拝啓 山口香様
山口香さん、東京都は元柔道選手のあなたを、東京都教育委員に起用する方針を固めたとのこと。瀬古利彦さんの後任で、議会が同意すれば4月1日付で就任する予定という。2020年東京オリンピック招致に向けての人事だとか。
山口さん、あなたには期待が大きい。オリンピック招致のことではない。あなたが管轄することになる都内公立校での「日の丸・君が代」強制という異常な事態を解決していただきたい。少なくとも、解決に向けての一石を投じていただきたい。
あなたは、暴力的体質にまみれた柔道界にあって、監督の暴力に抗議の声をあげた現役女子選手15人の側に立つことを躊躇しなかった。圧倒的な強者であるいじめる側にではなく、いじめられる弱者の側に寄り添うあなたの姿勢がすがすがしい。その意気や、おおいによし。そのすがすがしい心意気を、教育委員という職責においても貫いていただけないだろうか。
都内公立校の卒業式・入学式での「日の丸・君が代」の強制が始まってもうすぐ10年になろうとしている。これは、教育委員会による教員への、暴力・イジメにほかならない。教員の中には、「日の丸・君が代」大好き人間もいるだろう。しかし、自らの思想にかけて、あるいは教員としての良心を大切にする立場から、どうしても「日の丸・君が代」に敬意を表明することはできないという教員も少なくない。人間として、教員として、真面目にものを考える人ほど、こだわらざるを得ない問題となっていることを理解していただきたい。
あなたに質問したい。あなたは、スホーツ界で過ごしてきたその半生において、「日の丸・君が代」にまつわる問題を真剣に考えたことがあるだろうか。スポーツイベントや学校スホーツが、ナショナリズムの昂揚や国家主義に利用されていると考えたことはないだろうか。旧天皇制のもとで国家のシンボルとなった日の丸や君が代が、日本国憲法下の現在もなお、国旗国歌となっていることを奇妙と考えたことはないだろうか。少なくとも、「日の丸・君が代」の強制には服しがたいと考えている人の心情を理解しようとしたことがあるだろうか。
スポーツ会場は、理性ではなく激情が支配する空間だ。そこで日の丸を打ち振る人々の、他者に対する同調要求の圧力は凄まじい。同じことが学校現場に起きている。しかも学校現場では、社会的な同調要求圧力だけではなく、職務命令という公権力の発動までがなされている。
あなたは、日の丸を打ち振る観衆の声援を心地よいものと感じてきただろうと思う。しかし、教育委員として公権力の担い手となるからには、真剣にお考えいただきたい。社会的同調圧力の危険性について、また、公権力行使のあるべき限界について。「日の丸・君が代」への敬意の表明の強制、つまりは懲戒処分の恫喝のもとに起立・斉唱・伴奏を命じることの危うさについて。
柔道とは、柔道の修練とは、何を目指してなんのためにするものなのだろうか。柔道家が求める強さとはいったい何だろうか。一人ひとりが、全体に飲み込まれない個人としての強さを目指すものではないのだろうか。技も練習方法も個性を磨くためのものではないのだろうか。
自らの信念を貫いて、起立・斉唱・伴奏を拒否した教員は、この問題に真摯に向き合い、自らの怯懦と闘い、社会的圧力に抗し、最後は公権力の圧倒的な強制に立ち向かった、賞賛すべき勇者だと言えないだろうか。
少なくとも、必死で、自分と闘い、勇気をふるって社会と公権力に立ち向かっている人を辱め、嵩にかかっていじめる側にまわることは柔道家のよくするところではあるまい。いや、人としてそのような卑劣な振る舞いはできないとする感性を、あなたには期待したい。
残念ながら、この10年。そのような期待に応えていただける教育委員は1人もいなかった。もしこの期待に応えていただけるなら、日本の教育史の1ページにあなたの名が残ることになる。それに比べれば東京オリンピック招致の成否など、まことに小さな問題でしかない。