澤藤統一郎の憲法日記

改憲阻止の立場で10年間毎日書き続け、その後は時折に掲載しています。

自民党総裁岸田文雄、党大会でかく語りき。

(2023年2月28日)
 自由民主党総裁、岸田文雄です。本日、2月26日という特別に意義の深い日を選んでの第90回党大会であります。まずは、我が党が依拠する国民の代表として経団連十倉会長のご臨席を賜っていることをご報告し、しっかりと丁寧に、御挨拶を申し上げます。

 昨年7月、安倍晋三元総裁が、選挙期間中に銃撃され、お亡くなりになるという未曽有の事件が起こりました。安倍元総裁の下「日本を取り戻す」なんて大袈裟なことを言いつつ、当時の民主党から政権の座を奪還したのは今から10年前のことです。

 この「日本を取り戻す」という訳の分からぬスローガンによれば、当時日本は誰かに奪われていたのです。奪われていた「日本」とは、安倍晋三元総裁が本来あるべきと考えた富国強兵の日本であり、軍事大国の日本であり、中国や朝鮮を侮蔑する傲慢な一等国日本であったかと思われます。少なくも、戦後民主主義に汚染される以前の、美しい帝国日本であったことには間違いありません。

 だからこそ、この10年、安倍元総裁の強力なリーダーシップの下、私たちは多くの仲間とともに「平和」や「民主主義」や「人権」と闘い、憲法改正のために死力を尽くしてまいりました。もちろん、闘う相手は「国民」です。頑迷に憲法改正に反対する勢力との闘いの道半ばで倒れた安倍元総裁のご遺志を継いで、私も憲法改正に邁進する覚悟であります。

 さて、遺憾ながら、アベノミクスの失敗は誰の目にも明らかで、この10年、日本の国力は大きく低下しました。「日本には未来がないのでは」とささやかれた時代は過ぎ、今や誰もが大っぴらに経済政策の失敗を語り合う事態を迎えています。しかし、こういうときにこそ、安倍元総裁の得意技を思い出していただきたいのです。そうです、「ご飯論法」と「嘘とゴマカシ」、「あるものもない」という安倍流政治手法です。どこかいいとこだけの統計数字を拾ってきて、あたかも全体がうまく行っているように印象操作をするあの悪徳商法まがいの得意技。虚心坦懐にこれを見習い、実行し、頑張って、統一地方選挙も、衆議院の補選も乗り切っていこうではありませんか。

 選挙での訴えの基本は二つだけ。一つは、なんでも悪いことは、あの悪夢の民主党時代の悪政の結果と決めつけることです。もう一つは、なんでも良いことは、我が党の努力による「前進の10年」の成果だと断言すること。照れたり、恥ずかしがって小さい声で言うのではなく、堂々と大声で、安倍晋三さんをお手本に、ウソでも平気で「アンダーコントロール」と自信ありげに言うことがコツなのです。

 とは言え、現実には日本が置かれている状況は厳しく、課題は満載です。コロナ後の日本経済再生、かつてないエネルギー危機、その中でのエネルギー安定供給と脱炭素の両立、変化する国際秩序の中での外交安全保障、最大の未来への投資であるこども・子育て政策。正直なところ、安倍さんの責任は重大ですが、そう言っていけません。

 われわれなら克服できる、いや、われわれにしかできない。皆さん、そう思いませんか? なぜなら、われわれ自由民主党には良き伝統があるからです。議論を尽くし、知恵を持ち寄り、そしていったん決めたなら、一致団結して成し遂げる。そう、「民主集中制」という組織運営の大原則です。この良き伝統の下、難題に一つ一つ答えを出し、着実に実行していこうではありませんか。

 真っ先に取り組まなければならないことは、アメリカの指示に従っての防衛力の抜本的強化。そして、そのための経済的な裏付けです。即ち、大軍拡・大増税。これを断固として実現しなければなりません。もちろん、財布の大きさには限りがありますから、当然のことながら、大軍拡・大増税は、福祉や教育、子育てへの予算に皺寄せを及ぼします。でも、正直にそう言ってしまっちゃあオシマイですから、「異次元の少子化対策」「教育費倍増」「子供予算倍増」などと、中身がなくてもいいのです。口先だけで吹聴してください。みんなで、口を揃えて、繰り返し言うことが大切です。そうすれば、確実に票がとれます。なに、選挙までの、短い期間のことです。これで乗り切りましょう。

 そして、物価高を乗り越え、経済成長を実現するため、新しい資本主義の柱である、「投資と改革」にも全力を挙げます。GX、DX、科学技術・イノベーション、スタートアップ等の分野に、官の投資を呼び水に、民の投資を集めてまいります。地域の未来を創る、地方創生の取り組みも加速化させていきます。何のことだかよく分からぬことを、早口で喋ることが大切です。私も中身はよく分からないのですが、この頃口だけは回るようになりました。

 そして、子供たちに「取り戻した日本」を着実に引き継ぐため、憲法改正に取り組んでまいります。自衛隊の明記、緊急事態対応、合区解消、教育の充実。いずれも先送りのできない課題ばかりです。時代は、憲法の早期改正を求めています。維新や国民は、改憲の同志的政党ですから、その力もお借りしながら、国会の場における議論を、一層積極的に行ってまいります。

 また、伝統右翼の皆様が大切だと思っていらっしゃる皇室問題も待ったなしです。このままでは、大切な皇位の絶滅を危惧しなければなりません。安定的な皇位継承を確保するための方策への対応は先送りの許されない課題であります。国会における検討を進めてまいります。

 本音を言えば、何ごとも行き詰まり、うまく行きそうもありません。戦後長く続いた保守政権の無策の結果がこの事態です。そう思っても、口に出してはなりません。「この歴史の転換点に臨み、今一度、10年前の政権奪還の原点、野党転落のどん底から毅然と立ち上がった原点に立ち戻りたいと思います」と言いましょう。こうして、選挙を乗り切れば、あとは気楽な「黄金の2年」が待っています。

 支持率の低迷の岸田政権ですが、なんとかなります。統一教会問題やら、選択的夫婦別姓の問題やら、LGBT問題やら、税制の不均衡やら、原発増設やら、都合の悪いことにはできるだけ口をつぐみましょう。これまでも、我が党に投票した国民ではありませんか。大切なことを忘れっぽく、同調性が高くて体制順応の国民性を信頼しましょう。こうやって、何とか選挙と危機を乗り越えましょう。ご支援、よろしくお願いいたします。

「安倍家」の凋落に世襲政治の愚を見る。

(2023年2月10日)
 本日の毎日新聞朝刊(1面・3面)に、「消えゆく安倍家」の大型記事。「山口4区に後継者不在」「保守王国山口、政争の果て」「安倍家窮状に岸家葛藤」「親子の決断、世襲批判も」のサブ見出しが付いている。

https://mainichi.jp/articles/20230210/ddp/001/010/001000c

 「22年7月の安倍氏の銃撃事件を受け、政界から「安倍家」の名前が消える。水面下では、同族の岸家から安倍氏後継を迎える案も模索されていた。運命に翻弄された一族の葛藤と決断を追う」というのがリードに当たる記事。「消えゆく安倍家」「安倍家窮状」「安倍系の退潮」と、安倍一族の凋落が語られている。

 先週日曜日の2月5日に下関市議選があった。改選前、市議会の自民系会派は、安倍晋三系の「創世下関」(9人)と、林芳正系の「みらい下関」(11人)に分かれていた。今回市議選で、安倍系「創世」の現職2人が立候補せず、さらに現職2人が落選した。また、安倍系の新人3人が出馬したが、当選したのは1人だけ。一方、林系「みらい」は現職全員が当選。さらに、林系の新顔4人のうち、2人が当選している。「林が太って安倍細る」の趣だが、さしたる意味のあることでもなかろう。

 そんな状況での、「安倍家」と「岸家」の事情が語られている。これに「林家」が絡んだ構図。ほとんど、ヤクザ組織の跡目問題である。時代錯誤の馬鹿馬鹿しい限りだが、保守王国の特殊性というよりは、これが日本の政治の現状なのだ。あらためて、我が国の民主主義の成熟度を考えさせられる読み物になっている。

 関係者の最大関心事は、安倍晋三死去に伴う今年4月の衆院山口4区(下関市、長門市)補選である。ここに、だれを擁立するか。安倍後援会では、安倍・岸一族からの立候補を切望した。が、結局適わなず、「安倍家」の名前が政界から消えることにもなった。政治銘柄「安倍ブランド」の消滅である。

 山口4区補選の安倍後継を巡っては、当初、妻・安倍昭恵が本命視されたが固辞。その後、晋三の母・洋子が「後継者は孫がいい」と語ったといううわさが広まり、安倍後援会は「3人の孫」のうち誰かの出馬を期待した。3人とは、安倍晋三の兄・寛信の長男▽安倍の弟岸信夫氏の長男・信千世▽信夫の次男――だという。

 3人の孫のうち、まず浮上したのは安倍姓を持つ寛信の長男だった。だが、本人に立候補の意思がなく、安倍後援会は擁立を断念した。後援会は次に岸信千世に打診したが、岸家は「2区の人たちへの仁義がある」などとして断った。岸家としては信夫の体調不良もあり、長男の信千世を4区補選に出す考えはなかった。信夫の次男も「(興味が)ない」とのこと。

 その後4区補選の候補者擁立作業は難航した。前田晋太郎・下関市長、江島潔参院議員、杉田水脈衆院議員の名前などが次々と浮上しては消えた。「やはり信千世さんを招きたい」として、安倍家の血を引く信千世への期待が高まったが、信千世は父の跡目を継いで2区の補選に出馬する。こうして、4区補選に、安倍・岸一族は出ないことになった。

 安倍晋三も、岸信介の血を引く3代目の世襲政治家である。その跡目をさらに、「安倍・岸」一族につなげようというアナクロニズム。

 岸信夫は、2月7日に議員辞職した。その補選に長男の信千世が出馬することが確実視されている。当然に、世襲批判に曝されることになる。

 しかし、岸信千世は、世襲について7日の出馬記者会見で問われ、こう答えたという。
 「こういう(世襲政治家の)家庭環境にあったからこそ、政治の課題、地域の課題について真剣に考える機会が昔からあった」

 どっぷりと世襲政治家の家風に浸った苦労知らずの人物の言う「政治の課題」「地域の課題」とは、いったい何だろうか。いかにして地盤・票田を固めるか、どうしたら先代から受け次いだ支持者の利益を擁護できるか、その利益擁護を票につなげるにはどうするか、この地盤をそのまま次に承継するにはどうすればよいのだろうか。真剣に考えていたというのは、そんなことのみに違いない。 

ご通行中の皆様、この選挙結果に表れた民意は本当に改憲を望んでいるのでしょうか。

(2022年7月12日)
 本郷通りの皆様、春日通りの皆様、そしてご通行中の皆様。こちらは「本郷・湯島9条の会」です。少しの間、9条と平和の訴えに、耳をお貸しください。

 参院選の開票結果が出ました。厳しいものと受けとめざるを得ません。
 この選挙を改憲勢力と護憲勢力の対決とみれば、明らかに改憲勢力の議席が増え、護憲勢力が減りました。改憲勢力とは、自民・公明・維新・国民の4党のこと。護憲勢力とは、立憲・共産・社民・れいわの4党。

 平和憲法を守り抜く立場からは安閑としていられない、危うい状況と言わねばなりません。既に、岸田文雄は、首相としてか総裁としてかは不明確ながら、「できるだけ早期に改憲発議」などとはしゃいで見せています。

 しかし皆さん、本当に、この選挙が憲法改正の是非を問い、民意が憲法改正を容認するものだったのでしょうか。その実感がありますか。とりわけ東京の有権者には、選挙結果が改憲に結びつくものとの認識は希薄なのではないでしょうか。

 東京選挙区の6人の当選者の内訳は、自民・自民・公明・立憲・共産・れいわです。一見、改憲派が3人、護憲派が3人と五分五分のように見えます。しかし、都民が改憲護憲で半々に割れたということには、強い違和感があります。

 候補者が正式に有権者に公約を表明した選挙公報を、あらためてよくお読みください。自民党の生稲候補、この人の公約のキーワードは「ガン」と「女性」。闘病の女性に寄り添うものです。この訴えが有権者の心情を捕らえたことは理解できますが、この人の公約には憲法も国防もまったく出て来ません。朝日という候補も同じです。この人、「だれもが輝ける社会の実現」のために「社会保障の充実」を訴えていますが、改憲の訴えも防衛予算増もない。「国境警備の機能強化」の一言だけはありますが、これを自衛隊を憲法に書き込めとの主張とはとうてい読めません。公明の竹谷候補も、真面目に働く人のための経済対策を訴えて、憲法改正も国防充実もまったく触れていません。

 日本維新という危険な右翼政党の海老沢候補は、6っつの重点政策を掲げ、その4番目に「防衛費増額と憲法改正」を掲げました。そのためであるかかどうかは定かではありませんが、この候補者は落選しました。

 いま、自・公・維・国を一括りに、改憲政党と言われますがけっして同じ色合いではない。そして、その全改憲政党が、選挙民に対して改憲色を押し出すことは極力避けてきたのが実際のところです。

 典型的なのが自民の二候補、芸能人であったりアスリートであったことの知名度と好感度で議席を獲得しましたが、けっして憲法改正という政策で有権者の支持を取り付けたわけではありません。公明党に至っては、改憲派と言われることを迷惑としている感さえあります。国民は、典型的な「よ党」と「や党」の真ん中の「ゆ党」という存在ですが、けっして積極的に改憲政党を自任している訳ではありません。

 各党の比例代表・選挙公報もよく読んでみました。自民党はまず岸田総裁が総論を語っています。「決断と実行。暮らしを守る」という大見出し。何を決断するやら実行するのやら。けっして「断固改憲」と言っているわけではありません。むしろ、「様々な声に耳を傾ける」として、けっして護憲派の声にも、防衛予算増額反対の立場にも理解があるような語り口。
 
 この自民党の比例代表選挙公約には、自民党から立候補する33名の候補者全員のコメントが掲載されていますが、この中で「憲法改正」に触れているのはわずかに3名だけ。右翼ないしは極右と言われる候補者です。ほかの30人は憲法改正にまったく触れていません。

 実は、自民党ですら、選挙民に改憲を呼びかけることには及び腰なのです。自信をもって改憲を訴える構えはありません。さらに、自民以外の改憲派である、公明・維新・国民の選挙公報には、憲法改正の4文字はありません。

 にもかかわらず、今になって「憲法改正の機は熟した」とか、「民意は改憲を望んでいる」とか、甚だしきは「民意は改憲を叱咤激励している」というのはアンフェアだし、フェイクも甚だしい。

 芸能活動やらスポーツやらの実績を連ねた候補者で票を取り、その票を重ねて議席を増やし、これが3分の2に達したから改憲発議だという。まるで、サクラ問題だけで国会で118回もウソを並べた元首相みたいな姿勢と言わなければなりません。

 東京選挙区で当選した、立憲・共産・れいわの3候補は、改憲発議に反対の立場です。とりわけ共産候補の弁護士は、公報でも「憲法こそ希望」と言っています。平和憲法こそ、平和の礎です。平和を望む立場からは、ぜひ改憲の阻止を。「憲法9条を護れ」という声をご一緒にあげてください。

 私たちは、国会の審議を見守るとともに、至るところで憲法を守れという世論を大きくしていく覚悟です。皆様のご協力をお願いいたします。これをもって、「本郷・湯島9条の会」からの訴えを終わります。

民意 なんぞかくも気まぐれなる かくも酷薄なる

(2022年7月11日)
 凡人に、一喜一憂するなと言うのは無理な話。今日は、「一憂」の日だ。朝から気が重い。

 肺ガンを患って手術を受けたとき、柄にもなく「歌のようなもの」を詠んだことがある。その30首ほどの中に次の一首。自分がガンになったことで、神を怨んだもの。

  神在りせば神を怨まん
  なんぞかくも気まぐれなる かくも酷薄なる

 今日は、この「歌のようなもの」の気分を苦く噛みしめている。ただし、この「神」を、「民」ないしは「民意」に置き換えて。

 民主主義とは一筋縄ではゆかぬものだ。選挙は民意を政治に反映する手続というが、その民意が気まぐれでまことにはかなく頼むに足りない。なんの見識も持ち合わせなさそうな体育系やら芸能系やら右翼系やら、あるいは愉快犯風やらに票が集まる。セクハラオヤジも当選した。これが、重要対決法案での数の力となるのだ。もしかしたら、改憲策動の手駒にもなる。一方、大門実紀史が落選した。有田芳生も落ちた。なんたることだ。

 憂鬱なのは、この選挙結果が改憲策動に結びつきかねないからだ。毎日新聞の夕刊トップに、「改憲4党 93議席」という大見出し。ますます気が重くなる。

 かつては国会に「3分の1の壁」が厳然と聳えていて、保守派にとっての夢である改憲発議を阻んでいた。今その壁が総崩れ目前だ。自・公・維・国が、この壁を穿ち、あわよくば改憲の実現をと虎視眈々の風である。

 とは言え、主戦場は国会の外にある。本当に、民意は改憲を望んでいるのだろうか。たよりげない民意だが、改憲勢力にとっても、けっして頼もしい味方ということではあるまい。しかも、自・公・維・国の改憲案が一致しているわけでもない。今回選挙で示された民意は必ずしも、改憲の民意と重なるものではない。

 いつまでも落ち込んではいられない。明日は、気を取り直そう。

反共宣伝に負けずに、日本共産党への「希望の一票」を。

(2022年7月9日)
 いよいよ、明日(7月10日)が参院選の投票日。比例代表には、「日本共産党」に投票をお願いしたい。また、東京選挙区では山添拓候補を、ぜひよろしく。

 弁護士の山添拓は、「憲法が希望」というキャッチを掲げる。そのとおり、「憲法こそ希望」である。このキャッチがよく似合う「山添拓が希望」だし、「日本共産党が希望」だ。ところが、これがなかなか選挙民の耳にはいらない。その原因の一つが、反共宣伝による反共アレルギーの蔓延である。

 以下は、19世紀中葉の『共産党宣言』冒頭の一節である。

 「一匹の妖怪がヨーロッパを徘徊している、共産主義という妖怪が。およそ古いヨーロッパのすべての権力が、この妖怪を祓い清めるという神聖な目的のために、同盟を結んでいる。権力の座にある対抗派から共産主義だと罵られなかった政府反対派がどこにいるだろうか。」

 21世紀の日本においても事情はまったく変わらない。権力の座にある対抗波を中心とする諸勢力が神聖同盟を結んで、日本共産党を妖怪とし、日本共産党を罵り貶めようと躍起になっている。神聖同盟に加わらないとする「良心派」の多くも、日本共産党との距離感については臆病とならざるを得ない。
 
 その結果、多くの人の利益を代表する立場の日本共産党の勢力が伸び悩んでいる。庶民の投票が、自殺行為に等しい与党への投票となったり、反共中間政党に掠めとられたりしている。これは日本の民主主義に潜む、重大な病根と言わねばならない。なぜ、日本共産党は「妖怪」とされているのか。

 100年ほど前に、天皇制政府は治安維持法を制定(1925年)した。その第1条1項は、「国体ヲ変革シ又は私有財産制度ヲ否認スルコトヲ目的トシテ結社ヲ組織又ハ情ヲ知リテ之ニ加入シタル者」に、10年以下の懲役または禁錮に処するというもの。周知のとおり、この法定刑は後に死刑を含むものとなる。

 天皇制権力が恐れたものは、「国体の変革」と「私有財産制度の否認」であった。これは分かり易い。いうまでもなく「国体の変革」とは天皇制の廃絶であり、「私有財産制度の否認」とは社会主義の実現を意味する。体制の根幹を揺るがすこの二つのテーマにおける体制の敵は、当時できたての日本共産党にほかならず、治安維持法は共産党を標的とするものであった。

 天皇制政府と大資本にとっては、日本共産党こそが恐るべき真の敵であった。それはそのとおりであったろう。ということは、民衆にとって共産党こそが真の味方であったはず。にもかかわらず、多くの民衆はそうは思わなかった。

 天皇制政府と大資本の手先となった少なからぬ人が、共産党を「不忠」「国賊」「非国民」「アカ」と敵視した。そして、それ以外の多くの人々が、共産党に近いと思われることを極端に恐れた。身内から「不忠」「国賊」「非国民」「アカ」と罵られる者を出してはならないと警戒した。

 対中戦争が始まって戦時統制色が強くなると、権力と社会の共産党攻撃はさらに強くなり、共産党は牢と地下での逼塞を余儀なくされた。公然たる共産党の活動が社会に注目されるのは敗戦後のことになる。

 しかし、戦後も権力と資本は、徹底して共産党を敵視し続けた。1949年夏、天下を震撼させた下山・三鷹・松川事件が起こるや、政府は直ちに全て共産党による犯行との宣伝を徹底し、国民の共産党に対する反感を煽った。

 戦後70余年を経て、今に至るも事情は基本的に変わらない。反共アレルギーとは、国民の深層心理の中に叩き込まれた、「不忠」「国賊」「非国民」「アカ」というイメージは、権力からの弾圧と共同体からの排除を意味する暗さに起因する。アカが恐いのではなく、アカと思われることが恐いのだ。我が子の平穏な将来を望む親が、「就職に不利になるから、共産党には近づかないようにしなさい」と言う、あの非理性的なしかし根深い心根なのだ。この反共宣伝と反共アレルギーは、為政者と企業にとって、共産党こそが天敵なればこそである。実は、日本共産党が、大多数国民の最も確かな味方であればこその権力と資本の攻撃の結果なのだ。

 その故に、いまだに一匹の妖怪が日本を徘徊している、日本共産党という妖怪が。およそ自公の与党から、維新・国民、有象無象の右翼諸政党とネトウヨ諸派がこの妖怪を祓い清めるという神聖な目的のために、同盟を結んでいる。この反共神聖同盟の核にある反共アレルギーを払拭することは、日本の民主主義のための重要な課題である。そのためにも、ぜひとも、日本共産党への一票をお願いしたい。

参院選最終盤に情勢好転を期待。

(2022年7月7日)
 参院選もいよいよ大詰め、最終盤である。メディアの当落予想での一喜一憂はもはや無意味。残る選挙運動日は本日が終わると残り2日のみ。

 所用あって午前8時ころ外出したら、本郷三丁目交差点に日本共産党サポーターの若者たちがズラリ。プラスターを並べ、肉声での懸命の政策宣伝。いや、頼もしい。このところ、日を追ってよい雰囲気が盛り上がっているように見える…のだが。

 用先の某駅で電車を降りたら、駅前で自民党の宣伝隊にぶつかった。「決断と実行」という幟が数本。そして、屈強な男たちが数名でビラを配っている。そのうちの一人が、ビラを渡そうと寄ってきて「お願いします」という。「自民党、消費税下げるって決断したのかね?」と声を上げると、「えー、自民党は消費税下げるって言ってないですよね」となんとも他人事のような頼りげない返事。「じゃ、年金の増額を実行してくれるのかね?」と聞くと、「それも言っていないですね」。「それじゃ、自民党に票を入れたところで、何の足しにもならないじゃないか」。この運動員氏の人柄はよさそう。なんとなく「それもそうですね」とうなずく風。

 もう一人の運動員に声をかけてみた。「自民党は、本気になって憲法9条変えようというの?」。意外な答えだった。「さあ、どうでしょうかね」。明らかに、「オレは知らん」「オレにとってはどうでもよいこと」というニュアンス。時間があれば、「あんた、いったい幾らの時給で働いているの」と話を続けたいところだったが、「よくもまあ、それでどうして自民党を応援できるんだ」という捨てゼリフをもって話はここまで。

 共産党は着実に加点しているという実感。一方、自民党は日を追って確実にオウンゴールと思しき発言が目立っている。この党のいい加減さは、末端運動員だけでない。政権中枢に位置する者も相当にひどい。

 まずは「野党の人から来る話は何一つ聞かない」という山際大志郎経済再生担当相発言。7月3日、青森県八戸市で自民党候補の応援をした際に、「野党の人から来る話はわれわれ政府は何一つ聞かない。生活を本当に良くしようと思うなら、自民党、与党の政治家を議員にしなくてはいけない」という発言。

 おや、岸田内閣の金看板が剥げ落ちた。聞く耳もつことがキャッチフレーズだったはず。「聞く耳」とは、弱い立場にある者の小さき声を聞く姿勢を印象づけた言葉である。強い者のあるいは多数者の大きな声は、誰の耳にもイヤでも聞こえる。その大きな声を聞く耳は誰もがもつものであり、大きな声を聞く耳は、自慢にならない。

 山際大志郎という閣僚は、選挙に勝った多数派の大きな声だけを聞く耳をもっており、それ以外の弱い人少数の人の声には聞く耳もたないことを、「野党の人から来る話はわれわれ政府は何一つ聞かない」と表現したのだ。岸田内閣の化けの皮を剥がして見せたこの閣僚の発言の意義は大きい。

 そして、麻生太郎の二つの発言。一つは、7月1日の三重県桑名市内での講演で「『政治に関心がないのはけしからん』とえらそうに言う人もいる。しかし政治に関心を持たなくても生きていけるというのは良い国だ」と発言したという。

 これ、麻生太郎の民主主義に対する無知をよく表している。為政者さえしっかりしていれば、民の生活は安泰というのだ。有能で慈悲深い為政者にお任せしていれば、民の生活は安寧なよい社会ができる、というわけ。聖帝堯の時代の理想の政治のあり方が「鼓腹撃壌」と表現された。臣民を慈しむ天皇の御代の政治も同じ発想である。民主主義の思想とは根底から異なるのだ。

 国民は、「政治に関心を持たなくても生きていける」かも知れない。しかし、それは「良い国」ではない。独裁へ歩みつつある国か、既に独裁国家となった国でしかない。

 麻生のもう一つの発言。7月4日千葉・行徳駅前で「子供の時にいじめられた子はどんな子だったのか。弱っちい子がいじめられる。強いやつはいじめられない。国も同じ。戦争が起きなくなる抑止力。自民党がやってきた確固たる自信があります」と胸を張ってみせたという。

 麻生のいう「弱っちい子」は、明らかに否定的に語られている。イジメを誘発した現場の常として語られる「いじめられた方にも問題がある」という論調。この世の虐げられた弱者を励ますのではなく、この世の歪んだ冷たい構造を変えようというのでもなく、弱き者の自己責任を論じることで、現状を追認する罪の深い語り口である。

 また、「弱っちい国」は、軍事力を増強して強くならない限りは侵略を受けることになるという煽動の理屈。この「失言」は、実は自民党の「ホンネ」なのだ。

 だんだんと化けの皮が剥がれてくる自民党。確かに情勢は動いている。あと2日でのさらなる変化を期待したい。

平和を求める沖縄県民の代表・伊波洋一候補に大きなご支援を。

(2022年7月6日)
 冷戦時代、北海道が仮想敵国ソ連と向き合う防衛の最前線とされ、自衛隊精強部隊の配備地とされた。今、仮想敵国中国と最前線で向き合うのは沖縄であり先島・西南諸島とされている。米軍基地はこの地に集中し、自衛隊基地も増強されつつある。その「防衛」政策の象徴としての辺野古新基地建設強行が注目されざるを得ない。

 政府にとっての沖縄が防衛上の要地である以上、住民の政治的な支持を固めておきたい場所なのだが、基地負担の押し付けは県民の反発を必然とする。それだけでなく、歴史的な事情から沖縄は反戦平和の意識と運動の強い地域である。本土政府の沖縄に対する基地受け入れ容認の要請と、沖縄県民の反戦平和の要求との熾烈なせめぎあいの構造が続いて、今日に至っている。

 沖縄県民は「オール沖縄」を結成した。「オール」は、自分たちこそが沖縄県民の総意を代表するものとの自負を表している。「オール沖縄」に結集しない勢力とは本土政府からの切り崩し・懐柔に屈した人々。妥協して条件闘争路線をやむなしとした人々というわけだ。

 今回も、本土政府の沖縄に対する基地受け入れ容認の要請と、沖縄県民の反戦平和の要求とのせめぎあいという重大な参院選地方区。「オール沖縄」対「自・公」、革新対保守の一騎打ちという構図で大接戦が報じられている。当然に辺野古新基地建設の可否が大きな争点となっている。実は、選挙戦の形を借りて、政府と沖縄県民とが争っているのだ。

 「オール沖縄」の候補が、伊波洋一(無所属・現)。元宜野湾市長・元沖縄県議会議員、立憲・共産・れいわ・社民そして地元の社大党がこぞって支持している。保守側が、古謝玄太(自民・新、公明推薦)元総務省課長補佐、元NTTデータ経営研究所マネージャー。

 伊波候補は、「辺野古の新基地建設反対闘争が始まってから、もう25年以上。この闘いは私たちの誇りであります。絶対にこの辺野古の新基地を作らせてはならない」という立場。対する古謝はどうか。これまで、保守側は辺野古新基地建設を容認するとは言ってこなかった。民意が反対ということが誰にも分かっていたからだ。ところが、今回は挑発的に辺野古新基地建設「推進」の立場を明瞭にしている。政府の立場を沖縄県民に押し付けようという元官僚なのだ。

 平和と戦争の問題は、沖縄にこそ、くっきりとした影を落とす。「沖縄を再び戦場にするな」ということこそが沖縄県民の平和の願い。「9条変えろ」「敵基地攻撃」「軍事費2倍」という、自公政権や維新が唱える大軍拡の道を進めば、相手国を刺激して軍拡を加速させ、「安全保障のパラドックス」をもたらすことになる。この悪循環の中で、うっかり集団的自衛権を行使して「敵基地攻撃」を始めたら、「その結果として起こる報復攻撃に、真っ先にさらされるのが沖縄」なのだ。もちろん、ことは沖縄に限定された問題ではない。

 伊波洋一候補の、「相手候補は辺野古新基地推進、南西諸島のミサイル基地建設のため、国を挙げて県民相手に挑んでいる。この選挙で新基地ノーの民意をしっかり示そう」という訴えに、耳を傾けたい。

「私は不思議でたまらない」? 日本共産党にご声援を

(2022年7月5日)

私は不思議でたまらない
自由も民主もだいきらい
それでも自由民主党

私は不思議でたまらない
財界御用の自民党
どうして庶民が票入れる。

私は不思議でたまらない
低賃金に物価高、年金引き下げ生活苦
それでも与党が勝つという。

私は不思議でたまらない
アベノミクスで失敗し
キシダノミクスで挽回と?

私は不思議でたまらない
二度と戦争せぬという
誓いの憲法変えよとは。

私は不思議でたまらない
武器も戦費も倍増し
戦争準備が「平和」とは。

私は不思議でたまらない
平和が大事という人が
自・公・維・国に票入れる。

私は不思議でたまらない
ヒロシマ・ナガサキ忘れたか
どうして今だに核の傘。

私は不思議でたまらない
コントロールもブロックも
ウソと知りつつ再稼働。

私は不思議でたまらない
左の耳はロバの耳
どうして庶民の声を聞く。

私は不思議でたまらない
野党の声は聞かないで
いったいどなたの声を聞く。

私は不思議でたまらない
歯の浮くようなウソばなし
欺されるのが好きな人。

私は不思議でたまらない
バクチは嫌だという人が
どうして維新を支持するの。

私は不思議でたまらない
コロナ禍・イソジン・雨ガッパ
それでも維新をたたかない。

私は不思議でたまらない
ヘンな候補者並べたて
不祥事政党ヘラヘラと。

私は不思議でたまらない
一番まともな政党を
「偏向してる」というなんて。

私は不思議でたまらない、
誰にきいても笑ってて、
あたりまえだと、いうことが。

私は不思議でたまらない、
笑っていられるときじゃない
バカにするなと怒らなきゃ。

このことだけはよく分かる
共産党への一票が
平和と暮らしを守ること。

民主主義の「死」を防止する保証として、国会に日本共産党の議席を。

(2022年7月4日)
 今回の参院選挙では、不真面目で不愉快な立候補者が少なくない。「NHKをぶっ壊す」という無法な輩がその筆頭。私も、NHKをめぐる訴訟に携わっているが、提訴はNHKの番組制作の現場を励まし、NHKに真っ当なジャーナリズムであってほしいとの願いを込めてのもの。

いうまでもなく、NHKには評価すべき良質の番組が少なくない。良心的な記者も多い。友人から、《「香港がどんな風に死ぬか知るべき」失われた自由 地元記者は》という、ネット記事を教えられた。若槻真知・NHK香港支局長のレポート。香港に根付いていた民主主義が、それを支えていた報道の自由もろとも蹂躙された恐るべき事態の意味を、一人の現地記者(元「リンゴ日報」デスク)の取材から見つめたレポートである。

https://www3.nhk.or.jp/news/special/international_news_navi/articles/feature/2022/07/01/23385.html

 リードはこうなっている。
 「たとえ香港という街が死んでしまうとしても、どんな風に死ぬのか市民は知るべきだ」「何より怖いのは沈黙に慣れていくこと」 言いたいことが言えなくなり、罪に問われるかもしれない。言論の自由が失われるというのはどういうことなのか。
 究極の選択を迫られた記者たちの姿を追った。

 このNHK記者は、香港を「死んだ」と表現した。かつて100万人のデモが街を覆い民主主義の熱気に溢れた香港は今や「死んだ」に等しい。病死でも自然死でもない。無惨にも殺されたのだ。いうまでもなく、殺したのは中国共産党である。

 この記事を通じて、NHK記者自身のジャーナリストとしての覚悟が伝わってくる。NHKをぶっ壊してはいけない。報道機関としてのNHKを励まし、その独立を妨げようとする邪悪な権力の策動を糾弾しなくてはならない。民主主義を守るために。つくづくとそう思う。

 このNHK記者の比喩を借りれば、戦前の日本も明らかに「死んだ」状態にあった。自由民権運動もあり、大正デモクラシーも経験し、政党政治もあったはずの日本が、どのようにして、いつ「死んだ」のだろうか。

 戦前の日本の「死」は、日本共産党への弾圧に始まる。

 1925年4月 治安維持法成立
 1928年3月15日 第1次共産党弾圧
 1929年4月16日 第2次共産党弾圧
 1933年2月20日 小林多喜二虐殺
 1933年9月    桐生悠々 信濃毎日を追われる
 1935年     「天皇機関説」事件 衆議院「国体明徴声明」
 1935年     大本教弾圧
 1937年7月    日中戦争開戦
 1939年7月    国家総動員令
 1940年10月  「大政翼賛会」結成(全政党解党)
 1940年11月   大日本産業報国会創立
 1941年12月8日 太平洋戦争開戦

 マルチン・二ーメラーが後に述懐したとおり、ドイツでも日本でも、「最初に共産主義者が弾圧され、自分が声をあげずにいる間に弾圧は広げられ、ついに教会にいたったときに立ち上がったが、時既に遅かった」

 戦前の日本の民主主義を殺したのは、野蛮な天皇制であった。その最初の標的が共産党であったことを忘れてはならない。日本共産党の勢力の縮小は、日本国憲法の改悪に至る危険をはらんでいる。そして、改憲は野蛮な軍国主義の復活を招きかねない。ぜひとも、民主主義の確かな橋頭堡である、日本共産党へのご支援をお願いしたい。

 参院選での比例代表では、「日本共産党」と党名をお書きください。日本の民主主義を殺させない保証のために。

「断固憲法 本格派」《熱血弁護士 にひそうへい》をよろしく。

(2022年7月3日)
 参院選公示日の6月22日以来、当ブログを日本共産党への選挙応援シリーズとして今日が12回目。「あれっ? 澤藤さん。共産党には辛口じゃなかったの?」と訝る方に、ご説明をしておきたい。

 私は、この政党が拠って立つ基本理念や政策の一貫性には敬意をもっている。しかし、当然ながら拳拳服膺する立場にはない。この政党にはいくつも注文があるし、不本意な対応の経験もある。しかし今、日本共産党が国会にかけがえのない存在であることに疑問の余地はない。とりわけ、憲法改悪を阻止するためには、この党以外に頼るべき政党はなく、どうしてもこの党を応援し大きくする以外に道はない。

 ついこの間まで、「安倍晋三が総理でいられるうちが改憲派にとっての千載一遇のチャンス」であったはず。ようやく安倍は総理の座から降りたのだが、予想に反して岸田政権になっても改憲の危機は深まるばかり。昨年の総選挙で改憲阻止勢力の議席が減ったら、とたんに憲法審査会の運営が様変わりした。このままでは深みにはまりそうで本当に危ない。いま、国会に頼りになる共産党の議席を増やさないことには、改憲が実現してしまうのではないか。今度の参院選では、そのための努力を惜しんではならない。

 そのような立場からの日本共産党の応援だが、なかでも比例代表の弁護士候補・「にひそうへい」には、ぜひとも当選していただきたい。そして、2期12年の経験と持ち前の情熱を生かして、国会での「平和の力」となり、改憲阻止勢力の主柱として活躍してもらいたい。

 この人のキャッチフレーズはいくつもあるが、「熱血弁護士」が最もふさわしい。「憲法こそ希望」は、東京選挙区の山添拓候補と共有しているスローガン。そして、自ら口にする「断固憲法 本格派」が頼もしい。

 この候補者の決意表明の一端をご紹介しておきたい。

 「ロシアはウクライナ侵略やめよ!」
 戦争に勝者はありません。戦争は政治の敗北に他なりません。

 2度の世界大戦を経て人類が到達した、「どんな紛争も戦争にしない」という国連憲章に基づく平和の秩序を取り戻せるのか、逆に力づくで他国の領土や民族を支配しようとする歴史の逆流を許すのか。このことが、世界と日本に問われています。

 同時に、危機に乗じて日本の政治に起こっている、大軍拡と憲法9条改悪の大合唱は重大事として看過できません。岸田内閣は歴代政権で初めて、相手国の中枢機能もせん滅する「敵基地攻撃能力」を持つと踏み出しました。米軍が動き出したら、日本が攻められてもいないのに、安保法制・戦争法のもとで、集団的自衛権で敵基地攻撃があり得るといいます。

 専守防衛を捨て、戦争する国へ。憲法9条を変え、「核共有」など逆に戦火を呼び込み、くらしと自由を壊す危険な道を絶対に許してはなりません。

 「力対力」「核には核」の政策は、アジアと世界をいっそう危険にする道です。
 「国連は無力」「憲法9条は空想的」とあざ笑い、「戦争をする国」へ。そうした暴走のために憲法9条を変えようとする勢力に参議院の3分の2以上の議席を握らせるわけにはいきません。

 いま、国会に「平和の力」が必要です。ベトナム戦争をはじめ、かつて軍事紛争の絶えなかった東南アジア・ASEAN10カ国のみなさんが国会においでになり、一晩懇談させていただいたことがあります。

 それぞれ社会体制も言葉や文化、宗教も違い、利害や思惑もありますが、あれこれの価値観で対立を持ち込むのではなく、どんなもめごとも軍事衝突には発展させないと友好協力条約を結んで、年1000回もの国際会議で対話と協力を深めているから、みなさん仲がいいんですね。

 このASEANが呼びかけ、中国もロシアも韓国もアメリカも日本も参加している、東アジアサミットを本格的な平和の仕組みに発展させましょう。朝鮮半島や台湾の問題も、尖閣や千島など領土の問題も、歴史の事実と国際法の道理に立って対話を重ね、友好協力条約をアジア全体に広げて、戦争の心配のないアジアをつくろうというのが日本共産党の提案です。

 何としても、国連憲章に基づく平和秩序を回復・強化し、憲法九条が生きる戦争の心配のない世界とアジアヘ。唯一の被爆国として核兵器廃絶の先頭に立ち、どんな大国に対しても歴史の事実と国際法の道理に立って筋を通す自主・自立の外交へ。皆さんの先頭に立って働かせて下さい。

 私は弁護士として、お一人の目の前の被害者の後ろには、同じように苦しむ1000人の人々がいると肝に銘じ、裁判でも、2期12年の国会でも、戦争や公害、大災害、性暴力や派遣切り、労働災害など、「被害ある限り絶対に諦めない」と力を合わせ、力を尽くしてまいりました。

 憲法こそ希望。ここからが頑張りどころです。いまこそ弁護士の私を。もう一度、国会に押し上げてください。

https://youtu.be/kT4FCdEt_LM

 比例代表は「日本共産党」、あるいは候補者名の「にひそうへい」を。

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