ。

戦争法反対運動では、非武装平和(ないしは、非軍事平和)派と、専守防衛(個別的自衛権容認)派とが共闘して、限定的集団的自衛権容認派と闘った。いま、現前に見えてきたものは、専守防衛(個別的自衛権容認)是認を口実とする軍事技術研究容認である。

飽くまで、日本国憲法は、非武装平和(ないしは、非軍事平和)を原則としていることを確認しなければならない。
(2016年10月15日) 

軍学共同研究容認に道を開く専守防衛論

いま、大西隆なる人物を注視しなければならない。吉川弘之、黒川清、金澤一郎、広渡清吾に続いての学術会議現職会長。歴代の会長とは様相を異にし、政権や防衛省の意向を汲もうという人物。日本の科学・学術の研究のあり方を大きく軍事技術重視の方向に舵を切ろうというこの危険な人物が学術会議の会長の任にある。

ウィキペディア(抜粋)は彼の経歴をこう紹介している。
「東京大学工学部卒業、大学院博士課程修了(都市工学専攻)。長岡技術科学大学助手、助教授、アジア工科大学院助教授、東京大学工学部助教授、教授を経て、2011年10月日本学術会議会長に就任。2014年4月豊橋技術科学大学学長に就任。
 常に強いリーダーシップを発揮し、大学の軍事研究を積極的に推進。豊橋科学技術大学では、防衛省が研究費を支給する「安全保障技術研究推進制度」による研究費資金を獲得。有毒ガスを吸着するシートの開発に取り組んでいる。また、2016年4月の日本学術会議総会では「大学などの研究者が、自衛の目的にかなう基礎的な研究開発することは許容されるべきだ」とする考えを示し、戦後、日本学術会議では軍事目的のための研究を否定する声明を発表してきたが、その基本姿勢を転換する可能性を示唆した。」

「日本学術会議」は、日本学術会議法にもとづく公法人である。法は前文を持ち、「日本学術会議は、科学が文化国家の基礎であるという確信に立って、科学者の総意の下に、わが国の平和的復興、人類社会の福祉に貢献し、世界の学界と提携して学術の進歩に寄与することを使命とし、ここに設立される」と宣言している。平和の二文字がまぶしい。

その学術会議は、1950年4月の総会で、科学者が戦争に協力した戦前の反省に立って法の目的を具現すべく、「戦争を目的とする科学の研究には絶対従わない決意の表明(声明)」を総会で決議している。その決意のみずみずしさが今読む者の胸を打つ。「科学者としての節操」の言葉が輝いている。

  戦争を目的とする科学の研究には絶対従わない決意の表明(声明)
 日本学術会議は,1949年1月,その創立にあたって,これまで日本の科学者がとりきたった態度について強く反省するとともに科学文化国家,世界平和の礎たらしめょうとする固い決意を内外に表明した。
 われわれは,文化国家の建設者として,はたまた世界平和の使徒として,再び戦争の惨禍が到来せざるよう切望するとともに,さきの声明を実現し,科学者としての節操を守るためにも,戦争を目的とする科学の研究には,今後絶対に従わないというわれわれの固い決意を表明する。
昭和25年4月28日 日本学術会議第6回総会

学術会議は、さらに重ねて67年の総会でも下記の声明を出している。今こそ、読んで噛みしめるべき内容。

  軍事目的のための科学研究を行わない声明
 われわれ科学者は、真理の探究をもって自らの使命とし、その成果が人類の福祉増進のため役立つことを強く願望している。しかし、現在は、科学者自身の意図の如何に拘らず科学の成果が戦争に役立たされる危険性を常に内蔵している。その故に科学者は自らの研究を遂行するに当って、絶えずこのことについて戒心することが要請される。
 今やわれわれを取りまぐ情勢は極めてきびしい。科学以外の力にょって、科学の正しい発展が阻害される危険性が常にわれわれの周辺に存在する。近時、米国陸軍極東研究開発局よりの半導体国際会議やその他の個別研究者に対する研究費の援助等の諸問題を契機として、われわれはこの点に深く思いを致し、決意を新らたにしなければならない情勢に直面している。既に日本学術会議は、上記国際会議後援の責任を痛感して、会長声明を行った。
 ここにわれわれは、改めて、日本学術会議発足以来の精神を振り返って、真理の探究のために行われる科学研究の成果が平和のために奉仕すべきことを常に念頭におき、戦争を目的とする科学の研究は絶対にこれを行わないという決意を声明する。
昭和42年10月20日第49回総会

以上の理念が、長く日本の科学者の倫理と節操のスタンダードとされ、これに則って大学や公的研究機関の研究者は軍事研究とは一線を画してきた。当然のことながら、日本国憲法の平和主義と琴瑟相和するもの。ところが、いま、この科学者のスタンダードに揺るぎが生じている。言うまでもなく、平和憲法への攻撃と軌を一にするものである。

大西隆は、学術会議に「安全保障と学術に関する検討委員会」を設け、軍事研究を認めない従来の姿勢の見直しを検討している。もちろん、背後に政権や防衛省の強い意向があってのことである。

政権は、軍事技術の研究進展の成果によって防衛力を強化したい。あわよくば、防衛力だけでなく攻撃力までも。軍事研究とその応用は、経済活性化の手段としても期待されるところ。憲法9条大嫌いのアベ政権である。この要求に大西隆らが呼応しているのだ。

とはいうものの、露骨な軍事研究容認は抵抗が強い。そこで持ち出されているのが、「デュアルユース」という概念。民生用にも軍事用にも利用することができる技術の研究ならよいだろうという口実。なに、「薄皮一枚の民生用途を被せた軍事技術の研究」にほかならない。
 
問題は深刻な研究費不足であるという。政権や防衛省が紐をつけた軍事研究には、予算がつく。アベ政権の平和崩しは、ここでもかくも露骨なのだ。

さらに大きな問題は、大西が「1950年、67年の声明の時代とは環境条件が異なって専守防衛が国是となっているのだから、自衛のための軍事研究は許容されるべき」と発言していることだ。

「デュアルユース」とは、技術研究を「民生用」と「軍事用」に分類し、「軍事用研究」も「民生」に役立つ範囲でなら許容されるというもの。ところが、「軍事用研究」の中に「専守防衛技術」というカテゴリを作ると、「専守防衛のための軍事技術は国是として許容されるのだから、民生に役立つかどうかを検討するまでもない」となる。結局は限りなく、許容される軍事技術の研究分野を広げることになる。

戦争法反対運動では、非武装平和(ないしは、非軍事平和)派と、専守防衛(個別的自衛権容認)派とが共闘して、限定的集団的自衛権容認派と闘った。いま、現前に見えてきたものは、専守防衛(個別的自衛権容認)是認を口実とする軍事技術研究容認である。

飽くまで、日本国憲法は、非武装平和(ないしは、非軍事平和)を原則としていることを確認しなければならない。

もう一度噛みしめたい。吉田茂が制憲議会で述べた、日本国憲法の平和主義の理念を。
「戦争抛棄に関する憲法草案の条項に於きまして、国家正当防衛権による戦争は正当なりとせらるるようであるが、私は斯くの如きことを認むることが有害であると思うのであります。近年の戦争は多くは国家防衛権の名に於て行われたることは顕著なる事実であります。故に正当防衛権を認むることが偶々戦争を誘発する所以であると思うのであります。」
(2016年10月5日)

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