澤藤統一郎の憲法日記

改憲阻止の立場で10年間毎日書き続け、その後は時折に掲載しています。

最高裁裁判官国民審査の結果をどう見るべきか

(2021年11月30日)
 先月(10月)の末日が総選挙だった。期待を大きく裏切った無念な結果。にわかに勢いづいた有象無象が改憲論議の推進を喚き始めている。

 そして、11月末日の今日、立憲民主党の代表選だった。西村候補か逢坂候補に期待したが、結果は最悪の泉賢太当選だった。野党第一党も、重心が右に動いたと言わざるを得ない。国内で初めての、コロナウイルス・オミクロン株感染発症というニュースもあった。憂鬱なこの頃である。

 総選挙と同時に行われた最高裁裁判官の国民審査の結果はどうだったか。評価は難しい。11月27日、ZOOMで日民協プロジェクトチームの「まとめの会議」を開催した。大山勇一事務局長の議事録で、その内容をご紹介しておきたい。

 冒頭に西川伸一さんから、「今回の最高裁裁判官国民審査」と題してパワポを使っての報告があった。見事な分かりやすい下記の分析。

*今回の国民審査においては、夫婦別姓訴訟という国民に知られた事件の判決(しかもわずか半年前の判決)が争点化された。こうした基準を示すことで注目を集めることができる。

*「×」の数(罷免率)の順位は、
  きれいに夫婦別姓訴訟での判決姿勢で分かれた。
 (A)夫婦同姓強制は「合憲」 4人 罷免率順位1?4位
 (B)夫婦同姓強制は「違憲」 3人 罷免率順位5?7位
 (C)別姓訴訟判決に関与せず 4人 罷免率順位8?11位

*(A)(B)の各群がいずれも(C)群よりも罷免率が高い。これは、意識的な国民の選択の結果。リベラル派は「(A)に×を」、保守派は「(B)に×を」とお互いに呼びかけ結局リベラル派が数を制し、「×を付けよう」という呼びかけの対象にならなかった(C)群が最も罷免率が少ない結果となった。

*罷免率は最大と最小で、「1.9ポイント」という大きな差が出た(過去2番目)。

*NHKなど、多くのメディアで精力的に国民審査について報道した。
(産経新聞記者からすると、「民業圧迫」!?とのこと)

*「夫婦別姓合憲派4人」「違憲派3名」「新任4名」のそれぞれ3つのグループ内では、順序効果(番号の若い人ほどバツが多く付く)があらわれている。

*「審査対象の人数」と「バツの数」は反比例する。これを言い出した政治学者の名をとって、「ダネルスキー効果」という。つまり、審査対象が多いと、バツを書くのを途中で止めてしまう。したがって、審査対象が少ないと、一人当たりのバツの数は多い。

*今回は、有権者が、十分に吟味をして意識的「×」を付ける裁判官を選んだ。

*分かりやすい争点が明示できれば、国民審査は有効に機能する。

★わかりやすい「争点」があれば国民審査は機能する例は、第21回(2009/8/30)国民審査の際の「1票の格差」をめぐる判断で「×」票に差がついたことがある。
 このとき、那須弘平裁判官が、「『あの大法廷判決は、それほどまでに非常識な判決だったのか』と心の中でぼやいたこともある」「不安感が心中を横切らなかったかといえば嘘になる」と述懐している。(「国民審査体験記」『法曹』2017年2月号、6-7頁。)⇒国民審査を経た別の1票の格差訴訟の最高裁判決で違憲に転じる。

この報告の後に、活発な下記の意見が交換があった。

●任命後すぐの国民審査は無意味ではないか。
 しかし、これは憲法改正をしなければ改善されないのかもしれない。

●順序効果をなくすために、回答用紙の判事の記載順序を固定せずに、一枚一枚、ランダムにすれば良い。記載順序を別々にすることは今の印刷技術だったら容易にできるはず。

●選挙に比べて、いつもマスコミは報道しない。マスコミの注目度があがれば、さらにバツの数も増えるのではないか。

●最高裁判事が国民審査の結果を気にしているということは噂には聞いていたが、那須公平氏が文書で公表していることは知らなかった。
(なお、このことが影響しているかどうかわからないが、後日の「一票の格差」訴訟では、那須氏は「合憲」から「違憲」に転じているとのこと)

●総数としては、バツの数が少なかったのは残念。しかし、これも良く吟味した結果なのだろう。

●今回の取り組みは、スタートが遅かった。争点とするテーマを早めに決めて進めることが大切。メディアへの働きかけが重要であることを学んだ。

●恒常的なPTがあれば、さらに良いのではないか。

●サイボウズ社長は夫婦別姓訴訟の当事者だが、国民審査について、「シングルイッシュー」で訴えた。さて、私たちは、トータルでどのように働きかけるべきか。

●夫婦別姓について弁護士や市民が運動をしているということをあらかじめ知っていたら共闘も運動の糾合もできたのではないか。

●今後は、国民審査制度の問題点について検討していくべきではないか。

●国民審査は取り組めばその分だけ最高裁についての関心が広がったという実感がある。

●かつては大阪でも「司独」(司法の独立と民主主義を守る国民連絡会議)の活動を行ってきた。投票日当日も車を回して投票を呼び掛けた。

●選挙管理委員会への申し入れを復活したほうが良い。かつては、「用紙になにも書かなければ信任したことになる。そうしたくない人は用紙を受け取らず返すことができます」という注意書きを貼りだせと要請した。多くの選管が告知してくれた。

●国民審査法を改正することはできないのか。まずは審査をする意思があるか否かで区分けをして、意思がある人についてのみ投票に参加してもらうとか。

●夫婦別姓に反対する勢力がいる。その勢力は、「違憲」判決を出した判事にこそバツをつけるように運動をしたそうだ。

●この活動を通じて、日民協の認知度がアップしたと思う。夫婦別姓について意見が寄せられたのも、それだけこのリーフが注目を受けたからではないか。

●今後は、重要な最高裁判決が出て、個別の判事の意見が出されるたびごとに、「法民」で、その意見を紹介・批判しておくと、集積になる。

●憲法を変えるのはなかなか大変。国民審査法を変えるだけでも大きな改善を図ることができる。記載順番のランダム化などは法改正でできるはず。

●次の国民審査まで少し時間がある。その間にどのようなことに取り組むのか。
最高裁判事の任命方法についてか、審査方法の改善なのか。また、裁判例について学習していくということもある。

●任命手続きの透明化はかならず検討していかなければならないだろう。

●私たち法律家にとってよい判断材料と思われる判決でも、国民にとってはよいとは言えない場合もあるのでは。争点が見つからないときはどうするか。行政法の困難な問題については国民に分かりやすく提示するために工夫が必要。

●任命プロセスが不透明である。例えば、学術会議による推薦枠があっても良いのではないか。しかし、学術会議は、影響力はあるはずなのにあまり関心はないようだが。

●弁護士からの選出についても透明性がない。最高裁(事務総長)への意見を出すべき。

●今回の法律家の運動を市民に知らせていく必要がある。これまで悪い最高裁判決によって労働運動は押されてきた。国民審査の運動を市民に知らせれば、かならず参加してくれる。

●このリーフを地域で配布したら、とても好評だった。

●司法の民主化について、議論のきっかけになった。

●地元の市民連合などに対して、司法の問題を政策協定に入れるように要望した。

●野党共闘がさらに発展して、最高裁改革に結び付けばよいのだが。

●23期の書籍「司法はこれでいいのか、裁判官任官拒否・修習生罷免から50年」を紹介したら、みんな「わくわくしてきた」と元気になる。

●ぜひ、この成果をアピールにして対外的に発表するべき。

●リベラルで知られていた三井裁判官は、「裁判官に対しては厳しく接しないとすぐに堕落していく」と言っていた。時には忌避をするくらい。

●安保違憲訴訟でも悪い判決が続いている。最高裁を変えていくという目標を持つことが大切。

●かつての司独は、公明・総評・日民協が一体となって運動をしていた。その中で、日民協は事務局を担った。

●鷲野さんはこういった運動をしていたにもかかわらず、中央選管の委員になった。鷲野さんの退任直後に、選管への申し入れをしたことがある。丁寧な対応だった。

●もっとも、中央選管は方針を決定するところではない。各地方の選管に、方針を伝達するのみ。最終的な判断は都道府県の選管ごとになされる。

●市民に宣伝する中で、「最高裁と言えども批判していいんだ」という意識を初めてもったとのこと。主権者が意見を言うのは大切。ふだん裁判官は批判されないから、なおさら批判すべき。

●法曹一元の問題も取り組むべき課題。まずは弁護士任官者に話を聞いてみるというのはどうか。適任者は多くいるはず。

●法曹一元については、韓国では実現している。その経験に学ぶということで、先日京都弁護士会でシンポが行われた。

●国民審査法の改正について、かつては改正案が出されて議論がなされた。70年代には社会党が改正案を出したはず。また大阪弁護士会も書籍を出している。東京弁護士会も出しているはず。

●裁判官任命手続きについて、行政手続きなのだから、情報公開請求をしてみるという方法もありうる。

●最高裁裁判官任命諮問委員会という制度がかつてあって、一度だけ実施された。しかし、有効に機能しなかったようだ。これは一度きりの運用でその後に廃止された。

●司法改革の議論がなされたときも、最高裁判事任命についてはほとんど議論がなされていない。

●このPTを発展させて、司法問題を検討するPTにしてはどうか。その成果を、来年、「司法制度研究集会」で発表してみてはどうだろう。

役割分担を決め、次回を設定して散会した。

人権か、それとも「独裁&カネ」か ― 北京オリンピックをめぐって

(2021年11月29日)
 北京冬季オリンピックが近づいている。来年(2022年)2月4日開会予定というからあと2か月余、正確には67日である。東京オリンピックについても誘致から開催強行まで不愉快極まりないものだったが、北京冬季オリンピックはさらにおぞましい。いったい誰のために、何を目指しての、このイベントなのか。

 オリンピック憲章の中には、こんな条項がある。
 「オリンピズムの目的は、人間の尊厳の保持に重きを置く平和な社会の推進を目指すために、人類の調和のとれた発展にスポーツを役立てることである。」

 誰もが、この美しいまでに崇高な理念に共感せざるを得ない。目指すものは、「人間の尊厳」「平和な社会」である。オリンピックこそは平和の祭典であって、万難を排してでも開催することに意義がある。アスリートファーストに徹して政治を介入させるべきではない。私(たち)は、長くそう思いこまされてきた。

 しかし、この思い込みの誤りが次第に明らかになってきた。世界はこれまで、崇高なオリンピックの理念とオリンピック運営の現実との極端な乖離に敢えて目をつぶり、あるいは混同してきたのだ。が、もうオリンピックの理想は絵空事の世界の話。実は、オリンピックの現実は商業主義と権力の汚辱にまみれているのだ。

 我々は、昨年から今夏にかけて、IOCの胡散臭さを身に沁みて思い知らされた。そのトップに君臨するボッタクリ男爵の醜さ愚かさ、そしてその独善性も。「バッカみたい」という言葉に、もの欲しさのいやなニュアンスが付け加えられると、「バッハみたい」となる。北京オリンピック直前の今、またボッタクリがあの顔を出してきた。北京からの要請で北京の顔を立てようとしてのこと。逆効果になるに決まっているのに。

 中国の著名な女子テニス選手である彭帥が、共産党の元最高指導部メンバーで副首相だった張高麗からの性的暴行被害をネットで告白した。これが11月2日のこと。短文投稿サイト微博への投稿は、相手が相手であるだけに相当の覚悟をもってのこと。この投稿は、わずか20分後に削除されたという。驚くべきことである。司法が介入する時間的余裕はない。誰かの一存で、被害者の声が瞬時に掻き消されるのだ。

 この20分間に、彭帥の投稿をキャッチして拡散した人々がいた。こうしてこの投稿は世界中に大きな話題となったが、再びの彭帥の投稿はなく、その安否が気遣われる事態となった。中国社会の暗部と人権状況が露呈したと言うべきだろう。

 当然のことながら、人権を重んじる国際社会からの批判や懸念の声は高く、北京オリンピックボイコットの声が大きく聞こえるようになった。中国当局は国際世論に糾弾されて窮地に陥った。そこに、つまらぬ顔である。例のボッタクリ・バッハ。唐突に、誰に頼まれて、なんのためのつまらぬ顔。

 バッハやIOCが、幾重にも重なった彭帥の人権侵害を憂慮し、中国政府や中国共産党に対する抗議や要請を行った形跡はない。もっぱら、中国当局の窮状を救済する目的の行動に徹したとしか見えない。

 バッハは、11月21日にテレビ電話に登場して彭帥の無事をアピールしたが、世界が納得したわけはない。さあ、69日後の北京冬季五輪はどうなるだろうか。

 その中国は、相当に焦っている。日本にも声をかけてきた。「中国外務省の趙立堅報道官は25日の記者会見で、北京冬季五輪に関連し、『中国は既に、日本の東京五輪開催を全力で支持した。日本は基本的な信義を持つべきだ』と述べた」という。日本側で、中国の人権問題を理由に北京五輪に首脳や政府使節団を送らない「外交的ボイコット」を求める声が出ていることを牽制し、開催への支持を求めてものと理解されている。

 私は知らなかった。『中国は東京五輪開催を全力で支持した』んだ。そんな怪しからんことをしていたのか。習近平政権と菅政権、悪党どもにも語るべき『信義』というものはあるんだ。

 また趙は、林芳正外相の訪中に反対する自民党内の声に触れて、「北京冬季五輪と二国間の政治問題を関連付け、スポーツを政治問題化し、五輪精神を汚すものだ。中国は断固として反対する」と反発したという。あれっ、中国は「いかなる国も他国の内政に干渉してはならない」と言ってたんじゃなかったっけ? そもそも「五輪を政治問題化している」のはだあれだ? 「選手の人権を軽んじて、五輪精神を汚している」のはどこの国?

 もともと、北京オリンピックをボイコットしようという動きは、人権問題での中国への抗議をきっかけとする各国人権団体の運動から始まった。新疆ウイグル自治区でのイスラム系ウイグル人への弾圧をジェノサイドだとする人権団体グループも多く、中国当局による少数民族への人権抑圧への抗議の声は高い。ウイグル、チベット、香港、内モンゴル、および中国の民主主義運動家の代表からなる広範な連合は、選手派遣の中止といった断固たるボイコットからいわゆる外交ボイコットまで、あらゆる対応を求めている。今、その動きは、現実に主要国の外交を動かし、「外交ボイコット」の動きとして現実化しつつある。

 今北京オリンピックのあり方をめぐっては、世界が人権擁護派と非人権擁護派の二つに分裂してせめぎあっている。人権擁護派の先頭に立つのが、これまでは各国の人権擁護団体だったが、いま偶然の事情から毅然としたWTA(女子テニス協会)となった。そして、これに与するビリー・ジーン・キング、セリーナ・ウィリアムズ、大坂なおみであり、男子選手ではジョコビッチ等々である。

 そして、非人権擁護派の陣営は、中国共産党とIOCの連合体である。はからずもその先頭の位置に立たされたのが、ボッタクリ男爵その人。中国共産党は一党独裁の威信にかけて北京オリンピックの成功が課題であり、IOCとバッハは、カネ・カネ・カネである。独裁政権と商業主義のこれ以上ない醜悪なハイブリッドというほかはない。

 習近平とIOCのために、独裁政権の確立とカネ・カネ・カネを目指しての北京オリンピック。その正体が明らかになるにつけて、白けるばかりである。

オリンピックは実に汚い。こんなものへの公費のつぎ込みは一切やめようではないか。

(2021年11月28日)
 ロイターの報道がメインのようだが、11月25日ブラジル・リオデジャネイロの連邦裁判所(一審)は、2016年のリオ五輪組織委員会会長だった被告人カルロス・ヌズマン(79)に対して禁錮30年11月の判決を下した。

 ヌズマンは、ブラジル・オリンピック委員会の会長を20年以上も務め、リオ五輪招致の中心的な存在だった人物。16年の五輪開催地を決める09年10月の国際オリンピック委員会(IOC)総会を前に、投票権を持つ有力なIOC委員だった国際陸連(現世界陸連)前会長のラミン・ディアク(セネガル)らに200万ドル(約2億2600万円)の賄賂を渡したとして有罪になった。被告罪名は、贈賄・マネーロンダリング(資金洗浄)などだという。弁護人は控訴の方針だとか。

 日本では、民間団体であるIOCやJOC関係者の贈収賄は処罰対象とはならない。ブラジルには処罰規程があるのだろう。ブラジル連邦警察は17年10月にヌズマンを逮捕した。彼の地の警察も検察も、裁判所も、よく機能している。ここではオリンピックが聖域化されてはいないのだ。

 このニュース、この被告人が東京五輪誘致の中心人物とよく似た立場であることを連想させる。何より注目すべきは、被告人の贈賄先であるラミン・ディアク(セネガル)という人物名だ。そして、贈賄額の200万ドル(約2億2600万円)。あの人の疑惑と瓜二つではないか。

 ラミン・ディアクは元国際オリンピック委員会(IOC)委員、16年のリオ五輪だけでなく、21年開催の東京五輪を巡る招致活動でも収賄の疑いがかけられている。その賄賂を贈賄した疑惑が持たれているのは、日本オリンピック委員会(JOC)の竹田恒和前会長。ブラジルのヌズマンとまことによく似た立場。フランス当局が、竹田を贈賄容疑で正式捜査の対象としたとの報道のあと、コロナのお蔭か捜査の進展の報道が不透明となっている。

 それでも、今年(2021年)の夏には「JOCが弁護費用2億円負担 五輪招致で疑惑の元会長に」という記事が各紙に掲載されている。「元会長」とは、竹田恒和のこと。被疑者としての弁護費用に既に2億円を要しているところ、その全額をJOCが負担しているというのだ。もちろん、JOCには税金を原資とする巨額の補助金が注入されている、今年度(21年度)予算では、受取補助金として76億円が計上されている。文春オンラインには、「2019年度の決算資料には、補助金などの収益が161億円超あり」と報道されている。そこから、竹田個人の弁護費用の支出には大いに違和感を感じでざるを得ない。潔さに欠ける、と言っても通じないだろうが。

 本年8月8日の朝日の報道は以下のとおり。

 「東京オリンピック(五輪)・パラリンピック招致をめぐる贈賄疑惑でフランス司法当局の捜査を受けている竹田恒和・元招致委員会理事長の弁護費用が2020年度までの3年間で約2億円に上り、その全額を竹田氏が19年6月まで会長を務めていた日本オリンピック委員会(JOC)が負担していることがわかった。JOCは19年3月の理事会で費用負担を決議しており、今年度以降も、捜査終結まで負担するという。

 JOC関係者によると、竹田氏には日仏の合同弁護士チームがついており、翻訳料金なども含むと、JOCの負担額は仏当局の捜査が本格化した18年度が約6千万円、19年度は約1億円、20年度は約4千万円だった。

 竹田氏は朝日新聞の取材に対し、弁護士を通じて「私は、JOC会長職にあったことから、規約により招致委員会の理事長となりました。本件は、理事長の職務として行った行為であり、私的な利益や動機は全くありません。山下(泰裕)会長を始めとするJOC理事会のご理解には深く感謝しており、私の身の潔白を証明することでその信頼にこたえたい」とコメントした。」

 私は、なんでも刑事事件化して、徹底して捜査を尽くすべきだとは思わない。ブラジルやフランスのように、日本ももっと幅の広い増収賄処罰規定が必要だとも思わない。

 しかし、わけの分からぬところで、わけの分からぬ輩がうごめき、わけの分からぬカネが動いての東京五輪誘致実現はなんとしても、納得しかねる。

 東京五輪誘致のために電通や竹田がどのように動いたのか、誘致のための費用はどう捻出され、どう使われたのか、徹底して明るみに出していただきたい。

 我々はオリンピックの現実をボッタクリ男爵の薄汚さによって学んだばかりである。IOCもJOCも商業主義に汚染され、カネを目当ての連中によって運営されているのだ。もう、こんなものには見切りを付けよう。納税者の名において、国費も都費も一切の公費のつぎ込みをやめようではないか。

「新しい資本主義」とは徹底したアベノミクス批判の所産である。

(2021年11月27日)
 「週刊金曜日」(11月19日号)に「浜矩子の経済私考」というコラムが掲載されている。その表題が、《『新しい資本主義実現会議』のとっても緊急提言らしい緊急提言》という、ちょっと不思議な長い文章になっている。

 岸田のいう『新しい資本主義』とはいったい何なのだろう。浜矩子はどうとらえているのだろうか。そういう関心から読み始めると肩透かしを食らう。《この岸田の緊急提言は、いかにも泥縄に拵え上げられた『緊急』提言らしい緊急提言で、読んでも何が言いたいのか分からない》《むしろ、悪文の見本としての教材として有用である》という趣旨。さすが浜さん、歯に衣着せずに本当のことをおっしゃる。

 浜さんの文章を全文引用したいところだが、やや長い。抜粋して引用させていただく。

 岸田文雄首相の肝いりで立ち上げられた「新しい資本主義実現会議」が、11月8日に緊急提言を発表した。副題に「未来を切り拓く『新しい資本主議』とその起動に向けて」とある。
 Iから?の三部構成で、Iが総論、?が成長戦略編、?が分配戦略編となっている。Iを熟読してみた。ここを読めば、岸田氏が自民党総裁選以来、一貫して前面に打ち出してきた「新しい資本主義」の何たるかがいよいよわかる。そう考えたからである。
 結論的に言えば、岸田氏が考える「新しい資本主義」が何物であるかは、皆目、わからなかった。わからなかったから、論評のしようがない。

 だが、一つ、とてもよくわかったことがある。この緊急提言は、実に緊急提言らしい。大急ぎで、疾風怒濤のごとく取りまとめた観が実に濃厚だ。
 取りまとめたというよりは、寄せ集めたという印象だ。思いつく言葉を、手当たり次第、放り込んだ。そんな文章運びになってる。いや、文章運びにはなっていない。文章散らばしだ。そして、多くの文章が長すぎる。一つの文章でたくさんのことを言おうとしすぎている。

 ……文章が長くなりすぎると、必ず文法が破綻する。文頭と文末の関係が不整合になる。それだけならまだいい。長すぎる文章は、途中で話題が変わってしまうことがある。こうなると、目もあてられない。
 長すぎる文章は、声に出して読み上げると、途中で息が切れて苦しくなる。息継ぎが必要な文章は、長すぎると断定していい。文章が長すぎると、読み終えた頃には、冒頭がどうなっていたかを忘れている。読み直しが必要となる。だが、いくら読み直しても、最後にたどり着いた時には最初を忘れている。無限ループの地獄に陥る。

 「新しい資本主義実現会議」の緊急提言に、以上の全てが面白いようにあてはまる。この「緊急提言」は、「良き論文の書き方」の反面教師として教材に使える。

 この岸田政権の文章は「良き論文の書き方」の反面教師としての教材なのだ。端的に言えば、「悪しき論文の典型」にほかならない。こう紹介されると、読者は「そんなつまらないものは見たくもない」派と、「そんなヘンなものならぜひ目を通しておかなくては」派に分かれるだろう。私は後者なので、官邸の下記URLを開いてみた。「?.新しい資本主義の起動に向けた考え方」の部分だけなら、1500字ほどの文章。

https://www.cas.go.jp/jp/seisaku/atarashii_sihonsyugi/kaigi/dai2/shiryou2.pdf

 なるほど、浜さんがこうまで悪文と言ったわけを納得する。浜さんに、こう言ってもらわないと、論旨を把握できない自分の読解力に問題があるのかと焦ることになってしまったかもしれない。

 それとともに、別の感想ももった。このわかりにくい文章は、実は、「新しい資本主義」を論じたものではなく、徹底したアベノミクス批判なのではないのだろうか。その暗喩だからこそ、ことさらに分かりにくくなっているのではないだろうか。岸田は、本当のところは下記のように言いたかったに違いない…と思うのだが。

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新自由主義を脱却した「新しい資本主義」の起動に向けて


 政府は、資本の横暴を野放しにして成長一辺倒をコンセプトとした新自由主義経済を克服するため、内閣に「新しい資本主義」実現本部を設置した。

 現在、世界各国において、地球環境の持続可能性や「人の尊厳」を重視し、資本の利潤追求を抑制する「新しい資本主義」の構築を目指す動きが進んでおり、我が国がこの動きを先導することを目指す。

 具体的には、1980年代以降、世界を席巻した新自由主義の傾向が強まり、大資本の活動の自由が過度に強調され、市場原理主義や規制緩和政策跋扈の結果、一方に富の集中が加速し、他方に労働者や中間層の所得は伸び悩み、今や耐えがたい格差と環境破壊が、資本主義の行き詰まりを露呈している。

 小泉政権時代から始まり安倍政権に至る、新自由主義的経済政策は悉く失敗に帰した。とりわけ、アベノミクスが今日の顕著な、日本経済の停滞、格差の拡大、下請け企業へのしわ寄せ、自然環境破壊、正規非正規の差別、男女賃金格差等々の矛盾を拡大してきたことを率直に認めるところからしか、日本経済再生の途はない。

 全てを市場原理に任せて、大資本・グローバル資本の横暴を恣にしたこれまでの経済政策の失敗を深刻に反省して、今こそ、民主主義の政治をもって、所得と資産の再分配を実行しなければならない。

 江戸時代の商人でさえ「三方良し」を理念とし、企業活動は「消費者に良し」「社会に良し」というかたちで企業の利潤獲得以上の理念や価値の存在を認めていた。

 今まさしく、《社会・自然環境・人権・多様性・格差の是正等々の諸正義と並立する、新しい時代の経済》を創る必要がある。

 また、何よりも合理的な再分配の実現が、最初の一歩である。企業の利益を従業員に賃金増額の形で分配してはじめて消費の拡大につながり、消費拡大によって需要が拡大すれば、企業収益が更に向上して、成長につながる。分配戦略こそが、成長を支える重要な基盤である。

 さらに、経済は社会に生きる人々の幸福追求に奉仕するものでなくてはならない。経済成長や資本のための制度設計、あるいは人の幸福を阻害しない経済という消極的な位置づけから脱却し、積極的に人の自由と生き甲斐と豊かさに奉仕する経済を目指さなければならない。
 そのための教育制度を改革し、多様性(ダイバーシティ)と包摂性(インクルージョン)を尊重し、女性や若者、非正規の方、地方を含めて、国民全員が参加・活躍できる社会を創り、一人一人が付加価値を生み出す環境を整備する必要がある。また、リカレント教育やセーフティーネットの整備を通じて、やり直しのできる社会、誰一人として取り残さない社会を実現する必要がある。また、人たるに値する生活水準の保証の上に、適正な評価にもとづく配分の積み重ねが必要である。

このような視点を含めて、我が国においても、まずは分配戦略を確実にして、これを基盤とする生産性向上を目指す。その果実を働く人々に賃金や応能主義税制を採用しての手厚い社会保障の形で再分配することで、広く国民の所得水準を向上させて、次の成長を実現する。そのような「分配と成長との好循環」の実現に向けて、政府、民間企業、労働者、労働組合、大学等、地域社会、国民・生活者がそれぞれの役割を果たしながら、あらゆる政策を総動員していく必要がある。

「新しい資本主義」実現会議では、こういった基本的な考え方を踏まえて、ビジョンとその具体化の方策を取りまとめ、世界に向けて率先して発信していく必要がある。策定にあたっては、車座対話を随時開催し、特に経済的な弱者・困窮者層やその代弁者からの関係者の方々の声を丁寧に聞きながら、検討を進めていく。

 以上のとおりアベノミクスに対する徹底批判こそが、「新しい資本主義」の真意であり、岸田内閣が最優先で取り組むべき施策なのである。

ドイツ新政権、核禁条約会議に参加へ。日本は何もしない起承転結。

(2021年11月26日)
 ドイツが変わる。アンゲラ・メルケルからオラフ・ショルツへ。首相の所属政党は、キリスト教民主同盟(CDU)から民主社会党(SPD)へ、である。

 9月のドイツ総選挙で第1党となったのが中道左派の社会民主党(SPD)。同党はこれまでメルケルを首班とする大連立政権に参加していたのだが、今回、緑の党、自由民主党(FDP)との3党連立内閣を作ることとなった。その3党連立の合意が24日に成立した。12月上旬に、民主社会党(SPD)党首であるショルツを首班とする新連立政権が誕生する。

 新政権での幾つかの変化が報じられているが、最も注目されるのが《核兵器禁止条約締約国会議へのオブザーバー参加》である。3党連立の合意文書は、「国際的な核軍縮において主導的な役割を果たしたい」と表明。「核兵器のない世界、ドイツを目指す」としている。「メンバーではなくオブザーバーとして参加し、条約の意図に建設的に寄り添っていく」という姿勢。もっとも、同時にロシアなどの脅威を念頭に、米国と核兵器の運用を「共有」する仕組みを維持する姿勢も明確にされているという。

 核禁条約は全ての核兵器を違法とし、核の使用だけでなく、製造・保有も禁止している。今年1月に正式に発効。これまでに50以上の国・地域が批准の手続きを終え、来年3月にウィーンで第1回締約国会議を開催する。ドイツは、同会議でのオブザーバー参加国となる。その参加表明は、主要7カ国(G7)で初めてのことであり、NATO加盟国としてはノルウェーに次いで2番目だという。

 国際NGO「核兵器廃絶国際キャンペーン」(ICAN)のフィン事務局長は「何十年もの間、核兵器に反対してきたドイツ国民にとって、重要な一歩を踏み出したことを意味する」と歓迎する声明を出した。日本国内の被爆地や被爆者団体はこのニュースに湧いている。日本も、ドイツに続くべきだし、一歩前進が現実的に可能だという期待の確信が高まっている。

 米国の「核の傘」に依存し国内に米軍基地を置くドイツのオブザーバー参加表明である。唯一の戦争被爆国・日本がドイツに続くべきは当然で、ここで動かなければ、ドイツに比較しての岸田政権の後ろ向きの姿勢への批判が高まることは目に見えている。

しかし、日本政府が動く気配はない。松野博一官房長官は25日の記者会見で、まずは、「条約に核兵器国は一国も参加していない」と強調した。その上で、核兵器禁止条約締約国会議について、「オブザーバー参加といった対応よりも、我が国としては唯一の戦争被爆国として、核兵器国を実質的な核軍縮に一層関与させるよう努力しなければならない」と述べている。要するに、何もしませんという宣言である。

 日本政府は、一貫して核禁条約に背を向けてきた。本当は一顧だにする気もないのだ。しかし、核廃絶を願う世論を無碍にもできない。そこで、こういう起承転結の論法を編み出した。

(起) 「日本は唯一の戦争被爆国として、世界の核廃絶を目指す」
(承) 「そのためには核保有国に核廃絶を決意させることが必要だ」
(転) 「非核国による核保有国批判は、核保有国刺激の逆効果だけ」
(結) 「日本は両者間の橋渡しをして核保有国に核廃絶を決意させる」

 まずは、目標をはるか遠くに設定する(起)。次いで、そのはるかな目標に密接した困難な条件を提示する(承)。その困難な条件をクリヤーするためには目前の実現可能な課題の効果を否定する(転)。そして、何もしないことを合理化する(結)。

亡父が残した軍隊生活メモ(続き)

(2021年11月25日)
 私の父は、兵営から長男の私宛に、軍事郵便のハガキを一通だけ書いている。昭和20(1945)年3月7日の日付のもの。

葉書の文面は
「毎日お父さんの写真の前に行っておじぎをしてゐるとは愛い奴じゃ 余は満足に思ふぞ」
この文面について、父が戦後に書いたメモがある。
「統一郎はこの頃一歳半。その後赤羽の祖父(私から見ての母方の祖父)や光子(私の母)と毎日のように八幡さんや護国神社にお参りしたとも聞いた。」


同じ頃の「光子様」宛の葉書
本文「3月1日現在の軍人軍属臨時届をしたであろうか? これから送る繪は何かに貼って大切に保存して呉れ みんなに宛てたのもそうしてくれればなほいゝ」
メモ「そうは書いたが、まもなく青森県三本木町(現十和田市)に近い相坂村字小坂に駐留(奥入瀬川畔)あまり絵を書かないようになったと思う。


士官適任証をもらっていたところから仙台の予備士官学校に行くことになったが間ぎわになって急性肺炎を患う。自動車で八戸陸運病院の玄関へ入ったところで人事不省。熱40度を超し、大声を発し刀を抜いて振り回すので、軍医は熱が下がったら弘前の精神病院に回すと言った由。当番兵七戸上等兵には随分お世話になった。退院の日仙台市が爆撃されたと聞いた。


あまり繪は描かず、もっぱら絵芝居で各中隊や村民への慰問に回ったりした。相坂へ来る前、弘前の部隊へ音丸(歌手)一行が慰問に来、その中に腹話術があった。私も行ってみたいと思い、独学の工夫を始めた。前歯の空いているのがいけないと三本木の歯科医へ通って(片道6 kmぐらいか)冠をかぶせてもらう。


前の召集の時には一日とて召集解除を願わぬ日はなかったが、この度はーこの戦いとても勝てそうにない。と言って負けるとも思えない。とすれば長期戦になるのであろうーと腹を決め召集解除のことはあまり考えなかった。

                  ―― ―― ―― ―― ――

8月15日敗戦ヘ。兵具を納め部隊解散までには少々間があり村人の作ってくれた濁り酒を飲み9月末に貨車に乗って盛岡へ帰った


第1回招集 3年7ヶ月
帰郷     10ヶ月
第2回招集 1年3ヶ月

 軍隊生活は私にとって何であったろうか
 全く聖戦と思っていたし、実弾の下をくぐったことも白刃を振ったこともなく、演習に次ぐ演習。
辛くはあったが軍隊を地獄と思ったことはない。
体を鍛えてもらっただけでも私は恵まれた星の下において頂たのだと思う。


以下は、満州での兵隊生活メモである。すべて、スケッチが付いている。

1月30日か31日が歩兵第31聯隊の黒溝台記念日(日露戦争での激戦)で毎年耐寒行軍があった。
昭和17年1月の行軍は行程10キロほど。朝5時に兵営を出て、遅くも8時には帰営して朝食の予定。ところが、歩けど歩けど、兵営に帰り着かない。前の大隊副官の馬もパカパカ歩を進めているし、私たちも普通に歩いているつもりだが、時たつばかり。防寒靴の裏には雪のコブがつく、凍傷で倒れるものがでる。帰着したのは13時だった。零下42度の不思議な出来事だった。
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10分間の小休止でも、兵は叉銃(さじゅう)するとゴロリと横になってすぐいびきをかいた。起床!の声に目を覚ますと、外套の上には厚い霜柱が立っていたものだ。
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水の欠乏に耐える訓練をするとて、一か月間ほど奥地へ入って天幕生活をしたことがある。コップ一杯の水で洗顔と口濯ぎ。行軍の際1日で水筒一つ入浴なし。でも時々小川へ入って水を浴びた。この絵(ランプ)はその時のもの。
どこで手に入れたか定かでないが、真鍮製の矢立を持っていた。この絵はそれで描いたもののように記憶している。
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演習地でよくノロを見た。雄には立派な角がある。日本の鹿より少し小さかったように思う。はやすと、どこまでもまっすぐに逃げ、曲がることをしなかった。
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演習は厳しかった。
炎熱下、水筒の水がきれ、路上の溜まり水を飲んだこともある。
夜行軍では、眠りながら歩いた。前の兵が道を曲がったのに気付かず、まっすぐ歩いて沼の中へズブズブ。後に続く兵もズブズブ、腰まで浸かったところで気が付いたということもある。
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兵が「班長殿、鱈を取ってきました」ー 大きな魚をぶら下げてきた。「鱈は海の魚だぞ」とよくよく見ればヒゲがある。それは大鯰だった。
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休憩時の話といえば、召集解除と美味しかった食べ物の事。
慰問袋のスルメを細く切って2、3日水に浸し、――これは、とろろ。
生大根を輪切りにして――これは、かまぼこ。
人参を角に薄く切って――これは刺身にしよう。
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四方八方見渡しても、山も見えず、一本の木も見えぬ曠野で演習していた時、伏せ!の号令で伏せると、蝉の声が聞こえる。進め!で立つと<何も聞こえない。はてメンヨウな。次に伏せた時よく見ると、菫ほどの大きさのアヤメの葉に深山蝉が止まって鳴いていた。これがその実物大である。(小さな蝉の絵に下記の一句)

 志ん志んと 草むらに鳴く 深山蝉  具運莊

渡辺治が語る ー 「激動の10年の政治史と日本民主法律家協会の役割」

(2021年11月24日)
 作日(11月23日)は、日民協創立60周年記念集会だった。60年安保を闘った超党派の法律家運動が、安保後も憲法の理念を擁護し平和を守るための組織をつくった。それが、法律家の統一戦線組織としての日本民主法律家協会である。

 当時、「安保反対」「安保違憲」は国民の常識であった。今も、真っ当な市民の良識ととらえねばならない。

 60周年記念集会のメインの企画は、渡辺治さんの記念講演。演題は「激動の10年の政治史と日本民主法律家協会の役割」というもの。全国町村会館会議室での会場参加とオンライン(Zoom)、ユーチューブ配信でのハイブリッド企画。

 渡辺講演は、たっぷり2時間半。さすがに、緻密な説得力のあるものだった。その講演内容は、「法と民主主義」12月号に掲載されることになるので、詳細はそちらに譲るとして、私の印象に残ったことを少しだけ記録しておきたい。

 渡辺さんによると、2015年を転機として「共闘の時代」が幕を開けたという。共闘とは、「安倍政権の悪政にストップをかけようという市民と野党の共闘」である。このとき、集団的自衛権の行使は許されないとしてきたこれまでの政府解釈を突如強引に変更して「戦争法」を成立させた安倍政権に、未曾有の反対運動が盛り上がった。この運動の中で、市民運動の共闘がまず出来、その呼びかけで民主党・共産党・社民党などの野党による55年ぶりの共闘が実現した。こうして、市民運動と国会内での闘争の連携が前進した。

 この市民運動の高揚の土台には、自衛隊イラク派兵反対や有事法制反対の平和運動、9条の会運動の発展、超党派の反原発運動、そして幅広い法律家運動などの各分野の高揚と共闘への参加があった。

 共闘の一致点は、安保反対でも自衛隊違憲でもない。これまで政府が墨守してきた専守防衛路線の放擲、集団的自衛権の容認への怒りである。自衛隊を認める人も安保を容認する人も、その多くが《安保条約の攻撃的軍事同盟化・自衛隊の海外での武力行使・アメリカの戦争への日本の加担》には反対なのだ。

 こうして始まった「共闘の時代」だが、今回の衆議院選挙は、本格的な「野党共闘路線と自公政権との対立」の初戦であった、という。

 ようやく共通政策ができたのが選挙直前の9月8日。その共通政策の各地への浸透は不十分なままの選挙戦突入であった。それでも共闘の成果を確認することができる。この共通政策を各地域で具体化する努力が必要であり、それが出来たところでは小選挙区での勝利を勝ち取っている

 この立憲各党の初めての本格的な選挙共闘に対しては、初めて本格的な自公政権側からの攻撃がなされた。今回は、その攻撃への対応が不十分だったというほかはないが、次からの戦いにこの経験を活かさなければならない。

 この辺りはよく整理された分かり易い選挙総括と言うべきであろうが、興味深かったのは会場からの質問に対する回答としてなされた幾つかの解説。

 まずは連合をどう見るかということについて

 渡辺説では、連合を実体以上に過大視してはならないという。そもそも連合は一枚岩ではない。確かに民間大企業労組は共闘路線に反対ではあるが、官公労は決して反共闘派ではない。むしろ「平和フォーラム」を結成して積極的に野党共闘の一翼を担っている。

 連合中央は紛れもなく反共・反共闘の立場だが、全国に組織を持っている官公労の意見を無視することはできない。またトヨタに代表されるような大企業の労働組合は地域ではともかく、決して全国的な影響力を持つものではない。何よりもトヨタなど大企業正社員の支持政党は野党ではなく自民党である。自民党の新自由主義路線の徹底で大企業が儲かれば自分たちも潤う、という意識が今の民間大企業正社員労働者の意識であって、決して立憲民主党や国民民主を支持する立場ではない。

 維新については、言われる通り自民党に愛想をつかした保守票の受け皿となって、今回選挙では票と議席を伸ばしたということは基本的に当たっている。しかし、それだけでは説明のつかないことが多くある

 維新は徹底した新自由主義理念の政党と考えてよい。大阪で地方権力を握った維新は、保健所を減らし公立病院を減らし、公務員の人員を削減して人気を博した。さらに、こうして予算を浮かせたその金で高校教育無償化などというポイントの政策に金をつぎ込んでおおきな人気を勝ち得た。この路線は、財政に余裕のある大阪だからできたことで、余裕のない関西の他の府県でできることではない。

 また東京でも、維新は票を伸ばしたがこれは関西の維新票とは性格が違う。東京で維新を支持したのは富裕層、ないしは大企業正社員層とみて良い。自民党以上の徹底した新自由主義路線にもとづく政治改革に期待し歓迎した層である。
 

亡父が残した軍隊生活メモ

(2021年11月23日)
 私の父は、2度の徴兵を受けて、軍隊生活を送った。
 その兵営、主としては満州の地から、妻に軍事郵便のハガキを送り続けた。そのいずれにも、満州の風物のスケッチが画かれている。中には、軍隊生活の様子も。幾つかの版画もある。

 父は、戦後そのハガキを一冊のアルバムにまとめて保管していた。父の没後には長く次弟の明が所持していたが、先日明の葬儀の際に、明の妻に乞うて私が預かることにした。

 このアルバム、葉書を納めるサイズにできている。「昭和16年(1941年)7月 支那事變第4周年記念」に、陸軍恤兵部が制作した「繪葉書帖」とされている。表紙に、「囘顧」と標題があり、銃剣を携えた兵と中国風の城門が描かれている。父は、戦後、このアルバムに妻に宛てた葉書を納め、さらに、軍隊生活を中心に幾つかの自分の来歴についてのメモを残している。

 その一部を紹介したい。何らかの意味あるものと思う。なお、メモに出てくる光子は、私の母である。


昭和5年から12年まで仙台市芭蕉辻近藤槙三郎商店(株式賣売)に勤務
9?12年は樺太支店、
同店倒産、帰仙。
自営を試みるが失敗。

13年4月盛岡市助役村田幸之助先生(黒沢尻中学時代に法政経済を教わる)を頼って盛岡市へ行く。市雇員に採用してもらって商工課勤務、商工業組合の係となる。
肴町に数組合の合同事務所があり、そこの主任に迎えられることになった直前ー


召集令状をもらい昭和14年5月3日北部第16部隊(歩兵第31聯隊のこと)第7中隊に入隊。
 弘前は桜の真っ盛りだった。

一期検閲の後、幹部候補生を志願して幸いにもバス。
 教官は松田正勝中尉
 助手 鳥居  軍曹
    佐藤昇治上等兵
乙種幹部候補生(下士官適任)となり
軍曹任官


中隊長に千葉徳郎中尉が着任してから特に目をかけてもらい、戦地へ行く新しい部隊が編成されること度々であったが、その都度留守隊に残された。

昭和15年夏
仙台から父重助中風で倒れるとの電報をもらって帰仙の途中盛岡に降り、赤羽光子に求婚。数日間父を看病して帰隊。
その後光子は仙台に行き職を得て家計を助け、父の看病にあたる。
父10月7日没


行軍は弱いし銃剣術は下手。衛兵司令は逃げたがる。決して優秀な下士官ではない。
好きなのは週番下士官(演習に出ないですむし、命令受領が苦にならない)。
 それに得意なのが演芸会での“蟇の膏“軍旗祭に出演して連続一等を取ったのでその後は特別出演。
聯隊長はずっと板津中佐であったが、蟇の軍曹に毎回酒数本を下さった。


昭和16年夏関特演(関東特別演習)という動員あり。
部隊をあげて満州にわたることになる。
聯隊長は板津中佐。千葉徳朗中隊長は、私を指揮班長として編成してくれた。
8月10日頃出発して下旬に満州国黒河省愛琿に到着し、満州国第7202部隊として翌17年11月まで警備にあたる。
 ―― ―― ―― ――
盛岡に出す手紙はがきに一連の番号をつけた。
軍曹をもじって“具運莊”と号した。武運長久の祈りを篭めて。


渡満の時の輸送船では秋田の聯隊と一緒だった。
船長が演芸会を催してくれ秋田からは専門家らしい浪曲が出たりしたが、私の蟇一等。商品は我が中隊の下士官を喜ばすに充分だった。
 ―― ―― ―― ――
満州は広い広い。
有蓋貨車で運ばれたので便所がない。田舎の駅に着いて、鉄路(単線)の遥か彼方に対抗の列車が見えたら全員下車で用を足す。
大の用を足して貨車に乗っても対向車はまだ着かない。


(昭和17年)11月招集解除雪の満州を後に3年7か月の軍隊生活を終えた。
 千葉中隊長が士官適任証をつけてくれた。


昭和18年8月29日統一郎誕生。その1ヶ月後に横須賀海軍工廠造兵部に徴用される。

 ▽浦郷寄宿舎の寮長
 ▽第1回の胃潰瘍で海軍病院に入院
 ▽4月3日神武天皇祭の弁論大会で優勝。翌4日工廠15万人が聞く有線で放送する
 ▽寮生(15歳山形県出身)が流行性脳脊髄膜炎にかかったのを救う


昭和19年7月7日、横須賀で第2回の召集令状を受け、弘前東部第57部隊(隊長中村覚之助中佐)に入る。
 曹長に進級。号を“息吹”とする。新しい時代の息吹を吸う男の意。
 聯隊本部付きとなる。勤務年が短いので営外居住とならず、ただ一人の営内曹長だったので酒保にも顔がきいた。(続く)

「天皇信仰」も「皇室愛」も、押し売り押し付け御免蒙る。

(2021年11月22日)
 本日の毎日新聞夕刊一面のほぼ全面のスペースに、「ジャーナリストが見た眞子さん結婚」「揺らいだ私の『皇室愛』」「長年取材の久能靖さん」という記事。

https://mainichi.jp/articles/20211114/k00/00m/040/012000c

 結論から申し上げよう。なんという空疎でつまらない記事。毎日新聞は読者を見くびっているのではないか。こんな記事を、夕刊第一面の全面にあてがわれた読者としては、気分が悪い。覚悟して産経を読むのとは違うのだ。この精神的打撃は小さくない。本日夕刊分の購読料を返還してもらいたいくらいだ。「大きく揺らいだ私の『毎日新聞愛』」である。

 私は、皇室記事には関心がない。読みたくない。読む価値がないと思い込んで避けてきた。その私に不意打ちの、夕刊トップに巨大な見出しの皇室記事。思わず読んでしまったが、やっぱり読む価値のないつまらぬ記事。「長年にわたって皇室取材を続けてきたジャーナリスト」とリードにある久能靖という人物のことはまったく知らない。が、この記事に目を通す限り、皇室に阿諛追従する文章を書いて世過ぎとしてきた人のようだ。およそ私がイメージする「ジャーナリスト」ではない。

 この文章がこの上なくつまらなく、読者の心を打たない原因は、『皇室愛』に凝り固まった人だけを対象にした内輪の信仰告白に過ぎないからだ。オウム真理教の信者が内輪で「尊師は素晴らしい」と褒めちぎっているのと変わらない。これをオウムの外にもってきたら、読者は白けるだろう。この文章はそれと同じなのだ。

 オウムにしろ、天皇教にせよ、信仰の強制はできないし、してはならない。そして、愛情の押し売りもだ。私には、皇室信仰や「皇室愛」という時代錯誤の心理はない。日本人なら皇室を尊崇すべきだなどという、馬鹿げた謬論が通じる時代でもない。

 それでも、この記事を読むと、天皇制を支えている「皇室ジャーナリスト」たちの論理や心理やその水準が少し理解できるような気がする。要するに、何の実体もないものを何かありがたいものがあるかのごとくに書き連ねているのだ。その点で、おそらく戦前と戦後、「皇室ジャーナリスト」は不易なのだ。

 この文章の最後は、こう結ばれている。

 「私はこれまで、言葉で説明するのは難しい皇室の存在のありがたさを感じて生きてきた。一方、小室さんとの記者会見や回答文書では、皇室との関係を絶ちたいという眞子さんの思いが際立っていた。そこまでして離れたい皇室はどんなにつらい、大変なものなのかと考えた人も多いだろう。それが非常に残念だ。」

 ここについてだけコメントしておきたい。

 「言葉で説明するのは難しい皇室の存在のありがたさ」というのは、この記者の本音なのだろう。彼は、「皇室の存在のありがたさ」を感じてはいるが、それは説明不能なのだ。「説明できないありがたさ」とは信仰である。あるいは、迷信である。盲信と言ってもよいが、もしかしたら端的に欺されている心理というべきなのかも知れない。

 かつて天皇は神の子孫であり自らも現人神であるとして、臣民を欺いた。今、「説明できないありがたさ」をもって善良な国民の迷妄に付け込んでいるのではないだろうか。

 彼の言う「皇室」はいくつもの言葉に置き換えることがができる。「私はこれまで、言葉で説明するのは難しいイエス・キリストの存在のありがたさを感じて生きてきた。」「仏陀の存在のありがたさを感じて生きてきた。」「尊師のありがたさを感じて生きてきた」「カネのありがたさを感じて生きてきた。」「イワシのアタマのありがたさを感じて生きてきた。」

 「説明できないありがたさ」には、十分な警戒が必要なのだ。

 また、彼の「小室さんとの記者会見や回答文書では、皇室との関係を絶ちたいという眞子さんの思いが際立っていた。そこまでして離れたい皇室はどんなにつらい、大変なものなのかと考えた人も多いだろう。」という一文。「多いだろう」ではなく、ほとんどの人がそう考えたに違いない。

 あの記者会見と回答文から見える光景は、皇室という檻の非人間性である。おそらくは、普通の感覚をもった人格が皇室にとどまることは無理なのだ。「そこまでして」というのはよく分からないが、皇室が「離れたい」「つらい、大変な」檻であることは、少しでも想像力があれば、誰にでも分かること。

 この記者のこのつまらない一文の最後が、「それが非常に残念だ。」という締めくくり。彼にしてみれば、愛する皇室が袖にされたのだから「残念」なのだが、檻に閉じ込められた若者の脱出劇には、喝采が送られるのが定番なのだ。

 この文脈で対比の対象になっているのは、「皇室への愛」と、「若者の自由」である。もう少し具体的には、「若者を閉じ込める皇室への愛」と、「閉じ込められた檻から脱出する若者の自由」である。前者には普遍性がない。後者には誰にもよく分かる普遍性がある。自由への脱出という歴史の必然に「残念」と言っても、勝ち目はない。

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眞子さん日本「脱出」 皇室ジャーナリスト久能靖さんに聞く

 秋篠宮家の長女小室眞子さん(30)と夫の圭さん(30)=10月26日に結婚=が14日、圭さんの拠点がある米ニューヨークで新生活を始めた。結婚をめぐっては、皇室伝統の儀式や行事がなく、記者会見も質疑応答が直前で中止された。元日本テレビアナウンサーで、長年にわたって皇室取材を続けてきたジャーナリストの久能靖さん(85)は2人の結婚をどう受け止めたのか。【聞き手・山田奈緒】

揺らいだ私の「皇室愛」
 眞子さんにとって皇族として生きた時間はなんだったのだろう。それが伝わってこないまま、眞子さんは日本を離れた。あらゆる困難を乗り越えて眞子さんにはお幸せになってほしいと心から思っている。ただ、結婚をめぐる一連の言動に、私の「皇室愛」は揺らいでいる。

 眞子さんの公務に臨む姿勢は素晴らしく、国内外で子どもとふれ合う優しい姿が印象に残る。最後まできっちりと皇族としての務めを果たされていた。それだけに、伝統的な手順を踏んで、皇室を去ってもらいたかったと強く思う。

 儀式や行事を行わなかったのは、秋篠宮さまの苦渋の決断だろう。小室さん側の金銭トラブルにどう対応していくかは、あくまで秋篠宮家と小室家の問題だった。しかし、世間の関心が広がり、皇室全体を巻き込むことになった。皇室に批判の声が向く影響を考慮し、秋篠宮さまは父親として結婚を認めるが、皇室として結婚を認めないという結論を出さざるを得なかったのだろう。

 天皇陛下の判断で決まる「朝見の儀」などの儀式もなかった。これも同じ理由だろう。儀式を行えば、眞子さんが今後も皇室と関わりやすい道を残せたかもしれない。伊勢神宮の祭主として陛下を支えている黒田清子さん(上皇ご夫妻の長女)のように、結婚後も皇室との関わりが続く場合もある。ただ、批判的な声を踏まえ、儀式を行えば世論の分断を招くかもしれないという陛下の判断があったのかもしれない。

「断絶」の決意感じた

 そもそも眞子さんは今後は皇室と関わるつもりはないだろう。小室さんとの記者会見や回答文書は、「皇室との関わりを絶つ」と力強く宣言したように感じられる内容だった。

 文書では「私にとって皇族の立場は、たくさんの人から助けられ、見守られ、支えられ、あたたかい気持ちをいただくことで成り立っているものでした」「皇族として過ごした時間は、数々の出会いで彩られ、ひとつひとつの思い出が宝物」と記していたが、具体的ではない。

 「感謝」の言葉もあったが、自分たちにとって都合の良い人のみに向けられていたように思えた。批判的な声の中にも愛はあるのに、そうした批判は切り捨ててしまうような言葉選びだった。

 小室さんの金銭トラブルへの対応や受け止め方についての説明は詳細で、「自分たちは悪くない」という主張をしたかっただけなのではないかとの印象を受ける。

 一方、皇室への言及は少なかった。自由のない環境で育ち、結婚を巡って批判を受け、皇室が嫌になったのかもしれない。だが、嫌なことばかりではなかったと信じたい。得がたい経験をいくつもされたのではないのか。皇室をこれからも支えたいという思いを一言でいいから聞きたかったが、その発言はなかった。

 眞子さんが自分の言葉で話すことで、結婚を巡って社会に吹いていた冷たい風が和らぎ、穏やかな日が差し込むと期待していたが、風は強まってしまったのではないか。ご自身の立場に息苦しさがあったのなら、その素直な思いも教えてほしかった。

 記者会見の前、宮邸で眞子さんを見送る秋篠宮ご夫妻の表情がとてもさびしそうに見えた。娘の晴れ姿を見られない寂しさはいかばかりだろうか。車が見えなくなるまで手を振っていたご夫妻の姿と表情は胸に迫るものがあった。儀式をしないという異例の決断をしながらも、見守ってくれたご両親や天皇、皇后両陛下に対し、「今までありがとうございました」という感謝の言葉を会見や文書に盛り込まなかったのはなぜなのだろう。

際立つ思い、残念
 かつて高円宮さまに皇室はどうあるべきか尋ねた時、「皆さんの先頭に立ってはいけない。真ん中ぐらいにいて、周りの人の話や望みを肌で感じながら、皆さんと一緒に歩みたい」とおっしゃっていた。良い言葉だと思った。皇室の誰もが、国民とどう歩むべきなのか思いを巡らせている。私は上皇ご夫妻と同年代。平成の時代のお二人を見て、人を思いやる大切さを感じてきた。お二人の姿に感動し、お二人を通して皇室への愛が深まった。今の天皇、皇后両陛下にも同じようなぬくもりを感じている。

 私はこれまで、言葉で説明するのは難しい皇室の存在のありがたさを感じて生きてきた。一方、小室さんとの記者会見や回答文書では、皇室との関係を絶ちたいという眞子さんの思いが際立っていた。そこまでして離れたい皇室はどんなにつらい、大変なものなのかと考えた人も多いだろう。それが非常に残念だ。

立憲民主党代表選への連合の影響力に深刻な懸念

(2021年11月21日)
 一昨日、立憲民主党代表選がスタートした。立候補したのは、逢坂誠二、小川淳也、泉健太、西村智奈美の各氏である。

 ネット配信の映像を見ると、さすがに皆さん、なかなかのもの。連合寄りイメージの強い泉さんを別にして好感がもてる。国民からの人気が湧いてきそうな論戦の予感。期待したい。

 国会議員票は割れそうで、勝敗を決するのは地方の議員票や党員票というもっぱらの予想だが、各地の状況はよく分からない。たまたま、青森の知人が、昨日付の地元紙・東奥日報の記事を送ってくれた。『泉氏支持複数・野党共闘巡り温度差』という標題。ウーン、なんだこれは、という以下の青森事情。

 「立憲民主党代表選が告示された19日、県連関係者からは、中道志向などを理由に泉健太政調会長を支持する声が複数聞かれた。争点となる見通しの共産党との野党共闘の是非については温度差が見られた。」というリード。

 何人かの幹部に対する個別の取材記事が掲載されている。たとえば、「共同代表の山内崇氏は、投票先を未定とし『新代表には(前代表の)枝野さんの立憲らしさを相応に残した上で、党のマインド(精神)をさらに強く発信してもらいたい』との考えを表明。野党共闘については『野党が力を合わせることは必要。全国一律ではなく、地域の実情に合わせた共闘が大事だ』とした」。これは常識的なところだろう。

 ところが、中には、こんな意見も紹介されている。「筆頭副代表の田名部定男県議は泉氏支持を表明。政権を全否定するのではなく、合意点も見いだしながら国民の支持を広げる「中道改革路線」が望ましいとの観点で判断したという。個別政策では原子力施設が立地する本県の事情を踏まえ、エネルギー政策が現実的なものとなっているかを重視。野党共闘の是非の議論は「代表が決まってから(でもよい)」とした」という。一瞬、自民党地方組織の意見かと錯覚させられた。《原子力施設が立地する本県の事情を踏まえ》《エネルギー政策が現実的なものとなっているかを重視》とは、要するに電力会社と関連企業の立場だ。そして、その御用組合として徹底している連合の見解。これが、国民民主党ではなく立憲民主党の地方幹部の意見なのだ。

 私が、青森の情勢に関心をもつのは、ここでは参院選での野党共闘の成功体験があるからだ。参院議員現職の田名部匡代は2016年参院選で民進党から立候補した。これを社民党が推薦し、日本共産党、生活の党が支持して、野党統一候補となった。特に、共産党は予定候補者吉俣洋を比例区に回して協力している。自公対野党統一の一騎打ちで、野党統一側が勝利した。このときは、東北6県で野党共闘が成立し、野党側の5勝1敗。その田名部匡代は、今、立憲所属の議員である。

 東奥日報はこんな市議会議員の意見も紹介している。「共同代表を務める田名部匡代参院議員のお膝元・八戸市の寺地則行市議は『保守中道を目指すべきだ。若さや謙虚さに期待したい』として泉氏支持。野党共闘については『「立憲共産党」と言われるようなことは避けるべき。選挙で勝つための野合はいかがなものか』とくぎを刺した」という。これって、連合の意見ではないのか?

 ネットで調べると八戸市議会の議員定数は32。そのうちの8人が、連合推薦議員である。その内訳は、電力労連推薦の無所属議員が1人。その他の7人全員が立憲民主党である。立憲民主党の人事や政策が連合の影響下に決定されることには深刻な危惧をいだかざるを得ない。何しろ、連合とは、大企業や国家・自治体の徹底した御用組合なのだから。

 なお、代表選の4人は、来年の参院選の勝敗を左右する32の「1人区」について、自公候補との1対1対立の構図をつくる必要性で一致したと伝えられている。それは結構なことだが、共闘は共闘相手に対する誠実さ、真摯さがなくては成立し得ない。「票が足りないから積み上げが欲しい」だけでは、短期的な成功さえおぼつかない。

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