校長、お言葉ではございますが、批判のない真面目さは悪をなします。
(2023年3月4日)
本日は、東京「君が代」裁判・第5次訴訟の原告団会議。遠慮のない意見交換の場でありながら、和気藹々たる雰囲気が心地よい。訴訟進行に伴っての、こまごまとした打合せのあとに、メインの議題として、訴訟に提出する各原告の陳述書の内容の検討がされた。
最初の検討対象が、Sさんの第2稿。第1稿に対する意見を反映したものだが、私の第一印象は「よくできてはいるが、長い」ということ。ワープロソフトで字数を数えると、3万0673字、400字詰原稿用紙換算で77枚、裁判所提出用の標準書式では35ページとなる。ミニ卒論並みではないか。しかし、大方の意見は「長いが、よくできている」という評価。
「裁判官が読む気になってくれるだろうか」というのが、私の危惧だったが、反論が相次いだ。「いや、流れるような文章で読み易い」「どこかをカットして短くするのは難しいのでは」「野球部の顧問としての活動に相当のスペースが割かれているが、省くとすればここかも」「いや、日の丸・君が代にこだわる教員が、実はごく普通の教員だということを理解してもらうためには省かない方がよいと思う」「第1次訴訟では100ページを越す陳述書もあった。それにくらべて、異常に長いというほどではない」。結局は、これ以上長くはせぬよう、更に本人の推敲を期待するという結論に。
次いで、Kさんの第4稿。これはほぼ完成稿だが、結構な長文である。2万5722字、400字詰めで65枚分。この人特有の問題があって長文とならざるを得ないことで了解。この陳述書のなかの「校長が教員に卒業式の(起立・斉唱の)職務命令書を渡しているところを目にしました。若い教員が『かしこまりました。しっかり務めます』と言って、恭しく職務命令書を受け取っていました」という個所がひとしきり話題となった。
「昔の都立高では考えられない風景」「上司からの指示や命令には服従すべきが、当然と思っている雰囲気」「自分の頭でものを考えることを教員が放棄している」「教育現場も、まるで警察や軍隊と同じ上命下服の世界だと思わされている様子だ」「それにしても、最近若い教員が『かしこまりました』というのが気になる」「そう、教員たるもの、かしこまってはいかんのじゃないか」「研修マニュアルで教え込まれているようだが、反射的にこういう言葉が出て来る」「やはり、異議を述べる言葉を準備して、とっさの場合に言えるようにしておかねば」
どういう言葉を準備して、なんと言えばよいだろうか。
まずは、「校長、お言葉ではございますが…」と切りかえそう。
「この職務命令、まさか校長の本心とは思えません」
「すこし、考えさせてください」
「まだ納得いたしかねます」
「せっかくですが、お請けいたしかねます」
「教師を志した私の良心が、起立斉唱を許しません」
「ご了解ください。生徒を裏切ることはできません」
「主体的に生きよ、大勢順応に陥るな、と教えている自分です。到底、この命令に承服できません」
以下に、陳述書の話題提供の個所を抜粋する。やや長文だが、分かり易い。よくお読みいただくようお願いしたい。
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ロシアでは以前から卒業式などで国歌を流していましたが、義務ではありませんでした。けれど、ウクライナ侵攻を背景に、愛国心教育が強化され、2022年9月から小学校で週の初めの授業前に国旗掲揚と国歌斉唱が義務化されました。民主派への弾圧が続く香港では、中国式愛国教育を徹底して浸透させるため、2022年から国旗掲揚が授業日に義務化されました。ロシアや香港で起こったことは、国旗国歌の強制が、国民の愛国心を強化して戦争に向かわせようとすることや、民主主義の弾圧につながることをはっきり示しています。
先日、職員室で、校長が教職員に卒業式の(起立斉唱の)職務命令書を渡しているところを目にしました。若い教員が「かしこまりました。しっかり務めます。」と言って、恭しく職務命令書を受け取っていました。職務命令書が渡されることに何の疑問も感じていない様子でした。
沖縄修学旅行の際、元ひめゆり学徒の方や沖縄平和ネットワークの方が繰り返し言っていたのは、「真実を見極めてほしい。情報を鵜呑みにしないで、自分の頭で考えて、自分の考えを持ってほしい。」ということでした。それが平和を守るために一番重要なことなのです。しかし、今の都立高校で、真実を見極める力や批判力を身に付けさせることは出来るのでしょうか。評論家・吉武輝子の女学校の教員は戦後彼女に「批判のない真面目さは悪をなします。」と語ったそうです。最近の若い教員はとても真面目です。上司の命令には、どんなことでも素直に従いますし、従わなければならないと考えているようです。けれど、これはとても恐ろしいことなのではないでしょうか。
私は上司の命令が良心に照らして間違っていると判断された場合は良心に従うべきだと考えます。ドイツでは、過去の戦争において、上司の命令の下に非人道的な行為が繰り返されホロコーストの悲劇が起こったことの反省にたって、軍隊でも「上司の命令が自分の良心に照らして間違っていると判断される時は、命令に従ってはならない」と教育されるそうです。軍隊においてすらそうなのですから、ましてや人間を育てるという崇高な目的を持った教育現場において、教員はたとえ上司の命令であっても良心に照らして間違った命令には従ってはいけないと私は考えます。公教育に携わる者として、自分の未来よりも、この国の未来を考えなければならない、未来に責任を持てる行動をとらなければならないと考えた時、私はとうてい起立することができなかったのです。