(2023年3月22日)
岸田文雄はウクライナを訪問し、習近平はプーチンを訪ねた。両者ともに安易な訪問先の選択である。本来の外交は、その逆であるべきではないか。
岸田がモスクワに足を運べば、世界を驚かす「電撃訪問」となっただろう。たとえ成功に至らずとも、プーチンに撤兵を促し、和平の提言をすることで日本の平和外交の姿勢を示しえたに違いない。国際政治における日本の存在感を世界にアピールすることにもなったろう。訪問先がキーウでは、インパクトに欠ける。平和へのメッセージにもならない。NATO加盟国首脳のキーウ訪問に必然性はあろうが、日本の首相がいったいなぜ、何のための訪問だろうか。
また、習がプーチンより先にゼレンスキーと会談していれば、停戦仲介の本気度をアピールできたであろう。しかし、落ち目のプーチンと会うことで、恩を売ろうとの魂胆丸見えの訪露は、やはりインパクトは薄い。
チャップリンの「独裁者」を思い出す。徹底的に俗物として描かれたヒトラーとムッソリーニ、その両者の会談の場面。お互いにマウントをとろうとする所作の滑稽さが、「独裁者」の内面を炙り出す。この映画の公開が、ヒトラー死の5年前、1940年の公開だというから驚かざるをえない。言うまでもなく、習もプーチンもその同類でしかない。
米紙ウォール・ストリート・ジャーナルは「きょうのウクライナは、あすの東アジアかもしれない」との岸田の発言を引用。「ウクライナ侵攻や中露接近が、台湾有事を警戒するアジアの米同盟国をより結束させている」と報じている。岸田のウクライナ訪問は平和を求めてのものではなく、軍事同盟強化のための外交と受けとめられているのだ。
【ワシントン時事】の報道では、米欧メディアは、岸田と習の動きを、「自由民主主義陣営と専制主義陣営との対比」として描いているという。「日本はウクライナ政府への多額の援助を約束したが、中国は孤立を深める戦争犯罪容疑者のプーチンを支える唯一の声であり続けた」と。岸田も習も、それぞれのブロック強化のために動いているに過ぎず、けっして和平のための戦争当事国訪問ではない、という理解なのだ。
外交は難しいが、戦争よりはずっと容易である。そして、戦争を避けるためには外交を活発化する以外にない。小泉純一郎は、北朝鮮との国交回復に意欲を見せ、日朝ピョンヤン宣言の成立まで漕ぎつけた。今振り返って、あの宣言内容の到達点を立派なものと称賛せざるをえない。惜しむらくは、その後の信頼関係の継続に失敗した。無念でならない。
あのとき、北朝鮮との信頼関係構築のチャンスだった。これを潰したのは、右翼勢力を背景とした安倍晋三である。以来北朝鮮との関係を硬直せしめ、拉致問題解決に進展が見られないことの責任の大半は、安倍晋三とその取り巻きにある。
北朝鮮は、人権思想も民主主義も欠いたひどい国ではあるが、それゆえ外交がなくてもよいことにはならない。積極的に接触を試み、相互に対話を積み上げていく努力を重ねなければ、常時軍事的衝突を憂慮しなければならない不幸な関係に陥るばかりである。
中国も同様である。野蛮な中国共産党・習近平体制を肯定してはならないが、外交は活発にしてしかるべきである。媚びることなく、へつらうことなく、もちろん見下すこともなく、対等平等に意見交換を重ねなければならない。合意のできることをみつけ、協働の実績を積み上げなければならない。官民を問わず、あらゆるレベルで、頻繁に。それこそが、常に安全保障の基本である。
(2023年1月4日)
暗いニュースばかりが続く。本日、読売に「北朝鮮、李容浩元外相を処刑か…在英国大使館勤務経験の外務省関係者らも」という記事。この人、北朝鮮の核問題を巡る6か国協議の首席代表だった。北朝鮮を代表する米国通の外交官として知られ、米トランプ前政権との非核化交渉にもあたった人物だという。それがなぜ粛正。
「昨年夏から秋頃」だというこの人の処刑と前後して、いずれも英国大使館勤務経験の外務省関係者4〜5人も相次ぎ処刑されたとの情報もあるという。粛清理由か明らかではないだけに、野蛮な権力の不気味さや恐怖が募る。人の命を大切にしない国は本当に恐い。
野蛮さではイラン政府も負けてはいない。「ヒジャブ」抗議デモ参加者や連帯の意思表明者を逮捕するだけではなく、次々と死刑を宣告し執行している。しかも、クレーンに吊しての公開絞首刑だ。いたましいことこの上ない。政権批判を抑え込むための徹底した弾圧だが、人々に政権への怨念を募らせることにならざるを得ない。この事態に、命を掛けて抵抗運動に立ち上がる人々の姿勢に胸が熱くなる。
ロシアが占領するウクライナ東部ドネツク州マキイウカで1日未明に、ロシア軍臨時兵舎がウクライナにミサイル攻撃された件について、ロシア国防省は当初63人死亡と発表していたのを、4日朝、少なくとも89人が死亡と再発表し、複数のロシア兵が携帯電話を使用していたから、攻撃目標とされたとの見方を示した。ウクライナの戦果に、思わず快哉を叫びたくなる自分の気持ちが恐い。動員されたロシアに同情せざるを得ない。
そのロシアについて、本日の毎日夕刊に、「今年の『10大リスク』ロシア首位 『世界で最も危険なならず者国家』 米調査会社報告書」という記事。
国際政治のリスク分析を行う米調査会社「ユーラシア・グループ」は3日、今年の「10大リスク」をまとめた報告書を発表した。首位にウクライナ侵攻を続けるロシアを挙げ、「世界で最も危険なならず者国家になる」と指摘。核兵器による威嚇を強め、サイバー攻撃などを通じた「非対称戦争」に転じると予測している。
報告書は、欧米の武器供与を受けたウクライナの防衛力を前に「(ロシアには)戦争に勝つための有力な軍事的な選択肢は残されていない」と指摘。欧米を不安定化させるため、ロシア系ハッカーによる政府や企業へのサイバー攻撃、インフラの破壊工作、偽情報の拡散を通じた選挙妨害などを強めると予測した。何よりも核兵器使用の恐怖は拭いようがない。やはり、プーチンのロシアは恐ろしいのだ。
今年の『10大リスク』の2位は、中国共産党総書記として異例の3期目に入った習近平。昨年の「10大リスク」のトップは、中国の「ゼロコロナ」政策の失敗だったという。習近平、今年はプーチンに後塵を拝したことになった。それでもなお、権力集中を「極限」まで進める彼にはチェック機能が働かず、「重大な間違い」を犯すリスクが高いと指摘され。「現代の皇帝」が下す決定によって、公衆衛生や経済、外交の3分野でリスクがあると説明されている。
北朝鮮・イラン・ロシア・中国だけでない、ミャンマーも、アフガニスタンも、…。民主主義のない国が、人命をないがしろにする。民主主義のない国が世界の平和の脅威となる。民主主義のない国、報道の自由のない国ほど恐ろしい。そこでは、抑制の効かない権力の横暴が暴走するのだから。
(2022年9月18日)
20年前の日朝平壌宣言の記憶は、今も鮮やかである。私は、小泉純一郎という人物は大嫌いだったが、ピョンヤンに出向いてのこの宣言の発表には、見事なものと感嘆した。以来、この舞台回しをした田中均という外務官僚を尊敬している。
これで日本の戦後処理は終わる…、拉致問題も解決する…かに見えた。が、残念ながら無用な問題がこじれて、そうはならなかった。その責任の大半は、安倍晋三にある。
しかし、平壌宣言自体が消滅したわけではない。両国とも、宣言に盛り込まれた合意が進展しないのは相手国の責任だと繰り返してきた。宣言を基礎に、両国の関係を正常化することは夢物語ではない。
外務省のホームページで宣言を再確認しておこう。
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小泉純一郎日本国総理大臣と金正日朝鮮民主主義人民共和国国防委員長は、2002年9月17日、平壌で出会い会談を行った。
両首脳は、日朝間の不幸な過去を清算し、懸案事項を解決し、実りある政治、経済、文化的関係を樹立することが、双方の基本利益に合致するとともに、地域の平和と安定に大きく寄与するものとなるとの共通の認識を確認した。
1.双方は、この宣言に示された精神及び基本原則に従い、国交正常化を早期に実現させるため、あらゆる努力を傾注することとし、そのために2002年10月中に日朝国交正常化交渉を再開することとした。
双方は、相互の信頼関係に基づき、国交正常化の実現に至る過程においても、日朝間に存在する諸問題に誠意をもって取り組む強い決意を表明した。
2.日本側は、過去の植民地支配によって、朝鮮の人々に多大の損害と苦痛を与えたという歴史の事実を謙虚に受け止め、痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明した。
双方は、日本側が朝鮮民主主義人民共和国側に対して、国交正常化の後、双方が適切と考える期間にわたり、無償資金協力、低金利の長期借款供与及び国際機関を通じた人道主義的支援等の経済協力を実施し、また、民間経済活動を支援する見地から国際協力銀行等による融資、信用供与等が実施されることが、この宣言の精神に合致するとの基本認識の下、国交正常化交渉において、経済協力の具体的な規模と内容を誠実に協議することとした。
双方は、国交正常化を実現するにあたっては、1945年8月15日以前に生じた事由に基づく両国及びその国民のすべての財産及び請求権を相互に放棄するとの基本原則に従い、国交正常化交渉においてこれを具体的に協議することとした。
双方は、在日朝鮮人の地位に関する問題及び文化財の問題については、国交正常化交渉において誠実に協議することとした。
3.双方は、国際法を遵守し、互いの安全を脅かす行動をとらないことを確認した。また、日本国民の生命と安全にかかわる懸案問題については、朝鮮民主主義人民共和国側は、日朝が不正常な関係にある中で生じたこのような遺憾な問題が今後再び生じることがないよう適切な措置をとることを確認した。
4.双方は、北東アジア地域の平和と安定を維持、強化するため、互いに協力していくことを確認した。
双方は、この地域の関係各国の間に、相互の信頼に基づく協力関係が構築されることの重要性を確認するとともに、この地域の関係国間の関係が正常化されるにつれ、地域の信頼醸成を図るための枠組みを整備していくことが重要であるとの認識を一にした。
双方は、朝鮮半島の核問題の包括的な解決のため、関連するすべての国際的合意を遵守することを確認した。また、双方は、核問題及びミサイル問題を含む安全保障上の諸問題に関し、関係諸国間の対話を促進し、問題解決を図ることの必要性を確認した。
朝鮮民主主義人民共和国側は、この宣言の精神に従い、ミサイル発射のモラトリアムを2003年以降も更に延長していく意向を表明した。
双方は、安全保障にかかわる問題について協議を行っていくこととした。
日本国総理大臣 小泉 純一郎
朝鮮民主主義人民共和国 国防委員会委員長 金 正 日
2002年9月17日 平壌
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昨日(9月17日)、時事通信が「日朝、状況整えば交渉可能性」との記事を配信している。要旨以下の通り。
「2002年9月の初の日朝首脳会談から17日で20年になるが、米国との対立姿勢を鮮明にし、核開発にまい進する北朝鮮にとって、日本への関心は薄まったかにも見える。
今後、日朝関係進展の可能性はあるのか。専門家は、状況が整えば北朝鮮が交渉に乗り出す可能性があると指摘する。
南山大の平岩俊司教授(現代朝鮮論)は「核・ミサイルに関しては米国を交渉相手と見ている」と語る。一方、「その他の国は、有利に使えるなら使おうとしている」とも分析。02年の首脳会談で発表された日朝平壌宣言には、過去の清算として国交正常化後の経済協力が盛り込まれており、平岩教授は「北朝鮮が頭を下げなくてももらえるお金」と解説する。「(核問題の進展など)一定の条件が整えば、日本との交渉に応じるだろう」とみる。
日朝関係に詳しい津田塾大の朴正鎮教授は、「米朝関係が途絶え、南北関係が動かない場合に、日本という存在が浮上する可能性がある」「北朝鮮はやりやすい問題から手を付けて、日本側の国交正常化への本気度を探りたいのだろう」と読み解く。
また朴教授は、北朝鮮がストックホルム合意後の16年に外務省傘下の日本研究所を設立したことについて「今後の日朝関係に向けた体制を準備しているかにも見える」と説明。「発する言葉は厳しいが準備はしている」と述べ、日本側の出方次第では交渉に応じる余地があるとの見解を示した。」
平壌宣言の際には、なるほど外交とはこういうものかと思った。鮮やかな互譲である。植民地支配の反省も、拉致問題への謝罪も、お互い言いにくいことがセットになって表現されており、そこを乗り越えて共に実利を獲得している。
いかなる周辺諸国とも、無用な軍拡競争はまっぴらご免だ。北朝鮮とも中国とも、平和への外交努力を積み重ねるしか道はない。岸田政権には、20年前の日朝平壌宣言を再び思い起こして、平和への努力と、拉致問題の解決に意を尽くしていただきたい。
(2020年6月11日)
2002年9月の小泉純一郎ピョンヤン電撃訪問は、まことに鮮やかな印象だった。そのときの「ピョンヤン宣言」もバランスのとれた納得できる内容で、「ようやく日朝関係が正常化し、これで戦後は終わる」との感慨が深かった。この会談を準備した田中均という外務官僚の名を知って敬意を深くした。翌月には一部拉致被害者の一時帰国も実現し、国中に祝意が満ちた。この問題も早晩解決に向かう。国民の多くが、当然そう考えた。
しかし、そうはならなかった。日朝国交正常化も、拉致被害の回復も。その原因の主たるものは日本側にある。日本側が、拉致問題に関する日朝間の合意をまず破ったのだ。国内の根深い北朝鮮敵視姿勢によるものである。
ピョンヤン宣言は、「日朝間の不幸な過去を清算し、懸案事項を解決し、…地域の平和と安定に寄与」すべきことを確認している。「懸案事項」とは拉致問題を意味し、以下の表現で解決をはかろうとしている。
「3.双方は、国際法を遵守し、互いの安全を脅かす行動をとらないことを確認した。また、日本国民の生命と安全にかかわる懸案問題については、朝鮮民主主義人民共和国側は、日朝が不正常な関係にある中で生じたこのような遺憾な問題が今後再び生じることがないよう適切な措置をとることを確認した。」
金正日は、日本人拉致の事実を認め、「遺憾なことであり率直におわびしたい。」と述べている。これあって、拉致被害者5人の一時帰国が実現した。一時帰国であったはずの5人について、日本政府は「北朝鮮へ帰す」ことを拒否した。北朝鮮側は「日本政府の約束違反だ」と反発し、信頼関係は切れた。その後の曲折はあったが、事態は動かないままである。
あれから18年。金正日は金正恩に、小泉は安倍晋三に変わった。安倍晋三は、対北朝鮮強硬派を代表する人物としてのイメージを押し出して政権の座に就いたと言ってよいだろう。以来、対北朝鮮強硬論の一点張り。外交の感覚はなく、何の打開策ももたず、何の成果も上げていない。拉致被害問題解決の意思はなく、最大限の政治利用の道具にしていると評されても致し方なかろう。
ピョンヤン宣言中の「双方は、相互の信頼関係に基づき、国交正常化の実現に至る過程においても、日朝間に存在する諸問題に誠意をもって取り組む強い決意を表明した。」を、空しく死文化させて今日に至っている。
展望が閉ざされて先が見えないままに、拉致被害者横田めぐみさんの父、横田滋さんが亡くなられた。改めて、政権の無為無策が問われている。
五味洋治(東京新聞編集委員)によると、横田滋さんは必ずしも、日本政府や、支援団体である「北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会」(救う会)の方針と同じ意見をもっていたわけではなく、違う発言をして周囲からたしなめられることもあったという。注目すべきこととして、「北朝鮮への制裁を緩めるべきだ」という意見をもっていた。
日本政府は、米国と歩調をあわせて北朝鮮への制裁を最大限まで強化した。これについて滋さんは「交渉のためには制裁を緩めるべきだ」と主張し、関係者を当惑させた。
『めぐみへの遺言』(2012年、幻冬舎)に、滋さんの話した言葉が残っている。「裁制制裁といっても全然解決していないし、制裁の強化をと救う会は主張するけれど、金正日が亡くなって(※死去したのは2011年12月)今交渉のチヤンスが巡ってきたんだから、強化するより緩めるべきです。今強化することは、交渉はしたくないという意思表示になるからすべきでない」(194P)。滋さんは、北朝鮮との交渉に、自分なりの見解を持っていた。
しかし、家族会は安倍晋三とその支持勢力に依拠することを方針としている。従って、公式には、次のように安倍政権を擁護する発言しかできない。
横田拓也(めぐみさんの実弟)
「私たち横田家のそばに長い間いた安倍総理には、本当に無念だとおっしゃっていただいています。私たちはこれからも安倍総理とともに解決を図っていきたいと思っています。国会においては、与党・野党の壁無く、もっと時間を割いて、具体的かつ迅速に解決のために行動して欲しいと思います。マスコミの皆さまにおかれましても、イデオロギーに関係なく、この問題を我が事として取り上げてほしいと思います。自分の子どもならどうしなければいけないか、ということを問い続けてほしいと思っています」(9日会見発言)
横田哲也(同)
「一番悪いのは北朝鮮ですが、問題が解決しないことに対して、ジャーナリストやメディアの方の中には、安倍総理は何をやっているんだ、というようなことをおっしゃる方もおられます。安倍総理、安倍政権が問題なのではなく、40年以上何もしてこなかった政治家や、北朝鮮が拉致なんてするはずないでしょと言ってきたメディアがあったから、安倍総理、安倍政権がここまで苦しんでいるんです。安倍総理、安倍政権は動いてくださっています。やっていない方が政権批判をするのは卑怯です。拉致問題に協力して、様々な覚悟で動いてきた方がおっしゃるならまだわかるが、ちょっと的を射ていない発言をするのはやめてほしいと思います。うちの母も、有本のお父さんも、飯塚代表もかなりのお年で健康も芳しくありません。これ以上同じことが起こらぬうちに、政権におかれては具体的な成果を出して欲しい。」(同)
両人の発言は、結果を出せないことに苛立ちながらも、政権に頼るしかないという家族の心情の表れと理解すべきだろう。
なお、横田拓也の「(マスコミは)イデオロギーに関係なく、この問題を我が事として取り上げてほしい」との発言に注目せざるを得ない。家族の目からは、この問題はイデオロギー性を帯びた報道となっている。そのイデオロギーとはなんだろうか。日本のマスコミには、「親北朝鮮イデオロギー」のカケラもあり得ない。とすれば、拉致問題報道は「過剰な反北朝鮮イデオロギー」、ないしは「日本ナショナリズム・イデオロギー」との親和性が強いという認識をもっているということだ。拉致被害救済の運動がそのようなイデオロギー性の高いものと社会に認知されている。そういう自己認識があるのだ。不幸なことと言わざるを得ない。
元家族会(「北朝鮮による拉致被害者家族連絡会」)の副代表で、今は会とは距離を置く蓮池透が、遠慮なく声を上げている。「安倍首相責任を取ってください!」と。私も、その通りだと思う。蓮池に声を合わせたい。
蓮池の6月5日のツイッターはこう言う。
「いつか、この日が来るのは分かっていたし、怖かった。滋さんは、公には政治家に対しても、右派的思想家に対しても決して異論を唱えることのないジェントルな人だった」「世の中はコロナ禍で拉致問題どころではない状況。収束まで動かないのか? 滋さんの心中も不安で一杯だったはず。言うまでもなく、その前に動いておくべきだった。『40年以上救出を先導』とか『再会の願い叶わず』とか言っている場合ではないのだ」
「また『断腸の思い』と繰り返した安倍首相。『申し訳ない』は付け足したが。自分たちの無為無策を棚に上げて、拉致問題が進展しないのは国民の関心が薄れているせいだ、と平気で言う政府」「みなさん、いい加減気付いてください。安倍首相は拉致被害者を救出するなどという気はさらさらないのです。この期に及んで『早期』救出とか言っているではありませんか。今こそ、安倍首相責任を取ってください!と叫ばなくてはなりません」 まったく、その通りではないか。
(2020年6月10日)
半島の南北関係が不安定に見える。北朝鮮の朝鮮中央通信は、昨日(6月9日)、同日正午から南北間の通信連絡線を完全に遮断すると報じた。朝鮮労働党中央委員会本部と韓国大統領府を結ぶホットライン(直通電話)も含まれるという。
突然に北朝鮮が態度を硬化させたのは、脱北者団体が本年5月31日に北朝鮮に向けて風船で飛ばしたビラ50万枚の散布が原因だという。核弾頭や弾道ミサイルのイラストとともに金正恩朝鮮労働党委員長の写真が掲載され、これに「偽善者金正恩!」とのメッセージが書かれていた。これが、北の体制批判として逆鱗に触れた。
正恩の実妹金与正(キム・ヨジョン)が北朝鮮メディアを通じて非難する談話を4日に発表した。朝鮮中央通信によると、与正はビラを飛ばした脱北者らを「祖国を裏切った野獣より劣る人間のくず」「くそ犬」(訳語の正確性は分からないが)などと罵倒。韓国政府が「相応の措置」を取らない場合には、南北合意の破棄も「十分に覚悟すべきだ」と警告した。これに呼応して、6日には、ピョンヤンで脱北者団体を糾弾する大集会が開かれ、人々が「人間のくずを八つ裂きにせよ」と叫んでいる。
金明吉(キム・ミョンギル)中央検察所長も次のように発言している。「歴史の審判は避けることができず、早晩、民族的罪悪を総決算する時が訪れるだろう。最後の審判のその時、共和国(北朝鮮)の神聖なる法廷は、わが最高尊厳(金正恩)を攻撃した挑発者たちを無慈悲に処刑するであろう」というのだ。
北朝鮮の労働新聞も「最高尊厳」に言及している。脱北者団体を「虫のような者」「人間のくず」と罵倒し、北朝鮮へのビラ散布を「北朝鮮の最高尊厳にまで触れる天下の不届き者の行為」と批判したという。のみならず、「さらに激怒するのは責任を免れようとする南朝鮮当局の態度」とし、「人間のくずの軽挙妄動を阻止できる措置からすべきだった」「決断力のある措置を早急に取れ」と主張して、韓国政府を批判し適切な措置を求めている。
「偽善者金正恩!」という表現は、神聖なる法廷で裁かるべき「わが最高尊厳に対する攻撃」だというのだ。これは信仰を共にする仲間内だけに通じる、聖なる存在への帰依の表白である。信仰を共にする世界の外にいる者には理解不能である。権力や権威を批判する自由は、民主主義の基本である。にもかかわらず、信仰を共にする世界の外にいる者に、自分たちの心情を理解しないこと、同調する行動に至らないことに苛立っているのだ。
こういう動きは、海外だけにあるわけではない。北朝鮮の動きは、神聖天皇を戴いた戦前の大日本帝国をルーツとするものと言ってよい。神聖天皇に忠誠を競った臣民の末裔は、日本にも遺物として残存しているのだ。
その日本では、6月2日高須克弥という人物が、愛知県の大村秀章知事をリコールするため政治団体を立ち上げたと発表した。国際芸術祭「あいちトリエンナーレ2019」の企画展「表現の不自由展・その後」をめぐり、「税金から補助を与えるのが一番許せない」と述べたという。同席者が、百田尚樹、竹田恒泰、有本香、武田邦彦という、「ああ、なるほど」と思わせる分かり易い面々の集合。
大村知事リコールの理由は分かりにくいが、「昭和天皇を含む肖像群が燃える映像作品などの展示内容」が問題というようである。「国、県民にとって恥ずかしいことをする知事は支持できない」とも述べられたという。
北朝鮮の金与正と日本の高須克弥、精神構造は酷似している。金与正にとっての金正恩と、高須克弥にとっての昭和天皇(裕仁)は、ともに「わが最高尊厳」なのだ。この 「わが最高尊厳」に対する侮辱は、神聖なる法廷で裁かるべき攻撃として許せないという。そして、許せないはずのことを傍観している文在寅や大村知事が許せないというのだ。
与正の感情も、高須の胸の内も、信仰を共にする仲間内だけに通じる、聖なる存在への帰依でしかない。民主主義社会においては、将軍様や天子様への信仰を公的に認めることも、それに対する批判の言論を封じることもあり得ない。さらに、忌むべきことは、同調圧力によって、将軍様や天子様への信仰を強制し、あるいはその批判を掣肘しようとすることである。
国内問題としていま問われているものは、天皇(裕仁)に対する批判の表現に対する賛否ではない。わが国における表現の自由の実質的な権利性である。そのことは、この社会の民主主義の成熟度でもある。
この高須の動きは、民主主義のバロメータとなるだろう。たまたまの偶然で、愛知県民が民主主義成熟度計測のサンプルとなった。表現の自由がどれほど護られているか、あるいは絵に描いた餅に過ぎないか。成熟した民主主義が定着しているのか否か。それが試され、計られる。
高須は100万の賛同署名を集めると口にしたという。この件で100万の署名が集まるようなことがあれば、この社会の民主主義成熟度は0点である。その反対に署名ゼロなら満点の100点。得点を数式化すれば、下記のとおりである。
《100?(署名数÷10000)》点
80点以上なら 優
80?50 良
50?13 可
13以下 不可(リコール成立)である。
なお、愛知県内の有権者数は612万人で、リコール(知事の解職請求)は87万人の有効署名で成立する。請求が有効と確認されれば、その日から60日以内に解職の住民投票が行われ、有効投票総数の過半数の賛成で知事は失職することになる。
5月3日、有明での憲法集会の中央ステージで、東京朝鮮中高級学校合唱部の皆さんが、胸に響く訴えをされ、美しい歌声を聞かせてくれた。
集会後、その生徒たちがコーラスのCDを販売していた。そのうちのお一人にサインをしてもらって、1枚買った。「東京朝鮮中高級学校合唱部『ウリハッキョ ? 私たちの学校、私たちのふるさと』」というタイトル。2018年12月の収録で、1800円。これが素晴らしい。1枚といわず、もっと買っておけばよかった。
「私たちは朝鮮高校にも無償化が適用されるよう、運動を行っています。このCDの売上の一部がその運動資金に充てられます。」という訴えに応えるというだけでなく、「どこまでも澄んだ泉のような美しい歌声、心洗われるハーモニー」という惹句が、そのとおりなのだ。人にも薦めたくなる。
これまでは起床して朝食までの毎朝のBGMは、古きよき時代のアメリカンポップスだった。いま、「ウリハッキョ」がこれに代わった。「米」から「朝」にである。しばらくは、毎朝これを聞き続けることになる。
収録されているのは、下記の10曲。
このうち、「4. 声よ集まれ、歌となれ」「5. アリラン?赤とんぼ」「8. 花」の3曲が、日本語の歌詞で唱われ、その他は朝鮮語で意味は分からない。訳詞を読みながら聞いている。
1. 故郷の春
2. 私の故郷
3. 子どもたちよ、これがウリハッキョだ
4. 声よ集まれ、歌となれ
5. アリラン?赤とんぼ
6. 月夜の星芒
7. アリラン
8. 花
9. あじさい
10. 私たちのふるさと ? ウリハッキョ
題名からも分かるとおり、「故郷」の歌が多い。唱われているのは、しみじみと懐かしい故郷。遠い異国で懐かしむ故郷は、美しい自然の調和に恵まれ、豊かさをもたらす労働の喜びと自由に溢れた平和な里である。隣国からの侵略もなく、南北の分断も克服された、理想郷として追い求める彼らの故郷。それは同時に、人類共通の願いでもある。
なお、東京朝鮮中高級学校のホームページの閲覧をお勧めしたい。そこでの彼らの祖国の旗は、南北統一旗となっている。いうまでもなく、その南北分断には日本が大きな責任があるのだ。
http://www.t-korean.ed.jp/
このアルバムのほとんどが、しみじみとした、あるいはやるせない曲調である中で、日本語で唱われる「4. 声よ集まれ、歌となれ」だけが異色。労働歌の趣き。運動の歌、闘いの歌なのだ。「いますぐその足をどけてくれ。4・24(サ・イサ)の怒りがよみがえる。踏まれてもくりかえし立ち上がる」という歌詞の生々しさに、ギョッとさせられる。もしかして、私も足を履んでいる側にいるのではないだろうか。
声よ集まれ、歌となれ
どれだけ叫べばいいのだろう
奪われ続けた声がある
聞こえるかい? 聞いているかい?
怒りが今また声となる
声よ集まれ 歌となれ
声を合わせよう ともに歌おう
聞こえないふりに傷ついて
?かすれる叫びはあてどなく
?それでも誰かと歌いたいんだ
一人の声では届かない(だから)
ふるえる声でも 歌となる
声を合わせよう ともに歌おう
ただ当たり前に生きたいんだ
ただ当たり前を歌いたいんだ
いますぐその足をどけてくれ
4・24(サ・イサ)の怒りがよみがえる
踏まれてもくりかえし立ち上がる
君といっしょならたたかえる
声よ歌となれ 響きわたれ
声を合わせよう ともに歌おう
この歌詞の中に出て来る「4・24(サ・イサ)の怒り」とは、次のできごとを指す。
「連合軍総司令部(GHQ)の指示により、文部省(当時)は1948年1月24日、各都道府県宛に『朝鮮人設立学校の取り扱いに関する文部省学校教育局長通ちょう』(第1次閉鎖令)を通達。従わない場合は学校を閉鎖するよう指示した。
同胞らは各地で抗議活動を広げ、48年4月24日、兵庫では県知事に閉鎖令を撤回させた。
しかしその夜、GHQが『非常事態宣言』を発令し、いわゆる『朝鮮人狩り』が始まった。大阪の同胞たちは26日、府庁前で3?4万人規模の集会を行い、朝鮮人弾圧と閉鎖令の撤回を訴えた。大阪市警は放水・暴行で取り締まり、射撃まで行った。大勢の同胞らが不正に検挙されただけでなく、警察が発砲した銃弾によって、当時16歳の金太一少年が犠牲となった。
民族教育を守るための同胞たちの闘いは、閉鎖令の撤回を勝ち取った4月24日の兵庫での闘いに象徴的な意味を込め『4・24教育闘争』と呼ばれるようになった」(「朝鮮新報」〈在日本朝鮮人総聯合会機関紙〉記事)
以上は、ブログ「アリの一言」(鬼原悟さん)からの引用だが、同ブログは「GHQ(実質はアメリカ)と日本による暴力的な民族(教育)弾圧に対する朝鮮人の闘いの象徴が『4・24教育闘争』です。それは日本人にとって、戦後の朝鮮人差別・弾圧の象徴的な加害の歴史なのです。しかも、決して70年前の「過去のこと」ではありません。文字通り今日的な問題です。」と続けている。まったくそのとおりなのだ。
「4・24(サ・イサ)の怒りがよみがえる」という、「声よ集まれ、歌となれ」は、2013年に朝鮮大学校生によってつくられ、朝鮮高校への「無償化」適用を訴える文科省前「金曜行動」のテーマソングとなっているという。文字通り、闘いの歌として生まれ、闘いの中で唱い継がれている。私も、毎朝これを聞いて、思いを重ねることにしよう。
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(2019年5月7日)
ご近所の皆さま、三丁目交差点をご通行中の皆さま。お暑うございます。
こちらは地元「本郷・湯島」の「九条の会」です。憲法を守ろう、憲法の眼目である9条を守ろう。平和を守りぬき、絶対に戦争を繰り返してはいけない。アベ自民党政権の危険な暴走を食い止めなければならない。そういう志を持つ仲間が集まってつくっている小さな団体です。平和のために、少し耳をお貸しください。
それにしても、いやはや何とも暑い。敗戦の年、1945年も暑い夏だったそうです。73年前のあの年の今ころ、このあたりは焼け野原でした。3月10日未明の東京大空襲で、23万戸が全焼し、東京市民10万人が焼け死にました。首都が焼かれて一夜にして10万の死者です。こうまでされても、日本に反撃の能力のないことが明らかになりました。
それでも、日本は絶望的な闘いを続けました。4月1日には、沖縄の地上戦が始まります。6月末までの2か月間で20万人の死者が出ました。沖縄戦は、本土決戦の態勢を整えるための時間稼ぎ。7月のいまころは、まだ、一億国民が火の玉となって鬼畜米英との本土決戦を闘い抜くのだ、そんなふうに思い込まされていました。
戦争の最高指導者はヒロヒトという人でした。今の天皇アキヒトという人の父親です。信じられますか。この人は神様とされていました。日本は神の国で、この国を治めるヒロヒトは、アラヒトガミとか、アキツミカミと崇められ持ち上げられていたのです。神様のすることだから、けっして間違うはずはない。本土決戦では、最後はカミカゼが吹いて日本は勝つのだ。多くの人がそう思い込まされていました。神様のすることだから批判などトンデモナイことだったのです。日本国中がオウム真理教の洗脳状態だったのです。何とバカバカしい愚かな世の中だったことでしょうか。
このアラヒトガミは、國体の護持つまりは天皇制の維持にこだわって、日本人が何万、何十万と殺されようが、戦争をやめようとはしませんでした。「もう一度、戦果をあげてから」と言い続けて、結局は無条件降伏まで多くの同胞を見殺しにし続けたのです。
8月6日には広島に史上初めての原爆が投下されます。そして、8月9日には長崎の悲劇が続きます。天皇は、ソ連に、戦争終結のための仲介を依頼して望みを繋げますが、そのソ連が対日参戦するに至って、ようやくポツダム宣言受諾を覚悟します。
こうして、敗戦を迎えて、日本国民は深刻な反省を迫られました。再び戦争は起こさない。起こさせない。再びだまされない。だまされて戦争に駆り出されるようなことはけっして繰り返さない。この国に民主主義のなかったことが、戦争の悲劇をもたらした。天皇を神とするような愚かな社会とは訣別しなければならない。その反省が結実したものが日本国憲法でした。
ところが今、その大切な日本国憲法が危機にあります。安倍晋三という人物によってです。彼は今、9条の改憲に手を付けようとしています。70年余の以前、日本の国民は近隣諸国への敵愾心を意図的に植えつけられました。台湾・朝鮮そして中国、ソ連です。不逞鮮人とか、暴支膺懲とか、さらには鬼畜米英とまで言った。
今また、安倍政権は同じようなことをしつつあるのではないでしょうか。思い出してください。去年10月の総選挙。あのモリ・カケ・南スーダン問題の雰囲気の中では、安倍自民党は大敗するだろうと大方が思いました。しかし、そうはならなかった。明らかに、北朝鮮のお陰です。
安倍自民は、この総選挙を「国難選挙」とネーミングしました。北朝鮮が危険だ。明日にもミサイルが飛んでくる。この国難を救うために強力な政府を。国防の態勢を。こう訴えて、アベ政治は生き残りました。
昔の出来事が繰り返されようとしているのではないでしょうか。安倍政権にとっては、いつまでも危険な存在としての北朝鮮が必要なのです。半島の軍事緊張が必要なのです。北の核がなくなり、南北の宥和が実現すれば、タカ派のアベ政権は無用の長物になり下がることにならざるを得ません。
再びだまされまい。近隣諸国に対する敵意の煽りに乗せられてはならない。暑いさなかですが、米朝・南北、そして日朝・日韓の関係に目を凝らしたいと思います。
米朝首脳会談の成果にケチをつけるのではなく、朝鮮半島の全体を非核化しようと動き出したシンガポール宣言を守らせる国際世論を作っていく努力を積み重ねようではありませんか。
(2018年7月10日)
南北と米朝の首脳会談で朝鮮半島情勢が大きく転換し、この地域に緊張緩和の萌し濃厚となって以来、田中均(元・外務審議官)発言に注目が集まっている。いま、誰しも、2002年「小泉訪朝」を実現させた立役者としての経験や教訓を聞きたいのだ。
この人の言うこと、まことに真っ当である。今この人がしかるべき対外折衝の要職にあれば、日本外交は違った色彩を帯びたものになり、地域の平和に貢献のできる日本外交となるのではないかと思わせる。いや、安倍外交には、もともとそのよう理念も指向もないのだから、残念ながらこの人の活躍の場もないことになるのだろう。
本日の毎日夕刊、特集ワイドは、「松田喬和の ずばり聞きます」。インタビュー相手が田中均。タイトルが、「朝鮮半島問題に戦略を」というもの。もちろん、安倍外交には朝鮮半島問題に戦略がない、ことの批判が滲み出ている内容。
しかし、明らかに批判のための批判ではない。
― 朝鮮と交渉して拉致を認めさせた経験にかんがみて、外交の眼目とは何でしょう?
田中氏 『信頼』です。北朝鮮だって、より重要な目的があれば信頼関係を築く努力をします。例えば日経新聞の元記者が北朝鮮に拘束されていましたが「解放することで信頼を示してほしい」と言ったら解放した。こういったことを積み重ねる。要は、価値観や政治体制か異なっても、うそをつかない、相手に配慮するといったことを続ければ信頼関係は構築できる。そうなれば物事が前に進む可能性か開けます。日本国内で勇ましいことを言って反北・反中・反韓の感情をあおれば、支持率は上がるかもしれませんが、相手にも国民がいます。実際にこれらの国と向きあった時、相手は日本を信用するでしょうか。信頼関係がなければ結果を出せません。
なるほど、そのとおりだ。相互に相手を信頼する関係を築いていくことこそが大切なのだ。「外交の眼目」は、「平和構築の要諦」でもある。これこそ、アベ外交とは真逆の9条理念の神髄と言うべきであろう。
この人、7月3日に、日本記者クラブで対北朝鮮外交について講演している。その概要を報じる朝日の記事は、安倍外交に相当の辛辣さ。
安倍(晋三)首相という人は北朝鮮に対する強い姿勢を前面にかざして首相への階段を上っていった。北朝鮮が脅威であるということを前面にかざして選挙に勝った。これは国内政治としては分かる。でも国内に威勢のいいことを言うのが外交じゃない。国益にかなう結果を作ることだ。
今の日本は外交をやっていない。こういう結果を作るぞという見出しを作ることには類いまれなる政権だが、結果ができているか。「拉致問題を自分の内閣で解決する」と言って、なぜ解決できていないのか説明しているか。
日本がいま置かれている状況は非常な危機であると同時に最大のチャンスだ。フェーズ(局面)を変えることができる。俺(安倍晋三)の言ってた北朝鮮への圧力が効果を上げたんだ、といまだに各国を回って圧力の網を作るのはあまりに芸がない。
世界が注目している朝鮮半島の問題について、日本は戦略を持って見識を示さないと米中にばかにされる。目先を「国内益」から国益に変えてほしい。
この田中均の指摘は示唆に富んでいる。確かに、安倍晋三とは、北朝鮮への国民の憎悪を煽り、煽られた国民の憎悪を糧にして、総理にまで上り詰めた政治家である。対北憎悪に依存して政治生命を育ててきたのだから、国民の対北憎悪がなくなれば、その政治生命も終わることになる。安倍にとっては、半島の緊張は必要不可欠なのだ。トランプが一時米朝会談をやめると言い出したとき、たった一人だけ会談中止を支持したのが安倍だった。何とも恥ずかしいほどのあからさまな態度。
だから、安倍は「拉致問題を自分の内閣で解決する」と言ってはきたが、拉致問題が解決するときは安倍の政治生命も終わるときなのだ。長期政権のためには、拉致問題は北に対する攻撃材料としてだけ重要なので、その解決はなくてもよい。改憲問題も、軍事費の肥大も同様である。北朝鮮は、常に危険で好戦的な存在でなければならない。それこそが安倍政権維持と軍事大国化指向のアベ政治に必要なものなのだ。
半島の情勢変化は、国内政治にも大きな変動をもたらす要因となりそうではないか。
(2018年7月9日)
「我が国を巡る安全保障環境が大きく変化している」「時代状況に適合した安全保障政策への見直しが必要」「新たな時代状況に適合した実効性のある安全保障の法的基盤を再構築する必要がある」と、アベ内閣が一犬として虚を吠え、右翼の万犬がこれを実として伝えてきた。
北朝鮮が危険だから、福祉も年金も削って防衛費にまわさねばならない。オスプレイもイージス艦も買わねばならない。思いやり予算も積み増ししなければならない。すべては、北朝鮮脅威論が出発点だった。
昨年(2017年)10月アベ内閣が仕掛けた総選挙は、「国難選挙」とのネーミングで、悪評にまみれたアベ与党が現状維持に成功した。今にもミサイルが飛んでくるかもという演出が功を奏してのことだ。アベにしてみれば、「国難万歳」であり、「金正恩には足を向けて寝ることはできない」のだ。
国防ファースト派が信仰してきた「我が国を巡る安全保障環境の激変」は、4月の南北首脳会談、6月12日の米朝共同宣言を経て、いま誰の目にも平和へのベクトルで語られる事態となっている。危険だから防衛費の増額だ、武器購入だという動きは、まずはストップしなければならない。そして、平和構築のために、大幅な防衛費削減、高価な武器購入の中止に舵を切り直すべきが当然ではないか。
「我が国を巡る安全保障環境が大きく緊張緩和の方向に変化した以上、その時代状況に適合した安全保障政策への見直しが必要である」「朝鮮半島の非核化が今や現実的な課題とされている緊張緩和の時代状況において、これに適合した平和的北東アジアの国際環境を再構築しなければならない」のだ。
ところがどうだ。アベ政権は、「国際間の緊張あるから軍備増強だ」と言い、「緊張が緩和したからといって方針転換してはならない。やっぱり軍備増強だ」という。一貫しての軍備増強路線、これはいったい何なのだ。
「戦争に備えて常備軍があるというのは大きな錯覚。本当のところは、軍隊のために戦争の危機が作られるのだ」「軍備の増強は自己目的化している。自ら軍事緊張を作り出しても軍備の増強は目論まれるものなのだ」
いま、『国難』に備えて必要とされたイージス・アショア(地上配備のミサイル迎撃システム)の配備が、現地からの反発を受けて難航している。地元には迷惑この上ない。配備の必要なければ欺されたことになるし、万が一の場合は、「敵国」からの最初の攻撃目標となるのだから。
本日(6月22日)、小野寺防衛大臣は「イージス・アショア」の配備候補地とされている山口県と秋田県を訪れ、知事らに配備の必要性を説明したという。ということは、わざわざ出向かざるを得ないほどに現地の反発が強いということなのだ。
報道では、秋田県の佐竹敬久知事は「イージス・アショア」の陸上自衛隊新屋演習場(秋田市)への配備に関連して、昨日(6月21日)県庁内で記者団に、政府の防衛政策を、「ちぐはぐでデリカシーがない。強引で不愉快だ」と批判している。相当なものだ。
秋田市への配備に対しては住民の反対が根強い。17日に秋田市役所で開かれた防衛省による住民説明会では、「住民の理解が得られていないのに、設置ありきで話が進んでいる」「テロの標的になりかねない」といった批判や不安の声があがった、という(産経)。
また、19日夜山口県萩市の中心部で開かれた住民説明会ではこんな意見も出たという。
「イージス・アショアは必要ありません。1910年に日本は韓国を植民地化し、何万人を強制動員した。拉致問題など比べものにならない…(中略)北朝鮮よりも米軍の方が迷惑だ。最近は歴史を逆に走っているような気がしております」
「言葉遊びはやめましょう。これはミサイル基地だ。敵対的な基地の拡大の前に、日米地位協定の廃止を働きかけ、北朝鮮と平和条約を結ぶべきだ。政府は、戦争を阻止する意思がない!」
このような地元の声に対する小野寺防衛の説明は従前の通り。
「現時点で、例えば北朝鮮はすでに数百発の弾道ミサイル、日本に届くものをすでに配備していると承知しているし、また、核の具体的な放棄に向けた動きが起きているわけでもない。私どもは脅威は変わっていないとの認識を持っている」
これでは新事態への対応の観点がなく説得力をもたない。確実に、北は変わっているのだ。アメリカも韓国も、北の変化を前提とした外交に踏み出している。日本だけが旧態依然、北の変化に対応できていないのだ。このままでは確実に取り残されることになる。
せっかくの相互信頼の好循環を築く好機である。これを逃すと、わが国は「好戦国」のレッテルを貼られて、北東アジアの平和環境の癌と見なされることになりかねない。
アベにできなければ、取り替えるしかない。日本国民のために、北東アジアの平和のために。
(2018年6月22日)
6月12日米朝首脳会談は、大仰な「史上初」の「歴史的」セレモニーだった。私は、トランプや金正恩の個人的資質に関する否定的見解を変えるつもりはまったくないが、この会談の成果には評価を惜しまない。そして、この成果を第一歩として、朝鮮半島の非核化が実現し、さらには北東アジアの軍事緊張緩和が進展して真の平和に至ることを切望する。
しかし、アメリカでも日本でも、メディアには辛口の論評があふれている。北朝鮮悪玉論の枠組みからの視点を維持したまま、アメリカの北朝鮮への縛りが不十分ではないか、という論調である。流行り言葉になった「CVID」が盛りこまれていないのは失敗だった、北朝鮮にしてやられた、というわけだ。
本日の主要紙社説はおしなべて、その論調となっている。
朝日が、こう言っている。「その歴史的な進展に世界が注目したのは当然だったが、2人が交わした合意は画期的と言うには程遠い薄弱な内容だった。」「最大の焦点である非核化問題について、具体的な範囲も、工程も、時期もない。一方の北朝鮮は、体制の保証という念願の一筆を米大統領から得た。」「署名された共同声明をみる限りでは、米国が会談を急ぐ必要があったのか大いに疑問が残る。」
読売社説の小見出しをひろうと、「「和平」ムード先行を警戒したい」「合意は具体性に欠ける」「圧力の維持が必要だ」。
産経は、「米朝首脳会談 不完全な合意を危惧する」「真の核放棄につながるのか」「歴史的会談は、大きな成果を得られないまま終わった」「共同声明にCVIDの言葉が入らなかった点について、トランプ氏は「時間がなかった」と言い訳した。交渉能力を疑われよう」という。
毎日も同様だ。「非核化の担保が不十分」「トランプ流の危うさ」として、「注目されたのはトランプ氏が北朝鮮への軍事オプションを封印したと思えることだ。北朝鮮が合意を破った時は軍事行動も考えるかと聞かれたトランプ氏は、韓国などへの甚大な影響を考えれば軍事行動は非現実的との認識を示した。」「米韓軍事演習も北朝鮮の対応次第では中止する考えを示し、在韓米軍縮小にも前向きな態度を見せた。この辺は大きな路線転換と言うべきで、北朝鮮への軍事行動は不可能と判断してきた米国の歴代政権に、トランプ氏も同調したように映る。」と非難がましい。
砂漠で出会った水瓶に半分の水があったとする。瓶に半分の水の存在を歓喜をもってありがたいと思うか、それとも、瓶一杯に満たない水の量の少なさを嘆くか。
米朝間の軍事緊張が悪化の一途をたどって、「もしや開戦も」と深刻化していた事態が一変したのだ。軍事衝突の危険度進行のベクトルが緊張緩和と平和のベクトルへと向きを変えた。一触即発とさえいわれたチキンゲームからの解放こそが、この会談の評価すべき本質である。足りないところは、非本質的で副次的なものというべきだろう。
往々にして「予言は自己実現する」。この会談の成果を評価する国際世論は、平和の実現に寄与することになるだろうし、この会談を否定的にしか評価しない国際世論が主流となるなら、朝鮮半島の非核化も危うい。
「過去何度も北には欺され煮え湯を飲まされてきた」は、決して公平な見方ではない。見方を変えればお互いさまなのだ。そして、常に強大な側に寛容が求められよう。その意味では、米韓合同演習中止は素晴らしいことだ。これまでは、この軍事演習こそが、強大な側による弱小の側に対する一方的な威迫行為として、典型的な挑発だったのだから。
問題は、相互信頼から出発するのか、それとも相互不信からか、なのだ。これまでは相互不信のエスカレーションが暴発ぎりぎりのところまで進行した。核のボタンの大きさを競い合っていた愚かな2人が、10秒を超える握手をして、米朝両国関係を「敵対から友好へと転換させるために努力することで合意した」のだ。この第一歩に祝意を表するとともに、この偉大な一歩を後戻りさせることなく、歩ませ続ける国際世論の喚起に努めたいものと思う。
以下が?米朝共同声明の全文である。相互信頼の歩みの第一歩として、立派な成果ではないか。
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米朝共同声明全文(NHK訳)
トランプ大統領とキム委員長は、2018年6月12日に、シンガポールで、史上初めてとなる歴史的なサミットを開催した。トランプ大統領とキム委員長は、新たな米朝関係や、朝鮮半島における永続的で安定した平和の体制を構築するため、包括的で深く誠実に協議を行った。トランプ大統領は北朝鮮に体制の保証を提供する約束をし、キム委員長は朝鮮半島の完全な非核化について断固として揺るがない決意を確認した。
新たな米朝関係の構築が朝鮮半島のみならず、世界の平和と繁栄に貢献することを信じ、また、両国の信頼関係の構築によって、朝鮮半島の非核化を進めることができることを認識し、トランプ大統領とキム委員長は以下の通り、宣言する。
1・アメリカと北朝鮮は、平和と繁栄に向けた両国国民の願いに基づいて、新しい関係を樹立するために取り組んでいくことを約束する。
2・アメリカと北朝鮮は、朝鮮半島に、永続的で安定した平和の体制を構築するため、共に努力する。
3・2018年4月27日のパンムンジョム宣言を再確認し、北朝鮮は朝鮮半島の完全な非核化に向けて取り組むことを約束する。
4・アメリカと北朝鮮は、朝鮮戦争中の捕虜や・行方不明の兵士の遺骨の回収に取り組むとともに、すでに身元が判明したものについては、返還することを約束する。
史上初となる、アメリカと北朝鮮の首脳会談が、この数十年にわたった緊張と敵対関係を乗り越え、新しい未来を切り開く大きな転換点であることを確認し、トランプ大統領とキム委員長は、この共同声明での内容を、完全かつ迅速に実行に移すことを約束する。
アメリカと北朝鮮は、首脳会談の成果を実行に移すため、可能な限りすみやかに、アメリカのポンペイオ国務長官と北朝鮮の高官による交渉を行うことを約束した。アメリカのトランプ大統領と北朝鮮のキム・ジョンウン朝鮮労働党委員長は、新たな米朝関係の発展と、朝鮮半島と世界の平和や繁栄、そして安全のために、協力していくことを約束する。
ドナルド・トランプ 米合衆国大統領
金正恩 朝鮮民主主義人民共和国国務委員長
2018年6月12日
セントーサ島 シンガポール
(2018/06/13・毎日連続更新1900日)