弁護士会が元号使用にこだわるのはおかしい。西暦使用に切り替えるべきだ。
(2023年2月13日)
私が所属する東京弁護士会では、23年度役員選挙・常議員選挙が、先週金曜日の2月10日に行われる予定だった。が、今年は定員を上回る立候補者がなく、結局無投票で立候補全員が当選となった。やや寂しいという感を否めない。議論なくして役職のみがある弁護士会の姿は必ずしも正常ではない。
弁護士会の在り方については、本来侃々諤々の議論があってしかるべきである。その議論に市民が関心を寄せて欲しいとも思う。在野を貫く真っ当な弁護士会のあり方は、けっして弁護士のみの利害に関わるものではない。市民の権利や自由や民主主義に関わる。さらには、社会の公正さや平和にも。
無投票となった選挙だが、立派な選挙公報が届いた。会長候補者松田純一弁護士の長文の選挙公約には、「4.弁護士の使命を果たすために」の節があり、中にはこういう記述がある。
(1)人権問題への対応
弁護士法第1条第1項及び第2項に掲げる人権擁護・社会的正義の実現、そして、法律制度の改善は弁護士の使命です。東弁は、普遍的価値とされてきた人権、現代的な人権、近未来に生成されるべき人権にしっかり対応しなければなりません。
子ども、高齢者・障がい者、女性、性的マイノリティ、外国人、消費者、犯罪被害者、えん罪被害者等のいわゆる社会的弱者の権利。IT化を含む民事・刑事司法制度改革、再審法改正課題、取調べの可視化実現、貧困・格差問題、差別やヘイトスピーチの問題。死刑制度廃止と刑罰制度の改革等々、日弁連と東弁がこれまで取り組んできた諸課題に全力で取り組みます。SDGsを踏まえて、ビジネスにおける人権尊重という視点にも光を当てたいと思います。
……
(4)憲法的価値について
私の伯父は戦死し、私は戦後の傷跡が残るなかで育ち、平和憲法を誇りとする教育を受けて成長しました。ところが、ウクライナ侵攻を機に現在、十分な問題点の指摘や国民的議論や国会における熟議もないまま、敵基地への反撃(攻撃)の政府提言へと急転回する動きがあります。基本的人権の尊重、国民主権、恒久的平和主義など憲法的価値に関わる問題については、東弁内においても議論を尽しながら毅然と対応します。
これが、全国最大規模の単位弁護士の次期会長の弁である。通り一遍で不十分だという批判もありえようが、これだけのことを全会員に公約していることを貴重だと思う。
さて、全会員に送付された選挙公報の内容はともかく、第1面の記載に、視覚的にギョッとさせられた。
会長・副会長・監事・常議員・そして日弁連代議員の候補者一覧表が出ているのだが、そのすべてに、生年月日と登録年月日付記されている。これが全て元号なのだ。私は、昭和も平成も令和もなじめない。昭和・昭和・昭和そして平成・令和である。これを見ていると目が痛くなる。クラクラする。なぜこんな不便で不愉快な道具を使おうというのだ。
さすがに、ところが各候補者のコメントは全て西暦表記となっている。このコントラストがあまりに鮮やかなのだ。
選挙公報には、会長(1名)・副会長(6名)・監事(2名)の計9名の候補者が略歴と所信を述べている。会長候補は全文西暦表記である。副会長候補6名全員もそうなのだが、一人だけが括弧を付けて元号を併用している。幹事候補2名も西暦表示だが一人だけが括弧を付けて元号を併用している。
つまり、9人の候補者の内の7人が西暦単独表記、2人が西暦・元号併用なのだが西暦をメインとしている。元号のみはゼロ。元号をメインとしていた併用派もゼロなのだ。これが通常の感覚ではないだろうか。
しかし、候補者個人の文章ではなく、弁護士法に則った弁護士会の公的な文書となると、元号オンリーの不気味な世界となる。これは奇妙だ。弁護士会は、どの官庁からも命令を受ける立場にない。元号使用を廃して、西暦単独でよいはずなのだ。
不便極まりない元号の使用、しかも近代天皇制が発明した一世一元の旧時代の遺物。すみやかに西暦表記に切り替えていただきたい。それまで、目の痛み、目のクラクラが治まらない。