憲法と落語(その8) ―「柳田角之進」を教訓として聞いてはならない。
「柳田角之進」は、志ん生の持ちネタとしてよく知られた講釈噺。たくさんのテープやCDがあるような気がするが、音源は3種だけだという。いずれも晩年の録音で、彼自身が「50年前に師匠の圓喬に教わったのではない。高座の袖で聞いて覚えた」という。円熟した年齢になってから、演じる気持になったのだろう。
円熟した話芸で聞く者を引き込み、1時間にも及ぶ語りを飽きさせない。しかし、内容はつまらない噺である。と言うよりは、なんとも馬鹿馬鹿しい噺。こんな馬鹿馬鹿しい話を、聞かせるのだから、やはり志ん生は大したものだ。
志ん生は、マクラで「落語にも、ただ笑うだけの噺ばかりではなく、学校じゃ教えない聞いてためになる話もある」という。本気でこの柳田角之進を教訓話として語っていたようなのだ。しかし、今の世にこんなものを教訓にされたのではたまらない。これは、人権軽視の極論。女性の人格を無視した話、家柄だの、武士の意地だのつまらぬものに翻弄された前時代の遺物なのだ。
落語には、体制や権威を笑い飛ばす健康さがあり、そこが現代に通じる魅力となっている。ところが、講談の主流はそうではない。どうしても忠君愛国に傾き、男尊女卑にながれ、高座からムチャクチャな教訓を垂れるという趣がある。柳田角之進も、その手のものと紙一重なのだ。
彦根藩士の柳田角之進、牛の角の曲がっているのも大嫌いという大変な堅物。「水清ければ魚住まず」、上司に煙たがられて讒言に遭い今は浪人暮らし。娘と二人、江戸浅草阿部川町の裏長屋に侘び住まいの身。やることと言えば碁会所に行くだけだが、ここでちょうどよい碁の相手が見つかる。浅草馬道の質屋、万屋源兵衛という大店の旦那である。源兵衛から誘われるままに、万屋へ行って毎日碁を打っていた。
8月15日月見の晩に、万屋で50両の金がなくなるという事件が持ち上がる。角之進と源兵衛の二人だけの密室での源兵衛の金の紛失である。当然に角之進が疑われる。翌朝番頭の徳兵衛が主人には内緒で柳田宅を訪れ、その最後の言葉が、「50両の大金です。出るべきところに出て、お届けしますので、取り調べがあるかも知れませんが、ご勘弁ください」。これを聞いて、角之進は覚悟する。「それは困る。天地神明に誓って私の知らぬことだが、しかしそこにいたのが私の不運だ。その50両、私が出そう。明日取りに来てくれ」。
50両の工面ができる当てはない。役人に取り調べを受けたら弁解は難しい。仮にも縄目の恥辱は家名を汚すことになる、それよりは切腹しようという覚悟。娘に番町の叔母のところに泊まって来いと言いつけると、父の心中を察した娘は、こう言う。「親子の縁を切ってください。自分は吉原の泥水をすすって、その50両をこしらえましょう」「その代わり、身の潔白が明らかになったときには町人二人の首をはねて、武士の意地をお示しください」。角之進はこれを承知して、50両を手にする。
こうして50両は番頭の手に渡る。その際番頭は「もし、後刻50両が出てくるようなことがあったら、私のクビに、主人のクビを添えて差し上げましょう」と約束する。この後、格之進は行方知れずとなる。
その年の12月28日煤払いの日に、万屋の離れの額の裏から50両が出て来て大騒ぎとなる。店の者も手を尽くして角之進を探すが見つからない。年も明けた正月4日。雪の降る湯島切り通しの坂で、番頭徳兵衛は、立派ななりをした武士と出会う。これが、彦根藩留守居役に返り咲いた柳田角之進。徳兵衛から事情を聞いた角之進は、「明日万屋に出向く。二人とも首筋をよく洗っておけ」。
そして明くる日、角之進は万屋へやって来る。が、主人と番頭が互いにかばい合って、自分だけを切ってくれという。それを目の当たりにした角之進は、刀を鞘から払いながらも首をはねることができない。志ん生は、「二つの首がコロリと落ちた、などと私はしない」と笑わせる。
助命された源兵衛は、角之進の娘が50両の為に苦界に身を沈めていると聞き、直ちに身請けをし、これを養女とする。角之進は、これに番頭徳兵衛を娶せる。ここで志ん生は、角之進に「忠義の番頭と、親を助けた孝女」「忠と孝との目出度い婚礼」と言わせている。この夫婦から生まれた子を柳田が引き取り、家名を継がせたという。最後にサゲはなく、「『堪忍のなる堪忍はたれもする、ならぬ堪忍するが堪忍』。柳田の堪忍袋でございます」で締めくくられる。
さて、いったいこれが教訓話になるだろうか。簡単に切腹を覚悟する柳田角之進がまずはおかしい。彼を縛っていたものは武士の意地であり家名である。角之進は、命よりも家名を重んじようという愚かな男。何よりも命を大切にすべきことを知らなければならない。
次いで、角之進の娘(きぬ)である。「父上が切腹しても相手は町人。悪事露見したから腹を切ったというでしょう。身の証しにはなりませぬ」「身の潔白が明らかになったときには町人二人の首をはねて、あかき武士の意地をお示しください」などと言う。差別意識丸出し。親のために身を売る娘を美談にしてはならない。
そしてまた、角之進である。娘の苦界への身売りを容認してしまうのだ。話では、娘は18歳、児童虐待とは言えないが、「済まぬ」などと謝りながらも50両を受け取ってしまう。たいへんな虐待親父である。
一番おかしいのは、身分が復帰して質屋の番頭が驚くほどの上等な服装をしている角之進が、娘を吉原に置いたままにしていることである。これは、ネグレクトにほかならない。
教訓というなら、「こんなひどい話が過去にはありました」「こんなひどい話を教訓としていた時代もありました」という具合でなければならない。もっとも、冤罪を晴らすことの難しさや冤罪被害者の絶望についてであれば、教訓として受けとめられるかも知れない。またあるいは、白州の時代、糾問主義刑事司法の恐ろしさとしてであれば。
(2020年4月27日)