この夏、戦争の悲惨さと加害の責任を見つめ直そう。
(2023年8月12日)
夏、戦後78年目の8月である。猛暑のさなかではあるが、既に新たな戦前ではないかというささやきが聞こえる中、あの戦争を忘れてはならない、戦争の悲惨と平和のありがたさを語ろう、という催しが例年に増して盛んである。
私の地元文京区でも、シビックセンターで、まず武田美通全作品展「戦死者たちからのメッセージ」(7月20日(水)?25日(火))が開催された。勇ましい兵士ではなく惨めに戦死した兵士、この上なく傷ましい戦没兵の鉄の造形。リアルな軍装のまま骸骨と化した兵士たちの群像が衝撃的である。
物言いたげな鉄の死者たち、死後もなお軍装を解くことを許されない兵士の群像から放たれているものは、鬼気迫る怨みの霊気。決して穏やかに靖国に鎮座などできようはずもない、浮かばれぬ者たち。
この兵士たちは、生前には侵略軍の一員であったろうが、欺され、強いられ、結局は無惨に殺されたことへの、憤懣やるかたない怒りと怨みとそしてあきらめ。生者を撃つ力を感じさせる死者の鉄の造形であった。
https://sites.google.com/view/takedayoshitou/%E3%83%9B%E3%83%BC%E3%83%A0
次いで今年も、「平和を願う文京・戦争展」(8月10日(木)?12日(土))が開催されている。宣伝チラシに、「日本兵が撮った日中戦争『南京で何が起こったのか』」とテーマが語られている。
この「戦争展」は、第5回である。2019年の第1回展以来、文京区(教育委員会)に後援を申請している。そして、5回とも却下の憂き目に遭っている。どうにも、納得しがたい。
この間の経緯を昨日(8月11日)の東京新聞が、「戦争写真展の『後援』を文京区教委が5年も断り続けるのはなぜ? 『議論が分かれている』と展示に注文」という見出しで報じている。
「日中戦争で中国大陸を転戦した兵士が撮った写真を展示する「平和を願う文京・戦争展」を巡り、開催地の東京・文京区教育委員会が、主催者の後援申請を認めない状態が五年にわたり続いている。展示の中にある写真説明の表現が、政府見解と異なる点などが主な理由という。一方、主催者側に内容を変える意向はなく、議論は平行線をたどっている。
写真展は二〇一九年、戦争を加害と被害の両面から見つめ直そうと、日中友好協会文京支部が始めた。区出身の村瀬守保さん(一九〇九?八八年)が戦地で撮影した写真のパネルを展示。兵士の日常から遺体が並ぶ様子まで、さまざまな場面が写されている。
主催者側は、第一回から後援を申請。しかし、一九年七月の教育委員会定例会の議事録によると、「議論が分かれている内容で、中立の立場を取るべき教育委員会が後援することは好ましくない」などとして不承認を決定。翌年以降も同様の理由で承認していない。
区教委が問題視しているのは、展示の中にある「(慰安婦の)強制連行」や「南京大虐殺」などの表現だ。だが主催者側は、日中友好協会から写真と説明文をセットで借りており、表現は変えられないとする。日中友好協会文京支部長で実行委員長の小竹紘子さん(81)は「歴史に正面から向き合わなければ、日本が世界から信用されなくなってしまう」として、引き続き区教委の後援を求めていく考えを示す。
一方、区教委の担当者は「南京大虐殺」という表現が政府見解と異なるとした上で、「表現を変えるなどの対応をしてもらうことが、議論の入り口になると考えている」と説明しており、堂々巡りの状況が続いている。」
文京区が平和主義に特に後ろ向きというわけではない。1979年12月には、「文京区平和宣言」を発出している。宣言の文言は、下記のとおりである。
「文京区は、世界の恒久平和と永遠の繁栄を願い、ここに平和宣言を行い、英知と友愛に基づく世界平和の実現を希望するとともに人類福祉の増進に努力する。」
さらに、1983年7月には、下記の文京区非核平和都市宣言を発している。
「真の恒久平和を実現することは、人類共通の願いであるとともに文京区民の悲願である。文京区及び文京区民は、わが国が唯一の被爆国として、被爆の恐ろしさと被爆者の苦しみを全世界の人々に訴え、再び広島・長崎の惨禍を繰り返してはならないことを強く主張するものである。
文京区は、かねてより、世界の恒久平和と永遠の繁栄を願い、平和宣言都市として、永遠の平和を確立するよう努力しているところであるが、さらに、われわれは、非核三原則の堅持とともに核兵器の廃絶と軍縮を全世界に訴え、「非核平和都市」となることを宣言する。」
文京区も、形の上では平和を希求する姿勢をもっている。戦争を考える企画を自ら主催することもないわけではない。しかしその企画は、戦争の被害面についてだけ、あるいは日本に無関係な他国間の戦争についてのものにとどまり、日本の加害責任に触れる企画はけっしてしようとしない。後援すら拒否なのだ。
本音は知らず。その表向きの理由を、教育委員会議事録から抜粋すると次のとおりである。
教育長(加藤裕一)「皆さんのご意見をまとめますと、中立公正という部分と、あと見解が分かれているといったところ、あるいは政治的な部分、そういったところを含めて総合的に考えると、今回についてお受けできないというご意見だと思います。それでは、この件については承認できないということでよろしいでしょうか。(異議なし)それではそのように決定させていただきます。」
この結論をリードしたのは次の意見である。
坪井節子委員(弁護士)「今の情勢の中で、この写真展、南京虐殺があった、あるいは慰安婦の問題があったという前提で行われる催しに教育委員会が後援をしたとなりますと、場合によってはそうでないという人たちから同じようなことで文京区の後援を申請するということが起きることは考えられると思います。シンポジウムをしますからとか、文京区は公平な立場であるのであれば、あると言った人も後援したんだから、ないと言っている人も後援しろというジレンマに陥りはしないか。そういうところに教育委員会が巻き込まれてしまうのではないか。そこにおいて私は危惧をするんです。教育の公正性ということを教育委員会が守るためには、シビアに政治的な問題が対立するところからは一歩引かないとならないんじゃないかと…。」「そういう意味において、今回の議案については同意しかねるという風にさせていただきたい。」
この「中立・公正」論は、いま全国で大はやりである。歴史修正主義者・ウルトラナショナリストの声高な主張を引用し、これを口実にして、真実から目をそらす手口なのだ。結果として、歴史修正主義に加担することになる。いや、これが、歴史修正主義に与するための常道なのだ。こんな形式論で、結論を出されてはたまらない。それこそ教育委員の見識が問われねばならない。
たとえば、ナチスのホロコーストの存在は歴史的事実と言ってよい。しかし、ホロコースト否定論は昔から今に至るまで絶えることはない。動かしがたいナチスの犯罪の証拠に荒唐無稽な否定論を対峙させて、「中立・公正」な立場からは、「両論あるのだから歴史の真実は断定できない」と逃げるのだ。
小池百合子の「9・1朝鮮人朝鮮人犠牲者追悼」問題も同様である。歴史を直視することを拒否する右翼団体が、「自警団による朝鮮人虐殺はウソだ」「犠牲者数が過大だ」「朝鮮人が暴動を起こしたのは本当だ」と騒いでいることを奇貨として、それまで毎年追悼式典に出していた都知事による追悼文を撤回する口実に使った。
天動説と地動説、両論あるから「中立・公正」な立場からは真実は不明と言うしかない。科学者は進化論を真理というが、人間は神に似せて作られたと信じている人も少なくない。「中立・公正」な立場からは、どちらにも与しない。
教育勅語は天皇絶対主義の遺物として受け容れがたいという意見もあるが、普遍的道徳を説いたものという見解もある。放射線は少量であっても人体に有害という常識に対して一定量の放射線は人体に有益という異論もある。「中立・公正」な立場からは、シビアに問題が対立するところからは、一歩引かないとならないというのか。
中華民国の臨時首都であった南京で、皇軍が行った中国人非戦闘員や投降捕虜に対する虐殺には多くの証言・証拠が残されている。その規模についての論争は残るにせよ、この史実を否定することはできない。日本軍従軍慰安婦の存在も同様である。個別事例における強制性の強弱は多様であっても、日本軍の関与は否定しがたい。あったか、なかったかのレベルでの論争が存在するという文京教育委員諸氏の発言が信じ難く、その認識自体が、政治学的な研究素材となるべきものと指摘せざるを得ない。
一昨年(2021年)の「戦争展」では、来場者に文京区長宛の「要望書」(2020年12月14日付)が配布された。A4・7ページの分量。南京事件も、従軍慰安婦も、史実である旨を整理して分かり易く説いたもの。この件についての歴史修正主義者たちのウソを明確に暴いている。
「史実」の論拠として挙げられているものは、まずは外務省のホームページを引用しての詳細な日本政府の見解。そして、家永教科書裁判第3次訴訟、李秀英名誉毀損裁判、夏淑琴名誉毀損裁判、本多勝一「百人斬り訴訟」などの各判決認定事実の引用、元日本兵が残した記録や証言、南京在住の外国人やジャーナリスト、医師らの証言、この論争の決定版となった偕行社(将校クラブ)のお詫び、日中両国政府による日中歴史共同研究…等々。
それでも、文京区教育委員会は頑強に態度を変えなかった。この展示の中で、一番問題となったのは、揚子江の畔での累々たる死体でも、慰安所に列をなす日本兵の写真でもなく、中国人捕虜の写真に付された下記のキャプションであったという。
捕虜の使役 「漢口の街ではたくさんの捕虜が使われていました。南京の大虐殺で世界中の非難を浴びた日本軍は漢口では軍紀を厳重に保とうとして捕虜の取り扱いには特に気を使っているようでした。捕虜の出身地はいろいろです。四川省、安徽省などほとんど全国から集められているようで、中には広西省の学生も含まれていました。貴州の山奥に老いた母と妻子を残してきたという男に、私はタバコを一箱あげました。」
この文章の中の「大虐殺」「世界中の非難」がいけないのだという。とうてい信じがたい。これが、「日中戦争写真展、後援せず」「文京区教委『いろいろ見解ある』」、そして「主催者側『行政、加害に年々後ろ向きに』」(2019年8月2日東京新聞記事見出し)の正体なのだ。
私は、かつて「『南京事件をなかったことにしたい』人々と、『あったかなかったか分からないことにしてしまいたい』人々と」という表題のブログを書いたことがある。
https://article9.jp/wordpress/?p=20462
毎年12月13日が、中国の「南京大虐殺犠牲者国家追悼日」である。現在、「国家哀悼日」とされて、日中戦争の全犠牲者を悼む日ともされている。この「南京大虐殺」こそは、侵略者としての皇軍が中国の民衆に強いた恥ずべき加害の象徴である。
私も南京には、何度か足を運んだことがある。「侵華日軍南京大屠殺遇難同胞紀念館」も訪れている。そこでの印象は、激しい怒りよりは、静かな深い嘆きであった。粛然たる気持にならざるを得ない。
私の同胞が、隣国の人々に、これだけの残虐行為を働いたのだ。人として、日本人として、胸が痛まないわけがない。
しかし、日本社会は、いまだに侵略戦争の罪科を認めず、戦争責任を清算し得ていない。のみならず歴史を修正しようとさえしている。そのことについては、戦後を生きてきた私自身も責任を負わねばならない。安倍晋三のごとき人物を長く首相の座に坐らせ、石原慎太郎や小池百合子のごときを都知事と据えていたことの不甲斐なさを嘆いても足りない。そんな社会を作ったことの責めを自覚しなければならない。
南京事件にせよ、関東大震災後の朝鮮人虐殺にせよ、細部までの正確な事実を特定することは難しい。虐殺をした側が証拠を廃棄し、直後の調査を妨害するからだ。大混乱の中で大量に殺害された人々の数についても正確なところはなかなか分からない。
細部の不明や、些細な報道の間違いを針小棒大にあげつらって、「南京虐殺」も、「朝鮮人虐殺」もなかった、という人たちがいる。事実の直視ができない人たち、見たくないことはなかったことにしたいという、困った人たちである。
「南京虐殺40万人説」はあり得ない、「30万人説も嘘だ」。だから、「実は、南京虐殺そのものがなかったのだ」という乱暴な「論理」。
そういう人たちの「論理」の存在を盾に、「『南京虐殺』も、『朝鮮人虐殺』もあったかなかったか、不明というしかない」という一群の人たちがいる。実は、こちらの方が、「良識の皮をかぶっている」だけに、もっともっと困った人たちであり、タチが悪いのだ。
旧軍がひた隠しにしていた南京虐殺は、東京裁判で国民の知るところとなった。以来、日本国政府でさえ、「非戦闘員の殺害や略奪行為等があったことは否定できないが、被害者の具体的な人数は諸説あり認定できない」としている。ところが、「不明」「不可知」に逃げ込む人々が大勢いる。知的に怠惰で、卑怯な態度といわねばならない。これが、後援申請を却下した文京区教育委員の面々である。人として、日本人として、胸の痛みを感じないのだろうか。区教育委員会には何の見識もない。戦争を憎む思想も、戦争への反省を承継しようとの良識のカケラもない。
文京区教育委員会事案決定規則によれば、この決定は、教育委員会自らがしなければならない。教育長や部課長に代決させることはできない。その不名誉な教育委員5名の氏名を明示しておきたい。
教育委員諸氏には、右翼・歴史修正主義者の策動に乗じられ、これに加担した不明を恥ずかしいと思っていただかねばならない。自分のしたことについて、平和主義に背き、歴史に対する罪を犯したという、深い自覚をお持ちいただきたい。
戦争体験こそ、また戦争の加害・被害の実態こそ、国民全体が折に触れ、何度でも学び直さねばならない課題ではないか。「いろいろ見解があり、中立を保つため」に後援を不承認というのは、あまりの不見識。教育委員が、歴史の偽造に加担してどうする。職員を説得してでも、後援実施してこその教育委員の見識ではないか。
「政府や世間に逆らうと面倒なことになるから、触らぬ神を決めこもう」という魂胆が透けて見える。このような「小さな怯懦」が積み重なって、ものが言えない社会が作りあげられていくのだ。文京区教育委員諸君よ、そのような歴史の逆行に加担しているという自覚はないのか。
このような結論を出しつつけてきた不名誉な教育委員5氏の氏名を改めて明示しておきたい。なんの役にも立たずお飾りだけの教育委員であることに、少しは反省を気持ちを持っていただきたいのだが…。
教育長 加藤 裕一
委員 清水 俊明(順天堂大学医学部教授)
委員 田嶋 幸三(日本サッカー協会会長)
委員 坪井 節子(弁護士)
委員 小川 賀代(日本女子大学理学部教授)
なお、田嶋 幸三(日本サッカー協会会長)は昨年退任し、福田 雅(日本サッカー協会監事)に交替している。あたかも、「日本サッカー協会枠」があるがごとくではないか。はなはだ不明朗で、不快この上ない。