澤藤統一郎の憲法日記

改憲阻止の立場で10年間毎日書き続け、その後は時折に掲載しています。

牧原秀樹議員よ、人権派弁護士への懲戒請求煽動ツィッターを消去せよ。

(2023年4月10日)
 牧原秀樹という自民党の衆議院議員がいる。埼玉5区の選出で、埼玉弁護士会所属の弁護士でもあるという。その人物の4月8日付ツィッターが、腹に据えかねる。弁護士としてあるまじきというレベルではない。政治家としても、市民としても許せない発言。国籍や民族の如何を問わず、人の命は等しく重いという公理を知ろうとしないこの人物に、一言なりとも物申さねば、腹が膨れて如何ともしがたい。

 まずこのツィッターの全文を紹介しておこう。


 「そもそも弁護士は受託案件での任務遂行に全力をあげるべきです。それを入管法改正反対という『政治的意図』を持っている皆様、しかもある一定の政治信条を共有している方々が政治利用しようとしてないのか。懲戒請求対象になってもおかしくないと思います。」

 これだけでは何を言っているのか、何を言いたいのかよく分からない。そもそもこの文章には、読み手に正確に文意を伝えようという意思も能力も窺えない。その結果、牧原ツィッターの骨格に言葉を補えば、以下のとおりの「良心に目覚めた牧原秀樹弁護士の自己反省宣言」と読むことも可能である。

 「そもそも弁護士は受託案件での任務遂行に全力をあげるべきであって、それ以外のことに力を殺ぐことは許されない。弁護士として登録をしながら、受託案件での任務遂行と言えない政治活動など一切すべきではないのだ。しかも、改憲を結党以来の党是とする自民党の議員としての活動となれば、憲法擁護・憲法遵守に反対という極め付きの『政治的意図』を持っての反憲法的・反体制的な政治活動とならざるを得ない。しかも明らかに特定の反憲法的政治信条を共有している方々への弁護士としての専門的知見の提供は、明らかな政治利用というべきではないだろうか。弁護士が、弁護士のまま自民党議員として政治活動をすることは、弁護士としてあるまじき政治活動を行うこととして、私・牧原秀樹は、弁護士として懲戒請求されてもおかしくないと思う」

 しかし、牧原の真意はそうではない。自己批判ではなく、他を攻撃するものなのだ。このツィッターは、下記の「入管死遺族弁護団(員)」の投稿に対する批判としてアップされたもの。いま、大きな話題となっている、ウィシュマさんの闘病動画の公開に関する一文である。

 「動画を見れば、故人の強い気持ちは、点滴してほしい、病院連れて行ってほしいというものだったことが明らか。その気持ちはスルーしてるんですね。」

 この弁護団発言は、ウィシュマさんの生を求める切実な要望を無視し医療の提供を怠って死に至らしめた、非人道的な入管行政への批判である。生々しい動画の描写は見る人の心を打つ。多少とも人権感覚を有している人、人間としての心を持っている人なら、共感せざるを得ない。その発言とセットで読むと、この政治家の舌足らずの稚拙な文章の底意が見えてくる。

 牧原は、入管行政擁護の立場から、遺族弁護団批判を買って出た。牧原ツィッターには、ウイシュマさんの死を悼み怒る遺族弁護団への嫌悪の感情と、弁護団の発言を封殺しようという恫喝の意思だけが明瞭である。

 牧原ツィッターの真意は、次のようなものである。

 「そもそも弁護士は受託案件での任務遂行に全力をあげるべきです。だから、ウイシュマさん遺族の弁護団は、国賠訴訟という法廷活動だけに専念しておればよいのです。それをはみ出して『入管法改正反対』という政治的な活動に立ち入るのは弁護士としてあるまじきことで、厳に慎むべきことなのです。ウィシュマさんの死に至る動画の公開は、明らかに法廷活動の域を超えて、入管法改正反対という『政治的意図』を持っている皆様、ある一定の政治信条を共有しているグループが政治利用しようとしているものでしょう。この遺族弁護団の政治活動は、懲戒請求対象になってもおかしくないと思います。」

 この牧原発言の「論旨」の誤りを次のとおりに整理しておきたい。

弁護士の基本使命は「基本的人権の擁護」にある。法廷活動における依頼者の人権擁護にとどまらず、法廷活動で明らかになった人権問題解決のために法廷外でも活動することは、弁護士のあり方として賞讃されるべきことであって非難さるべきことではない。これを「弁護士は受託案件での任務遂行に全力をあげるべき」と的外れの批判の言論は弁護士の使命を知らない妄言である。

弁護士が誠実に依頼者の人権擁護に徹しようとするとき、その人権を擁護する方途として、法廷外の世論に訴えて政治化し、あるいは社会化することは、時に必須な弁護士の業務となる。これを政治活動として非難することは、ためにする謬論である。

人権擁護活動と政治活動とは密接不可分である。人権が権力によって抑制されている現状では、人権擁護活動は、行政や立法への働きかけを抜きにすることができない。弁護士の政治活動は控えるべきとする自民党筋の言論は、弁護士の人権活動を抑制しようという邪論である。

弁護士は主権者の一員として政治活動をすることができる。牧原が、自民党議員として活動することも自由である。にもかかわらず牧原は、他の弁護士の活動に、「政治活動」のレッテルを貼ることで、これを規制できると思い込んでいるフシがある。どんな場合にも、「政治活動」のレッテル貼りは、効果のないことを知らねばならない。

 以上の牧原ツィッターの稚拙な文章の最大の問題点は、ウイシュマさん遺族弁護団の行動と発言を嫌悪して、「懲戒請求対象になってもおかしくないぞ」と恫喝していることだ。不特定多数の閲覧を予想してのツィッターでの「懲戒請求対象になってもおかしくない」は、懲戒請求煽動と同義である。懲戒請求煽動は批判対象弁護士に対する恫喝にほかならない。

 ネトウヨ諸君に警告を申しあげておきたい。牧原のごときアジテータに煽られて、うっかり懲戒請求に走ってはいけない。あとあと、たいへんなことになるのだから。

 懲戒請求煽動者として、真っ先に名を上げられるべきは橋下徹である。彼は、光市母子殺害事件弁護団の弁護方針をやり玉に、「あの弁護団に対してもし許せないと思うなら、一斉に懲戒請求をかけてもらいたい」と各弁護人への懲戒請求を煽動した。そして、橋下はいかにも橋下らしく、自分では懲戒請求をしなかった。大阪弁護士会は、橋下のこの懲戒請求煽動行為を「弁護士としての品位を害する行為に当たる」として、2か月の業務停止処分とした。
 
 牧原に煽られたネトウヨ諸君の遺族弁護団員に対する懲戒請求が積み重ねられれるようなことになれば、牧原弁護士がその事態の責任追及を受ける立場となり、橋下徹同様に懲戒の対象とならざるを得ない。

 それだけではない。煽動に乗せられた懲戒請求者自身の責任も問われることになる。弁護士懲戒請求は匿名ではできない。懲戒請求が弁護士会によって受理されるためには、懲戒請求者の氏名と住所を明記しなければならない。その結果、懲戒請求者は、刑事民事の責任を問われ得ることを覚悟しなければならない。弁護士懲戒請求とはけっして軽々にできることではない。「汝らの中、罪なき者まづ石を擲て」に倣えば、「汝ら、ウイシュマ遺族弁護団が弁護士としての品位を害しているとの確信なくして、石を擲つこと勿れ」なのだ。

 そして、牧原秀樹よ、ウイシュマ遺族弁護団に対する懲戒請求煽動ツィートを削除せよ。「過ちては則ち改むるに憚ること勿れ」というではないか。

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 なお、満10年で連続更新終了後、少なからぬ方から、ありがたいご意見やご感想をいただきました。感謝申しあげます。

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