澤藤統一郎の憲法日記

改憲阻止の立場で10年間毎日書き続け、その後は時折に掲載しています。

軍学共同研究容認に道を開く専守防衛論

いま、大西隆なる人物を注視しなければならない。吉川弘之、黒川清、金澤一郎、広渡清吾に続いての学術会議現職会長。歴代の会長とは様相を異にし、政権や防衛省の意向を汲もうという人物。日本の科学・学術の研究のあり方を大きく軍事技術重視の方向に舵を切ろうというこの危険な人物が学術会議の会長の任にある。

ウィキペディア(抜粋)は彼の経歴をこう紹介している。
「東京大学工学部卒業、大学院博士課程修了(都市工学専攻)。長岡技術科学大学助手、助教授、アジア工科大学院助教授、東京大学工学部助教授、教授を経て、2011年10月日本学術会議会長に就任。2014年4月豊橋技術科学大学学長に就任。
 常に強いリーダーシップを発揮し、大学の軍事研究を積極的に推進。豊橋科学技術大学では、防衛省が研究費を支給する「安全保障技術研究推進制度」による研究費資金を獲得。有毒ガスを吸着するシートの開発に取り組んでいる。また、2016年4月の日本学術会議総会では「大学などの研究者が、自衛の目的にかなう基礎的な研究開発することは許容されるべきだ」とする考えを示し、戦後、日本学術会議では軍事目的のための研究を否定する声明を発表してきたが、その基本姿勢を転換する可能性を示唆した。」

「日本学術会議」は、日本学術会議法にもとづく公法人である。法は前文を持ち、「日本学術会議は、科学が文化国家の基礎であるという確信に立って、科学者の総意の下に、わが国の平和的復興、人類社会の福祉に貢献し、世界の学界と提携して学術の進歩に寄与することを使命とし、ここに設立される」と宣言している。平和の二文字がまぶしい。

その学術会議は、1950年4月の総会で、科学者が戦争に協力した戦前の反省に立って法の目的を具現すべく、「戦争を目的とする科学の研究には絶対従わない決意の表明(声明)」を総会で決議している。その決意のみずみずしさが今読む者の胸を打つ。「科学者としての節操」の言葉が輝いている。

  戦争を目的とする科学の研究には絶対従わない決意の表明(声明)
 日本学術会議は,1949年1月,その創立にあたって,これまで日本の科学者がとりきたった態度について強く反省するとともに科学文化国家,世界平和の礎たらしめょうとする固い決意を内外に表明した。
 われわれは,文化国家の建設者として,はたまた世界平和の使徒として,再び戦争の惨禍が到来せざるよう切望するとともに,さきの声明を実現し,科学者としての節操を守るためにも,戦争を目的とする科学の研究には,今後絶対に従わないというわれわれの固い決意を表明する。
昭和25年4月28日 日本学術会議第6回総会

学術会議は、さらに重ねて67年の総会でも下記の声明を出している。今こそ、読んで噛みしめるべき内容。

  軍事目的のための科学研究を行わない声明
 われわれ科学者は、真理の探究をもって自らの使命とし、その成果が人類の福祉増進のため役立つことを強く願望している。しかし、現在は、科学者自身の意図の如何に拘らず科学の成果が戦争に役立たされる危険性を常に内蔵している。その故に科学者は自らの研究を遂行するに当って、絶えずこのことについて戒心することが要請される。
 今やわれわれを取りまぐ情勢は極めてきびしい。科学以外の力にょって、科学の正しい発展が阻害される危険性が常にわれわれの周辺に存在する。近時、米国陸軍極東研究開発局よりの半導体国際会議やその他の個別研究者に対する研究費の援助等の諸問題を契機として、われわれはこの点に深く思いを致し、決意を新らたにしなければならない情勢に直面している。既に日本学術会議は、上記国際会議後援の責任を痛感して、会長声明を行った。
 ここにわれわれは、改めて、日本学術会議発足以来の精神を振り返って、真理の探究のために行われる科学研究の成果が平和のために奉仕すべきことを常に念頭におき、戦争を目的とする科学の研究は絶対にこれを行わないという決意を声明する。
昭和42年10月20日第49回総会

以上の理念が、長く日本の科学者の倫理と節操のスタンダードとされ、これに則って大学や公的研究機関の研究者は軍事研究とは一線を画してきた。当然のことながら、日本国憲法の平和主義と琴瑟相和するもの。ところが、いま、この科学者のスタンダードに揺るぎが生じている。言うまでもなく、平和憲法への攻撃と軌を一にするものである。

大西隆は、学術会議に「安全保障と学術に関する検討委員会」を設け、軍事研究を認めない従来の姿勢の見直しを検討している。もちろん、背後に政権や防衛省の強い意向があってのことである。

政権は、軍事技術の研究進展の成果によって防衛力を強化したい。あわよくば、防衛力だけでなく攻撃力までも。軍事研究とその応用は、経済活性化の手段としても期待されるところ。憲法9条大嫌いのアベ政権である。この要求に大西隆らが呼応しているのだ。

とはいうものの、露骨な軍事研究容認は抵抗が強い。そこで持ち出されているのが、「デュアルユース」という概念。民生用にも軍事用にも利用することができる技術の研究ならよいだろうという口実。なに、「薄皮一枚の民生用途を被せた軍事技術の研究」にほかならない。
 
問題は深刻な研究費不足であるという。政権や防衛省が紐をつけた軍事研究には、予算がつく。アベ政権の平和崩しは、ここでもかくも露骨なのだ。

さらに大きな問題は、大西が「1950年、67年の声明の時代とは環境条件が異なって専守防衛が国是となっているのだから、自衛のための軍事研究は許容されるべき」と発言していることだ。

「デュアルユース」とは、技術研究を「民生用」と「軍事用」に分類し、「軍事用研究」も「民生」に役立つ範囲でなら許容されるというもの。ところが、「軍事用研究」の中に「専守防衛技術」というカテゴリを作ると、「専守防衛のための軍事技術は国是として許容されるのだから、民生に役立つかどうかを検討するまでもない」となる。結局は限りなく、許容される軍事技術の研究分野を広げることになる。

戦争法反対運動では、非武装平和(ないしは、非軍事平和)派と、専守防衛(個別的自衛権容認)派とが共闘して、限定的集団的自衛権容認派と闘った。いま、現前に見えてきたものは、専守防衛(個別的自衛権容認)是認を口実とする軍事技術研究容認である。

飽くまで、日本国憲法は、非武装平和(ないしは、非軍事平和)を原則としていることを確認しなければならない。

もう一度噛みしめたい。吉田茂が制憲議会で述べた、日本国憲法の平和主義の理念を。
「戦争抛棄に関する憲法草案の条項に於きまして、国家正当防衛権による戦争は正当なりとせらるるようであるが、私は斯くの如きことを認むることが有害であると思うのであります。近年の戦争は多くは国家防衛権の名に於て行われたることは顕著なる事実であります。故に正当防衛権を認むることが偶々戦争を誘発する所以であると思うのであります。」
(2016年10月5日)

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