(2023年4月10日)
牧原秀樹という自民党の衆議院議員がいる。埼玉5区の選出で、埼玉弁護士会所属の弁護士でもあるという。その人物の4月8日付ツィッターが、腹に据えかねる。弁護士としてあるまじきというレベルではない。政治家としても、市民としても許せない発言。国籍や民族の如何を問わず、人の命は等しく重いという公理を知ろうとしないこの人物に、一言なりとも物申さねば、腹が膨れて如何ともしがたい。
まずこのツィッターの全文を紹介しておこう。
「そもそも弁護士は受託案件での任務遂行に全力をあげるべきです。それを入管法改正反対という『政治的意図』を持っている皆様、しかもある一定の政治信条を共有している方々が政治利用しようとしてないのか。懲戒請求対象になってもおかしくないと思います。」
これだけでは何を言っているのか、何を言いたいのかよく分からない。そもそもこの文章には、読み手に正確に文意を伝えようという意思も能力も窺えない。その結果、牧原ツィッターの骨格に言葉を補えば、以下のとおりの「良心に目覚めた牧原秀樹弁護士の自己反省宣言」と読むことも可能である。
「そもそも弁護士は受託案件での任務遂行に全力をあげるべきであって、それ以外のことに力を殺ぐことは許されない。弁護士として登録をしながら、受託案件での任務遂行と言えない政治活動など一切すべきではないのだ。しかも、改憲を結党以来の党是とする自民党の議員としての活動となれば、憲法擁護・憲法遵守に反対という極め付きの『政治的意図』を持っての反憲法的・反体制的な政治活動とならざるを得ない。しかも明らかに特定の反憲法的政治信条を共有している方々への弁護士としての専門的知見の提供は、明らかな政治利用というべきではないだろうか。弁護士が、弁護士のまま自民党議員として政治活動をすることは、弁護士としてあるまじき政治活動を行うこととして、私・牧原秀樹は、弁護士として懲戒請求されてもおかしくないと思う」
しかし、牧原の真意はそうではない。自己批判ではなく、他を攻撃するものなのだ。このツィッターは、下記の「入管死遺族弁護団(員)」の投稿に対する批判としてアップされたもの。いま、大きな話題となっている、ウィシュマさんの闘病動画の公開に関する一文である。
「動画を見れば、故人の強い気持ちは、点滴してほしい、病院連れて行ってほしいというものだったことが明らか。その気持ちはスルーしてるんですね。」
この弁護団発言は、ウィシュマさんの生を求める切実な要望を無視し医療の提供を怠って死に至らしめた、非人道的な入管行政への批判である。生々しい動画の描写は見る人の心を打つ。多少とも人権感覚を有している人、人間としての心を持っている人なら、共感せざるを得ない。その発言とセットで読むと、この政治家の舌足らずの稚拙な文章の底意が見えてくる。
牧原は、入管行政擁護の立場から、遺族弁護団批判を買って出た。牧原ツィッターには、ウイシュマさんの死を悼み怒る遺族弁護団への嫌悪の感情と、弁護団の発言を封殺しようという恫喝の意思だけが明瞭である。
牧原ツィッターの真意は、次のようなものである。
「そもそも弁護士は受託案件での任務遂行に全力をあげるべきです。だから、ウイシュマさん遺族の弁護団は、国賠訴訟という法廷活動だけに専念しておればよいのです。それをはみ出して『入管法改正反対』という政治的な活動に立ち入るのは弁護士としてあるまじきことで、厳に慎むべきことなのです。ウィシュマさんの死に至る動画の公開は、明らかに法廷活動の域を超えて、入管法改正反対という『政治的意図』を持っている皆様、ある一定の政治信条を共有しているグループが政治利用しようとしているものでしょう。この遺族弁護団の政治活動は、懲戒請求対象になってもおかしくないと思います。」
この牧原発言の「論旨」の誤りを次のとおりに整理しておきたい。
☆弁護士の基本使命は「基本的人権の擁護」にある。法廷活動における依頼者の人権擁護にとどまらず、法廷活動で明らかになった人権問題解決のために法廷外でも活動することは、弁護士のあり方として賞讃されるべきことであって非難さるべきことではない。これを「弁護士は受託案件での任務遂行に全力をあげるべき」と的外れの批判の言論は弁護士の使命を知らない妄言である。
☆弁護士が誠実に依頼者の人権擁護に徹しようとするとき、その人権を擁護する方途として、法廷外の世論に訴えて政治化し、あるいは社会化することは、時に必須な弁護士の業務となる。これを政治活動として非難することは、ためにする謬論である。
☆人権擁護活動と政治活動とは密接不可分である。人権が権力によって抑制されている現状では、人権擁護活動は、行政や立法への働きかけを抜きにすることができない。弁護士の政治活動は控えるべきとする自民党筋の言論は、弁護士の人権活動を抑制しようという邪論である。
☆弁護士は主権者の一員として政治活動をすることができる。牧原が、自民党議員として活動することも自由である。にもかかわらず牧原は、他の弁護士の活動に、「政治活動」のレッテルを貼ることで、これを規制できると思い込んでいるフシがある。どんな場合にも、「政治活動」のレッテル貼りは、効果のないことを知らねばならない。
以上の牧原ツィッターの稚拙な文章の最大の問題点は、ウイシュマさん遺族弁護団の行動と発言を嫌悪して、「懲戒請求対象になってもおかしくないぞ」と恫喝していることだ。不特定多数の閲覧を予想してのツィッターでの「懲戒請求対象になってもおかしくない」は、懲戒請求煽動と同義である。懲戒請求煽動は批判対象弁護士に対する恫喝にほかならない。
ネトウヨ諸君に警告を申しあげておきたい。牧原のごときアジテータに煽られて、うっかり懲戒請求に走ってはいけない。あとあと、たいへんなことになるのだから。
懲戒請求煽動者として、真っ先に名を上げられるべきは橋下徹である。彼は、光市母子殺害事件弁護団の弁護方針をやり玉に、「あの弁護団に対してもし許せないと思うなら、一斉に懲戒請求をかけてもらいたい」と各弁護人への懲戒請求を煽動した。そして、橋下はいかにも橋下らしく、自分では懲戒請求をしなかった。大阪弁護士会は、橋下のこの懲戒請求煽動行為を「弁護士としての品位を害する行為に当たる」として、2か月の業務停止処分とした。
牧原に煽られたネトウヨ諸君の遺族弁護団員に対する懲戒請求が積み重ねられれるようなことになれば、牧原弁護士がその事態の責任追及を受ける立場となり、橋下徹同様に懲戒の対象とならざるを得ない。
それだけではない。煽動に乗せられた懲戒請求者自身の責任も問われることになる。弁護士懲戒請求は匿名ではできない。懲戒請求が弁護士会によって受理されるためには、懲戒請求者の氏名と住所を明記しなければならない。その結果、懲戒請求者は、刑事民事の責任を問われ得ることを覚悟しなければならない。弁護士懲戒請求とはけっして軽々にできることではない。「汝らの中、罪なき者まづ石を擲て」に倣えば、「汝ら、ウイシュマ遺族弁護団が弁護士としての品位を害しているとの確信なくして、石を擲つこと勿れ」なのだ。
そして、牧原秀樹よ、ウイシュマ遺族弁護団に対する懲戒請求煽動ツィートを削除せよ。「過ちては則ち改むるに憚ること勿れ」というではないか。
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なお、満10年で連続更新終了後、少なからぬ方から、ありがたいご意見やご感想をいただきました。感謝申しあげます。
また、当ブログへのご意見やご感想があれば、下記メールアドレスまでご連絡をください。よろしくお願いします。
sawatoichiro@gmail.com
(2023年3月26日・連日更新満10年まであと5日)
東京弁護士会は、受理した人権救済申立事件において今月20日付で警視庁に対する下記警告を発した(ホームページへの掲載は23日)。
事案は、天皇制に反対する40代男性が天皇夫妻の自動車に沿道で「もう来るな」などと書いた横断幕を掲げたところ、警視庁の警察官(複数)から執拗な尾行、嫌がらせをうけたというもの。天皇制反対の思想が怪しからんはずもなく、その表現が規制される言われはない。当然のことながら、東京弁護士会は、警視庁の行為を人権侵害と断じて、再発のないよう強く警告をした。その警告書の全文を、転載しておきたい。
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2023(令和5)年3月20日
警視庁 警視総監 小 島 裕 史 殿
東京弁護士会 会 長 伊 井 和 彦
人権救済申立事件について(警告)
当会は 、 申立人V氏からの人権救済申立事件について 、当会人権擁護委員会の調査の結果、貴庁に対し下記のとおり警告します。
記
第1 警告の趣旨
貴庁所属の警察官らは、貴庁の職務活動として、2013(平成25)年10月11日から2014(平成26)年4月17日までの間に、別紙1記載のとおり、少なくとも5名(A、B、C、D、Fと表記)のうち1人または複数により申立人を公然と尾行・監視する等の行為を行った(以下、「本件尾行行為等」という。)。
貴庁の警察官らによる上記職務活動は、申立人のプライバシー権、表現の自由、思想・良心の自由を侵害する違法な行為であり、重大な人権侵害行為である。
よって、当会は貴庁に対し、貴庁自身が上述のような人権侵害行為の重大性を十分に認識・反省した上で貴庁所属の警察官への指導・教育を徹底するなどして、今後、貴庁の警察官がこのような人権侵害を行わないよう強く警告する。
第2 警告の理由
1 認定した事実
(1)申立人について
申立人は、W市に在住する者であり、日本に天皇制があることに反対する旨の意見をもち、また、「X」と称する市民団体に所属する者である。
(2)本件尾行行為等に先立って、次の事実があった。
2013(平成25)年10月、申立人は国民体育大会が開催された「Y」から天皇皇后夫妻(当時。現在の上皇、上皇后)が車で帰路につく際、その沿道で、1人、平穏な態様で「もう来るな W市民」とマジックで書いた横断幕を掲げた(以下、「本件抗議活動」という。)。
本件抗議活動 は、天皇制 に 批判的な考えをもつ申立人が自由な表現行為として行ったものであり、 天皇皇后の帰途 や警備活動を妨げるものではなかった。
ところが 、申立人は 、私服刑事に両腕を掴まれて待機を命じられた。その後 、数十人の私服刑事に取り囲まれ 、その場に拘束されたほか 、質問を浴びせられたり 、非難等 をされた りした 。申立人 が 、大声で抗議し続けたところ 、20分ないし30分後に解放された。
(3)本件尾行行為等
申立人の供述によれば、本件抗議活動の後、貴庁所属の警察官ら少なくとも5名(A、B、C、D、Fと表記)は、貴庁の職務活動として、別紙1記載のとおり2013(平成25)年10月11日から2014(平成26)年4月17日までの間、少なくとも21日にわたり1人又は数人により申立人に対し尾行したり、つきまとうなどの行為をした。その態様は、遠くから尾行・監視する場合もあれば、申立人が認識しうる形で申立人のすぐ近くに迫るなどして尾行・監視することもあった。また、申立人の行動を監視している旨告げたり、必要もないのに申立人の就業先をわざと訪ねたり、申立人やその家族である幼い娘の写真を撮影する等の行為を行った。
(4)上記の申立人の供述は、以下の点において、申立人から提出された資料及び当会の調査に基づく資料による 客観的な裏付けがあり、信用することができる。
ア Aは、貴庁が所有し久松警察署が管理する自動車登録番号「Z」の車両に乗車しながら本件尾行行為等を行っている(別紙1?、別紙2、別紙3)。
イ Aが行った本件尾行行為等は、別紙1?、?、?、?について、
申立人、申立人の妻、申立人の協力者が撮影した画像、動画の裏付けがある。
ウ Bが行った本件尾行行為等は別紙1?、Dが行った本件尾行行
為等は別紙1?について、申立人、申立人の協力者が撮影した画
像、動画の裏付けがある。
(5) 当会は貴庁に対し、 申立人の上記供述 及び客観的な裏付け資料等に基づき、本件について平成27年9月4日付け照会書 により、事実関係等について詳細な照会を行った。
しかし 、これに対し貴庁は、 同 年10月2日付回答書において 、
「ご依頼の照会事項につきましては、貴意に沿いかねます。」と回答し、全ての照会事項について回答を拒否した。このような貴庁の回答拒否は、当会の行う人権救済活動の目的、趣旨に照らし、きわめて遺憾であるといわざるをえない。
(6) 以上のとおり、 当会は、申立人からの事情聴取、申立人から提出された 資料、当会の調査による資料 、貴庁による本件の回答拒否等を含めて、本件に関する事情等を総合的に検討して 、貴庁所属の警察官であるA、B、C、D、F が職務行為として本件尾行行為等を行ったことを事実認定したものである。
なお、申立人は、 本件尾行行為等を行った 者の氏名を知ることができないためにA ?Fとして特定した。当会も本件警告をするにあたって上記 A ? Fをそのまま用いることとし、その上で貴庁の警察官とは認定できなかったEを除外したものである。
2 本件尾行行為等の違法性及び人権侵害性
(1)本件尾行行為等の違法性
ア 大阪高裁昭和51年8月30日判決(判例時報855号115頁)は、当該事案において、警察官が尾行している対象者に気付かれ、抗議を受けた後も尾行行為を継続したこと自体は違法とはいえないが、「如何なる態様、程度の尾行行為をも許されるわけ
ではないことは、警察法二条 二項、警職法一条 二項の趣旨に照らして明らかであり、どのような態様、程度の尾行行為が許されるかは、いわゆる警察比例の原則に従い、必要性、緊急性等をも考慮したうえ、具体的状況の下で相当と認められるかどうかによっ
て判断すべきものと解すべきである」と判示して、最高裁昭和51年3月16日決定(判例時報809号29頁)を引用し、警察官が対象者の後方わずか数メートルの至近距離範囲内を尾行(密着尾行)した行為は、「実質的な強制手段とはいえないにしても、前記のような判断基準に照らし相当な尾行行為であるとは到底認め難く、違法であるといわなければ ならない。」と結論づけている。
イ Aら警察官は申立人に対して捜査する必要を有していたわけではないと考えられる。このことは、 ?本件尾行行為等のきっかけは、申立人の本件抗議活動であることは明らかであること、? 申立人は本件尾行行為等の前、本件尾行行為等の 期間中 、犯罪行為
は行っていないこと、 ? Aら警察官は申立人の事情聴取を全く行っていないこと等から認められる。
そして、本件尾行行為等の態様、回数、頻度、期間等からすれば、本件尾行行為等の目的は、?本件抗議活動への報復・いやがらせ、?申立人に対して将来的に本件抗議活動のような反天皇制の表現活動をさせないために心理的圧迫を加えること、?申立人に関する情報収集活動、の3点であると考えられる。
以上よりすれば、 上記裁判例に照らしても、 本件尾行行為等には、正当な目的や 必要性、相当性は 到底認められず、違法であることは明らかである。
(2) 申立人の プライバシー権、表現の自由、思想・良心の自由に対
する侵害
ア プライバシー権の侵害
本件尾行行為等は、申立人を尾行するか、尾行を伴わないものであっても申立人の行動を注視するものであるから、申立人の私生活を公権力が意図的にうかがい知るものであり、プライバシー侵害の可能性がある。それがプライバシーの侵害にならないとい
えるためには、本件尾行行為等を正当とする理由が必要である。
しかし、上述のように、A らが行った本件尾行行為等には正当な理由、必要性、相当性等は 認められない。したがって、本件尾行行為等により、正当な理由等がなく申立人の日常生活が公権力に監視されたのであるから、プライバシー権の侵害があったことが明らかである。
イ 表現の自由の侵害
申立人は、天皇制に反対の考えをもっており、天皇はそのような市民がいることを知るべきだ、との思想(考え)のもとに、 2013( 平成25 ) 年10月、「もう来るな W 市民」とマジックで書いた横断幕を天皇・皇后の乗る車両から見えるようにして
掲げるという本件抗議活動を行った。
本件抗議活動は 表現の自由の1つの形態である。 また、本件抗議活動は、警備活動を妨げるものではなかったし、また、どのような法令に抵触するものでもなかった。
ところがAらの警察官は執ように本件尾行行為等を行った。本件尾行行為等は、客観的にみて、同様な行為を今後行うことをためらわせるのに十分な威迫力をもつ。申立人も、つきまとわれることによる精神的苦痛を感じており 、 既に萎縮的効果が十分に発生している。
他方、上述のとおり、Aら警察官による本件尾行行為等には正当な理由や必要性、相当性等は認められない。
したがって 、本件尾行行為等は申立人の表現の自由 の侵害にあたる。
ウ 思想・良心の自由の侵害
申立人は、天皇制に反対の考えをもっており、天皇はそのような市民がいることを知るべきだ、との思想をもっている。この申立人の思想は憲法で保障されるものである。
ところが、この思想の表現行為として申立人が本件抗議活動を行ったところ、本件尾行行為等が行われたものである。
上述のように、本件尾行行為等には 、正当な理由や必要性、相当性等は認められず、 本件抗議活動と同様の 表現行為をすることをためらわせるに十分な威迫力を有するものである。
そもそも、本件尾行行為等の目的は、上述のように、 ?本件抗議活動への報復・いやがらせ、?申立人に対して将来的に本件抗議活動のような反天皇制の表現活動をさせないために心理的圧迫を加えることであると考えられる。
したがって、本件尾行行為等は、申立人の思想・良心の自由の侵害にあたる。
3 結論
以上のとおり、本件尾行行為等は、重大な人権侵害行為である。
また、本件尾行行為等が、申立人のみならず申立人以外の国民に対しても行われるとすれば、国家による監視社会の形成・思想統制につながりかねず、民主主義の根本を揺るがす深刻な事態を招くことになる。
よって、当会は貴庁に対し、警告の趣旨記載のとおり警告する。
第3 添付書類
別紙1 尾行・監視行為等の一覧表
別紙2 貴庁警察官のうちA、B、Dの写真、車両の写真
別紙3 原簿情報照会
以上
(2023年3月15日)
対象弁護士(被懲戒請求人)代理人の東京弁護士会の澤藤と申します。23期です。1971年4月に弁護士となって以来、司法はどうあるべきか、司法の一翼を担う弁護士は、あるいは弁護士会は如何にあるべきかを考え続けてきました。その立場から本件綱紀委員会の議決を拝読して、どうしても一言したいと思い立ち、その機会を得ましたので、意見を陳述いたします。
まず申しあげたいことは、弁護士の社会的発言に対して、とるべき弁護士会の基本姿勢についてです。弁護士会が、弁護士の品位保持の名のもとに、軽々に弁護士の表現の自由を規制してはならないということです。
弁護士の言論に対して、権力的な、あるいは社会的な圧力があった場合に、断固として当該弁護士を擁護すべきが弁護士会本来の責務です。綱紀委員会の議決には、その基本姿勢が欠落していると指摘せざるを得ません。
今の状況を大局的に見れば、対象弁護士がツィッターで少数者の人権を擁護する立場からの社会的発言をし、これを快しとしない社会の多数派を代表する形で、懲戒請求人がその表現の規制を求めて弁護士会に懲戒請求をしている、という構図です。
本件綱紀委員会議決の理由にも意識されていますが、一般の「表現の自由保障範囲」と、弁護士がその使命である基本的人権擁護のためにする「表現の自由の保障範囲」とは自ずから異ならざるを得ません。弁護士が弁護士であることを前提に社会的な発言を行うに際しては、それに対する異論があることは当然として、その表現の自由はより広く保障されなければなりません。「弁護士の表現の自由は制約されてしかるべき」などと、弁護士会が言ってはなりません。
いま本件において貴弁護士会がなすべきことは、少数者の人権擁護を趣旨とする対象弁護士の当該発言の自由を保障する立場を貫くとともに、懲戒請求者と社会に対して、その理由の説明を尽くすべきことと考えます。
弁護士法1条1項に定める弁護士の使命としての「基本的人権の擁護」は、けっして法廷活動のみにおいてなされるものではありません。弁護士は、多面的な社会的活動に携わります。その中で最も貴重なものは、埋もれている新たな人権を見つけ、育て、確立して行く活動です。対象弁護士がいま携わっているのは、まさしくそのような活動です。
少数者の人権は、権力や社会的な多数者の圧力と抗う中で、育まれて確立に至ります。今、生成中の新たな人権の芽を、弁護士会が摘むことに加担してはなりません。
弁護士法1条1項は、『弁護士の使命』として「人権の擁護」を掲げています。56条によって弁護士に求められる「品位」という要請は、人権の擁護という大原則の遂行に附随して求められるものです。本来、弁護士の使命である人権擁護の姿勢に徹することを以て、弁護士の品位評価の基準となると考えるベではありませんか。
「人権の擁護」と「品位の保持」。この両者を統一的に理解すべきではありますが、しからざるものとしても、両者の重みの違いを十分に認識しなければならないところです。弁護士の活動の根幹と枝葉とを混同することのないよう、お願いする次第です。
人権擁護活動の一端である対象弁護士の行為を、極めて曖昧で分かりにくい「品位に欠ける」との評価で、懲戒処分を科するようなことをしてはなりません。
(2023年2月13日)
私が所属する東京弁護士会では、23年度役員選挙・常議員選挙が、先週金曜日の2月10日に行われる予定だった。が、今年は定員を上回る立候補者がなく、結局無投票で立候補全員が当選となった。やや寂しいという感を否めない。議論なくして役職のみがある弁護士会の姿は必ずしも正常ではない。
弁護士会の在り方については、本来侃々諤々の議論があってしかるべきである。その議論に市民が関心を寄せて欲しいとも思う。在野を貫く真っ当な弁護士会のあり方は、けっして弁護士のみの利害に関わるものではない。市民の権利や自由や民主主義に関わる。さらには、社会の公正さや平和にも。
無投票となった選挙だが、立派な選挙公報が届いた。会長候補者松田純一弁護士の長文の選挙公約には、「4.弁護士の使命を果たすために」の節があり、中にはこういう記述がある。
(1)人権問題への対応
弁護士法第1条第1項及び第2項に掲げる人権擁護・社会的正義の実現、そして、法律制度の改善は弁護士の使命です。東弁は、普遍的価値とされてきた人権、現代的な人権、近未来に生成されるべき人権にしっかり対応しなければなりません。
子ども、高齢者・障がい者、女性、性的マイノリティ、外国人、消費者、犯罪被害者、えん罪被害者等のいわゆる社会的弱者の権利。IT化を含む民事・刑事司法制度改革、再審法改正課題、取調べの可視化実現、貧困・格差問題、差別やヘイトスピーチの問題。死刑制度廃止と刑罰制度の改革等々、日弁連と東弁がこれまで取り組んできた諸課題に全力で取り組みます。SDGsを踏まえて、ビジネスにおける人権尊重という視点にも光を当てたいと思います。
……
(4)憲法的価値について
私の伯父は戦死し、私は戦後の傷跡が残るなかで育ち、平和憲法を誇りとする教育を受けて成長しました。ところが、ウクライナ侵攻を機に現在、十分な問題点の指摘や国民的議論や国会における熟議もないまま、敵基地への反撃(攻撃)の政府提言へと急転回する動きがあります。基本的人権の尊重、国民主権、恒久的平和主義など憲法的価値に関わる問題については、東弁内においても議論を尽しながら毅然と対応します。
これが、全国最大規模の単位弁護士の次期会長の弁である。通り一遍で不十分だという批判もありえようが、これだけのことを全会員に公約していることを貴重だと思う。
さて、全会員に送付された選挙公報の内容はともかく、第1面の記載に、視覚的にギョッとさせられた。
会長・副会長・監事・常議員・そして日弁連代議員の候補者一覧表が出ているのだが、そのすべてに、生年月日と登録年月日付記されている。これが全て元号なのだ。私は、昭和も平成も令和もなじめない。昭和・昭和・昭和そして平成・令和である。これを見ていると目が痛くなる。クラクラする。なぜこんな不便で不愉快な道具を使おうというのだ。
さすがに、ところが各候補者のコメントは全て西暦表記となっている。このコントラストがあまりに鮮やかなのだ。
選挙公報には、会長(1名)・副会長(6名)・監事(2名)の計9名の候補者が略歴と所信を述べている。会長候補は全文西暦表記である。副会長候補6名全員もそうなのだが、一人だけが括弧を付けて元号を併用している。幹事候補2名も西暦表示だが一人だけが括弧を付けて元号を併用している。
つまり、9人の候補者の内の7人が西暦単独表記、2人が西暦・元号併用なのだが西暦をメインとしている。元号のみはゼロ。元号をメインとしていた併用派もゼロなのだ。これが通常の感覚ではないだろうか。
しかし、候補者個人の文章ではなく、弁護士法に則った弁護士会の公的な文書となると、元号オンリーの不気味な世界となる。これは奇妙だ。弁護士会は、どの官庁からも命令を受ける立場にない。元号使用を廃して、西暦単独でよいはずなのだ。
不便極まりない元号の使用、しかも近代天皇制が発明した一世一元の旧時代の遺物。すみやかに西暦表記に切り替えていただきたい。それまで、目の痛み、目のクラクラが治まらない。
(2022年6月1日)
私の古巣である東京南部法律事務所から電話があった。「よい報せではありませんが…」という前置き。これは訃報だ、と覚悟した。案の定、坂井興一さんが亡くなったという報せだった。
亡くなったのは5月21日だったが、ご家族の意向が「皆様へのお知らせは身内だけの葬儀を済ませたあとに」とのことだったという。コロナ禍の所為というよりは、いかにも坂井さんらしい。
坂井さんとは半世紀以上の付き合い。6年間同僚として机を並べた間柄。私より2期上の身近な先輩。新人弁護士として指導も受け、大きく感化も受けてきた。あるとき、真顔で「君には思想があるか。命を掛けても貫こうという思想が…」と言われて戸惑った覚えがある。「そんなものはない」とだけ答えたが、「思想よりも命の方がずっと大切ではないか」と言えばよかった。それだって立派な思想ではないか。
私とは同郷と言ってもよい。岩手県南の陸前高田出身で県立盛岡一高から現役で東大法学部に進学。在学中に司法試験に合格している。おそらく、生涯を通じて試験に落ちた経験のない人。囲碁の達者でもあった。
その経歴は、官僚か裁判官、あるいは企業法務をやってもよかろう人だったが、すんなりと労働弁護士としておさまり、その立場を生涯貫いた。そして、あの〈奇跡の一本松の〉【陸前高田市・ふるさと大使】を務めてもいた。
坂井さんについて思い出深いのは、東弁講堂「日の丸」掲額撤去事件である。
かつて、東弁旧庁舎の大講堂正面には、額に納まった大きな日の丸が掲げられて参集者を睥睨していた。古色蒼然というよりは、アナクロこれに過ぎたるはなしと評するにふさわしい。私は、東弁に登録して弁護士になったとき、その講堂で宣誓式に臨んだが、この大きな「日の丸」が目に入らなかった。目に入らぬはずはないが、大して目障りとは思わなかったのだ。
その後私は、岩手県弁護士会に登録を移し、11年を経た1988年夏に東弁に再登録した。そのとき同じ東弁講堂で2度目の宣誓をした際に見上げた「日の丸」が、この上ない異物として目に突き刺さった。これは何とかしなくてはならない。そう考えたのは、岩手靖国違憲訴訟を担当しての意識変革があったからである。
私は、東京弁護士会運営の議会に当たる「常議員会」の委員に立候補して、その最初の会議の席で「日の丸の掲額は、弁護士会の理念に関わる問題と捉えねばならない」「東弁はこの講堂の『日の丸』を外すべきだ」と訴えた。
そもそも「日の丸」は、国家のシンボルであって在野を標榜する弁護士会にふさわしいものではない。「日の丸」は日本国憲法とは相容れない軍国主義や侵略戦争とあまりに深く結びついた歴史を背負っている。憲法の理念に忠実であるべき弁護士会が掲げるに値しない。「日の丸」という価値的な評価の分かれるシンボルをあたかも、全東弁会員の意向を代表するごとくに掲額してはならない。
一弁講堂には、「日の丸」ではなく、「正義・自由」との額が掲げられている。それに比較して東弁は恥ずかしいと思わねばならない、とも言った記憶がある。
もちろん、これに異論が出た。当時、家永訴訟の被告側代理人だった弁護士から、このままでよいという発言があった。「日の丸」は国民全体のシンボルと考えて少しもおかしくない。何よりも、先輩弁護士たちが長く大切にしてきたものをわざわざ降ろす必要はない、というようなものだった。
幾ばくかの議論の応酬のあと、いったん執行部がこの議論を預かり、「日の丸」掲額の経緯や趣旨について調査をし、その報告に基づいて再検討ということになった。
このときの東弁副会長で、この問題を担当したのが坂井さんだった。けっして私と示し合わせたわけではない。本当に偶然の成り行き。まずは、この額を外して、実況見分したところ、太平洋戦争直前の時期に、弁護士会から戦意高揚のためにどこかに奉納した幾品かのうちの一つで、額からは「武運長久」「皇国弥栄」などの添え書きもあったという。
結局、どうしたか。「調査のために一度外した額ですが、とても重い。建物の劣化もあって壁面に再度取り付けることは危険で事実上不可能と判断せざるを得ません。もうすぐ新庁舎に移転することでもありますし、壁面の補修の予算は取れません」「やむを得ない事情として、ご了解ください」
これが、坂井さんらしい収め方だった。この期の理事会は、取り外した「日の丸額」を再取り付けはしないこととした。新庁舎に日の丸がふさわしいわけがない。右派も、「日の丸を掲げよ」などと提案できるはずもない。こうして、今東京弁護士会は「日の丸」とは無縁なのだが、これは坂井興一さんのお蔭でもある。
(2022年2月7日)
弁護士は、民事訴訟では当事者の訴訟代理人となり刑事事件では弁護人となって、相手方弁護士や検察官と対峙する。本来闘う相手は、相手方弁護士であり検察官であって、裁判官ではない。
裁判官は、言わば行司役である。力士は行司と闘わない。あるいは採点競技の審判員。フィギュアのスケーターは審判員とは争わない。法廷における弁護士ないし弁護団にとっても、裁判官は節度をもって接すべき説得の対象であって闘う相手ではない。これが平常時のセオリーである。
しかし、非常時となれば話は別だ。ときには口角泡を飛ばしても裁判所と対決しなければならないこともある。最近、あまり弁護団と裁判所の法廷内の厳しい衝突を聞かないが、1月28日(金)午後、東京地裁102号法廷において「非常時」出来の報に接した。
2月5日赤旗の報道を引用する。「裁判官が突然退廷」「東京地裁 『弁論権侵害』原告ら会見」という見出し。この見出しどおりの、奇妙なことが起こった。奇妙なだけではなく、看過できない問題をはらんでいる。
戦争法(安保法制)違憲訴訟は、現在全国の22地域に25件の事件が係属しており、その原告総数は7699名になるという。東京では3件の訴訟が提起され、その一つが、「安保法制違憲訴訟・女の会」の提訴事件。原告121人と弁護団の全員が女性だけの国家賠償請求訴訟。係属裁判所は、東京地裁民事6部(武藤貴明裁判長)。この訴訟で事件が起こった。当日の法廷は東京地裁102号。通常は刑事専用の「大法廷」である。
原告と弁護団は4日、司法記者クラブで記者会見を開いた。会見での説明は、「口頭弁論の最中に裁判官たちが突然退廷したことで弁論権を侵害された」ということ。
1月28日午後の口頭弁論期日では開廷後30分間、弁護士3人が更新弁論の陳述を行った。4人目の弁護士が発言しようと起立し、「今後の立証について…」と意見を述べ始めたところ、それを遮るように裁判長が右手を差し出し、陪席裁判官に目配せした上で後ろの扉から退廷した、という。
このときに裁判長は何らかの発言をしたようだが、小声で聞き取れなかった。代理人弁護士が『裁判長に戻ってきていただきたい』と書記官に求めたところ、1時間以上も待たされて『裁判長は来ない。閉廷した』と告げられた。これが、閉廷までに生じた顛末の全てのようなのだ。ここまでは、裁判長の訴訟指揮の問題。しかし、より大きな問題が法廷外に生じていた。
およそ2時間後、原告・弁護団・傍聴人が法廷を出ようとすると、廊下に警察官を含む数十人の警備要員と柵がバリケードのように配置されていた、という。その人数は、60人にも及んでいた。これは、懐かしいピケである。弁護団は民事6部に出向こうとしたが、このピケに阻まれた。弁護団は、原告らが移動できない状態で「威圧された」とし、この過剰警備の法的根拠を明らかにするよう求めている。
この事態は、裁判所の側から、非常事態のスイッチを入れたことを意味している。一見和やかに見える民事訴訟の審理だがそれは平常時でのこと。非常時には強権が顔を出す。
法廷内では、裁判長は強い訴訟指揮権をもっている。場合によっては法廷警察権の行使も可能である。訴訟指揮の権限は民事訴訟法上のもの(同法148条)だが、法廷の威信を保ち法廷の秩序を維持するために、裁判所法(71条1項など)は法廷警察権を明記している。法廷において裁判所の職務の執行を妨げたり,不当な行状をする者に対して退廷を命じることなどができる。その権限行使にあたっては,廷吏のほか警察官の派出を要求することもできる。
さらに、「法廷等の秩序維持に関する法律」(略称「法秩法」)というものがある。
裁判官の面前で,裁判所がとった措置に従わなかったり,暴言,暴行,喧騒そのほか不穏当な言動で裁判所の職務執行を妨害したりした場合、直ちに20日以下の期間での「監置」を命じることができる。これは恐い。
法廷の外で裁判所の敷地内では、司法行政当局の庁舎管理権が幅を利かせることになる。裁判所構内への横断幕やプラカード持ち込み禁止、シュプレヒコール禁止、撮影禁止、禁止、禁止…は、この当局による庁舎管理権の行使によるものである。しかし当日、警察を呼ばざるを得ないような警備の必要がどこにあったというのか。
いうまでもなく司法とは権力の一部であり、司法作用も権力作用の一部ではある。だから、非常時には強力な実力行使が可能という制度は調えられている。とはいえ、文明が想定する民主主義国家の司法とは、国民の納得の上に成立するものでなければならない。軽々に非常時のスイッチを入れてはならない。裁判所も、司法行政も、そして在野法曹も。
普段は猫のように見えても、非常時のスイッチが入れば司法は虎となり得る。うっかり虎の尾を踏むと監置にもなりかねない。警察と対峙せざるを得なくもなる。しかし、今回の事件、とうてい弁護団が不用意に虎の尾を踏んだようには見えない。
むしろ、係属裁判所も東京地裁当局も、「安保法制違憲訴訟・女の会」とその弁護団を過剰に恐れた故の事件だったのはないだろうか。どうも、裁判所は虎でなく、猫ですらなく、鼠だったごとくである。過剰に弁護団に対する恐怖に駆られて窮鼠となり、猫を噛んだとの印象が強い。裁判長にお願いしたい。法廷では、もっとフランクに、代理人席にも傍聴席にもよく聞こえるように発語願いたい。そして、けっして強権が支配する裁判所にはしないように配慮していただきたい。今回のごとき無用の強権発動は、結局のところ、国民の司法に対する信頼を失わしめるものなのだから。
(2022年1月29日)
日本弁護士連合会の会長選挙は2年に一度。現在その選挙の真っ最中で2月4日(金)が投開票日、1月31日から「不在者投票」が始まる。コロナ禍・第6波のさなかの選挙に「郵便投票」の制度はあるが、「遠隔、長期疾病等」に要件が限られ使い勝手は頗る悪い。もう、郵便投票は締め切られた。投票率に影響するかも知れない。
立候補者は、受付順に下記の3名。どの候補者も、憲法問題や人権・民主主義、そして弁護士自治、司法権の独立などの基本課題について、それなりの見識を示している。「ともかく、弁護士会費を値下げしろ」「人権課題への取り組みをやめよ」「一切の政治課題とは手を切れ」「政財界と歩調を合わせろ」などという、乱暴な主張はない。
? 及川智志弁護士(51期・千葉県弁護士会)
? 小林元治弁護士(33期・東京弁護士会)
? ?中正彦弁護士(31期・東京弁護士会)
選挙公報における各候補者の公約は、下記の日弁連サイトで見ることができる。
https://www.nichibenren.or.jp/news/year/2022/220114.html
詳細な公約は、各候補者の公式ホームページをご覧いただきたい。
https://2022kobayashimotoji.com/
https://2022takanakamasahiko.jp/
https://oikawasatoshi2022.com/
そして、いつもながら大阪の山中理司弁護士のブログが、周辺情報を満載している。
https://yamanaka-bengoshi.jp/2022/01/10/2022kaityousenkyo-rikkouhosha/
もちろん、各候補者には、以下のようなそれぞれの独自色がある。
(1) 弁護士人口はその需要に比して既に過飽和の事態にある。まずは、弁護士の増加に歯止めを掛けなければ、弁護士の経済的な逼迫の進行が人権課題への取り組みを不可能にする。その対策が喫緊の課題と強調する候補者。
(2) 若手弁護士の業務支援への理解と実績を誇り、非弁対策問題、隣接士業との業際問題で、弁護士の利益を擁護してきたことを強調する候補者。
(3) そして、立憲主義・平和主義と基本的人権の擁護を政策の第一に掲げる候補者。
弁護士の使命は人権の擁護にあり、弁護士がその使命を果たすための制度的な保障として弁護士自治がある。弁護士が権力から独立し、民衆の側に立って、権力の暴走による民衆の自由や人権を擁護する活動のためには、弁護士自治が保障されなければならない。
弁護士の自治は、けっして永遠不滅のものではない。保守政権にとっては、目の上のコブであるこの制度は、潰せるものなら潰してしまいたいに違いない。ちょうど、学問の自由が政権運営への桎梏であるように。
日本学術会議を潰しにかかっている現政権である。折りあらば弁護士自治にも牙を剥くであろうことは、不思議ではない。だから、弁護士は国民からの信頼を勝ち得なければならない。その意味で、弁護士会の選挙は国民的な関心事でなければならない。
全員加盟制の弁護士会である。だからこそ合意形成は難しいが、だからこその発言は法律専門家集団としての重みをもつことになる。
私が所属する東京弁護士会の会長選・副会長選も始まっており、候補者からの選挙葉書が届いている。概ね、その言や良し、である。主要なキャッチフレーズとして、「憲法とともにある弁護士会に」「足もとの弁護士自治にかがやきを」「弁護士自治を堅持し、多様性を増進する」「人権と社会正義を実現する東弁」「憲法価値の尊重・人権問題への取り組み・弁護士自治の堅持」等々の言葉が並んでいる。
このような理念の訴えが、まだ選挙公約として有効なのだ。この弁護士会全体の雰囲気を大切にしたいものと思う。弁護士会が理念を失って職能の利益団体と化すれば、たちまちにして国民の信頼を失うことになろう。それは、民主主義や人権にとっての由々しき事態。心したいものと思う。
(2021年11月14日)
自由法曹団本部からずしりと重い封書が届いた。中身は、B5版サイズで200頁を超す冊子。その表紙にこうある。
2011?2020
この10年に亡くなられた
自由法曹団員を憶う
自由法曹団は「ひろく人民と団結して権利擁護のためにたたかう」ことを標榜する弁護士だけの団体である。団は今年創立100周年を迎えた。この追悼集も数々の記念企画の一つである。この追悼集に収められたこの10年の物故団員は115名におよんでいる。
懐かしい先輩団員の名前が並んでいる。私と同期の弁護士も、同じ事務所で机を並べて仕事をした人も。若くして亡くなった方も…。一人ひとりの追悼文が、それぞれに胸を打つ。
その115名の冒頭にあるのが後藤昌次?さん(2011年2月10日没・享年87)である。追悼の文章は鶴見祐策さんが書き下ろしている。いかにも鶴見さんらしい筆致で、真正面からの後藤昌次?論。初めて知ることばかり。中に、こうある。弁護士の事件に対する向き合い方として、これ以上の讃辞はない。
「松川事件上告審弁論における弁護側の陳述は全部で37名の72項目にわたるが、そのうち10項目を後藤昌次?さんが担当しておられる。『実行行為ー自白の誘導の破綻』『高橋被告の身体障碍』『任意性判断の羊頭狗肉』『虚構の経過とその破綻』『官憲の偽証を論ず』などだ。いずれも松川裁判の根幹にかかわる論点だが、原審の公判調書にインク消しによる改ざん(刑事訴訟規則59条違反)の痕跡が400箇所もあるとされる『公判調書の改ざん』も出色と思う。この指摘はご自身が膨大な公判調書を隅から隅まで克明に検討された事実を物語っている」
後藤昌次?って誰? という方には、下記の『法と民主主義』2005年6月号の連載インタビュー「とっておきの一枚」『草笛は野づらをわたり」(訪ね人 佐藤むつみ弁護士)をご覧いただきたい。
https://www.jdla.jp/houmin/2005_06/06.html#totteoki
その記事での略歴紹介欄には簡潔に次のように記されている。
後藤昌次郎
1924年、岩手県北上市に生まれる。
1954年、東大法学部を経て弁護士。以後、松川・八海・青梅事件、日石・土田邸事件など多数のえん罪・弾圧事件に関わる。
1992年、東京弁護士会人権賞授賞
私が後藤さんに親しみを感じているのは、後藤さんが黒沢尻(現北上市)の出身で、私の父と同じ旧制黒沢尻中学の後輩筋に当たるから。そして、湾岸戦争への戦費支出の差止を求めた「ピースナウ! 市民平和訴訟」での法廷活動を共にしたからでもある。
私が先輩弁護士から後藤昌次?の名を教えられたときには、その名は既に伝説の中にあった。「およそ名利と無縁で、弁護士としての仕事に妥協のない人。かつて、収入が乏しく、生活保護を受けながら弁護活動を行った。おそらくは、生活保護を受けた唯一の弁護士」というものだった。
佐藤むつみインタビューでは、「医療扶助は受けたが、生活扶助は受けていない」ということのようだが、私が耳にした伝説はそれほど真実と懸け離れてもいないようだ。
後藤さんの凄いところは、自分に対する毀誉褒貶をまったく気にするところがないこと。およそ、政治的な思惑で動くところはない。だから、誰とも等距離で付き合えるが、同時に政治性が足りない統一戦線的ではないと批判されたりもする。過激派と近いと陰口されたり、そんな事件に没頭する意義があるのかと揶揄されたりもする。しかし、人権擁護というものは政治性とは無縁であり、重要性の大小などあり得ない、というのが後藤さんの信念であったに違いない。その意味では、みごとな一典型としての弁護士であった。
以下、佐藤むつみが語る後藤昌次?像である。
草笛の音色はリリカルである。もう何十年も前になるが、後藤先生は四谷の住人だった。四谷税務署の裏にちょっとし公園がある。ジャングルジムやブランコがある公園の片隅で後藤先生は草笛を吹いていた。公園の低木の茂みごしに、小柄で痩身、両手を口元にあてちょっと前傾するような立ち姿が見えた。昼下がりの街、そこだけ不思議な野の風が吹いているようだった。かすかに草笛の音が聞こえた。弁護士になってまだ数年だった私は修習生時代に聞いた先生の逸話をふと思い出した。「孤高の刑事弁護人は生活保護を受けながら事件をやっていた」。弁護士ってこんな生き方ができるんだ。都会の真中、同じ町に先生がいる。なんだかうれしかった。
当時先生は六〇代。大きな刑事事件を抱えて忙しい日々を送っていたに違いない。岩波新書の「冤罪」を発刊したのが一九七九年四月。私も読んだ。自分とは次元の違う弁護士、遠く仰ぎ見る人であった。二〇〇五年五月、このインタビュウをと思っていたそのとき、地下鉄丸の内線の最後尾の車両すぐ側に先生がいた。勇ましい白髪、野人の風格の先生。二〇年前と同じ野の風が吹く。先生は地下鉄の音で聞き取りにくいのか私の方に耳を傾けるようにする。「入れ歯にしたのでちょと」「このごろ物忘れが」などと言いながら私の強引な話に付き合ってくれる。「入れ歯でも草笛は吹けるんですか」思わず聞いてしまった。「それができるようになりました」よかった。
後藤先生は今年八一歳になった。一九二四年、岩手県の県都盛岡から一二里、汽車で一時間の黒沢尻町で生まれた。長男、下に弟妹がいる。家は貧乏だった。父親は便利屋をやったり奥羽山脈の中の鉱山の守衛をやったりしながら家計を支えていた。小学一年で落第、いじめにあった屈辱をバネに、後日長男の昌次郎君にはえらく教育熱心でつきっきりで勉強をさせた。学校で一番にならないと「飯を食わせない」。昌次郎君はこれによく耐えた。小学校を終えると昌次郎君は憧れの地元旧制黒沢尻中学へ進学を希望。父は「授業料はタダだから師範学校に入れ」と反対。何とかという昌次郎君に「一番で入ったら入れてやる」。昌次郎君はがんばったが四番だった。夕飯の時「親父がちっちゃい皿に鮪の刺身を買ってきた。私の家は貧乏でしたから一週間に一度くらいしか魚なんていうのは食えない。まして鮪の刺身なんか食ったことがない。ところが親父が鮪の刺身を買ってきた。『おどっチャ、きょう何かあるのすか』と言った。『ナヌゥお祝いだじゃ、お祝い』」。
昌次郎君は黒沢尻中学に無事入学。ところがスポーツ好きが高じて結核性の股関節のカリエスになってしまう。結核は当時死に至るおそろしい病だった。地元の病院で誤診され、誤った手術を受け、ろう孔ふさがらなくなってしまう。激痛に堪えかねて東北大学病院へ。言下にカリエスと診断される。「一生寝ていなくてはならない」との宣告。「父は私を助けるために、あやしげな民間療法にまで一縷の望みを託して、私のために文字どおり必死に尽くしてくれた。まもなく心労と過労で四三歳の若さで脳卒中で急死した」昌次郎君は父が亡くなる一月ほど前に混合感染を起こし膿がピタリぴたりと止まりろう孔もふさがってしまう。一〇人に一人に起こる不思議な現象に救われたのである。昌次郎君はそれでも寝たままであった。「父が死んで、私は長男として位牌を持って寺の葬式に臨まなくてはならない。おそるおそる立ち上がり、おそるおそる足を踏み出してみると、なんと悪い方の脚で立てるではないか。父の生きているうちにどうして思い切って立上ってみなかったろう」
カリエスの病根を残したまま昌次郎君は二年遅れて中学にもどる。肉体労働のできない昌次郎君には就職口など無い。「とにかく学校に行って勉強するよりほかなかった」「軍国主義が華やかな時代」「上級学校も兵隊になれないようなやつ」は取らなかったのである。「日本に唯一つ、わが校は人間を養成する学校であって、兵隊を養成する学校ではない」と公然と言っていた旧制一高だけが入れる学校だった。校長は哲学者安倍能成。一高であれば寮に入って家庭教師のアルバイトをすれば仕送りが無くてもなんとかいける。母と弟妹に迷惑はかけるがこの道しかない。受験勉強に全力を傾注した昌次郎君は一高にトップで合格する。
まずは文科で西田哲学を始める。いかに生きいかに死すべきかその答えを求めたが「一生懸命読めば読むほどわからない」。戦争に負けてみると西田哲学が砂上の楼閣のように思われる。本当の学問を求めて文科を中退し受験し直し理科に再入学する。ところが議論にまったくついていけない。後にフィールズ賞を受賞するような「特殊な天才」がいる。悪戦苦闘している数学の基本書を中学の夏休みに読んでしまったと言う不破哲三もいた。「寮にオルグに来ていた彼をつかまえて本当にわかっているのか聞いてみた。極めて明解に説明する。ボクはだめだと思いました」「常識でわかる学問」をやるしかない。
後藤先生の弁護士の第一歩は東京合同である。ストレプトマイシンでカリエスを抑えながら使っていた股関節は弁護士になってまもなく「結核菌ですっかり腐食して手のつけ様がない」ことになってしまう。その時一年半医療保護と知人友人のカンパで食いつないでいた。これが「生活保護で刑事弁護」神話の真実である。そして後藤先生はまた代々木病院で奇跡にあう。無名の名医の関節固定手術によって「多くの人は私の跛行に気づかなかったほど」になる。
「もしカリエスで脚が不自由とならなかったら、私は戦場で戦死し、妻と結ばれることも、愛する子らとこの星でめぐり会うことも無かっただろうこのありえたかもしれないもう一人の別の私の、かぎりない悲痛と孤独を思わなくては、あの戦争で生命を失った人々に対する冒涜となるだろう」と思い半世紀。八一歳になるまで後藤先生は多くの冤罪事件を闘い、刑事弁護人として法廷に立ち続けたのである。
二〇〇五年一月先生は『神戸酒鬼薔薇事件にこだわる理由「A少年」は犯人か』を発刊した。先生の渾身のこの書は「せいいっぱい書いたこの本が、A少年とご両親の目にふれますように」と結ばれている。冤罪を許さない気迫と限りないやさしさが切々と心打つ。
(2021年10月31日)
日弁連の機関誌「自由と正義」の冒頭に、「ひと筆」というコラムがある。毎回、一人の会員(弁護士)のエッセイが掲載される。面白いこともあれば面白くもないこともあるが、その最近号(2021年10月号)の大阪弁護士会・小久保哲郎さんの「一筆」をご紹介したい。
小久保さんは、労働弁護士としても生存権弁護士としても知られる人。その「ひと筆」のタイトルは「裁判所は生きていた」、生活保護基準引き下げを違法と断じた大阪地裁判決についてのエッセイである。ここには、自分を叱咤激励した先輩弁護士として、木村達也さんと尾藤廣喜さんの名が出てくるが割愛せぜるを得ない。全3節の内の第1節「1997年10月?申請書は”落とし物”?」だけを引用させていただく。
弁護士になって3年目の1997年10月のことだった。先輩弁護士から振られて、日本最大の日雇い労働者の街であった釜ケ崎の支援団体の相談を受けた。当時、大阪の街では、駅舎、公園、道路と至るところにホームレスの人がいて、裁判所と弁護士会前の河川敷にもブルーシートのテント小屋がぎっしりと立ち並んでいた。
「家がないんだから生活保護が受けられて当然」と思うのだが、当時は役所に行っても「家を借りてから来い」と理不尽なことを言われて追い返されていた。路上で行き倒れれば救急搬送されて入院中だけ生活保護が適用されるが、退院すればまた路上に放逐。後で知ったことだが、大阪だけで路上で死ぬ人が年間400人いると言われていた。
「昔のようにアパートで暮らしたい」。退院を控えたホームレスのおばあさんの願いを聴いた支援団体の人が、生活保護法の条文を読み込み、手書きの「居宅保護変更申請書」をつくって一緒に役所に持っていった。すると、職員が受け取りを拒否し、押し問答のすえ、「どうしても置いて行くなら、落とし物として扱いますっ!」と宣言したという。ウソでしょ?と思ったか、録音を聞いたら本当にそう言っていた。
当時の私は、生活保護法の「せ」の字も知らなかったので、社会保障に詳しい同期(47期)の友人に相談し、連名で代理人として抗議の内容証明を出した。慌ててとりなす電話か来ると思ったが来ない。こちらからかけてみたら、「先生は知らんと思うけど、生活保護は本人との話し合い。代理人とか言われても話すつもりはない」と言われた。弁護士にこの対応なら、「ホームレスのおっちゃんが一人で役所に行くと虫ケラのように扱われる」と支援者の人が言っていたのは本当だと思った。
とんでもない「無法地帯」を発見してしまった。おっちゃんたちが声をあげられないのをいいことに、ヤクザや悪質業者ではない、公務員による権利侵害がまかり通っている。“戦闘モード”のスイッチが入った私は、毎日のように担当者や上司に電話をかけまくった。そのうち、大阪市本庁にプロジェクトチームかできて、そのおばあさんは病院からアパートへの転宅(敷金支給)が認められる弟1号になった。
支援団体から次々と相談が持ちかけられるようになり、同期の友人ら5人で「野宿者に居宅保護を!弁護団」をたち上げた。皆で手分けをして、生活保護の申請に同行したり、代理人として審査請求を申し立てたり、野宿者から直接の居宅保護(敷金支給)を求める佐藤訴訟に取り組んだりした。そして、2000年12月の近畿弁護士会連合会人権擁護大会シンポジウム「ホームレス問題と人権」を皮切りに、弁護士会もホームレス問題や生活保護の問題に取り組むようになった。
この不合理な世の中の底辺で苦しんでいる人々に手を差し伸べる仕事が本来の弁護士の業務である。だが、ホームレスや生活保護受給申請者の権利を求める訴訟の法廷には、原告側だけでなく、被告の側にも弁護士が付いているのだ。労働問題でも消費者問題でも同様だ。もちろん、人権擁護派弁護士の報酬は薄く、人権切り捨て派の弁護士には厚い。これは、経済社会の合理性がしからしむるところ。
その献身性、その意欲、その行動力に脱帽するしかない。とうてい私には真似ができない。ここに出て来る《同期の友人でたち上げた「野宿者に居宅保護を!弁護団」》の5人こそが、弁護士の鑑である。こういう人々が、社会の弁護士に対する信頼をつなぎ止めている。私もその恩恵に与っている者の一人だ。
この小久保さんの「ひと筆」には、人権切り捨て派弁護士には味わいがたい、人権派弁護士ならではの生き甲斐や「弁護士冥利」が語られていて実に清々しい。ニューヨークのローファームでビジネス法務に携わりたいなどという俗物根性とはひと味もふた味も違うのだ。
(2021年10月22日)
本日、自由法曹団の創立100周年記念集会が開催された。
団の結成は、1921年。大戦前における最大規模と言われる、神戸の川崎・三菱両造船所争議をきっかけにするものだった。当時、友愛会神戸連合会の指導のもとに、神戸の川崎・三菱の全工場がストライキにはいったが、軍隊の出動にまで及んだ弾圧によって争議は鎮圧された。このときに、調査にはいった弁護士団を核に自由法曹団は結成されている。その出自から、「闘う弁護士」の組織であった。
広辞苑に、「大衆運動と結びつき、労働者・農民・勤労市民の権利の擁護伸張を旗じるしとする」と解説されているが、これでは不十分な紹介でしかない。何よりも、法的手段を駆使して権力と大資本に真っ向から闘うことをもって真骨頂としてきたのが自由法曹団なのだ。
団は、戦前においては、天皇制権力の暴虐と闘った。多くの団員が治安維持法で弾圧された共産党員を弁護し、そのゆえに自らも治安維持法の弾圧に遭い、弁護士資格を剥奪されてもいる。この困難な、戦前の先輩団員弁護士として、山崎今朝弥・布施辰治・上村進・古屋貞雄・小岩井浄・近内金光・神道寛次・天野末治・桜井紀などの名を挙げることができる。
大戦の進行とともに団は活動の逼塞を余儀なくされたが、戦後直ちに新生自由法曹団として復活した。以来、団は「あらゆる悪法とたたかい、人民の権利が侵害される場合には、その信条・政派の如何にかかわらず、ひろく人民と団結して権利擁護のためにたたかう」(規約2条)ことをスローガンとし実践してきた。
戦後の団は、平和、民主主義と人民の生活と権利を守るため、憲法改悪、自衛隊の海外派兵、有事法制、教育基本法改悪、小選挙区制、労働法制改悪などに反対する活動を行ってきた。
現代的な課題として、戦争法制(安保法制)など戦争する国づくりに反対する活動、秘密保護法に反対する活動、米軍普天間基地撤去を求め、辺野古新基地建設に反対する活動、議員定数削減に反対し、民意の反映する選挙制度を目指す活動、労働法制改悪に反対する活動、盗聴法の拡大と司法取引の導入に反対する活動、裁判員制度の改善と捜査の全面可視化を実現する活動、政教分離を確立する運動、思想・良心の自由を擁護する取り組み、東日本大震災と福島第一原発事故による被害者支援の取り組み、脱原発へ向けたとりくみなどを行っている。
さらに団と団員は、松川事件を典型とする刑事弾圧事件とも闘ってきた。その流れは、布川事件、足利事件、袴田事件などのえん罪裁判に及んで成果を挙げている。
そして今、団員の派遣労働者の派遣先企業への正社員化を求める裁判などの数々の労働裁判、生活保護受給を援助する取組、嘉手納爆音裁判などの基地訴訟、環境・公害裁判、税金裁判、消費者裁判などの様々な権利擁護闘争に取り組んでいる。日の丸・君が代強制反対のまた、国際的な法律家の連帯と交流の活動も行っている。
現在、団員弁護士数は約2100名。全国すべての都道府県で活動しており、全国に41の団支部がある。現在の役員は、団長・吉田健一(32期)、幹事長・小賀坂徹(43期)、事務局長・平松真二郎(59期)である。
青年法律家協会結成が戦後の1954年。日本民主法律家協会は1961年。当然のことだが、それぞれに結成の由来があり、それぞれに構成メンバーの属性も違う。一番老舗で、しかも闘う弁護士集団を標榜する自由法曹団の結成100年を祝したい。
なお、日本民主法律家協会も今年が結成60周年となる。こちらは来月、祝賀集会を開催し、「法と民主主義」の特別号を発行する。