澤藤統一郎の憲法日記

改憲阻止の立場で10年間毎日書き続け、その後は時折に掲載しています。

弁護団は、虎の尾を踏んだのか、はたまた窮鼠に噛まれたか。

(2022年2月7日)
 弁護士は、民事訴訟では当事者の訴訟代理人となり刑事事件では弁護人となって、相手方弁護士や検察官と対峙する。本来闘う相手は、相手方弁護士であり検察官であって、裁判官ではない。

 裁判官は、言わば行司役である。力士は行司と闘わない。あるいは採点競技の審判員。フィギュアのスケーターは審判員とは争わない。法廷における弁護士ないし弁護団にとっても、裁判官は節度をもって接すべき説得の対象であって闘う相手ではない。これが平常時のセオリーである。

 しかし、非常時となれば話は別だ。ときには口角泡を飛ばしても裁判所と対決しなければならないこともある。最近、あまり弁護団と裁判所の法廷内の厳しい衝突を聞かないが、1月28日(金)午後、東京地裁102号法廷において「非常時」出来の報に接した。

 2月5日赤旗の報道を引用する。「裁判官が突然退廷」「東京地裁 『弁論権侵害』原告ら会見」という見出し。この見出しどおりの、奇妙なことが起こった。奇妙なだけではなく、看過できない問題をはらんでいる。

 戦争法(安保法制)違憲訴訟は、現在全国の22地域に25件の事件が係属しており、その原告総数は7699名になるという。東京では3件の訴訟が提起され、その一つが、「安保法制違憲訴訟・女の会」の提訴事件。原告121人と弁護団の全員が女性だけの国家賠償請求訴訟。係属裁判所は、東京地裁民事6部(武藤貴明裁判長)。この訴訟で事件が起こった。当日の法廷は東京地裁102号。通常は刑事専用の「大法廷」である。

 原告と弁護団は4日、司法記者クラブで記者会見を開いた。会見での説明は、「口頭弁論の最中に裁判官たちが突然退廷したことで弁論権を侵害された」ということ。

 1月28日午後の口頭弁論期日では開廷後30分間、弁護士3人が更新弁論の陳述を行った。4人目の弁護士が発言しようと起立し、「今後の立証について…」と意見を述べ始めたところ、それを遮るように裁判長が右手を差し出し、陪席裁判官に目配せした上で後ろの扉から退廷した、という。

 このときに裁判長は何らかの発言をしたようだが、小声で聞き取れなかった。代理人弁護士が『裁判長に戻ってきていただきたい』と書記官に求めたところ、1時間以上も待たされて『裁判長は来ない。閉廷した』と告げられた。これが、閉廷までに生じた顛末の全てのようなのだ。ここまでは、裁判長の訴訟指揮の問題。しかし、より大きな問題が法廷外に生じていた。

 およそ2時間後、原告・弁護団・傍聴人が法廷を出ようとすると、廊下に警察官を含む数十人の警備要員と柵がバリケードのように配置されていた、という。その人数は、60人にも及んでいた。これは、懐かしいピケである。弁護団は民事6部に出向こうとしたが、このピケに阻まれた。弁護団は、原告らが移動できない状態で「威圧された」とし、この過剰警備の法的根拠を明らかにするよう求めている。 
 この事態は、裁判所の側から、非常事態のスイッチを入れたことを意味している。一見和やかに見える民事訴訟の審理だがそれは平常時でのこと。非常時には強権が顔を出す。

 法廷内では、裁判長は強い訴訟指揮権をもっている。場合によっては法廷警察権の行使も可能である。訴訟指揮の権限は民事訴訟法上のもの(同法148条)だが、法廷の威信を保ち法廷の秩序を維持するために、裁判所法(71条1項など)は法廷警察権を明記している。法廷において裁判所の職務の執行を妨げたり,不当な行状をする者に対して退廷を命じることなどができる。その権限行使にあたっては,廷吏のほか警察官の派出を要求することもできる。

 さらに、「法廷等の秩序維持に関する法律」(略称「法秩法」)というものがある。
 裁判官の面前で,裁判所がとった措置に従わなかったり,暴言,暴行,喧騒そのほか不穏当な言動で裁判所の職務執行を妨害したりした場合、直ちに20日以下の期間での「監置」を命じることができる。これは恐い。

 法廷の外で裁判所の敷地内では、司法行政当局の庁舎管理権が幅を利かせることになる。裁判所構内への横断幕やプラカード持ち込み禁止、シュプレヒコール禁止、撮影禁止、禁止、禁止…は、この当局による庁舎管理権の行使によるものである。しかし当日、警察を呼ばざるを得ないような警備の必要がどこにあったというのか。

 いうまでもなく司法とは権力の一部であり、司法作用も権力作用の一部ではある。だから、非常時には強力な実力行使が可能という制度は調えられている。とはいえ、文明が想定する民主主義国家の司法とは、国民の納得の上に成立するものでなければならない。軽々に非常時のスイッチを入れてはならない。裁判所も、司法行政も、そして在野法曹も。

 普段は猫のように見えても、非常時のスイッチが入れば司法は虎となり得る。うっかり虎の尾を踏むと監置にもなりかねない。警察と対峙せざるを得なくもなる。しかし、今回の事件、とうてい弁護団が不用意に虎の尾を踏んだようには見えない。

 むしろ、係属裁判所も東京地裁当局も、「安保法制違憲訴訟・女の会」とその弁護団を過剰に恐れた故の事件だったのはないだろうか。どうも、裁判所は虎でなく、猫ですらなく、鼠だったごとくである。過剰に弁護団に対する恐怖に駆られて窮鼠となり、猫を噛んだとの印象が強い。裁判長にお願いしたい。法廷では、もっとフランクに、代理人席にも傍聴席にもよく聞こえるように発語願いたい。そして、けっして強権が支配する裁判所にはしないように配慮していただきたい。今回のごとき無用の強権発動は、結局のところ、国民の司法に対する信頼を失わしめるものなのだから。 

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Published in 月曜日, 2月 7th, 2022, at 22:11, and filed under 司法制度, 弁護士.

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