本日(5月31日)の朝刊各紙に、栃の心剛史(本名レヴァニ・ゴルガゼ)大関昇進の晴れがましい写真が掲載されている。実ににこやかで嬉しそうな表情。そして、彼が大きなジョージアの国旗を掲げているのが目を惹く。
「国旗を手に笑顔の栃ノ心」
https://www.jiji.com/jc/p?id=20180530111155-0027185226
これまではグルジアという国名でなじみが深かった。かのヨシフ・スターリンの出身地。キリスト教の聖人である聖ゲオルギオスを守護神とするところからの国名。グルジアもジョージアもその転訛。国旗のデザインも、聖ゲオルギオスの十字架なのだそうだ。
力士が母国の国旗を誇りとして異国・日本で掲げる姿は微笑ましくも清々しい。モンゴル出身者も、ブラジル人も、韓国も中国もブルガリアも、自国の国旗が好きな力士は同じようにやれば良い。もちろん、日の丸大好きな力士が日の丸を掲げて悪かろうはずはない。国旗ではなく県の旗でも市の旗でも、あるいは村旗でも町内会旗でも校旗でも、自分のアイデンティティとつながる旗を、自分が誇りに思う旗を掲げるがよい。
大事なことは、それぞれの掲げる旗の選択は自由だということだ。そして、自分の自由と同じく、他の人の自由も尊重しなければならないということ。誰も、自分の旗を掲げる自由を侵害されないし、自分の好まざる旗を掲げるよう強制されることはない。
栃の心に向かって、「ジョージアの国旗とは怪しからん。日本にいる間は、日の丸を掲げよ」などと野暮なことを言ってはならない。それは、栃の心という人格に対する心ない攻撃になる。誰の人格も同じように尊重しなければならないとする、近代社会の公理に反する。
「日の丸」も「君が代」も同じことだ。好きな人は、日の丸を手に君が代を歌いながら歩けばよい。しかし、嫌いな人に押しつけてはならない。
キーワードは多様性だ。それぞれが、他の人とは違った自分の考えと好みをもってよいのだ。他の人とはちがった考えや好みこそが尊重される。同時に、他の人の考え方や感じ方を尊重しなければならない。他人に強制はしない、他人から強制されることもない。これが、自由ということだ。
自由を侵す者の正体は、実は社会の多数派である。往々にして、社会の多数派は少数者に多数派の考え方や感性を押しつけようとする。自由とは人権である。人権とは、けっして多数決で侵してはならないもの。人権と民主主義とは緊張関係にある。油断していると、社会の多数派の同調圧力が、少数派個人の自由を押しつぶしてしまいかねない。
だから、呼びかけたい。「日の丸・君が代」を押しつけてはならない。「日の丸」も「君が代」も、ジョージアの国旗も、これを誇りとする人は、大切にすればよい。でも、どうしても「日の丸」や「君が代」を受け入れることができないという人に、押しつけないでいただきたい。強制はいけない。人権を大切にしていただきたい。
そのようなアピールのために、「おしつけないで 6.30リバティ・デモ」にご参加ください。私たちの共通の主張は、けっして「日の丸・君が代」反対ではありません。「日の丸・君が代強制」に反対なのです。「日の丸・君が代」が大切で大好きだという方のなかにも、「強制はよくない」と言ってくださる方は大勢います。思想や良心のあり方についての強制のない、みんながのびやかに生きることのできる社会を目指して、 「君が代」の強制と処分をはねかえすために、ご一緒にデモに参加していただけませんか。
私たちは、主張します。
「国旗・国歌」にどのような考えをもとうと自由であること、
「国を愛する」気持ちを押しつけることはできないということ、
学校に自由を取り戻したいということ、を。
この思いを広く訴えるために、私たち「君が代」裁判4次訴訟原告有志はデモを企画しました。歌ったり、踊ったり、シュプレヒコールをあげたり…。思い思いのスタイルで楽しく渋谷の町を歩こうと思っています。6月30日は“鳴り物”などを持ってお集まりください。
私たちと一緒に楽しく歩きましょう
… … … … … … … …
日時 6月30日(土曜日)
集会 18時半? ウィメンズプラザ・視聴覚室
(表参道・青山学院大学前)
報告 澤藤統一郎(弁護士)「4次訴訟の現段階」
デモ 原宿・渋谷を歩く予定
主催 おしつけないで! 6・30リバティ・デモ実行委員会
下記のチラシをご覧ください。
リバティデモチラシ
(2018年5月31日)
本日(5月30日)の党首討論。野党第一党である立憲民主党代表の枝野幸男は、持ち時間の19分を森友・加計の問題に絞って追及した。力をいれたのは、森友問題に関する首相の責任のとりかたについての食言である。これを「卑怯な行為」と喝破した。
「総理は昨年2月17日の衆議院予算委員会で『私も妻も一切、この認可にも、国有地払い下げにも関係ないわけでありまして、私や妻が関係したということになれば、これはまさに私は間違いなく総理大臣も国会議員も辞めるということははっきり申し上げておきたい』とおっしゃいました。ところが月曜日(5月28日)の予算委員会を聞いておりますと、どうも、金品の授受がないなど、贈収賄に当たらないから問題がない、というようなことをおっしゃっているようにも聞こえるご発言がありました」
「贈収賄などに該当すれば、もう総理や国会議員を辞めるのは当たり前の話でありまして、1年以上にわたって限定なく、関係していたら辞めるといったことを前提に議論してきたにもかかわらず、どうも昭恵夫人が一定の関係をしていたことをうかがわせるような材料が出てきたら、急に金品や贈収賄のような限定を付した。とすれば、一般にはそういったことを『卑怯な行為』といいます。まさか一国のリーダーが国会で堂々とそんな卑怯な振る舞いをすることはないと。そんなことがあったら社会の倫理観をまひさせ、国益を損なうと思いますがいかがでしょうか」
この枝野の問い掛けに対するアベの答弁は、以下のとおりだった。
「枝野さんは、急にこの前、28日に私が定義を、私が関わっていればという関わりについて、急に定義、前提条件を付けたのではないか、というご質問であります。それであれば卑怯ではないかということも言われた。では果たしてそうなのか。そういう答弁を私が初めてしたのか、ということであります。そこで、お答えをさせていただきますが、すでに私は平成29年3月24日、もう1年以上前のことでありますが、そのときに私は福山(哲郎)委員の質問に対して私はこう答えております」
「何か政治に籠池(泰典・森友学園前理事長)さんから依頼があって、そしてそこに何かお金の流れ、いわば籠池さん側が政治家等に対してさまざまな便宜をはかる中において、政治家が応えたのではないか。これはそういう疑惑だったはずであります。ですからその中において、『私も妻も一切関わっていない』と言ったのは事実でありますし、それは今でも事実であろう、と思っているわけでございます」
これは支離滅裂。まったく回答の体をなしていない。もしかしたら、アベは本気で「食言は、今さらのことではなく、もっと前からのことですよ」と言いたいのだろうか。
また、福山(哲郎)議員質問に対する17年3月24日答弁が、「私が『一切関わっていない』と言ったのは、カネなど受けとった贈収賄がないという意味ですよ」という弁明とは受けとりがたい。『私も妻も一切関わっていない』とは、文字通り、学校設置にも校地の売買にも「一切関わっていない」という意味以外にはあり得ない。「収賄にはならないけれども、関与はしていました」「関与はしていましたが、収賄になるほどのことはしていません」という含意で、『私も妻も一切関わっていない』というはずはないのだ。
時間があれば一問一答で問い詰められたはずだが、如何せんその時間がなかった。
念のため、17年2月17日衆院予算委員会民進党・福島伸享議員の質問に対するアベの答弁を確認しておきたい。これこそが、貴重な原点なのだから。
○福島委員
なぜ(政府委員の答弁が)もごもご言うのかわからないですけれども、私立大学でできないものを今回私立小学校でやって、法律を潜脱していて、脱法的な疑いがあるわけですよ。土地を買う値段もおかしければ、設置の認可の状況でもおかしいというのがこれなんですね。
? あえて言いますけれども、この小学校の名誉校長とされているのが「安倍昭恵先生」という方で、右を見ると、「安倍晋三内閣総理大臣夫人」と書いております。「この理事長の籠池先生の教育に対する熱い思いに感銘を受け、このたび名誉校長に就任させていただきました」と。
? この事実、総理は御存じでしょうか。
○安倍首相
この事実については、事実というのはうちの妻が名誉校長になっているということについては承知をしておりますし、妻から森友学園の先生の教育に対する熱意はすばらしいという話を聞いております。
? ただ、誤解を与えるような質問の構成なんですが、私や妻がこの認可あるいは国有地払い下げに、もちろん事務所も含めて、一切かかわっていないということは明確にさせていただきたいと思います。もしかかわっていたのであれば、これはもう私は総理大臣をやめるということでありますから、それははっきりと申し上げたい、このように思います。
○安倍首相
繰り返しになりますが、私や妻が関係していたということになれば、まさに私は、それはもう間違いなく総理大臣も国会議員もやめるということははっきりと申し上げておきたい。全く関係ないということは申し上げておきたいと思いますし、そもそも、何かそういうことが動いているかのようなことを前提にお話をされると、この小学校に通う子供たちもいるんですから、こういうことはやはり慎重にちゃんとやっていただきたい、このように思います。
この答弁では、何の限定もなく、きっぱりと「私や妻が関係していたということになれば、まさに私は、それはもう間違いなく総理大臣も国会議員もやめるということははっきりと申し上げておきたい」「全く関係ないということは申し上げておきたい」と言っている。けっして、刑事的な違法や贈収賄の成否を問題にした文脈にはなっていない。
このことを確認して、さて、このアベ答弁が、どう変わったか。18年3月28日参院予算委員会での増子輝彦議員の質問に対するアベの答弁はこうなっている。
○安倍首相
まず、不正はしていないということははっきりと申し上げておきたいと思います。
不正というのは何でしょうか。不正というのは、例えば金品を授受をして、授受をしてですね、行政にこれはこういうふうに政策を変えろと、こういうことであります。これがまさに今まで政治の世界においては大きな問題になってきた、贈収賄として問題になってきたところであります。まず、それでは全くないということは申し上げておきたいと。そして、そういう私は文脈の中において、一切関わっていないということを申し上げているわけでございます。
これはいったい何だ。「そういう文脈の中において、一切関わっていない」とは、「刑法上の贈収賄成否という限られた文脈においては、一切関わっていない」と読めるではないか。
いみじくも枝野幸男が指摘したとおり、妻の関与は否定しようがなくなった現在、もう「まったく関係ない」とか、「一切関わっていない」とは言えなくなった。本来、「かかわっていた以上は、これはもう私は総理大臣も議員も辞めなければなりません」「総理として私が国民に約束したことなのですから」と言わねばならない。その事態に至って、アベは卑怯にも前言を翻したのだ。
これは、自分の発言に責任をもとうとしない卑怯で卑劣な態度ではないか。アベ晋三、「嘘つき」だけでなく、「卑怯」のステグマも刻印された。
なお、アベ晋三の賄賂に関する認識も正しておきたい。賄賂とは金銭に限らない、経済上の価値をもつ必要もない。「人の欲望または需要を満足させるに足りる一切のもの」が賄賂になり得る。
賄賂罪の保護法益は、公務員の職務の公正にとどまらない。職務の公正に対する国民の信頼でもある。政治を私物化したアベ政治は、既に大きくこの信頼を損ねているではないか。
まさしく、信なくば立たず、である。国民からの信を失ったアベ内閣は、責任をとってすみやかに総辞職すべきである。一国を代表する人物が嘘つきであるだけでなく卑怯でもあることは、これこそ国民に採っての恥辱であり、対外的にも国益を損なうものなのだから。
(2018年5月30日)
加計問題も森友問題も終わらない。政治的にはとっくに詰みのはずなのだが、アベはどうしても負けを認めない。勝負が長引くうちに、次から次へと新たな真相が暴かれていく。トップのウソを隠そうとして、官僚諸君が苦労して嘘に嘘を重ねてきたことがまた暴かれている。これを平然と見下しているアベという人物が不気味でならない。
これだけ、ぼろくそに言われ続けて傷だらけとなった「しがみつき政権」も珍しかろう。こうなると、行政私物化の事件は、本当にこれだけだったのだろうか。実はアベ政権のもっと薄汚ない事件が、闇に隠されているのではないだろうか。そんな疑念も湧いてくる。
昨日(5月28日)の両院予算委員会の集中審議。そのハイライトを、本日の毎日社説が要領よくまとめている。「総理が怒らない不可解さ」というズバリのタイトル。
加計学園の獣医学部新設をめぐり、安倍晋三首相と学園の加計孝太郎理事長が面会していたのかどうかで混乱が広がっている。
愛媛県の公文書には、2015年2月25日に首相が加計氏と面会し「獣医大学の考えはいいね」と語った記録が残る。これに対し学園が「当時の担当者が実際にはなかった総理と理事長の面会を引き合いに出し、県と(同県今治)市に誤った情報を与えてしまった」とのコメントを唐突に出したからだ。
学園は、県が文書を国会に提出した当日には「理事長が15年2月に総理とお会いしたことはございません」と面会を否定するだけにとどめていた。なぜ最初から発表しなかったのか、不自然な対応である。きのうの衆参両院予算委員会の集中審議でもこのコメントが焦点になった。
仮にこれが事実だとすれば、架空の面会を報告することにより首相の後押しがあると見せかけ、県と市を動かそうとしたことになる。
実際、面会報告後に柳瀬唯夫首相秘書官(当時)が県と市の担当者と会い、国による国家戦略特区の手続きが進んでいく。その適正さを疑わせる重大な問題をはらんでいる。
県の文書によると、学園側は県に面会を報告した際に財政支援も求めた。県と市は今春、計約93億円の補助金拠出を決めている。
さらに不可解なのは首相が抗議しないことだ。これまで首相は「加計理事長は友人だが、私の地位を利用して何かを成し遂げようとしたことは一度もない」と繰り返してきた。
面会があったにしろなかったにしろ、県や市に報告した事実は学園側も認めている。まさに首相との関係を利用して獣医学部新設を実現しようとした行為ではないか。
首相は本来ならもっと学園の対応に怒ってしかるべきだろう。きのうの集中審議で野党はその点を突いたが、首相は「私は常に平然としている」などとはぐらかした。
そもそも学園側は真っ先に県と市に謝罪すべきなのに、ファクスを報道機関に送っただけで取材にも応じていない。首相との面会がなかった裏付けは示されないままだ。加計氏が国会など公の場で真相を語らなければ、疑惑はいつまでも続くことになる。
この「総理が怒らない不可解さ」を衝いたのは小池晃の質問。大略、次のようなものだった。
○小池晃
愛媛県が当委員会に提出したこの文書では、2015年2月25日に加計学園の理事長が安倍首相と15分程度面談をし、獣医学部の構想を伝え、首相からは、『そういう新しい獣医大学の考えはいいね』とコメントがあったと。ところが、加計学園は、『実際にはなかった面談を引き合いに出して県と市に誤った情報を与えた』という、ちょっと想像を絶することを言い出しているわけですね。
これ、愛媛県にも、報告・説明・謝罪はなかったそうです。ファクス一枚送っただけ。先ほどの議論では、総理にも報告なかったというわけですね。愛媛県の知事は、これは怒っているわけですよ。総理は何で怒らないんですか。
○安倍晋三
これは怒るとか怒らないとかいうことではなくて、愛媛県、まず愛媛県の文書について、私は、県の文書でございますから、コメントする立場にはないわけでございます。… 加計学園側のコメントについては、私はそれについて評論する立場にはないということは申し上げておきたいと思います
?○小池晃
全く私の言ったことに答えていないわけですよ。
私、言ったのは、愛媛県の文書についてのコメントじゃないんですよ。加計学園がうそだったと言ったわけでしょう。そのことについて、だって総理はこう言っているわけです。『加計理事長は、私が政治家になるずっと前の、学生時代の頃からの友人でありますが、私の地位を利用して何かを成し遂げようとしたことは、この40年間一度もありません』と。
まさに今回、何かを成し遂げようとしたんじゃないですか。そういうことを加計学園側が言ったわけでしょう。これは伝聞でも何でもないですよ。加計学園はそれをはっきり言っているわけですよ。総理の名をかたり、総理との架空の面談をでっち上げ、獣医学部の新設を実現しようと言ったと。
これ、総理がかんかんに怒らなきゃいけないはずなんですよ、利用されたんですから、総理が。それなのに平然としている。これは、結局、加計の言っていることが真実ではなくて、総理自らをかばうものであるということを御存じだから平然としているんじゃないですか。
○安倍晋三
私は常に平然としております。加計学園のコメントによれば、加計理事長ではなく、当時の担当者が実際にはなかった面会を引き合いに出し、県と市に誤った情報を与えてしまったように思うとのことでありまして、それ以上私にはコメントのしようがないということでございます。
○小池晃
いつも平然としていないじゃないですか。野党から指摘されたら、かんかんになって、この場で血相を変えて反論しているじゃないですか。それを、担当者ははっきり認めているわけですよ、事実でないことを言いましたと。しかも、これは、獣医学部設置が停滞して、何らかの活路が見出せるのではないかとの考えから、ありもしないことを言ったというんですよ。これ、かんかんに怒らないのは、どう考えたっておかしいじゃないかと。
○安倍晋三
愛媛県の文書について私はコメントする立場にはございません。
○小池晃
私が聞いているのは、総理、他人ごとで済まされる話じゃないと思うんですよ。
だって全て総理の言動をめぐっての記述なんですよ。総理の言動をめぐっての記述が、2月25日に総理が加計理事長と会っていなければ説明が付かないようなことになっているわけですよ、これ。
結局、コメントできない、愛媛の文書だからコメントできないというのは、否定も反証もできないからでしょう。もしそうでないというんだったら、反証してくださいよ。
○安倍晋三
これは証拠を出すとかいうことではなくて、これは県が出された文書でございますから、それを評論あるいはコメントする立場にはないということでございます。
安倍晋三よ。愛媛県知事は怒っている。あなたはなぜ怒らないのか。加計学園はあなたの名を騙り、あなたとの架空の面談をでっち上げ、愛媛県と今治市を欺罔して獣医学部の新設を実現しようと画策した。これによって、公費93億円を手に入れたではないか。こんな不正の手段に使われたあなたがなぜ怒らないのか。
加計孝太郎よ。もし、加計学園の自白コメントが真実だとしたら、毎日新聞社説のいうとおり、「架空の面会を報告することにより首相の後押しがあると見せかけ、県と市を動かそうとした」ことになる。もっと端的に言おう。加計学園が学園ぐるみで詐欺を働いた疑惑が濃厚となる。
考えても見よ。「2月25日面会の報告」のリアリティを。アベとカケの仲を知る関係者の皆が、「絵空事の架空の面会の報告」とは思わなかった。いかにもありそうなリアリティに満ちていたから、その記載のとおりに信用したのだ。しかも、その後の事態は「2月25日面会の報告」のとおりに進行したではないか。
加計孝太郎よ。真実は二つに一つだ。「2月25日のアベ・カケ面会は存在した」が、盟友アベの立場を慮ってないことにした。あるいは、「2月25日のアベ・カケ面会は存在しなかった」が、学部新設のために敢えて盟友アベの名を出して、県と市とを欺した、のどちらか。
加計よ、君も教育者の端くれだろう。加計学園は仮にも教育機関ではないか。本当に「絵空事の架空の面会の報告」で自治体を欺し、首相をダシに使って補助金の取り込みをたくらんだというのか。仮にそのとおりなら、加計学園のブランドイメージは、計り知れない傷を負って地に落ちることになる。
加計孝太郎よ、こそこその逃げ隠れはもう止めよ。覚悟して公の場で、真実を語れ。
今のままでは、「嘘つきアベ」に並ぶ「嘘つきカケ」となってしまう。嘘つき学園であり、新獣医学部は「嘘から生まれたキャンパス」となってしまうのだから。
(2018年5月29日)
昨日(5月27日)の琉球新報3面に、「特別評論・復帰46年の沖縄」として、「ヘイトにあらがう言論力」と標題する論説が掲載されている。小那覇安剛琉球新報社会部長の署名記事だが、事実上の社説である。これは見逃せない。見逃してはならない。
復帰46年にしてなお本土並みとならない沖縄の現実への苛立ち。いな、それにとどまらない本土からの心ない差別の言動に対する沖縄の叫びが胸に突き刺さる。「県民をあざ笑う言論空間」における「沖縄ヘイト」の典型事例が挙げられ、「ヘイトに対抗する言論の力」「沖縄ヘイトを乗り越える沖縄メディアの力」が語られている。その筆は自信に満ちてはいるものの、本土に住む1人として襟を糺さざるを得ない。
米軍基地の重圧にあらがう県民、沖縄のメディアを攻撃する誹謗中傷が続いている。その多くは事実に反するゆがんだ沖縄観に基づくものだ。その誤りを正し、事実によって反証する作業の重要性を、私たちは昨年12月の産経新聞報道への対応で再認識した。
2017年12月1日、沖縄自動車道で起きた多重衝突事故で産経新聞は同月9日、インターネットの「産経ニュース」で米海兵隊曹長が日本人を救出して事故に遭ったと報道し、「救出行為」を報じない沖縄メディアを「報道機関を名乗る資格はない」と批判した。12日には、産経本紙にも記事が掲載された。
?「(曹長は)救助行為はしていない」とする在沖海兵隊の回答や沖縄県警など関係機関の取材を踏まえ、本紙は18年1月30日付けで「『米兵が救助』米軍否定」の見出しで、産経報道に疑義があることを報じた。その後、産経新聞は2月8日付で記事を削除し、謝罪した。その対応は真摯であった。産経社内でも厳しい議論があったことがうかがえる。
記事削除までに約2か月を要した。それは本紙にとって試練の期間であった。
産経報道を受け「なぜ米軍の救出活動を記事にしないのか」という批判が本紙に寄せられた。事実関係を取材した記者が苦り切った顔で報告してきた。「どこをつついても、海兵隊員が日本人を助けたという事実は確認できない」
2か月は私たちに貴重な経験をもたらした。本紙の反証記事に対し読者から「県民、沖縄メディアに対する誹謗中傷に対して、事実を積み重ねて反論する力強い記事で対抗していってほしい」という激励があった。中傷やデマへの危機感を読者と共有できたことは得がたい教訓となった。
沖縄に対する誹謗中傷の主舞台はネットである。「反日」「国賊」という言葉と共に沖縄をおとしめるゆがんだ言論空間が広がっている。「沖縄ヘイト」とも呼ぶべき言論空間の中で交わされる悪罵の数々が地上波の電波から流れた。「ニュース女子」問題である。東京メトロポリタンテレビジョン(東京MX)のバラエティー番組「ニュース女子」は2017年1月2日の放送で、米軍北部訓練場で建設されたヘリコプター発着場(ヘリパッド)に反対する住民をテロリストと例えて中傷した。
番組内容で激しい中傷にさらされた辛淑玉氏の申したてを受け、放送倫理・番組向上機構(BPO)の放送倫理検証委員会は「重大な放送違反があった」とする意見書をまとめた。BPO放送人権委員会も辛氏に対する人権侵害があったと認めた。
名護市辺野古の新基地建設に象徴される基地負担の押し付けを拒む沖縄の抵抗をあざ笑う言論空間の広がりは、新たな偏見や誤解を生みだす。
17年12月、米軍普天間飛行場所属のCH53大型輸送ヘリの窓が落下した普天間第二小学校に対し「学校を後から造ったくせに文句をいうな。戦闘機と共に生きる道を選んだくせに文句をいうな」という中傷の電話があったことなどは、その表れと言えよう。
?「戦闘機と共に生きるー」は事実に反する。本紙は、創立以来の普天間第二小の歩みと基地被害の経過を踏まえ、反証記事を掲載した。
この5月、沖縄の日本復帰から46年が過ぎたが、県民の多くは「日本本土の国民と同様に扱われているのか」という疑問を抱いている。その要因は、広大な在沖米軍基地と、そこから派生する人権侵害を解消する抜本策を打ち出せないまま新基地建設を強いる日本政府の姿勢にある。
復帰運動を通じて、日本国憲法の適用に基づく「他県並」の人権尊重を求め県民は、今も基地の重圧からの脱却と人権回復を訴えている。その県民をあざ笑う言論空間がネットを中心に存在する。ヘイトに対抗するのも言論の力である。「沖縄ヘイト」を乗り越えるメディアの力が問われている。
偏見に基づく本土からの「沖縄ヘイト」。その悪罵の典型事例として語られているものが、地上波の電波から流れた「ニュース女子」である。この論説には名が出て来ないが、「DHCテレビジョン」が制作し、DHCがスポンサーとなって提供したデマとヘイトの番組である。DHC・吉田嘉明こそが、この地上波によるデマとヘイト垂れ流しの元凶なのだ。
論説は、誤りを指摘された産経の謝罪を真摯な対応と評価している。また、東京メトロポリタンテレビジョン(東京MX)も反省の弁を述べている。しかし、DHC・吉田嘉明のみは、真実を突きつけられ批判されてなお、反省するところがない。
この論説が述べているとおり、デマとヘイトを克服するには、真実を以てする言論による批判が王道であろう。それこそがメディアの力だ。しかし、DHC・吉田嘉明などに対してはその効果に限界があることを指摘せざるを得ない。DHC製品に対する消費者の不買運動は、DHC・吉田嘉明によって作られたデマとヘイトの言論空間を浄化する手段として有益であろう。
とりわけ、140万沖縄県民に訴えたい。
「DHCの商品を買うことはすっぱりとおやめなさい。」「サプリメントにせよ、化粧品にせよ、あなたがDHCの製品を買いもとめれば、その利益の一部は、確実に沖縄ヘイトの放送や言論となって、沖縄をあざ笑うのですから。」「だから、くれぐれもデマとヘイトのDHC社の製品をお買い求めにならぬように。」「いや、けっして沖縄をおとしめるDHCの商品をお買い求めになってはなりません。」
(2018年5月28日)
みなさま
「君が代」裁判4次訴訟原告は、「日の丸・君が代」の強制に反対して処分を受け、その取り消しを求めて裁判を闘っています。
学校現場では教員だけでなく生徒への締め付けも強まり、教育の自由が失われています。2020年東京オリンピックや来年の天皇代替わりに向けて、今後「日の丸・君が代」に敬意を払うべきだという圧力がさらに強まっていくのではないでしょうか。
私たちは、主張します。
「国旗・国歌」にどのような考えをもとうと自由であること、
「国を愛する」気持ちを押しつけることはできないということ、
学校に自由を取り戻したいということ、を。
この思いを広く訴えるために、私たち「君が代」裁判4次訴訟原告有志はデモを企画しました。歌ったり、踊ったり、シュプレヒコールをあげたり…。思い思いのスタイルで楽しく渋谷の町を歩こうと思っています。6月30日は“鳴り物”などを持ってお集まりください。
私たちと一緒に楽しく歩きましょう。
… … … … … … … …
日時 6月30日(土曜日)
集会 18時半? ウィメンズプラザ・視聴覚室
(表参道・青山学院大学前)
報告 澤藤統一郎(弁護士)「4次訴訟の現段階」
デモ 原宿・渋谷を歩く予定
主催 おしつけないで! 6・30リバティ・デモ実行委員会
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リバティ・デモと名付けられたこのデモは、文字通り自由を求めての行進である。その要求は、「誰にも『日の丸・君が代』を押しつけないで」というだけのシンプルなもの。「子供たちに『日の丸・君が代』を強制する教育をしないで」「教師を愛国心強制の手先にさせないで」ということでもある。
「国旗・国歌」あるいは「日の丸・君が代」には、多くの人がそれぞれのイメージをお持ちのことだろう。国旗・国歌(日の丸・君が代)にどう向き合うべきかについても、いろんな考え方があるだろう。しかし、最も大切なことは、それぞれの多様な考え方が尊重されなければならないということではないか。多様な考え方を強引に一つにまとめて、「この考え方だけが正しい」と、すべての人に押しつけるようなことをしてはならない。とりわけ、権力を持つ国や自治体がそんなことをしてはいけない。また、明日の主権者を育む教育の場で、そのような押しつけが許されてはならない。
すべての人に最も大切なものは、のびのびとものを考える自由、何ものにもとらわれない考え方の自由だ。この自由を侵そうという最も危険な存在が国家ではないか。国家は、教育を通じて国民の考え方を統制したくてしょうがないのだ。常に、時の為政者にとって操りやすい従順な国民精神がお望みなのだから。
主権者である国民に対して、下僕たる国家が「国民よ、私を愛せ」と命令し強制することができるわけがない。国旗・国歌(日の丸・君が代)は、「国家の象徴」なのだから、「国旗に向かって起立し、国歌を斉唱せよ」とは、国民に対して国家に敬意を表明するよう強制していることなのだ。この強制は、戦前のあの暗い時代の記憶を呼びさます。
15年前までは、都立校は「都立の自由」を誇りにしていた。自由とは何よりも、国家や東京都の強制からの自由のことだ。都立の自由は、「日の丸に向かって起立し、君が代を斉唱せよ」という強制を許さなかった。その事態を変えたのが、石原慎太郎という、あの都知事だった。その知事の時代に都教委が全都の教職員に「日の丸・君が代」への敬意表明の強制を命じた文書が「10・23通達」である。
いま都内の全公立校では「10・23通達」が猛威を振るっている。卒業式や入学式の直前に、各校長から全教職員に対して「起立・斉唱」を強制する文書による職務命令が発せられている。信じがたい光景ではないか。そして、教師としての信念において、自分の信ずる宗教の教義において、また「日の丸・君が代」が果たしてきた歴史に鑑みて、どうしても起立・斉唱の強制に応じられないとする教員が懲戒処分とされているのだ。
悪名高い10・23通達後の懲戒処分件数は、既に延べ481件に達している。その処分取消を求める訴訟が数多く提起され、最高裁・高裁・地裁で確定した処分取消の件数(都教委敗訴確定)が73件・63名という大きな数に上っている。そしていま裁判途中の教員が、デモを呼びかけているのだ。その名も、リバティ・デモである。
この不自由な世で、自由を求めるデモである。ニギニギしく、楽しく、のびのびとやりたいものだ。是非、多くの方にご参加をお願いしたい。ついでに、私の話もお聞きいただけたら、とてもありがたい。
(2018年5月27日)
日大アメフト部の選手が、関学との定期試合において、相手チームの中心選手に傷害行為に及んだ。これは、「不祥事」ではない。「体質露呈事件」と言うべきだろう。日大アメフト部の体質の問題にとどまらない。学生スポーツとは何なのだ。いや、そもそも人はなぜスポーツをするのか。スポーツとは、本来美しいものなのか。いったい、憧れたり持ち上げたりするに足りるものなのか。大金を投じて、オリンピックなどやるに値することなのか。広く深く、そして暗い問題の一端を垣間見た思いである。
既視感が二つある。一つは、アベ政権の忖度文化だ。森友問題でも加計学園問題でも、総理自らは特別の便宜をはかるよう指示したことを頑強に否定している。しかし、総理の意を忖度した官僚たちによる忠義立ては明らかになっている。総理のお友達への便宜をはかって、総理の行政私物化実現に邁進した官僚たちの情けなさ。日大アメフト部事件も、これによく似ている。
戦前の天皇制もそうだった。天皇はけっして自ら命令を下さない。しかし、東条をはじめとする群臣は、例外なく天皇(裕仁)の意向を忖度して、オオミココロに沿ったのだ。そうしてこそ、天皇の意思を実現しながらも、天皇の法的政治的責任を免じることができたのだ。
もう一つの既視感。この選手の傷害行為は、監督とコーチの強い示唆で行われたという。コーチは監督の意を受けて、選手に敵愾心を煽り、闘争心の欠如をなじり、「試合に出たければ相手チームのQBを潰してこい」と言ったという。また、「関学の選手がけがをすれば秋の試合で有利になる」とまでも。これは、敵に対する皇軍のありかたと何とそっくりではないか。
監督は将校、コーチは下士官、そして選手は一兵卒である。将校の意を体して下士官は兵に命じる。「民間人をスパイ容疑者として殺せ」「捕虜になった敵兵を切れ」「縛られた敵を殺せ」と。上官の命令はヘイカの命令だとする強要なのだから、いささかでも兵が躊躇すれば制裁が待っている。大和魂がないとなじられる。「私は貝になりたい」の世界だ。こうして、凡庸な悪によって限りない残虐行為が繰り広げられた。
今回の事件が大きな反響を呼んでいるのは、上記二つの既視感による。とりわけ、日本人の精神構造が実のところ敗戦以前とすこしも変わってはいないのではという漠然たる不安からなのだろう。
私は、とりわけ傷害の実行犯となった凡庸な若者に注目する。この若者は、われわれ日本人の平均的な精神構造の持ち主ではないか。それなりの常識も倫理観も備えている。正義観もあるに違いない。しかし、主体性がない。上から命じられ、「闘争心が欠けている」「このままでは試合に出してやらない」と言われると、断れない。その気になって、躊躇なく相手選手の背後から突進してぶつかっていく。その従順な姿勢が、かつての皇軍の兵士像と重なるのだ。
その意識構造は、朝鮮で、中国で、南方で、暴威を振るった皇軍兵士と変わらない。彼ら、その時代の平均的日本人が、平時暴力的であったはずはない。むしろ、多くは温厚で腰が低く、礼儀正しい市井の人々だったはず。しかし、上からの命令によって、いとも容易に凡庸な悪事が重ねられたのだ。
我々は、このことをつきつめて反省してこなかった。天皇の戦争責任を曖昧にした我々は、天皇の対極にある下々の責任をも曖昧にした。個々の兵士の平時なら犯罪となる残虐行為の責任を、お互いのこととして許し合ったのだ。英霊として奉られさえもした。関東大震災のあとの自警団員が朝鮮人を大量虐殺して、日本人同士ではその罪をお互いに許し合ったごとくにである。
それゆえ、凡庸な悪は無反省に今の社会に生き残った。今の日本の若者が戦場に行けば、かつての皇軍兵士と同じ蛮行を繰り返すに違いない。戦場に行かずとも、そそのかされば、ヘイトスピーチもヘイトクライムにも走ることになるだろう。
日大アメフト部の愚かで従順なこの選手や、財務省の愚かで従順な官僚こそ、実は他人事ではない今の我々自身の姿ではないか。
日大のこの選手には次の言葉を耳に入れておきたい。
あとの後悔する前に 思いとどまれ さきの忖度
(2018年5月26日)
君の思想は妖しきも
人柄憎めぬ君なれば
君に一声かけまほし
君 気骨を失うことなかれ
語るに怯むことなかれ
アベに忖度あるなかれ
アベ夫妻との蜜月が
いつの間にやら暗転し
君は目障り
君は邪魔
うるさい口を塞ぐため
昨夏の盛りに捕らえられ
夫婦ともども塀の中
国策ゆえに勾留は
300日にも及びたり
有罪宣告あらざるに
300日もの監禁は
泣くに泣けない 身の辛さ
憤怒を深く呑み込んで
いでや怨みを晴らさばや
思えばアベを甘く見た
アキエのことも甘く見た
教育勅語にアベバンザイ
アベを取りまき 取り入って
神風吹かせてうまくいく
上手の手から水が漏れ
手のひら返して邪魔にされ
トカゲのシッポと切られたり
昨日の同志が今日の敵
相信じた朋友が
今さら「妻は欺された」
信義に悖る一言は
いくらなんでも酷すぎる
卑劣な輩の痴れ言は
トカゲのアタマの保身術
いかで許しておくべきや
あゝ籠池泰典よ 君の無念を噛みしめる
卑劣と非情は権勢に
常に伴うものなれど
アベと昭恵はひどすぎる
怒りは怒髪天をつく
祟徳の院は舌を噛み
血文字の呪いを書きつけて
魔道の王となりしとか
ああ君の心も似たるかな
憤怒の炎 燃やさばや
それでもようやく塀の外
マイクに向かってしゃべる身に
「早朝の 志を得る 初夏の風」
その意気や良しとは思えども
300日の勾留に
失いしものは多からん
ようやく言葉を取り戻し
しゃべれる立場となりぬれば
アベの顔色なからしめ
溜飲下ろすも近きこと
君よ語れ 真実を
アベと昭恵の恐るるは
真実のみにあろうから
あゝ籠池泰典よ 君の無念を噛みしめる
君 精気を失うことなかれ
矜持を捨てることなかれ
叛骨失うことなかれ
膝を屈することなかれ
語るに怯むことなかれ
アベに忖度あるなかれ
(2018年5月25日)
控訴理由書の冒頭に、原審での結審期日に、原審原告ら訴訟代理人(弁護士 澤藤大河)が口頭で述べた最終意見陳述を掲記しておきたい。事案の概要と、控訴人(原告)らの考え方が、よくまとめられているからである。
「原告ら訴訟復代理人の澤藤大河から、訴訟の終結に際して、貴裁判所にご理解いただきたいことを、要約して陳述いたします。
原告らは、本件訴訟を「浜の一揆」と呼んでまいりました。ご存じのとおり、旧南部藩は、大規模な一揆が頻発したことで知られています。一揆は、藩政に対する抵抗であり、同時に藩政に癒着した豪農や網元あるいは大商人への抵抗にほかなりません。
原告らは、現在の県の水産行政を、一揆を招いた藩政や領内の身分支配の秩序と変わるところがないではないかと批判し抗議しているのです。
一揆の原因には、まずは生活の困窮がありました。それに藩政の非道への怒りが重なって決死の決起となったのです。本件浜の一揆訴訟も事情は同様です。今のままの漁業では食っていけない。後継者も育たない。廃業者が続出している。とりわけ3・11後は切実な状況になっている。この危機感が、提訴の原因となっています。
さらに、どうして浜の有力者と漁協だけにサケ漁を独占させて、零細漁民には一切獲らせないというのか。こんな不公平は許せない。という理不尽に対する怒りが、漁民100人に提訴を決意させたのです。この原告らの心情と、原告らをこのような心情に至らしめた事情について、十分なご理解を戴きたいと存じます。
本件における原告らの請求は、憲法上の権利としての「営業の自由」を根拠とするものです。
三陸沿岸を回遊するサケは無主の動産です。井田齊証言にあったとおり、大いなる北太平洋の恵みが育てたものであって、誰のものでもありません。養殖による漁獲物とは決定的に異なるものとして、そもそも誰が採るのも自由。これが大原則であり、議論の出発点です。
漁民が生計を維持するために継続的にサケを捕獲することは、本来憲法22条1項において基本権とされている、営業の自由として保障されなければなりません。もちろん、憲法上の権利としての営業の自由も無制限ではあり得ません。合理性・必要性に支えられたもっともな理由があれば、その制約も可能ではあります。その反面、合理性・必要性に支えられた理由がない限り、軽々に基本権の制約はできないということになります。
この憲法上の権利を制約するための、合理性・必要性に支えられた理由を、法は2要件に限定しています。漁業法65条1項の「漁業調整の必要あれば」ということと、水産資源保護法4条1項の「水産資源の保護培養の必要あれば」という、2要件です。
その場合に限って、特定の魚種について、特定の漁法による漁を、「県知事の許可を受けなければならない」と定めることができるとしているのです。
この法律上の2要件を具体化した岩手県漁業調整規則23条1項3号は、固定式刺し網漁には知事の許可を要すると定めたうえ、「知事は、『漁業調整』又は『水産資源の保護培養』のため必要があると認める場合は、漁業の許可をしない。」と定めています。
ということは、固定式刺し網漁によるサケ採捕の許可申請があれば、許可が原則で、不許可には県知事が「漁業調整」または「水産資源の保護培養」の必要性の具体的な事由を提示し根拠を立証しなければなりません。したがって、キーワードは「漁業調整の必要」と「水産資源の保護培養の必要」となります。行政の側がこれあることを挙証できた場合に、不許可処分が適法なものとなり、できなければ不許可処分違法として取り消されなければならず、同時に、許可が義務付けられることにもなります。
このうち、「水産資源の保護培養の必要」は比較的明確な概念で、井田齊証人の解説で、この理由がないことは明確になっています。サケ資源の保護培養のためには、河川親魚の確保さえできればよく、原告らに対する本件許可がそれに影響を与えることはあり得ないからです。
なお、被告は原告らが年間10トンの上限を設けて申請していることについて、「そのような上限が守られるはずはない」と、原告らに対する不必要な不信と憎悪をむき出しにしています。しかし、生業を成り立たせ、後継者を育てるために、資源の確保にもっとも切実な関心をもっているのが、原告ら漁民自身であることは、原告尋問の結果から、ご理解いただけるところです。しかも、これを守らせる法的義務が漁民相互の間にあるわけではなく、許可の条件が守られているかどうかを監視するのは行政の責任です。その業務が煩瑣だから、一律に禁止すべきだというのは、まことに乱暴な本末転倒の論理としか言いようがありません。
一方、「漁業調整の必要」は、はなはだ曖昧な概念ですが、これを行政が曖昧ゆえに恣意的に基本権制約の根拠とすることは許されません。
お考えいただきたいのです。現状が、極端に不公平ではありませんか。けっして適切な漁業調整が行われているとは言えない事態ではありませんか。
「調整」を要する当事者の一方、すなわち大規模な定置網業者がサケ漁を独占しています。もう一方の当事者である原告ら零細漁民には、過酷な罰則をもって、サケ漁が禁止されています。原告らは、定置網漁を禁止せよなどとは言っていません。ほんの少し、自分たちにも獲らせてくれと言っているだけではありませんか。どうして行政は、こんなにも頑なに、現状に固執しなければならないのでしょうか。このことに関する原告らの不信がまさしく、「浜の一揆」の原因となっています。
「漁業調整」の本来の指導理念は、漁業法第1条に、「この法律は…漁業の民主化を図ることを目的とする」という、法が特別に明記した「漁業の民主化」でなくてはなりません。経済的強者に資源の独占を許し、零細漁民に漁を禁止することが、「民主化」の視点から、どうして許されることになるのでしょうか。
また、本件では、定置網漁業者の過半を占める漁協の経済的存立のために漁民のサケ漁を禁止することの正当性が問われてもいます。いったい、漁協優先主義が漁民の利益を制約しうるのでしょうか。
水産業協同組合法第4条は、「組合(漁協)は、その行う事業によつてその組合員又は会員のために直接の奉仕をすることを目的とする」。これが漁協本来の役割です。漁民のために直接奉仕するどころか、漁協の自営定置を優先して、漁民のサケ漁禁止の理由とする、これは法の理念に真っ向から反することではありませんか。
弱い立場の、零細漁民の立場に配慮することこそが「漁業の民主化」であって、漁協の利益確保のために、漁民の営業を圧迫することは、明らかに「民主化」への逆行と言わざるを得ません。言うまでもなく、「漁民あっての漁協」であって、「漁協あっての漁民」ではありません。
貴裁判所が「漁協栄えて漁民が亡ぶ」という倒錯した被告県側の主張に与することなく、一揆の心意気で本提訴に踏み切った原告らの思いに応える判決を言い渡されるよう、心からお願いして、代理人陳述といたします。」
当審においては、以上の「原告」を「控訴人」に置き換えて十分なご理解をいただきたい。
(2018年5月24日)
昨日(5月22日)の朝刊各紙。いずれもトップに、「首相『獣医大学いいね』」の大見出しだった。2015年2月に、私が官邸に加計孝太郎を迎えて15分間面談し、学校法人「加計学園」の獣医学部新設の説明を受けて、「新しい獣医大学の考えはいいね」と応じたという内容だ。
いかにももっともらしいのが、シャクにさわる。
獣医大いいね!とキミが言ったから2月25日は加計記念日
なんて、よみ人知らずのパロディがネットを駆け回っている。これがまた、上手だからシャクでならない。為政者に対する悪口を禁止できたら、世の中もっと平穏におさまるのに、表現の自由なんて害悪の元。
元凶は、愛媛県だ。私が嘘つきだとは、そりゃ天下周知の事実だよ。しかし、とどめを刺さないのが、エチケットというものだろう。愛媛県知事というお人、武士の情けを知らないひどい奴ではないか。
これで、私は、後世に「忖度首相」「デンデン総理」というだけでなく、「嘘つき首相」「獣医大いいね総理」「総理案件総理」として名を残すことになるのか。まことに悔しい。
私には、潔さの美学の持ち合わせはない。往生際が悪いと言われようと、加計孝太郎ともども嘘を突き通す以外にとるべき道はない。またまた出そう。「ないことの立証は悪魔の証明を求めるもの」というあの奥の手。うまく行けば、これで今回も何とか逃げ切れるかも知れない。
とはいえ、愛媛県が参院予算委員会に提出した関連文書27枚の内容は、具体的で詳細だ。事実の体験者しか書けない臨場感があり、真実性についての説得力がある。背景事情とも符合しているし、何よりも県に捏造の文書を作成する動機がない。誰が見たって、愛媛県側の文書の信憑性が高く、私と加計が嘘つきだと思われる。それが真実だから、困ったものだ。また、腸が痛くなる。
しかし、私も美しい日本を取り戻すと言い続けてきた政治家だ。こういうときにこそ、生き方のバックボーンとしての教育勅語を思い出す。
教育勅語には、「爾臣民 朋友相信シ」とあるではないか。私と加計は、「相信ずる朋友」だ。友人同士が真実を守り抜こうという友情は月並みのありふれたものだ。真実を敵にまわして、嘘を突き通すという悪だくみこそ、固い朋友の相信ずる姿ではないか。
しかも、2015年2月当時、加計の獣医学部新設構想は窮地に陥って、窮鳥として私の懐に飛び込んできたのだ。そりゃあ、ゴルフや会食をともにするたびに加計の思惑は聞いてきたさ。だから、15分の面談ですべてを承知した。かれは、親の代から教育をビジネスとしてきた男だ。しかも、政治とつるんだビジネスの勘どころをよくつかんでいる。私も、開戦時東条内閣の商工大臣だった岸信介以来、商売人とつるんだ政治家の家系だ。だから、私が加計に「獣医大いいね」と言えば、私の権限をフル活用して、最大限の便宜をはかってやろうということなのだ。その後は、ご存じのとおり総理秘書官を通じてトントン拍子の進捗だっただろう。
国政私物化という批判覚悟で私が彼に便宜をはからったのは、「朋友相信シ」の美しい友情からだ。今や「朋友相信シ」て、お互いに嘘を突き通すことこそが友情の証しだ。
そりゃあ、指摘されるまでもなく、教育勅語には、「常ニ國憲ヲ重シ國法ニ遵ヒ」という一節もあることは知っているさ。しかし、それは庶民に向けた徳目だ。私や加計に向けたものではない。国憲も国法も、上に立つものが、下々に守らせるものだろう。最近の人々は、その辺の理解が欠けているんじゃないのかね。困ったものだ。本当に困ったことだ。世も末だ。
(2018年5月23日)
加計問題が愛媛県文書(「いいね文書」)の開示で新たな展開を見せている。森友問題についても、明日(5月23日)国有地値下げ交渉に関わる大量の新文書が提示される。アベ内閣は、既に詰んでいるはずなのだが、潔く投了という気配はない。頑強に記録の事実を否定し続けて国民のアキラメを待つ作戦。
そんなアベ政権の指示なのか、NHK上層部の忖度なのか。NHKの不当人事に衝撃が走っている。
第一報は日刊ゲンダイの5月17日記事。次のリードだ。
「皆様のNHK」どころか、これでは“安倍様のNHK”だ。森友学園問題に関するスクープを連発していたNHK大阪放送局の記者が突如“左遷”されるというのだ。安倍政権の急所である森友問題を報道させないための“忖度人事”ではと、NHK内部に衝撃が走っている。
「森友問題スクープ記者を“左遷” NHK『官邸忖度人事』の衝撃」
https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/229227
その後、この 『NHK官邸忖度人事』記事の信憑性が確認された。このままでは、5月25日付の異動が実行となる模様。
そこで、この異動を止めるために、「NHKを監視・激励する視聴者コミュニティ」が下記の緊急の要望書提出に賛同者を募っている。
?2018年5月24日
NHK会長 上田良一様
NHK放送総局長 木田幸紀
?NHK大阪放送局の記者の不当な異動人事の中止を求める要望書
NHK視聴者有志(賛同者名簿は別紙)
皆様にはNHKの健全な経営と充実した放送のためにお忙しい毎日をお過ごしのことと存じます。
? この間私たちは、森友学園問題に関して、貴局が多くのスクープを行い、森友問題の真相解明に大きな役割を果たしてきたと評価しています。
ところが、先日、私たちは、森友学園問題の真相に迫る取材に精力的に取り組んできた大阪放送局の記者を記者職から外す人事異動が検討されているとの報道に接しました。
私たちが関与しない貴局内の人事ですが、異動人事が伝えられる記者は、政権寄りと批判が向けられてきたNHKの政治報道において、時の首相夫妻が疑惑の中心人物となっている森友問題の真相に迫る貴重な取材を続けてきた記者といわれています。このような記者は私たち市民の知る権利に応える誠実で頼もしい人材であり、NHKに対する視聴者の信頼の揺らぎを食い止めるために貢献をしてきた人材でもあると思います。
そのような記者が森友問題の真相解明の重要な局面で取材現場から外されるとすれば大変不可解なことであり、視聴者は強い疑惑を向けざるを得ません。
皆様におかれましてはNHKに対する視聴者の信頼を失墜させるような異動人事を中止する措置を直ちに講じられるよう強く要望します。
仮にも、伝えられたような異動人事が強行されるなら、私たちのみならず、多くの視聴者はそれを左遷人事とみなし、今後のNHKの政治報道に強い不信を抱くことになるのは必至です。
受信契約の締結義務を是認した先の最高裁判決を引くまでもなく、受信契約も受信規約で定められた受信料の支払い義務も、NHKが放送法第4条他を遵守し、自主自律の放送を貫いて、国民の知る権利に応える放送を続けているという視聴者の信頼を得ていることが大前提です。NHKがそうした前提を自ら壊すような人事を強行するなら、今、受信料の支払いを続けている視聴者の間でも、支払い意欲を減退させる人々が増えるのは必至です。
NHKの人事担当部署がそのような愚行を犯さないよう、皆様の賢明なご判断と早急な措置を強く要請します。
以上
賛同の締め切りは5月23日(水)24時である。
下記アドレスにメールでの賛同通知をお願いいたします。 mekiki2018@yahoo.co.jp
ファクスなら、043-461-7004
呼びかけの中心を担っている醍醐聰さんからは次のような連絡をいただいた。
NHK大阪放送局の記者の左遷と受け取れる異動人事の動きは、NHK内で市民の知る権利に応えるため、森友問題の真相に迫る取材をしてきた記者の良識を踏みにじるものであり、NHKの報道現場にも計り知れない萎縮を生む恐れが大きいと考えられます。
そこで、私たち「NHKを監視・激励する視聴者コミュニティ」は全国のNHK視聴者団体、個人や森友問題で一緒に行動した方々に、賛同の呼びかけをして、不当な異動人事の中止を求める添付のような要望書を24日午前中にNHK上田会長ほかに提出することにしました(25日に異動人事の内示が予定されているため)。
急な呼びかけですが、皆様にご賛同の呼びかけをさせていただきます。
大変短い期間ですが、皆さまの団体、お知り合いの方々にも至急、呼びかけを広めていただけると幸いです。
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大阪の阪口徳雄君は、5月20日に下記のブログを発表している。
http://blog.livedoor.jp/abc5def6/
????? NHK記者の「不当配転」が真実なら受信料拒否宣言をしようと思う
日刊ゲンダイが森友問題を精力的に取材しスクープを発していた辣腕記者を森友問題の取材から外し内勤に変えるとの報道があった。
真相は不明である。
しかし、NHKのトップが「ニュースのトップに森友、加計問題を扱うな」という指示の「内部告発」があったということが国会で議論になっていた。その後の報道を見ていると森友、加計問題はニュースのトップではなく「途中」になってきた印象を持つ。
日刊ゲンダイの報道を信じたくないがNHKのトップは安倍総理のくだらない発言を大げさに、さも重要なことのように誇張して報道するニュースの様子とかを見るにつけ官邸に忖度した報道が多すぎる。
森友問題を一番詳しく取材した記者は本来はNHKの誇りである。このような記者を優遇することはあっても、不当配転をすれば、これは他の諸問題でも官邸が困る報道を取材してきた記者をNHKは同様に不利益取り扱いをすることを意味する。いわば見せしめ人事となろう。これは当該記者のみならず、他の記者への萎縮効果も甚大となろう。
もし日刊ゲンダイの記事の通りであるなら私個人はNHKに受信料の支払いを「拒否」しようと思う。NHKに内容証明郵便で拒否理由を明白にして通知して拒否しようと思う。いつまで続けるかは未だ不明である。
私は以前、籾井会長がNHKの会長に任命されていた間の3年のうち籾井が辞めるまでの約2年半あまり受信料の支払いを拒否した。この時はNHKに内容証明郵便で通知した。何回か督促があったが、断り続け、籾井が辞めたので再開した。
今回の処置は籾井の個人的資質とは異なり、NHKの持つ本質的、構造的な権力忖度人事であり、これでは放送法4条の趣旨をNHKが安倍政権の前で自ら放棄するに等しい。
受信料拒否する者にNHKが裁判するなら私自らは受けて立つし,他の者に裁判でもあれば法的な支援は惜しまない気持ちである。
日刊ゲンダイの記事が間違いであると信じたい。
(2018年5月22日)