「3・1」と「3・11」の距離
来年(2014年)3月1日は、アメリカのビキニ核実験で、「ブラボー」と名付けられた水素爆弾が爆発してから60年となる。われわれにとっては、第五福竜丸被曝60年の「負の記念日」。その日に向けて、公益財団法人第五福竜丸平和協会は、「被ばく60年記念事業」を準備中である。記念の集い、連続市民講座、各地での第五福竜丸展の開催や出版の諸企画‥。多くの人にご賛同いただき寄付も募らなければならない。
木造のマグロ漁船「第五福竜丸」は、1947年に和歌山県古座町(現在串本町)で建造され、初めはカツオ漁船として活躍し、後にマグロ漁船に改造され遠洋漁業に就航。1954年3月1日に、太平洋のマーシャル諸島にあるビキニ環礁でアメリカが行った水爆実験によって被曝した。その後、練習船に改造されて東京水産大学で使われていたが、1967年に廃船になった。この廃船が夢の島に廃棄されていることが一青年の新聞投書によって社会に知られ、その後の市民運動によって、美濃部都政の時代、夢の島に第五福竜丸展示館が建設された。第五福竜丸は原水爆禁止運動の象徴として、多くの来館者に被災の事実を訴え続けている。
来年3月1日(土)に日本青年館で行われる「記念の集い」では、池内了さんの記念講演と、三宅榛名さんのピアノ記念演奏が予定されている。これは、豪華な顔ぶれではないか。
60年記念のメインの出版企画が、図録『第五福竜丸は航海中』。このタイトルは、第五福竜丸は今なお航海を続けてるというイメージのもの。物理的には展示館に据えつけられ固定されてはいるが、世界の原水爆禁止運動に携わる多くの人とともに、核のない平和な世界を目指して航海を続けているのだ、という思い入れ。良い題名ではないか。
本日、平和協会の役員らの懇談会があって、記念事業の進め方について協議した。その中で、「図録」における福島第一原発事故被災の取扱い方について、若干の議論があった。
「被曝50年の時とは異なって、60年の今回は福島の原発事故後の放射能被害問題を抱えている。核兵器による被爆・被曝と、原発による放射能被害との関連性を訴えるためにも、フクシマの被災についても図録に掲載すべきだ」
「ヒロシマ・ナガサキ、そしてビキニ被災、続いてフクシマという人類の核被害・放射能被曝の歴史を一連のものとして把握しなければならない。ビキニ事件の『3・1』とフクシマ事故の『3・11』とは、実は緊密に繋がっているのだということを確認したい」
「私は、人類対核、人類対放射線被害というように、過剰に抽象化した捉え方ではない方が良いと思う。ヒロシマ・ナガサキは大日本帝国の行き詰まりにおける事件だった。ビキニ被災は東西冷戦の産物だった。そしてフクシマは、戦後日本の経済や政治の在り方がもたらした悲劇。そのように異なる位相を具体的に把握すべきだ」
「一点注意を要すると思うので、ご留意いただきたい。福島の地元の一部には、福島をヒロシマ・ナガサキと同列に置いた議論を強く嫌う傾向がある。福島に対する差別意識につながるおそれを感じておられることに十分な配慮をしなければならない」
「ヒロシマ・ナガサキの被ばく者も、事件後すぐに立ち上がったわけではない。いろんな葛藤を克服して立ち上がるまでには10年余を要した。地元の世論が成熟して力になるまでにはそれなりに時間がかかることに理解を示すべきであって、福島への言及は慎重を要する」
「とはいえ、何もしないで無為に時を待ちさすえば、自ずから『3・1』と『3・11』の距離を縮める結果になるとは限らない。むしろ、ヒロシマ・ナガサキの被ばく者運動の経験から今の時期にどう福島に言及すべきかをアドバイス願ったうえで、図録には福島についても書くべきだと思う」
「なによりも、被害内容の正確な把握が大切だと思う。いま、現地の子どもたちの日常の被曝量の調査を進めているが、新しい知見がまとまりつつある。けっして、過小評価してはならないが、また被害を誇張してもいけない。そのような正確な事態把握のうえであれば、過不足のない言及ができるのではないか」
なるほど、なるほど。すべての発言がもっともだ。今、国民の中には福島原発事故によって直面せざるを得なくなった放射線への強い恐怖がある。そして、そのような被害をもたらした原発が、実は日米の核政策の中から生まれたことも知られようになってきている。
3・1ビキニ事件は、核爆発の威力の凄まじさと核実験による放射線被曝の恐怖とを世界に示した。3・11福島第一原発事故も、核の恐怖と放射線被曝の恐怖とを世界に示した。とりわけ日本人には深刻な恐怖である。「3・1」と、「3・11」と。その両者の距離は、実はそんなに離れたものではない。そして、実は、「8・6」「8・9」と「3・11」とも。核による甚大な被害を受けてきた我が国の国民は、「8・6」「8・9」「3・1」「3・11」を、つながる被害として把握すべきであろう。その根源を同じくし、それぞれの事件の被害者の連帯した運動によって共通に克服すべき課題を抱えていることを確認すべきだろう。そうあって欲しいと願っている。
(2013年10月27日)