(2023年8月16日)
毎年、熱い夏の真っ盛りの8月15日に、あの戦争の敗戦記念日を迎える。
敗戦の4年前、1941年の8月には、天皇制政府はまだ対米英戦開戦の決断をしていない。アメリカの対日石油輸出全面禁止の経済制裁に戦火で応じるべきか対米外交で事態を切り拓くか、まだ近衛内閣が右往左往している時期。歴史を巻き戻すことができるのなら、このときに無謀な選択肢の回避あれば、300万に近い日本人の死は防げた。さらには2000万人に近い近隣諸国民に対する殺戮も防止できた。
41年9月6日の御前会議で、開戦の方向性がほぼ決まったとされる。その前日、天皇(裕仁)は、陸軍参謀総長と海軍軍令部長を呼びつけて、「(対米開戦をした場合に)必ず勝てるか」と聞いている。もちろん、彼我の戦力の大きな落差を知悉している専門家が、「勝てます」というはずもない。それでも、舵は開戦の方向に切られて行く。無責任の極み。
その年の10月には近衛が政権を投げ出し、主戦派の陸相東条英機に組閣が命じられる。こうして、国民の知らぬうちに12月8日開戦の準備が進む。宣戦布告なき不意打ちによる緒戦の戦果を、裕仁はいたく喜んだという。
しかし、42年の夏には既に形勢が逆転していた。早くも4月にドゥーリットルの東京空襲があり、6月にはミッドウェー海戦での大敗北があった。43年の夏は撃墜された山本五十六国葬の後に迎えている。多くの人が、日本は勝てないのではないかと思い始めていたころ。そして、44年の夏には、サイパン守備隊全滅後に東条内閣が倒れて小磯国昭内閣が成立している。既に敗戦必至の夏であった。
そして1945年の特別に熱い夏、何よりも「遅すぎた聖断」がもたらした惨禍の中で迎えた夏である。為政者の決断の遅延がかくも甚大な被害をもたらすという典型として記憶されねばならない。天皇(裕仁)が「一撃講和論」や「国体護持」に固執せず、早期降伏を決断していれば、東京大空襲も沖縄の悲劇もヒロシマ・ナガサキの惨劇もなかった。天皇(裕仁)の責任が開戦にあることは当然として、終戦遅延の責任も忘れてはならない。
その天皇(裕仁)の孫(徳仁)も出席して、昨日政府主催の「全国戦没者追悼式」が挙行された。毎年のことではあるが、主催者である首相の式辞には大きな違和感を禁じえない。昨日の岸田首相式辞全文を引用して、点検しておきたい。以下「」内が首相式辞であり、続く( )内が私のコメントである。
「天皇、皇后両陛下のご臨席を仰ぎ、戦没者のご遺族、各界代表のご列席を得て、全国戦没者追悼式を、ここに挙行いたします。」
(冒頭に「天皇、皇后両陛下のご臨席」はあり得ない。あたかも式の主役が「天皇、皇后両陛下」であるごときではないか。冒頭の呼びかけは、何よりも「戦没者」あるいは、「戦没者のご遺族」としなければならない。「天皇、皇后両陛下」への言及はなくてもよい。あっても最後でよい。そして、天皇を「仰ぐ」必要はまったくない)
「先の大戦では、300万余の同胞の命が失われました。祖国の行く末を案じ、家族の幸せを願いながら、戦場に倒れた方々。戦後、遠い異郷の地で亡くなられた方々。広島や長崎での原爆投下、各都市での爆撃、沖縄での地上戦などにより犠牲となられた方々。今、すべての御霊の御前にあって、御霊安かれと、心より、お祈り申し上げます。」
(「祖国」に違和感が拭えない。「祖国の行く末を案じつつ戦場に倒れた」人がなかったとは言えないにもせよ、多数であったはずはない。少なくとも、ここに真っ先に掲げることではない。無惨に自分の人生を断ち切られた無念。家族や愛する人との離別を強いられた怨みや悲しみや悔恨の情なら共有できる。「祖国」や「国体」が顔を出せばシラケるばかり)
「今日のわが国の平和と繁栄は、戦没者の皆さまの尊い命と、苦難の歴史の上に築かれたものであることを、私たちは片時たりとも忘れません。改めて、衷心より、敬意と感謝の念をささげます。」
(常套文句だが、明らかに間違っている。これでは、戦争賛美の文脈ではないか。「今日のわが国の平和と繁栄は、戦没者の皆さまの尊い命と、苦難の歴史の上に築かれたもの」とは、「あなた方が命を掛けてあの戦争を果敢に戦ってくれたおかげで、生き延びた者が今日の平和と繁栄を手に入れた」「あの戦争が今日の平和と繁栄をもたらした」と読むしかない。あたかも、あの戦争が正しいものだったと言わんばかりではないか。戦没者に捧げるものが「敬意と感謝の念」ではおかしくないか。実は、あの不正義の侵略戦争に加担させられた多くの戦没者の戦闘行為は、今日のわが国の「平和」や「繁栄」に何の因果関係も持たない。あの戦争を徹底して否定することから、今日の「平和」も「繁栄」も出発しているのだ。だから、戦没者に捧げるべきは「謝罪と悔恨と不再戦の決意」でなければならない)
「いまだ帰還を果たされていない多くのご遺骨のことも、決して忘れません。国の責務として、ご遺骨の収集を集中的に実施し、一日も早くふるさとにお迎えできるよう、引き続き、全力を尽くしてまいります。」
(異論はない。厚労省によると22年末時点で海外での戦没者およそ240万人のうち、半数近い112万人ほどの遺骨が未収容のままなのだという。急がねばならない。「引き続き、全力を尽くす」では、あたかもこれまでも「全力を尽くして」きたようではないか)
「戦後、わが国は一貫して、平和国家として、その歩みを進めてまいりました。歴史の教訓を深く胸に刻み、世界の平和と繁栄に力を尽くしてまいりました。
(正確には、「戦後、わが国の政権与党は一貫して、再軍備を図り国防国家建設を目指してまいりましたが、国民多数がこれに与せず、結果として平和国家としてその歩みを進めてまいりました」と言うべきだろう)
「戦争の惨禍を二度と繰り返さない。この決然たる誓いを今後も貫いてまいります。いまだ争いが絶えることのない世界にあって、わが国は、積極的平和主義の旗の下、国際社会と手を携え、世界が直面するさまざまな課題の解決に、全力で取り組んでまいります。今を生きる世代、そして、これからの世代のために、国の未来を切り開いてまいります。
(「積極的平和主義」がいけない。これは、安倍晋三以来、圧倒的な軍事力の増強によって自国の平和を守ろうという考え方を意味する。「積極的平和主義」の旗のせいで、「戦争の惨禍を二度と繰り返さない。この決然たる誓い」は、再び敗戦の憂き目を見ることのなきよう軍備を増強する、という意味になりかねない)
「終わりに、いま一度、戦没者の御霊に平安を、ご遺族の皆さまにはご多幸を、心よりお祈りし、式辞といたします。」
(この文章は良い。飾り気なく、分かり易く、遺族の気持ちに添うものとなっている)
天皇(徳仁)もこの式に出席しただけでなく、一言述べている。首相と違って、その存在自体が違和感の塊なのだから、その一言々々に改めての違和感を論じるまでもないと言えばそのとおりではあるのだが…。
「本日、『戦没者を追悼し平和を祈念する日』に当たり、全国戦没者追悼式に臨み、さきの大戦において、かけがえのない命を失った数多くの人々とその遺族を思い、深い悲しみを新たにいたします。」
(「深い悲しみを新たにいたします」と、その程度のものだろうか。戦没者に対して、いたたまれない自責の念はないのだろうか。痛切な反省の思いの感じられない一言)
「終戦以来78年、人々のたゆみない努力により、今日の我が国の平和と繁栄が築き上げられましたが、多くの苦難に満ちた国民の歩みを思うとき、誠に感慨深いものがあります。」
(「多くの苦難に満ちた国民の歩み」とは、戦争の惨禍からの立ち直りの過程を言っているのだろうが、「天皇の名による戦争」を起こし、苦難を強い、国体護持のために戦争終結を遅延した祖父の責任を、少しは身に沁みて感じているのだろうか)
「これからも、私たち皆で心を合わせ、将来にわたって平和と人々の幸せを希求し続けていくことを心から願います。」
(「私たち皆で心を合わせ続けることを、心から願います」って、意識的な天皇独特文法なのだろうか、それとも単なる出来の悪い文章に過ぎないのか)
「ここに、戦後の長きにわたる平和な歳月に思いを致しつつ、過去を顧み、深い反省の上に立って、再び戦争の惨禍が繰り返されぬことを切に願い、戦陣に散り戦禍に倒れた人々に対し、全国民と共に、心から追悼の意を表し、世界の平和と我が国の一層の発展を祈ります。」
(今年も挿入されたこの部分、「過去を顧み、深い反省の上に立って」が話題となっている。しかし、この「過去を顧みての深い反省」は、誰が誰に対して何を反省しているのか、さっぱり分からない。近代天皇制国家による侵略先近隣諸国民に対する殺戮や強奪の反省であれば立派なものだが、残念ながら「謝罪」の言葉がない。自国民に対する天皇の戦争への動員についての反省でも、戦没者遺族には慰謝になるのではないか。来年は、「過去を顧みての深い反省」の内容を明晰にする努力をしてみてはいかがか)
(2023年6月9日)
本日、現職の天皇(徳仁)の結婚30年だとか。各紙の朝刊に宮内庁提供の最近の家族写真が掲載されている。「結婚30年」、当事者や身内には感慨あっても、とりたてての慶事ではない。もちろん、まったく騒ぐほどのことでもない。
通常、結婚は私事だが、生殖を任務とする世襲君主の場合は特別である。結婚と出産が最大の公務となる。とりわけ、男系男子の血統の存続を至上目的とする天皇後継者の結婚は、男子出産のための公務と位置づけられる。愚かなことではあるが、男子出産を強制される立場の当事者にとっては、さぞかし辛いプレッシャーなのだろう。
周知のとおり、このプレッシャーによって、皇太子(徳仁)の妻は「適応障害」となったと発表されて療養生活を余儀なくされた。周囲からの冷たい目に心折れた、ということだろう。夫は健気にも、妻のことを「僕が一生全力でお守りします」と宣言し続けてきた。何から守ると明言してはいないが、この夫婦も「天皇制なるもの」を相手に闘ってきたごとくである。まことに気の毒な境遇と言えなくもない。
本日朝刊の宮内庁提供の天皇夫婦とその子の家族写真を見て思う。実に質素で飾り気がない。あの儀式の際の、滑稽極まるキンキラキンの洋装和装とはまったく趣が異なる。威厳や、神秘性や、気品や、華美や、伝統やらの虚仮威しがない。この家族写真の天皇は、雲の上の人でも、大内山の帳の向こうの人でもない。徹底して、「中産階級の核家族」「マイホーム・ファミリー」を演出しているのだ。
この事態、右翼諸氏には苦々しいことではなかろうか。本来は神秘的な宗教的権威があってこその天皇である。国民に、「天皇のためになら死ねる」「天皇の命令とあれば死なねばならない」との信仰が必要なのだ。それゆえに、かつて国民の目に触れる天皇の肖像は、本人とは似ても似つかぬ威厳に満ちた御真影であった。「真の影(姿・形)」とは名ばかり。実はフェイクの肖像画を写真にしたもの。天皇制のまがい物ぶりを象徴する貴重な証拠物と言わざるを得ない。
ところで本日、性的少数者に対する理解を広めるための「LGBT理解増進法案」が衆院内閣委員会で審議入りし即日採決された。まことに、不十分な実効性を欠く法案であるにもかかわらず、これほどに右翼の抵抗が強く、これほどに後退した内容となったのは、天皇制の存続への影響に危機感あってのことである。
天皇制とは、天皇信仰であるとともに、「イエ制度」を所与の前提とし、「家父長制」に国家をなぞらえて拵え上げられたイデオロギーである。妻は夫に仕え、子は親に孝を尽くすべきという「イエにおける家父長制」の構図を国家規模に押し広げて成立した。
だから、右翼は「イエ」「家父長制」の存続に極端にこだわることになる。統一教会も同様であり、安倍晋三もしかりである。ジェンダー平等も、フェミニズムも、夫婦別姓も、同性愛も、同性婚の制度化も、ましてや性自認の認容などはあり得ない。その一つひとつが、天皇制存続の危機につながることになるからだ。国民の自由や多様性と天皇制はは、根本において矛盾し相容れない。今、そのことをあらためて認識しなければならない。
このことを説明して得心を得ることは、そう容易なことではない。しかし、極右自らが語るところを聞けば、自ずから納得できるのではないか。その役割を買って出た人物がいる。有本香という、よく知られた極右の発言者。オブラートに包むことなく、率直にものを言うのでありがたい。
ZAKZAKという「夕刊フジ」の公式サイトがある。フジサンケイグループの一角にあるにふさわしく、臆面もない右翼記事が満載。昨日(6月8日)午後のこと、そのZAKZAKに有本香の一文が掲載された。長い々い表題で、「LGBT法案成立は日本史上『最大級の暴挙』 岸田首相は安倍元首相の『憂慮』を理解しているのか 『朝敵』の運命いかなるものだったか」というもの。右翼がジェンダー平等やLGBTを敵視する理由が天皇制にあることを露骨に述べている。これ、「語るに落ちる」というべきか、「積極的自白」と称すべきか。
全部の引用は無意味なので、抜粋する。要点は、以下のとおり。
LGBT容認は、万世一系の皇統を危うくする。皇統を危うくする者は「朝敵」である。これを喝破していたのが安倍晋三。安倍の恩顧を忘れてLGBT容認の法案成立に加担する自民党議員も「朝敵」である。もはや、自民党ではない保守の「受け皿」をつくるべきだ。
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安倍晋三元首相の亡い今、岸田文雄首相(総裁)率いる自民党は、おそらく日本史上でも「最大級の暴挙」をしでかそうとしている。LGBT法案を強引に通そうとしているのだ。
LGBT法案について、安倍氏は法案の重大な問題点を指摘していた。「肉体は女性だが、性自認が男性の『トランス男性』を男性と扱うことになれば、皇位継承者を『皇統に属する男系男子』とする皇位継承の原理が崩れる」。神武天皇以来、万世一系で約2000年(ママ)続く、日本の皇統。これを崩壊させんとする者は「朝敵」である。
皇統の重要性は、皇統が崩壊すれば、日本が終わると言って過言でない。その暴挙を為そうとしている自覚が、岸田首相と政権の人々、自民党幹部にあるのか。同法案推進に努めた古屋圭司氏、稲田朋美氏、新藤義孝氏ら、?安倍恩顧?であるはずの面々は、安倍氏の懸念を何一つ解消させないまま、進んで「朝敵」となる覚悟をしているのだろうか。
古来、朝敵の運命がいかなるものだったかは、あえてここに書かない。万世一系を軽んじ、自分たちが何に支えられてきたかも忘れてしまった自民党の奢(おご)りを、私たちは看過すべきではなかろう。
多少の政局混乱はあるだろうが、それをおそれず、自民党以外の保守の「受け皿」を国民有権者自らがつくるべきだ。
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極右の目から見ると、自民党も「朝敵」なのだ。恐るべきアナクロニズム。こう言う連中が、かつては安倍晋三を押し上げ、また、安倍晋三の庇護の元にあった。
あらためて、天皇(徳仁)の家族写真に問うてみる。
「LGBT容認は、万世一系の皇統を危うくする。皇統を危うくする者は『朝敵』なんだそうですよ。徳仁さん、もしかして、あなたも『朝敵』ではないのかな」
(2023年3月26日・連日更新満10年まであと5日)
東京弁護士会は、受理した人権救済申立事件において今月20日付で警視庁に対する下記警告を発した(ホームページへの掲載は23日)。
事案は、天皇制に反対する40代男性が天皇夫妻の自動車に沿道で「もう来るな」などと書いた横断幕を掲げたところ、警視庁の警察官(複数)から執拗な尾行、嫌がらせをうけたというもの。天皇制反対の思想が怪しからんはずもなく、その表現が規制される言われはない。当然のことながら、東京弁護士会は、警視庁の行為を人権侵害と断じて、再発のないよう強く警告をした。その警告書の全文を、転載しておきたい。
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2023(令和5)年3月20日
警視庁 警視総監 小 島 裕 史 殿
東京弁護士会 会 長 伊 井 和 彦
人権救済申立事件について(警告)
当会は 、 申立人V氏からの人権救済申立事件について 、当会人権擁護委員会の調査の結果、貴庁に対し下記のとおり警告します。
記
第1 警告の趣旨
貴庁所属の警察官らは、貴庁の職務活動として、2013(平成25)年10月11日から2014(平成26)年4月17日までの間に、別紙1記載のとおり、少なくとも5名(A、B、C、D、Fと表記)のうち1人または複数により申立人を公然と尾行・監視する等の行為を行った(以下、「本件尾行行為等」という。)。
貴庁の警察官らによる上記職務活動は、申立人のプライバシー権、表現の自由、思想・良心の自由を侵害する違法な行為であり、重大な人権侵害行為である。
よって、当会は貴庁に対し、貴庁自身が上述のような人権侵害行為の重大性を十分に認識・反省した上で貴庁所属の警察官への指導・教育を徹底するなどして、今後、貴庁の警察官がこのような人権侵害を行わないよう強く警告する。
第2 警告の理由
1 認定した事実
(1)申立人について
申立人は、W市に在住する者であり、日本に天皇制があることに反対する旨の意見をもち、また、「X」と称する市民団体に所属する者である。
(2)本件尾行行為等に先立って、次の事実があった。
2013(平成25)年10月、申立人は国民体育大会が開催された「Y」から天皇皇后夫妻(当時。現在の上皇、上皇后)が車で帰路につく際、その沿道で、1人、平穏な態様で「もう来るな W市民」とマジックで書いた横断幕を掲げた(以下、「本件抗議活動」という。)。
本件抗議活動 は、天皇制 に 批判的な考えをもつ申立人が自由な表現行為として行ったものであり、 天皇皇后の帰途 や警備活動を妨げるものではなかった。
ところが 、申立人は 、私服刑事に両腕を掴まれて待機を命じられた。その後 、数十人の私服刑事に取り囲まれ 、その場に拘束されたほか 、質問を浴びせられたり 、非難等 をされた りした 。申立人 が 、大声で抗議し続けたところ 、20分ないし30分後に解放された。
(3)本件尾行行為等
申立人の供述によれば、本件抗議活動の後、貴庁所属の警察官ら少なくとも5名(A、B、C、D、Fと表記)は、貴庁の職務活動として、別紙1記載のとおり2013(平成25)年10月11日から2014(平成26)年4月17日までの間、少なくとも21日にわたり1人又は数人により申立人に対し尾行したり、つきまとうなどの行為をした。その態様は、遠くから尾行・監視する場合もあれば、申立人が認識しうる形で申立人のすぐ近くに迫るなどして尾行・監視することもあった。また、申立人の行動を監視している旨告げたり、必要もないのに申立人の就業先をわざと訪ねたり、申立人やその家族である幼い娘の写真を撮影する等の行為を行った。
(4)上記の申立人の供述は、以下の点において、申立人から提出された資料及び当会の調査に基づく資料による 客観的な裏付けがあり、信用することができる。
ア Aは、貴庁が所有し久松警察署が管理する自動車登録番号「Z」の車両に乗車しながら本件尾行行為等を行っている(別紙1?、別紙2、別紙3)。
イ Aが行った本件尾行行為等は、別紙1?、?、?、?について、
申立人、申立人の妻、申立人の協力者が撮影した画像、動画の裏付けがある。
ウ Bが行った本件尾行行為等は別紙1?、Dが行った本件尾行行
為等は別紙1?について、申立人、申立人の協力者が撮影した画
像、動画の裏付けがある。
(5) 当会は貴庁に対し、 申立人の上記供述 及び客観的な裏付け資料等に基づき、本件について平成27年9月4日付け照会書 により、事実関係等について詳細な照会を行った。
しかし 、これに対し貴庁は、 同 年10月2日付回答書において 、
「ご依頼の照会事項につきましては、貴意に沿いかねます。」と回答し、全ての照会事項について回答を拒否した。このような貴庁の回答拒否は、当会の行う人権救済活動の目的、趣旨に照らし、きわめて遺憾であるといわざるをえない。
(6) 以上のとおり、 当会は、申立人からの事情聴取、申立人から提出された 資料、当会の調査による資料 、貴庁による本件の回答拒否等を含めて、本件に関する事情等を総合的に検討して 、貴庁所属の警察官であるA、B、C、D、F が職務行為として本件尾行行為等を行ったことを事実認定したものである。
なお、申立人は、 本件尾行行為等を行った 者の氏名を知ることができないためにA ?Fとして特定した。当会も本件警告をするにあたって上記 A ? Fをそのまま用いることとし、その上で貴庁の警察官とは認定できなかったEを除外したものである。
2 本件尾行行為等の違法性及び人権侵害性
(1)本件尾行行為等の違法性
ア 大阪高裁昭和51年8月30日判決(判例時報855号115頁)は、当該事案において、警察官が尾行している対象者に気付かれ、抗議を受けた後も尾行行為を継続したこと自体は違法とはいえないが、「如何なる態様、程度の尾行行為をも許されるわけ
ではないことは、警察法二条 二項、警職法一条 二項の趣旨に照らして明らかであり、どのような態様、程度の尾行行為が許されるかは、いわゆる警察比例の原則に従い、必要性、緊急性等をも考慮したうえ、具体的状況の下で相当と認められるかどうかによっ
て判断すべきものと解すべきである」と判示して、最高裁昭和51年3月16日決定(判例時報809号29頁)を引用し、警察官が対象者の後方わずか数メートルの至近距離範囲内を尾行(密着尾行)した行為は、「実質的な強制手段とはいえないにしても、前記のような判断基準に照らし相当な尾行行為であるとは到底認め難く、違法であるといわなければ ならない。」と結論づけている。
イ Aら警察官は申立人に対して捜査する必要を有していたわけではないと考えられる。このことは、 ?本件尾行行為等のきっかけは、申立人の本件抗議活動であることは明らかであること、? 申立人は本件尾行行為等の前、本件尾行行為等の 期間中 、犯罪行為
は行っていないこと、 ? Aら警察官は申立人の事情聴取を全く行っていないこと等から認められる。
そして、本件尾行行為等の態様、回数、頻度、期間等からすれば、本件尾行行為等の目的は、?本件抗議活動への報復・いやがらせ、?申立人に対して将来的に本件抗議活動のような反天皇制の表現活動をさせないために心理的圧迫を加えること、?申立人に関する情報収集活動、の3点であると考えられる。
以上よりすれば、 上記裁判例に照らしても、 本件尾行行為等には、正当な目的や 必要性、相当性は 到底認められず、違法であることは明らかである。
(2) 申立人の プライバシー権、表現の自由、思想・良心の自由に対
する侵害
ア プライバシー権の侵害
本件尾行行為等は、申立人を尾行するか、尾行を伴わないものであっても申立人の行動を注視するものであるから、申立人の私生活を公権力が意図的にうかがい知るものであり、プライバシー侵害の可能性がある。それがプライバシーの侵害にならないとい
えるためには、本件尾行行為等を正当とする理由が必要である。
しかし、上述のように、A らが行った本件尾行行為等には正当な理由、必要性、相当性等は 認められない。したがって、本件尾行行為等により、正当な理由等がなく申立人の日常生活が公権力に監視されたのであるから、プライバシー権の侵害があったことが明らかである。
イ 表現の自由の侵害
申立人は、天皇制に反対の考えをもっており、天皇はそのような市民がいることを知るべきだ、との思想(考え)のもとに、 2013( 平成25 ) 年10月、「もう来るな W 市民」とマジックで書いた横断幕を天皇・皇后の乗る車両から見えるようにして
掲げるという本件抗議活動を行った。
本件抗議活動は 表現の自由の1つの形態である。 また、本件抗議活動は、警備活動を妨げるものではなかったし、また、どのような法令に抵触するものでもなかった。
ところがAらの警察官は執ように本件尾行行為等を行った。本件尾行行為等は、客観的にみて、同様な行為を今後行うことをためらわせるのに十分な威迫力をもつ。申立人も、つきまとわれることによる精神的苦痛を感じており 、 既に萎縮的効果が十分に発生している。
他方、上述のとおり、Aら警察官による本件尾行行為等には正当な理由や必要性、相当性等は認められない。
したがって 、本件尾行行為等は申立人の表現の自由 の侵害にあたる。
ウ 思想・良心の自由の侵害
申立人は、天皇制に反対の考えをもっており、天皇はそのような市民がいることを知るべきだ、との思想をもっている。この申立人の思想は憲法で保障されるものである。
ところが、この思想の表現行為として申立人が本件抗議活動を行ったところ、本件尾行行為等が行われたものである。
上述のように、本件尾行行為等には 、正当な理由や必要性、相当性等は認められず、 本件抗議活動と同様の 表現行為をすることをためらわせるに十分な威迫力を有するものである。
そもそも、本件尾行行為等の目的は、上述のように、 ?本件抗議活動への報復・いやがらせ、?申立人に対して将来的に本件抗議活動のような反天皇制の表現活動をさせないために心理的圧迫を加えることであると考えられる。
したがって、本件尾行行為等は、申立人の思想・良心の自由の侵害にあたる。
3 結論
以上のとおり、本件尾行行為等は、重大な人権侵害行為である。
また、本件尾行行為等が、申立人のみならず申立人以外の国民に対しても行われるとすれば、国家による監視社会の形成・思想統制につながりかねず、民主主義の根本を揺るがす深刻な事態を招くことになる。
よって、当会は貴庁に対し、警告の趣旨記載のとおり警告する。
第3 添付書類
別紙1 尾行・監視行為等の一覧表
別紙2 貴庁警察官のうちA、B、Dの写真、車両の写真
別紙3 原簿情報照会
以上
(2023年3月20日)
書庫の整理をしていたら、「國體の本義 文部省」「文部科学省編纂 臣民の道」「陸軍省兵務課編纂 教練教科書 學科之部」の抜粋が出てきた。40年も前に、岩手靖国違憲訴訟の甲号証として提出したもの。それぞれに甲第141?143号証の号証が付されている。甲第143号証の巻頭に「軍人勅諭」、次いで「戦陣訓」が掲載されている。
靖国訴訟に携わった頃、懸命にこの種の資料を読みあさった。天皇崇拝だの、国体思想だの、招魂だの英霊だのという「思想」が理解できなったからだ。実は今にしてなお呑みこめない。これは「思想」などというに値するものではない。カルトのマインドコントロールの対象でしかないと割り切ると、何を言っているのかすこしは分かる気がする。
国家神道(天皇教)とはカルト以外の何ものでもなく、これを全国の学校を通じて臣民に吹き込んだ教育こそはマインドコントロールであった。これは、統一教会の「教義」と「布教手法」によく似ている。
統一教会の信者にとっては、死後の霊界でのあり方が最大の関心事だという。繰り返し畳み込まれると、一定確率で、地獄に落ちる恐怖から逃れるために何もかも犠牲にして献金をする新たな信者が現れる。この信者の心情を他者が理解することは困難だが、それは間違いだと論理を持って説得することも難しい。これがマインドコントロールというもの。天皇制も国体も英霊も、まったく同じことである。
マインドコントロールの道具としては「國體の本義」が出来のよいもののようだ。無内容な虚仮威しを美辞麗句で飾りたて、論証のできないことを無理にでも信じさせようという内容。「原理講論」の先輩格と言ってよかろう。
「國體の本義」中の、「第一 日本國體」「三、臣節」の長い長い文章の中のごく一部を抜粋してみよう。
「我が国は、天照大神の御子孫であらせられる天皇を中心として成り立つてをり、我等の祖先及び我等は、その生命と流動の源を常に天皇に仰ぎ奉るのである。それ故に天皇に奉仕し、天皇の大御心を奉体することは、我等の歴史的生命を今に生かす所以であり、こゝに国民のすべての道徳の根源がある。
忠は、天皇を中心とし奉り、天皇に絶対随順する道である。絶対随順は、我を捨て私を去り、ひたすら天皇に奉仕することである。この忠の道を行ずることが我等国民の唯一の生きる道であり、あらゆる力の源泉である。されば、天皇の御ために身命を捧げることは、所謂自己犠牲ではなくして、小我を捨てて大いなる御稜威に生き、国民としての真生命を発揚する所以である。天皇と臣民との関係は、固より権力服従の人為的関係ではなく、また封建道徳に於ける主従の関係の如きものでもない。それは分を通じて本源に立ち、分を全うして本源を顕すのである。天皇と臣民との関係を、単に支配服従・権利義務の如き相対的関係と解する思想は、個人主義的思考に立脚して、すべてのものを対等な人格関係と見る合理主義的考へ方である。個人は、その発生の根本たる国家・歴史に連なる存在であつて、本来それと一体をなしてゐる。然るにこの一体より個人のみを抽象し、この抽象せられた個人を基本として、逆に国家を考へ又道徳を立てても、それは所詮本源を失つた抽象論に終るの外はない。」
これは恐い。「天皇のために死ぬことは自己犠牲ではない。むしろ、それこそが国民としての真の生き方であり、天皇と一体となった真の生命の獲得方法である」という。これは死の哲学である。あるいは死のカルト。「国民はアリのように、女王アリのために死ね」というのだ。一匹のアリの価値、一人の国民の価値など眼中にない死のカルト。美化した自己犠牲を強要するとんでもない天皇教カルトなのだ。
「皇祖と天皇とは御親子の関係にあらせられ、天皇と臣民との関係は、義は君臣にして情は父子である。この関係は、合理的義務的関係よりも更に根本的な本質関係であつて、こゝに忠の道の生ずる根拠がある。個人主義的人格関係からいへば、我が国図の君臣の関係は、没人格的の関係と見えるであらう。併しそれは個人を至上とし、個人の思考を中心とした考、個人的抽象意識より生ずる誤に外ならぬ。我が君臣の関係は、決して君主と人民と相対立する如き浅き平面的関係ではなく、この対立を絶した根本より発し、その根本を失はないところの没我帰一の関係である。それは、個人主義的な考へ方を以てしては決して理解することの出来ないものである。我が国に於ては、肇国以来この大道が自ら発展してゐるのであつて、その臣民に於て現れた最も根源的なものが即ち忠の道である。こゝに忠の深遠な意義と尊き価値とが存する。」
ここに語られているのは、天皇と臣民の関係である。「義は君臣にして情は父子という、合理的義務的関係よりも更に根本的な本質関係」は、「西欧流の、個人を至上とし個人の思考を中心とした誤った考え方」からは理解できない、と言うのだ。理屈は抜きで、ともかく、おのれをなげうって天皇に忠を尽くせと、繰り返す。
おそらくは、疑うことなく、この文部省編纂本を受け入れた国民が多数に及んだのであろう。天皇カルトのマインドコントロールは大きな成功をおさめたのだ。その害悪は、今なお消えていない。
(2023年3月10日)
「西暦表記を求める会」です。国民の社会生活に西暦表記を普及させたい。とりわけ官公庁による国民への事実上の強制があってはならないという立場での市民運動団体です。
この度は、取材いただきありがとうございます。当然のことながら、会員の考えは多様です。以下は、私の意見としてご理解ください。
私たちは、日常生活や職業生活において、頻繁に時の特定をしなければなりません。時の特定は、年月日での表示となります。今日がいつであるか、いつまでに何をしなければならないか。あの事件が起きたのはいつか。我が子が成人するのはいつになるか。その年月日の特定における「年」を表記するには、西暦と元号という、まったく異質の2種類の方法があり、これが社会に混在して、何とも煩瑣で面倒なことになっています。
戦前は元号絶対優勢の世の中でした。「臣民」の多くが明治政府発明の「一世一元」を受け入れ、明治・大正・昭和という元号を用いた表記に馴染みました。自分の生年月日を明治・大正・昭和で覚え、日記も手紙も元号で書くことを習慣とし、世の中の出来事も、来し方の想い出も、借金返済の期日も借家契約の終期も、みんな元号で表記しました。戸籍も登記簿も元号で作られ、官報も元号表記であることに何の違和感もなかったのです。
戦後のしばらくは、この事態が続きました。しかし、戦後はもはや天皇絶対の時代ではありません。惰性だけで続いていた元号使用派の優位は次第に崩れてきました。日本社会の国際化が進展し、ビジネスが複雑化するに連れて、この事態は明らかになってきました。今や社会生活に西暦使用派が圧倒的な優勢となっています。
新聞・雑誌も単行本も、カレンダーも、多くの広報も、社内報も、請求書も、領収書も、定期券も切符も、今や西暦表記が圧倒しています。西暦表記の方が、合理的で簡便で、使いやすいからです。また、元号には、年の表記方法としていくつもの欠陥があるからです。
元号が国内にしか通用しないということは、実は重要なことです。「2020年東京オリンピック」「TOKYO 2020」などという表記は世界に通じるから成り立ち得ます。「令和2年 東京オリンピック」では世界に通じません。
それもさることながら、元号の使用期間が有限であること、しかもいつまで継続するのか分からないこと、次の元号がどうなるのか、いつから数え始めることになるのかがまったく分からないこと。つまりは、将来の時を表記できないのです。これは、致命的な欠陥というしかありません。
とりわけ、合理性を要求されるビジネスに元号を使用することは、愚行の極みというほかはありません。「借地期間を、令和5年1月1日から令和64年12月末日までの60年間とする」という契約書を作ったとしましょう。現在の天皇(徳仁)が令和64年12月末日まで生存したとすれば110歳を越えることになりますから、現実には「令和64年」として表記される年は現実にはあり得ません。そのときの元号がどう変わって何年目であるか、今知る由もありません。天皇の存在とともに元号などまったくない世になっている可能性も高いと言わねばなりません。
令和が明日にも終わる可能性も否定できません。全ての人の生命は有限です。天皇とて同じこと。いつ尽きるやも知れぬ天皇の寿命の終わりが令和という元号の終わり。予め次の元号が準備されていない以上、元号では将来の時を表すことはできません。
今や、多くの人が西暦を使っています。その理由はいくつもありますが、西暦の使用が便利であり元号には致命的な欠陥があるからです。元号は年の表記法としては欠陥品なのです。現在の元号がいつまで続くのか、まったく予測ができません。将来の日付を表記することができないのです。一貫性のある西暦使用が、簡便で確実なことは明らかです。
時を表記する道具として西暦が断然優れ、元号には致命的な欠陥がある以上、元号が自然淘汰され、この世から姿を消す運命にあることは自明というべきでしょう。ところが、現実にはなかなかそうはなっていません。これは、政府や自治体が元号使用を事実上強制しているからです。私たちは、この「強制」に強く反対します。公権力による元号強制は、憲法19条の「思想良心の自由の保障」に違反することになると思われます。
今、「不便で非合理で国際的に通用しない元号」の使用にこだわる理由とはいったい何でしょうか。ぼんやりした言葉で表せばナショナリズム、もうすこし明確に言えば天皇制擁護というべきでしょう。あるいは、「日本固有の伝統的文化の尊重」でしょうか。いずれも陋習というべきで、国民に不便を強いる根拠になるとは到底考えられません。
ここで言う、伝統・文化・ナショナリズムは、結局天皇制を中核とするものと言えるでしょう。しかし、それこそが克服されなければならない、「憲法上の反価値」でしかありません。
かつてなぜ天皇制が生まれたか、今なお象徴天皇制が生き残っているのか。それは、為政者にとっての有用な統治の道具だからです。天皇の権威を拵えあげ、これを国民に刷り込むことで、権威に服従する統治しやすい国民性を作りあげようということなのです。今なお、もったいぶった天皇の権威の演出は、個人の自律性を阻害するための、そして統治しやすい国民性を涵養するために有用と考えられています。
元号だけでなく、「日の丸・君が代」も、祝日の定めも、天皇制のもつ権威主義の効果を維持するための小道具です。そのような小道具群のなかで日常生活に接する機会が最多のものと言えば、断然に元号ということになりましょう。
ですから、元号使用は単に不便というものではなく、国民に天皇制尊重の意識の刷り込みを狙った、民主主義に反するという意味で邪悪な思惑に満ちたものというしかありません。
(2023年2月23日)
天皇誕生日である。もちろん、目出度い日ではない。国民の権威主義的社会心理涵養を意図したマインドコントロール装置に警戒を自覚すべき日である。人を生まれながらに貴賤の別あるとする唾棄すべき思想や、血に対する信仰や世襲制度の愚かさを確認すべき日でもある。
我が国の民主主義も個人の自立も、天皇制との抗いの中で生まれ、育ち、挫け、またせめぎ合いを続けている。普遍的な近代思想を徹底できなかった日本国憲法は「象徴天皇制」を認めている。これは、コアな憲法体系の外に、憲法の中核的な理念の邪魔にならない限りのものとして存在が許容されているに過ぎない。その役割と存在感と維持のコストを可能な限り最小化し、漸次消滅させていくことが望ましい。
ところで、天皇や皇族という公務員職にある人もその家族も、気苦労は多いようだ。最近は、あからさまなメディアのイジメにも遭っている。自分の生まれ落ちたところの宿命を、この上ない不幸と呪っているに違いなく、時に同情を禁じえない。もっとも、この人たちに、いささかの知性があればの話だが。
私は、国語の授業で教えられた「竹の園生」という言葉を、長く「竹製の檻」のイメージで捉えていた。中国古代の、なんとかいう皇帝の庭に竹林があったという故事からの成語だとは聞いた覚えがあるが、最初のイメージは覆らない。「編んだ竹でしつらえた頑丈な檻」に閉じ込められた、形だけ名ばかりの王。鉄の檻でも、木製の檻でもなく、しなやかな美しい竹で作られた檻の中の、自由を奪われた「籠の鳥」。
高校一年で徒然草を習ったと思う。その第1段の冒頭は次のとおりである。
「いでや、この世に生まれては、願はしかるべきことこそ多かめれ。帝の御位はいともかしこし。竹の園生の末葉まで、人間の種ならぬぞやむごとなき」
私は、この第一段で、長く吉田兼好とは知性に欠けた人だと思っていた。が、今は必ずしもそうでもない。「面従腹背」という言葉の積極的意味合いを呑み込んで以来のことである。反語とか逆説などという技法を知って、多少は文章の陰影を読むことができるようになったということでもある。兼好はこう言ったのではなかろうか。
はてさて、たった一度の人生である。もし、願いがかなうとなれば、いったい何になって何ができれば、最も幸せだろうか。まず思いつくのは天皇である。その血筋に生まれて天皇になれたとしたら、これに勝る幸せはないのではなかろうか。とは一応は思っても、あれは万世一系、子々孫々に至るまで人間とは血筋が別物とされている。読者諸君よ、人間として生きたいか、人間じゃないものになりたいか。天皇なんてものは、奉って『いともかしこし』『やむごとなし』とだけ言っておけばよい。敬して遠ざけるに限るのさ。実際あんなものになってしまったら、人としての喜びなんて、無縁のものになってしまう。
おそらく、今の天皇・皇室・皇族の多くが、そう思っているに違いない。はやりの言葉を使えば、「最悪の親ガチャ」である。皇室・皇族の人権など、憲法上の大きなテーマではないが、あらためて思う。天皇制は誰をも幸せにしない。
(2023年2月20日)
90年前の今日1933年2月20日、小林多喜二が築地署で虐殺された。権力の憎悪を一身に集めてのことである。特高警察による野蛮極まる凄惨な殺人事件であった。母セキは多喜二の遺体にすがって、「もう一度立たねか」と泣き崩れた。29歳で殺害された多喜二と、その母の無念を忘れてはならない。そして、多喜二とセキに連なる、無数の無名の犠牲者のあることも。
一年前の当ブログにも多喜二のことを書いた。ぜひお読みいただきたい。
本日が多喜二の命日。多喜二を虐殺したのは、天皇・裕仁である。
https://article9.jp/wordpress/?p=18590
有名作家だった小林多喜二の死は、翌21日の臨時ニュースで放送され、各新聞も夕刊で報道した。しかし、その記事は「決して拷問したことはない。あまり丈夫でない身体で必死に逃げまわるうち、心臓に急変をきたしたもの」(毛利基警視庁特高課長談)など、特高の発表をうのみにしただけのものであった。
そればかりか、特高は、東大・慶応・慈恵医大に圧力をかけて遺体解剖を拒絶させた。さらに、真相が広がるのを恐れて葬儀に来た人を次々に検束した。これが、天皇制権力のやりくちであった。そのような権力の妨害にも拘わらず、詳細な多喜二の死体の検案ができたのは、安田徳太郎(医学博士)や江口渙(作家)ら友人の献身があったればこそである。
時事新報記者・笹本寅が、検事局へ電話をかけて、多喜二の死因を「検事局は、単なる病死か、それとも怪死か」と問い合わせると、「検事局は、あくまでも心臓マヒによる病死と認める。これ以上、文句をいうなら、共産党を支持するものと認めて、即時、刑務所へぶちこむぞ」と、検事の一人が大喝して電話を切ったという。
「これ以上文句をいうなら、共産党を支持するものと認めて、即時、刑務所へぶちこむぞ」という脅しは、空文句ではない。1928年改悪の治安維持法は、新たに、目的遂行罪を創設した。「結社ノ目的遂行ノ為ニスル行為ヲ為シタル者ハ二年以上ノ有期ノ懲役又ハ禁錮ニ処ス」である。平たく翻訳すれば、「何であれ、共産党の目的遂行のために力を貸すようなことをした者には、最高2年の懲役または禁錮の刑を科す」という条文。要するに、警察・検察の一存で、共産党に関わったら、誰でもしょっぴくことができるとされていた時代のことなのだ。
この天下の悪法による逮捕者数は数十万人にのぼるとされる。司法省調査によると、送検された者7万5681人、うち起訴された者は5162人に及ぶ。治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟の調査では、明らかな虐殺だけでも共産党幹部など65人、拷問・虐待死114人、病気その他の獄死1503人。多喜二の虐殺もそのうちの1件であった。
警察も検察も報道もグルになって多喜二の虐殺を隠した。天皇は、虐殺の主犯格である安倍警視庁特高部長、配下で直接の下手人である毛利特高課長、中川、山県両警部らに叙勲し、新聞は「赤禍撲滅の勇士へ叙勲・賜杯の御沙汰」と報じた。何という狂った時代だったのだろうか。
1933年の2月と言えば、日本が国際連盟を脱退したとき(24日)であり、ベルリンで国会放火事件が起きたとき(27日)でもある。日本も世界も、戦争とファシズムへの坂を転げ落ちていたとき。その時代のもっとも苛烈な弾圧の矢面に立ったのが、多喜二であったと言えよう。とても真似はできないが、せめて、「あの時代にも困難であったけれど、多喜二のように抵抗する生き方があったと知ることは重要」という言葉を噛みしめたい。
(参考記事・07年2月17日、09年2月18日付「しんぶん赤旗」)
(2023年2月19日)
橋下徹が、2月16日にこうツィートしている。
「首相や天皇が靖国参拝もできない国が、いざというときに自衛隊員や国民の命を犠牲にする指揮命令などしてはいけない」
やや舌足らずで稚拙な一文ではあるが、言っているのはこういうことだ。
「いざというときに、果敢に自衛隊員や国民の命を犠牲にする指揮命令ができる国にするためには、首相や天皇の靖国参拝を実現しておかねばならない」
これは法律家の言ではない。典型的な伝統右翼扇動者の思考パターンである。こうもあからさまにものを言う人は、最近は少ない。
もう少し敷衍し忖度して、橋下ツィートの真意を解説すれば、こうでもあろうか。
「近い将来において我が国が戦争当事国になる事態はけっして絵空事ではない。その、いざというときには、国家は躊躇することなく、果敢に自衛隊員や国民の命を犠牲にする指揮命令ができなければならない。およそ、戦争に勝利するためにはそのような苛烈な国家意思の貫徹が必要なのだ。戦時において、自衛隊員や国民の命を犠牲にする果敢な指揮命令が可能な国家にするためには、平時から首相や天皇の靖国参拝を実現して、国民の精神を『国家のために死ねる』という精神構造を培っておかねばならない。首相や天皇の靖国参拝は、そのような手段として有効なのだ」
これは、戦前の天皇制国家公定の思想であり、戦後は伝統右翼のナショナリズムや大国主義・軍国主義の願望の中に、連綿と引き継がれてきた想念である。
靖国への対応は良識ある国民に重い課題である。過去の問題であるはずが、清算されずに積み残されて、「再びの戦前」といわれる時代に、靖国神社礼賛論が必ず蒸し返される。橋下ツィートもその類いの一文。
橋下は、続くツィートでは「命を落とした兵士に尊崇の念を表すると口で言うだけの政治家たち、首相の立場ではない気楽な身分で靖国参拝して自己満足している政治家たち、もうそろそろ首相や天皇が靖国参拝できるような環境を命をかけて作れ」とけしかけている。その具体策として、「首相や天皇が靖国参拝するためには、戦争指導者を祀る施設と兵士のそれを分けることが必要不可欠だ」との提案が持論のようだが、「宗教上の分祀か否かに踏み込まなくていい。首相や天皇は戦争指導者に参拝しないというメッセージで必要にして十分。兵士のみにしっかり参拝」とも言っている。いずれにせよ、靖国神社公式参拝推進派であり、戦争推進派の言にほかならない。
靖国とは、「君のため国のために命を捧げた戦没者を神として祀る」宗教施設であった。もちろん、伝統的な神道に基づく神社ではない。明治政府が発明した「天皇教」という新興宗教の教義に基づく創建神社である。
靖国神社は、天皇の意向で創建され、天皇への忠死の軍人を顕彰する施設であり、新たな祭神を合祀する臨時大祭の招魂の儀には、必ず天皇自らが「親拝」した。徹頭徹尾、天皇の神社であった。
また、戦前靖国神社は陸海軍の共管とされ、陸軍大将と海軍大将とが交替で宮司を務めた。徹底した軍国神社であり、戦争神社であった。だから靖国神社とは、宗教的軍事施設でもあり、軍事的宗教施設でもあった。
統一教会の伝道教化活動の報道が、世論にマインドコントロールという言葉を思い出させている。オウムの報道の際も同様だった。しかし、天皇教のマインドコントロールの規模の壮大さや、その成功に較べれば、統一教会もオウムも、チャチなものではないか。権力による一億臣民のマインドコントロールに成功した天皇教体制の軍国主義的、侵略主義的側面を代表するものが、靖国の思想であり、靖国神社という宗教施設であり、国定教科書を通じて全国民(臣民)に「忠義のために死ね」と教えた教育である。マインドコントロールの極致というべきであろう。
敗戦後の日本の民主化は不十分で、天皇という有害な存在を廃絶することができなかった。しかし、憲法は天皇を人畜無害とする幾つかの制度を調えた。その一つが政教分離原則(憲法20条)にほかならない。天皇も首相も、靖国神社に関わってはならないのだ。
保守派は、かつては靖国の国家護持運動に取り組んだ。憲法上の政教分離原則から、その実現は困難と悟って、靖国神社公式参拝促進運動を本流としている。これもはかばかしい成果を上げ得ていない現状で、手を替え品を替えて、戦争準備としての靖国再利用に余念がないのだ。
靖国神社礼賛論や、その一端としての公式参拝促進論は、戦争への地ならしである。「戦死者をどう追悼し、どう扱うべきかを定めずにして、戦争突入はできない」「国家が、戦死者を厚く悼む施設も儀式も用意せずに、戦死を覚悟せよとは言えない」という意識が権力側にあるからである。
「戦争が近いことを覚悟せよ」「そのための準備が必要だ」との立論ではなく、「絶対に戦争を避けなければならない」という議論をしなければならない。橋下流の好戦論に惑わされてはならない。
(2023年2月12日)
「建国奉祝派」というものがある。日本会議だの、神社本庁だの、自民党安倍派だの…。今年も各地で奉祝行事が報告されているが、盛り上がりには欠けるようだ。盛り上がりには欠けるものの、それなりに行事は続いているというべきか。伝統右翼のイデオロギーは、統一教会とともに健在なのだろうか。これを支える民衆の意識はどうなっているのだろうか。実はよく分からない。
右派の論調のトレンドを見るには、まず産経新聞である。分かり易い。昨日の「主張」(社説)が、「建国記念の日 美しい日本を語り継ごう」というもの。何とも、色褪せた「美しい日本」。要するに、愛国心の押し売り、押し付けであるが、愛国心の鼓吹が国防や軍拡に直結していることに、今さらながらギョッとさせられる。
「美しい日本」という言葉は、社説の最後の結びとして出て来る。「いまこそ、日本を美しいと思い、守ろうとする心を語り継ぐ意義は大きい」と言うのだ。自ずから湧き起こる『日本を美しいと思う心』ではなく、『無理にでも、日本を美しいと思い、守ろうとする心』である。愛国心の強制が語られている。
建国記念の日に関してはこういう。
「国を愛するには、建国の物語を知らねばなるまい。日本書紀によれば辛(かのと)酉(とり)の年(紀元前660年)の正月、初代天皇である神武天皇が大和の橿原宮で即位し、日本の国造りが始まった。現行暦の2月11日である」
「国を愛する」ことが当然の善だという大前提。そして、「建国の物語を知れば、国を愛するようになれる」と言わんばかりの非論理。と言うよりは、信仰と言ってよい。
「以来日本は、貴族の世となり武士の世となっても、ただ一系の天皇をいただく国柄を守り続けてきた。19世紀に西洋列強がアジア諸地域を次々に植民地化するようになると、明治維新により天皇を中心に国民が結束する国家体制を築き、近代化を成し遂げた。時の政府が2月11日を紀元節の祝日と定めたのは明治6年で、そこには、悠久の歴史をもつ国家の素晴らしさを再認識し、国民一丸となって危機を乗り切ろうとする意味があった。」
恐るべし産経。いやはや、目の眩むような、恥ずかしげもない皇国史観。「素晴らしい天皇」教であり、「美しい日本」教の信仰でもある。いまごろ、こんなアナクロのマインドコントロールに引っかかる、産経読者もいるのだろうか。
美しい日本も、愛国心の押し付けも、これまで言い古されてきた。この産経主張のトレンドは、愛国心の涵養が国防や軍拡と直接に結びついていることなのだ。
「ウクライナの戦闘は、国を愛し守ろうとする意志がいかに大切であるかを教えてくれた。寡兵のウクライナ軍と市民の懸命な戦いに世界は瞠目し、当初は及び腰だった支援が次々に寄せられた。もしも将来、日本が同じ惨禍に見舞われたとき、同じような意志を示しうるだろうか」という書き出しは、いつもながらの、「侵略されたらどうする」論の繰り返しだが、これが愛国心と結びつけられる。
「祝日法では『建国をしのび、国を愛する心を養う』日とされている。ウクライナ情勢だけでなく、台湾有事への懸念など東アジア情勢も厳しさを増す中、改めてその思いを深める必要があろう」
「戦争を肯定するつもりは毛頭ない。むしろその逆だ。国を愛し守ろうとする意志を持つことが、他国に侵略の野望を抱かせない抑止力となる」という論法。日本は他国に侵略の野望を一切有せず、他国のみが日本に侵略の野望を抱いているという前提。
「日本の建国を祝う会」も、明治神宮会館(東京都渋谷区)で行われた奉祝中央式典で、大原康男会長は主催者代表あいさつで、「我が国では政府主催の式典は行われていない」。教育基本法上の教育の目標「伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛する」という項目を挙げた上で、「政府主催の奉祝式典を開催すべきだ」と強く訴えたという。こちらも、愛国心の押し売りである。
12月16日閣議決定の「国家安全保障戦略」の中に、次の一文がある。
「2 社会的基盤の強化
平素から…諸外国やその国民に対する敬意を表し、我が国と郷土を愛する心を養う。そして、自衛官、海上保安官、警察官等我が国の平和と安全のために危険を顧みず職務に従事する者の活動が社会で適切に評価されるような取組を一層進める」
今や、権力をもつ者は、愛国心と国防とを、不即不離・表裏一体と意識している。これまでにも増して、愛国心の鼓吹は危険なものとなった。愛国心は危ない。触ると火傷する。暴発して身を滅ぼすことにもなりかねない。
(2023年2月11日)
本日は、「建国記念の日」である。戦前は紀元節だった。おそらく伝統右翼にとっての最も重要な日。何しろ、根拠に欠けるとは言え、天皇制の起源の日なのである。この日、初代の天皇神武が大和の樫原で就任したとされる。もちろん史実ではなく、後世に編まれた神話であり、伝承の世界の出来事。近代天皇制政府は1873(明治6)年太政官布告で紀元前660年2月11日とした。いまは、閣議決定でなんでも出来る。明治政府は太政官布告で歴史を確定したのだ。
その紀元節の日を、戦後の保守政権が、大きな反対運動を押し切って「建国記念の日」とした。戦前と戦後の断絶が不徹底で、実は連続しいることの証左の一つである。
かつては、国史として教えられたことではあるが、いま初代天皇の実在を信ずる者はない。それでも天皇教の信者や右翼にとっては、天皇の家系と日本という国家との起源が同一ということがこの上なく重要なのだ。もっと正確にいえば、そのような神話や伝承を国民の多くが受容することが重要なのだ。
本日、岸田首相は、以下のとおりの「『建国記念の日』を迎えるに当たっての内閣総理大臣メッセージ」を公表した。
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「建国記念の日」は、「建国をしのび、国を愛する心を養う」という趣旨のもとに、国民一人一人が、我が国の成り立ちをしのび、今日に至るまでの先人の努力に思いをはせ、さらなる国の発展を願う国民の祝日です。
我が国は、四季折々の豊かな自然と調和を図りながら、歴史を紡ぎ、固有の文化や伝統を育んできました。今日、科学技術・イノベーション、文化芸術をはじめ、多くの分野で我が国は国際社会から高い評価を受けています。
長い歴史の中で、我が国は幾度となく、大きな困難や試練に直面しました。先人たちは、その度に、勇気と希望を持って立ち上がり、明治維新や高度経済成長など、幾多の奇跡を実現してきました。そして、自由と民主主義を守り、人権を尊重し、法を貴ぶ国柄を育ててきました。一人一人のたゆまぬ努力と国民の絆の力によって築かれた礎の上に、今日の我が国の発展があります。そのことを決して忘れてはならないと考えます。
このような先人たちの足跡の重みをかみしめながら、国民の命と暮らしを守り、自由のもたらす恵沢を確保し、全ての人が生きがいを感じられる社会の実現を目指します。そして、今を生きる国民の皆さんと共に、直面する課題に立ち向かい、将来の我が国国民に対し、世界に誇れる日本を繋いでいきたいと考えます。「建国記念の日」を迎えるに当たり、私はその決意を新たにしています。
「建国記念の日」が、我が国の歩みを振り返りつつ先人の努力に感謝し、さらなる日本の繁栄を希求する機会となることを切に希望いたします。
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この岸田のメッセージには、皇祖皇宗も天皇も建国の謂われも出てこない。もしかすると、右翼にとっては不満なのかも知れないが今やそんな時代ではない。一方、憲法も国民主権も平和も出てこない。何よりも敗戦によって「国」は、その成り立ちの原理を根底から変革したのだ、ということが語られていない。その意味では、まことに不正確で不十分だと思う。以下のように述べるべきではないだろうか。
「建国記念の日」は、「建国をしのび、国を愛する心を養う」という趣旨の国民の祝日とされています。しかし、国とは何か、建国とは何をいうのかについては、国民一人々々の意見を尊重しなければなりません。また、公権力の行使に携わる立場にある者が、「国を愛する心を養うべき」とすることが、実はたいへん危険なことではないのかとも考えられます。さらには、かつては政府が富国強兵のスローガンをもって、「さらなる国の発展」を実現すべく、国民に対して号令を掛けたことはは深く反省しなければなりません。
我が国は、四季折々の豊かな自然と調和を図りながら、歴史を紡ぎ、固有の文化や伝統を育んできました。他国の歴史や文化に敬意を払いつつ、わが国固有の文化にも誇りをもちたいと思います。しかし、最近、科学技術・イノベーション、文化芸術、表現の自由、ジェンダー平等、LGBTへの寛容度等をはじめ、多くの分野で我が国は国際社会から大きな遅れを指摘されるに至っています。その責任の多くが、近年の政権のあり方にあることは明確であると深く反省せざるを得ません。
近代の歴史の中で、我が国の為政者は幾度となく大きな過ちを犯してきました。その最大のものは、我が国が起こした近隣諸国に対する侵略戦争と植民地支配です。聖戦の名によって国民を動員しての戦争は未曾有の惨禍を内外に残し、天皇主権の軍国主義国家は消滅したのです。
そうして、新たな日本国憲法を採択して、天皇主権を排し、国民主権のもと新たな平和国家として再生したのです。これをもって、建国というべきではありませんか。そしていま、広範な国民が、憲法を改正しようという旧勢力の動きに抗して、自由と民主主義を守り、人権を尊重し、法を貴ぶ国柄を育てつつあります。
権力を担い、国を動かした先人たちの誤りは誤りとして確認し、再びの過ちを繰り返さない反面教師としながら、何よりも国民の命と暮らしを守り、自由のもたらす恵沢を確保し、全ての人が国家にとらわれることなく、生きがいを感じられる社会の実現を目指さねばなりません。そして、今を生きる国民の皆さんと共に、直面する課題に立ち向かい、将来の我が国国民に対しても幸福を保障する日本を繋いでいきたいと考えます。「建国記念の日」を迎えるに当たり、私はその決意を新たにしています。
「建国記念の日」が、我が国の歩みを振り返りつつ、権力を担った先人の過ちを直視するとともに、市井の人々の努力に感謝し、さらなる日本の繁栄を希求する機会とするよう、国民のみなさまにお誓い申し上げます。