澤藤統一郎の憲法日記

改憲阻止の立場で10年間毎日書き続け、その後は時折に掲載しています。

ウラジーミルとシンゾー、僕たち「核こそ大事」の2人組み。一緒に核を背負ってゴールまで、駆け抜けようね。

(2022年3月1日)
 「ウラジーミル。君と僕は、同じ未来を見ている。行きましょう。ロシアの若人のために。そして、日本の未来を担う人々のために。ゴールまで、ウラジーミル、2人の力で、駆けて、駆け、駆け抜けようではありませんか」

 ウラジーミルとは言わずもがなのプーチンのこと。読むだに恥ずかしいこのセリフをシラフで口にしたのは、ウラジーミルの親友アベシンゾーである。2019年、ウラジオストク「東方経済フォーラム」でのスピーチの一節。

 「カムパネルラ、どこまでもどこまでも一緒に行こう。僕はもうみんなの幸のためならば僕のからだなんか百ぺん灼いてもかまわない」「うん。僕だってそうだ」「けれどもほんとうのさいわいは一体何だろう。」「僕わからない」「僕たちしっかりやろうねえ。」
 「僕もうあんな大きな暗やみの中だってこわくない。きっとみんなのほんとうのさいわいをさがしに行く。どこまでもどこまでも僕たち一緒に進んで行こう」

 カムパネルラとジョバンニだから、美しい寓話となる。プーチンとシンゾーでは、醜悪極まるというだけではなく、危険この上ない。

 プーチンとシンゾーは「2人の力で、駆けて、駆け、駆け抜けた先のゴールに、何を想定していたのだろうか。どうやら、相互に核を保有し、相互に核の威嚇を容認する新たな世界秩序のことのようなのだ。

 今日は、3月1日ビキニデー、8月6日・8月9日とならんで、世界の人とともに核廃絶の誓いを新たにすべき日である。大戦終了から10年を経ない1954年3月1日、南太平洋のマーシャル群島ビキニ環礁におけるアメリカの水爆実験で第五福竜丸の乗組員23名が被爆した日。
 
 今年のビキニデーは、これまでにない緊迫感に包まれている。ウクライナに侵攻したプーチンが、作戦展開の遅延に苛立ってのことか、ロシアの核兵器抑止部隊を高度警戒態勢として、核による威嚇をチラつかせる事態となっているからだ。そして、親友アベシンゾーが、これに呼応するごとくに、米国が日本に配備した核兵器を日米が共同運用する「核共有(ニュークリア・シェアリング)」について検討すべきだと言い始めたのだ。

 2月27日、プーチンは「西側諸国が経済面でも不法な制裁をすると攻撃的な発言をしている。したがってロシア軍の抑止力部隊を特別戦闘準備態勢に移すことを命令する」と、明らかに核兵器使用を示唆する威嚇の発言。経済制裁には核の使用もあるぞ、という脅し。

 同日、これに呼応する親友シンゾーはフジテレビの番組に出演して、「この世界はどう安全が守られているのかという現実の議論をタブー視してはならない」「米国の核兵器を国内に配備し、日米共同で運用する『核共有』政策の導入について議論すべきだ」と発言。核保有容認のタカ派ぶりを露わにした。

 この「アベ好核発言」に対して、被爆者から、「あきれた。被爆者で国会議事堂を取り囲んで、『発言を取り消せ』と訴えたい」。「核も戦争もない日本を76年間守ってきたけれど、政治が危険な方向に進んでいる気がする。死んでも死にきれんで」「原爆の日にはいつも『非核三原則を堅持する』と述べていたが、彼の本音が出たと感じた。日本は戦争被爆国として核廃絶をリードする立場にあるのに」「すごく怖い。核で平和は絶対に保てない。核開発競争で恐怖が増大し、悪循環に陥るだけ。非常に危険な考え方で、根本から変える必要がある」「核戦争の危機が高まっている今、核を一つでも二つでも減らす、軍縮のテーブル作りを日本がすべき時だ。軍拡競争に拍車をかけかねない発言で到底許されない」などと強い怒りと非難の声が寄せられている(毎日)。

 多少の救いは、首相の国会答弁である。昨日(2月28日)の参院予算委員会で、岸田文雄は「核共有」政策の導入を明確に否定した。「平素から自国領土に米国等の核兵器を置くといった枠組みを想定しているなら…『持たず、つくらず、持ち込ませず』という非核三原則堅持という我が国の立場から考えて認められない」と明言した。この答弁は田島麻衣子議員(立憲民主)の質問に答えたもの。首相が、アベでなくて本当によかった。

 また、首相はロシアの核兵器抑止部隊が高度警戒態勢に入ったことについて「事態を更に不安定化させる危険な行為だ。唯一の戦争被爆国である我が国としても、厳しく問題点を指摘しなければならない」とした。ロシアのウクライナ侵略は国際法違反であり断じて許容できないと厳しく非難した。こちらは、自民党議員への答弁。

 アベシンゾーの発言を否定した形だが、首相としては、政権維持のためには、核廃絶の世論に耳を傾けるべき以外にないと考えたに違いない。非核三原則を堅持し「核なき世界」実現への姿勢を堅持しなければ、政権はもたないことを知るべきなのだ。

 ウラジーミルとシンゾー、僕たち2人の力で、一緒に、駆けて、駆け抜けようではありませんか。世界の世論に見捨てられる淋しいゴールまで。

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