「緑茶会」とは、誰が考えても「和製ティーパーティー」。てっきり草の根右翼の運動だと思ったら、反原発運動なのだそうだ。ネーミングとして、センスの悪さはこのうえない。いまどき右翼ならざる市民運動が、自らを「茶会」などと名付けようとすることが信じがたい。「ティーパーティー」という語彙がどのような社会的響きをもっているか、知らないはずはなかろうに‥。しかも、問題はネーミングだけではない。
アメリカ合衆国でここ3?4年の間に、オバマ政権のリベラル政策に対抗して、小さな政府を要求する草の根市民運動として一大旋風をひきおこしたのが「ティーパーティー」。保守派ポピュリズム、医療保険制度など福祉カット要求、同性婚反対、宗教保守派、進化論拒否、中絶反対、銃規制反対、などという保守的連想が次々と。無知で厚顔なペイリン・アラスカ州元知事のあの顔とともに‥。「緑茶会」が、「テイーパーテイー」の非理性で傲岸な保守の印象を消し去るには100万言を費やしても無理だろう。
さて、この「緑茶会」なる新たな組織は、「反原発」シングルイシューで7月の参議院議員選挙を闘おうということのようだ。会が応援する候補者を選んで反原発票の統一をはかるという。具体的には、反原発支持者の名簿を調製して候補者に渡し、カンパを募って応援候補者に配分する政治運動をするという。そして、既に第一次推薦候補者の名簿を発表している。なんとも乱暴な、「共闘」の作り方。この呼びかけ人たちの思い上がりも甚だしい。
そもそもこの会は、誰がどのように呼び掛けて結成されたのか。候補者選定の論議には誰がどのような資格において参加し、どのような議論を経て決定に至ったのか。その過程の公開性はどう保障されるのか。集まったカンパをどのような基準で配分するのか。その会計に実質において責任を持つのは誰なのか。監査はどうするのか。事務費用をどう調達するのか。収支報告の透明性はリアルタイムで確保されるのか。政党助成金をもらっている政党の候補者にも金を出そうというのか。カンパの使途はどう決めるのか、カンパの提供先からはどのように使途の報告を受けるのか、あまった金はどうするのか‥。皆目不透明のままである。
呼びかけ人の中には、つい最近こうした政治運動に関わったメンバーも名を連ねているが、その金集めや使途の透明性の確保を全うできたのだろうか。後始末には苦労していないのだろうか。市民運動には普通の社会生活とは違ったルールがあるとでもいうのだろうか。到底黙過し得ない。
東京新聞の報道では、「今回は、民主、みんな、生活、共産、みどり、社民の各党などから比例区で24人、選挙区で16人を勝手連的に支援することを決めた」という。さらに、「昨年の衆院選で脱原発候補が乱立し、脱原発票を結集できなかった反省を踏まえ、各党に候補者の一本化も呼び掛ける」という。
反原発・脱原発は私も大賛成だ。しかし、選挙となれば問題は単純ではない。「原発・シングルイシュー」での市民運動の共闘は可能でも、はたして選挙共闘が可能だろうか。「憲法問題」「平和・外交」「経済政策」「生活と福祉」「教育」等々すべてを考慮しなくては有権者の投票行動は決められない。「オスプレイ」もあり、「TPP」問題もある。「緑茶会」がシングルイシューで選んだ応援対象の候補者が、憲法問題や教育問題その他で信頼に足りる議員となる保証は全くない。
みんなの党所属候補4人の推薦がこの運動の性格をよく表している。みんなの党は強固な改憲志向政党ではないか。天皇の元首化や、憲法に「日の丸・君が代」を書き込むことを明言している右派勢力の一員ではないか。96条改憲の主要勢力の一員でもある。急進的な新自由主義政党として、TPPの積極推進派としても知られる。維新とともに右からの保守補完勢力であって、うっかり原発問題だけで支援すると、とんでもないことになる。
6年前川田龍平は市民運動票の支持を得て参議院議員となった。そして、その選挙民の支持を裏切って、みんなの党に入党して憲法改悪勢力の一員となった。このような節操に欠ける政治家を緑茶会はまた推そうというのだ。呆れた話しではないか。
反原発シングルイシュー選挙とは、推された議員の当選が、憲法改正、防衛費増強、ナショナリズム教育などとなって跳ね返ってくことを覚悟するということなのだ。緑茶会の呼び掛け人として東京都知事選に関係した者の名が見える。この人たちはあのときの「4本の柱」のうち、「反原発」以外の「憲法」や「反貧困」「教育」の3本の柱は下ろしてしまったのだろうか。あるいは、3本の柱の重さは、その程度のものだったというのだろうか。
「各党に候補者の一本化も呼び掛ける」は、軽々になすべきことではなく、またできることでもない。候補者調整とは、ある政党や候補者に立候補断念を迫ることである。その政党支持者の選択権を奪うことでもある。勝手連的に誰かを応援することとは質の異なる働きかけなのだ。緑茶会に、その自覚があるだろうか。
そのような働きかけをなしうるには、まず大義が必要だ。私は、「改憲阻止シングルイシュー」ならともかく、「反原発シングルイシュー」を大義として、他のイシューを捨ててもこのテーマで大同団結すべきというのは無理があろうと結論せざるを得ない。
「共闘」には、大義だけでなく人を説得する論理が必要だが、「緑茶会」にはそのような説得力も、説得すべく論理を構成しようとの熱意も感じられない。
さらに、「共闘」には、党派を超えたすべての関係者に信頼され一目置かれる、ある種の民主的な権威が必要である。しかし、「緑茶会」の呼び掛け人には、ことをなすにふさわしい信頼に足りる人物が皆無である。信頼も権威も実績もない。
当たり前のことだが、候補者選びは有権者が自分自身ですることだ。誰かにお任せしてはいけない。緑茶会呼び掛け人の肩書などなんの当てにもならない。参院選候補者の政見も人間性も実績も、可能な限り自分の目で見極めなければならない。どの政党や候補者が、信頼に足りる政策と運動の実績があるかを自分の目で確認して選択すべきであって、「緑茶会」が正しい選択をしてくれる保証はない。
大事な金だ。カンパをするなら、自分の眼鏡に適った候補者や政党に直接することだ。「緑茶会」へのカンパは、自分の支持政党とは敵対する候補者に渡りかねない。みんなの党や川田龍平にいくような間接ルートのカンパは、やめた方が良い。
候補者や運動資金の寄付先の選任を、「緑茶会」などに全権委任することはやめよう。それこそ「お任せ民主々義」である。ネーミングに「ティーパーティー」を選ぶセンスの人たちが選んだ参議院候補者を信頼して、資金応援などできようはずもない。大切な一票とカンパだ。よくよく考えるべきである。
最後に緑茶会の呼びかけ人に要望を申しあげたい。なによりも、人の金を集め、人の金を預かる責任の重みを十分に認識して、透明性を確保していただきたい。不透明な経過で、不透明な候補者選びをするような軽率は慎んでいただきたい。そして、念のために申し添えるが、「脱原発有権者名簿」の調製に既存の各種名簿を流用するようなことは絶対にあってはならない。それは、単なる不当な行為にとどまらず、場合によっては違法行為となりうるのだから。
(4月30日)
本日4月29日は、祝日法上の「昭和の日」。昔は天長節であったが、戦後「天皇誕生日」となり、昭和天皇没後は「緑の日」を経て、右派の議員立法によって2007年からは昭和の日となった。
祝日法は、昭和の日の趣旨を「激動の日々を経て、復興を遂げた昭和の時代を顧み、国の将来に思いをいたす」としている。しかし私は、「天皇の名において起こされた戦争の加害と被害の惨禍を悼み、その反省と責任の所在に思いをいたす」日とすべきだと思う。とりわけ、天皇の名における戦争によって強いられた夥しい内外の民衆の死の意味について、深く考えるべき日としなければならない。
4月29日が天長節であった20年間は、戦争に次ぐ戦争の時代であった。若き天皇は積極的にこれを推進して厖大な死者を出し敗戦を迎えた。政治と軍の最高責任者であっただけでなく、宗教的道徳的権威としても臣民に君臨し聖戦を唱導した天皇であったが敗戦の責任をとることはなかった。2000万人の隣国の犠牲、310万人の我が国の死者に対する責任を、人間裕仁は内心どう考えていたのだろう。
「戦場で『天皇陛下万歳』と言って死ぬ兵はない。本当は、最期の言葉はみんな『お母さん』なんだ」とも聞かされるが、夥しい数の若者が「天皇が唱導する戦争」の犠牲となった。自分の名における戦争の犠牲者を、天皇はおろそかにはできない。名誉ある戦死として、その死を意味づけなければならない。戦没者の死を意味づけたいとする願望において、実は遺族の心情もまったく同質である。ここに、奇妙な加害者天皇と被害者遺族との同盟関係が成立する。
遺族は、常に死者の名誉を重んじ、その死の意義あらんことを願う。その遺族の気持の痛切たることは誰にも諒解可能であって、遺族の気持ちを逆撫でするような死者の名誉の冒涜はなしがたい。そこが陥穽である。
歴史を真摯に見つめれば、皇軍は紛れもない侵略軍であった。侵略された側の抗戦には大義も名分もあり、その戦没者には「救国の英雄」の名誉はあり得よう。しかし、敗戦の侵略軍には大義も名分もなく、その戦没者には本来的に名誉はない。
とはいうものの、侵略軍の兵であったとはいえ、一人ひとりの兵士が積極的に望んだ従軍ではない。その同胞の死を「犬死(いぬじに)」と貶めることは、まことに辛くなし得ることではない。できることなら、その死を何らかの名誉で飾りたいと願うのは、遺族ならではの当然の心情。ここに、「英霊」への賛美が生ずる基盤がある。
遺族にしてみれば、死者を「犬死」と貶めるのではなく、「英霊」と称えてくれることの快さははかりしれない。しかもこれには巨額の軍人恩給という実利も連動する仕組みができている。
遺族は願う。その死が敵前逃亡の末の不名誉な死であったり、上官からのリンチや上官抗命での刑死ではないことを。また、餓死や戦病死ではないことも。さらに願わくは、死者の従軍した軍隊と戦争に大義があったことを。五族協和、大東亜解放、そして自尊自衛の聖戦などというスローガンが本物であったことを。軍人勅諭と戦陣訓の教えのとおりに天皇の権威が守られんことを。
天皇が神として神聖であり、皇軍の戦争が聖戦であるならば、天皇のための死は犬死ではなく、英霊と称えられるにふさわしい。この考えを論理において攻撃することは容易だが、情においては忍びない。これが、靖国問題の本質といえよう。私の係累にも、護国の神と祀られている人は少なくない。もちろんその遺族もいる。その人たちに、とても「犬死」呼ばわりはできようはずもない。とはいえ、死者を「英霊」とする国家の遺族感情の利用を許容することはさらにできない。
戦没者の評価は、「犬死」か「英霊」かの二者択一ではない。戦争犠牲者の死を「犬死」と蔑んではならない。他人事と無関心を決めこむこともあってはならない。戦争がもたらす死とその死がもたらす巨大な不幸を真摯な姿勢で受けとめなければ、戦争の悲劇を再び繰り返さないという誓いそのものが出てこない。
また、天皇の軍隊の死者を天皇への忠誠の故に、「英霊」としてはならない。死んだ天皇の亡霊をして、戦争と戦死の意味づけをさせてはならない。
戦争による死者と遺族の無念の気持を敬虔に受けとめて不再戦の誓いを実行すること、これが死者を「犬死」から救い、「英霊」という死者の利用を許さない道であろう。
佐藤昭夫先生から、こんな詞があったと紹介を受けた。
犬死ではない証拠にや
新憲法のどこかにか
死んだ息子の 血が通う
そう。日本国憲法は、怨みをのんで戦争で亡くなった人とその遺族、そして多くの心ある国民の不再戦の決意の結晶なのだ。再び天皇を神格化してはならない。憲法の全体を守り育て、血肉化しなければならない。もし、ずるずると改憲を許せば、それこそ戦没者を「犬死」させてしまうことになりかねない。「昭和の日」には、憲法の擁護を決意しなければならない。
本日は政府主催の「主権回復・国際社会復帰を記念する式典」。天皇の発言内容に注目していたが、「お言葉はなかった」との報道。「主権回復の日」の意味づけにも、式典開催自体にも、国民の賛否が定まらない中での天皇出席である。沖縄では大規模な反対集会があり、4野党の党首が意識的な欠席をしている。このような中で、いったい「国民統合の象徴」にどのようなスピーチができるのだろうか。「助言と承認」をすべき立ち場の内閣が思案の末に「何もしゃべらせない」という選択をしたのであろう。
とはいえ、内閣は式典に天皇をひっぱり出すことまではした。さして広くもない舞台の正面に、やたらと目立つ大きな日の丸とその下に天皇と皇后を据えた舞台の作りは異様というほかはない。
このような式典に天皇を引っ張り出した安倍内閣に対して「天皇の政治利用」とする批判がある。しかし、この批判の立脚点は一色ではない。もちろん、天皇制に対する本質的な批判の立ち場から、政治的色彩を帯びたいかなる天皇の行為も「時の権力による政治利用」として容認しがたいとする見解はシンプルで分かり易い。それだけでなく、もう一つ、政治利用の手法が拙劣という批判もあり得ることに注意が肝要である。その場合の表現は、「天皇という神聖な存在を軽々に政治対立の舞台に担ぎ出すことは畏れ多いこととしてなすべきでない」という表現となる。
天皇という存在は本来的に政治利用を目的に作られた。誰もが承知していることである。その天皇の最有効活用のためには、神聖性や文化的権威や国民全体の象徴などという、ゴテゴテの虚飾が不可欠なのである。「主権回復を記念する式典」ごとき舞台に引っ張り出すことで、その虚飾のメッキを剥ぎ落としてはならないとするのが、政治利用の手法において拙劣という批判である。
分かり易くいえば、「もっと高次の天皇の利用をすべきで、このように軽々しく天皇を取り扱ってはならない」という立ち場からの批判である。天皇を国民全体の象徴とするフィクションのメリットは極めて大きい。それだけに、伝家の宝刀と同様、抜く時期と舞台を選ばなければならない。いつもいつも、時の政権に軽々しく利用される天皇では、いざというときの利用価値がなくなる。
天皇が全国民の象徴というタテマエは、実は、国民多数派が少数派を制圧する道具としての天皇の有効利用に本質的に不可欠なのだ。「天皇とは所詮そのようなもの」と国民に底が割れれば、この道具はその機能における有効性を失う。天皇の政治的利用も、実はこれでなかなか難しい。
『目黒天空庭園のこと』
高架の3号渋谷線(東名高速道路へつながる)と地下トンネルの高速中央環状線をつなぐために大橋ジャンクション(JCT)は作られた。敷地を節約するために道路をグルグルと螺旋状にして、輪になったロープのような4本の道路が重なっている。東北自動車道、関越自動車道、常磐自動車道 からの車を都心環状線を通さずに、高速中央環状線を通して東名自動車道路へ逃がす役割を担っている。以前よく調べもせずに、大橋ジャンクションを通ったことがあるが 、グルグル回って、分岐が多くて 、どちらに行ったらいいのか迷って怖かったのを覚えている。こういう仕組みになっていたのかと今頃解っても後の祭り。
そのループの外側と内側をコンクリートで覆って、太い煙突を斜めに切ったような壁を作った。自動車の騒音と排気ガスを遮蔽するための工夫だ。それだけでは味気ないし、夢がない。そこで、一番上のループ道路のうえに幅16?24メートル、長さ400メートルの散策庭園を作った。最も高いところは35メートル、富士山も見える空中庭園である。そばに2棟の超高層の再開発マンションが聳える 。その高い方の42階建マンションの9階と庭園は連絡デッキでつながつている。建物に入ると中は明るく広々とした「大橋図書館」となっている。太い煙突の真ん中の空間はスポーツ施設付きのイベント広場になっている。公園も図書館も広場も目黒区が管理して入場無料。東急田園都市線で渋谷から一駅目の池尻大橋が最寄り駅だ。都会のオアシスとしてとてもよく考えられた魅力的な空間で、人気スポットになっていくだろう。
さて、空中庭園だが、空中というだけに眺めは確かに抜群だけれど、風がとても強い。植えてある木々がまだ小さいので風を遮蔽するものがない。しかし、木々が高く育てば、眺望は遮られて、ただの傾斜のついた細長い公園になってしまう。風が強く乾燥も激しそうなので、日本庭園には適さないと思う。乾きに強い丈の低い植物を集めたロックガーデンはどうだろうか。試行錯誤して、落ち着いた憩いの場にしていって欲しいと思う。
(忌憚のない感想を言えば、実物はヘリコプターから写した写真ほどの面白さはなかった。写真の天空庭園はアニメの「天空の城ラピュタ」のように見えてワクワクした。当たり前だが、フェンスに囲まれて地に足がついていたのでは高いところにいても、ちっとも浮かんでいる感じはしない。)
26日付毎日新聞に「高速老朽化対策10兆円」という記事がでていた。少子化や景気の低迷を考えるとこうしたインフラの整備はますます困難になっていくのは必然だ。高速の無料化などというのは夢物語だと思っている。それどころか高速道路を走る時は、トンネルの天井板が落ちてこないか、壁がはがれて倒れてこないかハラハラする。願わくは、この空中庭園が100年後に東京の廃墟コロセウムとなることなどありませんように。
(4月28日)
4月26日に仙台で日本民主法律家協会の拡大理事会があり盛会だった。仙台会の弁護士が震災復興に献身している報告に感動した。そして、27日には石巻、女川の被災と復興の現場を訪ねた。
「復興には、ひとつは被災者を人権主体とした人間の尊厳・生存権の尊重が必要であり、もう一つは被災者の自己決定権を基礎にした民主々義が必要であるが、ともに不十分」というのが、衝に当たっている各弁護士の共通の意見だった。
また、「平成の自治体大合併の否定的側面として、各コミュニティの代表組織がなくなった。また、圧倒的に自治体公務員が不足している。復興の人的な条件がまったく欠けた状況にある」ことを何度も聞かされた。
女川で、二人の共産党町議からお話を聞く機会があった。女川原発に一貫して反対し、今も再稼動反対の先頭に立つ。 震災復興の第一線で住民に寄り添う姿勢が評価され、このお二人の前回町議選での得票率合計は22%を超えているそうだ。なお、12人の町議のうち、原発反対を明確にしているのはこのお二人のほかはお一人だけとのこと。
住民の全戸、一軒一軒を訪ねながら、原発再稼動反対の署名を集めているそうだ。住民にとって、署名による意思表示は、それなりの覚悟をようすること。署名活動が、掘り下げた意見交換の場となる。住民の意識を汲み上げる場にもなる。
その活動を通した実感として、面白い言い回しを聞かせてもらった。「『これまでは原発に喰わせてもらった』と言う人も、『この次は原発に殺される』と原発立地反対にまわる人が多数派になっている」という。「女川」にとって、「福島第1」の事故の衝撃は計り知れぬほど大きいのだ。
3・11の津波では、女川原発が危機一髪で被害を免れたことはよく知られている。しかし、事故前に共産党議員の要請があって、東北電力が最深で4メートルも取水口前面の海底の浚渫をしていたということは初めて知った。正確に事態を予想しての浚渫要求ではなかったようだが、取水口の位置の関係から水深が浅いとの批判と浚渫要求を東北電力が受け入れていたという。
町議会で、共産党議員が東北電力の説明員に「こうした海底の浚渫がもし行われず、浅いままだったら今回の津波は堤防を超えていたのではないか」と問いかけると、「そういうことも考えられる」という言いまわしで、認めたという。
なるほど、汀が浅過ぎる地形であれば、津波の押し波は陸地に達する時点で高くなる理屈である。女川原発は、80?の差で津波の堤防越えを免れた。4メートルの浚渫の効果は、その貴重な80?の確保につながったことが十分に考えられる。むべなるかな、支持率22%。
(4月27日)
靖国をめぐって事態は風雲急である。24日の衆議院予算委員会で、安倍首相は「国のために命を落とした英霊に尊崇の念を表するのは当たり前。わが閣僚はどんな脅かしにも屈しない」と述べたという。
「わが閣僚」は、憲法99条で憲法を尊重し擁護すべき義務を負っている。当然、政教分離の原則も、尊重し遵守しなければならない。憲法の遵守は、脅しに屈してするものではなく、立憲主義国家の公務員の当然の義務である。
戦死者を「英霊」と呼称することも、宗教法人靖国神社に参拝することも、個人としてであれば思想・良心や表現の自由の問題であり、また、宗教行為の自由として憲法が保障するところである。しかし、公的資格において、宗教的活動を行うことは許されない。憲法20条3項が禁止するところ。こっそり人目に付かずの参拝なら許されようが、肩書を記帳し、公用車を利用する参拝は許されない。国会議員が集団でなど、示威行動は許されない。
憲法の政教分離の規定は、天皇を神とすることを通じて民衆を支配する愚の反省から生まれた。言うまでもなく、その愚の最たるものが戦争であった。神なる天皇の軍隊が、天皇の命によって聖なる戦争を行うのである。間違った戦争であるはずもない。戦死すれば神として靖国に祀られ、畏れ多くも天皇が親拝されるという。安心して戦地に行き勇ましく闘って死ね。それこそが、臣民のあるべき道。
陸海軍が管轄した別格官弊社靖国神社は敗戦とともになくなったが、その思想は宗教法人靖国神社に脈々と生き続けている。その結果、政教分離規定は、国家神道の軍国主義的側面を代表する靖国神社を警戒せざるをえない。いまや、政教分離とは国家と靖国との分離といって過言でない。
私は終戦を母の背で迎えた。はしかの湿疹と高熱に冒されながら。父は招集されて兵営にあり、母の心細さはいかばかりだったろう。それでも、父が生きて帰ってきたことは幸運だった。多くの日本人が戦地で倒れ、靖国に祀られた。
その靖国神社にときに出かける。かつての宗教的軍事施設。大日本帝国の軍国主義が生き残っている異空間だが、この異空間は民衆の支持によって支えられている。
肉親の死を意義あるものとしたいとする遺族の心情を、国家の側に取り込むことが靖国の本質的な役割である。君のため国のための死を美化し、皇軍の戦死者を英霊とすることによって、戦争への批判を死者への冒涜とすり替える、巧みな侵略戦争批判回避装置。その機能はいまだに健在なのだ。
旧満州でふた冬を越した父は、南方に送られる寸前に病を得て本土に送還され生き残った。その病なければ、靖国に祀られるところだった。そのときは、私も九段の子。ここには、生き残った者への怨みの形相の亡霊を見ざるを得ない。「尊崇の念の表明」ではなく、国家は謝罪をすべきであろう。そして、全国民の不再戦の誓いこそが、唯一の追悼のかたちである。
『美味しい香り』
今日はきんぴらだ。立派なゴボウで一本は多すぎる。中程に爪を立てて、バカンと折る。ぷーんとゴボウの匂いが立ちのぼる。水分をたっぷり含んだ新鮮な匂い。ニンジンの方はちょっと古いので、もったいないけど皮をむく。水分が抜けている分、甘い濃厚な匂いがする。豚肉のステーキのためにニンニクを多めにスライスする。これも食欲をそそる匂いだ。焼く前に胡椒をカリカリ引くと香ばしい匂いがしてくる。付け合わせに新タマネギをマリネするために輪切りにする。金臭い甘い匂いがする。古タマネギとは違う。ついでにトマトを切ってレタスをちぎっておく。両方とも青臭い。
おみおつけには油揚げとお豆腐と摘んできた三つ葉を少々。香り立つ味噌汁だ。台所で一食作るだけで、むせかえるような香りのオンパレードだ。
色も言葉で表すのは難しいけれど、香りはもっとお手上げだ。なになにのような香りとしか表現できない。
バラの花だって、色や大きさ、形状はある程度言葉で表すことができるけれど、香りについてはティー(紅茶)、ムスク(麝香)、フルーティー、レモン、スパイシー、スミレなどと表現する。ハーブについても、甘い、酸っぱい、爽やか、ピリッとした、レモン、ショウガ、ナッツメグ、チョコレート、松のような匂いなどと言うしかない。
言葉では表現できないが、ショウガとニンニクは間違えようもない。と思うけれど、知らない匂いは覚えられない。たぶん一般の欧米人にはゴボウの匂いは何の匂いか解らないし、美味しさとは全く結びつかないだろう。香りは子供の時からの経験と学習で覚えるしかない。食事に香りがなかったら、ずいぶん味気ないだろう。
昨日はむせかえる究極の香りとおつきあいした。山椒の葉っぱの佃煮を作ったのだ。可哀想だが、若枝を切り出して、小さな奇数羽状複葉の葉っぱをしごき採って、酒と醤油でコトコト煮るのだ。お鍋にいっぱい煮ても最後は一握りになってしまう。だから惜しそうに、ほんの少しづつしかお裾分けできないのです。悪しからず。
(2013年4月26日)
昨日フランス下院で同性カップルの結婚を認める法律が成立した。賛成331、反対225で可決と報じられている。もともと、同法案はオランド大統領の公約のひとつ、唐突な出来事ではない。
デンマークやオランダで、同性の結婚を認める法制度が成立したときは衝撃だったが、今や国単位では14か国目の立法。文明とは、かく伝播し、かく進歩するものか、という感慨がある。同性婚の容認は、寛容の文化の象徴にほかならない。
これに比して、社会の非寛容さを象徴するのが、我が国における「日の丸・君が代」の強制。本日午前10時から東京都教育委員会の定例会。ウェブサイトを覗くと、「東京都公立学校教員等の懲戒処分等について」と議案が掲記されている。ご丁寧に「非公開になることが見込まれます」との併記がある。
前例の通りに本日処分が出されると、10・23通達発出以来の累計処分者数は450名となる。なんと非寛容な国、非寛容な社会。息苦しさを拭えない。
文明諸国での同性婚合法化の趨勢は、人の生き方の多様性を相互に認めあうことが普遍的な価値であることの証左といえよう。そのことは、少数者の生き方に寛容であることと同義なのだ。世の圧倒的多数は、異性との結婚を望み異性間の夫婦で子を生み育てることを幸福とする価値観をもっている。しかし、圧倒的に少数とはいえ、同性をパートナーとして共に人生を過ごそうとする人が存在するならば、そのような人の価値観を尊重して、そのような生き方を容認する制度を整えるのが成熟した社会のあり方なのだ。少数者が生き易い寛容な社会は、すべての人に生き易い社会なのだから。
これに反して、愛国心を振りかざし国旗国歌を尊重すべきだとして、すべての教員に卒業式・入学式での国旗起立・国歌斉唱を徹底せずんば非ず、という非寛容な社会はまことに生きにくい。行政が、これが社会のオーソドックスと決め、これを受け容れがたいとする人を含めて全員に強制するのは、社会の非成熟の表れにほかならない。自分が自分であるための一人ひとりの生き方や価値観が認められない社会は、なんと生きにくい息苦しい社会であることか。
同性婚を認める国と、日の丸・君が代強制がまかりとおる国との対比は、そのまま人権や民主々義の成熟度の対比でもある。日本国憲法13条は、個人の尊厳の根拠条文として、先進文明諸国の憲法原則と遜色ないはずなのだが‥。
話題を変えて、もう一題。
『根津神社つつじ祭り』
公園や街路でツツジがきれいに咲いている。やっぱり今年も根津神社に行ってきた。2000坪の曙の里(江戸時代にこう呼ばれていた)に100種3000株の色とりどりのツツジが植わっている。遠くから見ると、表面に赤やピンクや白の花をびっしり付けた、数え切れないほどの緑色のお椀が伏せてあるように見える。風情には欠けるけれど、人工的で、整然として、くっきりとしてきれいで、おとぎの国の庭はきっとこんなかしらと思う。このように整った形で毎年見世物にするのは、大変な苦労と労力がいる。きっちり刈り込んでも花を付ける常緑で丈夫な種類のツツジのみにできることだ。
5代将軍綱吉に子が無く、兄の子綱豊(6代家宣)を養嗣子に定めるにあたり、宝永3年(1706年)綱豊の生地に産土神である根津神社を移造した。華麗な権現造りの社殿群が今も残って、重要文化財に指定されている。「只泥深き葭原(あしはら)なりけるを。宝永の頃材木許多(あまた)十文字に組み立てて之を足代とし。漸く地形を固め」作ったらしい。(加瀬順一著「元根津・根津神社・根津権現」より) 本郷台地と上野台地の間の根津谷はまわりの水を集めて藍染川が流れる低湿地だった。その川が流れ込むのが上野不忍池だ。もともと江戸は現在の日比谷公園まで東京湾が入り込み、日比谷入江と言われていたほど陸地は後退していた。江戸に入った徳川家康は城郭整備だけでなく、神田上水、神田川の付け替え、河川や道路整備、入江の埋め立てなどインフラ整備を精力的に行った。いわゆる天下普請だ。5代家綱もそれにならって、家康の尊称の権現様を名前につけて、「根津権現」を天下普請したのである。
門前町には遊郭ができて、明治21年(1988年)、近くに東京大学の前身が置かれ、ふさわしくないとして須崎に移転させられるまで、屈指の盛り場として賑わっていたという。その傍らを流れる藍染川は水はけが悪く、よく氾濫したので、大正10年(1921年)暗渠工事が始まった。今となっては、「谷根千」散策を楽しむ観光客には、「へびみち」がその跡だと解るばかり。
(2013年4月25日)
弁護士の仕事は法廷ばかりではない。しかし、法廷は主戦場だ。40年弁護士生活を続けてきても、出廷の度に緊張する。緊張の舞台での勝訴判決は掛け値なしに嬉しい。いつもは批判ばかりしている裁判所だが、勝訴判決の日は別だ。自分が人の役に立ったという充実感が、弁護士人生の醍醐味。そして、判決は同種の問題を抱える人の権利の伸長に影響する。多くの人の役に立ちうるのだ。
体制の根幹に関わる憲法問題では裁判所はその職責を果たしていない。しかし、医療過誤や消費者事件などでは裁判所の果たしている役割は大きい。労働事件についても評価ができるだろう。
本日の判決は、新生児の心疾患診断義務違反を問う医療過誤事件。昨年10月25日に1審の全面勝訴判決を得て、本日東京高裁第20民事部(裁判長坂井満,主任太田武聖各裁判官)で控訴棄却判決を得た。
請求額(5880万円)の満額を認容されたというだけではなく、医師によるカルテ改竄を再度認め、死亡の機序、2点の過失主張も、因果関係も、全て請求原因のとおりに認められた。
生後38日で亡くなった「優華ちゃん」の死因は、「大動脈弁狭窄症」(AS)である。大動脈弁狭窄症は先天性疾患である「二尖大動脈弁」に起因するもので、左心室から大動脈に通じる大動脈弁の狭窄によって体循環の動脈血流出に支障が生じた。それでも、胎児期から出生直後のしばらくは、努力性に左心室を働かせることによって全身への動脈血供給を保持したが、その代償機能が限界に達すると、「低心拍出量症候群」の発症となり、「心不全」となって死亡に至った。
大動脈弁狭窄症は診断が可能であるだけでなく治療も可能である。標準的な能力を持つ医師による優華ちゃんへの誠実な診察さえあれば、正確な診断によって専門医への搬送が可能となり、姑息的カテーテル治療と根治的手術とを組み合わせる確立された治療方法によって、高い確率で救命を期待しうる。他方、担当医の診断の見落としは、現実の優華ちゃんの症状進行が示しているとおり、容易に児の死亡の結果をもたらす。
したがって、優華ちゃんの大動脈弁狭窄症は、典型的な「見落としてはならない」疾患である。にもかかわらず、生後一月余の間、優華ちゃんの新生児診療を担当した被告クリニックの産科医は大動脈弁狭窄に伴う特有の心雑音を聴診することもなく、大動脈弁狭窄症由来の低心拍出量症候群による全身症状の悪化を問診・視診するでもなく漫然とその症状を看過し、自ら正確な診断をすることも専門医への搬送も怠った。その被告の診断義務違反によって、優華ちゃんはかけがえのない生命を失った。
以上が1審における原告の主張であり、1審判決は原告の主張を、ほぼ全面的に認めた。これを不服とする控訴理由の骨格は、「重症型大動脈弁狭窄症(Critical AS)」をキーワードとする以下の各点。
(1) 機序
優華ちゃんの死因となった原疾患は「大動脈弁狭窄症(AS)」ではなく、「重症型大動脈弁狭窄症(Critical AS)」である。
(2) 過失
産科医にCritical ASの診断を求めることは不可能を強いるものである。
(3) 損害
Critical ASである以上、優華ちゃんが適切な治療を受けて延命したとしても、予後は極めて不良であり、労働能力は期待できない。
(4) カルテ改ざん
カルテの内容はCritical ASとして合理的に説明可能で改ざんはない。
これに対する被控訴人(遺族側)の反論は以下のとおり。
(1)「Critical ASはASではない」とは、「白馬は馬に非ず」と同様の詭弁である。
(2)「Critical」であるか否かにかかわらず、「AS」である以上は、心拍出量が保たれている限り聴診による診断が可能であり、全身状態悪化からも診断が可能である。
また、新生児診療に携わるすべての医師が心疾患疑診の診断と専門医への搬送の必要についての的確な判断ができなくてはならない。
(3)明確な否定的統計がない以上、平均的な算定による逸失利益額を減額すべきではない。
(4)カルテの改ざんは形式・内容の両面において明らかである。
以上の各論点について、原審だけでなく、控訴審判決も、患者側の言い分によく耳を傾け、理解してもらったという印象が深い。
判決の次の1節がキーポイントである。
「重症大動脈弁狭窄症は大動脈弁の狭窄が重度な大動脈弁狭窄症の一群であり,大動脈弁狭窄症とは異なって重症大動脈弁狭窄症という特別の疾患があるわけではないから,その診断方法は大動脈弁狭窄症の重症度のいかんにかかわらず同じであると解される。したがって,優華の大動脈弁狭窄症が重症であったとしても,‥低心拍出量症候群が進行して左室からの心拍出量が減少した可能性があると考えられる生後24日以前においては,十分な心拍出量があったものと推認されるので,その間であれば,聴診により収縮期の雑音を聴き取れる状態にあったと推認される」
記者会見の際に、記者から「この判決が臨床にどう影響すると思うか」という質問があった。その問題意識や、すこぶる良し。
「本件では、提訴時から産科クリニックの産科医による新生児診療の態勢や能力の欠如を問題としてきました。一審判決後医療側は、『このような医師に不可能を強いる判決は、医師の業務を立ちゆかなくさせる不当なもの』と反発しました。しかし、そんなことはない。東大輸血梅毒事件を典型として、不可能を強いるものと非難された判決の注意義務も、やがて臨床に当然の医療水準として定着してくる。そのようにして、臨床は進歩してきたのです。
患者が求める医療水準と、医師が受け入れ可能とする医療水準とは、宿命的に隔たりがあることを否めません。双方が主張し合って、裁判所は社会を代表する立ち場で、判断をします。その判断の積み重ねが、臨床の改善・進歩に役立ってきました。
患者が泣き寝入りしていたのでは、臨床の改善につながらない。患者や遺族が声をあげ、訴訟を提起し、一時的には医療側にとって不本意ではあっても、臨床の水準を一歩進める判決を勝ち取ることは、全患者のために、また、医療全体のために意義のあること。本日の判決もそのような内実をもったものとして、新生児医療の改善に影響を及ぼすものと考えます。
具体的には、新生児診療に携わるすべての医師が、心疾患を診断して専門医に搬送すべきとする判断ができるよう、技能を研鑚し態勢を整備しなければならないし、ぜひそうしていただきたい」
そう、この5年間この事件にかけた時間と労力は、意義ある判決となって結実したのだ。苦労して獲得したひとつの判決の意義がもたらす充実感である。
とはいうものの、実はこの勝訴は、ひとえに誠実で力量のある複数の協力医に巡り逢えたことの賜物。とりわけ中心になって訴訟を支えていただいた医師には、足を向けては寝られない。
その医師にも、本日の勝訴判決を我がことの如くに喜んでいただいた。
(2013年4月24日)
靖国神社の春季例大祭に、安倍首相が真榊(まさかき)を奉納し、麻生副総理が参拝した。さらに、超党派の「みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会」(会長=尾辻秀久元厚生労働相)の所属議員168人が合同で参拝した。これらの一連の動きが、韓国外相訪日取りやめという事態を招いている。
ところが、尾辻氏は23日参拝後に記者会見し、靖国参拝を巡る中国、韓国の反発について「国会議員が国のために殉じた英霊に参拝するのは、どこの国でも行っており、ごく自然な行為だ。反発はよく理解できない」と述べた、という。また、高市早苗氏は記者団に「どう慰霊するかは日本人が決める国内問題。外交問題になる方が絶対におかしい」と語った、と報道されている。
「反発はよく理解できない」では、見識を問われる。「どう慰霊するかは日本人が決める国内問題」では、アジアとの外交関係処理の能力欠如といわざるを得ない。
例大祭とは、靖国神社最大の定例祭典である。起源は、1869(明治2)年9月、兵部省が東京招魂社の祭典を定めたところから。その際には、正月3日(伏見戦争記念日)、5月15日(上野戦争記念日)、5月18日(函館降伏日)、そして9月22日(会津降服日)の4日であった。要するに戊辰戦役での官軍戦勝日である。戦没者慰霊よりは官軍戦勝記念日の色彩が濃厚といえよう。賊軍とされた側にとっては不愉快極まりない日程の決め方。
1879(明治12)年東京招魂社が改称して別格官弊社靖国神社に列格した際に、例大祭日は5月6日と11月6日の年2回と改められた。11月6日は会津降服日の太陽暦への換算の日である。5月6日の方は、その半年の間隔を置いた日。政府と靖国神社の、内戦における官軍戦勝へのこだわりが良く見える。会津の人々にとって、また、奥州羽越列藩同盟に参加した31藩の「敗者」側の人々にとって、靖国は飽くまで勝者の側の宗教的軍事施設であった。
その性格が変わるのが、日清・日露の戦役を経たあと。1912(大正元)年に、陸・海軍省は靖国神社の例大祭を、4月30日(日露戦争勝利後の陸軍大観兵式記念日)と10月23日(同じく海軍大観艦式記念日)と改めた。ここに、軍事施設としての靖国神社は、内戦の軍隊に対応する宗教施設から、侵略戦争軍隊対応施設となった。
さすがに戦後の宗教法人靖国神社が陸海軍の記念日をそのまま例大祭の日とすることは憚られたものか、現在の春秋の例大祭は、4月21日?23日と10月17日 ?20日である。
「国会議員が国のために殉じた英霊に参拝するのは、どこの国でも行っており、ごく自然な行為だ」との言には既にいくつかのごまかしがある。
まず「英霊」という言葉が、特定のイデオロギーを織り込んだもの。世界に類例のない原爆による死者も、沖縄地上戦における県民死者も、そして空襲被害者も、「英霊」と呼ばれることはない。皇軍の戦死者のみが、天皇への忠誠死ゆえに「すぐれたみたま」とされる。明らかな死者の差別である。このことは、死者に対する遺族補償の極端な差別につながっている。
「英霊への参拝」は、単に死者を悼むことではない。軍人軍属の戦死を特別に宗教的に意味付けて、戦死者を祭神として祀り、この神に対して特定の宗教的な拝礼を行うことである。侵略戦争も、戦争責任も、当該死者の生前の行動のすべてが捨象されて、批判が失われる。戦争における加害者性などは想像するだに許されない。
もともと、国家神道自体が同様の目的をもった政治的支配の道具としてつくり出された。天皇を神の子孫でありかつ現人神として、天皇が統治する国家の正統性への批判を許さない。すべての王権神授説と同様に、天皇位を人間界を超えた神聖な存在に由来するものと権威付け、支配の道具とするものである。もっとも、日本の古色蒼然たる天皇位の神聖化は19世紀後半という、先進各国が市民革命を終えたあとに時期遅れて開花した徒花であった。
靖国は国家神道における軍国主義的側面を代表する存在である。軍事的宗教施設でもあり、宗教的軍事施設でもあった。国民皆兵による富国強兵策を実現する手段として、大きな役割を果たした。国民は、国定教科書における修身の授業で、「君のため国のために、命を捨てる」ことこそ、臣民の最高道徳と叩き込まれた。
侵略戦争へ国民を駆りたてた靖国神社に、公的立場にあるものが関わってはならない。それが、2000万人の近隣諸国の犠牲と210万人の我が国自身の国民の犠牲という高価な代償によって購った政教分離の原則である。
侵略戦争の標的となった近隣諸国の民衆はその被害を忘れることはできない。我が国の戦争への反省が不十分で、自らの手で戦争責任追及をなしえなかったことが、靖国参拝などに噴出する。まだ、戦後は終わっていない。「戦後レジームからの脱却」をさせてはならない。
もひとつのコラム。
『朝三暮四』
大学生が奨学金の返済に四苦八苦していることが大きな話題になっている。今日(4月23日)付け毎日新聞の一面に「給付奨学金大学生も」と大きな活字が踊っていた。安倍内閣やるじゃないかと喜んで、記事を読んでがっかりした。。財源は「現行の高校授業料無償化のための予算4000億円を削って充当する」という。高校生の親に所得制限をかけて授業料を徴収して、大学生の給付奨学金にする。予算をあちらからこちらへ移動するだけだ。所帯年収700万円以上から徴収ということになれば、5割の高校生は授業料を納めなければならなくなる。朝4個夕3個のトチの実の配分に文句を言ったら、高校生の授業料無償をけずって、大学生になったら奨学金を給付するから喜んでくれというわけである。総量は同じ。馬鹿にしている。朝三暮四だ。
誰がこんなこと考えるのかとあきれる。4月19日には安倍首相は「保育園の待機児童を17年までにゼロにする」と言った。これも内容を詳細に見れば、「女性の活用」のためで、子供のことを本気で考えているようには見えない。そもそも、保育所というのは3種類ある。まず「認可保育園」は国が定めた設置基準をクリアして、知事に認可された施設。公的補助があるので、保育料は月額2万から4万円。「認証保育所」は東京都独自の制度で、都と区が補助をするので、保育料は7から8万円。そのほかに「認可外保育所」があ。基準はあってもごく緩い。保育料は10から15万円になるという。
安倍首相は「認可保育園」を作るとは言っていない。保護者側は「規制緩和による認可基準の切り下げは望まない。安心安全な保育所を拡大して欲しい」といっている。保育料にこんなに差があるなら、「認可外保育所」がいくら出来ても、女性は安心して働きに出られない。
2月12日に安倍首相が経団連にお願いした「賃上げ」も同じだ。米倉会長は、「業績が改善した企業はまずボーナスを引き上げ、収益が伸びたら賃金を引き上げる企業も出てくるでしょう」ととぼけた答えをしている。それを受けてローソンなど2,3の企業が3パーセント前後賃上げしたと報道された。しかし、実際は一部上場企業はせいぜい定昇分、7割の労働者が働いている中小企業はもっと厳しく、派遣・パートはわずかにマイナスという調査統計が出ている。
よくよく見ていないと「スピード感」や「決める政治」に惑わされてしまう。支持率7割という数字に圧倒されて、気後れして黙ってしまう。
もう少ししたら、トリクルダウンしてくるからと我慢しているうちに、掴んだのは物価高と消費税アップだけ、とならないように切に願う。今日も暗い話題で元気は出ない。
(2013年4月23日)
私の故郷岩手の郷土史家のリーダー格に、森嘉兵衛という岩手大学教授がいた。三閉伊大一揆の研究で名高い。
その人の厖大な著作の中に、「維新か復古か」という読み物がある。幕末・維新期における南部藩の内情をほぼ100頁にまとめたもの。紹介したいのは、その冒頭に掲げられた、森氏自身の作と思われる詩(らしきもの)。以下はその抜粋。
「士・農・工・商」
差別の時代は過ぎ去った
「広く会議を興し万機公論に決すべし」
「四民平等」
確かに差別の世界は
過ぎ去ったはずである
「上・下」「官武・庶民」
みなひとつになるというが
新しい差別が
また始まるのではないか
いや われわれは
「旧来の陋習を破り
天地の公道に基づく」のだ
「天地の公道」とはなんだろう
「知識を世界に求め
大に皇基を振起する」ことである
しかし
知識を世界に求めることは維新だが
大に皇基を振起することは
復古ではないか
維新とはすべてこれ改むることであるが
復古とは古に復することである
維新とは差別をなくすることだが
復古とは新しい差別を立てることではないか
森氏は、「維新」の中に「復古」をみている。そして復古の中の新しい差別を見とがめている。「維新」とは進歩だ。人を身分制度の束縛から解き放ち平等にすることだ。ところが、実は「大いに皇基を振起する」という中間項を媒介に、維新は「復古」の毒をもつものとなったのではないか。「復古」とは、新しい差別なのだ。
「日本維新の会」なるものが、この森氏の指摘にピタリである。
「維新」とは「これあらたむる」ことであるから、これまでにない新しいものの如くである。しかし、それはイメージだけで実は古くさいことこの上ない。看板は革新であり進歩であるが、実態は「復古」そのもの。しかも、この復古は毒性が強い。
維新の会の綱領というものが発表された。
第1項が、「日本を孤立と軽蔑の対象に貶め、絶対平和という非現実的な共同幻想を押し付けた元凶である占領憲法を大幅に改正し、国家、民族を真の自立に導き、国家を蘇生させる」というもの。
ここで語られるのは、なによりも日本・国家・民族であって国民ではない。しかも、平和を「非現実的な共同幻想」とし、日本国憲法を占領憲法と侮蔑する。
さらに見よ。新自由主義政策のオンパレードを。
「自立する個人、自立する地域、自立する国家を実現する。
政府の過剰な関与を見直し、自助、共助、公助の範囲と役割を明確にする。
公助がもたらす既得権を排除し、政府は真の弱者支援に徹する。
既得権益と闘う成長戦略により、産業構造の転換と労働市場の流動化を図る」
明治「維新」が「皇基の振起」を中間項として「復古」に傾いて新しい差別を作りだしたごとく、日本「維新」の会は、「極端な新自由主義」を中間項として「復古」に傾き、新しい格差と貧困を作りだそうとしている。
公助の制限、道州制、労働市場の流動化‥いずれも経済的な強者の要求である。そして極めつけが、憲法と平和への剥き出しの敵意。
「橋下・維新の会」と「石原・立ち上がれ」との醜悪な合流は、一見「維新」と「復古」との奇妙な融合に見える。しかし、「維新」それ自体が「復古」の要素強く、新自由主義も国家主義も、反平和主義・反人権の立ち場で共通し、改憲要求で一致できるのだ。
いま、森嘉兵衛ありせば、語るであろう。
「本来の維新とは人と人との差別をなくすることだが
『日本維新の会』はすべての分野に競争を持ち込み
勝者と敗者の新しい差別を立ようとしている
そのような政策は維新というに値しない
『日本復古の会』と改称すべきだろう」
もう一つエッセイをサービス
『何という国だ』
少子化少子化と騒いでいる。騒いでいるけど政府は本気で対策など立てようとしてはいない。
給料はどんどん下がって、夫婦共働きしなければ、まともな生活は出来ない。労働基準法無視のブラック企業がふえて、残業はさせるは残業代は踏み倒すわ。文句言いたくても、護ってくれる組合はない。これでは子供などつくれるはずがない。何とか、工夫、やり繰りして玉のような赤ちゃんを授かったとしても、今度は安心して預けられる保育園がない。安倍首相は唐突に、待機児童はなくすと言い出したけれど、「認可保育園」を増やすとは言っていない。保育条件が悪く保育料が高ければ、親は安心して子供を預けて働けない。すくすく育って、やっと学校へ入れば、いじめ問題、体罰問題が待ち受けていて、最悪の場合は子供が自殺しかねない。受験のために学校とは別に、塾や習い事にもやらなければならない。お金がかかる。親は必死に働かなければならない。
めでたく大学に入学できても、5割ほどの学生は奨学金のお世話にならなければやっていけない。授業料(学部によってばらつきはあるが、初年度だけで、国立で82万円弱、私立で131万円強)がたかいし、くわえて下宿生なら生活費がかかる。授業料の免除はほぼ無いし、奨学金は給付ではない。だから、大学を出たときには700万円もの借金を背負ってしまうことさえある。「ルポ貧困大国アメリカ」(堤未果著 岩波新書)のなかに、「アメリカの大学生が借金漬けだ」と書いてあって驚いたが、5年遅れて日本の大学生が同じ苦境に立たされている。そのうえ就職難が待っている。今年は内定者8割などと厚労省の発表(3月15日)があったが(この数字はにわかには信じられないけれど)、内定していない8万人は今どうしているのだろうか。大学3年生の時から就職活動に神経をすり減らし、その費用の捻出にも苦しむ。「就活」自殺者が増えているようだ。たとえ就職できても、全労働者の3分の1は非正規雇用だ。就職してすぐに退職するするものも多い。ブラック企業の罠もある。過労自殺させられてしまう。15歳から34歳の若い世代で死因の第一位が自殺だということは驚くべき事実だ。青春ではなくて黒春だ。
大人だって、アベノミクスで景気が良くなるなどと楽観している場合ではない。株が上がるといってもあなたの株ではない。土地が上がるといっても、売っちゃえば住む処が無くなる。固定資産税だけが確実に上がる。親が亡くなって相続税が払えない、ここで商売続けられないと泣いたのを忘れたか。
老人だって、インフレになれば実質的に年金は切り下げだ。物価と消費税は確実に上がる。
なんだか春なのにお先真っ暗。
(2013年4月22日)
ボストン爆発事件に関連して、毎日新聞に概要以下の報道がある。
「米国では刑事事件の容疑者に対し、黙秘権や、弁護士の立ち会いを求める権利などを通告する手続きが原則として確立され、『ミランダ警告』と呼ばれる。この警告を行わない場合、取り調べで得られた証拠は裁判で使用できない。
だが、公共の安全に関わる場合は同原則に例外が認められるという。ジョハル容疑者は爆発物を隠していたり共犯者がいたりする可能性があるため、当局は徹底的に尋問し情報を得たい意向だという。
米国では01年米同時多発テロ後、当時のブッシュ政権がテロ容疑者と見なした人物を令状なしで米海軍グアンタナモ基地(キューバ)の収容所に長期間拘束し、拷問だと疑われるような手段で尋問。人権擁護団体などから厳しく批判された。」
アメリカの刑事司法原則よ、しっかりせよ。このような事例でこそ、人権の普遍性が試される。アメリカの法文化が本物かが問われている。犯罪の結果が重大だからとして例外を認め、黙秘権を否定して拷問を認めるようなことがあってならない。いささかでも例外を認めれば、その例外の穴は際限なく大きく広がっていく。原則の絶対性を守れるかどうか、それこそが試金石だ。
このことが他人事でなく気になるのは、自民党の日本国憲法改正草案を思い起こすから。
日本国憲法36条は、(拷問及び残虐な刑罰の禁止)と標題を付して、「公務員による拷問及び残虐な刑罰は、絶対にこれを禁ずる。」と定める。言うまでもなく、天皇制政府が行った数知れぬ野蛮な拷問の反省と、これを再び繰り返さないという決意を示したものである。
ところがこれを自民党は「公務員による拷問及び残虐な刑罰は、禁止する。」と改めようと提案している。「絶対にこれを禁ずる。」の条文から、ことさらに「絶対に」の3文字を削除しようというのだ。明らかに、「時と場合によっては」「事案の中身によっては」「公の秩序を維持するために必要不可欠な場合は」、例外を認めようとの思惑が透けて見える。
「黙秘権」あるいは「自己負罪拒否特権」は、公権力と対峙する人間の尊厳を認める基底的な人権である。この原則がいささかも、ないがしろにされてはならない。自民党はこの恥ずべき改正草案を撤回すべきであるし、オバマも自民党並みになってはならない。
付録のエッセイ
『食卓の葉っぱ』
柏餅の季節になった。ちょっと前は桜餅。普通、柏の葉っぱは食べない。桜の方は、葉っぱごと食べる。食べ物に利用される葉っぱについて少々。
「柏餅」 カシワの葉っぱは、保存した前年の葉を使う。毛が生えてゴワゴワして食べる気にはならない。でもほのかな香りはある。カシワは炊葉の意味で、食物を盛る葉のことをいった。(牧野・植物図鑑) 西日本では、サルトリイバラ(猿捕イバラ)のつやつやした葉二枚で挟んだものを柏餅といっている。
「桜餅」 大島桜の葉を使う。芳香はクマリン。こちらは柔らかいのでいくらでも食べられそうだが、肝毒性があるのでほどほどに。
「粽(ちまき)」 米を竹の皮に包んで蒸す。竹や笹は防腐、殺菌作用がある。ちまきは武士の戦場での携帯食、保存食として考えだされた。
「笹飴」 夏目漱石の「坊ちゃん」のなかで「何をみやげに買ってきてやろう」という問いに、ばあやの清が「越後の笹飴が食べたい」と答えて、有名になった。笹に飴を包んで、保存したもの。
「笹団子」 ヨモギを混ぜて団子を作り、中にあんこを入れて、笹の葉に包んだもの。やはり笹の葉の防腐、殺菌作用を利用した。
「ゲットウの葉」 ショウガ科。沖縄では、アロマオイルにも利用される甘い香りを放つ葉っぱをいろいろに利用する。ムーチーを包んで蒸したお餅。肉や魚を包んで蒸し焼き料理を作る。
「めはりずし」 漬けた高菜の大きな葉っぱを拡げて、おにぎりやおすしを包んで食べる。
「シソの葉」 シソの香りは胃液分泌を促し、食欲を増す。和製ハーブ。刺身のつま。味噌や唐辛子をくるんだもの。肉を包んでパリッと揚げたもの。そのほか利用の仕方はいろいろ。
「サンショウ」 冷や奴、タケノコの煮付けなどに付け合わせる。味噌と一緒に摺って、コンニャクに付けて焼いた味噌田楽。こう書いているだけで香ばしい匂いがしてくる。
「葉蘭」 薄いが、硬くてつやがある。長楕円形で50センチメートルもあるので、そのままお皿代わりに使ったり、カットしてお鮨やお弁当のしきりに使う。
「ナンテン」 健胃、解熱、鎮咳の生薬。折り詰めなどに添えて、防腐剤にする。
「椎の葉」 「家にあれば笥に盛る飯を草枕旅にしあれば椎の葉に盛る」(万葉集) 謀反の罪で19歳で絞首刑になった有間の皇子の歌。椎の葉は小さいので、枝ごと切りとった葉の集まりの上に、神へのお供えをして息災を祈ったといわれている。祈りは届かなかったようだ。
みな昔は庭に植えてあったり、近所から採ってきて、季節季節に使ったものだ。子供のうちから慣れ親しんで利用法も飲み込んでいた。いまはみなパック詰めになって、売られている商品になってしまった。生の葉っぱは高価なものなので、印刷したビニールで代用されて、味も香りもない邪魔者扱いされていることさえある。全部そうなってしまえば、次のような事件も起こらない。
数年前、食堂の料理の飾りに使われた葉っぱを食べた客が中毒した事件が起きた。その葉が「アジサイ」。これを食べると、過呼吸、痙攣、麻痺から死に至る。みずみずしく柔らかそうに見えるけれど、絶対口にしてはいけない。もうすぐ美しいアジサイの花がが咲く。別名「七変化」という。