「新しい資本主義」とは徹底したアベノミクス批判の所産である。
(2021年11月27日)
「週刊金曜日」(11月19日号)に「浜矩子の経済私考」というコラムが掲載されている。その表題が、《『新しい資本主義実現会議』のとっても緊急提言らしい緊急提言》という、ちょっと不思議な長い文章になっている。
岸田のいう『新しい資本主義』とはいったい何なのだろう。浜矩子はどうとらえているのだろうか。そういう関心から読み始めると肩透かしを食らう。《この岸田の緊急提言は、いかにも泥縄に拵え上げられた『緊急』提言らしい緊急提言で、読んでも何が言いたいのか分からない》《むしろ、悪文の見本としての教材として有用である》という趣旨。さすが浜さん、歯に衣着せずに本当のことをおっしゃる。
浜さんの文章を全文引用したいところだが、やや長い。抜粋して引用させていただく。
岸田文雄首相の肝いりで立ち上げられた「新しい資本主義実現会議」が、11月8日に緊急提言を発表した。副題に「未来を切り拓く『新しい資本主議』とその起動に向けて」とある。
Iから?の三部構成で、Iが総論、?が成長戦略編、?が分配戦略編となっている。Iを熟読してみた。ここを読めば、岸田氏が自民党総裁選以来、一貫して前面に打ち出してきた「新しい資本主義」の何たるかがいよいよわかる。そう考えたからである。
結論的に言えば、岸田氏が考える「新しい資本主義」が何物であるかは、皆目、わからなかった。わからなかったから、論評のしようがない。だが、一つ、とてもよくわかったことがある。この緊急提言は、実に緊急提言らしい。大急ぎで、疾風怒濤のごとく取りまとめた観が実に濃厚だ。
取りまとめたというよりは、寄せ集めたという印象だ。思いつく言葉を、手当たり次第、放り込んだ。そんな文章運びになってる。いや、文章運びにはなっていない。文章散らばしだ。そして、多くの文章が長すぎる。一つの文章でたくさんのことを言おうとしすぎている。……文章が長くなりすぎると、必ず文法が破綻する。文頭と文末の関係が不整合になる。それだけならまだいい。長すぎる文章は、途中で話題が変わってしまうことがある。こうなると、目もあてられない。
長すぎる文章は、声に出して読み上げると、途中で息が切れて苦しくなる。息継ぎが必要な文章は、長すぎると断定していい。文章が長すぎると、読み終えた頃には、冒頭がどうなっていたかを忘れている。読み直しが必要となる。だが、いくら読み直しても、最後にたどり着いた時には最初を忘れている。無限ループの地獄に陥る。「新しい資本主義実現会議」の緊急提言に、以上の全てが面白いようにあてはまる。この「緊急提言」は、「良き論文の書き方」の反面教師として教材に使える。
この岸田政権の文章は「良き論文の書き方」の反面教師としての教材なのだ。端的に言えば、「悪しき論文の典型」にほかならない。こう紹介されると、読者は「そんなつまらないものは見たくもない」派と、「そんなヘンなものならぜひ目を通しておかなくては」派に分かれるだろう。私は後者なので、官邸の下記URLを開いてみた。「?.新しい資本主義の起動に向けた考え方」の部分だけなら、1500字ほどの文章。
https://www.cas.go.jp/jp/seisaku/atarashii_sihonsyugi/kaigi/dai2/shiryou2.pdf
なるほど、浜さんがこうまで悪文と言ったわけを納得する。浜さんに、こう言ってもらわないと、論旨を把握できない自分の読解力に問題があるのかと焦ることになってしまったかもしれない。
それとともに、別の感想ももった。このわかりにくい文章は、実は、「新しい資本主義」を論じたものではなく、徹底したアベノミクス批判なのではないのだろうか。その暗喩だからこそ、ことさらに分かりにくくなっているのではないだろうか。岸田は、本当のところは下記のように言いたかったに違いない…と思うのだが。
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新自由主義を脱却した「新しい資本主義」の起動に向けて
政府は、資本の横暴を野放しにして成長一辺倒をコンセプトとした新自由主義経済を克服するため、内閣に「新しい資本主義」実現本部を設置した。
現在、世界各国において、地球環境の持続可能性や「人の尊厳」を重視し、資本の利潤追求を抑制する「新しい資本主義」の構築を目指す動きが進んでおり、我が国がこの動きを先導することを目指す。
具体的には、1980年代以降、世界を席巻した新自由主義の傾向が強まり、大資本の活動の自由が過度に強調され、市場原理主義や規制緩和政策跋扈の結果、一方に富の集中が加速し、他方に労働者や中間層の所得は伸び悩み、今や耐えがたい格差と環境破壊が、資本主義の行き詰まりを露呈している。
小泉政権時代から始まり安倍政権に至る、新自由主義的経済政策は悉く失敗に帰した。とりわけ、アベノミクスが今日の顕著な、日本経済の停滞、格差の拡大、下請け企業へのしわ寄せ、自然環境破壊、正規非正規の差別、男女賃金格差等々の矛盾を拡大してきたことを率直に認めるところからしか、日本経済再生の途はない。
全てを市場原理に任せて、大資本・グローバル資本の横暴を恣にしたこれまでの経済政策の失敗を深刻に反省して、今こそ、民主主義の政治をもって、所得と資産の再分配を実行しなければならない。
江戸時代の商人でさえ「三方良し」を理念とし、企業活動は「消費者に良し」「社会に良し」というかたちで企業の利潤獲得以上の理念や価値の存在を認めていた。
今まさしく、《社会・自然環境・人権・多様性・格差の是正等々の諸正義と並立する、新しい時代の経済》を創る必要がある。
また、何よりも合理的な再分配の実現が、最初の一歩である。企業の利益を従業員に賃金増額の形で分配してはじめて消費の拡大につながり、消費拡大によって需要が拡大すれば、企業収益が更に向上して、成長につながる。分配戦略こそが、成長を支える重要な基盤である。
さらに、経済は社会に生きる人々の幸福追求に奉仕するものでなくてはならない。経済成長や資本のための制度設計、あるいは人の幸福を阻害しない経済という消極的な位置づけから脱却し、積極的に人の自由と生き甲斐と豊かさに奉仕する経済を目指さなければならない。
そのための教育制度を改革し、多様性(ダイバーシティ)と包摂性(インクルージョン)を尊重し、女性や若者、非正規の方、地方を含めて、国民全員が参加・活躍できる社会を創り、一人一人が付加価値を生み出す環境を整備する必要がある。また、リカレント教育やセーフティーネットの整備を通じて、やり直しのできる社会、誰一人として取り残さない社会を実現する必要がある。また、人たるに値する生活水準の保証の上に、適正な評価にもとづく配分の積み重ねが必要である。
このような視点を含めて、我が国においても、まずは分配戦略を確実にして、これを基盤とする生産性向上を目指す。その果実を働く人々に賃金や応能主義税制を採用しての手厚い社会保障の形で再分配することで、広く国民の所得水準を向上させて、次の成長を実現する。そのような「分配と成長との好循環」の実現に向けて、政府、民間企業、労働者、労働組合、大学等、地域社会、国民・生活者がそれぞれの役割を果たしながら、あらゆる政策を総動員していく必要がある。
「新しい資本主義」実現会議では、こういった基本的な考え方を踏まえて、ビジョンとその具体化の方策を取りまとめ、世界に向けて率先して発信していく必要がある。策定にあたっては、車座対話を随時開催し、特に経済的な弱者・困窮者層やその代弁者からの関係者の方々の声を丁寧に聞きながら、検討を進めていく。
以上のとおりアベノミクスに対する徹底批判こそが、「新しい資本主義」の真意であり、岸田内閣が最優先で取り組むべき施策なのである。