(2022年6月30日)
安倍晋三という御仁、品性に欠けること甚だしい。保守の政治家に品位や倫理を求めるのが筋違いと言われればそのとおりではあろうが、この人の国会答弁におけるウソつきぶりは並外れたものだった。のみならず、「キョーサントー」だの、「ニッキョーソ」だのという、唐突に発せられる訳の分からぬ野次の印象が強烈である。
この御仁が長く我が国行政府のトップに君臨していたのだから、これは国恥というほかはない。私はナショナリストではないが、「国民はその民度(民主主義の成熟度と言ってもよい)にふさわしい政治しかもてない」という格言に照らして、アレが我々の民度(あるいは民主主義の成熟度)を映す鏡かと思うだに気恥ずかしさを拭えなかった。
この人、「国会で118回も嘘 安倍前首相は『虚偽答弁のホームラン王』」として名を上げたため、「国会でのウソの答弁は118回」だけだったと誤解されている向きもあるようだ。念のため、申しあげておきたいが、「国会での118回の嘘」は、衆参本会議と両予算委での「桜疑惑」に関するものだけ。しかも、衆院調査局が厳格に数えた固いところでの「明らかな虚偽答弁」の回数でしかない。安倍晋三のウソは、「モリ・カケ・サクラ・クロ・カワイ」「カジノにタマゴ」と際限がない。おそらく総計では、ウソ800回にもなることだろう。
ようやく首相の座からは降りてくれたものの、この人の品性欠如は宿痾と言わざるを得ない。改心は期待しえず生涯つきまとう運命なのだ。常に新たなウソをばら撒き、新たな疑惑を招き、新たな刑事告発を受け続ける身である。さらに世界のゴロツキとして名を上げたプーチンとは、兄たりがたく弟足りがたい間柄。
「ウラジーミル。君と僕は、同じ未来を見ている。行きましょう。ロシアの若人のために。そして、日本の未来を担う人々のために。ゴールまで、ウラジーミル、2人の力で、駆けて、駆け、駆け抜けようではありませんか」
ウラジーミルとは言わずもがなのプーチンのこと。読むだに恥ずかしいこのセリフをシラフで口にしたのは、ウラジーミルの親友シンゾーである。2019年、ウラジオストク「東方経済フォーラム」でのスピーチの一節。
こんな恥ずべき安倍晋三にも、今回参院選で応援を依頼する候補者もいるのだという。信じがたいのだが、それが自民党という集団の現実。
その安倍晋三の演説の特徴は、反共に徹しているという。たとえば、こんな風に。
「憲法改正に取り組んでいきたい。多くの憲法学者が自衛隊違憲と言っている。共産党も違憲だと言っている。でも共産党は、いざというときは自衛隊を活用するといっている。おかしいじゃないか」「共産党との共闘を否定しない立憲もおかしいじゃないか」
おかしいだろうか。私には、ちっともおかしいとは思えない。アベノミクスやアベノマスクの方が何層倍もおかしいじゃないか。伝わってくるのは、安倍晋三にとっては、何よりも日本共産党が邪魔でしょうがないということ。改憲も軍事増強も、アベノミクス推進も、数々の不祥事も、共産党さえいなければ、もっとうまくやれたのに。という無念さが滲み出ている。
今や安倍晋三を恐れる必要はない。しかし、心配しなければならないのは、反共主義・反共宣伝というものの恐さである。反共は、独裁の前触れ、広範な共闘の破壊者である。戦争の前夜には反共の空気が世に満ちる。
安倍晋三とは、改憲派であり、歴史修正主義者であり、国家主義者であり、好戦派であり、戦前回帰派であり、加えて新自由主義者でもある。平和も、人権も、税制改革も、ジェンダー平等も、国民一人ひとりの豊かさも、安倍晋三の唱える反共主義の克服なしには実現しない。
平和や自由や平等を求める人は、品性欠いて、ウソつきで、反共の安倍晋三が大嫌いに違いない。躊躇なく、こぞって日本共産党への投票で、安倍晋三が代表する危険な方向への時代の流れに、大きなブレーキを掛けていただきたい。
ぜひとも、比例代表の投票には、「日本共産党」とお書きください。
(2022年6月29日)
この人には人徳というものが備わっている。政敵との激論にあっても、ユーモアが漂っており、言うことに嫌みがない。他の人が言えばキツい表現や、高慢と思われかねない言葉も、この人が口にすれば、「フーン、そうなんだ」と思わせる。
日本共産党の比例代表・大門みきし候補は、街頭演説でこう言っているという。
「私は国会では経済論戦の第一人者と呼ばれています。国会に押し上げていただき22年、あの竹中平蔵さん(当時、経済財政担当相など歴任)を含めて、経済論戦では一度も負けたことがございません。再び国会に戻り、新自由主義の息の根を止めたい」
今はやりのファクトチェックをしておきたい。2020年10月23日毎日新聞記事「経済記者・一線リポート」がこう報道している。「竹中平蔵氏と分かり合った? 共産・大門実紀史氏とは」という見出し。「竹中平蔵とわたり合った」ではなく、「竹中平蔵氏と分かり合った?」というのがミソ。この議員ならではの「わかり合い」。
「国会きっての経済通として、霞が関や経済界に党派を超え、多くのファンを持つ国会議員がいる。共産党の大門実紀史(みきし)参院議員(64)だ。政府・日銀に鋭く切り込む質疑はSNSなどでもたびたび話題になっている。
2001年に繰り上げで初当選して以来、森喜朗政権から菅義偉政権まで九つの政権に論争を挑んできた。」
「《竹中平蔵氏と論争》 大門氏を一躍、有名にしたやり取りがある。
2001年11月、参院予算委員会。小泉純一郎首相(当時)の要請で民間から入閣し「構造改革」路線を推し進めていた竹中平蔵・経済財政担当相との質疑だ。
『あなたは経済学者ですよね。理論的に説明してください』
『先生は国会議員ですよね。国全体の経済がどうなるかトータルで示す必要があるでしょう』
構造改革に伴う雇用の不安定化などを追求する大門氏と、それに反論する竹中氏の論争は次第にヒートアップし、売り言葉に買い言葉のような答弁まで飛び出した。
『竹中さんと予算委員会で対面したのはこの日が初めて。新人議員がよくもこんなことを言ったなと思います』と、大門氏は当時を振り返る。
以来、竹中氏との国会質疑は50回を超えた。今でも小泉氏と竹中氏が主導した構造改革は『失敗だった』と評価は厳しいが、『竹中さんと巡り会わなければ、経済をこんなに勉強をすることもなかった』という。」
また、大門候補は麻生太郎をして、こう言わしめている。これも、この人ならではの「わかり合い」。
「簡単な話を難しくしゃべるなら上手な人が多いが、難しい話を簡単にしゃべるというのはなかなか頭がいる。改めて大門先生って頭がいい人なんだなと感心しながら聞いていました」(毎日)
その大門みきし候補の経済解説街頭演説である。耳をお貸しいただきたい。
「今の物価高の背景には、岸田政権が進める円安政策があります。始まりは安倍政権でした。日本銀行に世の中にある国の借金=国債を買わせ、かわりにお札を印刷させ、世にばらまく。そのお金が株式市場につぎ込まれ株価を引き上げました。大企業が持つ内部留保の多くが自分の会社や関連会社の株券。つまり、このアベノミクスの「異次元の金融緩和」は、大企業と株をたくさん持つ大金持ちをもうけさせる政策でした。
お金をいっぱい印刷し、世の中のドルに対して円の量が増え、1ドル=110円から今130円台と、円の価値がいま一気に下がっています。それが円安です。アメリカに1個1ドル=110円で物を売っていた輸出大企業は、何もせず差額の20円を手にし、空前の利益をあげています。
輸入物価は逆に20円を余分に払います。エネルギーや原油や小麦、食料が値上がり。輸入物価が上がれば世の中全体の物価が上がってしまいます。それが今私たちの暮らしを直撃しています。
そもそも日本銀行が国債をどんどん買い、国がどんどん借金できるようにする。タコが自分の足を食べているのと同じです。いずれ破綻が訪れます。自分の足を食うようなことを、安倍政権からずっとやっているわけです。ひと言、タコの名誉のために言っておきますが、タコが自分の足を食べるのは、網に引っかかってパニックになった時です。自公政権はわかって食べているからタチが悪い。
物価引き下げに一番有効なのは消費税の減税です。今、世界では90を超える国と地域で、国民の暮らしを守るために消費税の減税に踏み出しています。最低賃金の引き上げも重要です。新自由主義から『やさしく強い経済』へ、ご一緒に。」
(2022年6月28日)
昨年の夏亡くなった次弟(明・元毎日新聞西部本社記者)は人の悪口を言わぬ性格だったが、「東京都民はアホや」と吐き捨てたことがある。石原慎太郎が都知事に当選したときのこと。「あんな差別に凝り固まった男に都民がなぜ票を入れる」。私が叱られたようだった。
そして、もう一度。今度は「大阪府民は本当にアホや」と。このときはほとほと呆れた情けないという感じ。橋下徹が府知事に当選したときである。私も次弟も小学校の途中から高校卒業までは大阪府の住民だった。大阪で育ったと言ってよく、大阪に郷土愛らしきものを感じてもいる。その大阪の選挙民が、どうしてまたこんな訳の分からぬオポチュニストを持ち上げたのだろうか。
いまや、都政に石原慎太郎の影は薄い。しかし、大阪は事情が異なる。橋下は去ったが、府・市政も、大阪の政治地図も、後継の維新というウルトラ右翼勢力に支配されているごとくである。不祥事を頻発し、アベ・スガ政権に擦り寄り、教員や職員イジメを積み重ねながらも、いま府民の多数派を形成している。これに較べると、大阪自民党がまともに見えるのだから、何をか言わんやである。
いま維新をめぐる幾つかの論争テーマがあるが、カジノ誘致問題を避けて通れない。カジノとは博打である。その本質は、お互いに人の財産を奪い合うことである。暴力を手段として他人の財産を奪うことは強盗であり、欺罔を手段とするものは詐欺である。合意の上で、サイコロを振ってカネの遣り取りをすることは賭博罪に当たる。常習賭博は最高3年の懲役、賭場開張は5年の犯罪である。
大阪の成長戦略として、賭場を開帳してその儲けを柱にしようというのが、維新の経済政策である。これに真っ向から反対しているのが日本共産党である。
大阪地方区から出馬している共産党の候補者・たつみコータロー候補のホームページ「大阪にカジノはいらん ストップ!」にこうある。
https://www.jcp-osaka.jp/_
《人の不幸を踏み台に経済成長はあり得ない》
《首長の仕事は福祉の増進であって、博打の胴元ではない》
これは、分かり易く、しかも本質を衝いている。博打とは、人の不幸を我が利益とする人倫にもとる行為である。必ず、人の不幸を生み出す。その不幸を踏み台にする経済成長も政策も政治もあり得ない。
たつみ候補は「カジノを国に認定させないために、“カジノはあかん”とまっすぐ声を届ける私を勝ち抜かせてください」と連日訴えている。
本日の赤旗は、こう報じている。
「日本共産党の、たつみコータロー大阪選挙区候補は27日、大阪府豊中市の演説会で、森友事件を最初に告発した木村真・豊中市議(無所属)、大阪カジノに反対する市民の会代表の西澤信善・神戸大学名誉教授が応援演説しました。
森友事件の発端となった小学校の建設予定地があった豊中市。たつみ氏が「私は国会でやり残したことがあります」と言うと、会場から即座に「森友」という声が上がりました。「当時の安倍首相への疑惑。事件解明を求めた裁判は1億円の賠償で強制終了させられた。国会で私に真相解明させてください。維新が進めるカジノ誘致も止めよう」との訴えに大きな拍手がわきました。
木村氏は「私は無所属ですが、自分のニュース読者に、たつみさんをよろしくと電話かけをし、『共産党はあかんねん』という人にも食い下がってお願いしています。一人残らず、知人に声をかけきろう」と呼びかけました。
西澤氏は「カジノ業者が大阪府民から年数千億円を巻き上げることが『経済効果』だと言われている。カジノを止めるには共産党の支持を伸ばすこと。たつみさんを国会に送り戻すことだ」と話しました。」
泉下の弟に、「大阪府民は本当はアホじゃない。やっぱり賢いんだ」と言ってもらえる選挙結果を期待している。
(2022年6月27日)
まだ6月。なのにこの暑さは尋常ではない。堪えがたい猛暑が3日続いて、関東甲信に突然の梅雨明け宣言。クーラー使用の電力需要に乗じて、電力不足が喧伝されている。それって、本当かね。
電力の逼迫は、原発の再稼働に関連させて語られる。さらには、地球温暖化対策のCO?排出削減対策としても、原発再稼働を押し出すのが、自民・維新・国民の常套手段。これも、選挙の一つの争点。だが、問題はさらにその奥にある。どうして彼らは、原発再稼働や核サイクルにこだわるのか。
ところで、ロシアのウクライナ侵攻以来、「9条改憲」論議がかまびすしい。その賛否をめぐる議論において、「日本が攻め込まれたらどうする」「どうすれば、日本が攻め込まれないようにできるのか」という議論ばかりが目に付く。が、実は「日本が近隣諸国に攻め込んだらどうする」「どうすれば、日本が近隣諸国に攻め込まないようにできるのか」という議論こそ、しっかりとしておかなければならない。
「9条改憲」に関する自民や維新の議論では、「敵基地攻撃能力保有論」と「非核三原則見直し論」がもっぱらである。要するに「専守防衛」の立場に縛られたくはないのだ。9条の枠を取っ払えば、武力の行使も武力による威嚇もできることになる。望むべくは、「アメリカの核の傘から抜け出して、自前の核をもちたい」。そう考えているのではなかろうか。諸外国からそう見られて結構と、居直っているとしか思えない。
なぜ被爆国日本が核禁条約を批准しないのか。締約国会議にオブザーバー参加さえしないのか。アメリカに気を使っているのではなく、「持ち込ませず」だけでなく、「作らず、もたず」についても、自らの手を縛りたくないとしているからではないのか。
ここまで考えると、自民党の原発再稼働にこだわる理由も、核廃絶に背を向ける理由も平仄が合ってくるのではないか。日本は、既に潜在的な核兵器保有能力を備えている。日本は再処理して分離した大量のプルトニウム保有している。その量は、中国が軍事用に持っていると推定される量の10倍以上と言われている。核兵器の数に換算すると数千発分にも相当する。技術的にも「短期間で核武装できる」というのが常識的な見方。
自民・維新・国民の原発再稼働論は、飽くまで「電力の安定供給」の必要性を論拠とするもの。だが、原発再稼働は、プルトニュウムをため込むことになること、核兵器製造技術に結びつくことに留意しなければならない。ましてや、「敵基地攻撃能力保有論」や「非核三原則見直し論」を口にする危険な連中に、原発再稼働などさせてはならない。
この点、原発再稼働反対にも、非核三原則見直し反対にも、日本共産党には揺るぎがない。「外国頼み・原発頼みは危険――原発ゼロを決断し、再生エネに転換を」という選挙スローガンは筋金入りである。
本日の赤旗からの書記局長発言の引用である。
「東京電力福島第1原発の事故はいまだに収束していない。「安定供給のために再稼働」と言うけれど、福島の苦しみを一体どう考えているのか。日本のエネルギー自給率は1割程度で、先進国で最低レベル。これがウクライナ危機による原油高騰で、外国頼みが危険だということがはっきりした。
だからといって原発頼みは危険です。しかも原発は高コストです。私たちは100%国産で、地産地消の再生可能エネルギー、省エネルギーを組み合わせ、気候危機打開への責任を果たす。そうすれば、新たに254万人の雇用を生み出すことができるということも含めた提言をしています。(自公政権は)原発ゼロを決断しないから、再生エネルギーも本当に世界から遅れを取っているのです。
原発も石炭火力も止めて、気候危機を打開して、地球の未来を守る方向に抜本的に切り替えるべきです。」
原発の再稼働は危険とお考えの方、原発の再稼働は核開発につながると危ぶむ方、自然エネルギーに転換が急務だとお考えの有権者の皆様、7月10日の参院選にはぜひとも、日本共産党への投票をお願いいたします。
(2022年6月26日)
経済的な依存関係は、政治的な支配と被支配の従属関係を作る。商店はお得意様に、芸術家はパトロンに、メディアは広告主に頭が上がらない。そして政治家は、献金のスポンサーの言うことを聴かざるを得ない。金主に対する「聞く耳」「聞く力」は政治家の本能なのだ。
分かりやすい実例を、2021年12月6日付「赤旗」が報じている。「軍需企業 自民に献金2億円」「軍事費6兆円突破の陰で」「契約額上位 三菱重工など」という見出し。
「護衛艦や潜水艦などの軍需品を2020年度に防衛省に納入した軍需企業上位の各社が、同年、自民党の政治資金団体「国民政治協会」にあわせて2億円を超す献金をしていたことが本紙の調べでわかりました。政府が閣議決定した21年度補正予算案で、軍事費は過去最高の7738億円、当初予算の歳出額と合わせると初めて6兆円を突破しました。アメリカ言いなりに大軍拡をすすめる陰に、軍需企業の献金攻勢が浮かび上がりました」という記事。
政治資金収支報告書で明らかになった2億円超の献金元企業とは、三菱重工業・川崎重工業・富士通・三菱電機・日本電気・IHI・日立製作所・小松製作所等々の軍需産業。利潤追求を株主に対する使命とする株式会社が、何の見返りもなく政治献金をするはずはない。献金とは、見返りを求めての賄賂に限りなく近いもの。自民党と大企業・軍需産業とは、相身互い持ちつ持たれつの相い寄る魂なのだ。美しい魂ではない、カネで結ばれた増収賄に限りなく近似したうすぎたない魂と魂である。
かつて政党運営の財政は、全て支持勢力からの献金でまかなわれていた。当然のごとく、自民党は財界に、社会党や民社党は労組に政治資金の拠出を求めた。分かり易い構図だが、民主主義の観点から、その双方に問題があることは自明であった。
民主主義は、全ての主権者が平等の政治的権利を持つことを基本原則とする。選挙権は各自平等であり、言論による選挙運動も対等なルールで行われなければならない。社会における富の偏在が民意の正確な反映を撹乱してはならない。政治資金としても選挙資金としても、企業献金は本来全面禁止されてしかるべきものなのだ。
また、労働組合は政治思想で結集した集団ではない。組合員に対する政党支持の自由を保障しなければならない。労働組合が政治活動を行う余地はあるにせよ、特定政党への政治献金はなし得ない。献金先政党の支持者ではない組合員の政治的信条の自由(思想・良心の自由=憲法19条)を蹂躙するからだ。
リクルート事件やゼネコン汚職で政治の浄化が叫ばれたとき、企業献金規制の世論が高まり、併せて労働組合・団体などからの献金も制限されることになった。これに代わって、政党に対し国が助成を行う制度が新設された。1994年2月4日成立の政党助成法である。
毎年の政党交付金の総額は、総人口に250円を乗じた金額とされる。現在、その総額は300億円強である。これを各政党が、その規模に応じて山分けすることになる。もっとも、この政党助成金の制度はできたが、企業献金が禁じられたわけではない。だから、軍需産業から自民党に政治献金が流れることになる。
そのような事態の中で、ご存じのとおり、ひとり日本共産党だけが、この制度を違憲として政党助成金を一円も受領していない。その理由を、党自身がこう説明している。
「日本共産党が政党助成金を受け取らず、制度の廃止を強く主張しているのは、次の理由からです。
1、国民には政党を支持する自由も、支持しない自由もあります。政党助成金とは、国民の税金の「山分け」ですから、支持していない政党にも献金することを事実上強制する、「思想及び信条の自由」をふみにじる憲法違反の制度だからです。
2、政党の政治資金は、国民とのむすびつきを通じて、自主的につくるべきものです。税金からの分けどりは、この本来のあり方に根本的に反し、政党の堕落と国民無視の政治を助長する制度だからです。
一部に「うけとって有効に使えば?」との意見もありますが、憲法違反のお金を受けとること自体が、国民への背信行為になります。また、制度の廃止をめざす世論の結集にも逆行することになると、私たちは考えています」
私は、この日本共産党の、頑固なまでに筋を通そうという姿勢を好ましいものと思う。その筋とは、「思想信条の自由」の尊重でもあるが、むしろ、政党活動資金は自前で調達すべきものという政治活動の原則であろう。国や企業や組合を頼り、これをスポンサーにしたのでは、その意向を忖度せざるを得ない事態も考えなければならない。党費と支持者からの個人カンパと、あとは赤旗や出版物の販売による利益。これだけの原資で党を運営していれば、党自身と支持者の意見以外に、耳を傾ける対象はない。国からカネをもらって、国にきちんとものが言えるか、という心意気である。
「有権者一人一人が個人献金によって政治活動を支えるという、あたりまえの姿を実現してこそ、政治が本当に国民のものになるのではないでしょうか」という、日本共産党の姿勢に賛同して、一票を投じたい。
(2022年6月25日)
今の世は資本主義隆盛の時代です。極端に富が偏在し、経済格差にあえぐ大多数の人々にとっては、まことに生きるに厳しい社会となっています。この経済社会では、人は人として尊重されません。資本が利潤を生むための手段である労働力の提供者としてのみ重宝な存在とされ、労働力再生産過程の局面でのみ保護の対象となるに過ぎません。
この冷徹な資本本位の経済原則を、人間尊重の理念で修正しなければ、この世は人が生きるに値しない暗黒の社会に堕してしまいます。人がその尊厳を保って暮らしていけるように資本の横暴を規制し修正する手段が民主主義の政治です。そのために、法の支配や立憲主義という大きな理念があり、種々の政党が政治活動を行っています。
その諸政党を比較してみる視点は、富の偏在・経済格差・貧困という資本主義社会の根本的な矛盾に、誰の立場から、どのように、どの程度にまで切り込む政策をもっているのかということになります。言うまでもなく、この社会が経済的な意味での階級社会である以上、全ての人々の利害が一致することはあり得ません。基本的には、経済的な強者と弱者の対立の構造で今の世の政治は動いています。いったいどちらの側に立ってものを言うのか、が厳しく問われています。
自民党とは、《一握りの、大資本・大金持ち》からの政治献金を受領して、その利益を代表する立場を基本とする政党です。大資本の走狗と言って差し支えありません。これに徹底して対峙し、経済的弱者の側に立つことを鮮明にしているのが、日本共産党にほかなりません。その他の諸政党は、自民党と共産党の中間にあって、自民党よりの公明・維新・国民、共産党に近い社民・立憲・れいわと位置づけることができるでしょう。
産業革命をきっかけに資本主義が誕生して以来、その弱肉強食の冷酷さが多くの人に不幸をもたらしてきました。その経験から労働運動が勃興し革新政党も発展して、福祉国家政策が世界の常識になりました。所得や富の再分配を通じて経済的な弱者にも、人間たるに値する生活を保障し、資本主義の矛盾に対処しようという国のありかたです。
ところが近年、資本の側の巻き返しが目立つのです。「政治や行政による資本への規制を緩和せよ撤廃せよ」「資本に、もっと利潤獲得の自由を与えよ」「資本の負担を減らせ」「資本に対する課税を減らせ。弱者に課税せよ」という、新自由主義の動きです。
自民党は、この資本の要請にほぼ忠実に応えてきました。小泉規制改革で手を付け、アベノミクスが本格的にこれを実行して、今その破綻に至ろうとしています。押し寄せて来た物価の高騰がその破綻の一つの表れです。
今回の参院選。物価高騰から国民生活をどう守るかが、最大争点の一つとして注目されつつあります。そして、その対策としての消費税減税が実行されるか否かが切実な具体的政策課題となっています。
物価高騰は、けっして偶発的なウクライナ危機によるだけのものでなく、その基本的要因は、「アベノミクスによる異次元の金融緩和」にあります。これが異常円安を招き、輸入品の物価を押し上げています。しかも今、この金融緩和政策の破綻が明らかなっているのに、公定歩合引き上げなどの金融緩和政策見直しもできない窮地に陥っています。
また、自民党は労働法制の規制緩和で正社員を非正規に置き換えて、働く人を『使い捨て』にしてきました。これが日本の経済の競争力の低下の要因でもあり、多くの人の生活を苦しめてきたことも明らかです。
財源をどうするか。大企業と大金持ちに応分の負担をしてもらえばよいだけのことです。大企業にはアベノミクスでため込んだ巨額の内部留保があります。これに課税することで、財源を確保するだけでなく、賃金を上げさせることにもなります。
いま、賃金が上がらず、年金は下がり続け、重い教育費が家計を圧迫し続けているなかでの物価の高騰です。雇用が不安・賃金が上がらない・老後が不安・教育費の負担が不安という方は、ぜひとも共産党に投票していただきたいのです。基本は、どの政党が経済的弱者の味方なのかという視点です。
政治の責任で賃金を上げ、社会保障と教育予算の充実をはからねばなりません。そして、まずは「消費税の引き下げ」です。消費税こそは、弱者に苛酷で金持ちに負担の軽い、「逆進性」の高い悪税と言わねばなりません。
共産党はこう言っています。
「消費税導入から33年、一貫して消費税反対を貫いてきた日本共産党への一票で、消費税減税を実行させよう」
(2022年6月24日)
ロシアのウクライナ軍事侵攻開始以来、今日でちょうど4か月。2月24日のあの衝撃を思い出す。国境を越えたロシア軍の侵攻に驚いたただけでなく、プーチンの核威嚇に驚いた。軍事侵攻開始演説で彼は、「ロシアは世界で最も強力な核保有国の一つ」とわざわざ言ってのけたのだ。おそらくは、NATO加盟国に対する威嚇であり恫喝である。凶暴、これに過ぐるものはない。
さらに、プーチンは、NATOに対抗するとして、ロシア軍の「核抑止力部隊」の「特別態勢移行」を国防相らに命じている。明らかな、核による脅しである。暴力団まがい脅迫。法が支配する文明社会では、明らかな犯罪行為。国連憲章違反でもある。
このプーチンによる核威嚇には生理的な嫌悪感を禁じえない。世界中で、プーチン・ロシアを徹底して批判しなければならない。言葉の真の意味でのゴロツキの行為として。
核に対する嫌悪と拒絶の感情は、戦後の日本国民が共有したものでものである。ところが今、一部にもせよ、国内に「核には核を」「非核三原則の見直しを」「核共有の検討を」などという議論が起こっていることが信じがたい。私にはとうてい受け入れがたい。
私は、戦後民主主義の空気を胸いっぱいに吸って育った。私の周りに、とりたてて進歩的な人がいたわけではない。革命の理想など聞かされた経験はない。それでも私は時代の空気を吸い、時代によって育てられた。
全ての人が例外なく平等であることは当然で疑問をもったことはない。そして、戦争は愚かなことで平和が尊いものであることも、すんなりと受け入れた。愚かで悲惨な戦争の象徴が原爆だった。
私は、小学校1年生時は広島で過ごした。爆心地近くの幟町小学校に入学し、その後牛田小学校、三篠小学校と転校した。当時、原爆ドームは整備されておらず、瓦礫が散乱していた。立ち入りの制限もなく、そこを遊び場にしていた記憶がある。
どの学校の先生だったか、担任の女性教師の顔にはケロイドがあった。広島がピカでやられたこと、ピカを許してはならないことが深く心に刻み込まれた。そして、小学校4年生の3月、当時清水に暮らしていて焼津港の第五福竜丸の被害を身近に知った。放射能の雨に恐怖をおぼえた。
以来、何よりも核兵器の廃絶こそが人類が生き延びるための喫緊の最重要課題であると考えるようになった。幣原喜重郎の制憲国会での答弁の言い回しを借りれば、「人類が核兵器を廃絶しなければ、核兵器によって人類は滅亡に至る」のだ。
この点、日本共産党は「人類の死活にかかわる核戦争の防止と核兵器の廃絶」を綱領にかかげ、その実現のために力を尽くしてきている。そして、現状の認識としては、「ロシアのプーチン大統領が核兵器使用の威嚇をくりかえしていることに世界が懸念を強めています。今日の核兵器使用の現実的危険を絶対に許さず、『核兵器のない世界』へと前進することが急務です」と述べている。国政選挙に際してはこの政党を投票先とせざるを得ない。
折も折、ウィーンで開かれた核兵器禁止条約の第1回締約国会議は最終日の23日、核廃絶への決意を示す政治宣言と、批准国の方針を記した50項目に及ぶ「ウィーン行動計画」を採択して閉幕した。
政治宣言は「核兵器の完全な廃絶を実現するという決意」を再確認のうえ、核禁条約を「その基礎となる一歩」と表現した。核兵器の人道的影響について「壊滅的で対処することができない」とし、核兵器を「生命に対する権利の尊重とは相いれない」と断じた。また、宣言では核保有国の「核の傘」の下にある国も「真剣な対応を取っていない」と批判。一方で、核保有国との対話もめざす内容になった。
さらに、核抑止論について「地球規模の破滅的な結果をもたらすリスクを前提としたもの」として、「誤り」と明確に断じた。核保有国や「核の傘」にある同盟国について「真剣な対応を取っていないどころか、核兵器をより重視する過ちにある」と批判している。
条約非締結国で、オブザーバー参加のドイツの発言が注目を集めた。「NATO加盟国としての立場と一致しない条約には参加できない。しかし、ロシアによる核威嚇に関し、核使用を禁止する規範の強化が必要だ。条約の賛否を越えて、肩を並べて協力することが出来る。核廃絶に向けて、心を開き、誠実に対話することが必要不可欠だ。そのためにドイツはここにいる」というもの。
どうして、被爆国である日本が、ドイツと同じように、「核廃絶に向けて、心を開き、誠実に対話することが必要不可欠だ。そのために日本はここにいる」と言えないのだろうか。
政府の核政策の矛盾を果敢に追求する、今後の国会論戦に期待したい。そのためには、日本共産党の国会内での勢力が小さいままでは、迫力に欠ける。核戦争防止と核廃絶を願う有権者の皆様には、核廃絶の方針に揺るぎのない日本共産党の候補者への投票をお願いしたい。
7月10日投開票の参院選。比例代表では「日本共産党」という政党名を。あるいは「にひそうへい」「田村智子」などの候補者名を記載して投票してください。
(2022年6月23日)
本日は「沖縄慰霊の日」。77年前の6月23日、沖縄32軍司令官牛島満(中将)が自決して、沖縄戦における日本軍の組織的な戦闘が終わったとされる日です。しかし、この日に戦争が終わったわけでも、軍が降伏したわけでもありません。残された兵と住民の悲劇は、むしろこの日以後に本格化することになります。
以下は、牛島の最後の命令書の一節です。
「自今諸子は、各々陣地に拠り、上級者の指揮に従い、祖国のため最後まで敢闘せよ。さらば、この命令が最後なり。諸子よ、生きて虜囚の辱めを受くることなく、悠久の大義に生くべし」
なんという無責任。いや、無責任どころではありません。「生きて虜囚の辱めを受くることなく、悠久の大義に生くべし」という、戦陣訓を引用した命令が多くの兵と住民の命を奪うことになったのです。
1945年4月1日に始まった沖縄本島の地上戦。住民を戦火に巻き込んだこの国内地上戦は、日本の近代が経験したことのないものでした。侵略戦争をもっぱらにしてきた日本にとって、「戦地」とは常に「外地」でした。戦争終結間際になって、初めて国内に上陸した敵軍隊との初めての本格的な地上戦は凄惨を極めたものになりました。この戦争で、沖縄県民の4分の1の人命が奪われています。
ロシアのウクライナ侵攻が、沖縄地上戦を彷彿とさせる中で迎えた「沖縄慰霊の日」。糸満市摩文仁の平和祈念公園では、沖縄県主催の「沖縄全戦没者追悼式」が開かれました。あらためて平和を願い、戦争を繰り返してはならないとお考えの、沖縄県民の皆様、そして日本国民の皆様に、7月10日投開票の参院選では、日本共産党へのご支援を訴えます。
在沖2紙が、今朝の朝刊に力のこもった社説を掲載しています。
「沖縄タイムス」は、社説「[慰霊の日に]『ノーモア戦争』の声を」。そして、琉球新報が<社説>「慰霊の日 『前夜』を拒絶する日に」というタイトルです。
琉球新報の社説の一節を引用します。
「沖縄戦の教訓は『命どぅ宝』という非戦の思想であり、人間の安全保障の実現である。慰霊の日のきょう、かつての戦争「前夜」の状況を繰り返さないことを誓いたい。
1944年の初頭まで沖縄には本格的な軍事施設はなかった。ワシントン軍縮条約によって、沖縄本島および離島沿岸部の要塞基地計画が廃止されたからだ。多国間による外交努力によって軍縮を実現させ、沖縄が戦場になる危険性が回避されたわけだ。
(ところが、)日本はこの条約を破棄して沖縄と台湾方面の軍備強化に乗り出す。44年3月、沖縄に第32軍を創設した。沖縄戦を目前にした同年12月、長勇参謀長は県に対し、軍は作戦に従い戦をするが、島民は邪魔なので、全部山岳地方(北部)に退去させ自活するように伝えた。
軍の方針について泉守紀知事(当時は官選知事)が県幹部にこう漏らした。『中央政府では、日本の本土に比べたら沖縄など小の虫である。大の虫のために小の虫は殺すのが原則だ。だから今、どうすればいいのか。私の悩みはここにある』
45年1月に大本営は『帝国陸海軍作戦計画大綱』を策定した。南西諸島を本土防衛のための『前縁』として、『本土決戦』の準備が整うまで敵を引きつける『捨て石』と位置付けた。
安倍晋三元首相は昨年、『台湾有事は日本有事』と述べた。ロシアのウクライナ侵攻後は核共有議論を提起した。岸田文雄首相も台湾を念頭に『ウクライナは明日の東アジアかもしれない』と発言し、防衛費大幅増を目指す。
なぜ日本は歴史から学ばないのか。私たちは、再び国家にとって『小の虫』とされることを拒否する。」
琉球新報は、「沖縄戦の教訓は『命どぅ宝』という非戦の思想だ」と言っています。この『命どぅ宝』(一人ひとりの命こそが、かけがえのない宝もの)は、「憲法9条」の理念と言ってよいと思います。
沖縄選挙区で、この思いを託せる候補者が、イハ洋一さんです。イハさんは、こう公約しています。
「『屋良建議書』から玉城デニー知事の『新建議書』に込められた『平和で豊かな沖縄の実現』という県民の想いを国に届けます。政府の立場を沖縄に押し付けるのではなく、沖縄の声を国会へ届けます。県民の尊厳を守り、沖縄らしい社会の実現をめざします」
参院選の投票は2度行います。各都道府県単位の地方区と、全都道府県を選挙区とする比例代表と。地方区には、それぞれの共産党の候補者(あるいは共産党が推薦する共闘候補)がいるはずです。沖縄では、「イハ洋一」さんになります。
また、比例代表の投票には、「日本共産党」と政党名を書いていただくか、あるいは「にひそうへい(仁比聡平)」などの候補者名をお書きください。よろしくお願いいたします。
(2022年6月22日)
本日、参議院議員選挙の公示となりました。18日間の選挙運動期間を経て、7月10日・日曜日の投開票となります。いつにもまして大切な選挙です。友人知人の皆様に、日本共産党へのご支援を心からお願い申しあげます。
今度の参院選がいつにもまして大切な選挙という理由は、何よりも憲法「改正」がかかった選挙になっているからです。自民党は、選挙のあとに改憲の発議をすると公言しています。日本国憲法が、自民党やその同類諸政党(公明・維新・国民・N党…)によって蹂躙されることを、見過ごすことはできません。
かつての日本は、富国強兵をスローガンに侵略と戦争を繰り返し、厖大な不幸を積み重ねて1945年にいったんは亡びました。生まれ変わっ新しい国は、旧大日本帝国憲法を捨てて、現行の日本国憲法を採用しました。その眼目の一つが、平和主義であり憲法9条です。私たちの国は、「けっして再びの戦争はしない」「戦争しないのだから軍隊も持たない」、内外に向けたその宣誓によって、日本は国際社会に復帰しました。
しかし、富国強兵のホンネはこの国の保守陣営には深く根を張って生き残りました。1955年に結成された自民党は、憲法「改正」を党是として出発しています。その改憲のターゲットは何よりも憲法9条。邪魔で目障りな9条を取っ払って一人前の軍隊をもちたい、その軍隊の力で国威を発揚したいというのが、これまで成し遂げることのできない保守陣営の悲願なのです。
民主主義と平和を国是とする今ある日本は、悲惨な戦争の体験を経て生まれました。私は、アジア太平洋戦争末期の1943年の生まれです。私の父は、2度徴兵され、弘前・満州・横須賀・そして弘前と、終戦までに7年間を兵営で過ごしています。銃後の母は、終戦の年の夏には、ハシカにかかっていた2歳に満たない私を負ぶって、空襲警報の鳴るたびに防空壕で心細い思いをしたことを繰り返し話しました。母の妹の夫は、フィリピン沖で輸送船とともに沈んでいます。私は、「絶対に二度と戦争をしてはいけない」と聞かされて育ちました。
これが当時の日本人の共通の思いでした。この思いが形になって日本国憲法が制定され、9条ができたのです。もちろん、憲法制定当時、9条の条文のとおり、日本には「陸海空軍その他の戦力」は存在しませんでした。ところが、アメリカ占領軍の政策の変更をきっかけに9条の解釈はゆがめられ、警察予備隊ができて保安隊となり、1954年には自衛隊ができました。
では憲法9条は無意味になったのかと言えば、けっしてそうではありません。政府も自衛隊を保持する根拠の説明に、9条を無視することはできないのです。
政府は、自衛隊保持の根拠を憲法に求めることはできません。「憲法には書いていないけれども、日本が主権国家である以上は、固有の自衛権を否定することはできない」という説明が出発点です。「わが国の自衛権が否定されない以上、その行使を裏づける自衛のための必要最小限度の実力を保持することは、憲法上認められる」というのです。つまり、憲法では「陸海空軍その他の戦力」の保持は禁じられているが、「自衛のための必要最小限度の実力」の保持までは禁じられていない、それが自衛隊だとというのです。
このような考えに立ち、「憲法のもと、専守防衛をわが国の防衛の基本的な方針として、憲法に禁じられた戦力には当たらない実力組織としての自衛隊を保持し、その整備を推進し、運用を図ってきています」というのが、政府の基本方針。つまり、いま9条は「専守防衛」という縛りの根拠とされているのです。日本は「専守防衛」に徹するべきで、自分から先制的に侵略戦争を仕掛けるようなことがあってはならない。「専守防衛」に必要な最小限度の装備を超えてはならず、「攻撃的な武器は持たない」「軍事大国とはならない」。うっかり、その限度を超えると、違憲となってしまうのです。このことは、長く保守政権も含めての国民的な合意であったはずです。
ところが、安倍・菅・岸田と続く政権は、この原則を放擲しようとしています。予てから軍事大国化を狙っていた右派勢力が、ロシアのウクライナ侵攻に乗じて、今を好機と大きな声で「軍事費増やせ」「防衛費を5年以内にGDP比2%以上にせよ」「年間10兆円に」「いや12兆円に」と言い出す始末。
それだけではありません。「敵基地攻撃能力が必要だ」、「それでは足りない。敵の中枢を攻撃する能力がなければならない」「先制攻撃もためらっていてはならない」「非核三原則も見直せ」「核共有の議論を」と暴論が繰り返されています。そして、そのような軍事力の増強に邪魔となる「憲法9条を変えてしまえ」というのです。
これまで歴史が教えてきたことは、「安全保障のジレンマ」ではありませんか。仮想敵国に対抗しての我が国の軍備増強は、必ず仮想敵国を刺激し軍備増強の口実を与えます。結局は、両国に際限のない軍拡競争の負のスパイラルをもたらすだけではありませんか。このような愚行を断ち切ろうというのが、戦争を違法化してきた国際法の流れであり、その最終到達点としての日本国憲法9条であったことを再確認したいと思います。
今、平和を守り、その礎としての平和憲法を守り、専守防衛の根拠とされている9条を護ることが参院選の重要な争点の一つとなっています。では、どの政党が、どの候補者が、もっとも真剣に平和・9条擁護に取り組んでいるか。それが、日本共産党であることに、大方のご異存はないと思われます。
何よりも、この政党は、戦前から筋金入りの平和政党でした。文字どおり命をかけて侵略戦争に反対した歴史をもつ政党です。本日の党委員長の第一声は、次のように報道されています。私は、これに賛同します。
「9条いかし平和外交を 共産 志位和夫委員長
この参院選は戦争か平和か、日本の命運がかかった選挙だ。ロシアの蛮行に乗じて岸田政権は敵基地攻撃や軍事費2倍、憲法9条改正の大合唱をしている。日本が軍拡すれば、相手も軍拡を加速する。軍事対軍事の悪循環に陥ることが一番危険だ。自民党はGDP(国内総生産)比2%以上を公約にしながら財源を一言も書いていない。消費税なら2%以上の負担になる。消費増税の白紙委任を自民党に渡すわけにはいかない。
日本が進むべきは敵基地攻撃ではなく、9条をいかした平和外交だ。核兵器禁止条約への参加を求める。唯一の戦争被爆国である日本の不在が大きな批判になっている。橋渡し役と言いながらなぜ参加しないのか。核抑止の呪縛を断ち切るべきだ。(東京都新宿区で)毎日」
もしかしたら、この選挙後の3年間、国政選挙はないかも知れません。この参院選に勝てば、政権にとって選挙による制約のない「黄金の3年間」が始まる、という声が聞こえて来ます。政権がなんでもできるという「黄金の3年間」にしてはなりません。そのためには、改憲反対の立場でブレのない日本共産党を大きく伸ばすことで、憲法の改悪を阻止しなければならない。そう考えて、私は、お知り合いの皆様に日本共産党へのご支援を訴えます。
自由も人権も平等も民主主義も福祉も、憲法に書きこんだだけでは実現しません。その理念を実現するには、国民の知恵と努力の結集が必要となります。平和も同様です。まずは、国会で日本共産党を中心とする平和勢力の議席を確保し、その上で平和構築の行動をともにしたいものと思います。
参院選の投票用紙は2枚配布されます。各都道府県単位の地方区と、全都道府県を選挙区とする比例代表と。地方区には、それぞれの共産党の候補者(あるいは共産党が推薦する共闘候補)がいるはずです。東京なら「山添拓」、大阪なら「辰巳孝太郎」を。
比例代表の投票には、「日本共産党」と政党名を書いていただくか、あるいは「にひそうへい(仁比聡平)」、「田村智子」などの候補者名をお書きください。よろしくお願いいたします。
(2022年6月21日)
昨夜、ネットを検索して、たまたま岡口基一判事のブログに遭遇し、本日のタイトルの書き込みに衝撃を受けた。
「岡口基一の『ボ2ネタ』」という連続ブログ。「2003年から続いている老舗「司法情報」ブログです。過去の司法記事の検索やリンクバーでの最新情報のチェックが便利です」との惹句がある。
その全文が下記のとおり。これを見て、私は岡口基一判事に対するこれまでの見方を変えた。
2022-06-20 最高裁に告ぐ!!(怒)
東京高裁時代は白井部長が、
仙台高裁に来てからは上田部長が、
それこそ、夏休みも土日もなく、毎晩遅くまで残って、原発訴訟の起案をされ、
それこそ魂のこもった判決を仕上げられました。
どちらも、国の責任を認めるものでした。
それを、あんな、いい加減な理由で、いとも簡単に破棄し、差し戻すこともなく、自判してしまう。
こんなんじゃ、現場は、やってられませんよ。
裁判所の信頼を失墜させているのは、あなたたちでしょ。最高裁に告ぐ!
蛇足かも知れないが、少し解説しておきたい。岡口判事の現在の任地は仙台高裁、前任地が東京高裁である。「白井部長」とは、白井幸夫裁判官(36期)のこと。2021年2月19日、東京高裁第22民事部の裁判長として、国の責任を否定した千葉地裁判決を逆転し、東電への規制権限を行使しなかった国にも賠償責任があるとして、国と東電に計約2億7800万円を支払うよう命じる判決を言い渡している。
また、「上田部長」とは、上田哲裁判官(40期)。2020年9月30日、仙台高裁第3民事部の裁判長として、「生業訴訟」に、国と東電の責任を認める判決を言い渡している。
そして、「あんな、いい加減な理由で、いとも簡単に破棄し、差し戻すこともなく、自判」とは、先週金曜日(6月17日)の、国の責任を否定した最高裁第三小法廷判決を指していることは言うまでもない。
これまで私は、岡口判事を、司法行政にまつろわぬ姿勢の裁判官として、貴重な存在と見ていた。このブログは、はるかにその域を超えている。この苦境の中で、最高裁に対する批判の発言を躊躇しないその信念には脱帽するしかない。
民主主義社会では、誰もが批判の対象とならざるをえない。もちろん、最高裁も批判されねばならない。いや、最高裁にこそ的確な言論による批判が必要である。三権の一つの頂点にありながら、ややもすれば独善に陥りがちな最高裁である。まことに批判が不十分なのだ。本来憲法や人権を擁護すべき最高裁である。権力や資本や社会的強者の走狗となってはならない。その最も的確で有効な批判をなし得るのは、現場の裁判官ではないか。岡口判事は、その貴重な役割を意識的に果たしている。
おそらくは、「こんなんじゃ、現場は、やってられませんよ」という岡口コメントに、多くの現場裁判官が内心は同じ思いをしていることであろう。だが、これに賛同の声を期待することは現実には困難である。そのような発言はすべきではないという倫理をもつ裁判官も少なくなかろう。しかし、最高裁への批判の声が上がらないのは、消極的な同意とみなされることになる。声を上げずしては、最高裁の姿勢は変わらない。岡口判事は、現場裁判官のホンネを代弁する貴重な役割をも果たしている。
言論による権力批判は、民主主義社会の土台をなすものとしてその自由が保障されなければならない。最高裁には、この上なく不愉快な内部からの批判のコメントであろうが、だからこそ貴重なコメントと認識しなければならない。
けっして岡口判事を罷免してはならない。日本が民主主義を標榜する社会である限り。