宇都宮健児君、立候補はおやめなさいーその3
私は、宇都宮君とは同期の弁護士という間柄になります。ともに、1969年春に大学を中退して司法修習生となり、そこで知り合いました。ですから、付き合いの期間は40年を遙かに超えることになります。
ともに71年に東京弁護士会に登録をしましたが、活動の分野を異にすることとなりました。私は主として労働事件に携わる弁護士となり、青年法律家協会や自由法曹団などに拠って活動をする立ち場となりました。彼が何をしているのか、しばらくはよく分かりませんでしたが、次第に「サラ金問題の宇都宮」として知られるようになってきました。
私の関心の分野が労働問題オンリーから、憲法訴訟や教育問題、医療事件などを経て消費者問題にも拡がり、東京弁護士会の消費者委員長を務めました。そのころ、宇都宮君は「サラ金問題」のエキスパートとして6代目の日弁連消費者委員会の委員長に就任しました。彼の後塵を拝して、私は8代目の委員長となりました。(なお、中坊公平さんが2代目でした。)
同じ「消費者族」と見られる立ち場となって、当然に宇都宮君を仲間と思って信頼もし、彼の温和な人柄も好もしいものと思ってきました。それだけでなく、サラ金問題を個別事件としての解決に終わらせず貸金業法改正問題に取り組む姿勢も、「反貧困」の運動に足を踏み出したことも大いに評価していました。
そんなことから、2012年暮れに降って湧いた東京都知事選では、喜んで宇都宮健児候補陣営の選対本部委員になりました。友人としての自発性に支えられたもので、何の組織的な背景を背負ってのものでもありません。
「人にやさしい東京をつくる会」の中の、「人にやさしい」のネーミングは私の発案です。私は、傲慢な石原都政に我慢がならず、宇都宮君であれば、その対極として、一人ひとりの都民にやさしい都政を実現してくれると、心から期待したのです。とりわけ、弱い立場にある者、貧しい者、差別されている者、少数者の側、たった1人で孤立する公益通報者にも、意識的に味方してくれるはず。そう信じての精いっぱいの応援でした。
私的なことですが、私は肺がん手術後の身で、十分な体力はありませんでした。それでも、自分の影響力の及ぶ限りは、宇都宮君を「弱者の味方」として、大きく声を上げて推薦してまわりました。
その私の内部にあった、宇都宮君の虚像は選挙に関わったころから、徐々にメッキが剥がれて瓦解を始め、ちょうど1年かかって完全な崩壊に至りました。この選挙に関わるようになってから1年余。今は、自分の「人を見る目のなさ」を嘆き、深く恥じいるばかりです。1年前、このような候補者についての私の推薦に耳を傾けてくれた皆様、とりわけ熱心に選挙を支えていただいた都教委と闘う退職教員の皆様にお詫びの言葉もありません。
前回選挙が終わって、宇都宮健児君という人物が候補者としてふさわしかったのかどうか。これまで、私を含めて誰もきちんと検証する発言をしていません。民主的な「市民選挙」にあるまじきことではないでしょうか。選挙戦が終わるまでは、候補者の能力や資質を攻撃するのは愚かなこと。しかし、これだけ大差で敗れたあとでも、適切な候補者であったかをきちんと検証しないことはさらに愚かなこと。一年経って再びの選挙に、その適格性の検証のないまま再び候補者として擁立しようというのは、愚の極みといわざるを得ません。
私は、宇都宮君が、都知事としても革新陣営の候補としても不適格だと確信するに至っています。その理由を整理すれば、
(1) 彼は都知事選候補者としての資質・能力に欠けます。到底、「魅力のある、勝てる見込みのある候補者」ではありません。このことは既に実証済みと言えましょう。
(2) 彼は、弱者の立場に寄り添おうという誠実さに欠けています。「勝てないとしても推すべき候補」というべきではありません。
(3) 彼の流儀はけっして正々堂々としたものでなく姑息で、道義的に問題が大きく候補者としてふさわしくありません。
(4) 前回選挙において、彼と彼の取り巻きのした行為には明白な違法があって、仮に当選した場合には、追及を受けて油汗をかかなければならない危険な立ち場にあります。
反対のご意見があることは当然だと思います。その方たちが、宇都宮君を擁立するという選択もあり得ましょう。しかし、意識的に宇都宮君をチヤホヤするだけのコマーシャルメッセージで判断されることのないよう、ご忠告いたします。賢い消費者として、売らんがための宣伝を鵜呑みにすることなく、シビアな自分自身の目で商品の品定めをしていただきたいのです。私が知る限りの材料は、このブログで提供いたします。できれば、その材料も吟味してご判断をいただけたら有り難いと思います。私のように、1年前の自分の判断を悔やむことのないようにお願いいたします。
私の願いは、革新の共同行動の先頭に立つにふさわしい、清新な候補者の選定作業が迅速に進展することです。宇都宮君の存在を意識して、その作業が遅滞することを恐れています。人を見る目のないことにおいては実証済みの、私の出る幕ではありません。都政のことを深く考えたことのない一夜漬け・俄か勉強の候補者ではなく、常々都政の問題に取り組んでいる市民グループを中心に、宇都宮君以外の候補者の人選を進めていただきたいのです。
特定秘密保護法反対運動では、著名な多くのジャーナリストや作家、表現者が忌憚のない声を上げて運動の先頭にも立ちました。このような人々に白羽の矢を立てることは十分に可能ではありませんか。
「時間がないからしょうがなく」「ほかに手を上げてくれそうな人がいないから不戦敗よりはマシ」などという消極的な理由で前回選挙で「泡沫」「惨敗」の刻印を深く押された宇都宮君を再び革新共闘の候補者にはすべきでありません。およそ有権者にたいする魅力に欠ける宇都宮君を再び擁立しての再びの惨敗は、宇都宮君自身の惨敗であるだけでなく、「革新の惨敗」でもあるのです。再びあの苦い味を噛みしめたくはありません。
さて、昨日のブログで、私が「宇都宮君、立候補はおやめなさい」ということに至った「対立」の発端としての「私的総括」を紹介しました。この中には、選対の無能・無為無策について触れてはいますが、候補者の無能・不適格については触れていません。私の、腰の引けた批判の姿勢が露呈しています。
その程度であっても、宇都宮選対のメンバーはこの公表を問題としました。私は、批判を封じようとする集団の圧力を感じざるを得ませんでした。内容的に最も問題とされたのは、私が文中で指摘した、選挙最終盤での選対本部長と事務局長による「問答無用の複数随行員に対する任務外し強行」の指摘です。
これについての私の言い分は、不当極まりない選対本部長・事務局長の「小さな権力の横暴」で、選対の体質の象徴的な表れ、だというものです。最も献身的で、最も有能な選挙運動参加者を恣意的に切って捨てたということは、世にブラック企業があり、ブラック官庁もあるが、ここには「ブラック選対」があったということなのです。こんなやりかたで、市民選挙が発展するはずもない。選対の体質は、「選挙運動は気のあった者どうしだけで楽しくやればよい」というものではないか。「真剣に選挙運動をしようとする市民の参加は邪魔として抑えてきたのだ」というものでした。これに対して、選対本部長・事務局長は、任務外しにはそれなりの理由があるのだということでした。この件については、後に詳しく述べます。
多少のやり取りがあって、この点に関して宇都宮君が問題解決のために調停にはいるということになって、1月5日掲載の「私的総括」は、その調停作業が進行中はブログ掲載から下ろすことを承諾し、数日を経ずして「当たり障りのない総括文」に差し替えました。
もちろん、私は大いに不満だったのですが、「大人の態度」で妥協したのです。私には、その時点で、宇都宮君にまだ幻想がありました。弁護士でもあり、日弁連の会長も務めた人物です。弱者の立場に立つ人とも思っていました。彼が調停してくれるという事案は、さほど複雑でも、解決困難な深刻なトラブルでもない。解決のためにそれなりの知恵を発揮してくれるだろう。そう、期待したのです。
しかし、私は甘かった。期待はまったく裏切られました。形ばかりの「調停」の作業は、実効的な進行をすることのないままグズグズと時を過ごしました。そして、最終的には、ほぼ1年を経た今年の12月20日、私の「解任決議」が行われた「人にやさしい東京をつくる会」運営会議の席上で、「いったいこの事件の調停作業の結論はどうなったのか」という私の問いかけに、「あれは、選対本部が責任をとるべきことではないと認識しています」というのが宇都宮君の結論の言い渡しでした。
この件は、宇都宮君の姿勢や能力をよく表しています。彼は、人にやさしい資質を持っていません。弱い立場にある人の側に立とうという気概もない。人の屈辱や悩みを理解できない。ただ、ただ、集団の多数派に身を寄せる保身にしか考えが及ばないのです。弱い立場にある者が、強者や多数派の横暴に被害を受けたという訴えがあったとき、これに真剣に耳を傾け、たとえ能力が及ばなくても解決をはかろうという誠実な姿勢がありません。せめては、公正な第3者委員会の体裁を作って、選対側の唐突な随行員解任の理由を特定して「被害者」に示し、被害者側からの十分な反論を聞こうという常識的な最低限の行動くらいはすべきだったのです。しかし、彼はそれさえやろうとしませんでした。
彼には、身近な小さなトラブルを解決する能力がまったく無いのです。紛争の両当事者を説得し納得させる力量もなく、度量も迫力も持ち合わせていません。革新共闘の候補者としてのレベルの問題ではなく、通常の弁護士としての能力にも欠けるものと指摘せざるを得ません。
到底、推すことができないとする具体的理由について、明日から順次詳細に報告いたします。私は現役の弁護士ですから、依頼者のために仕事をすることが本分です。ブログの作成に費やせる時間には自ずから制約があります。おそらくは、あと10回くらいで、一通りのことを述べることができるでしょう。ただし、宇都宮君に、再出馬の意向がないことが確認できれば、必ずしも、「立候補をおやめなさい」と呼び掛け続ける意味はなくなります。
また、一通りのことを述べたあとも、宇都宮君の立候補断念が確認できなければ、さらに声を上げ続けなければならないと決意しています。
(2013年12月23日)