(2023年3月14日)
本日の朝刊各紙に、大江健三郎さんの死去が報じられています。亡くなられたのは3月3日のこと、享年88でした。「戦後文学の旗手」「反戦平和を訴え続けた生涯」などと紹介されています。謹んで、ご冥福をお祈りいたします。
彼は、2004年6月、日本国憲法を守る「九条の会」の結成に参画しています。加藤周一や井上ひさし、奥平康弘、鶴見俊輔らとともに、その活動の中心メンバーとして活動しました。東日本大震災以後は反原発の運動にも参加しています。
九条の会は、上命下服とは無縁の市民運動です。行動の統一方針などはありません。まったくの自発性に支えられて、平和・日本国憲法・第九条を大切に思う人々が寄り合って名乗りさえすればよいのです。全国の地域に、職場に、業界に、学園に、学界に、7500もの「九条の会」が、それぞれのスタイルで結成され、活動を続けています。
私たち「本郷・湯島9条の会」も10年前の春に、そのようにして結成され、細々ながらも、途切れなく活動してまいりました。
2004年に9人の呼びかけで始まった「九条の会」運動。呼びかけ人9人の内、存命なのは澤地久枝さん、お一人となりました。淋しいことではあります。しかし、各地の「九条の会」は、呼びかけ人9人から「指令」も「指導」も受けていたわけではありません。呼びかけの理念に共鳴して、平和・憲法・九条を擁護する自発的な運動を続けていたのですから、大江さんが亡くなっても、九条の会運動がなくなることも、衰退することもありません。
「本郷・湯島9条の会」も、今後とも、自発的な運動を継続してまいります。ご支援をよろしくお願いいたします。
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なお、「九条の会」呼びかけ人・9人のプロフィールは下記のとおり。
井上ひさし 1934?2010年
劇作、小説の両方で大活躍。日本ペンクラブ第14代会長。
梅原猛 1925?2019年
古代史や万葉集の研究から築いた「梅原日本学」で著名。
大江健三郎 1935?2023年
核時代や民衆の歴史を想像力を駆使して小説で描いてきた。ノーベル文学賞受賞。
奥平康弘 1929?2015年。
「表現の自由」研究の第一人者。東京大学名誉教授。
小田実 1932?2007年。
ベトナム反戦などで活躍。地元・兵庫で震災被災者の個人補償求め運動。
加藤周一 1919?2008年。
東西文化に通じた旺盛な評論活動を展開。医師でもあった。
澤地久枝 1930年生まれ。
戦争による女性の悲劇を次々発掘。エッセーも。
鶴見俊輔 1922?2015年
『思想の科学』を主導。日常性に依拠した柔軟な思想を展開。
三木睦子 1917?2012年。
故三木武夫元首相夫人。アジア婦人友好会会長を務めるなど国際交流活動で活躍。
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以下は、「九条の会」発足時に採択されたアピール。
「九条の会」アピール
日本国憲法は、いま、大きな試練にさらされています。
ヒロシマ・ナガサキの原爆にいたる残虐な兵器によって、五千万を越える人命を奪った第二次世界大戦。この戦争から、世界の市民は、国際紛争の解決のためであっても、武力を使うことを選択肢にすべきではないという教訓を導きだしました。
侵略戦争をしつづけることで、この戦争に多大な責任を負った日本は、戦争放棄と戦力を持たないことを規定した九条を含む憲法を制定し、こうした世界の市民の意思を実現しようと決心しました。
しかるに憲法制定から半世紀以上を経たいま、九条を中心に日本国憲法を「改正」しようとする動きが、かつてない規模と強さで台頭しています。その意図は、日本を、アメリカに従って「戦争をする国」に変えるところにあります。そのために、集団的自衛権の容認、自衛隊の海外派兵と武力の行使など、憲法上の拘束を実際上破ってきています。また、非核三原則や武器輸出の禁止などの重要施策を無きものにしようとしています。そして、子どもたちを「戦争をする国」を担う者にするために、教育基本法をも変えようとしています。これは、日本国憲法が実現しようとしてきた、武力によらない紛争解決をめざす国の在り方を根本的に転換し、軍事優先の国家へ向かう道を歩むものです。私たちは、この転換を許すことはできません。
アメリカのイラク攻撃と占領の泥沼状態は、紛争の武力による解決が、いかに非現実的であるかを、日々明らかにしています。なにより武力の行使は、その国と地域の民衆の生活と幸福を奪うことでしかありません。1990年代以降の地域紛争への大国による軍事介入も、紛争の有効な解決にはつながりませんでした。だからこそ、東南アジアやヨーロッパ等では、紛争を、外交と話し合いによって解決するための、地域的枠組みを作る努力が強められています。
20世紀の教訓をふまえ、21世紀の進路が問われているいま、あらためて憲法九条を外交の基本にすえることの大切さがはっきりしてきています。相手国が歓迎しない自衛隊の派兵を「国際貢献」などと言うのは、思い上がりでしかありません。
憲法九条に基づき、アジアをはじめとする諸国民との友好と協力関係を発展させ、アメリカとの軍事同盟だけを優先する外交を転換し、世界の歴史の流れに、自主性を発揮して現実的にかかわっていくことが求められています。憲法九条をもつこの国だからこそ、相手国の立場を尊重した、平和的外交と、経済、文化、科学技術などの面からの協力ができるのです。
私たちは、平和を求める世界の市民と手をつなぐために、あらためて憲法九条を激動する世界に輝かせたいと考えます。そのためには、この国の主権者である国民一人ひとりが、九条を持つ日本国憲法を、自分のものとして選び直し、日々行使していくことが必要です。それは、国の未来の在り方に対する、主権者の責任です。日本と世界の平和な未来のために、日本国憲法を守るという一点で手をつなぎ、「改憲」のくわだてを阻むため、一人ひとりができる、あらゆる努力を、いますぐ始めることを訴えます。
2004年6月10日
井上 ひさし(作家) 梅原 猛(哲学者) 大江 健三郎(作家)
奥平 康弘(憲法研究者) 小田 実(作家) 加藤 周一(評論家)
澤地 久枝(作家) 鶴見 俊輔(哲学者) 三木 睦子(国連婦人会)
(2023年3月9日)
フランスの「年金デモ」が、その規模の大きさで話題となっている。「内務省によると3月7日の抗議デモに全国で128万人が参加」だが、「主催者発表によると全国300カ所で、合計参加者は350万人」だという。7日のパリのデモは70万人の規模、デパートや高級ブティックが並ぶパリ中心部の通りを市民のデモ隊が埋め尽くした。注目すべきは、デモの参加者の多くが、ストライキを決行して職場から街頭に出ているということだ。
このデモの要求は、政府の年金制度改革案に反対で、スローガンは「受給年齢引き上げに反対」「64歳の年金受給にノン」「フランスを停止させる」というもの。主要8労組が呼びかけたもので、1月以来今回が6回目。パリ市内ではストの影響で7日朝から鉄道の運行数が大幅に減少。全国の小中学校では3割以上の教員がストに参加した。一部の労働組合は改革案の廃止まで無期限のストを呼びかけており、市民生活の混乱が続く可能性があると報じられている。
政府は1月、年金の受給開始年齢を62歳から段階的に引き上げ、2030年に64歳にする方針を発表。これが、労働者の逆鱗に触れた。フランスでは年金制度が充実している。「一刻も早くリタイヤして、優雅な年金生活を夢みて来たのだ。2年も余計に働かせようとは、何たる理不尽」というわけだ。
もちろん、政府の言い分は財政の逼迫にある。この制度改革なしには、年金財政の赤字が累積し年金制度の維持ができない、と言う。これに対する議会内の野党連合「環境と社会の新人民連合(NUPES)」やスト参加者の主張は、「国民の負担ではなく、大企業・富裕層への応分の負担で賄うべきだ」というもの。具体的には、大企業の社会保障負担の引き上げや、超過利潤への課税強化、富裕税などを提案しているという。
政府は強行採決をほのめかしているが、そうなれば、社会の混乱は必定である。ストの主力は、交通や電力などの基幹産業の労働組合なのだから。主催8労組は、次回の11日をはじめ、今後10回の全国行動の日程を決定している。
フランスだけではない。イギリス全土でも「大規模ストライキ」「大規模デモンストレーション」が続いている。
こちらは深刻なインフレーションに対する政府の無策に抗議し、物価の高騰に見合う賃上げの要求である。
英国では昨年後半からインフレ率が10%を超え、国民生活を圧迫し、賃上げを求める公共部門のストは拡大の一途をたどっている。交通や医療などの公共部門のストライキから始まって、教師や公務員の組合が加わり、大学教員、医者、ナース、救急隊員、郵便局員、そして消防士までストに参加したという。ピーク時には、小中高校の85%の授業に支障が生じたという。
イギリスでの、ストとデモのスローガンは、「政府の提示額はインフレ率に見合わない」「スナクは給料を上げろ! われわれは10%を要求する」というもの。
ストは、国民生活に影響が大きいが、世論のストに対する支持は厚い。社会全体に「ストライキは労働者の当然の権利」という意識が浸透しているという。ストやデモは、健全な民主主義の証である。議会を通じての代議制民主主義とならぶ、人民の政治参加であり、意思表示の有効な手段なのだ。
我が国でも、政治的な要求のデモはときおり起こる。だが、大規模なデモは、ほとんどが土曜か日曜、あるいは休日である。ストは平日にする。企業や官庁の機能を一時的に停めるのだ。職場を離脱した人々が、集会場に、あるいは路上に隊列を組む。ここしばらく、そのようなストを組めなくなっている現状を淋しいと思う。
フランスやイギリスの若々しいエネルギーを羨ましいと思う。社会を変える力の中核は、本来組織労働者にあるのだから。
(2021年10月22日)
本日、自由法曹団の創立100周年記念集会が開催された。
団の結成は、1921年。大戦前における最大規模と言われる、神戸の川崎・三菱両造船所争議をきっかけにするものだった。当時、友愛会神戸連合会の指導のもとに、神戸の川崎・三菱の全工場がストライキにはいったが、軍隊の出動にまで及んだ弾圧によって争議は鎮圧された。このときに、調査にはいった弁護士団を核に自由法曹団は結成されている。その出自から、「闘う弁護士」の組織であった。
広辞苑に、「大衆運動と結びつき、労働者・農民・勤労市民の権利の擁護伸張を旗じるしとする」と解説されているが、これでは不十分な紹介でしかない。何よりも、法的手段を駆使して権力と大資本に真っ向から闘うことをもって真骨頂としてきたのが自由法曹団なのだ。
団は、戦前においては、天皇制権力の暴虐と闘った。多くの団員が治安維持法で弾圧された共産党員を弁護し、そのゆえに自らも治安維持法の弾圧に遭い、弁護士資格を剥奪されてもいる。この困難な、戦前の先輩団員弁護士として、山崎今朝弥・布施辰治・上村進・古屋貞雄・小岩井浄・近内金光・神道寛次・天野末治・桜井紀などの名を挙げることができる。
大戦の進行とともに団は活動の逼塞を余儀なくされたが、戦後直ちに新生自由法曹団として復活した。以来、団は「あらゆる悪法とたたかい、人民の権利が侵害される場合には、その信条・政派の如何にかかわらず、ひろく人民と団結して権利擁護のためにたたかう」(規約2条)ことをスローガンとし実践してきた。
戦後の団は、平和、民主主義と人民の生活と権利を守るため、憲法改悪、自衛隊の海外派兵、有事法制、教育基本法改悪、小選挙区制、労働法制改悪などに反対する活動を行ってきた。
現代的な課題として、戦争法制(安保法制)など戦争する国づくりに反対する活動、秘密保護法に反対する活動、米軍普天間基地撤去を求め、辺野古新基地建設に反対する活動、議員定数削減に反対し、民意の反映する選挙制度を目指す活動、労働法制改悪に反対する活動、盗聴法の拡大と司法取引の導入に反対する活動、裁判員制度の改善と捜査の全面可視化を実現する活動、政教分離を確立する運動、思想・良心の自由を擁護する取り組み、東日本大震災と福島第一原発事故による被害者支援の取り組み、脱原発へ向けたとりくみなどを行っている。
さらに団と団員は、松川事件を典型とする刑事弾圧事件とも闘ってきた。その流れは、布川事件、足利事件、袴田事件などのえん罪裁判に及んで成果を挙げている。
そして今、団員の派遣労働者の派遣先企業への正社員化を求める裁判などの数々の労働裁判、生活保護受給を援助する取組、嘉手納爆音裁判などの基地訴訟、環境・公害裁判、税金裁判、消費者裁判などの様々な権利擁護闘争に取り組んでいる。日の丸・君が代強制反対のまた、国際的な法律家の連帯と交流の活動も行っている。
現在、団員弁護士数は約2100名。全国すべての都道府県で活動しており、全国に41の団支部がある。現在の役員は、団長・吉田健一(32期)、幹事長・小賀坂徹(43期)、事務局長・平松真二郎(59期)である。
青年法律家協会結成が戦後の1954年。日本民主法律家協会は1961年。当然のことだが、それぞれに結成の由来があり、それぞれに構成メンバーの属性も違う。一番老舗で、しかも闘う弁護士集団を標榜する自由法曹団の結成100年を祝したい。
なお、日本民主法律家協会も今年が結成60周年となる。こちらは来月、祝賀集会を開催し、「法と民主主義」の特別号を発行する。
(2021年2月12日)
「日本国民救援会」の機関紙『救援新聞』は旬刊である。毎月、5日・15日・25日付の各号が発行され郵送されてくる。最新の2月15日号が届いた。通算で1975号になる。その持続性に脱帽するしかない。
もちろん記事の中心は、救援会本来の活動分野である冤罪被害者救援や、冤罪を生む土壌となっている権力の横暴を抑止する運動についてのもの。だが、原発訴訟や労働訴訟などにも目配りを怠らない。改憲や悪法制定への警戒を呼び掛ける記事も充実している。
2月15日号の一面は、「『もの言う』自由守ろう」「警察庁の尋問実現を(岐阜地裁)」と見出しを打った、大垣警察市民監視違憲訴訟の報告記事。
岐阜県で風力発電建設をめぐり勉強会を開いた住民2人と、勉強会と無関係の市民2人の個人情報を警察が収集し、企業に提供していた事件。4人は監視等は違憲として警察(国と県)を相手に国家賠償請求と情報の抹消請求を求めています。
1月27日におこなわれた進行協議で原告側が求めている警備公安警察官らの証人尋問がおおよそ決まりました。次回の口頭弁論で正式決定されます。
本文では、大垣警察署の警備課長ら2名に岐阜県警警備部の1名を加えた計3名の警察官の証人採用と日程がほぼ決まった。しかし、原告側は真相を究明するためには、さらに警察庁警備局長の尋問が必要としてその採用を求めているという。予てから注目されていた国家賠償訴訟だが、いよいよ山場なのだ。
特にお伝えしたいのは、毎号読者の投稿を掲載している「みんなのひろば」欄。今号には10名の「お便り」があるが、《裁判のIT化》に触れているのが冒頭の3通。
愛知・古谷延男
裁判のIT化がおこなわれようとしているそうですが、容認できません。法廷での口頭弁論を開かずに。「ウェブ会議」で代替するとなると、裁判は形骸化し事務的となると思います。真実は人間と人間との直接の対話と傍聴者がいてこそ明らかにされます。その関係を阻害する法律には賛成できません。
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北海道・宮越栄
民事裁判手続のIT化が法制審議会で見直し議論が進められているとのこと。それは、過去国民救援会などが中心にたたかってきた様々な裁判闘争を嫌う権力が法廷外での国民の支援闘争を押さえるためのもの以外考えられません。一般人には全く知らされておらず、救援新聞の果たす役割は大きいです。
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東京・佐々木治代
「民事裁判手続きのIT化」の記事を続んで。口頭弁論をウェブ会議で代替して実施できるよう検討しているということですが、裁判の中身を見えなく化していくことに通じると思います。デジタル庁はその実施のための布石なのでしょうか。
まったく同感である。訴訟とは、単に紛争処理の手続ではない。政治的・経済的・社会的強者の理不尽を糺して、弱者を泣き寝入りから救済する場なのだ。その本来役割を果たすためには、裁判官は当事者の悩みの深刻さに共感できなくてはならない。法廷で間近な距離で、全身全霊をもって必死に訴える者の肉声に耳を傾けなくてはならない。デジタルやOn-lineではなく、生身の声をきけ。記号となった陳述書の文字で足りると考えてはならない。民事裁判手続のIT化反対の的確さは、国民救援会ならではのものであろう。
(2020年11月12日)
昨夜(11月11日)の時事配信記事のタイトルが、「中国、『忠誠』なき議員を排除 香港民主派は抗議の辞職表明」である。権力がその本性を剥き出しに、権力に抵抗する者の排除を断行したのだ。中華人民共和国、さながら臣民に忠誠を求めた天皇制の様相である。しかし、果敢に抵抗する人々がいる。
民主主義社会では、民衆が権力をつくり、民衆の承認ある限りで権力の正当性が保たれる。だから、権力は民衆に「忠誠」を誓う立場にある。権力が民衆に「忠誠」求めることは背理である。権力が「反忠」の人物を排斥してはならない。
原理的に権力には寛容が求められる。民衆を思想・信条で選別し差別してはならない。政治活動の自由を奪ってはならない。権力に抵抗する思想や表現や政治活動を弾圧してはならない。いま、天皇制ならぬ、「人民」の「共和国」がそれをやっているのだ。
「今ごろ何を騒いでいるのだ。中国ではごく当たり前のこと」「香港が中国並みになったというだけのこと」という訳知りの声もあろうが、かくもたやすく、かくも堂々と、権力がその意に沿わない民主主義者を排除する図に衝撃を受けざるを得ない。
報道では、民主派議員19人が11日夕に会見し、4人以外の15人も抗議のため一斉辞職すると表明。定数70の立法会で21人いた民主派は2人に激減することになり、今後は親中派の独壇場になるという。
この民主派議員たちの抗議の辞職は、香港社会だけでなく、国際社会に向けての捨て身のアピールなのだ。この香港民主派の抵抗を支持する意思を表明しよう。
時事は、こんな報道もしている。
《「独立思想広めた」教師失職 当局、現場への介入強化―香港》(20年10月06日20時48分)
香港政府の教育局は6日までに、「香港独立思想を広めた」として、九竜地区の小学校教師1人の教師登録を取り消したと発表した。独立派の主張を授業で扱ったことによる登録抹消は異例で、教育現場に対する当局の介入強化や教員への萎縮効果が懸念されている。
この教師は、昨年、小学5年生の授業で独立派の活動家である陳浩天氏が出演したテレビ番組を紹介。「番組によると、独立を訴える理由は何か」「言論の自由がなくなれば香港はどうなってしまうか」などと尋ねる質問用紙を配布した、という。教師自身が独立を主張したとは報じられていない。
それでも、教育局は「教材が偏っており、生徒に害を与えた」と指摘。この教師は既に離職しているが、今後他の教師による「問題行動」が確認された場合、同様に処分はあり得ると表明した、と報じられている。
強権とたたかっている香港の人々に敬意を評したい。こんな社会はごめんだ。中国のようにはなりたくない。
いや、日本も危うい。菅政権は、政権批判の立場を堅持する日本学術会議を快く思わず、政権批判の発言をした6名の任命を拒否した。思想・良心の自由、表現の自由、学問の自由を侵害する行為だとの批判を覚悟しての強権の発動である。中国共産党の香港に対する強権的姿勢と、本質において変わるところはない。
まだ、私たちは声を上げることができる、政治活動もできる、選挙運動もできる。選挙で政権を変更することもできる。三権分立も何とか守り続けている。この自由や民主主義を錆び付かせないように、大切にしたい。まずは、粘り強く学術会議任命拒否を撤回させねばならない。
(2020年8月12日)
平田勝さんが、自分の出版社から自伝を出した。『未完の時代―1960年代の記録』(花伝社)というタイトル。帯に、「そして、志だけが残った ― 『未完の時代』を生きた同時代人と、この道を歩む人たちへ」とある。この帯のメッセージも、平田さんの気持ちのとおりなのだろう。60年代の青春の活動を語りながら、題名はいかにも暗い。帯のメッセージも、である。
おそらくは私も『未完の時代』を生きた同時代人の一人であり、「この道の近辺を歩んだ」ひとりでもある。平田さんは、この書で私にも語りかけているのだと思う。私は、平田さんとは「知人」というほど疎遠ではないが、「友人」というほど親しくはない。無難な言葉を選べば、彼は私にとっての「先輩」である。「先輩」は便利な言葉だ。若い頃の2年の年嵩はまぎれもなく「先輩」である。
初めて平田さんと会ったのは、63年の春駒場寮北寮3階の寮室だったと思う。壁を塗り直したばかりのペンキの匂いのなかでのこととの記憶だが、もう少し後のことだったかも知れない。2学年しかないはずの駒場寮に平田さんは3年生だった。ドテラ着の齢を経たオジさん然とした風貌。
そのオジさんが、妙に物わかりのよいことを言った。「サワフジクン、学生はね、やっぱり学問をしなくちゃね。でないと後悔することになるよ」。平田さんは、私にそう言ったことを覚えているだろうか。同書を読むと、当時ご自身がそのように感じていたようなのだ。
平田さんも私も、第2外国語として中国語を選択した「Eクラス」に属していた。このEクラスは学内の絶対的少数派として連帯意識が強く、学年を超えた交流の機会も多かった。そして、サークル単位で部屋割りをしていた私の北寮の寮室は「中国研究会」だった。平田さんは、同室ではなかったが中研によく顔を出していた。
同書によって、私と平田さんの境遇のよく似ていることを知った。無名高からの東大志望、現役受験の失敗、駿台昼間部、苦学、「Eクラス」、寮生活…。平田さんは8年かけて大学を卒業している。私は6年で中退である。この書に出てくるいくつもの固有名詞が私にも懐かしい。ほぼ同じ時代を、同じ場所で、同じ人々に接して、人格の形成期を過ごしたのだ。
もちろん、似ていることばかりではない。平田さんは、大学に入学するとともに入党し党員活動家として学生運動で活躍した。私は、もっぱらアルバイトに精を出し、日々の糧を手に入れるのに精一杯だった。学生運動は傍観しているばかり。ほとんど授業にも出ていない。
最も大きく異なるのは、自分の信念に従って活動に没入する積極性の有無である。平田さんは迷いながらも常に活動参加の道を選んだ。その積極性が次々と新たな展開につながっていく。なるほど、誠実に生きるとはこのようなものか。私にはそのような果敢な精神の持ち合わせがなかった。だから、平田さんのように語るべきものを持たない。
本書は、異例の「冒頭の言葉」から始まる。「ここに記したのは1960年代に自分が実際に体験したこと 見たり、聞いたりしたこと そこで感じとったことなどを そのまま、記述したものである」という。そのとおりであろう。人柄を感じさせる、飾り気のない、実直な文章である。
第1章 上京と安保─1960年
第2章 東大駒場──1961年?1964年
第3章 東大本郷──1965年?1968年
第4章 東大紛争──1968年?1969年
第5章 新日和見主義事件─1969年?1972年
以上が大目次である。平田さんの学生時代が61年春から69年春まで、その前後を加えて、なるほど60年代という時代の空気を語るにふさわしい書となっており、第1章から4章までが、誠実な学生党員活動家として時代に向き合った活動の回顧録である。個人史を語って、強引に時代を定義づけたり、無理なまとめ方をしていないことに好感がもてる。
だが、「第5章 新日和見主義事件─1969年?1972年」の存在が、この書を特徴的な陰影のあるものにしている。第1章から4章までの、悩みを抱えつつも活動に勤しんだ伸びやかな筆と、第5章とは明らかに異なる。明と暗とのコントラストが際立ち、1章から4章までの成果が、第5章の事件によって押し潰される。痛々しさを覚えざるを得ない。
この200ページを越す書物の中で、肺腑を抉る二つの文章に出会った。この書を単なる回想録に終わらせない問題提起の書とするものである。
権力からの弾圧に抗する覚悟はできていたが、共産党そのものから受ける弾圧に対する心の備えは、誰しもまだ十分ではなかったと思う。
1960年代に盛り上がった学生運動は、1972年に起こった新日和見主義事件で頓挫するに至った。
『未完の時代』という言葉で、平田さんが語ろうとしたのは、こういうことなのだ。平田さんは、それでも、「時代の課題に真正面から立ち向かった1960年代の時代精神とその「待続する意思」が、次の世代に受け継がれていくことを信じたい。」と結ぶ。
平田さんは、次のように無念の言葉を述べている。
1960年代の学生運動は、その後の強力な民主主義運動を生み出すことにも直接繋がらず、政党の刷新や新党の結成など新しい政治潮流を生み出すことも出来なかった。
その意味で、「未完の時代」に終わったと言える。
が、同時に、あとがきでは次のように展望が語られている。
いまや「共闘の時代」が来ている。…それぞれの人々への「リスペクト」、すなわち相手の存在を認め、尊重、尊敬することなくして「共闘」は実現出来ない。
同時に、それぞれのグループや政党の構成員に対しても、その存在に対する「リスベクト」が必要になっていると思う。外に対しては「リスペクト」、内部の構成員に対しては「分割的支配」というようなダブルスタンダードでは、一人一人が生かされる組織とはならないのではないかと思う。
運動の広範な盛り上がりも経験し、全共闘の暴力的攻撃もくぐり抜け、党の専制的支配にもぶち当たった1960年代の我々の体験が、こうした「共闘の時代」に何らかの意味を持ち生かされるとしたら、これ以上の喜びはない。
まったく、同感である。この書は、もっと話題となってしかるべきである。とりわけ、共産党を支持する人々の間で。
(2020年8月10日)
注目の4年に1度の教科書採択、いま真っ盛りである。注目される理由は、これが日本の民主化度のバロメータであるからだ。残念なことに、このバロメータの指し示すところが最近芳しくない。歴史修正主義や国家主義、改憲指向の教科書で次代の主権者教育が行われてはたまらないのだが、歴史修正主義や国家主義、改憲基調の政治がまかり通っているのがこの国の現実。そんな勢力を代表する政治家が、長期政権を維持しているご時世なのだ。
攻防の焦点は、公立中学校の「歴史」と「公民」の教科書である。採択権者は、学校を設置する市町村や都道府県の教育委員会。いつもは名ばかりの教育委員だが、このときばかりは時の人になる。自分の権限の重さに、うろたえてしかるべきである。
この攻防、アベ晋三政権終焉の空気を反映してか、改憲気運衰退のしからしめるところか、歴史修正主義や国家主義、改憲指向の教科書には、採択の勢いがない。
いわゆる「つくる会」系の、歴史修正主義派教科書の出版社としては、「育鵬社」と「自由社」がある。両社の教科書とも、これまでのところ軒並み不採択で不調この上ない。
都教委が、都立中学10校と特別支援学校中学部22校の教科書採択において、これまでの姿勢を覆して育鵬社、自由社版を不採択にした。続いて、藤沢市・横浜市でも逆転不採択となり、さらには心配された名古屋市で8月7日不採択となった。
ここまで、歴史修正主義派教科書は完敗と言ってよい。とりわけ、全国で最多校数・最多生徒数を誇る横浜市の動向が象徴的である。地元、神奈川新聞がこう伝えている。
横浜市教委、育鵬社版不採択に 中学の歴史・公民教科書
横浜市教育委員会は(8月)4日、定例会を開き、市立中学校など147校で2021年度から4年間使用する歴史と公民の教科書について、育鵬社版を不採択とした。鯉渕信也教育長と教育委員5人が無記名で投票し、歴史は帝国書院版、公民は東京書籍版を採択した。使用する生徒は全国最多の約7万4千人。
歴史は7社、公民は6社の教科書を審議した。定例会では、学識経験者や校長、保護者ら20人でつくる「市教科書取扱審議会」の答申が公表され、歴史は帝国書院版、公民は東京書籍版の評価が高かった。
採決を前に、大場茂美委員が「責任ある判断をする上で、冷静な判断ができる環境を維持したい」と無記名投票を提案。他の委員から異論は出なかった。投票の結果、歴史は帝国書院が4票、公民は東京書籍が5票で、育鵬社はそれぞれ2票と1票だった。
さて、これからである。維新の牙城である大阪府内では育鵬社版教科書採用率が高い。前回は、大阪市、東大阪市、泉佐野市、四條畷市、河内長野市などが育鵬社版を採択していた。本日まで、四條畷市、河内長野市が不採択となり、残る大阪市、東大阪市、泉佐野市の帰趨が注目されている。
言うまでもないが、この教科書採択の結果は、多くの人の運動の反映である。教員や父母が連携し、地域の市民団体も意見を集約して教育委員会に届けている。委員会の傍聴も続けられている。その熱意、その論理、その説得力が、教育委員に影響を与えているのだ。
その運動の全国組織である「子どもと教科書全国ネット21」が、7月30日に「育鵬社教科書不採択の流れを全国に波及させよう」と題する【緊急アピール】を発している。
「約20年にわたって「つくる会」系教科書の採択に、都立学校でいったん終止符を打つことができたことは、大きな前進です。大阪府でもこれまで育鵬社の公民教科書を採択してきた四条畷市と河内長野市で、採択を許さないという成果を上げることができました。
この流れをさらに強め、
1 育鵬社歴史・公民教科書、自由社公民教科書(日本の植民地支配やアジア太平洋戦 争について歴史的事実をゆがめて正当化し、日本国憲法の価値を否定し、憲法改悪に誘導しようとする)
2 日本教科書道徳教科書(生徒の内心に踏み込む、数値による徳目の達成度を求める 自己評価や、植民地支配を肯定的に描く題材まで載せている)
これら教科書の採択を許さない取り組みを、全国の市民、保護者、教職員、労働組合、研究者、弁護士などの幅広い皆さんと全力をあげて進めていきましょう。」
ところで、最も注目される大阪市である。
「子どもと教科書大阪ネット21」の平井美津子事務局長は、育鵬社の歴史教科書について、以下の問題点を指摘している。
・大日本帝国憲法と天皇制を賛美する。
・植民地政策を正当化し、日本が近代化を進めたとする。
・ 15年戦争をアジア解放の戦争と位置付ける。
・日本国憲法は「押し付けられた」ものと否定的。
(ちなみに、育鵬社は、公民では、憲法について、人権の保障より「公共の福祉による制限」を強調し、人権についての正しい知識・感覚を持ちにくい。また、憲法改正へ誘導する記述となっている。)
・最後は中国・北朝鮮への敵愾心を煽り、「日本クール」を謳って締める。
「わが国は、過去の歴史を通じて、国民が一体感を持ち続け、勤勉で礼節を大事にしてきたため、さまざまな困難を克服し、世界でもめずらしい安全で豊かな国になりました。世界の中の大国である日本は、これからもすぐれた国民性を発揮して、国内の問題を解決するとともに、世界中の人々が平和で幸せに暮らしていけるよう国際貢献していくいことが求められています。」
7月30日に、大阪市教育委員会事務局が「戦争美化の教科書を子どもたちにわたさない大阪市民の会」と「教科書採択について」の協議を実施している。形式は、「協議」だが、実際は「要請」に対する「回答」と説明であろう。大阪市のホームページに、6項目の「要望」と「回答」が、次のように掲載されている。
?国民主権、平和主義、基本的人権の尊重を原則とする日本国憲法の精神に反する育鵬社版、自由社版の教科書は絶対に採択しないでください
(回答)文部科学省の通知において、「教科書採択については、教科書発行者に限らず、外部からのあらゆる働きかけに左右されることなく、静ひつな環境を確保し、採択権者の判断と責任において公正かつ適正に行われるよう努めること」とされていることから、文部科学省の検定を経たすべての教科書の中から、採択権者の判断と責任において、公正かつ適正な採択となるよう努めてまいります。
?本市の学校には在日外国人の子どもたちも多数在籍しています。諸外国との友好・連帯を何よりも大切にし、まかり間違っても、排外主義や嫌中、嫌韓感情を助長する教科書は採択しないように強く求めます。
(回答)大阪市教育振興基本計画において、「我が国や郷土の文化・伝統を尊重し、広く伝えるとともに、世界における多様な文化を互いに理解し合い、異なる文化を持った人々とともに生き協働していこうとする、多文化共生社会をめざす資質や能力を持った子どもをはぐくみます。」と示しています。
採択にあたっては、教育基本法、学習指導要領、大阪市教育振興基本計画等に示された基本的な目標に基づいて調査研究を行い、調査会等が作成する資料により、公正かつ適正な採択となるよう努めてまいります。
?教室で実際の教育活動にあたる教師の意見に耳を傾けてください。
(回答)採択にあたっては、大阪市立義務教育諸学校教科用図書選定委員会規則に基づき、教科用図書選定委員会(以下「選定委員会」という。)を設置することとし、教育委員会が諮問し、選定委員会が調査、研究を経て作成した答申を参照し、採択を行います。
選定委員会は、採択地区ごとに専門性の高い校長及び教員で構成される専門調査会と、各学校の校長及び教員で構成される学校調査会を設置しており、現場教員による調査の結果が選定委員会に報告されます。調査会等が作成する資料については、文部科学省の通知に則り、採択権者の責任が不明確になることのないよう留意しつつ、採択権者の判断に資するよう一層充実したものとなるよう努めてまいります。
?教科書閲覧などを通じて、市民の声に真摯に耳を傾けてください。
(回答)本市では、保護者や学校協議会委員をはじめ市民の皆様に教科書や教科に対する理解を深めていただけるよう教科書展示会を実施しております。教科書展示会では、市民の皆様に教科書への関心を持っていただくとともに、教科書について広く意見を集めることを目的として、アンケート箱を設置しています。アンケートの集約結果並びに皆様からいただいたご意見やご感想につきましては、教科書採択にあたっての参考資料の 1 つとして、教育委員、選定委員にお伝えしてまいります。
?新型コロナ問題の先が見通せないなか、教職員や保護者や市民が教科書の検討を可能とする十分な閲覧会場と日程を保証してください。
(回答)本市では、市立図書館・区役所・区民センター・区役所出張所等、市内31か所の教科書センターで、令和3年度使用教科書展示会を開催いたします。
なお、「新型コロナウイルス感染症」に係る感染拡大防止の観点から、来場者へのマスク着用や近距離での会話をご遠慮いただくなどのお願いや、来場者が多い場合は同時に入場する人数を制限する措置をとらせていただく場合があります。
しかしながら、「法定外展示期間」を例年よりも長く設定している「教科書センター」もあり、できるだけ多くの方々に教科書に触れていただく機会の確保に努めております。
?教育行政にあたる皆さんが、如何なる政治的圧力にも屈することなく、日本国憲法の精神と、良心のみに従って、教科書選定作業を行われるよう強く要請いたします。
(回答)文部科学省の通知において、「教科書採択については、教科書発行者に限らず、外部からのあらゆる働きかけに左右されることなく、静ひつな環境を確保し、採択権者の判断と責任において公正かつ適正に行われるよう努めること」とされていることから、文部科学省の検定を経たすべての教科書の中から、採択権者の判断と責任において、公正かつ適正な採択となるよう努めてまいります。
「採択権者の判断と責任において、公正かつ適正な採択となるよう努めてまいります。」では、実はなんの回答にもなっていない。問題は、「公正かつ適正な採択」の具体的な中身である。2015年の初採択時も今と同じタテマエだった。それでどうして育鵬社版採択に至ったのか。育鵬社版教科書のこんな内容が、どうして「公正かつ適正な採択」に馴染むのか。「公正かつ適正」が、育鵬社版教科書とどう折り合えるのか、ではないか。
全国の適正な教科書採択を求める運動の圧倒的な成果を期待したい。全ては、今月中に決着が着く。
(2020年8月4日)
期間:2020年8月10日(月)?12日(水)
時間:8月10日 13:00?18:00
8月11日 10:00?18:00
8月12日 10:00?16:00
場所:文京シビックセンター1階 アートサロン(展示室2)
最寄り駅 後楽園(丸の内線・南北線)、春日(三田線・大江戸線)
入場無料
文京・真砂生まれの村瀬守保写真展
村瀬守保さん(1909年?1988年)は1937年(昭和12年)7月に召集され、中国大陸を2年半にわたって転戦。カメラ2台を持ち、中隊全員の写真を撮ることで非公式の写真班として認められ、約3千枚の写真を撮影しました。天津、北京、上海、南京、徐州、漢口、山西省、ハルビンと、中国各地を第一線部隊の後を追って転戦した村瀬さんの写真は、日本兵の人間的な日常を克明に記録しており、戦争の実相をリアルに伝える他に例を見ない貴重な写真となっています。一方では、南京虐殺、「慰安所」など、けっして否定することのできない侵略の事実が映し出されています。
一人一人の兵士を見ると、
みんな普通の人間であり、
家庭では良きパパであり、
良き夫であるのです。
戦場の狂気が人間を野獣に
かえてしまうのです。
このような戦争を再び
許してはなりません。
村瀬守保
漫画家たちの満州引き上げ証言
中国からの引揚げを体験した漫画家たちの記録
赤塚不二夫、ちばてつや、古谷三敏、北見けんいち、森田拳次、高井研一郎、山口太一など中国から引き揚げてきた漫画家たちが、少年時代の忘れようとして忘れられない過去をまとめてマンガに描いた作品を展示しています。
DVD上映
1 侵略戦争
2 中国人強制連行
3 20世紀からの遺言
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8月は、あの戦争を語り継ぐべきときである。75年前の8月、日本の国民は塗炭の苦しみを経て敗戦を迎えた。夥しい人命が失われ、生き残った人々も愛する多くの人を失った。8月は凝縮された悲しみのとき。忘れてはならないのは、その悲しさ切なさは、日本によって侵略を受けた隣国の人々には、さらに深刻で大規模なものだったことである。
この戦争の惨禍を再び繰り返してはならない。被害者にも加害者にもなるまい。そのような国民的合意から、平和憲法が制定され、我が国は平和国家として再出発した、…はずなのだ。
今あるこの国の再出発の原点である「戦争の惨禍」を、絶対に繰り返してはならないものとして、記憶し語り継がねばならない。平和を維持するための不可欠の営みとして。とりわけ、8月には意識して戦争を語ろう。戦争の記憶を継承しよう。
そのうえで、なぜ戦争が起きたのか。なぜ日本は朝鮮を侵略し、満蒙を日本の生命線だと言い募り、華北から華中、華南へと戦線を拡大したのか。あまつさえ、英・米・蘭にまで戦争を仕掛けたのか。敗戦必至となっても戦争を止めず、厖大な犠牲を敢えて積み重ねたのはどうしてなのか。
できれば、さらに考えたい。この戦争を主導した者の責任追及はなぜできなかったのか。最大の戦犯・天皇はなぜ戦後も天皇であり続けたのか。
8月の戦争を語る企画として、昨年文京では、日中友好協会を中心に「平和を願う文京・戦争展」が開催された。内容は、「日本兵が撮った日中戦争」として、文京・真砂生まれの村瀬守保の中国戦線での写真展を中心に、DVD上映(「侵略戦争」「中国人強制連行」)、そして文京空襲についての体験者の語りが好評だった。思いがけなくも、3日間で1500人もの来観者を得て、大盛況だった。
この盛況の原因は、実は文京区教育委員会のお蔭だった。実行委員会は、文京区教育委員会に後援申請をした。「区教育委員会の後援」とは名前を使ってもよいというだけのこと。「平和宣言」をもつ文京区である。平和を求める写真展を後援して当然なのだが、文京教育委員会はこれを不承認とした。事務局の承認原案を覆しての積極的不承認である。
これを東京新聞が取りあげて後掲の記事にした。この記事を読んで、後援申請を不承認とした文京区教育委員会に抗議の意味で参加という人が多数いて、大盛況だったのだ。
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昨年(2019年8月)の顛末を記しておきたい。
この企画の主催者は、日中友好協会文京支部(代表者は、小竹紘子・元都議)である。同支部は、2019年の5月31日付で、文京区教育委員会に後援を申請した。お役所用語では、「後援名義使用申請書」を提出した。
その申請書の「事業内容・目的」欄にはこう記載されている。
「保護者を含めて戦争を知らない世代が、区民の圧倒的多数を占めています。従って子どもたちに1931年から1945年まで続いた日中戦争、太平洋戦争について語り伝えることも困難になっています。文京区生まれの兵士、村瀬守保氏が撮った日中戦争の写真を展示し、合わせて文京空襲の写真を展示し、戦争について考えてもらう機会にしたい。」
なんと、この申請に対して、文京区教育委員会は「後援せず」と決定した。このことが、8月2日東京新聞朝刊<くらしデモクラシー>に大きく取りあげられた。
同記事の見出しは、「日中戦争写真展、後援せず」「文京区教委『いろいろ見解ある』」、そして「主催者側『行政、加害に年々後ろ向きに』」というもの。
日中戦争で中国大陸を転戦した兵士が撮影した写真を展示する「平和を願う文京・戦争展」の後援申請を、東京都文京区教育委員会が「いろいろ見解があり、中立を保つため」として、承認しなかったことが分かった。日中友好協会文京支部主催で、展示には慰安婦や南京大虐殺の写真もある。同協会は「政治的意図はない」とし、戦争加害に向き合うことに消極的な行政の姿勢を憂慮している。
同展は、文京区の施設「文京シビックセンター」(春日一)で八?十日に開かれる。文京区出身の故・村瀬守保(もりやす)さん(一九〇九?八八年)が中国大陸で撮影した写真五十枚を展示。南京攻略戦直後の死体の山やトラックで運ばれる移動中の慰安婦たちも写っている。
同支部は五月三十一日に後援を区教委に申請。実施要項には「戦場の狂気が人間を野獣に変えてしまう」との村瀬さんの言葉を紹介。「日本兵たちの『人間的な日常』と南京虐殺、『慰安所』、日常的な加害行為などを克明に記録した写真」としている。
区教委教育総務課によると、六月十四日、七月十一日の区教委の定例会で後援を審議。委員からは「公平中立な立場の教育委員会が承認するのはいかがか」「反対の立場の申請があれば、後援しないといけなくなる」などの声があり、教育長を除く委員四人が承認しないとの意見を表明した。
日中友好協会文京支部には七月十二日に区教委が口頭で伝えた。支部長で元都議の小竹紘子さん(77)は「慰安婦の問題などに関わりたくないのだろうが、歴史的事実が忘れられないか心配だ。納得できない」と話している。
村瀬さんの写真が中心の企画もあり、二〇一五年開催の埼玉県川越市での写真展は、村瀬さんが生前暮らした川越市が後援。協会によると、不承認は文京区の他に確認できていないという。
協会事務局長の矢崎光晴さん(60)は、今回の後援不承認について「承認されないおそれから、主催者側が後援申請を自粛する傾向もあり、文京区だけの問題ではない」と話す。「このままでは歴史の事実に背を向けてしまう。侵略戦争の事実を受け止めなければ、戦争の歯止めにならないと思うが、戦争加害を取り上げることに、行政は年々後ろ向きになっている」と懸念を示した。
なんと言うことだろう。戦争体験こそ、また戦争の加害・被害の実態こそ、国民が折に触れ、何度でも学び直さねばならない課題ではないか。「いろいろ見解があり、中立を保つため」不承認いうのは、あまりの不見識。「南京虐殺」も「慰安所」も厳然たる歴史的事実ではないか。教育委員が、歴史の偽造に加担してどうする。職員を説得して、後援実施してこその教育委員ではないか。
「戦争の被害実態はともかく、加害の実態や責任に触れると、右翼からの攻撃で面倒なことになるから、触らぬ神を決めこもう」という魂胆が透けて見える。このような「小さな怯懦」が積み重なって、ものが言えない社会が作りあげられてていくのだ。文京区教育委員諸君よ、そのような歴史の逆行に加担しているという自覚はないのか。
文京区教育委員会事案決定規則(別表)によれば、この決定は、教育委員会自らがしなければならない。教育長や部課長に代決させることはできない。その不名誉な教育委員5名の氏名を明示しておきたい。
すこしは、恥ずかしいと思っていただかねばならない。そして、ぜひとも、今年こそ汚名を挽回していただきたい。
教育長 加藤 裕一
委員 清水 俊明(順天堂大学医学部教授)
委員 田嶋 幸三(日本サッカー協会会長)
委員 坪井 節子(弁護士)
委員 小川 賀代(日本女子大学理学部教授)
これは快挙だ。圧倒的な国民の意思と意思表示がなし遂げた快挙。溜飲の下がる思いである。本日(5月18日)の各紙夕刊に、「検察庁法、今国会での改正断念」の大見出し。午前中は、「与党は20日採決へ 野党は徹底抗戦」と報じていたNHKも、夕刻には「政府・与党 検察庁法改正案 今国会での成立見送り決定」と転じた。
そのNHK(On-line)は、やはり夕刻世論調査の結果を発表した。「安倍内閣を『支持する』と答えた人は、先月の調査より2ポイント下がって37%だったのに対し、『支持しない』と答えた人は7ポイント上がって45%でした。『支持しない』が『支持する』を上回ったのは、おととし6月の調査以来となります」というもの。アベ内閣不支持が支持を逆転し、8ポイントリードというのだ。
また、「朝日新聞社が16、17日に実施した緊急の全国世論調査(電話)でも改正案に『賛成』は15%にとどまり、『反対』は64%だった」。まさしく山が動いた。到底、強行突破は不可能と、アベも判断せざるを得ない事態となったのだ。
アベは、本日の二階との会談で、「同改正案には野党だけでなく、自民党内にも異論があるほか、国民の批判が拡大している。そんな現実を前にして、国民の理解がないまま法案審議を前に進めることはできない」との認識で一致したという。
その後アベは、記者団に対して「法案については国民のみなさまから様々なご批判があった」「そうしたご批判にしっかり応えていくことが大切なんだろうと思う」と発言したという。先日まで、「国民はいっとき反対しても、どうせ忘れる」とうそぶいていた人物とは思えない変わり身の早さ。
これは、暫定的なものではあるが民主主義の勝利だ。憲法も人権も民主主義も踏みにじってきたアベ政権にとっての手痛い敗北である。これまで民意を小馬鹿にしてきたアベとその取り巻きは、今度に限っては、民意の恐さを思い知った。
とは言え廃案が勝ち取られたわけではない。飽くまで「今国会成立断念」という限りでの成果でしかない。法案成立強行の恐れが、次期国会以後にずれ込んだに過ぎない。アベは、今夕記者団に対して、「定年延長と公務員制度改革についての趣旨と中身について、丁寧にしっかり説明していくことが大事だ。これからも責任を果たしていきたい」と述べたという。危機が去ったというわけではない。今後の警戒を怠ることができないのだ。
それにしても、国会内での圧倒的な議席差を乗り越えて、真っ当な世論の高揚がアベ提案の閣法成立を阻止したのだ。この成功体験、この自信を得たことが何よりも大きい。真っ当な世論が、真っ当ならざるアベ支持勢力に勝ちうる。アベの野望を砕くことができる。今回、その勝ち方を知ったのだ。せっかくのこのノウハウである、今後とも惜しみなく繰り返し使うことにしよう。せっかく編み出し、せっかく使ったこの勝ち方。使う度に、鋭利なこの道具に磨きをかけ、多くの人の手で、政権を倒そうではないか。見掛けほど強くはないことを露呈した、この政権を。
(2020年5月18日)
先日、今年の流行語大賞候補には滅入る言葉ばかりと愚痴ったが、必ずしもそうでもなさそうだ。「Twiterデモ」や、「巣ごもりデモクラシー」などには、勇気づけられる。アベ政権とその応援団だけの天下ではない。いや、今やアベ政治の終焉が見えている。コロナ対応の失策と「Twiterデモ」とは、その象徴である。
5月8日17時40分発信という、歴史的な1件のツィートの主は、「笛美@fuemiad」と名乗る方。「広告業界の片隅にいます。20代で女性蔑視に染まり、30代でフェミニズムを知りフェミニズム関連の意見を発信していましたが、新型コロナきっかけで政治にも関心を持つようになりました。」と自己紹介をしている。「fuemiad」は、フェミニズムとアドバタイズの連結語なのだろう。
そのツィートは、下記のとおりである。
「1人でTwiterデモ #検察庁法改正に抗議します」「右も左も関係ありません。犯罪が正しく裁かれない国で生きていきたくありません。この法律が通ったら『正義は勝つ』なんてセリフは過去のものになり、刑事ドラマも法廷ドラマも成立しません。絶対に通さないでください。」
この方が、ネットに一文を寄せている。そのごく一部を抜粋して紹介したい。
「#検察庁法改正案に抗議します デモで知った小さな声を上げることの大切さ」
https://note.com/fuemi/n/n56bdee1d8725
「5月8日にいきなり内閣委員会で野党欠席のもと審議されて、来週には法案が通ることになったというニュースを見て震え上がりました。マスコミも大々的に報道せず、こっそり隠して採決まで持ってこうとしているようにも見えました。いても立ってもいられなくなり、とりあえず金曜の夜に1人でTwitterデモをやってみました。自分から発信した初めてのオンラインデモでした。」
「これまでグルグル考えていたことをベースにしながら、見た人がリツイートする敷居を低くしたいなと思いました。だから燃えるような怒りというより、静かな意思を感じられる表現にしました。それはデモビギナーの自分にとっても、自分らしく気負いなく言えるワードだったなと思います。ドラマなどの例えは、まだ知らない人にも分かりやすく伝わるようにと心がけました。独りぼっちで寂しかったので、バニーの絵文字を入れて行進してるっぽく見せました。…ぶっちゃけ本気で拡散させるぞ!なんて言う気は全くありませんでした。」
「最初はいつも仲良くさせてもらってるフェミニストの方々が投稿に反応してくださいました。…しばらくして、手作りバナーや相関図を作るアカウントさんが出てきたり、政治にアンテナの高いアカウントさん、作家さん、さらには野党の議員さんにも、ツイートが広がっているのに気付きました。」と予想外の事態の展開が述べられている。
この人の文章は、「次はあなたが、どんな声でもいいので出してみませんか?」という呼びかけで締めくくられている。
このたった一人のTwitterデモの呼びかけに多くの人が呼応した。まさしく燎原の火のごとき勢いで。これは、政治的・社会的事件である。本日(5月13日)の東京新聞の紹介では、同じハッシュタグを付けたツィートは900万件を超えたという。多くの人が、この政権への潜在的批判者となっているのだ。
有名無名を問わない多くの人々がツィートに賛意を表し、自分の言葉でこの法案に抗議した。当然これを面白くないとする勢力がある。このTwitterデモの「山が動くがごとき盛り上がり」を貶めようという、いつもながらのアベシンパは少なくない。
これまでその名が目立っているのは、高橋洋一、百田尚樹、加藤清隆、足立康史、竹内久美子、堀江貴文、鈴木宗男などである。総じて、取るに足りない。
彼らの立論のひとつは、「反対論者バッシング」である。「反対論者は、法案を読んで理解の上で反対しているのか」という、上から目線の無礼な物言い。反対論者の反対理由に噛み合った反論はなく、自らは積極的に法案賛成の理由を述べるところはない。ひたすらに反対論者をバッシングし、「政府は正しい。反政府論者は根拠なく騒いでいるだけだ」という発言によって、自らの忠勤な御用ぶりを見せようという、さもしい論者の言でしかない。
立論の二つ目は「陰謀論」である。「検察庁法改正案を反民主主義的悪法と宣伝する陰謀に乗せられるな」というわけの分からない論法。わけが分からないが、政権が論理的に追い詰められたときには「陰謀論」は万能薬として使われる。もっとも、どんなときでも使えるという万能薬の効き目は薄い。普通は、陰謀論を持ち出した途端に論拠破綻の自白とみなされ、みっともなさをさらけ出したことになる。
立論の三っ目は、「すりかえ論」である。「法案に対する反対論は、こう言っている」と的はずれのすり替え論点で、反対論を批判するやり口。反対論の内容を正確に把握しての批判であれば有益な議論になるが、検察庁法改正問題については、官邸も法務省も的確な反論をしていない。
立論の四っ目は、検察権力の過剰な強化に反対の立場からの、体験的な官邸権力強化擁護論である。これは、堀江や鈴木の立場である。検察権力の過剰な強化に反対は納得できるが、今問題は、検察を政権の番犬に貶めてよいかという局面での議論である。現在の法案に賛成する理由にはならない。
問題の本質は、検察官の定年延長にあるのではない。これまでなかった定年延長を導入するに際して、内閣がその恣意に基づき、「特例」として、検察官役職と定年の延長・再延長の可否を決することができることが問題なのだ。この法改正によって、内閣が検察幹部人事に介入し、検察のトップを官邸の息のかかった人物で固めることができる。この権力分立の崩壊は民主主義の根幹に関わる。
その問題性の本質を理解するためには、政権というものに対する批判の基本姿勢、とりわけ数々の政治の私物化をしてきたアベ政権に対する批判の姿勢がなくてはならない。そして、検察官という職能は、他の公務員とは根本的に異なり、犯罪行為あれば安倍晋三をも逮捕し起訴する権限をもっていることの重要性の把握が不可欠である。その地位の保障は、公務員一般と同等に考えることはできない。準司法的立場にあって、政権の清廉のために、検察官は政権からの介入を厳格に排除した独立性の確保が求められる。これを切り崩すことにならざるを得ないというのが、法案反対論の核心である。
これに対する、真正面から噛み合った反論も弁明も提起されていない。
(2020年5月13日)