澤藤統一郎の憲法日記

改憲阻止の立場で10年間毎日書き続け、その後は時折に掲載しています。

学びたい ? 「蟷螂の斧を構えたその姿勢」

(2021年9月26日)
 「蟷螂の斧を構えたままの姿です」という一文に目が留まった。81歳の方の文章、「蟷螂の斧を構えた」のが1964年のこと。以来、その姿勢を崩していないというのだ。しかもこの方は元裁判官。この姿勢の維持は、当局の強い圧力に抵抗してのこと、並大抵の覚悟でできることではない。私もそう言えるようになりたい。その心意気に学びたい。

 「核兵器の廃絶をめざす日本法律家協会(略称:日本反核法律家協会)」という団体がある。自らを、《「人類と核は共存できない」との立場から、日本の法律家や法律家団体を幅広く結集し、志を同じくする国際組織や市民社会と連携して、核兵器の廃絶、ヒバクシャ援護、原発に依存しない社会の実現をめざす諸活動にとりくむ団体です。》と紹介している。

 「日本反核法律家協会」の機関誌(季刊)の名称が、分かり易い「反核法律家」。その108号(2021年秋号)が本日届いた。巻末(60ページ)に、「NEW FACE」という新入会員の自己紹介欄がある。ここに、「81歳の自己紹介」として、埼玉弁護士会の北澤貞男弁護士が寄稿している。

 北澤さんは、定年まで勤め上げた元裁判官。元青年法律家協会裁判官部会の会員で、その後継の如月会にも所属し、その流れを汲む裁判官ネットワークの活動にも携わっておられた。退官後弁護士となって、日民協の活動に参加、人権を守るいくつもの裁判に携わってもいる。首尾一貫、ブレない方なのだ。

 その北澤さんが、昨年(2020年)の師走に、誘われて81歳で「日本反核法律家協会」の会員になられたという。その北澤さんの自己紹介記事の一部を抜粋してご紹介したい。

 私は、…1966年4月に判事補となり、2004年12月に定年退官するまで裁判官の地位にありました。修習生の前期に青法協に加入し、その姿勢のまま現在に至った感じです。蟷螂の斧を構えたままの姿です。

 北澤さんの青法協加入が1964年のことになる。57年余も、蟷螂が斧を構えたままの姿勢を保ち続けて来られたというのだ。これは並大抵のことではない。右翼や自民党と一体化した最高裁が、青法協裁判官に対する脱退攻撃を始めたのが1969年頃からである。大勢いた青法協裁判官が、石田和外ら司法官僚の恫喝や勧奨に屈して崩れていく中で、さまざまな報復や差別に屈せず、筋を通し、信念を貫き、自らの法律家としての矜持を守った少数の裁判官がいた。その一人が北澤さんだ。

 2005年2月に弁護士登録をしましたが、先輩等から誘われるまま、中国「残留孤児」国家賠償請求事件、東京大空襲国家賠償請求事件、そして安保法制違憲訴訟に一弁護士として関与することになりました。

 これらの訴訟に関与して考えさせられたことは、「国家権力」の正体とそれを担う者たちの意識の在りようについてです。最も感じたことは、国家の「人民」に対する「冷たさ」です。天皇制国家から国民主権の民主政国家に変わっても、国家の冷たさは変わっていません。戦争被害受忍論はそれを象徴する理屈です。国民主権が定着していないことだけでなく、そもそも国家は特定の人間が大勢の「人民」を支配する巧妙なシステムのようです。

 平和を希求する民衆が安保法制違憲訴訟を提起して活動していますが、下級審の判決は、保護されるべき権利・利益が認められないとして、安保関連法の憲法判断と立法違法の判断を回避し、門前払いに近い判決が続いています。国家権力の中枢に関わる事件ですから、難しいとはいえ、裁判官の姿勢は「国家権力」の影に隠れ、日本国憲法の威力から身を守っている(保身)かのようです。

 ブレることのなかった元裁判が、保身としか見えない現役裁判官の姿勢に切歯扼腕しているのだ。自らを「蟷螂」という北澤さんだが、私も蟷螂だ。先輩蟷螂を見習って、大きく斧を振り上げ続けたい。

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