(2023年3月29日・連日更新満10年まであと2日)
ロシアがウクライナに侵攻して以来の1年有余。この両国がウクライナ全土を戦場とする戦争当事国となってきた。驚いたことに、唐突にロシアがベラルーシへの「戦術核配備」を発表し、ベラルーシが「準・戦争当事国」となった。ロシアとベラルーシとの合意によって、ことし7月1日までにベラルーシ国内に戦術核兵器を保管する施設が建設される予定だという。
昨28日、ベラルーシ外務省は、戦術核の配備は北大西洋条約機構(NATO)などの圧力が原因と主張する声明を発表したという。同声明は、ベラルーシが米国や英国、NATO加盟国などから近年、政治・経済的に「これまでにない圧力にさらされてきた」と西側諸国を非難。「自国の安全保障と防衛能力を強化して対応することを余儀なくされている」と説明している。
ロシアもウクライナも、それぞれの友好国から戦争遂行のための有形無形の支援を受けてきた。むろん通常兵器の提供も受けている。しかし、核配備の受け入れとなれば、話は次元を異にする。この戦時に戦争当事国の一方に対して、対立国を標的とする「戦術核配備」を提供するというのだ。これ以上の威嚇はない。一方当事国への「支援」の域を超えて、対立当事国への敵対関係を宣告するに等しい。それだけの覚悟を必要とすることなのだ。しかも、ロシアとの関係深く、ウクライナとは長い国境を接するベラルーシにおいてのことである。ウクライナ友好国の全てに対する敵対宣言ととられても不自然ではない。
考えるべきは、ベラルーシの決断のメリットとデメリットである。ロシアの「戦術核配備」を受け入れることが、果たして「自国の安全保障と防衛能力を強化して対応すること」になるものだろうか、同国の国際的な威信を高めることだろうか。さらには、ロシアにとっても、有利な戦況をもたらすものとなるだろうか。
ベラルーシ内の「戦術核」発射施設は、戦況がエスカレートした際の第1攻撃目標となる。ウクライナとしては、目と鼻の先に位置する、このとてつもない危険物の存在を見過ごしてはおられないからだ。ウクライナ軍の砲門は、常時この発射施設に向けられる。岸田文雄が言う「敵基地攻撃」の対象施設になるのだ。しかも、いざというときには一瞬の逡巡があっても取り返しのつかないことになるのだから、「自衛的先制攻撃」の誘惑を捨てきれない。「戦術核」配備は、ベラルーシの戦争被害リスクを確実に大きくする。
それだけではない。「西側諸国は、劣化ウラン弾をウクライナに提供する。西側の同盟が核を用いた兵器を使い始めるということになる。そうなればロシアは対応する必要がある」というのがプーチンの理屈である。「劣化ウラン弾提供には、戦術核配備で対抗するしかない」というわけだ。また、ベラルーシとしては、「これまでにない圧力に『対抗』するための戦術核配備」だという。しかし、西側諸国の側から見れば、「ベラルーシへの戦術核配備には、ウクライナへの戦術核配備で対抗するしかない」と言うことにならざるを得ない。明らかに、危険な核軍拡競争の負のスパイラルに足をすくわれている。安全保障のジレンマに陥ってもいる。ベラルーシの安全保障は損なわれることになるだろう。
さらに強調すべきは、ロシアもベラルーシも、核拡散防止条約(NPT)の締約国であることである。NPTは、核兵器禁止条約の厳格さを持たない。しかし、米、露、英、仏、中5か国の「核兵器国」からの核拡散を防止し、「核兵器国」にも「非核兵器国」にも核不拡散義務を課し、締約国には誠実に核軍縮交渉を行う義務を規定している。ロシア、ベラルーシ両国ともに、国際条約を誠実に遵守する姿勢を持たない非文明国として、国際的な権威を失墜することになろう。
この事態は、ロシアにも跳ね返る。戦術核の配備や使用にこだわることは、戦争遂行への自信のなさの表れと見透かされることになろう。そして、国際的な威信の失墜は覆うべくもない。この戦争を見つめる多くの中立国から見離される、あらためての契機となるに違いない。
いま、保守陣営からは、「今日のウクライナは明日の日本だ」「だから侵略に備えて、軍備の増強が必要だ」との声が上がっている。その声が、既に防衛予算の増額に反映し、今後の「大軍拡・大増税」も招きかねない。
しかし冷静に、まずは「明日の日本を今日のベラルーシにしてはならない」と考えるべきだろう。軽々に、核抑止が有効だなどと単純に考えてはならない。いまベラルーシが直面している核配備の大きなデメリットに注視しなければならない。戦術核配備に限らない。実は、戦争当事国の一方に対する通常兵器の提供も、これと同等の有形無形の支援もリスクのあることなのだ。リスクの大きな「大軍拡・大増税」路線に舵を切ってはならない。
そのことは、「明日の日本を今日のウクライナにしてはならない」という平和の道を探ることに通じる。ウクライナにも、ロシア侵攻を避ける途はあったはずである。軍備を固めるのではなく、国連を通じ誠実な外交の通じての平和を確立する道。そのことを徹底検証して教訓を生かさねばならないと思う。
(2023年3月25日・連日更新満10年まであと6日)
昨年の2月24日以後、ウクライナでの戦争が頭を離れない。大規模な殺戮と破壊が繰り返されていることに、怒りと苛立ちが治まらない。1日も早い平和の回復を祈るしかないが、その和平が難しい。人が平和に暮らすことが、どうしてこんなにも困難なのだろうか。
とりわけ、侵略軍であるロシアがウクライナの民間人に危害を加える報に感情が昂ぶる。ウクライナ東部バフムートの戦況について、優勢なロシア軍の攻撃が激しいと言われてきたが、ここ数日、ロシア軍が勢いを失いつつあるとのニュースに、すこしホッとし、しかしなお戦闘はおさまらず、両軍に死者が絶えないことにむねがふたぐ。
そんな折、ロシア前大統領から、「クリミア攻撃なら『核兵器使用の根拠に』」という発言が飛び出した。またまた、落ち込まざるをえない。いや、激怒せざるをえない。
メドベージェフ前大統領は、現在ロシア国家安全保障会議副議長なのだという。その彼が、24日ロシアの記者らとのインタビュー動画をSNSに投稿して、ロシアが実効支配するウクライナ南部クリミア半島の奪還を目指してウクライナ軍が攻撃した場合の対応策として、こう語ったという。
「(ウクライナ軍のクリミア攻撃が)核抑止のドクトリンで規定されたものを含むすべての防衛手段を使用する根拠になるのは明白だ」「国家の一部を切り離す試みは、国家の存在自体への侵害だ」「そのことを、大洋の向こうの『友人』(アメリカ)が理解してくれることを願う」
ウクライナがクリミアを攻撃するなら、核兵器を使用して反撃するぞ、という威嚇である。ロシアは、2014年にはウクライナからクリミアを奪った。そして、2022年には首都キーウに侵攻を開始した。しかし、1年余を経て新たな侵略に失敗し、却ってウクライナにクリミア半島の奪還を許す恐れなしとしない状況とみるや、露骨に核兵器の使用を広言して威嚇しているのだ。
ベドメージェフが言う「核抑止のドクトリン」とは、プーチンが署名した「核抑止の国家政策の基本」(2020年6月2日、大統領令355号)なる文書。通常兵器で攻撃を受けた場合でも、国の存在が脅かされるならロシアは核兵器で反撃できる、と明記されている。
この大統領令は、《I. 総則、II. 核抑止の本質、III. ロシア連邦が核兵器の使用に踏み切る条件、IV. 核抑止における連邦政府機関の機能及び任務》の4章、20か条から成る。
その基本思想は、「2. 仮想敵がロシア連邦及び(又は)その同盟国に対する侵略を確実に思いとどまるようにすることは国家の最優先課題の一つである。侵略の抑止は、核兵器を含めたロシア連邦の全軍事力の総体によって確保される」「9. 核抑止とは、ロシア連邦及び(又は)その同盟国を侵略すれば報復が不可避であることを仮想敵に確実に理解させるようとするものである」「10. 核抑止を担保するのは、核兵器の使用による耐え難い打撃をいかなる条件下でも確実に仮想敵に与え得るロシア連邦軍の戦力及び手段の戦闘準備並びにこの種の兵器を使用することについてのロシア連邦の準備及び決意である」というものである。ロシアとは、その安全保障の基本を核抑止におく、核依存軍事国家なのだ。
そして、『III. ロシア連邦が核兵器の使用に踏み切る条件』を、次のように定める。「17. ロシア連邦は、自国及び(又は)その同盟国に対する核兵器及びその他の大量破壊兵器が使用された場合並びに通常兵器を用いたロシア連邦への侵略によって国家の存立が危機に瀕した場合において核兵器を使用する権利を留保する」
読み易いように抜き書きすれば、「ロシア連邦は、通常兵器を用いたロシア連邦への侵略によって国家の存立が危機に瀕した場合において核兵器を使用する権利を留保する」というのだ。
メドベージェフは、ウクライナのクリミヤ攻撃を「通常兵器を用いたロシア連邦への侵略」とし、しかも「国家の存立が危機に瀕した場合」というのだ。なんという、身勝手で理不尽な理屈。そして、核兵器という存在そのものの危険性。
また、メドベージェフは、ICCのプーチンに対する逮捕状発付に触れて、「想像してみよう。核保有国の首脳が、たとえばドイツを訪問して逮捕されたとする。これは何になるか。ロシアに対する宣戦布告だ」「ロケット弾などありとあらゆる物が、独連邦議会や首相府に飛来するだろう」とも述べている。ここでも品位に欠ける露骨な核の脅しである。およそ、真っ当な国の高官の発言ではない。
あらためて思う。核兵器と人類の共存はない。
(2023年2月27日)
私は、爆心地近くの広島市立幟町小学校に入学している。「原爆の子の像」のモデル佐々木禎子さんの母校。小学校一年生だった私は、原爆ドームの瓦礫の中で遊んだ。広島が被爆して4年目のこと。そして、同じ広島市内の牛田小学校に転校し、さらに三篠小学校から、宇部の小学校に転校した。どこの小学校だったか、集合写真が1枚だけ残っている。もう、70年以上も昔のこと
私は、戦争のさなかに盛岡に生まれ、盛岡で終戦を迎えたのだから被爆の体験はない。が、原爆の爪痕の残る広島の姿は、おぼろげながらも記憶している。市民の「ピカ」に対する無念と恐怖の感情も。
私の平和志向は、あとで聞かされた戦時中の母の苦労と、この広島での生活体験が原点となっている。原爆こそは絶対悪である。けっして人類と共存することはできない。原爆を無くさなくては、人類が滅亡する。6歳での被爆体験を持つ中沢啓治の思いも同様であったろう。そして、はるかに強烈なものであったろう。
私は「はだしのゲン」には、思い入れが強い。感情を移入せずには読むことができない。広島市教育委員会が、平和教育の小学生向け教材から「はだしのゲン」を外す方針を決めたという報道が無念でならない。広島市よ、おまえもか。
広島市教委は2023年度、市立の全小中高の平和教育プログラム「ひろしま平和ノート」を初めて見直す。その際、小学3年向けの教材として、これまで採用していた漫画「はだしのゲン」を削除。別の被爆者の体験を扱った内容に差し替えるという。
「ゲン」を教材として採用した趣旨は、「被爆前後の広島でたくましく生きる少年の姿を通じて家族の絆と原爆の非人道性を伝える狙いで、家計を助けようと路上で浪曲を歌って小銭を稼いだり、栄養不足で体調を崩した身重の母親に食べさせるために池のコイを盗んだりする場面を引用している」(中国新聞)と報道されている。
これについて、教材の改訂案を検討した大学教授や学校長の会議で「児童の生活実態に合わない」「誤解を与える恐れがある」との指摘が出たという。市教委も同調。その上で、漫画の一部では被爆の実態に迫りにくいとして、もう1カ所あった、家屋の下敷きになった父親がゲンに逃げるよう迫る場面も新教材には載せないという。
戦争は悲惨である。原爆の被害は、その最たるもの。悲惨な場面の描写は避けて通ることができない。被爆者の団体も教材としての使用の維持を求めている。
市教委の今回の措置は実のところ、「悲惨な描写」が理由ではあるまい。「ゲン」がもつ「反戦」の姿勢が不都合なのだ。あるいは『反日』のしせい。戦争とは、加害と被害がないまじったものである。永く続いた日本の保守政権は、過去の戦争の被害の訴えには積極的だが、加害の反省にはまことに消極的である。地方自治体も、戦争の被害者性の訴えには寛容だが、戦争における日本の加害者としての描写には極めて非寛容となる。南京大虐殺にも、シンガポールの大検証にも、三光作戦にも、平頂山事件にも、731部隊にも、従軍慰安婦にも…。
広島・長崎への原爆投下を、それ自体としてだけ見れば、明らかなアメリカの過剰な加害行為で、日本の市民は甚大な被害者である。だから、原爆の被害を訴える展示や集会には、広島市に限らず地方自治体は寛容である。
しかし、「はだしのゲン」は、原爆被害だけを描いていない。原爆被害を素材としながらも、侵略戦争を引き起こした日本の加害者としての戦争責任にも遠慮なく踏み込んでいる。天皇への怨嗟も、軍部の横暴も描いている。戦時下の言論統制にも異議を唱えている。そして、アメリカの戦後責任にも。これが「反戦」の基本姿勢である。そして、ある種の人々から見れば『反日』でもある。これこそが、「ゲン」が単なるマンガを超えて多くの市民から支持された理由であり、同時に右翼や政府や自治体からは疎まれ煙たがられてきた原因なのだ。真実を語ればこその受難というべきであろう。
「はだしのゲン」を読み継ぐということは、日本の加害者としての責任を自覚し続けるということであり、反戦の思想を守り続けることでもある。「はだしのゲン」を大切に読み続けよう。
(2023年2月26日)
昨日、公益財団法人第五福竜丸平和協会の役員懇談会。来年2024年は、ビキニ事件・第五福竜丸被ばくから70年になる。その翌々年2026年は、展示館開館50周年。どのような基本理念で、どのような企画をなすべきか。「ビキニ事件を直接知らない世代が圧倒的多数となる時代に対応する取り組み」についてのフリートーキング。
最初に、奥山修平代表理事から語られたのが、「核兵器の使用も原発への攻撃も、今差し迫った問題となっており、終末時計が1分30秒前まで進行している現状。一方、ビキニ事件を直接には知らない世代が圧倒的多数となっている。こんな時代の節目の時に、どのような事業をなすべきか率直にご意見を伺いたい」という問いかけ。
この冒頭挨拶の中に、こんなエピソードが添えられた。「ある大学の教員が、学生に三つのキーワードでの作文を求めた。『英霊』『真珠湾』『B29』。もちろん日本の戦争への加害と被害の認識を問うたものだが、期待した反応は少なかったという。中には、『英霊とは英国の幽霊』『真珠湾とは、伊勢の養殖真珠産地』『B29とは特別に濃い鉛筆』というコメントもあって、愕然としたという。大切な戦争体験の承継ができていない。ビキニ事件も、記憶を失ってはならないし、失わされてはならない」
この冒頭発言に続く提案として、「映像世代の若者をターゲットに、動画やユーチューブサイトの活用を」「若者には、アニメが訴える力を持っている。自主作成援助の企画を」「平和の折り鶴という固定観念を打ち破るドラゴンの折り紙はできないか」「来年は辰年、ドラゴンのオブジェに、ウロコにたくさんのメッセージを書いてもらう参加型イベントはどうだろうか」「フィールドワークの充実を」と意見が飛び交う。いちいちもっともで、私なんぞが口出しのしょうもない。
ところで、本日は2月26日。1936年の今日、雪の降る東京で陸軍の一部がクーデターを起こしている。翌2月27日「戒厳」が宣せられ、同月29日に鎮圧されている。この事件で陸軍の統制派が権力を掌握して軍部独裁を確立し、国家総動員法(38年)から大政翼賛会(40年)、そして太平洋戦争(41年)へと転げ落ちていくことになる。
5・15事件も、2・26事件も、しっかりと記憶を新たにし、教訓を噛みしめておかねばならない。若者が『英霊』も『パールハーバー』も『B29』もよく分からないというのでは、戦前の過ちを繰り返さぬような社会を作れるのか、心もとない。2・26事件では、戒厳令の危険を知ってもらわねばならない。
戒厳令問題は、過去の話ではない。自民党改憲草案(2012年4月27日)の緊急事態条項(「第9章」98条・99条)には、国家緊急権発動の一態様として「緊急事態宣言」が書き込まれている。戦争・内乱・大災害等の非常時に、憲法を一時停止して政権の専横を可能とするもの。自民党は、明文会見によって「戒厳令」の復活をたくらんでいるのだ。
大江志乃夫「戒厳令」(岩波新書・1978年)は、今読み直されるべき書である。戒厳令についての詳細を理解し、自民党改憲案の危険に警鐘を鳴らすために。
この書では、2・26事件の顛末を次のとおり、簡明にまとめている。
「いわゆる皇道派に属する青年将校が部隊をひきいて反乱を起こした「政治的非常事変勃発」である。反乱軍は、首相官邸に岡田啓介首相を襲撃(岡田首相は官邸内にかくれ、翌日脱出)、内大臣斎藤実、大蔵大臣高橋是清、教育総監陸軍大将渡辺錠太郎を殺害し、侍従長鈴木貫太郎に重傷を負わせ、警視庁、陸軍省を含む地区一帯を占領した。反乱将校らは、「国体の擁護開顕」を要求して新内閣樹立などをめぐり、陸軍上層部と折衝をかさねたが、この間、2月27日に行政戒厳が宣告され、出動部隊、占拠部隊、反抗部隊、反乱軍などと呼び名が変化したすえ、反乱鎮圧の奉勅命令が発せられるに及んで、2月29日、下士官兵の大部分が原隊に復帰し、将校ら幹部は逮捕され、反乱は終息した。事件の処理のために、軍法会議法における特設の臨時軍法会議である東京陸軍軍法会議が設置され、事件関係者を管轄することになった。判決の結果、民間人北一輝、西田税を含む死刑19人(ほかに野中、河野寿両大尉が自決)以下、禁錮刑多数という大量の重刑者を出した。」
この書の冒頭に、2・26事件を起こした反乱青年将校たちが自分たちの政治綱領として信ずることの厚かった『日本改造法案大綱』の第一条が紹介されている。
「天皇ハ全日本国民ト共二国家改造ノ根基ヲ定メンガ為ニ、天皇大権ノ発動ニヨリテ三年間憲法ヲ停止シ両院ヲ解散シ、全国ニ戒厳令ヲ布ク」
これは、初めてクーデターの手段としての戒厳を公然と主張したものだという。天皇親政を実現するために、憲法を停止する。具体的には、「貴衆の両院を解散し、全国に戒厳令を布く」というのだ。これが、皇道派青年将校が企図したクーデターだった。
自民党改憲草案も読み較べておきたい。
第99条1項 「緊急事態の宣言が発せられたときは、法律の定めるところにより、内閣は法律と同一の効力を有する政令を制定することができるほか、内閣総理大臣は財政上必要な支出その他の処分を行い、地方自治体の長に対して必要な指示をすることができる。」
緊急事態宣言下、内閣は国会を無視して独裁者として振る舞うことができる。国民は内閣のいうことを聞かねばならなくなる。内閣は、政令を作って「集会若クハ新聞雑誌広告等ノ時勢ニ妨害アリト認ムル者ヲ停止スルコト」ができる。もちろん、テレビの放送の停波など簡単なこと。
広島も長崎も、ビキニも第五福竜丸も、そして5・15も2・26も、忘れぬようにしよう。国民が忘れたと見るや、為政者は欺しにかかってくるのだから。
(2022年8月6日)
8月6日。「広島原爆の日」である。77年前の今日、広島市民の頭上で原子爆弾が炸裂した。人類史上最大規模の残虐な殺戮行為である。広島が軍都であったにせよ、明らかに過剰な民間人に対する虐殺と破壊。余りにも大きな「人間の悲劇」が今になお続いている。
季語では「原爆忌」。怒り・悲しみ・祈りの句が詠まれる。本日の東京新聞「平和の俳句」欄に、黒田杏子選の次の一句。
ノーモア ヒロシマ ナガサキ ウクライナ (冨田清継・名古屋市)
これまでは、「ノーモア ヒロシマ ナガサキ ビキニの悲劇」であったが、今や「ウクライナ」なのだ。「ウクライナ」(実は、プーチンのロシア)が、差し迫った核の脅威の象徴となっている。ウクライナに限らず、世界は核をめぐる緊張の中にある。日本の国内にさえ、「核共有」論者が現れている現状。
その緊張の中で、恒例の「広島・平和祈念式典」が開かれた。注目は、岸田文雄首相とグテーレス国連事務総長の「挨拶」。端的に言えば、この2人の核廃絶に対する熱意の落差だ。世界の良識が核廃絶を求める本気度に比較して、日本の政権の核廃絶に対する熱意のなさがいかに浮き彫りになるのかという関心である。
原爆投下時刻の午前8時15分に参列者が黙禱を捧げたあと、松井一実市長が平和宣言で「一刻も早く、すべての核のボタンを無用のものにしなくてはならない」と訴えた。ほかならぬロシアの文豪トルストイが残したとされる「他人の不幸の上に自分の幸福を築いてはならない」という言葉を引用して、核保有国の傲慢を批判した。注目されたのは、核兵器禁止条約に否定的な日本政府に対する批判に言及したこと。岸田首相を目の前にして、来年の第2回締約国会議への参加や、条約への署名・批准を求めた。
岸田文雄のあいさつ要旨は以下の通り。
「あの日の惨禍を決して繰り返してはならない。これは唯一の戦争被爆国であるわが国の責務であり、被爆地広島出身の首相としての誓いです。
核兵器による威嚇が行われ、核兵器の使用すらも現実の問題として顕在化し、「核兵器のない世界」への機運が後退していると言われている今こそ、広島の地から「核兵器使用の惨禍を繰り返してはならない」と世界の人々に訴えます。
いかに難しかろうとも、核兵器のない世界への道のりを歩みます。非核三原則を堅持しつつ、厳しい安全保障環境という「現実」を核兵器のない世界という「理想」に結びつける努力をします。
私は先日、核拡散防止条約(NPT)再検討会議に日本の首相として初めて参加し、世界の平和を支えたNPTを国際社会が結束して維持・強化すべきだと訴えました。
来年は広島で主要7カ国首脳会議(G7サミット)を開催します。G7首脳と共に、平和のモニュメントの前で、自由、民主主義といった普遍的な価値観を守るために結束していくことを確認したいと考えています。
核兵器のない世界の実現に向けた歩みを支えるのは世代や国境を越えて惨禍を語り伝え、記憶を継承する取り組みです。」
聞いていて、訴えるところがない。まことに平板で熱意の感じられないあいさつであった。核禁条約には頑なにまで触れない。何かしら、特別の裏事情でもあるのだろうか。
さて、注目のグテーレスである。
立派な演説だった。核禁条約を「希望の光」として、今年6月の第1回核兵器禁止条約の締約国会議の意義を強調した。そして、「広島の恐怖を常に心に留め、核の脅威に対する唯一の解決策は核兵器を一切持たないことだ」と、核抑止力を明確に否定した。これが、世界の良識なのだ。以下、抜粋して要約する。
「新たな軍拡競争が加速しています。世界の指導者たちは毎年数千億ドルもの資金を費やして、兵器の備蓄を強化しています。世界では約13,000発の核兵器が保有されています。そして深刻な核の脅威が、中東から、朝鮮半島へ、そしてロシアによるウクライナ侵攻へと、世界各地で急速に広がっています。
核兵器保有国が、核戦争の可能性を認めることは、断じて許容できません。人類は、実弾が込められた銃で遊んでいるのです。
希望の光はあります。
6月には核兵器禁止条約の締約国が初めて集い、終末兵器のない世界に向けたロードマップを策定しました。そしてまさに今、ニューヨークでは、核兵器不拡散条約の第10回運用検討会議が開催されています。
本日、私は、この神聖な場所から、この条約の締約国に対し、私たちの未来を脅かす兵器の備蓄を廃絶するために緊急に努力するよう呼びかけます。
核兵器保有国は、核兵器の「先制不使用」を約束しなければなりません。また、非核兵器保有国に対しては核兵器を使用しないこと、あるいは使用すると脅迫しないことを保証するべきです。さらに、核兵器保有国はあらゆる面において透明性を確保しなければなりません。
私たちは、広島の恐怖を常に心に留め、核の脅威に対する唯一の解決策は核兵器を一切持たないことだと認識しなければなりません。」
「もう二度と、広島の悲劇を引き起こさないでください。
もう二度と、長崎の惨禍を繰り返さないでください。」
(2022年8月3日)
7年ぶりとなったNPT(核兵器不拡散条約)運用再検討会議。8月1日の岸田首相一般討論演説(日本語)が、官邸ホームペーに全文掲載されている。
https://www.kantei.go.jp/jp/101_kishida/statement/2022/0801enzetsu.html
この演説、被爆者や原水禁活動家の間ではすこぶる評判が悪い。新聞の見出しに「NPT会議 首相演説、核禁条約を無視」「『核廃絶へもっと強いメッセージを』 首相NPT演説に被爆地の声」「被爆者ら冷ややか 『核禁条約無視した』『廃絶の思い本心か』 NPT会議首相演説」という具合。赤旗は「首相演説 憤る被爆者」と見出しを打った。何よりも、この時期最も重要な核禁条約に一言も触れていないことが致命傷。「核廃絶の思い本気か」「言ってることは本心なのか」と疑問視されて、当然といえば当然。
被爆者や原水禁活動家の核廃絶を願う思いの深さ、真剣さからみれば、岸田の言葉の軽さに不満が募るのは当然なのだ。東京生まれで東京で育ちながら、「広島出身」をウリにしている岸田である。「一番大切な核兵器禁止条約について、一言も触れなかった」「そのことの重要性を知らないはずはないのにことさらに無視した」という不満は大きい。
だが、この演説にとるべきところがないわけではない。少なくとも、「核共有」などと口走っていた安倍晋三などと比較すれば、ずっと真面目だとは言える。安倍晋三なんぞと比較してどうするという叱責を覚悟で、まだましというべきであろう。何しろ、日本の首相として初めてこの会議に出席したのだから。
以下、重要部分を抜粋して意見を述べておきたい。なお、小見出しは、原文にはなく、私が付けたもの。
《現状認識(現実)》
国際社会の分断は更に深まっています。特に、ロシアによるウクライナ侵略の中で核による威嚇が行われ、核兵器の惨禍が再び繰り返されるのではないかと世界が深刻に懸念しています。
「核兵器のない世界」への道のりは一層厳しくなっていると言わざるを得ません。
《目標(理想)》
しかし、諦めるわけにはいきません。被爆地広島出身の総理大臣として、いかに道のりが厳しいものであったとしても、「核兵器のない世界」に向け、現実的な歩みを一歩ずつ進めていかなくてはならないと考えます。
《NPTの位置付け》
そして、その原点こそがNPTなのです。NPTは、軍縮・不拡散体制の礎石として、国際社会の平和と安全の維持をもたらしてきました。NPT体制を維持・強化することは、国際社会全体にとっての利益です。この会議が意義ある成果を収めるため、協力しようではありませんか。我が国は、ここにいる皆様と共に、NPTの守護者として、NPTをしっかりと守り抜いてまいります。
以上の《現状認識(現実)》《目標(理想)》はともかく、《NPTの位置づけ》はまことに物足りない。NPTは、5大国には核保有を認めて、それ以外の諸国への核拡散を防止することを主内容とする。もちろん核保有国には核軍縮の義務を定めるが、不公平甚だしい。
これに反して、核兵器禁止条約は、核兵器の開発、保有、使用の全てを違法とし、これを禁じる内容である。被爆国である日本がNPTを持ち上げ、「NPTをしっかりと守り抜いてまいります」というのは、積極的に核兵器禁止条約に背を向け、核の温存をはかろうというに等しい。
それでも、岸田演説を全面否定し得ないというのは、以下の具体的な提案があるからだ。
《理想と現実を結ぶロードマップ》
「核兵器のない世界」という「理想」と「厳しい安全保障環境」という「現実」を結びつけるための現実的なロードマップの第一歩として、核リスク低減に取り組みつつ、次の5つの行動を基礎とする「ヒロシマ・アクション・プラン」にまずは取り組んでいきます。
(1) まず、核兵器不使用の継続の重要性を共有すべきであることを訴えます。ロシアの行ったような核兵器による威嚇、ましてや使用はあってはなりません。長崎を最後の被爆地にしなければなりません。
(2) 次に、核戦力の透明性の向上を呼びかけます。とりわけ、核兵器用核分裂性物質の生産状況に関する情報開示を求めます。これはFMCT(核兵器用核分裂性物質生産禁止条約)の交渉開始に向けたモメンタムを得る上で重要な一歩であると考えます。
(3) 第三に、核兵器数の減少傾向を維持することです。「核兵器のない世界」に歩みを進める上で、この減少傾向を継続することは極めて重要です。全核兵器国の責任ある関与を求めます。
この観点から、CTBT(包括的核実験禁止条約)やFMCTの議論を、今一度呼び戻します。CTBTの発効を促進する機運を醸成すべく、9月の国連総会に合わせて、私は、CTBTフレンズ会合を首脳級で主催します。また、FMCTの交渉の早期開始を改めて呼びかけます。
(4) 第四に、核兵器の不拡散を確かなものとし、その上で、原子力の平和的利用を促進していくことです。
原子力の平和的利用は、原子力安全と共に進めるべきものです。この度のロシアによる原子力関連施設への攻撃は決して許されるものではありません。日本は、2011年の事故の教訓を基に、被災地復興や廃炉に関連する様々な課題に取り組みます。国際原子力機関始め国際社会と協力し、内外の安全性基準に従った透明な取組を進めます。
(5) 第五に、各国の指導者等による被爆地訪問の促進を通じ、被爆の実相に対する正確な認識を世界に広げていきます。この観点から、グテーレス国連事務総長が8月6日に広島を訪問することを歓迎します。
また、国連に1千万ドルを拠出して「ユース非核リーダー基金」を設け、未来のリーダーを日本に招き、被爆の実相に触れてもらい、核廃絶に向けた若い世代のグローバルなネットワークを作っていきます。
「核兵器のない世界」に向けた国際的な機運を高めるため、各国の現・元政治リーダーの関与も得ながら、「国際賢人会議」の第一回会合を11月23日に広島で開催します。
また、2023年には被爆地である広島でG7サミットを開催します。広島の地から、核兵器の惨禍を二度と起こさないとの力強いコミットメントを世界に示したいと思います。
以上の(1)と(2)は具体性に欠けるお題目に過ぎず、(4)は原発再稼働のたくらみとして用心しなければならないが、(3)と(5)には具体的な実行課題の設定が見える。これだけでも、安倍晋三なんぞよりはずっとマシだ。「広島を選挙区とする政治家」として、せめてこれくらいは実行していただきたい。さすれば、落ち込んだ支持率のいささかの回復も見込めよう。
(2022年6月24日)
ロシアのウクライナ軍事侵攻開始以来、今日でちょうど4か月。2月24日のあの衝撃を思い出す。国境を越えたロシア軍の侵攻に驚いたただけでなく、プーチンの核威嚇に驚いた。軍事侵攻開始演説で彼は、「ロシアは世界で最も強力な核保有国の一つ」とわざわざ言ってのけたのだ。おそらくは、NATO加盟国に対する威嚇であり恫喝である。凶暴、これに過ぐるものはない。
さらに、プーチンは、NATOに対抗するとして、ロシア軍の「核抑止力部隊」の「特別態勢移行」を国防相らに命じている。明らかな、核による脅しである。暴力団まがい脅迫。法が支配する文明社会では、明らかな犯罪行為。国連憲章違反でもある。
このプーチンによる核威嚇には生理的な嫌悪感を禁じえない。世界中で、プーチン・ロシアを徹底して批判しなければならない。言葉の真の意味でのゴロツキの行為として。
核に対する嫌悪と拒絶の感情は、戦後の日本国民が共有したものでものである。ところが今、一部にもせよ、国内に「核には核を」「非核三原則の見直しを」「核共有の検討を」などという議論が起こっていることが信じがたい。私にはとうてい受け入れがたい。
私は、戦後民主主義の空気を胸いっぱいに吸って育った。私の周りに、とりたてて進歩的な人がいたわけではない。革命の理想など聞かされた経験はない。それでも私は時代の空気を吸い、時代によって育てられた。
全ての人が例外なく平等であることは当然で疑問をもったことはない。そして、戦争は愚かなことで平和が尊いものであることも、すんなりと受け入れた。愚かで悲惨な戦争の象徴が原爆だった。
私は、小学校1年生時は広島で過ごした。爆心地近くの幟町小学校に入学し、その後牛田小学校、三篠小学校と転校した。当時、原爆ドームは整備されておらず、瓦礫が散乱していた。立ち入りの制限もなく、そこを遊び場にしていた記憶がある。
どの学校の先生だったか、担任の女性教師の顔にはケロイドがあった。広島がピカでやられたこと、ピカを許してはならないことが深く心に刻み込まれた。そして、小学校4年生の3月、当時清水に暮らしていて焼津港の第五福竜丸の被害を身近に知った。放射能の雨に恐怖をおぼえた。
以来、何よりも核兵器の廃絶こそが人類が生き延びるための喫緊の最重要課題であると考えるようになった。幣原喜重郎の制憲国会での答弁の言い回しを借りれば、「人類が核兵器を廃絶しなければ、核兵器によって人類は滅亡に至る」のだ。
この点、日本共産党は「人類の死活にかかわる核戦争の防止と核兵器の廃絶」を綱領にかかげ、その実現のために力を尽くしてきている。そして、現状の認識としては、「ロシアのプーチン大統領が核兵器使用の威嚇をくりかえしていることに世界が懸念を強めています。今日の核兵器使用の現実的危険を絶対に許さず、『核兵器のない世界』へと前進することが急務です」と述べている。国政選挙に際してはこの政党を投票先とせざるを得ない。
折も折、ウィーンで開かれた核兵器禁止条約の第1回締約国会議は最終日の23日、核廃絶への決意を示す政治宣言と、批准国の方針を記した50項目に及ぶ「ウィーン行動計画」を採択して閉幕した。
政治宣言は「核兵器の完全な廃絶を実現するという決意」を再確認のうえ、核禁条約を「その基礎となる一歩」と表現した。核兵器の人道的影響について「壊滅的で対処することができない」とし、核兵器を「生命に対する権利の尊重とは相いれない」と断じた。また、宣言では核保有国の「核の傘」の下にある国も「真剣な対応を取っていない」と批判。一方で、核保有国との対話もめざす内容になった。
さらに、核抑止論について「地球規模の破滅的な結果をもたらすリスクを前提としたもの」として、「誤り」と明確に断じた。核保有国や「核の傘」にある同盟国について「真剣な対応を取っていないどころか、核兵器をより重視する過ちにある」と批判している。
条約非締結国で、オブザーバー参加のドイツの発言が注目を集めた。「NATO加盟国としての立場と一致しない条約には参加できない。しかし、ロシアによる核威嚇に関し、核使用を禁止する規範の強化が必要だ。条約の賛否を越えて、肩を並べて協力することが出来る。核廃絶に向けて、心を開き、誠実に対話することが必要不可欠だ。そのためにドイツはここにいる」というもの。
どうして、被爆国である日本が、ドイツと同じように、「核廃絶に向けて、心を開き、誠実に対話することが必要不可欠だ。そのために日本はここにいる」と言えないのだろうか。
政府の核政策の矛盾を果敢に追求する、今後の国会論戦に期待したい。そのためには、日本共産党の国会内での勢力が小さいままでは、迫力に欠ける。核戦争防止と核廃絶を願う有権者の皆様には、核廃絶の方針に揺るぎのない日本共産党の候補者への投票をお願いしたい。
7月10日投開票の参院選。比例代表では「日本共産党」という政党名を。あるいは「にひそうへい」「田村智子」などの候補者名を記載して投票してください。
(2022年3月13日)
本日、公益財団法人・第五福竜丸平和協会の理事会。年度末だから、決算・予算案を確定しなければならない。新年度の事業計画も策定しなければならない。全理事と監事が揃っての会合となった。
事務局が作成した「2022年度事業計画(案)」の中に、次の一節がある。
「核兵器禁止条約の発効に見られる核なき世界への努力の一方で、核兵器の増強や核使用が危惧される事態などを視野に入れ、核使用・核開発がもたらす惨禍を広く知らせる。」
その具体策、《企画展【展示替え】等のとりくみ》として、こう提案され、了承された。
「本年度最初の春の展示替えは、「ラッセル=アインシュタイン宣言」のコーナーをリニューアルする。宣言の持つ今日的意義、出された経緯、署名者の紹介などを説明する。これと結び人類的課題である気候変動問題などをマーシャル諸島の実情などと関連づけてとりあげる。」
第五福竜丸の被ばく被害の衝撃が、日本国内の原水爆反対の国民的大運動となり、これが海外へも波及して「ラッセル・アインシュタイン宣言」、さらには「パグウォッシュ会議」となった。この、世界の核廃絶世論形成の経過は、現在常設展示されてはいる。しかしいま、その今日的意味の再確認と積極的な訴えが必要なのだ。ウクライナに武力侵攻したロシア自身が敢えて核の脅迫を辞さず、これに触発された内外の核武装論も危険この上ない。
同宣言は、1955年7月9日、英国の数学者・哲学者ラッセルと米国の物理学者アインシュタインを中心とする11人がロンドンで署名した宣言。核兵器による人類の危機を訴え、紛争解決のために平和的手段を見出すよう勧告したもの。
「ラッセル=アインシュタイン宣言」は、誰もが知っているが、訳文でもきちんと目を通した人は意外に少ない。これがかなりの長文であることもその原因の一つではなかろうか。
その一部を抜粋して、「今日的意義」を訴えたい。
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私たちが今この機会に発言しているのは、特定の国民や大陸や信条の一員としてではなく、存続が危ぶまれている人類、いわば人という種の一員としてである。世界は紛争にみちみちている。そこでは諸々の小規模紛争は、共産主義と反共産主義との巨大な戦いのもとに、隠蔽されているのだ。
私たちには新たな思考法が必要である。私たちは自らに問いかけることを学ばなくてはならない。それは、私たちが好むいづれかの陣営を軍事的勝利に導く為にとられる手段ではない。というのも、そうした手段はもはや存在しないのである。そうではなく、私たちが自らに問いかけるべき質問は、どんな手段をとれば双方に悲惨な結末をもたらすにちがいない軍事的な争いを防止できるかという問題である。
一般の人々、そして権威ある地位にある多くの人々でさえも、核戦争によって発生する事態を未だ自覚していない。一般の人々はいまでも都市が抹殺されるくらいにしか考えていない。新爆弾が旧爆弾よりも強力だということ、原子爆弾が1発で広島を抹殺できたのに対して水爆なら1発でロンドンやニューヨークやモスクワのような巨大都市を抹殺できるだろうことは明らかである。
水爆戦争になれば大都市が跡形もなく破壊されてしまうだろうことは疑問の余地がない。しかしこれは、私たちが直面することを余儀なくされている小さな悲惨事の1つである。たとえロンドンやニューヨークやモスクワのすべての市民が絶滅したとしても2、3世紀のあいだには世界は打撃から回復するかもしれない。しかしながら今や私たちは、とくにビキニの実験以来、核爆弾はこれまでの推測よりもはるかに広範囲にわたって徐々に破壊力を広げるであろうことを知っている。
現在では広島を破壊した爆弾の2500倍も強力な爆弾を製造できることが述べられている。もしそのような爆弾が地上近くまたは水中で爆発すれば、放射能をもった粒子が上空へ吹き上げられる。そしてこれらの粒子は死の灰または雨の形で徐々に落下してきて、地球の表面に降下する。日本の漁夫たちとその漁獲物を汚染したのは、この灰であった。そのような死をもたらす放射能をもった粒子がどれほど広く拡散するのかは誰にもわからない。しかし最も権威ある人々は一致して水爆による戦争は実際に人類に終末をもたらす可能性が十分にあることを指摘している。もし多数の水爆が使用されるならば、全面的な死滅がおこる恐れがある。――瞬間的に死ぬのはほんのわずかだが、多数のものはじりじりと病気の苦しみをなめ、肉体は崩壊してゆく。
さて、ここに私たちが皆に提出する問題、きびしく、恐ろしく、おそらく、そして避けることのできない問題がある――私たちは人類に絶滅をもたらすか、それとも人類が戦争を放棄するか?
たとえ水爆を使用しないというどんな協定が平時にむすばれていたとしても、戦時にはそんな協定はもはや拘束とは考えられず、戦争が起こるやいなや双方とも水爆の製造にとりかかるであろう。なぜなら、もし一方がそれを製造して他方が製造しないとすれば、それを製造した側はかならず勝利するにちがいないからである。軍備の全面的削減の一環としての核兵器を放棄する協定は、最終的な解決に結びつくわけではないけれども、一定の重要な役割を果たすだろう。
人類として、私たちは次のことを銘記しなければならない。すなわち、もし東西間の問題が何らかの方法で解決され、誰もが――共産主義者であろうと反共産主義者であろうと、アジア人であろうとヨーロッパ人であろうと、または、アメリカ人であろうとも、また白人であろうと黒人であろうと――、出来うる限りの満足を得られなくてはならないとすれば、これらの問題は戦争によって解決されてはならない。
私たちの前には、もし私たちがそれを選ぶならば、幸福と知識の絶えまない進歩がある。私たちの争いを忘れることができぬからといって、そのかわりに、私たちは死を選ぶのであろうか? 私たちは、人類として、人類に向かって訴える――あなたがたの人間性を心に止め、そしてその他のことを忘れよ、と。もしそれができるならば、道は新しい楽園へむかってひらけている。もしできないならば、あなたがたのまえには全面的な死の危険が横たわっている。
決議
私たちは、この会議を招請し、それを通じて世界の科学者たちおよび一般大衆に、つぎの決議に署名するようすすめる。
「およそ将来の世界戦争においてはかならず核兵器が使用されるであろうし、そしてそのような兵器が人類の存続をおびやかしているという事実からみて、私たちは世界の諸政府に、彼らの目的が世界戦争によっては促進されないことを自覚し、このことを公然とみとめるよう勧告する。したがってまた、私たちは彼らに、彼らのあいだのあらゆる紛争問題の解決のための平和的な手段をみいだすよう勧告する。」
(2022年3月12日)
松井芳郎・名古屋大学名誉教授は、国際法の権威として知られる。かつて国際法学会の理事長(2000?2003年)を務め、現在は名誉理事(2003年?)である。その人が、3月8日参院予算委中央公聴会でロシアのウクライナ侵攻問題について公述人として発言した。国際法から見たロシアの違法。そして、核抑止論、敵基地攻撃論、核共有論にまで論点は及んだ。できるだけ正確に、要点をご紹介したい。
※陳述の概要について
私に与えられた課題は、ウクライナ危機についての国際法的な問題点について話をしろという御注文でありましたが、参議院予算委員会の議論でありますので、日本ともどういう関わりがあるかということを最後に簡単に触れることができればいいと思っております。
※ ロシアの国際法違反を確認する意味
まず最初に、ウクライナ危機について、国際法とか国連がどのように関わるかという問題でありますが、ロシアの行動が国際法を踏みにじった暴挙であるということはもう国際社会で一般に行き渡っておりまして、日本でも、政府もそう言っておりますし、衆議院、参議院でもその趣旨の決議をしておられるという状況でありまして、今更国際法学者が出向いて国際法に違反しているよというふうな議論をしても余り意味がないようにも思われます。しかし、やっぱりどの点にどのように違反しているかということを確認するのは、この問題、解決を考える際に必要なことだろうというふうに思っております。
※ 国連は無力ではない
それから、国連無力論というのも一部に登場しておりまして、ロシアがあんなひどいことをやっているのに国連何もできないじゃないかという議論であります。これについても是非考えておく必要があるだろうと思っております。
それで、3月2日の国連の緊急特別総会の決議がロシアに対してどういう非難をし、どういう要求をしているかということを簡単に箇条書をいたしました。ここに含まれているような論点がこの危機が示す国際法上の論点だろうというふうに思って箇条書にしたわけであります。時間が詰まっておりますので一々読み上げませんが、御覧をいただきたいと思います。
※ 触れない論点
なお、国際法の問題を取り上げると申しましたが、最近特に問題になっている原発への攻撃ですね、それから、これは紛争の始まった当時からずっと言われている文民とか民用物への攻撃、これは国際人道法に違反するのではないかという議論がございますが、残念ながらこれには触れることができない。
それからもう一つ、この紛争で行われている、特にロシア側の様々な戦闘行為が戦争犯罪に該当するんじゃないかということで、これを処罰しようという動きが国際刑事裁判所等でも行われておりますが、これにも触れることはできません。
紛争自体、ロシアの武力行使自体が国際法的にどういう問題を含んでいるかということに絞りたいと思います。
※ ロシアの武力行使正当化の論拠
ロシアがこの作戦をどういう根拠で説明しているのかということであります。まだ紛争始まってそんなにたつわけではありません。つまり、武力が使われてそんなにたつわけ ではありませんので、系統立った国際法的な説明というのはロシア側はやっておりません。準備の時間が余りなかったので十分調べられておりませんけれども、プーチン大統領の幾つかの演説が新聞紙上でも大きく報道されました。それから、国連機関、安保理事会とか総会で議論が行われておりまして、もちろんロシア代表が発言しております。そういうところから大体ロシアはこういうつもりだろうというところを取り上げてみたのがその次の項目であります。
まず、何よりも先頭に来るのが国連憲章第51条、プーチンさんの演説も具体的にこの条を援用しておりますが、これに基づく自衛権の行使だということです。これが中心的な議論だろうと思います。
これに二つの側面がありまして、一つはロシアが承認したと言っておりますウクライナの東部地域の、ロシア系の人たちがつくった国ですね、そういう国からの要請に基づいて集団的自衛権を行使しているという議論であります。もう一つは個別的自衛権の議論でありまして、ウクライナが核兵器の取得を追求している、あるいはNATO加盟を求めている。それから、ロシアに対して様々な領土要求を行っているというふうなことを挙げまして、これに対する自衛だということは、つまり個別的自衛という主張であります。
とりわけNATOの加盟については大変敏感でありまして、越えてはならない一線だと。それを越えたじゃないかという言い方をしております。
もう少し一般的に申しますと、ウクライナの「非軍事化」と「非ナチ化」ということを何度かいろんな場所で言っておりまして、これは要するにウクライナの体制自体を変更するという要求あるいは意図を示しているというふうに思われるわけであります。
※ 武力行使禁止原則違反
それでは、こういった根拠による武力行使が国際法上どのように評価されるかという問題であります。
何よりも武力行使禁止原則違反であります。このことは総会決議も非常に強調して、侵略行為という非常にきつい言葉を使って非難しているところであります。
50年ぐらい前になりますが、「侵略の定義」という国連総会決議がありまして、「一国の軍隊による他国の領域に対する攻撃、侵入、占領は侵略行為になる」ということで、これに責任を負う指導者は個人としても刑事責任を負うという考えが確立しております。
もっとも、幾つかの違法性阻却事由が考えられるわけでありますが、自衛権については、自衛権の行使を主張する国は相手国が自国に対して武力攻撃を行ったということ、そして、自国の対応は攻撃に対して必要であり、かつ均衡が取れたものであるということを証明しなければならないというふうにされております。
しかし、ロシア自身がウクライナによる武力攻撃があったとは言っておりません。これはもう客観的にもそういう攻撃があったとは言えないと思いますが、ロシアの言い分では、自国に向けられた脅威に対して自衛をしているという言い方であります。しかし、単なる脅威では自衛権の発動は正当化できません。
※ ジェノサイドの防止は国連の役割
それからもう一つ、これもプーチン大統領等がしばしば言うことでありますが、ジェノサイドの防止、つまり東部諸国、ロシアが承認した東部諸国でウクライナ政府がロシア系の住民に対してジェノサイドを行っているという、これをやめさせるんだという議論であります。
確かにジェノサイドは国際法上の犯罪でありまして、これも刑事責任が発生する問題でありますが、これに対処するのは国際社会全体、とりわけ国連の役割でありまして、個々の国家が自称お巡りさんのようにしゃしゃり出て武力を使うというようなことを正当化するわけではありません。
実際にジェノサイドが行われているかどうか、行われているとすれば、ロシアがそのジェノサイドをやめさせるためにいろんなことをやる、そういうことができるのかどうかということをウクライナが国際司法裁判所に提訴をしておりまして、裁判が始まるかどうかはなお未知数でありますけれども、もし判決が出れば、その辺りのことは司法的に明確になるというふうに考えております。
※ 不干渉原則の侵害
それから、不干渉原則の侵害ということがありまして、ウクライナがどのような対外政策、例えばNATOに入るかどうかですね、どのような対内政策を取るかということは、国際法が認める範囲内でウクライナ自身が決めることでありまして、これらの問題について何らかの圧力を掛けて、武力には限りませんが、圧力を掛けてああしろこうしろと言うことは不干渉原則に違反をいたします。
それから、東部諸国の独立承認という問題ですが、これらの諸国、中身をお話しする時間はありませんけれども、国家として国際法上国家と認められる要件を備えていないというふうに思われますし、国家でなくても自決権を有する人民と認められれば、これに対する援助をするということも違法ではありませんけれども、そういう人民でもない。むしろ、ロシアが言わばでっち上げた、日本の歴史を思い起こせば、満州国のようなかいらい政権であろうというふうに見られます。
そういう政権に対して承認を与えることはウクライナに対する違法な干渉となります。
それから、ウクライナの「非ナチ化」、つまり体制変更を求めるというのは、実はイラク戦争のときにもアメリカはちらっとそういうことを言ったんですが、これは同盟国からもう全て、例えば英国等からも総スカンを食いまして、少なくとも表立った目標として体制変更を掲げるのは妥当ではないということが確認されたと思われます。もちろん、ウクライナの政治的独立の侵害となります。
※ 大ロシア主義を思わせる拡張政策
その次の問題は、周辺諸国に対して昔の大ロシア主義を思わせるような拡張政策を繰り返して取っていること。
最近では、ウクライナについても、「あれは実は昔はロシアの一部であったので、ロシア革命の際にレーニンが間違って独立を認めちゃった、それが問題なんだ」ということをプーチン大統領などは言っておりますから、これはひょっとして「昔の領土だから返せ」という議論につながっていくのかもしれません。
それから、もちろん国連憲章でいえば紛争の平和的解決義務にも違反しております。NATOの、ウクライナNATO加盟はロシアの安全保障上の懸念になっているということは、国連の議論でも幾つかの国が認めているわけです。しかし、そういう懸念があるからといって、それは平和的な交渉等で解決するべき問題でありまして、そのために武力を使うということの根拠にはならないというふうに考えます。
この紛争自体の国際法上の問題、これに尽きませんが、主要な論点は以上のようなことかと思います。
※ 国連は正常に機能している
国連における討論の経過は、ロシアの行動が国際社会の圧倒的多数の世論によって批判され、やめるように求められているということを明らかにしています。「国連は結局何もしていないじゃないか」と言われる方もありますけれども、国連は一応、国連憲章と関連の決議が定めるとおりに機能しております。
確かに、総会決議は法的な拘束力を持たないわけですけれども、国際世論を結集するという意味では非常に重い道義的、政治的意義を有するわけでありまして、今回の緊急特別総会の決議もそのような意味が大きいだろうと思われます。
確かに、具体的な措置は何もとられていないわけですが、これは国連憲章の欠陥とか国連の落ち度ということではなくて、むしろロシアが核大国であって、しかもしばしば核兵器を使うという脅しを掛けている、このことがやっぱり一定の効果を上げているという側面が否定できませんで、むしろそちらが問題だろう。
※ 核抑止論こそが問題
で、その裏返しとして、国連が機能していないということを理由にして、核抑止でやっぱりやらなきゃ駄目だという議論が一部に登場しておりますが、核抑止というと大変現代的な概念のように思われますが、歴史的に見れば、十九世紀の国際社会を支配していた勢力均衡の考え方と基本的には同じでありまして、その勢力均衡がうまくいかなかったからこそ国際連盟で集団安全保障がつくられたという経過があります。したがって、核抑止論でいこうという議論は、実は十九世紀的な古い古い国際関係に戻るべきだと主張でありまして、これはとても取ることはできないだろうというふうに思われます。
※ 敵基地攻撃論はロシアと同じ過ち
で、それとも関わりまして、現在、日本ではいわゆる敵基地攻撃論が検討の対象になっておりますが、下手をすると、敵基地攻撃をやれば今回のロシアと同じ立場に立つ危険があるということを認識しておく必要があるだろう。つまり、自衛権の行使である、敵基地攻撃を自衛権の行使であるという説明をしようとすれば、そのことは事実において立証しなければいけませんが、今回ロシアが全くできていないように、日本も、もし、そういう場合、立場に立てば、立証が非常に困難であろうというふうに思われます。で、立証できなければ日本が侵略者だということになってしまうわけであります。
※ 核共有論の危うさ
それから、もう一つ、これも懸念されることでありますが、ごく一部のようですけれども、核共有という議論があるように見受けます。つまり、非核三原則を外して核を持ち込ませて、そしてその引き金に日本も手を掛けるというふうな仕組みをつくるべきだという議論です。言うまでもなく、これは日本の国是である非核三原則に反する、少なくとも一原則はほごにするということになるわけでありますが、それだけではなくて、核拡散防止条約ですね、NPT、この第二条で非核兵器国の義務というのが幾つも定められておりますが、そのうちの一つに核兵器の管理を直接又は間接に受領しないことという義務がありまして、これに違反するだろうというふうに考えております。
もう時間が過ぎましたので、取りあえず、以上でお話終わります。どうもありがとうございました。
(2022年3月1日)
「ウラジーミル。君と僕は、同じ未来を見ている。行きましょう。ロシアの若人のために。そして、日本の未来を担う人々のために。ゴールまで、ウラジーミル、2人の力で、駆けて、駆け、駆け抜けようではありませんか」
ウラジーミルとは言わずもがなのプーチンのこと。読むだに恥ずかしいこのセリフをシラフで口にしたのは、ウラジーミルの親友アベシンゾーである。2019年、ウラジオストク「東方経済フォーラム」でのスピーチの一節。
「カムパネルラ、どこまでもどこまでも一緒に行こう。僕はもうみんなの幸のためならば僕のからだなんか百ぺん灼いてもかまわない」「うん。僕だってそうだ」「けれどもほんとうのさいわいは一体何だろう。」「僕わからない」「僕たちしっかりやろうねえ。」
「僕もうあんな大きな暗やみの中だってこわくない。きっとみんなのほんとうのさいわいをさがしに行く。どこまでもどこまでも僕たち一緒に進んで行こう」
カムパネルラとジョバンニだから、美しい寓話となる。プーチンとシンゾーでは、醜悪極まるというだけではなく、危険この上ない。
プーチンとシンゾーは「2人の力で、駆けて、駆け、駆け抜けた先のゴールに、何を想定していたのだろうか。どうやら、相互に核を保有し、相互に核の威嚇を容認する新たな世界秩序のことのようなのだ。
今日は、3月1日ビキニデー、8月6日・8月9日とならんで、世界の人とともに核廃絶の誓いを新たにすべき日である。大戦終了から10年を経ない1954年3月1日、南太平洋のマーシャル群島ビキニ環礁におけるアメリカの水爆実験で第五福竜丸の乗組員23名が被爆した日。
今年のビキニデーは、これまでにない緊迫感に包まれている。ウクライナに侵攻したプーチンが、作戦展開の遅延に苛立ってのことか、ロシアの核兵器抑止部隊を高度警戒態勢として、核による威嚇をチラつかせる事態となっているからだ。そして、親友アベシンゾーが、これに呼応するごとくに、米国が日本に配備した核兵器を日米が共同運用する「核共有(ニュークリア・シェアリング)」について検討すべきだと言い始めたのだ。
2月27日、プーチンは「西側諸国が経済面でも不法な制裁をすると攻撃的な発言をしている。したがってロシア軍の抑止力部隊を特別戦闘準備態勢に移すことを命令する」と、明らかに核兵器使用を示唆する威嚇の発言。経済制裁には核の使用もあるぞ、という脅し。
同日、これに呼応する親友シンゾーはフジテレビの番組に出演して、「この世界はどう安全が守られているのかという現実の議論をタブー視してはならない」「米国の核兵器を国内に配備し、日米共同で運用する『核共有』政策の導入について議論すべきだ」と発言。核保有容認のタカ派ぶりを露わにした。
この「アベ好核発言」に対して、被爆者から、「あきれた。被爆者で国会議事堂を取り囲んで、『発言を取り消せ』と訴えたい」。「核も戦争もない日本を76年間守ってきたけれど、政治が危険な方向に進んでいる気がする。死んでも死にきれんで」「原爆の日にはいつも『非核三原則を堅持する』と述べていたが、彼の本音が出たと感じた。日本は戦争被爆国として核廃絶をリードする立場にあるのに」「すごく怖い。核で平和は絶対に保てない。核開発競争で恐怖が増大し、悪循環に陥るだけ。非常に危険な考え方で、根本から変える必要がある」「核戦争の危機が高まっている今、核を一つでも二つでも減らす、軍縮のテーブル作りを日本がすべき時だ。軍拡競争に拍車をかけかねない発言で到底許されない」などと強い怒りと非難の声が寄せられている(毎日)。
多少の救いは、首相の国会答弁である。昨日(2月28日)の参院予算委員会で、岸田文雄は「核共有」政策の導入を明確に否定した。「平素から自国領土に米国等の核兵器を置くといった枠組みを想定しているなら…『持たず、つくらず、持ち込ませず』という非核三原則堅持という我が国の立場から考えて認められない」と明言した。この答弁は田島麻衣子議員(立憲民主)の質問に答えたもの。首相が、アベでなくて本当によかった。
また、首相はロシアの核兵器抑止部隊が高度警戒態勢に入ったことについて「事態を更に不安定化させる危険な行為だ。唯一の戦争被爆国である我が国としても、厳しく問題点を指摘しなければならない」とした。ロシアのウクライナ侵略は国際法違反であり断じて許容できないと厳しく非難した。こちらは、自民党議員への答弁。
アベシンゾーの発言を否定した形だが、首相としては、政権維持のためには、核廃絶の世論に耳を傾けるべき以外にないと考えたに違いない。非核三原則を堅持し「核なき世界」実現への姿勢を堅持しなければ、政権はもたないことを知るべきなのだ。
ウラジーミルとシンゾー、僕たち2人の力で、一緒に、駆けて、駆け抜けようではありませんか。世界の世論に見捨てられる淋しいゴールまで。