時流になびかず軍拡競争に異を唱えた石橋湛山の姿勢に学ぶ
(2023年1月7日)
人が自分自身の考えや意見をもつことは、実は幻想に過ぎないのではないか。これが自分の意見だと思いこんでいるもの、自分が選び取ったと思いこんでいる普遍性をもった思想も、実のところ、誰かから刷り込まれたものに過ぎないのではないのか。
自分の精神の核になるものが、他からの意図的な働きかけで形作られているのかも知れないということは、自分とは何であるのかという根源的な問に関わる恐ろしさをもっている。
他からの強制や意図的な働きかけに安易になびくことを排して、揺るがぬ自分自身でありたい。自律した自分自身の意見をもちたい。そのために大事なことは、まずは権力や社会の多数派とは反対の位置に身を置くことだと考えてきた。権力を疑え、権力につながる一切に抵抗せよ、社会的同調圧力に抗え、という姿勢を堅持することだ。
そのように意識して初めて、大勢に流されぬ自覚した自分を確立できることになる。「そりゃ当たり前だ。何も力んで言うほどのこともなかろう」と思っていただけたらありがたい。
本日の毎日新聞朝刊2面のコラム「土記」に、「一切を棄つるの覚悟」というタイトルで、その実践者に触れた記事を興味深く読んだ。筆者は伊藤智永(専門編集委員)、時流の大勢に流されなかった実践者とは石橋湛山である。
その書き出しがよい。「世論の大勢にサオささない。多数派の「常識」を疑う。一般記事と違うコラムの役目だろう」。これに、「権力から距離を置き」あるいは「権力に抵抗しても」と加えれば満点となるところ。
戦前・戦中を通し頑固に自由主義の論陣を張った経済ジャーナリスト、石橋湛山(戦後、首相)は、世間から「理路整然と間違ったことを言う始末の悪い男」とうあきれられたという。
彼が、ワシントン軍縮会議直前の1921(大正10)年、経済雑誌「東洋経済新報」に匿名で書いた社説「一切を棄つるの覚悟」には驚かされる。
「(米国からのワシントン会議呼びかけで)先手を取られた日本は、列国を驚かす大覚悟で臨まなければ失敗する。植民地の朝鮮、台湾、樺太(サハリン)を棄てよ。中国、旧満州(現中国東北部)、シベリアから兵を引け。明治以来の日本が勝ち得た何もかも棄ててかかれば、奪われるものはない。
世評はこれを空想的平和主義の空論と冷笑するか。…しかし、わが軍備は脅威ではない、侵略しないというが、いつの世もそれで軍拡競争は起きる。植民地経営に実利はない。民族自立は歴史の流れ。世界に先んじて本土だけの国に戻り、世界中から信頼される貿易立国として繁栄しよう。
コラムはこう言う。「それでもあざけり、ののしり、黙殺した政府と国民が20年後、太平洋戦争を始める。死者310万人、沖縄戦、本土空襲、原爆投下の末に『一切を棄つる』日本となって、湛山が予言した経済大国を実現したのは周知の通り」
あの時代に、権力にも圧倒的な国民世論にもなびかず臆せず、自分自身であり続け、これだけのことを言ってのけた石橋湛山には敬意を表するしかない。
このコラム、最後がまたよい。
「湛山なら今、何を書くか。軍拡増税反対、ウクライナ即時停戦、日朝国交正常化、中国首脳訪日、天皇訪韓、日露平和条約締結。八方から怒声を浴びること必定。」というのだ。
「天皇訪韓」だけは抜き、「改憲阻止、核禁条約批准、全方位平和外交、野党の連携、学術会議の自律性堅持、原発再稼働反対」を加えれば、ほぼ満点だと思うのだが。そして今、湛山が苦労した時代ではない。けっして八方の全てから怒声を浴びることにはならないはずではないか。