宇都宮健児君、立候補はおやめなさいーその5
2014年都知事選が、1月23日告示、2月9日投開票に決まった。保守側の候補者の名は賑やかに取り沙汰されているが、革新陣営の候補者擁立の動きは私の耳には聞こえてこない。
革新陣営・市民運動参加者がこぞって、一日も早く、しかるべき候補者の擁立を進めるよう願っている。前回の革新(統一)候補者であった宇都宮健児君に気兼ねし、あるいはその擁立の可能性にこだわって、統一候補選任の進展を遅らせるようなことがあってはならない。彼は、前回選挙の惨敗で到底勝てない泡沫候補であることを実証済みではないか。都知事候補として、選挙民を惹きつける情熱と力量と魅力を持っていない。しかも、けっして「人にやさしくない」。弱者の権利救済に意欲も力量もない。しかも彼のやり口は、姑息で狷介だ。到底革新統一の御輿に乗る資格はない。それだけではない、前回選挙では彼自身に違法の疑惑がある。仮に彼が当選するようなことがあれば、再びの百条委員会開催問題となりかねない。3年続けての都知事選は、悪夢だ。
前回選挙を経験した多くの人が、宇都宮君の候補者としての適格性に疑問をもっていることは明々白々と言ってよい。しかし、その多くの人が、善意から「では誰が候補者として出馬してくれるのだろうか」「急なことで、結局は宇都宮さん以外に候補者がないのが現実ではないか」「候補者として清新さも魅力もなく、勝てそうにもないけれど、宇都宮さんでしょうがないじゃないの」「不戦敗よりは、宇都宮選挙の方がましではないか」「現実的な候補者案を出さずに宇都宮さんを批判するのは無責任」などとお考えではなかろうか。
私は、このような考えを払拭しなければならないと思う。こんな考えが頭の隅にでも残っているから、ずるずると時を過ごして、候補者選びが遅滞しているのではないだろうか。まず、「宇都宮君は候補者として不適格。別の共闘候補者を本気になって選任する」というスタンスに立つべきである。
申し上げておきたい。宇都宮君を候補者として推薦することは無責任だということを。前回選挙における問題行為を指弾されるおそれが濃厚であることを。敢えて言う。仮に候補者が見つからなければ、不戦敗の方が「まだマシ」なのだ。宇都宮君の再びの惨敗は、「革新の惨敗」と記憶される。それは望ましいことではない。そして、それ以上に宇都宮君の擁立は危険なのだ。
不戦敗が望ましくないという陣営は、各グループ独自の都知事候補を立てるべきであろう。宇都宮候補では勝てないことが分かりきっているのだから、同じ負けるにしても、歯がゆい共闘をして負けるよりは、「わが陣営独自の候補」を擁立して、精いっぱい「わが陣営の政策」を訴え切る政治戦を行うのが筋ではないのか。
誤解されては不本意なので、ハッキリさせておきたい。私は、革新統一選挙の実現を強く願う立ち場にある。統一のための政策協定が締結されて、選挙民に訴える力のある、魅力的な候補者の選任が一刻も早く実現することを希望している。宇都宮君はそのような候補者としての資格はない。
特定秘密保護法反対運動の中で、知る権利の重要性が強調された。そこでは、行政の秘密主義が、国民の政策選択の基礎であって、正しい政策判断に到達する権利を奪うものであることが熱く語られた。「国民に知らせることが適当でない情報があることは当然」「全てをさらけだしては、効率的な行政はできない」などという、政府見解が厳しく指弾された。
私は、行政と国民とのこの局面における関係は、「市民選対」と「市民選対を支える市民」との関係とまったく同じだと思う。市民選対は、市民を舐めてはいないか。「市民は由らしむべし、知らしむべからず」とでも思っているのではないか。選対が許容する範囲の情報だけを流しておけば十分という誤りを犯してはいなかったか。
市民選挙が市民に開かれたものであり、市民にカンパや労力の提供を求め、支持の拡大を図るものであるからには、選対はできる限りの選挙関連情報を提供しなければならない。市民には、選対の動向について「知る権利」がある。ネット社会において、情報の発信は難しいことでもなく、手間や費用のかかることではない。にもかかわらず、選対の一部が情報を独占して秘匿し、これを小出しにするということは、市民の権利を侵害することである。
市民すべてが、十分な情報に接することによって、宇都宮君再出馬の是非について検証しなければならない。少なくとも、私が当ブログで提供する情報については、判断材料としていただきたい。
そんな意味合いで、本日は、金にまつわる問題の一部について、事実の提供と若干の意見とを申し上げておきたい。
前回2012年選挙における宇都宮君の立候補供託金(300万円)は、私の妻が捻出した。妻の即断で、妻名義の預金を下ろして用立てた。立候補届出直前に彼が用意できないとなったからだ。選挙運動収支報告にも、政治資金収支報告にも記載はないが事実である。
そのとき、ふと私の脳裏をよぎったものがある。「もしや、法定得票数に達せず、供託金が没収されるようなことがあったらどうしよう」というもの。まさかとは思ったが、あり得ないことではない。「そのときに、いま300万円を用立てることができない人物からの回収が可能だろうか」と。
しかし、「当選を目指して選挙運動を始めようという自分が、初めから惨敗を予想してはいけない」と自分を抑え、「仮に、供託金没収になったら、そのときはやむを得ないとあきらめよう。潔く300万円カンパしたと思えばよい」。そう夫婦で話し合った。このときには、一切の書類の作成はない。
結局は大敗ではあったが、幸い法定得票(有効投票数の10%)はクリヤーして、供託金は没収を免れた。当然、宇都宮君自身が直ちに供託金を取り戻して、返済してくれるだろうと思ったが、しばらく何の音沙汰もない。借用証書の一枚もないのだから不安になって返還を請求した。「え?、まだ返していないの。会計責任者がやっていたと思っていた」という他人事のお返事。4月12日付で「4月末までに返済をする旨の誓約書」が差し入れられ、4月16日に返済された。正直なところホッとした。
次の話題。
12月21日付の当ブログで、上原公子さんが「労務者」として金銭を受領していることについて、次のように書いた。
「極めつけは、上原公子選対本部長や服部泉出納責任者が、報酬を受領していたことです。支出の目的は二人とも「労務者報酬」と明記されています。私は、選挙が終わって約半年後の6月17日付で東京都選管から選挙運動報告書の写しをもらって、初めてこのことを知りました。さすがに、これには驚きました。多くの無償(ただ働き)ボランティアを募集し運動をお願いする立ち場の人が、ちゃっかり自分は報酬をもらっているのです。お手盛りと言われても、返す言葉はないでしょう。」
「選対本部長も、出納責任者も、「労務者」として届け出て、「労務者報酬」を受領したのです。明白な脱法行為です。もし、「労務者」として届けられた人が、単純労務の範囲を超えて、少しの時間でも人に働きかける実質的な選挙運動に携わっていれば、運動買収(日当買収ともいう)罪が成立して、日当を渡した選挙運動の総括主宰者も、日当をもらった選挙運動員も、ともに刑事罰の対象となります。総括主催者が有罪となれば、場合によっては、連座制の適用もあるのです。」
前の文章が選対本部長の道義的責任を問うたもの。後のものが法的責任を問うたもの、端的に言えば選対本部長と事務局長に犯罪の容疑があるという指摘である。
このブログを書いたのが4日前。連休明けの昨日・今日には、「知らなかった」「驚いた」「許せない」「カンパしたことが馬鹿馬鹿しい」などという、もっともな反応に接している。ところが、「道義的に問題だとは思いますが、上原さんの行為が本当に犯罪になるのですか」という率直な声にもぶつかった。言外に、「法は厳しすぎるのではないか」というニュアンスが感じられる。そこで、もう一度、この点に触れなければならない。
明らかに犯罪になるのだ。これは、選挙運動収支報告への届出の有無や届出内容とは無関係。「労務者としての届出が間違い」というレベルの形式犯罪ではない。労務者としての事前の届出対象者が、純粋の労務提供をしている限りおいては、労務提供の対価としての金銭の支払いは違法ではない。しかし、人に働きかける選挙運動としての実質を持つ行為を行った者は、労務者としての届出があろうとなかろうと、金をもらってはならない。これに金銭の授受があれば支払った側も、支払いを受けた側も犯罪になるのだ。
面倒だが、適用条文を引用する。
「第221条1項 次の各号に掲げる行為をした者は、3年以下の懲役若しくは禁錮又は50万円以下の罰金に処する。
1号 当選を得若しくは得しめ又は得しめない目的をもつて選挙人又は選挙運動者に対し金銭、物品その他の財産上の利益若しくは公私の職務の供与、その供与の申込み若しくは約束をし又は供応接待、その申込み若しくは約束をしたとき。
4号 第1号…の供与、供応接待を受け若しくは要求し、第1号…の申込みを承諾し…たとき。」
この条文には、投票買収と運動買収の両方が含まれているので、必要な箇所だけを書き抜けば次のとおりとなる。
「当選を得しめる目的をもつて選挙運動者に対し金銭の供与をしたとき」(法221条1項1号)、または「第1号の供与を受けたとき」には、金を払った側は、買収罪(1号)、金をもらった方は被買収罪(4号)として、最高刑が懲役3年の犯罪になる。
そもそも選挙運動は金をもらってやるものではない。金を渡して選挙運動をさせても、選挙運動員に報酬を渡しても犯罪なのだ。金を払った方も、受けとった方も処罰される。このことがよく分かっていない人が多いように思える。漫然と、「選挙事務所に詰めて働くのだから、報酬をもらって当然」という感覚があるとすれば、一掃してもらわねばならない。これは弾圧立法ではない。民主主義社会の常識が法の条文に結実したものと考えなければならない。徳洲会や石原宏高や、猪瀬事案を批判しながら、宇都宮選対の違法に目をつぶってはならない。
なお、市民選対の本部長や、出納責任者には、高い道義性や献身性が求められる。運動の中心にあって、多くの人にカンパや労力の提供を呼び掛ける地位にある人は、自分がその金をもらってはならない。これは市民常識であり、市民運動に携わる者の健全な道義感覚である。しかし、それはあくまで道義的責任であって、「私の道義感覚や基準は違う」「このくらいの金額、金をもらってどこが悪い」「長時間詰めているのだからこのくらいもらわなくちゃ」と開き直られれば、批判はそれぞれの市民が自分の判断でするしかないことになる。「ご苦労様なのだから、金をもらったくらいでは、私は責めない」という人もいておかしくはない。しかし、それは道義的責任のレベルの問題でのこと。法律解釈においては、そのようないい加減は許されず、本人の主観的見解を問題とすることなく犯罪が成立する。
次の話題。
インターネット公開されている「人にやさしい東京をつくる会」収支報告書によれば、2012年12月23日に「会食会 206,500円」の支出がある。支出先は、「中華料理 日興苑」。選挙終了後であっても、選挙運動者の飲み食いに、20万円が支出されている。市民のカンパから、これだけの金額の「供応接待」に当たる支出がなされているのだ。誰の裁量で支出したのかは知らないが、これはやばい。少なくとも、道義的には大きな問題であろう。
もうひとつだけ書いて、今日は終わりにする。
11月29日午前0時39分に中山武敏君から、次のメールをいただいた。
中山君とは、携帯電話で気軽に話し合う中である。わざわざのメールは、記録を残しておきたいということだと印象を受けた。
「人にやさしい東京をつくる会」の名で契約しているウエイブサイトやサーバーの処理、持っている什器類の整理等の実務的な問題を前回会議での決裂で処理ができなくて実務方が困っています。どこかの段階で会議を開かなければなりませんが、出席の有無の意向についてお知らせください。
私も、電話ではなく、メールで回答の記録を残しておこうと考えた。以下に回答の全文を掲載する。
「澤藤です。
狭山再審も、東京大空襲弁護団としての特定秘密保護法反対運動もご苦労様です。
久しぶりにメールをいただきましたが、「前回会議での決裂」とはまったく意外なご認識。意見の相違は以前からありましたが、前回会議での「決裂」はありません。
「出席の有無の意向」は会の全メンバーに尋ねているのでしょうか。それとも、特定の者についてだけ?
前回会議では、中山・宇都宮・上原の3者で協議して、今後の議論の進め方をどうするか素案をつくってみんなに提案することを「確認事項」としたはずです。
会議には議事録を作成するということで、書記役が会議に参加していました。これまで、その議事録を見せていただいていませんので、ぜひ拝見したいと思います。郵送か、メール添付でお送りください。
前回会議のあと、私は中山君に電話して、確認事項に基づく3者の協議は進行しているのか尋ねたことがあります。ご記憶あるはずです。あなたの回答は、「まだ協議はしていない」ということでした。また、その際には、「間にはいってくれる人がいる。その人から(澤藤に)連絡があるはずだ」とも聞いています。
しかし、今日に至るも「前回会議の確認事項」について何の進展の連絡もなく、「間にはいってくれる」はずの人(誰かは知りませんが)からの連絡もありませ
ん。
問題の中心は、選対本部長と事務局長から、強権的に任務剥奪の処置を受けたSとTさんの救済措置にあります。これをどう解決する予定であるのかご連絡をください。人権課題に関心をもつ者であれば、権利侵害を放置して済ませることができないことはよくお分かりいただけるはずです。
会議が必要であれば、当然に出席します。しかし、事前に議題や議事の進行方法などについて、きちんとお知らせください。会議で唐突に資料を示されても十分な検討ができません。その点についてはくれぐれも十分なご配慮をお願いします。
取りあえずは、実務方が処理に困っているといわれる「実務的な問題」について、その内容と処理方針を全メンバーにメールでお知らせいただくようお願いいたします。
なお、徳洲会の運動買収事件が猪瀬陣営に飛び火して、会計上の不正が大きな話題となっています。私は、宇都宮陣営の会計にはまったくタッチしていませんが、清廉なはずの革新リベラル候補の陣営に、保守の選挙とよく似た問題の指摘がなされるおそれを払拭できません。
東京都の選管に報告された選挙運動収支報告と政治資金収支報告とを閲覧した限りでは、収支の内容がよくわかりかねます。辻褄の合わない疑問点も多々あります。いまさら、引っ込めることはできませんが、よくもこんな内容を公開したものと驚くこともあります。
「会」の代表である貴君は、報告書によく目を通していらっしゃるのでしょうか。
もし、まだということであれば、公職選挙法上の選挙運動収支報告は都庁の選管で、政治資金規正法上の政治資金収支報告はインターネットで閲覧可能です。よくお読みください。
そのうえで、少なくとも選対メンバーには、会の立ち上げから現時点までの正確な会計報告をしていただくよう、正式に要請いたします。
また、選挙費用としてカンパをいただいた金銭の余剰分について、どう処理をすべきかお考えでしょうか。石原慎太郎が尖閣の購入資金として集めた寄付の処理については、批判が集中したところです。その二の舞をしてはならないと思います。
選挙直後には、政治団体である「会」への寄付だったのだから「会」の運動に使って問題はない、という雰囲気でした。私も、その時には異議を差し挟むことはしませんでした。しかし、今は違います。選挙のためのカンパとしていただいたものですから、選挙以外の目的に使うべきではないというのが筋の通った考えだと思います。
面倒でも、費用がかかっても、カンパした人に按分して返還しなければならない
と考えています。
貴君に腹案あればお知らせください。」
その後何の連絡もなく、12月19日の「だまし討ち会議」招集の通知に接した次第。その会議の席でも、会計報告はなかった。
私は、会計報告にごまかしがあるとはまったく思っていない。まさか、私物化もなかろう。しかし、この不透明性には我慢がならない。どうして、みんなのカンパの集積である会計の徹底した公開ができないのだろうか。
ズケズケとこんなことを言うから、解任されてしまったのだろう。
(2013年12月25日)