(2024年9月1日)
経歴詐称のウソつきとして天下に知らぬ者とてない小池百合子。本来、立候補の資格すらないこんなウソつきが平然と首都の知事の座に納まっている不思議、不気味、そして不合理。こんな事態を許してしまった都民の一人として、恥ずかしい限り。
そのウソつきが、毎年9月1日には見えすいた詭弁を弄して、排外主義者の正体を露呈している。この事態は、「恥ずかしい」では済まない、危険極まりないと言うしかない。本気になって、このレイシストを弾劾しなければならないと思う。
事件から50年に当たる1973年以来、東京・横網町公園で毎年行われている「関東大震災 朝鮮人犠牲者追悼式典」。実行委員会の呼び掛け文には、「虐殺された犠牲者 朝鮮の人、中国の人、日本の社会運動家を追悼します」と記載されている。台風の余波の中で、参加者数を絞って今年も行われた。同公園に虐殺された朝鮮人犠牲者の追悼碑があること、その碑の前で毎年継続して追悼式がおこなれることの意味は、とても大きい。まずはそのことを確認しておきたい。
関東大震災時の、朝鮮人・中国人・社会主義者らの虐殺は、震災に伴って必然的に生じたものでは決してない。震災をきっかけにして起こった虐殺は、当時の帝国日本が基本国策としていた、近隣諸国に対する侵略戦争と植民地支配の副産物であった。帝国日本の膨張主義の所産と言ってもよい。関東大震災は自然災害としての大事件である。その際に生じた、朝鮮人・中国人に対する虐殺は、別の大事件なのだ。対処や反省の仕方、再発防止のあり方、教訓の捉え方はまったく異なる。この点を曖昧にしてはならない。
膨張主義の国策を持つ国家は、侵略や植民地支配を正当化すべく国民心理を操作する。そのために、自国を賛美し対象国を侮蔑して排外主義を煽動する。根拠のない自国民の選民思想を吹聴し、近隣諸国の国民を故なく差別する。我が国の近代においては、そのための小道具として荒唐無稽な国体思想が一役も二役も果たしている。国民の大多数が、この天皇制国家の洗脳と煽動に乗せられた。本気になって、「日本は神国」で、近隣諸国は隷属すべきだと思い込んだ。国家が主導する教育の恐ろしさの実例である。
遅れた帝国主義国としての日本が、朝鮮・中国に侵略を開始して以後、その国の民衆からの抵抗を受けたのは当然のことである。それを苛酷に弾圧し、弾圧にさらなる反発があり…、という過程を経て、日本国民の心理に、中国人・朝鮮人に対する、潜在的な敵愾心や憎悪や恐怖が醸成されていった。
朝鮮全土での「3・1独立万歳運動」も、中国の「五四運動」も1919年に起きている。そのような緊張関係の中で、きっかけとなる大震災が起きたのだ。虐殺の本質的原因は、日本の侵略政策にあった。しかし、事件後100年に至るも、国はそのことを絶対に認めようとはしない。レイシストである東京都知事はなおさらのことなのだ。その状況の中での追悼式の継続は、日本と近隣諸国民の民衆間の友好と平和を築く礎としての高い意義を有している。この追悼の輪が国内に広がれば、平和と国際協調主義の基礎がそれだけ強固なものになる。
今や、排外主義をめぐってのせめぎ合いは、この追悼文送付をめぐる攻防に集約した感がある。
せめぎ合いの一方は、歴史的事実を直視して朝鮮人・中国人虐殺の事実を謙虚に認め、真摯に謝罪のうえ、今からでも真実を掘り起こす調査を開始し、その調査結果を各国で共有するとともに、その原因を国際的な叡智をもって究明して、絶対に同様の事態を繰り返さぬ再発防止の策を定めることを要求する。そして、それがアジアの平和につながるものと考える。
他方は、歴史的事実を無視し、あるいは偽造し、隠蔽して、朝鮮人・中国人虐殺の事実はなかったとし、あるいは正当防衛として、謝罪も調査も必要ないとする。排外主義と民族差別を肯定して、憎悪を煽る。保守陣営の中に、このような勢力が確かに存在する。いまや、小池百合子がその勢力の代表者となりつつある。
小池百合子は、毎年9月1日に横網町公園で開かれている朝鮮人犠牲者追悼式典に2017年以降、追悼文を送っていない。日朝協会など市民団体でつくる式典実行委員会は追悼文の送付を小池百合子に求めたが、「都慰霊協会が営む大法要で、関東大震災のすべての犠牲者に哀悼の意を表している」との理由で拒否し続けている。
本日、追悼式典の宮川泰彦実行委員長は小池都知事の姿勢を念頭に「過去の悲惨な歴史は恥ずかしいことだが、そこから逃げ回ることはもっと恥ずかしい。過ちを繰り返さないために子や孫、周りの人に語り継ぐことが我々の責務ではないか」とあいさつしている。そのとおりではないか。
「都慰霊協会が営む大法要で、関東大震災のすべての犠牲者に哀悼の意を表している」は、ウソつき百合子の詭弁に過ぎない。
虐殺犠牲者は震災で亡くなったのではない。震災の被害を免れて生き延びたのに殺害されたのである。災害死ではなく、無惨な虐殺死を遂げたのだ。人が人に対して加えたこれ以上はない残酷さで。その悲惨さ、無念さを同一に捉えることはできない。
人の死は哲学的にはすべて同じかも知れない。しかし、社会的、政治的、法的には、死は一様ではない。冤罪による刑死と、家庭内虐待死と、イジメによる自殺と、交通事故死とは、明らかに違う。最も異なるのは、原因と責任と社会としての対策の点である。ことさらに、すべてを同一の死と見ることは、それぞれの死の原因と責任を曖昧にすることを狙ってのこと以外にはない。
災害死には加害者が考えられないが、虐殺死は集団での殺人罪該当行為である。必ず、犯人がいる。文明社会では、責任の所在を明確にしなければならない。恥ずべき犯罪を煽動した国家と、軍と警察と、国家の煽動に乗せられた国民の、それぞれの責任を。
だから、災害死と虐殺死を同一視して「関東大震災のすべての犠牲者に哀悼の意を表している」と言うのは、ことさらに虐殺者の加害責任を隠蔽しようという、ウソつき百合子の姑息な詭弁と言わざるを得ないのだ。
また、これまでの歴代知事(あの石原慎太郎でさえも)が送付を続けてきた知事としての追悼文を突然中断したことについて、小池百合子は本当のところを説明しなければならない。右翼のデマ宣伝を根拠としていること、自分を支持する政治勢力の中心に歴史修正主義者がいること、実は自分は排外主義者だということ、などなどを。
真実を語ることができないウソつきだから、災害死と虐殺死を同列に置く詭弁を弄せざるを得ないのだ。このことは、何度でも繰り返さなければならない。
(2023年3月7日)
日韓関係を象徴する徴用工問題。主要なアクターは4者である。日本の政権と民衆をA・Bとし、韓国のそれをC・Dとする。Dの中に、被害者本人や遺族、そして広範な支援者が含まれている。
AとCとは、十分に事前の摺り合わせの上、問題解決のスキームを作った。そして昨日、Cがこれを発表しAが直ちに呼応して歓迎の旨を表明して、事態の打開を図ろうとしている。しかし、BとDとはいずれもこのスキームでの解決を支持する雰囲気にない。とりわけ、Dは拒否反応を示している。昨夜、ソウルではこのスキームに反対するロウソク・デモが行われた。
Dが最も望むものは、Aの謝罪である。正確には、Aと一体となった国策企業の真摯な謝罪である。理不尽な被害を被った者の加害者に対する当然の要求である。しかし、これに対するAとBの態度は、およそ真摯さとはほど遠いもの。だから、Dが反発している。
今朝、寝床でラジオを点けたら、民放の複数の番組から野蛮な論評が聞こえて来た。「問題はもう、全て解決済みなんですよ。今さら蒸し返されるべきことではない」「もう、二世代も昔の話ですよ。こんなこといつまで繰り返すんでかね」「1965年の請求権協定で、完全かつ不可逆的に日本の責任はないことになった。あとは全て韓国の国内問題ですよ」「あの国は、日本が譲歩すればゴールポストを動かすんだから」「もう、有償無償併せて5億ドルも払って解決済み」…。こういう発言が、Dを刺激するBの態度であり、この姿勢こそが問題の解決を妨害するものと知らねばならない。
得々とこう言う論者は、徴用工問題に関する韓国大法院判決をよく理解していないのではないか。判決は、必ずしも原告の言い分を全部認めたわけではない。賃金支払い請求を棄却して、慰謝料請求だけを認めたのだ。今、この意味は小さくない。
原告側の主たる主張は、1965年日韓請求権協定によって原告(元徴用工)の権利がいささかの影響も受けるものではないということだった。個人として日本企業に対して有する請求権を、頼みもしないのに、国家(韓国)が処分できるはずはない。ましてや、民意に基づかない当時の軍事政権に交渉の代理権はない、というものだった。
しかし、判決は当時の国際慣行に照らして、この主張を排斥した。その上で、国際法の推移を詳細に検討して、「企業の虐待による慰謝料請求権は、日韓請求権協定の協議対象に含まれていない」として、慰謝料の請求だけを認めたのだ。この意味が、今クローズアップされることになっている。
「日本企業の賠償義務肩代わり」と言われる「賠償義務」とは、日本製鉄などの企業が元徴用工に負う損害賠償債務である。その内容は慰謝料(精神的損害の賠償)である。これを第三者である、韓国の財団が弁済しようということなのだ。そんなことができるものだろうか。
大法院の判決が確定して、債務者・日本製鉄が、債権者・元徴用工に対して慰謝料支払いの債務を負担している。この債務を、債務者・日本製鉄以外の第三者に弁済させることを許してよいものだろうか。誰が考えても違和感が残るところではないか。
第三者に弁済させても問題のない債務もあるだろう。しかし、慰謝料は加害者に支払わせてこそ意味がある。第三者に慰謝料を支払わせた加害者が涼しい顔をしていたのでは、被害者の精神的な損害は慰謝されることにならない。
本来慰謝料とは、被害者の精神的な損害を金銭に評価して支払わせるものである。小さな精神的被害には少額の慰謝料、大きな精神的被害には高額の慰謝料を支払わせることになるが、いずれにせよ加害者に支払わせて、被害者の精神的被害を慰謝することとなる。債権者(元徴用工)の承諾なしに、第三者による弁済を許してよいことにはならない。
本件の元徴用工にとっては、自分を虐待して使役した加害者日本製鉄に支払わせてこそ、慰謝料の意味がある。他の第三者に弁済させたのでは、慰謝料としての意味がなくなるのだ。求償権は行使しない、などと言われればなおさらのことだ。元徴用工本人の明確な意思として第三者による弁済を認めない限り、第三者弁済は認められない。元徴用工の日本製鐵に対する債権は強制執行力あるものとして生き続けることになる。
結局のところ、今回発表のスキームで解決するためには、元徴用工やその遺族の意向を十分に尊重し、その精神的慰謝ができるように取り計らわねばならない。そうでなければ、「韓国政府が日本の強制連行加害企業の法的責任を免責させることに加担している」と批判されることになる。
結局は、A(日本政府)とC(韓国政府)との裏舞台の合意だけでは、このスキームは成功しない。まずはD(韓国の民衆)が納得できるスキームに調整し、これをBが支持するものとしなければ解決には至らないのだ。
(2023年3月6日)
本日の「ソウル聯合ニュース」は、こう伝えている。「韓国政府は6日、日本による徴用被害者への賠償問題をめぐり、2018年の韓国大法院(最高裁)の判決で勝訴が確定した被害者に対し、政府傘下の財団が日本の被告企業の賠償を肩代わりして支払うことを正式に発表した。朴振(パク・ジン)外交部長官が記者会見を開き、政府の解決策を発表した。ただ、日本の被告企業が賠償に参加しない方式であるため、『中途半端な解決策』という声も上がる。一部被害者は強く反発している」
これに日本側も呼応した。岸田首相は参院予算委員会で「日韓を健全な関係に戻すためのものとして評価する」と韓国の対応を歓迎。「日韓、日米韓の戦略的連携を一層強化する」とも語った。バイデン米大統領も日韓の対応を評価する声明を出した。
とは言え、韓国の「一部被害者は強く反発している」だけではない。日本の「一部加害者も強く反発している」のだ。何よりも、債権者(元徴用工)の意に反する第三者(財団)の弁済は原則認められない。事態はけっして甘くない。解決までの途は遠い。
当然のことながら、日韓関係は難しい。政府間関係はさほどではなくとも、国民感情は複雑で微妙である。ロシアとウクライナの関係に照らせばよく分かる。仮に今停戦が実現したとしても、あるいは講和条約が締結されたにせよ、侵略者ロシアに対するウクライナ人民の怨嗟がにわかに解消されるはずはない。とりわけ、家族を殺された人、傷付けられた人、家を焼かれ壊された人、故郷を追われた人、辱められた人…にとっては。
近代日本の天皇制権力は、富国強兵を掲げて侵略戦争遂行を国是とした。侵略戦争の結果としての植民地支配を国力強盛の証しとして誇示さえした。恥ずべき強盗の論理と言ってよい。強盗国家は、台湾を侵略し、朝鮮を侵略し、満蒙から、華北に侵略の手を伸ばして泥沼の戦争に陥った。
ロシアのウクライナ侵略は、1年余である。近代日本の朝鮮侵略は、1876年の江華島事件以来の歴史をもつ。けっして日韓併合後の36年だけではない。積年の怨念が並大抵のものではないことを理解しなければならない。
朝鮮の侵略のために、日本の軍隊が朝鮮の人民をどれだけ殺戮したか。甲午農民戦争(1894年1月 – 1895年3月)だけで殺戮者数は3万?5万人とされている。また、「1919年、1年間で実に1542回にわたり行われたデモで、全国でおよそ7600人が死亡、1万6000人がけがを負い、4万6000人が逮捕・拘禁された」というのが、韓国政府の公式見解である。この「7600人の死亡」とは、日本の官憲による非武装のデモ参加者に対する虐殺ではないか。
人民の被害だけでなく、韓国の権力側にも被害が大きい。閔妃(明成皇后)の暗殺は、ナショナリストには衝撃であったろう。立場を替えれば、朝鮮の軍人が皇居に侵入し皇后を暗殺したのだ。
さらには、創始改名を強要し、民族のアイデンティティである言語まで奪おうとした。もう過去のこと、十分に謝ったじゃないか、何度蒸し返すんだ、と居丈高となるのは、歴史に学ぼうとしない態度というほかはない。
私見では、韓国大法院の徴用工判決は、穏当で説得力あるものとなっている。これに従うべきが本筋だと思う。が、日本側が真摯な態度を見せることで解決に至るのであれば、もちろん、望ましいところ。戦後の日韓交渉は困難を極めたが、交渉が進展したのは韓国側が保守政権の時に限られている。今、支持率低迷しながらも、親日保守政権である。日本側に問題解決の意思があれば、誠意を見せるべきであろう。誠意を見せる相手は、韓国の政権ではなく、植民地支配に虐げられた当事者としての民衆でなければならない。
「ソウル聯合ニュース」は、こうも伝えている。
「一部の被害者はこれまで韓国政府傘下財団による賠償肩代わり案に強く反発してきた。政府の正式発表でも被告企業の資金拠出は盛り込まれておらず、批判の声が相次ぐ見通しだ。」
本日、朴振外交部長官は被告の日本企業が参加しない「中途半端な解決策」との批判について、「コップに例えると、コップに水が半分以上は入ったと思う。今後続く日本の誠意ある呼応によってコップはさらに満たされると期待する」と述べたという。
果たして、「韓国側によってコップに半分の水が入った」だろうか。また、「日本側は、このコップに十分な水を注ぐ」ことになるだろうか。そもそも、この水は、植民地支配の辛酸を余儀なくされた人々を癒す滋味に溢れたものと言えるだろうか。
(2023年2月22日)
もうすぐ、ロシア軍がウクライナに軍事侵略を開始して1年になる。昨21日、プーチン大統領は、戦争開始後初めての年次教書演説をした。
そこで彼はこう語ったと報道されている。
「彼らが戦争を始めたのだ。ウクライナ紛争をあおり拡大させ、犠牲者を増やした責任はすべて西側にある。そしてもちろん、キエフ(キーウ)の現政権にも」「ロシアは、ウクライナの問題を平和的な手段で解決するために可能な限りのことをした」「戦争を引き起こしたのは彼らであり、私たちはそれを止めるために武力を行使し続けている」
これは、逆説でも隠喩でもない。プーチンは、ためらいなく国民に語りかけ、ロシア国民の多くは違和感なくこの言に耳を傾けて共感し、受容している。これは奇妙なことなのだろうか。
戦前の日本人の多くが、同じ意識構造ではなかったか。まさか自国が非道徳的な不義を働き、皇軍が不当な侵略戦争を行うとは考えたくもないのだ。だから、自国の外に軍隊を侵攻させ、遠い他国の地で戦闘を開始しても、これを侵略とは思わない。不逞鮮人を掃討し、暴支を膺懲する正義の武力行使だと信じて疑わなかった。自国の武力行使は正義で、これに抵抗する「敵」の武力行使は不正義だった。この信念を否定する情報も意見も、意識的に受け付けなかったのだ。
ロシア国民も同じ心理なのだろう。昨年2月24日、ロシア軍の戦車隊が国境を越えてウクライナ領土に進軍したことは紛れもない事実である。しかし、それを「自国軍隊の侵略」とは認めたくない。「彼らが戦争を始めたのだ」と言ってもらいたいし、そう信じたいのだ。
「ウクライナ紛争をあおり拡大させ、犠牲者を増やした責任はすべて西側とゼレンスキーにある」「ロシアは、ウクライナの問題を平和的な手段で解決するために可能な限りを尽くした」「今も、私たちは戦争を止めるために、やむなく武力を行使し続けている」というのは耳に心地よい。そう言う指導者の演説を聞きたいし、信じたいのだ。
「米欧はロシア国境付近に軍事基地や秘密の生物研究所をつくっている」「欧米の包囲網は第2次大戦のナチスドイツの攻撃そのものだ」「西側は19世紀から、今ではウクライナと呼ばれる歴史的な領土を我々から引きはがそうとしてきた」「西側の目的は、ロシアを戦略的に敗北させることにある。我が国の存続がかかっている」
こういうプーチンの根拠の乏しい演説にも、聴衆は何度も立ち上がって拍手を送った。問題は、演説内容の真実性ではない。自国の正義を信じたい国民への慰めの言葉が欲しいのだ。
一方のバイデンも、21日ポーランドで演説した。ウクライナへの侵攻の正当化を試みるプーチンに対抗して、その主張は虚構にすぎないと切り捨てた。彼の描く図式は、「ロシアの専制から自由や民主主義を守る戦い」である。
バイデンはこう言った。「プーチンが今日話したような『西側がロシアへの攻撃をたくらんでいる』などということはありえない」「今夜はもう一度、ロシア国民に語りかけたい。米国と欧州各国は、ロシアを支配しようとも破壊しようとも思っていない。隣国との平和な暮らしを望むだけの何百万人ものロシア国民は敵ではない」「プーチンはいま、1年前には起きえないと思っていたことに直面している。世界の民主主義は強くなり、独裁者たちは弱くなった」
また、プーチンを「専制君主」「独裁者」と呼び、その予測や期待がことごとく外れてきたことを列挙した。戦争が続くのはプーチンが選んだ結果だとして、「彼は一言で戦争を終わらせられる。単純だ」とも語った。
バイデンの演説の聴衆は3万人とされている。ポーランドやウクライナ、米国の国旗を持った人たちが時折歓声を上げながら耳を傾けたという。
両人の演説は、いずれも100%の嘘ではない。誇張や願望のいりまじった内容。しかし、どう考えても、プーチンの側に分が悪い。相対的にバイデンが真実を語っている。かつては、世界の紛争の元兇であったアメリカである。いったいいつから、アメリカが正義面して、民主主義や人権を語れるようになったのだろうか。中国やロシアにおける「専制君主」「独裁者」の「功績」というほかはない。
そしてもう一点強調しておきたい。真実ではなく、心地よい言葉を聞きたいという国民の心理は、ロシア国民や戦前の臣民に限らない。少なからぬ現在の日本人も同様なのだ。今なお、「南京大虐殺はなかった」「従軍慰安婦の存在もデマだ」「関東震災後の朝鮮人虐殺も嘘だ」という類いの言説の基礎にあるものとして無視し得ない。
(2023年2月11日)
本日は、「建国記念の日」である。戦前は紀元節だった。おそらく伝統右翼にとっての最も重要な日。何しろ、根拠に欠けるとは言え、天皇制の起源の日なのである。この日、初代の天皇神武が大和の樫原で就任したとされる。もちろん史実ではなく、後世に編まれた神話であり、伝承の世界の出来事。近代天皇制政府は1873(明治6)年太政官布告で紀元前660年2月11日とした。いまは、閣議決定でなんでも出来る。明治政府は太政官布告で歴史を確定したのだ。
その紀元節の日を、戦後の保守政権が、大きな反対運動を押し切って「建国記念の日」とした。戦前と戦後の断絶が不徹底で、実は連続しいることの証左の一つである。
かつては、国史として教えられたことではあるが、いま初代天皇の実在を信ずる者はない。それでも天皇教の信者や右翼にとっては、天皇の家系と日本という国家との起源が同一ということがこの上なく重要なのだ。もっと正確にいえば、そのような神話や伝承を国民の多くが受容することが重要なのだ。
本日、岸田首相は、以下のとおりの「『建国記念の日』を迎えるに当たっての内閣総理大臣メッセージ」を公表した。
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「建国記念の日」は、「建国をしのび、国を愛する心を養う」という趣旨のもとに、国民一人一人が、我が国の成り立ちをしのび、今日に至るまでの先人の努力に思いをはせ、さらなる国の発展を願う国民の祝日です。
我が国は、四季折々の豊かな自然と調和を図りながら、歴史を紡ぎ、固有の文化や伝統を育んできました。今日、科学技術・イノベーション、文化芸術をはじめ、多くの分野で我が国は国際社会から高い評価を受けています。
長い歴史の中で、我が国は幾度となく、大きな困難や試練に直面しました。先人たちは、その度に、勇気と希望を持って立ち上がり、明治維新や高度経済成長など、幾多の奇跡を実現してきました。そして、自由と民主主義を守り、人権を尊重し、法を貴ぶ国柄を育ててきました。一人一人のたゆまぬ努力と国民の絆の力によって築かれた礎の上に、今日の我が国の発展があります。そのことを決して忘れてはならないと考えます。
このような先人たちの足跡の重みをかみしめながら、国民の命と暮らしを守り、自由のもたらす恵沢を確保し、全ての人が生きがいを感じられる社会の実現を目指します。そして、今を生きる国民の皆さんと共に、直面する課題に立ち向かい、将来の我が国国民に対し、世界に誇れる日本を繋いでいきたいと考えます。「建国記念の日」を迎えるに当たり、私はその決意を新たにしています。
「建国記念の日」が、我が国の歩みを振り返りつつ先人の努力に感謝し、さらなる日本の繁栄を希求する機会となることを切に希望いたします。
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この岸田のメッセージには、皇祖皇宗も天皇も建国の謂われも出てこない。もしかすると、右翼にとっては不満なのかも知れないが今やそんな時代ではない。一方、憲法も国民主権も平和も出てこない。何よりも敗戦によって「国」は、その成り立ちの原理を根底から変革したのだ、ということが語られていない。その意味では、まことに不正確で不十分だと思う。以下のように述べるべきではないだろうか。
「建国記念の日」は、「建国をしのび、国を愛する心を養う」という趣旨の国民の祝日とされています。しかし、国とは何か、建国とは何をいうのかについては、国民一人々々の意見を尊重しなければなりません。また、公権力の行使に携わる立場にある者が、「国を愛する心を養うべき」とすることが、実はたいへん危険なことではないのかとも考えられます。さらには、かつては政府が富国強兵のスローガンをもって、「さらなる国の発展」を実現すべく、国民に対して号令を掛けたことはは深く反省しなければなりません。
我が国は、四季折々の豊かな自然と調和を図りながら、歴史を紡ぎ、固有の文化や伝統を育んできました。他国の歴史や文化に敬意を払いつつ、わが国固有の文化にも誇りをもちたいと思います。しかし、最近、科学技術・イノベーション、文化芸術、表現の自由、ジェンダー平等、LGBTへの寛容度等をはじめ、多くの分野で我が国は国際社会から大きな遅れを指摘されるに至っています。その責任の多くが、近年の政権のあり方にあることは明確であると深く反省せざるを得ません。
近代の歴史の中で、我が国の為政者は幾度となく大きな過ちを犯してきました。その最大のものは、我が国が起こした近隣諸国に対する侵略戦争と植民地支配です。聖戦の名によって国民を動員しての戦争は未曾有の惨禍を内外に残し、天皇主権の軍国主義国家は消滅したのです。
そうして、新たな日本国憲法を採択して、天皇主権を排し、国民主権のもと新たな平和国家として再生したのです。これをもって、建国というべきではありませんか。そしていま、広範な国民が、憲法を改正しようという旧勢力の動きに抗して、自由と民主主義を守り、人権を尊重し、法を貴ぶ国柄を育てつつあります。
権力を担い、国を動かした先人たちの誤りは誤りとして確認し、再びの過ちを繰り返さない反面教師としながら、何よりも国民の命と暮らしを守り、自由のもたらす恵沢を確保し、全ての人が国家にとらわれることなく、生きがいを感じられる社会の実現を目指さねばなりません。そして、今を生きる国民の皆さんと共に、直面する課題に立ち向かい、将来の我が国国民に対しても幸福を保障する日本を繋いでいきたいと考えます。「建国記念の日」を迎えるに当たり、私はその決意を新たにしています。
「建国記念の日」が、我が国の歩みを振り返りつつ、権力を担った先人の過ちを直視するとともに、市井の人々の努力に感謝し、さらなる日本の繁栄を希求する機会とするよう、国民のみなさまにお誓い申し上げます。
(2023年1月7日)
人が自分自身の考えや意見をもつことは、実は幻想に過ぎないのではないか。これが自分の意見だと思いこんでいるもの、自分が選び取ったと思いこんでいる普遍性をもった思想も、実のところ、誰かから刷り込まれたものに過ぎないのではないのか。
自分の精神の核になるものが、他からの意図的な働きかけで形作られているのかも知れないということは、自分とは何であるのかという根源的な問に関わる恐ろしさをもっている。
他からの強制や意図的な働きかけに安易になびくことを排して、揺るがぬ自分自身でありたい。自律した自分自身の意見をもちたい。そのために大事なことは、まずは権力や社会の多数派とは反対の位置に身を置くことだと考えてきた。権力を疑え、権力につながる一切に抵抗せよ、社会的同調圧力に抗え、という姿勢を堅持することだ。
そのように意識して初めて、大勢に流されぬ自覚した自分を確立できることになる。「そりゃ当たり前だ。何も力んで言うほどのこともなかろう」と思っていただけたらありがたい。
本日の毎日新聞朝刊2面のコラム「土記」に、「一切を棄つるの覚悟」というタイトルで、その実践者に触れた記事を興味深く読んだ。筆者は伊藤智永(専門編集委員)、時流の大勢に流されなかった実践者とは石橋湛山である。
その書き出しがよい。「世論の大勢にサオささない。多数派の「常識」を疑う。一般記事と違うコラムの役目だろう」。これに、「権力から距離を置き」あるいは「権力に抵抗しても」と加えれば満点となるところ。
戦前・戦中を通し頑固に自由主義の論陣を張った経済ジャーナリスト、石橋湛山(戦後、首相)は、世間から「理路整然と間違ったことを言う始末の悪い男」とうあきれられたという。
彼が、ワシントン軍縮会議直前の1921(大正10)年、経済雑誌「東洋経済新報」に匿名で書いた社説「一切を棄つるの覚悟」には驚かされる。
「(米国からのワシントン会議呼びかけで)先手を取られた日本は、列国を驚かす大覚悟で臨まなければ失敗する。植民地の朝鮮、台湾、樺太(サハリン)を棄てよ。中国、旧満州(現中国東北部)、シベリアから兵を引け。明治以来の日本が勝ち得た何もかも棄ててかかれば、奪われるものはない。
世評はこれを空想的平和主義の空論と冷笑するか。…しかし、わが軍備は脅威ではない、侵略しないというが、いつの世もそれで軍拡競争は起きる。植民地経営に実利はない。民族自立は歴史の流れ。世界に先んじて本土だけの国に戻り、世界中から信頼される貿易立国として繁栄しよう。
コラムはこう言う。「それでもあざけり、ののしり、黙殺した政府と国民が20年後、太平洋戦争を始める。死者310万人、沖縄戦、本土空襲、原爆投下の末に『一切を棄つる』日本となって、湛山が予言した経済大国を実現したのは周知の通り」
あの時代に、権力にも圧倒的な国民世論にもなびかず臆せず、自分自身であり続け、これだけのことを言ってのけた石橋湛山には敬意を表するしかない。
このコラム、最後がまたよい。
「湛山なら今、何を書くか。軍拡増税反対、ウクライナ即時停戦、日朝国交正常化、中国首脳訪日、天皇訪韓、日露平和条約締結。八方から怒声を浴びること必定。」というのだ。
「天皇訪韓」だけは抜き、「改憲阻止、核禁条約批准、全方位平和外交、野党の連携、学術会議の自律性堅持、原発再稼働反対」を加えれば、ほぼ満点だと思うのだが。そして今、湛山が苦労した時代ではない。けっして八方の全てから怒声を浴びることにはならないはずではないか。
(2022年12月15日)
毎年12月13日が、中国の「南京大虐殺犠牲者国家追悼日」である。現在、「国家哀悼日」とされて、日中戦争の全犠牲者を悼む日ともされている。この「南京大虐殺」こそは、侵略者としての皇軍が中国の民衆に強いた恥ずべき加害の象徴である。
私も南京には、何度か足を運んだことがある。「侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館」も訪れている。そこでの印象は、激しい怒りよりは、静かな深い嘆きであった。粛然たる気持にならざるを得ない。
私の同胞が、隣国の人々に、これだけの残虐行為を働いたのだ。人として、日本人として、胸が痛まないわけがない。
1937年の事件当時、私はまだ生まれていない。だから、私に責任のあることではない。責任とは一人ひとりに生じるものではないか、などと強弁することはできるかも知れない。しかし、現地では、とうていそんな気持ちにはなれない。日本人の一人として、中国の民衆に深く謝罪しなければならない、と思う。
日本社会は、いまだに侵略戦争の罪科を認めず、戦争責任を清算し得ていない。のみならず歴史を修正しようとさえしている。そのことについては、戦後を生きてきた私自身も責任を負わねばならない。安倍晋三のごとき人物を長く首相の座に坐らせていたことの不甲斐なさを嘆くだけではく、そんな社会を作ったことの責めを負わねばならない。
事件から85年となる一昨日、現地の「紀念館」で、恒例の追悼式典が行われた。
式典で演説した中国共産党幹部の蔡奇(ツァイ・チー)は旧日本軍の行為について、「人類の歴史において非常に暗い1ページだ」と指摘した上で、「中日国交正常化から50年、様々な分野での交流と協力が実を結び、両国の国民に重要な利益などをもたらし地域の平和や発展、繁栄を促進した」「新時代の要求にふさわしい中日関係を構築すべきだ」などと述べたと報じられている。これが、本当に中国国民の気持ちを代弁する言葉なのだろうか。疑問なしとしない。
南京事件にせよ、関東大震災後の朝鮮人虐殺にせよ、細部までの正確な事実を特定することは難しい。虐殺をした側が証拠を廃棄し、直後の調査を妨害するからだ。大混乱の中で大量に殺害された人々の数についても正確なところはなかなか分からない。
細部の不明や、些細な報道の間違いを針小棒大にあげつらって、「南京虐殺」も、「朝鮮人虐殺」もなかった、という人たちがいる。事実の直視ができない人たち、見たくないことはなかったことにしたいという、困った人たちである。
「南京虐殺40万人説」はあり得ない、「30万人説も嘘だ」。だから、「実は、南京虐殺そのものがなかったのだ」という乱暴な「論理」。
そういう人たちの「論理」を盾に、「『南京虐殺』も、『朝鮮人虐殺』もあったかなかったか、不明というしかない」という一群の人たちがいる。実は、こちらの方が、もっともっと困った人たちであり、タチが悪いのだ。
旧軍がひた隠しにしていた南京虐殺は、東京裁判で国民の知るところとなった。以来、日本国政府でさえ、「非戦闘員の殺害や略奪行為等があったことは否定できないが、被害者の具体的な人数は諸説あり認定できない」としている。ところが、「不明」「不可知」に逃げ込む人々が大勢いる。知的に怠惰で、卑怯な態度といわねばならない。たとえば、文京区教育委員の面々である。
戦争の悲惨は語り伝えなければならない。被害の責任だけではなく、加害の責任も。そのような姿勢で、日中友好協会・文京支部は、2018年以来毎年8月に、「平和を願う文京・戦争展」を企画し、「日本兵が撮った日中戦争」の写真展示を続けている。その写真の中に、南京事件直後の生々しい写真がある。これが、問題となった。
この企画展について後援申請をしたところ、文京区教育委員会は「後援せず」と決定したのだ。このことが、18年8月2日東京新聞朝刊『くらしデモクラシー』に大きく取りあげられた。
同記事の見出しは、「日中戦争写真展、後援せず」「文京区教委『いろいろ見解ある』」、そして「主催者側『行政、加害に年々後ろ向きに』」というもの。
日中戦争で中国大陸を転戦した兵士が撮影した写真を展示する「平和を願う文京・戦争展」の後援申請を、東京都文京区教育委員会が「いろいろ見解があり、中立を保つため」として、承認しなかったことが分かった。日中友好協会文京支部主催で、展示には慰安婦や南京大虐殺の写真もある。同協会は「政治的意図はない」とし、戦争加害に向き合うことに消極的な行政の姿勢を憂慮している。
同展は、文京区の施設「文京シビックセンター」で8?10日に開かれる。文京区出身の故・村瀬守保(もりやす)さん(1909?88年)が中国大陸で撮影した写真50枚を展示。南京攻略戦直後の死体の山やトラックで運ばれる移動中の慰安婦たちも写っている。
区教委教育総務課によると、区教委の定例会で後援を審議。委員からは「公平中立な立場の教育委員会が承認するのはいかがか」「反対の立場の申請があれば、後援しないといけなくなる」などの声があり、教育長を除く委員四人が承認しないとの意見を表明した。区教育委員会には何の見識もない。戦争を憎む思想も、戦争への反省を承継しようとの良識のカケラもない。
文京区教育委員会事案決定規則によれば、この決定は、教育委員会自らがしなければならない。教育長や部課長に代決させることはできない。その不名誉な教育委員5名の氏名を明示しておきたい。
教育委員諸氏には、右翼・歴史修正主義者の策動に乗じられ加担した不明を恥ずかしいと思っていただかねばならない。自分のしたことについて、平和主義に背き、歴史に対する罪を犯したという、深い自覚をお持ちいただきたい。
教育長 加藤 裕一
委員 清水 俊明(順天堂大学医学部教授)
委員 田嶋 幸三(日本サッカー協会会長)
委員 坪井 節子(弁護士)
委員 小川 賀代(日本女子大学理学部教授)
(2022年9月14日)
まあ、そう煙たがらずに少し聞け。
人間てものはだな
互いに、助けあい与えあい支えあって生きてもきたが、
また一面、奪い合い争いあって暮らしてもきた。
人の世の歴史には、光もあれば闇もある。
自然に生まれた無数の小さな人間の集団の中で、
強欲で狡猾で力の強いものが集団を支配する構造が生まれ、
その支配者が酋長とも族長とも呼ばれるようになったな。
盗賊のカシラや頭目・親分、あるいはボスとおんなじだ。
酋長・族長などがまた、
互いに闘ったり陥れたりを繰り返し、
一番腕力が強く、一番ずる賢いヤツが、
人の世の深い闇で人を蹴落として生き残った。
そいつら生き残りが、王や、皇帝を名乗るようになった。
なに。王も女王も皇帝も天皇も、
もとはといえば、頭目・親分、あるいは酋長や族長なのさ。
それが、人を殺し、人をだまし、人を陥れて、王になった。
奴らは一人の例外もなく
血塗られたその歴史を偽装した。
王位は、神から授かったとか、
民衆の支持を受けたとか、慈悲深かったとか、
神話を作って嘘八百をならべたな。
暴力で脅して民衆を支配するだけでなく、
宗教やら、神話やら、文学やら芸術やら、
ありとあらゆる支配の方法が動員された。
支配の道具としての法まで持ち出されたな。
さらには、道徳や倫理までが拵え上げられた。
服従こそが立派なことだと民衆に教え込んだわけだ。
だから、王座の骨格は、剣と血でできている。
それを、戦利品で飾りたてた王宮の中に据え、
人目を惹こうと奇抜な衣装をまとった王や女王が座る。
冠を戴き、ジャラジャラとアクセサリーを引きずり、
音楽でカムフラージュして
民衆に見映えを整えたものが王位だの皇位だのという代物。
だから、王も女王もテンノーも
野蛮な昔の残り滓。
遅れた国の残り滓。
バカバカしくも、
「安倍国葬はニセモノだが、
さすがにイギリスの女王の葬儀は、
これこそホンモノの国葬だ」
なんて持ち上げる論調が
メディアのなかに明らかに生まれつつある。
チャンチャラおかしくはあるのだけれど、
王政が拵え上げた「王政を支える文化」が、
こうも民衆を捉えてしまったのかという
不気味な話でもある。
(2022年8月16日)
昨日(8月15日)は終戦記念日だった。「敗戦記念日」と称すべきとの意見もあるが、私は「終戦記念日」でよいとする。敗戦したのは天皇制国家であって、民衆ではないからだ。心ならずも戦禍に巻き込まれ、あるいは洗脳されて戦争に協力した国民の側からは、ようやくの終戦というべきだろう。
その終戦記念日には、毎年「全国戦没者追悼式」が行われる。このネーミングがはなはだよくない。「全戦争被害者追悼式」とすべきであろう。本来、「戦没者」とは戦陣で倒れた者である。従って、どうしても軍人・軍属の戦死・戦病死者を連想する。靖国に合祀される死者と重なる。
1963年5月14日の閣議決定「全国戦没者追悼式の実施に関する件」以来、「本式典の戦没者の範囲は、支那事変以降の戦争による死没者(軍人、軍属及び準軍属のほか、外地において非命にたおれた者、内地における戦災死没者等をも含むものとする。)とする」とされてはいるが、どうしても民間戦争被害者の追悼は隅にやられるイメージを免れない。もちろん、「敵」とされた国の犠牲者への配慮は微塵もない。
昨日の式典での岸田文雄首相式辞全文を紹介して私の感想を述べておきたい。
「天皇皇后両陛下のご臨席を仰ぎ、戦没者のご遺族、各界代表のご列席を得て、全国戦没者追悼式を、ここに挙行いたします。」
式辞の冒頭に、遺族を差し置いての「天皇夫婦のご臨席を仰ぎ」は主客の転倒、順序が逆だ。戦没者にも遺族にも失礼極まる態度ではないか。天皇を主権者国民が「仰ぐ」もおかしい。そもそも、国民を死に至らしめた戦犯天皇(の末裔)をこの席に呼んでこようという発想が間違っている。呼ぶなら、謝罪を要求してのことでなければならない。
「先の大戦では、300万余の同胞の命が失われました。」
先の大戦で失われた命は、300万余の同胞のものにとどまらない。300万余の同胞によって失われた近隣諸国の民衆の命もある。その数、およそ2000万人。日本の軍隊が外国に侵略して奪った命である。ちょうど、ロシアがウクライナに侵略して、残虐に無辜の人の血を流したごとくに。被害だけを語って、加害を語らないのは不公正ではないか。
「祖国の行く末を案じ、家族の幸せを願いながら、戦場に斃(たお)れた方々。戦後、遠い異郷の地で亡くなられた方々。広島や長崎での原爆投下、各都市での爆撃、沖縄における地上戦など、戦乱の渦に巻き込まれ犠牲となられた方々。今、すべての御霊(みたま)の御前(おんまえ)にあって、御霊安かれと、心より、お祈り申し上げます。」
なんと、自然災害の犠牲者に対する追悼文のごとくではないか。戦争は人間が起こしたものであって、その大量の殺人には理非正邪の判断が必要であり、無惨な死の悲劇には責任が伴う。その追及を意識的に避けるがごとき語り口ではないか。この犠牲の責任を明確にせずしては、「御霊安かれ」は実現しない。遺族も安心できようがない。
「今日、私たちが享受している平和と繁栄は、戦没者の皆様の尊(たっと)い命と、苦難の歴史の上に築かれたものであることを、私たちは片時たりとも忘れません。改めて、衷心より、敬意と感謝の念を捧げます。」
これは戦没者追悼の常套句だが、警戒が必要だ。この言い回しには巧妙な仕掛けがある。「今日、私たちが享受している平和と繁栄」は、「戦没者が命を懸けて戦った成果」としてあるものではない。「戦没者の皆様の尊(たっと)い命と、苦難の歴史の上に築かれたもの」という式辞は、誇張ではなく嘘である。歴史的事実としては無条件敗戦の事態を迎えて戦没者の死は無に帰した。しかし、生存した者が戦争とはまったく異なる方法で国家を再生し「今日、私たちが享受している平和と繁栄」を作りあげたのだ。戦死者たちが夢想もしなかった、「国体の放擲」「民主主義」「人権」にもとづく平和と繁栄である。
とすれば、戦死は余りに痛ましい。その死の痛ましさ、無意味さを見つめるところから、戦後の平和と繁栄の本質を考えなければならない。が、決して政府がそう言うことはない。ときの社会と権力者が望むとおりに、命を捨てた者を顕彰しなければ、次ぎに必要なときに、国民を動員することができない。そのために、戦後の政権は戦死を美化し続けた。岸田も同じである。
「未(いま)だ帰還を果たされていない多くのご遺骨のことも、決して忘れません。一日も早くふるさとにお迎えできるよう、国の責務として全力を尽くしてまいります。」
それこそ、白々しい嘘だ。沖縄南部の激戦地には、「未だ帰還を果たしていない多くの遺骨」がある。政府は、この遺骨を含む土砂を辺野古新基地の埋立に使おうとしている。まずは、辺野古新基地建設工事の続行をやめよ。
「戦後、我が国は、一貫して、平和国家として、その歩みを進めてまいりました。歴史の教訓を深く胸に刻み、世界の平和と繁栄に力を尽くしてまいりました。」
これも不正確だろう。「戦後の保守党・保守政権は、一貫して、日本国憲法を敵視し、大日本帝国憲法への復古を目指してきましたが、国民の間に広範に育った平和を望む声に阻まれて、改憲も戦争も実現せずに今日に至っています」が正しい。
「戦争の惨禍を二度と繰り返さない。この決然たる誓いをこれからも貫いてまいります。未だ争いが絶えることのない世界にあって、我が国は、積極的平和主義の旗の下、国際社会と力を合わせながら、世界が直面する様々な課題の解決に、全力で取り組んでまいります。今を生きる世代、明日を生きる世代のために、この国の未来を切り拓(ひら)いてまいります。」
あらあら、ついに出た「積極的平和主義」。これは安倍造語、その正確な意味は「積極的に軍事力を増強し積極的な外国への軍事侵攻も躊躇しない、積極的な軍事活用による平和」ということ。これで切り拓かれる日本の未来はたいへんなものとなる。
「終わりに、いま一度、戦没者の御霊に平安を、ご遺族の皆様にはご多幸を、心よりお祈りし、式辞といたします。」
私も終わりに、いま一度、言っておきたい。「戦没者の御霊に平安を、ご遺族の皆様にはご多幸を」は、この国が次の戦没者を作らねばならないときのための準備なのだ。真の意味で戦没者の死を意義あらしめるためには、戦争の悲惨さと非人道性を徹底して明らかにし、天皇を筆頭とする戦争犯罪者の責任を、国民自身の手で明らかにしなければならない。そうして初めて、本当の積極的平和が実現し、「戦没者と遺族の平安」がもたらされることになろう。
(2022年8月14日)
統一教会をめぐる一連の議論の中で、「この団体は本当に宗教団体なのか、実は反共を掲げる政治団体に過ぎないのではないか」という疑問が散見される。もちろん、このような団体に「信教の自由」を口にする資格があるのか、という問題意識を伏在させての疑問である。
しかし、結論から言えば、統一教会(ダミーやフロントも含めて)とは、「宗教団体でもあり、政治団体でもある」と言わざるをえない。もっとも、宗教団体性を認めたところで、刑事的民事的な違法行為が免責されることにはならない。この点での宗教団体の特権はあり得ない。
問題は別のところにある。宗教団体でもあり同時に政治団体でもある統一教会の、宗教性と政治性の結びつき方がきわめて危険なものと指摘されなければならない。
宗教的な熱狂は、時として信仰者の理性を麻痺させる。場合によっては圧殺もする。理性を喪失した信者が宗教指導者に心身を捧げ、宗教指導者がその信者を政治的な行動に動員する。場合によっては犯罪行為や軍事行動にまで駆りたてる。このような宗教の俗世への影響は、古今東西を通じて人類が経験してきたことであって、統一教会もその一事例である。
宗教的熱狂が信者を支配して反社会的行為に駆りたてるその小さな規模の典型を最近はオウム真理教事件で見たところであり、大きな規模としては天皇教という宗教が大日本帝国を支配した成功例から目を背けてはならない。
明治政府が作りあげた天皇教(=国家神道)は、天皇とその祖先を神とする宗教であり、同時に天皇主権を基礎付ける政治思想でもあった。現人神であり教祖でもあった天皇は、同時に政治的な統治者ともされた。大日本帝国は、日本国民を包括する狂信的宗教団体であり、その狂信に支えられた統治機構でもあり、さらに排外的な軍事的侵略組織でもあった。
恐るべきは、国民の精神を支配した天皇教の残滓がいまだに十分には払拭されぬまま、今日にも生き残っていることである。その典型を小堀桂一郎という人物の言説に見ることができる。この人、常に「保守の論客」として紹介される、東京大学名誉教授である。
真面目に読むほどの文章ではないが、一昨日(8月12日)の産経・正論欄の「この夏に思う 終戦詔書の叡慮に応へた安倍氏」という記事を紹介したい。
この表題における「安倍氏」とは、国葬を予定されている安倍晋三のこと。「叡慮」とは、敗戦の責任をスルーした天皇裕仁の「考え」あるいは「気持」、ないしは「望み」であろうか。その、ばかばかしい敬語表現である。「応へた」は、誤字ではない。これもばかばかしい、旧仮名遣いへのこだわり。結局、「安倍晋三とは、裕仁の期待に応えたアッパレなやつ」というのがタイトル。
少しだけ抜粋して引用する。洗脳された人間の精神構造の理解に参考となろうからである。なお、このような、もったいぶった虚仮威しの文体は、内容の空虚を繕うためのもの。このようにしか書けない人を哀れと思わねばならない。
「昭和20年8月14日付で昭和天皇の「終戦の詔書」を奉戴(ほうたい)した事により辛うじて大東亜戦争の停戦を成就し得てから本年で77年を経た。
この日が近づくと自然に思ひ浮ぶのは、言々句々血を吐く如き悲痛なみことのりを朗読されたあの玉音放送である。承詔必謹の覚悟の下に拝聴した詔書の結びの節をなす<…総力ヲ将来ノ建設ニ傾ケ道義ヲ篤(あつ)クシ志操ヲ鞏(かた)クシ誓テ国体ノ精華ヲ発揚シ世界ノ進運ニ遅レサランコトヲ期スヘシ>のお訓(さと)しに対し、我々は胸を張つてお答へできるだらうか、と自問してみる事から戦後史の再検証は始まる」
「あの詔勅の核心をなす叡慮(えいりょ)に背く事の多い、恥づべき歴史を国民は辿(たど)つて来たのではないか、と慙愧(ざんき)の思ひばかり先立つ一方で、ふと思ひ返すと去る7月8日に何とも次元の低い私怨から発せられた凶弾を受け、不条理極まる死を遂げられた安倍晋三元首相の存在が俄(にわ)かに思念の裡(うち)に甦(よみがえ)つて来た。
安倍氏は疑ひもなく戦後の我が国に現れた政治家の中で最大の器量と志を有する人だつた。詔書に謂(い)ふ「世界の進運」に大きく寄与する事を通じて国体の精華を発揚する偉業を成し遂げた人である。氏にはまだ自主憲法の制定、皇位継承の制度的安定化といふ必須の大事業が未完のままに残されてをり、この二つを成就するための再登場が期待されてゐたのであるから、その早過ぎた逝去は如何(いか)に惜しんでも惜しみ足りない我が国の運命に関はる悲劇である。」
以下、小堀の「皇国史観」「排外ナショナリズム」「軍事大国化願望」「反中論」が臆面もなく綴られる。「平成4年には宮沢喜一内閣が、我が天皇・皇后(現上皇・上皇后)両陛下に御訪中を強ひ奉るといふ不敬まで敢(あ)へてした。」などというアナクロニズムまで語られている。
何しろ、「天皇のお訓(さと)しに対し、我々は胸を張つてお答へできるだらうか、と自問してみる事から戦後史の再検証は始まる」という、嗜虐史観。この人にとっての天皇は、オウム信者にとっての麻原彰晃、統一教会信者にとっての文鮮明と基本的に変わるところのない、聖なる存在であり、絶対者なのだ。
このような偏狭な天皇教信者の精神構造は、日本国憲法の理念を受容し得ない。そんな人が、統一教会とのズブズブを批判されて窮地に立つ安倍や岸田を援護のつもりの論稿なのだろうが、逆効果が必至。何とも虚しい。
確認しておこう。宗教的な熱狂は、時として信仰者の理性を麻痺させ、反社会的な行為に走らせる。この危険に敏感でなくてはならない。天皇教においても、オウムにおいても、そして統一教会においても。