石原慎太郎の生前の言動には、死後もこだわり続けねばならない。
(2022年3月15日)
「死屍に鞭打った」のは、春秋時代の伍子胥である。父と兄の仇である楚の平王の墓を暴き、掘り起こした死体を鞭打って父と兄との恨みを晴らしたという。あまりに殺伐とした野蛮な行為だが、実は、その昔から死者は鞭打たぬものという常識あればこそ語り継がれた故事なのであろう。
石原慎太郎という、民主主義と人権の仇が亡くなったのが今年の2月1日。生前の石原の言動に対する批判の不徹底が歯がゆい。死者に対する肯定的な評価の傾向を「デス・ポジティビティ・バイアス(死による肯定バイアス、DPB)」と呼ぶのだそうだ(3月14日・毎日「過去の言動は死後に美化されるのか 石原慎太郎氏の死去から考える」)。そのような社会的現象が、石原の死にも生じているごとくだが、これは危険なことだ。徹底して、「デス・ネガティブ・バイアス(死による否定バイアス、DNB)」でなければならない。そうでなくては民主主義と人権の恨みは晴らせない。
石原慎太郎が亡くなったその日、法政大法学部の山口二郎が「石原慎太郎の訃報を聞いて、改めて、彼が女性や外国人など多くの人々を侮辱し、傷つけたことを腹立たしく思う。日本で公然とヘイトスピーチをまき散らしてよいと差別主義者たちを安心させたところに、彼の大罪がある」とツイートした。言わば、「死屍に鞭打った」のだ。これに批判的なリプライ(返信)が殺到したという。「自分も(石原の)遺族のこと傷つけてるのに」などというもの。
一方、同じ1日に共産党委員長の志位和夫は、国会内で記者団に「心からのお悔やみを申し上げたい」と述べた。さらに、「私たちと立場の違いはもちろんあったわけだが、今日言うのは控えたい」と語ったと報道されている。これに対して、SNS上では「礼節を重んじる常識人」「大人の対応」などと称賛の声が目立ったという。SNSとはそういうものなのだ。
私は、石原の訃報に機敏に反応した山口ツィートに共感する。石原とは弱い者イジメを気取って追随者を集めてきた人物である。実は世の中には、弱い者イジメ大好き人間がウヨウヨしている。石原慎太郎とは、彼らのアイドルだった。世に有害この上ない。
志位和夫の本心は知らず、そのわざとらしい振る舞いに辟易する。もっと率直にものを語ってもらいたい。弱者の側の味方に徹してもらいたい。
石原慎太郎は、ヘイトスピーチを振りまく差別主義者であるだけでなく、都政を私物化した、実質的意味での犯罪者でもある。
毎日新聞デジタル(最終更新 2/17 10:47)が、「石原慎太郎氏 都知事としての仕事ぶりはどうだったか」と題して、下記の検証記事を掲載しているのが興味深い。要点をご紹介させていただく。
「1999年に初当選して以来、圧倒的な得票で2回の都知事選を制してきた石原氏が初めて逆風にさらされたのが07年知事選だった。「都政私物化」が争点になったからだ。その源流は「サンデー毎日」が04年1月18日号から6回連載した調査報道「石原慎太郎研究」にある。取材・執筆の大半を私(日下部聡記者)が担当した。
交際費で飲食 登庁は週3日
都知事になった石原氏をそれまで、多くのメディアは国政を巡るキーマンか「ご意見番」的な位置づけで取り上げることが多かった。…むしろ、他の都道府県知事と同じように、自治体の長としての働きぶりを事実に基づいて検証する必要があるのでは――という問題意識が出発点だった。
都の情報公開制度を活用した取材の結果、飲食への交際費支出が異常に多く、米国出張時のリムジン借り上げやガラパゴス諸島でのクルーズ乗船など、海外視察の豪華さが浮かび上がった。一方で都庁に来るのは平均して週3日ほど。日程表には「庁外」とだけ記されて、秘書課ですら動静を把握していない日が多数あった。
サンデー毎日の記事を読んだ都民が石原氏に公金の返還を求めて起こした住民訴訟を契機に、都議会で「都政私物化」が問題化。記事掲載の3年後に知事選の争点となったのだった。
「ちまちました質問するな」
連載をしていた時、私は記者会見に出席して石原知事に見解をただした。
「キミか。あのくだらん記事を書いているのは」
石原氏は開口一番、そう言った。
「知事の親しい人に高額の接待が繰り返されていますが」
「親しい人間で知恵のある人間を借りてるわけですから、それをもって公私混同とするのはちょっとおかしいんじゃないの」
(石原慎太郎・東京都知事が新銀行東京の幹部らを知事交際費で接待した際の料亭の請求書がある。都への情報公開請求で開示されたこの請求書では、石原氏を含む計9人で総額37万2330円の飲食をした。1人あたり4万円あまりの計算となる。)
「知事は就任直前『交際費は全面公開する』『公開したくないなら、私費で出すべきだ』と言っています。他の道府県のようにホームページで全面公開するようなことは考えていませんか」
「いや、公示の方法はいくらでもありますから。原則的に公示してんだからですね、それを関心のある人がご覧になったらいいじゃないですか」
「本誌は海外出張が必要以上に豪華だと指摘しました」
「必要以上に豪華か豪華じゃないか知らないけど、乗った船のイクスペンス(費用)は払わざるを得ないでしょう。(中略)何か文句あんのかね、そういうことで。ちまちました質問せずに大きな質問しろよ。ほんとにもう」
約20分間続いた記者会見の最後に、私は再度質問の手を挙げたが、石原氏は「もういいよ」と遮り、会見場の出口へ歩きながら「事務所に聞け、事務所に」と言って姿を消した。
公人としての意識がどれだけあったか
石原氏は税金が都民のものであることを、どのくらい認識していたのだろうか。
石原都政最大の失策ともいうべき「新銀行東京」の設立から撤退への過程では、最初の出資金1000億円に加え、破綻回避のための400億円の追加出資にも税金がつぎ込まれた。しかし、経営が好転することはなく、少なくとも850億円の都民の税金が失われた。
振り返ってみれば、非常識な知事交際費や海外出張費の使い方は、新銀行の行方を暗示していたように思える。
若い時から作家として、「裕次郎の兄」として「注目を集め」続けてきた石原氏に、都の予算は公金であり、自身は有権者の負託を受けた公人であるという意識は薄かったのではないかと私は考えている。
高まる「都政私物化」批判の中、石原氏は都知事選2カ月前の07年2月2日の定例記者会見で一転、「反省してます」と述べ、以降は知事交際費の使用状況や海外視察の内容を都のウェブサイトで公表するようになった。選挙戦でも「反省」を前面に押し出した結果、「情報公開」を掲げた浅野史郎・元宮城県知事に大勝したのだった。」
都民は、こんな人物を長年知事にしていたわけだ。都民の民主主義成熟度や人権意識の低レベルを反映したものと嘆かざるを得ない。