法廷という空間において最も敬意を表されるべき場は傍聴席である。そこには主権者がいるのだから。傍聴席の主権者は、自らの分身である司法が適正に運用されているかを見詰めている。
(2024年7月31日)
異様に暑かった2024年7月が終わる。炎暑・熱暑・酷暑・猛暑・激暑と並べても、この暑さの実感に追いつく言葉が見つからない。身体に応える。時に意識が朦朧となる。8月は、もっと暑くなるのだろうか。そして、来年は、再来年は?
暑い7月だったが個人的には忙しかった。101号法廷での証拠調べが7月中に2回、私も二人の尋問を担当した。控訴審の第1回法廷が2回。ほかに、医療過誤事件も、電子署名の効果を争う事件もあり、突然の被疑者接見も、「法と民主主義」の編集担当も。偶然に仕事のムラがいくつか重なったからだが、やりがいのあることに忙しいのだから、ありがたいこととも、贅沢なこととも思う。
忙しさの最後が、7月25日の「統一教会スラップ・有田訴訟」の控訴審第1回口頭弁論期日(101号法廷)。事前の準備は忙しかったが、当日の法廷は淡々と進行した。型どおりに、控訴状、控訴理由書、控訴答弁書の各陳述、新たに提出の書証甲31?48(いずれも写)の取り調べのあと、被控訴人本人有田さんと、代理人澤藤大河の意見陳述があって結審となった。判決言い渡し日は、追って指定。
事前の裁判所との打合せで、意見陳述の時間は、有田さん4分・代理人6分と予定されていた。まず、有田さんが当事者席で立ち上がって、「被控訴人有田芳生より、当事者として意見を述べます」と語り始めた。
「「朝日ジャーナル」や「朝日新聞」が統一教会や霊感商法を批判した1980年代。信者たちは上司(教会内部ではアベルといいます)の指示に従って、朝日新聞社に抗議電話を殺到させ、そのため周辺のがんセンターや築地市場の電話回線までパンクする事態が生じました。」と言ったあたりで、裁判長から声がかかった。有田さんの身体が、明らかに100人に近い傍聴人の側を向いた演説になっていたからだ。おそらくは、裁判長に違和感が大きかったのだろう。
裁判長は、こう声をかけた(ように記憶している)。「お気持ちは分かりますが、こちらを向いてお話しいただけませんか」「あるいは、相手方に向かってお話ししては」と、たしなめる調子。有田さんは、やや怪訝な面持ちだったが、「それでは始めからやり直します」と、裁判長を向いて再び話を始めた。かつて統一教会は、批判の言論に対して、実力をもってする嫌がらせで対抗したが、今は、それに換わってスラップ訴訟を提起しており、無視できない成功をおさめていると時間内で話し終えた。裁判長は、よく聞いてくれたように思う。…… 事実としてはそれだけのことなのだが、その場に立ち会った私には幾つかの感想があった。
まず、有田さんの気持を忖度してみよう。
「法廷という構造物が作る空間において最も敬意を示されるべき場は傍聴席ではないか。なにしろ、そこは主権者が席を占める場なのだから。傍聴席の主権者は、主権者自らが託した司法作用が適正に運用されているかを見守っている。当事者席に立って、裁判長に正対すれば、傍聴席の主権者に背を向けて、敬意を表すべき主権者をないがしろにすることになってしまう。私は傍聴席の主権者に向かって発言し、裁判所はその発言を耳に留め置けばよいのだと思う」
裁判長には別の思いがあっただろう。以下のようなものであろうか。
「この法廷の主宰者は私だ。私がこの法廷の秩序を維持し、それぞれの当事者の主張を公平に正確に聞く立場にある。当然に法廷での発言は私に向かってなされるべきで、私は聞く耳をもっている。有田さんが傍聴席に向かって発言したのは意外なことだが、分からないではない。傍聴席は社会に開かれている。この法廷での出来事を社会に発信しようとすれば、自ずと傍聴席に向かってお話しする姿勢となるのだろう。しかし、ここは法廷なのだから、社会への発信よりは、裁判長である私に語りかけていただきたいのだ」
有田さんと裁判長。いったんは、両者の思惑は鋭く角逐した。が、裁判長の物言いが柔らかで、有田さんが傍聴席にこだわらず、始めからやり直します、と言ったため法廷の雰囲気は和やかになった。
刑事事件法廷の公開については、憲法37条が「すべて刑事事件においては、被告人は、公平な裁判所の迅速な公開裁判を受ける権利を有する」と定め、民事事件については憲法第82条1項が「裁判の対審及び判決は、公開法廷でこれを行ふ」としている。刑事も民事も、密室での裁判は許されない。主権者の不断の監視あってこその公平・公正な司法なのだ。もっとも、裁判傍聴を主権者としての権利と位置づけられているわけではない。
なお、この事件の裁判長は太田晃詳(39期)。前任の大阪高裁民事部勤務時代の2022年2月22日、旧優生保護法を違憲とし、初の賠償命令判決を言い渡した裁判長として知られる。下記がその報道(日経)である。
「旧優生保護法(1948?96年)下で不妊手術を強制されたとして、近畿地方に住む男女3人が国に計5500万円の損害賠償を求めた訴訟の判決が(2022年2月)22日、大阪高裁であった。太田晃詳裁判長は旧法を違憲と判断し、計2750万円の賠償を命じた。全国9地裁・支部で起こされた訴訟で初の賠償命令。今後の被害者の救済のあり方に影響を与える可能性がある。」