澤藤統一郎の憲法日記

改憲阻止の立場で10年間毎日書き続け、その後は時折に掲載しています。

『政府が独裁的な方向へ進む時、学者の任命権や発言権が真っ先に攻撃対象となる』 ー 学術会議問題での危機感の共有を

(2022年12月28日)
 安倍後継の菅政権発足が2020年9月16日、その初仕事が学問の自治・学問の自由を蹂躙する、日本学術会議の新会員候補6名の任命拒否だった。有りうべからざる暴挙である。菅義偉という人物は、後世この一事をもってその悪名を語り継がれることになるだろう。

 その後、「抜本的な組織改革」が必要として学術会議の自主性を奪おうとする政府と、学問の独立を擁護しようとする研究者側の緊迫した綱引きが行われてきた。やや水面下で進行した感のあるこのせめぎ合いが、2年を経て再び表面化している。この事態に注目せざるを得ない。

 本日の朝刊各紙に、次の見出しが躍っている。
「政府の改革案は『日本学術会議の独立性侵害』 研究者らが反対声明」(朝日)
「学術会議巡る政府方針『任命拒否上回る介入』 守る会が撤回要望」(毎日)
「『人類社会の福祉、さらには日本の国益に反する』 学術会議を巡る政府方針、学者らグループが撤回求める」(東京新聞)
「学術会議の独立性侵すな 学者・文化人127人、政府方針撤回要求」(赤旗)
 
 昨日、学者やジャーナリストらが「学問と表現の自由を守る会」を結成し、127名連名の声明を発表して記者会見した。

 声明は、日本学術会議の会員選考と運用に介入しようとする政府方針を厳しく批判し、政府が目前の通常国会での成立を目指すという関連法案を、学問や表現の自由を脅かす内容だとして撤回を求めるものである。127名の危機感・切迫感には厳しいものがある。

 東京新聞望月衣塑子記者の記事では、「会見で、科学史が専門でアカデミーの歴史に詳しい東京大の隠岐さや香教授は『政府が独裁的な方向へ進む時は、学者の任命権や発言権が真っ先に攻撃対象となる。民主主義の危機が来ている』と訴えた」という。

 問題が急浮上したのは、今月(12月)6日のことである。内閣府は、まことに唐突に「日本学術会議の在り方についての方針」を公表した。
 https://www.cao.go.jp/scjarikata/20221206houshin/20221206houshin.pdf
 この「方針」は、学術会議の会員の選考と運用に政府が介入することで、同会議の独立性・自律性を根幹から変質させる内容と批判せざるを得ない。しかも、政府はこの方針を盛り込んだ法案を目前の通常国会に提出し、この国会で成立させるという。強引極まりない。

 この「方針」に対して、12月21日、日本学術会議総会はこれを批判して再考を求める声明を採択した。
https://www.scj.go.jp/ja/info/kohyo/pdf/kohyo-25-s186.pdf 

 さらに同月27日、日本学術会議梶田会長による「声明に関する説明」が発表されている。そして、同日の「学問と表現の自由を守る会」声明となった。
https://www.scj.go.jp/ja/info/kohyo/pdf/kohyo-25-s186-setumei.pdf

 学術会議は、科学者が戦争に協力したことの反省から生まれた。平和主義を掲げる国家の学術機関として、科学者の自主性・独立性が尊重されてきた。学術は、国家目的に従属してはならない。これまで、学術会議は軍事研究に反対する声明を繰り返し出してきている。これが、現在の政権にとっては目障りなのだ。とりわけ、軍事優先の国家構築に舵を切ろうとしている現在、学術会議の硬い骨を抜いておかねばならない。これが政府の本音と見なければならない。

 学問が権力の下僕となり下がることの危険を日本国民は戦前の体験から身に沁みている。そのための、憲法23条(学問の自由・学の独立)である。学術会議の政府からの独立性・自律性を失うことは、広く国民・市民の、学問、思想、良心、表現、信教等の精神の自由一般の喪失につながり、強権的国家の戦争への道を開くことにもなりかねない。

 学術会議の会員人事の自律性は、学術会議の独立性の根幹をなすものだが、提出予定とされる法案は、会員選考のルールや選考過程への「第三者委員会」の関与が明記され「内閣総理大臣による任命が適正かつ円滑に行われるよう必要な措置を講じる」との文言まであるものという。明らかに、政府の息のかかった人物を通じて学術会議を支配しようとの魂胆が透けて見える。

 権力は一極に集中してはならない。これが民主主義を標榜する国家における権力構成の大原則である。とりわけ権力は、司法や教育や学術や報道に介入してはならない。それぞれの分野を担う機関の独立性・自主性を尊重しなければならない。

 学術会議の「改革問題」は、民主主義の原則と強権的国家主義との、極めて重要で象徴的なせめぎ合いである。『政府が独裁的な方向へ進む時は、学者の任命権や発言権が真っ先に攻撃対象となる。民主主義の危機が来ている』という、研究者の危機感を共有したい。

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