靖国参拝の意味するもの
靖国神社の春季例大祭に、安倍首相が真榊(まさかき)を奉納し、麻生副総理が参拝した。さらに、超党派の「みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会」(会長=尾辻秀久元厚生労働相)の所属議員168人が合同で参拝した。これらの一連の動きが、韓国外相訪日取りやめという事態を招いている。
ところが、尾辻氏は23日参拝後に記者会見し、靖国参拝を巡る中国、韓国の反発について「国会議員が国のために殉じた英霊に参拝するのは、どこの国でも行っており、ごく自然な行為だ。反発はよく理解できない」と述べた、という。また、高市早苗氏は記者団に「どう慰霊するかは日本人が決める国内問題。外交問題になる方が絶対におかしい」と語った、と報道されている。
「反発はよく理解できない」では、見識を問われる。「どう慰霊するかは日本人が決める国内問題」では、アジアとの外交関係処理の能力欠如といわざるを得ない。
例大祭とは、靖国神社最大の定例祭典である。起源は、1869(明治2)年9月、兵部省が東京招魂社の祭典を定めたところから。その際には、正月3日(伏見戦争記念日)、5月15日(上野戦争記念日)、5月18日(函館降伏日)、そして9月22日(会津降服日)の4日であった。要するに戊辰戦役での官軍戦勝日である。戦没者慰霊よりは官軍戦勝記念日の色彩が濃厚といえよう。賊軍とされた側にとっては不愉快極まりない日程の決め方。
1879(明治12)年東京招魂社が改称して別格官弊社靖国神社に列格した際に、例大祭日は5月6日と11月6日の年2回と改められた。11月6日は会津降服日の太陽暦への換算の日である。5月6日の方は、その半年の間隔を置いた日。政府と靖国神社の、内戦における官軍戦勝へのこだわりが良く見える。会津の人々にとって、また、奥州羽越列藩同盟に参加した31藩の「敗者」側の人々にとって、靖国は飽くまで勝者の側の宗教的軍事施設であった。
その性格が変わるのが、日清・日露の戦役を経たあと。1912(大正元)年に、陸・海軍省は靖国神社の例大祭を、4月30日(日露戦争勝利後の陸軍大観兵式記念日)と10月23日(同じく海軍大観艦式記念日)と改めた。ここに、軍事施設としての靖国神社は、内戦の軍隊に対応する宗教施設から、侵略戦争軍隊対応施設となった。
さすがに戦後の宗教法人靖国神社が陸海軍の記念日をそのまま例大祭の日とすることは憚られたものか、現在の春秋の例大祭は、4月21日?23日と10月17日 ?20日である。
「国会議員が国のために殉じた英霊に参拝するのは、どこの国でも行っており、ごく自然な行為だ」との言には既にいくつかのごまかしがある。
まず「英霊」という言葉が、特定のイデオロギーを織り込んだもの。世界に類例のない原爆による死者も、沖縄地上戦における県民死者も、そして空襲被害者も、「英霊」と呼ばれることはない。皇軍の戦死者のみが、天皇への忠誠死ゆえに「すぐれたみたま」とされる。明らかな死者の差別である。このことは、死者に対する遺族補償の極端な差別につながっている。
「英霊への参拝」は、単に死者を悼むことではない。軍人軍属の戦死を特別に宗教的に意味付けて、戦死者を祭神として祀り、この神に対して特定の宗教的な拝礼を行うことである。侵略戦争も、戦争責任も、当該死者の生前の行動のすべてが捨象されて、批判が失われる。戦争における加害者性などは想像するだに許されない。
もともと、国家神道自体が同様の目的をもった政治的支配の道具としてつくり出された。天皇を神の子孫でありかつ現人神として、天皇が統治する国家の正統性への批判を許さない。すべての王権神授説と同様に、天皇位を人間界を超えた神聖な存在に由来するものと権威付け、支配の道具とするものである。もっとも、日本の古色蒼然たる天皇位の神聖化は19世紀後半という、先進各国が市民革命を終えたあとに時期遅れて開花した徒花であった。
靖国は国家神道における軍国主義的側面を代表する存在である。軍事的宗教施設でもあり、宗教的軍事施設でもあった。国民皆兵による富国強兵策を実現する手段として、大きな役割を果たした。国民は、国定教科書における修身の授業で、「君のため国のために、命を捨てる」ことこそ、臣民の最高道徳と叩き込まれた。
侵略戦争へ国民を駆りたてた靖国神社に、公的立場にあるものが関わってはならない。それが、2000万人の近隣諸国の犠牲と210万人の我が国自身の国民の犠牲という高価な代償によって購った政教分離の原則である。
侵略戦争の標的となった近隣諸国の民衆はその被害を忘れることはできない。我が国の戦争への反省が不十分で、自らの手で戦争責任追及をなしえなかったことが、靖国参拝などに噴出する。まだ、戦後は終わっていない。「戦後レジームからの脱却」をさせてはならない。
もひとつのコラム。
『朝三暮四』
大学生が奨学金の返済に四苦八苦していることが大きな話題になっている。今日(4月23日)付け毎日新聞の一面に「給付奨学金大学生も」と大きな活字が踊っていた。安倍内閣やるじゃないかと喜んで、記事を読んでがっかりした。。財源は「現行の高校授業料無償化のための予算4000億円を削って充当する」という。高校生の親に所得制限をかけて授業料を徴収して、大学生の給付奨学金にする。予算をあちらからこちらへ移動するだけだ。所帯年収700万円以上から徴収ということになれば、5割の高校生は授業料を納めなければならなくなる。朝4個夕3個のトチの実の配分に文句を言ったら、高校生の授業料無償をけずって、大学生になったら奨学金を給付するから喜んでくれというわけである。総量は同じ。馬鹿にしている。朝三暮四だ。
誰がこんなこと考えるのかとあきれる。4月19日には安倍首相は「保育園の待機児童を17年までにゼロにする」と言った。これも内容を詳細に見れば、「女性の活用」のためで、子供のことを本気で考えているようには見えない。そもそも、保育所というのは3種類ある。まず「認可保育園」は国が定めた設置基準をクリアして、知事に認可された施設。公的補助があるので、保育料は月額2万から4万円。「認証保育所」は東京都独自の制度で、都と区が補助をするので、保育料は7から8万円。そのほかに「認可外保育所」があ。基準はあってもごく緩い。保育料は10から15万円になるという。
安倍首相は「認可保育園」を作るとは言っていない。保護者側は「規制緩和による認可基準の切り下げは望まない。安心安全な保育所を拡大して欲しい」といっている。保育料にこんなに差があるなら、「認可外保育所」がいくら出来ても、女性は安心して働きに出られない。
2月12日に安倍首相が経団連にお願いした「賃上げ」も同じだ。米倉会長は、「業績が改善した企業はまずボーナスを引き上げ、収益が伸びたら賃金を引き上げる企業も出てくるでしょう」ととぼけた答えをしている。それを受けてローソンなど2,3の企業が3パーセント前後賃上げしたと報道された。しかし、実際は一部上場企業はせいぜい定昇分、7割の労働者が働いている中小企業はもっと厳しく、派遣・パートはわずかにマイナスという調査統計が出ている。
よくよく見ていないと「スピード感」や「決める政治」に惑わされてしまう。支持率7割という数字に圧倒されて、気後れして黙ってしまう。
もう少ししたら、トリクルダウンしてくるからと我慢しているうちに、掴んだのは物価高と消費税アップだけ、とならないように切に願う。今日も暗い話題で元気は出ない。
(2013年4月23日)